反魂香

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・死者の魂を呼び戻すという秘薬。ゼラモニア独立運動(FFTのED後)に携わっているラムザとアルマ&イズルード(故)で思い出語り。
・カップリング要素…ラムザ→アルマ→イズルード→ウィーグラフ 片思いの連鎖… 

 

 
◆ゼラモニアについてmemo
0)鴎国と畏国の間の地域(ゼルテニアの隣)で鴎国に併合される(五十年戦争の1世紀前) 
1)オルダリーアの属州にして五十年戦争の発端の地 
2)ラムザ&アグリアスは獅子戦争終結の後(EDから約5年後?)、ゼラモニアの独立運動に関わっている
3)ディリータがそこに派兵 
*ディリータのゼラモニアへの派兵についての解釈は、「(鴎国の軍事力を削ぐため)独立運動の支援」(ラムザとディリータの協力)でも良いのですが、小説では「(畏国の治安を守るため)独立運動の鎮圧」(ラムザとディリータの敵対)だと思って書いてしまいました。でも前者の説明の方がすっきりしますね^ω^;

 

 

 

反魂香

 

 

 

「死者の魂を呼び戻す秘薬?」
「そう、この香木を焚くと、その香りがあるうちは亡き人の魂を再びこの世につれ戻すことができるらしい」
「でもそれって、危険なことじゃないの? だって私は知ってるもの、聖石が魂を呼び戻す時、誰かの身体が犠牲になっていたもの。私はもうそんな光景は二度と見たくないわ」
「アルマ、これはそういうものじゃないんだよ。魂を肉体に宿らせるんじゃなくて、去っていってしまった魂をほんの少しだけこっちの世界に呼び戻してくれるんだ」
 兄は市場で珍品を見つけてきたらしい。アルマは半信半疑だった。死者を蘇らせるとか、魂を呼び戻すとか、そんな胡散臭いものには何か裏があるだろうとアルマは思っていた。アルマは兄と共に、祖国イヴァリースを離れて鴎国のゼラモニア州で暮らしていた。ここゼラモニア州では、イヴァリースとオルダリーアとの大国に挟まれて陸路での貿易が盛んであった。そのため、得体の知れない珍品も時々市場に流れてくる。きっと、兄もそうしてこの香木を手に入れたに違いない。
「アルマは、誰か会いたい人はいないのかい?」
「そうね……私は兄さんが居てくれればそれで十分なんだけど」
 兄の顔がぱっと輝いた。兄妹は、異国の地で二人よりそって暮らしている。アルマは今の暮らしが十分幸せだった。故郷の戦乱で亡くなった人は大勢いた。アルマは彼らのことを一人一人思い出しながら、追憶に浸った。――もし、この香木が本物ならば――ここにその魂を呼び戻せるとしたら――

 * * * 

「また会えるなんて嬉しいわ、イズルード!」
 戸口に若い男が立っていた。短く刈り上げた茶髪に、僧服姿をした男は、どうしてここへ来たか分からない様子で所在なさげにしていた。そんな彼をアルマ喜んで迎え入れた。
「ここはゼラモニアの私たちの家よ。私があなたを呼んで招待したのよ、イズルード」
「私たち?」
「そう、私と兄さんとで一緒に暮らしているのよ」
「兄妹二人暮らしか……君たちはずいぶん仲がいいんだろ? 夫婦みたいに仲睦まじくやってるのが目に浮かぶよ」
「やだ、夫婦なんて言い過ぎよ」
 そう言いながらもアルマは嬉しそうに、兄さん、兄さんとラムザを呼びに家の中へ入っていった。その様子を見てイズルードは安堵した。
「よかった、兄と再会できたんだな」
 彼にはアルマに対する責任があった。彼はアルマを兄ラムザのもとから引きはがし、拉致しようとしたのだった。彼はその当時、崇高な理想に燃えており、理想の実現のためには多少の犠牲はやむなしと考えていたが、今となっては騎士道に反する行動だったと感じていた。彼女に対して紳士的な振る舞いを欠いたことに、彼はいくらかの罪悪感を抱いていた。計画が頓挫し、彼女を戦場であるリオファネス城に放置してきてしまったことも、彼の心を痛ませていた。けれど、どうやら彼女はそこから無事生還して兄と再会できたようであることをイズルードは知り、それは彼の心を落ち着かせた。
 しかし、一つだけ腑に落ちないことがあった。
「アルマはどうして今更、オレを呼び出したんだ――?」
 手荒な方法でさらったことを、非難するつもりだろうか、と彼は思った。

 * * * 

 妹から男を紹介された。
「この人はイズルード」
 知ってるよ、とラムザは心の中で思った。自分がかつて剣を交えた騎士だ。不幸な事件に巻き込まれてリオファネス城で果てた若い男だ。
「兄さんの言っていたことは本当ね。この香木は本物だったわ」
 妹がそんなにも会いたかったというのはイズルードだったのか。戦乱で死に別れた女友達と再会を喜ぶのだろうとばかり思っていたラムザは困惑した。一体、どうしてこの騎士なのか。彼とは、たった数日一緒に過ごしていただけだろう。それとも、たった数日だけしか共にしていないというのに、“そういう仲”なのだろうか。妹から今更若い男を紹介されるとは思っていなかったため、ラムザは戸惑っていた。
「アルマ、一体オレに何か用があったのか……?」
 ラムザが彼女に聞く前にイズルードが尋ねた。至極控えめな素振りだった。
「どうして? 理由がなかったらいけないの? 私はあなたにもう一度会いたいと思っただけよ」
 彼女は迷うことなくさっと答えた。しかし、顔をわずかに背け、誰とも目を会わせないよう視線をさまよわせた。答えるほんの少し前に、頬に赤く染めたのをラムザは見逃さなかった。ラムザは彼女と暮らしていた。兄妹の絆は消えることなく、彼女はいつもラムザの可愛い妹だった。けれど、その時、彼を前にしたその時、彼女は彼の妹ではなかった。一人の女だった。
 彼らをその場に残して、自分が退席するべきだろうとラムザは思った。けれど、同時に、彼らを二人きりにしておきたくない、とも思った。名付けられない、その感情に従って彼はイズルードを誘い出した。
「少しの間、外で話そうか」
 彼はその申し出に応じた。
 

 * * *

 外は彼の知らない国だった。イヴァリースで生まれ、故国から出ることのなかったイズルードにとって、ゼラモニアの光景は新鮮だった。家や町並みに大陸の文化がかいま見られた。
 イズルードが聞いたところによると、ラムザはゼラモニアの独立運動に関わっているらしかった。
「ゼラモニアの歴史は知っているだろう?」
 ラムザが尋ねた。イズルードはうなずいた。
「もちろん。ここは常に戦争の火種になっている」
「独立の夢叶わずに鴎国に併合されたのが一世紀前。それから畏鴎戦争が五十年。そして僕たちの国の戦争があって、イヴァリースはゼラモニアから撤退した。ゼラモニアは数百年の間もオルダリーアの圧政の下だ」
「それで、ラムザはゼラモニアの独立運動を支援していると?」
「これまでずっとイヴァリースは、ゼラモニア独立の支援を続けてきたけれど、独立支援なんていうのは建前だ。本当はオルダリーアへの侵略を考えていただけさ。この国はイヴァリースとオルダリーアという大国に挟まれて、戦場として蹂躙され続けてきた。僕はイヴァリースに生まれた。ゼラモニアの歴史には責任があるんだ」
 年はとっくに二十歳を超えて、彼はいくつになっているのだろうか。イズルードは、淡々と語るラムザの声を聞いていた。確か、自分と彼とは年はそう離れていなかったはずだ。修道院で初めて顔を会わせた時は、お互いにまだ若い少年だった。理想に燃え、それぞれが正しいと信じるもののために戦っていた。
「ラムザ、オレは君と剣を戦わせたことがある。だけど、君といがみ合っていたとは一度も思っていない。君はゼラモニアの虐げられた人々のために戦おうとしている。オレは君の精神に敬意を払っている。あの時から、今も変わらずそう思っているよ」
 理想を掲げて、虐げられた民のために剣を取る。それが騎士のあるべき姿であるとイズルードは思っていた。ラムザはその志を持った人間だ。たった数回剣を交えただけでも、それを知ることが出来た。けれどラムザと会う前から、理想を掲げて戦っていた騎士をイズルードは知っていた。彼はラムザと同じ金髪、ガリオンヌの出身、貴族をくじく精神を持っていた。そして内に激しい魂を秘めていた。イズルードが尊敬し続けたただ一人の男だった。
「ウィーグラフ……」

 * * * 

 イズルードが物思いに沈んでいる頃、ラムザもまた別のことを考えていた。
「イズルード、僕は崇高な精神のために戦っていたわけじゃないんだ」
 しかし、その言葉は彼の耳には届いていないようであった。
 ――僕は……大儀を掲げて戦ったわけじゃない。家族を、アルマを守りたかっただけなんだ……。もしあの時、修道院でディリータの姿を見なければ、僕はきっと戦争には関わらなかった。過去を捨て、家を捨て、名前を捨てて、そのまま逃げ続けていたかもしれない。
 ――ゼラモニアに居るのだって、本当はイヴァリースを追われてきたからだ。僕はもう二度とイヴァリースには帰らない、帰れないんだ。僕たちのことを誰も知らないこの土地で、僕はアルマと二人で平和に暮らそうと思っていた。独立運動のことを知らなかったわけじゃない……でも本当はただイヴァリースから逃げたかっただけなのかもしれない……。
 ラムザはこのことをイズルードに伝えられなかった。彼は自分のことを今でも理想を共にする同志だと思っているらしい。ゼラモニア独立のことも、彼はもしかしたら理想のための革命を起こせるのだと思っているのかもしれない。けれども、ラムザは過酷な現実を知っていた。かつてはオルダリーアの勢力を削ぐために独立を支援したイヴァリースが、今度は民衆の独立運動が自国に飛び火するのを恐れて派兵しようとしている。イヴァリースの英雄王自ら挙兵するとの話をラムザは聞いていた。ロマンダには英雄王に地位を奪われて亡命中の王子もいる。このままゼラモニアの独立運動が拡大すれば、周辺諸国を巻き込んでの争乱に発展するだろうことは容易に想像できた。けれどそうなった時、どう動くべきなのかをラムザはまだ想像できずにいた。もはやラムザ個人の力
ではどうにもできない問題になっていた。
 しかし、この夢見がちな青年にどうして本当の事が言えるだろうか?
 その時、イズルードがある名前をつぶやいた。
「ウィーグラフ……」
 ウィーグラフ・フォルズ。その名前を聞いてラムザは背筋が凍り付いた。その男はラムザを何度も殺しかけた、因縁浅からぬ者だった。
「もしウィーグラフが生きていたら、ゼラモニアの問題だって黙ってはいなかっただろうに。あいつは本当にすごい騎士だった。同じ神殿騎士として少しの間だけでも肩を並べられて光栄だった」
「うん、あの人はすごかった……僕はあの人の剣技にはとてもかなわなかった」
 ラムザがそう言うと、イズルードは同輩を賞賛されて嬉しかったのか、どこか誇らしげな顔をした。
「そう、ウィーグラフはすごい奴だった。オレは今でも心から尊敬しているよ。オレと同じゾディアックブレイブだったけれど、あいつはオレと違ってずっと苦労してきたんだ。イヴァリースのために戦ったのに、王家に裏切られてガリオンヌではかつての仲間と家族を失ったと聞いた」
 ――骸旅団を壊滅させ、彼の妹を殺したのは僕と、僕の兄たちだ。
「でも、ウィーグラフは剣を棄てず、ミュロンドに来て、信仰のために戦った。聖石が悪魔の力を宿していたとは誰も知らなかったが――ラムザ、君が正しかったよ――それでも、オレたちはあの時、貴族たちから平等を勝ち取ろうと戦っていたんだ。今もその気持ちは変わらない。ゼラモニアの困窮を前にして、オレもこのまま黙ってはいたくない。出来ることなら、君の力になりたかった。きっとウィーグラフもそう思っているだろう。民衆が立ち上がるための土台を築こうとしていたのだから」
 ――でも、あの時、確かにウィーグラフはこう言った。私を教会の犬と呼ぶが良い、と……。
「だけど、オレはウィーグラフを見捨ててきてしまったんだ。オーボンヌ修道院で、瀕死のウィーグラフを振り切ってその場を去った。それが心残りだった……。あの時は、あれが最善のことだったのかもしれない、だけど共に戦った戦友をあの場に残して一人立ち去った申し訳なさが残った。あの後、リオファネス城に行ったが――この経緯は君も知っているだろうが――そこで何度もウィーグラフの幻を見たよ。ここに居るはずもないのに、何度か彼の姿を見た気がする。幻覚を見るほどオレはウィーグラフのことを思っていたのかもしれない。――だから、ラムザ、どうか教えてくれないか。ウィーグラフの最期を知っているのは君だろう? 君があいつを討ち取ったんだろう、ウィーグラフはあの後、修道院でどうやって最期を迎えたんだ……?」
 ――そうだ、君の言うとおり僕がウィーグラフを討ち取った。だけど、そこはオーボンヌ修道院ではなく、リオファネス城だ。君が見たというのは幻じゃない、おそらくウィーグラフ本人だ。いや、彼はもうすでに聖石と契約を結んでいたから、ウィーグラフ本人ではないかもしれない……。
「ラムザ? どうしたんだ?」
「ああ、何でもないよ……」
 ラムザはイズルードに何も答えられなかった。イズルードを殺したのは、悪魔になり果てた彼の父親だった。ラムザは思った。もし、彼が、彼の敬愛するウィーグラフもが彼の父親と同じ道に墜ちてしまったと知ったらどう思うだろうか。父親に剣を向けたように、盟友にも同じように剣を向けただろうか。父親にそうしたように、変わり果てた友の身体に剣を突き立てたのだろうか。
 ――アルマ、今更どうして彼を呼んできたんだ。夢から覚めて、悲惨な現実を知って打ちひしがれるだけだというのに。僕は真実を知っている。だけどそれを彼には伝えられない。
「ラムザ? ウィーグラフは……」
「あの人は……最期まで僕の好敵手だった。僕の人生に影響を与えた人だったよ。あの人なしには僕の人生はなかったと思う。お互い、最後まで全力を尽くして死闘した。……最期は、妹さんのことが心残りだと言っていたかな……」
「そうだったのか。ラムザ、君がウィーグラフのことを認めてくれて、オレも嬉しいよ」
 ――知っているかい、イズルード? 君が敬愛するウィーグラフの、家族を殺して、彼を復讐に駆り立てさせた発端は僕にあるんだ。君はそんなことを露ほども知らないとは思うけれど……
 ラムザはイズルードに、ウィーグラフが聖石と契約を交わしていたことは言わなかった。彼の中で、ウィーグラフは永遠に高潔な騎士として生き続けることだろう。
 イズルードが理想高き誠実な騎士であることをラムザは十分理解していた。ゼラモニアの民衆運動にも、喜んで身を投じることだろう。妹を暴力にまかせて修道院から連れ去ったことは許し難い行為であったが、しかし、平素の彼はそれほど猛々しい性格ではなかった。むしろ、ラムザの知り合いの中では剣を持つ人間としては穏和な方であった。この期に及んで、凄惨な現実を突きつけて、この青年を絶望の淵に追いやるつもりはなかった。
 ――この男がアルマをさらっていった。そしてたった一瞬でアルマの心を奪ってしまったのだ。
 果たしてそのことにイズルードは気づいているのだろうか、とラムザは思った。
「アルマは君にずいぶん会いたがっていた」
 ラムザがそう言うと、イズルードは居心地が悪そうに言った。
「あの件は……本当に申し訳ないことをしたと思っている。アルマは、そのことをまだ怒っているだろうか……?」
 いや、それどころか君に好意を抱いている、とは言わなかった。代わりに「多分怒っていないと思う」と答えた。
「それは良かった。彼女には感謝している。そのことを伝えておいて欲しい」
 じゃあ、お互いよい旅路を、と言ってそこで彼とは別れた。何に対して「感謝している」のか、ラムザは分からなかった。けれど彼の言葉はそのまま妹のもとへ届けた。

 * * * 

「そう、イズルードはそんなことを言っていたのね」
 アルマは呟いた。せっかく再会の機会があったというのに、ろくに言葉を交わす間もなく再び彼は去っていってしまった。兄たちは外でずいぶん長いこと話していた。何を話していたのだろう、とアルマは思った。私も一緒について行けばよかったかしら。
「イズルードはこう言っていた、感謝していると。アルマ、そろそろ教えてくれないか。彼とはどういう関係だったんだ?」
「あらやだ、兄さん、もしかして嫉妬しているの?」
 兄がイズルードに何かしらの感情をあおられていることは確かだった。
「アルマ、僕はそういうつもりで言ったわけでは……」
「兄妹なんだから、兄さんが何を思っているのかは言わなくても分かるわよ。でも兄さんは勘違いしている。私たちは、イズルードとの間には、何もなかったのよ――だってよく考えてみて。私たちが一緒に過ごしたのはたった数日だったのよ。それも、私は誘拐されたのよ。“何か”を育むような楽しい逃避行ではなかったわ」
「彼は“感謝している”と。何もなかったわけじゃないだろう?」
「感謝されるとしたら、それはきっと、私が彼の最期を看たからよ……あの人は、私をさらった誘拐犯だったけれど、一人孤独に絶望の中で死を迎えるのはあまりに可哀想だわ。だから私、彼の手をとって、ずっと傍に居たの。彼も私も言葉を交わせるような状況じゃなかったわ」
 アルマはその時の光景を思い出して恐怖を再び感じた。血も凍り付くような虐殺がリオファネス城では繰り広げられていた。その真っ只中にアルマとイズルードは取り残されていた。そのような惨劇の中、彼らは互いに何も言うことも出来ず、ただ孤独と恐怖とをふさぎあうように寄り添っていた。
 再びおそった恐怖に身をすくめ、アルマは兄に抱きついた。目を閉じていても、脳裏にあの光景が浮かんだ。
「そうよ、私たちの間には何もなかったわ! 何もなかったのよ! あの時の私は修道院を出たばかりの何も知らない少女で、彼も教会のために命を捧げてきた人だった。私は兄さんに会いたくてずっと泣いていたし、彼は残してきた仲間のことを気にしていた。それに、あんな惨劇に見舞われて、お互い何の言葉を交わすこともなく別れたわ。だけど、今になって思うの。もう二度と会えないと知って、あれが、私の、初めての恋だったと気が付いたの。愛していたと気づいた時には、あの人は二度と戻らぬ人だったのよ……!」
 アルマは兄の腕に抱かれて泣いた。ラムザはこう言った。「アルマ、泣かないで、僕がずっと傍にいるよ」
「あの人は――イズルードは、私が初めて恋をした人だったの。だから、兄さんがあの香木を持ってきた時に、ふと、また会いたいと思ったの」
「愛を伝えるために?」
「いいえ、リオファネス城で、私の初恋はもう終わったのよ。昔の恋を伝えたかったわけじゃないわ。ただ……大人になって、綺麗になった私を、一度でいいから彼に見てもらいたかったの。ね、兄さん、あれから私はずいぶ大人になったでしょう?」
「僕の可愛い妹! 君は最高に美しいひとだ! 僕はもう二度と家族を手放すまい――誰にも引き離されることなく、僕たちはこの国で一緒に暮らしていくんだ――」
 兄妹は再び抱き合った。

 

 

2015.12.14

 

遅咲きの薔薇

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 遅咲きの薔薇

            

            

 僕はアルマと一緒に、久々にゼラモニアから故郷のイヴァリースへと戻った。両親も兄弟もなく、家も土地も持たない僕は帰る場所がなかったため、学生時代、共にアカデミーで学んだ友人の邸宅に身を寄せていた。彼とは青春の一時期を共に分かち合った人で、首席で卒業をしていった碩学の大先輩でもあった。お互い、道を違ってからは消息も知らない。
 この邸宅の細君は僕と面識のある人物だった。……彼女はかつて共に旅をした仲間で、もう、あれから随分と時間が経ってしまったけれど、立ち振る舞い、その身のこなしにはかつての面影があった。彼女は今でも優雅で可憐な女騎士だった。いつまとまったのかは知らないけれども、この夫婦の間では、まだ恋人同士のような、新婚のような、甘酸っぱいやりとりが交わされていた。僕たちが広間に入ると、僕を迎えた彼女はさっぱりとした、薄衣の上着を纏っていた。「どうかしら?」一緒に出迎えた彼はアルマの手を取り案内しながらも、細君に視線を送っていた。「美しいよ」そこで二人まるで始めて出会った若い恋人のように連れ添って歩いて行くのだった。彼女は黙って彼の側に座っていたり、あるいはそっと椅子を引いたり、彼のために、誰にも気づかれないような細やかな愛情を示していた。
 僕と彼とで、昔語りに花を咲かせている間、彼女はアルマと一緒に外で過ごしていた。緑の草地の上に、二人の婦人のスカートが丸く円を描いて広がっていた。二人とも微笑みながら、僕たちには聞こえない会話を楽しんでいるようだった。全く影のない世界だった。僕たちが歩いてきた道に投げかけられた、暗い翳りは、二人のささやかな笑顔の中には入り込もうとしなかった。
「そういう運命だったのさ。ラムザ、私の話を聞き給え」
「聞いているさ。僕だって随分骨を折ったんだよ」
 僕が妹の姿を視線で追っている間、彼は細君の方に顔を向けていた。そのまなざしが、恋慕の情愛か、思慕の歓びなのかは、ついぞ伴侶を持たなかった僕には知り得ぬことだった。
 僕はふと、壁に掛けられた小さくも美しい、可憐な少女の肖像画に気づいた。澄んだ明るい油絵で、丈の長い薄緑の上着を羽織り、こざっぱりとまとめた金の髪の上に瀟洒なヴェールを載せている。紅に染まった頬に、少女らしい、かわいげのある愛嬌が乗っていた。その少女が誰なのかは想像に難くなかったが、彼に一応尋ねた。「この少女は?」
「私の妻のものだよ」つまり、と彼は付け加えた。
「私の総長の愛娘で、私に剣を向けた凜々しき騎士で、そのあとで私の妻になってくれた女(ひと)の肖像さ。元々は母親が娘の成長した祝いにと贈ったものだったらしい。母亡き後は両親の形見としてメリアドールが大事に持っていたのが、この家にやってきた」
 彼はその肖像をちらりと眺めた。
「どういういきさつで結婚を?」僕の問いに彼は答えず、ついと席を外してしまった。
 僕は肖像の前に歩み寄った。僕の前の肖像の少女は今、美しき夫人となり、庭でアルマと幸福なひとときを過ごしているようだった。「大きなイチジクが二つ熟れているわ! アルマ、それを一つ、もいできてちょうだい」
 彼女はそのイチジクをもって、広間へとやってきた。
「アルマがこのイチジクを取ってきたのよ。あとでタルトでも作ろうかしら。ラムザも一緒にどう?」
 甘酸っぱい芳香が広がった。
「メリアドール、驚いたよ。君が結婚してたなんて」僕は繰り返した。「どういういきさつで結婚を?」
 彼女はさっと顔を赤らめた。一瞬の沈黙の後、彼女は語り始めた。
「あの後、そう、ラムザとオーボンヌで別かれてからのこと。私にはもう家族もなく、誰も心を許せる人なんかいないって思ってた。ただ一人で静かに過ごしたくて、修道院を転々としながら日々を送っていたのね。部屋にただ一人で座って、考えて、この暗い壁の中の世界で、もう俗世に還ることなくひっそりと一生を終えようと心から思っていた。でも、ちょうどその時、偶然あの人と再会したのよ。お互い世捨て人みたいになってて、もう関係なんか持つ気はなかった。でも、図書室であの人が本を朗読するのが聞こえてきたの。古い文豪の詩だった。あたりには私たちの他には誰もいなかったわ。私たちが古の恋人と共に船出をするのを、誰も、何もさまたげなかった」
 船は軽やかにすべってゆく。寂しい真昼どき、姫は甲板の上に坐っている。夏の風が彼女の金髪にそよいでる。しかし、故国を恋う悲しみから、また、やがて老王の妃となるべき異境にたいする怖れから、彼女の眼からは涙があふれる。騎士は彼女を慰めようとするが、彼女は彼をしりぞける。彼女は彼を憎んでいる。彼が彼女の家族を殺したからだ。大気はむし暑い。そして彼女はのどがかわく。しまいかたの粗忽から、姫の胸を老王に対して燃えさすための恋の媚薬が、はからずも船房に出たままになっている。
『ご覧あそばせ、このようなところに、葡萄酒がございますのを!』
「こうしていにしえの詩人の魔術が始まるのよ。甘美な詩句は口からとどめなく流れだし、密やかな胸の上に情火を燃え上がらせる。私は、若々しい美しい二人が舷に一緒に身を寄せる様を思い描いたわ。彼ら恋人は、自分たち二人の手がひそかに握り合わされるのを見ないように、遙かな水を眺めている。彼ら、お互に酔いしれながら、海のこと、霧のこと、風のこと、波のこと、目に見えることをささやき合う……
「全くその時だったわ。いにしえの文豪の差し出す盃の香りが立ち上って私にもまた魔法をかけてしまったの。私はまだ喪が明けてさえいなかったというのに、私の中に眠っていた青春の炎が燃え上がったわ。全く恋の盃というのは恐ろしいものだわ。私たちは幾杯も飲み交わして。
「本当に、恋の盃というのは……本当に……そうして私はあの人と…」
 彼女はそれ以上話を続けることが出来なかった。青春の恥じらい故か、彼女はその場から立ち去った。僕の前にはよく熟れたイチジクが一つ、残った。
 細君の退出と入れ替わりに、主人が戻ってきた。「その続きは私が話そう」
「私の知っている限り、妻は、メリアドールは、いつも黒い喪服を纏っていた。彼女の喪が明けることは永久になかったのだ。家族を理不尽な理由で失いったことは彼女を十も老けさせていた。ある時、私は彼女からこの肖像画を見せてもらった。これが家族の唯一の形見だと。しかし、絵の中の可愛らしい面立ちを、喪服を纏った黒い婦人の輪郭に見いだすことは出来なかった。
「何が彼女を変えたのか? 誰が黒の喪服を脱がせたのか? それが恋の盃、不思議の飲み物、あの媚酒だったのか? 恋の盃とは、単なる象徴ではないのか?
「しかし私たちが小さな修道院の片隅で日がな恋の狂乱に耽っていたと考えるのは間違いだ。そう、あの頃の私たちは世捨て人も同然だった。いにしえの詩人の呼び起こしたひとときの魔法は、次第に色あせていった。一日、一日と、日々は静かに平穏に過ぎ去っていった。私も事を荒立てる気はさらさらなかった。ただ誰にも邪魔されず、心静かに過ごす事だけを望んでいた。
「静寂を求めた私のお気に入りの場所がその修道院にはあった。裏庭に小さな薔薇園があったのだ。そこには誰の邪魔も入らなかった。何の関わりにも乱されることなく、私は永遠の古歌に読みふけっていた。私は、彼女が、ときおりそばに坐って聞いているのを知っていたので、声をあげて読んだ。すると、熱心に動いていた彼女の手は覚えず仕事を忘れるのだった。私はあの戦乱の時代のせいで、ろくに一芸をきわめることが出来なかったが、多少は歌うことが出来た。彼女も、歌う心得はあった。
「ある時私は、あの肖像、君の前にあるその肖像を再び眺めた。美しい、若々しい顔にじっと見入っていた。この若い、笑っている眼が見入っている世界は暖かな、たしかに陽の光に満ちあふれている世界に違いないと気づいたのだ。私はたまらなかった、彼女の暮らすべき世界は光輝くものでなければならない! 私は両腕を肖像の方へのばした。彼女はもう一度この姿に戻らなければならない、悔恨と憧れとに引き裂かれながら、そう願った。
「過去を悔いることは山のようにあった。彼女に黒の服を纏わせているのは、私のせいでもあるのだから。しかし、ただ一つ分かっていることがあった。この肖像の愛らしい若々しい姿は、まだ永遠に過去のものとはなってはいないということだ。かつてはこうだった彼女――その彼女は今も生きている。そして自分のすぐ側に、この手の届くところにいる。自分は今の、この瞬間にも、彼女のそばにいられるのだ!
「私はすぐに彼女を探す必要があった。彼女は薔薇園の中にいた。彼女はほほ笑みながら私を見た。しかし、私は時を移さず黙って彼女の手を取り、彼女を連れて歩いた。私たちは並んで歩いた。白い朝の光の中、彼女のほっそりとした手が任せきったように私の手の中におかれた時、私はこらえきれなくなって彼女の前に跪いた。私がふたたび顔を上げたとき、彼女は、もう黒いヴェールを被いてはいなかった。彼女は、自分の手で、喪服を脱ぎ捨てた。……私は、彼女が闇の中に居るとは最初から思っていなかった。朝靄の中、私の側にたたずむ彼女は、あの肖像と何ら変わりはしなかった。光輝く、美しい姿だった。
「こうして私たちは、再び恋の盃から飲んだのだった。もう幾杯も飲み交わす必要はなかった。心からの、深い一滴で十分だった。いや、初めから恋の盃なんて必要なかったのかもしれない。そして、私たちは遅過ぎる青春を、二人で連れ添ってすごすことに決めたのだった」
 その晩、僕はアルマと夕飯をとった。テーブルには夫人の作ったイチジクのタルトも並んでいた。次第に夕闇がせまってきて、全てがひっそりとしていた。しかし、外の庭には灯りが点いておりわずかな輝きを見せていた。歴史から退いた僕たち兄妹がこうやって静かな、幸せな食事をしているとは誰が知っていようか。庭の茂みから、夜の中へ低いアルトが歌い出すと、それに寄り添うに可憐なソプラノが唱和した。『おお青春よ、うるわしの薔薇咲く頃よ!』僕たちはそれに耳を傾けながら、幸福なひとときを過ごしていた。

            

            

・パロディ元…シュトルム著『みずうみ』(関泰祐訳)、岩波文庫、1992年、117-136p

            

            

2015.7.10

譽れ高き騎士に剣を捧げよ

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 譽れ高き騎士に剣を捧げよ

             

             

 あの恐ろしい化け物は、騎士たちを羊を屠るように切り殺していった。あちこちに混乱と恐怖のさなかに絶命した者達が血を吹いて倒れている。アルマはおそるおそる、城の中を歩いて行った。無我夢中で道なりに進むと、覚えず、城の再奥の執務室にたどり着いた。扉を開けると、物言わぬ屍たちが一塊になってこぼれ落ちてきた。アルマはその重みにぞっとし、ここで壮絶な死闘があったのだということを悟った。顔も背けたくなるような光景の中に立ち入っていったのは、奥から人の声が聞こえてきたからだった。剣を放り出して、壁に身をもたれさせてうずくまる、若い、一人の騎士。アルマは彼のことを知っていた。側に駆け寄らずには居られなかった。
「――剣はどこだ?」
 彼は最期まで立派な正しい騎士だった。「もう戦わなくていいのよ、イズルード」アルマは彼の前にかがみ込み、耳元にそっとささやいた。アルマは血に汚れた上着の裾をきちんと整えた。そしてスカートの端を少しちぎると、彼の顔にそっとあてがったな前髪をそっと掻き分け、額の汚れをそっとぬぐった。
「きれいにしましょうね…最期くらい、きれいに飾ってあげなくちゃね……あなたは騎士としてずっと生きてきたのだから…」
 ベオルブの家に生まれて、彼女も、騎士が死ぬときにどういう装いをするものなのかは知っていた。皆、美しいマントに包まれ、胸の上には剣を大切に抱え持っていた。それを思い出し、アルマも側に落ちていた彼の剣を拾いに行った。その時初めて、その剣が片手で持てない程の重さであることに気づいた。「こんなに重たいものを持っていたのね」
 アルマは剣を引きずってイズルードの側に戻った。彼に剣を握らせ、その右手をアルマは両手で優しく包み込んだ。今際の場にあってもイズルードが尚もしっかりと剣を握りしめようとしているのに気づき、再び繰り返した。「もうあなたが戦う必要はないの。あの化け物は兄さんが倒したから…」アルマは髪を結わえていたリボンを解くと、剣の柄と彼の右手とに結びつけた。
「これは、私からの武勲のしるしとしての贈り物」
 彼の勇気と行いを褒め称え、飾るものをアルマは他には何も持っていなかった。イズルードは代わりに聖石をアルマに託した。それを受けとると、アルマはその場にぺたりと座り込み、彼を支えるように側に寄り添っていた。
「君の兄さんに伝え――」
「駄目、しゃべっちゃダメ。ね、ゆっくり眼を閉じてもう休むのよ」
 アルマは彼を黙らせるため、その口を接吻でふさいだ。静かな甘い時間が過ぎると、イズルードは最期にこういった。
「これでやっと兄さんの元へ帰れるな。アルマ、すまない。ラムザと幸せに――」
「イズルード!」
 アルマが呼びかけにもう反応はなかった。アルマは彼の顔を両手でそっと包み込み、抱き上げると、再び長いキスを彼に贈った。アルマが我に返り、目を上げた時、彼女の前に遺されたのはぼろぼろに痛めつけられた一人の騎士の亡骸と、一振りの剣、そして彼女に手渡された一つの聖石。これが彼の全てだった。アルマは聖石を握りしめ、祈りを捧げた。

             

 ――イズルード、その名もほまれ高き、いとしい騎士よ

             

 そしてその場を去っていった。愛する人を其処に残して。

             

2015.1.29

星空の彼方

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 星空の彼方

                 

                 

 むかしのことを思い出した。

                 

 母が亡くなって間もない頃、まだ人が死んだらどうなるのか分からなかった頃。いつまで経っても戻ってきてくれない母の帰りをずっと待っていた。
「かあさまはどこへ行ったの?」
 その言葉に父は答えてはくれなかった。わたしに背中を向け、「遠いところへ行ったんだよ」
「どうして?」
 繰り返すわたしに答えをくれたのはローファルだった。たくさんの魔道書。古の伝承歌。教会の教え。剣の持ち方。ローファルは、わたしの知らないことをなんでも教えてくれた。
 蔵書室の傍らに腰掛けて、昔の英雄達の最後を語ってくれた。あれこれと、とても真面目に、<死後の世界>について教えてくれた。それでも首をかしげるわたしに、ローファルはとうとう諦めて、外へと連れて行ってくれた。
 夜の帳の静かに落ちた後、空は満天の星が輝いていた。一つ、二つ、と星の数を数えていたら、
「母君はあの星の向こうへ逝ってしまった。こうなることは決まっていたんだ。イヴァリースに住む者は皆、星々の運行の下に生きているんだ。誰もそれを止めることは出来ないのさ……」
 母がわたし達を置いて本当に遠いところへ行ってしまったのだと分かった。丸い天の下、たった一人取り残されてしまったような気がしてとても怖かった。悲しかった。そしてとてつもなく寂しかった。隣に座っていたローファルにぎゅうぎゅうと抱きしめた。この手で掴んでいないと、みんな遠くへ去ってしまうような気がした。
「メリア、そんなに抱きつかなくても、私はちゃんとここにいるよ。寂しくなったらいつでもおいで」
 悲しいのか嬉しいのか自分でも分からなかったけれど、涙がぽろぽろと頬を伝った。
 わたしを呼びに来た弟が不思議そうに見ていた。「ねえさん、どうして泣いてるの?」
「かあさまが遠くにいってしまったからよ」
 弟はまだ母の死を知ることが出来なかった。死という残酷な響きを理解するにはあまりに幼すぎた。
「もうすこし大きくなったらわかることよ」

                 

                 

 母が亡くなった時は悲しかった。弟が亡くなった時はもっと悲しかった。
「期待のゾディアックブレイブだったのに…」
 あちこちでそうささやく声が聞こえた。ゾディアックブレイブの証の聖石はとうとう戻らなかった。折れた剣がひとふり、わたし達の許へ帰ってきた。それだけだった。
 騎士として立派につとめを果たしました。ぼろぼろの剣はそう語っていた。けれど、わたしの心はそんな言葉で慰められることはなく。抑えられない悲しさにおぼれそうになっていた。
 相変わらず父はわたしの前に顔すら見せなかった。もう家族がばらばらに引き裂かれてしまったように思った。それでも、その頃は、わたしも騎士として相応の分別を持ち合わせていたから、取り乱したりすることはなく、ローファルの許をそっと訪ねた。
「一体リオファネス城で何があったのですか?」
「……異端者と打ち合ったと聞く」
「そう……ならば、弟はミュロンドの騎士として死んだのですね。これも星宿の巡り合わせというものなのでしょうか」
 答えはなかった。しばらくの沈黙が続いた。そして、ローファルはぼそりと、「違う、そうじゃなかった」と答えた。わたしは再び、「リオファネスで何があったのですか」と繰り返した。けれど、無言のままに扉を閉められた。内側から嗚咽が漏れた。「可哀想に」
 可哀想に。真相も分からず夭折した弟も、たった一人残されたわたしも。
「寂しいときはいつでも来い、って約束してくれたじゃない――」
 わたしは、密かに下された異端者抹殺の命を全うすべく、夜の闇の中を歩く他なかった。

                 

                 

 ――それも今はもう昔の話。あれから刻々と時は流れ、あの当時は想像もしなかった環境にいる。決して共に歩むことなどないと思った人と今は一緒にいるのだから。
「メリアドール? そんなところに居たら風邪ひくわよ?」
「あらアルマ。そうね、ちょっと夜風に当たりたくて。星を眺めているといろいろなことを思い出すの」
 昔の事を思い出す。かつて共に過ごした人たちも今はもういなくなってしまった。寂しい。だのに、それを慰めてくれる人はいない。――寂しくなったらいつでもおいで。
「そう、約束してくれたじゃないの」
「何の約束?」
「ううん、昔の事よ。何でもない」
 夜風が頬をさらっていく。さらさらと、静かに吹いている。やむことなく、さらさらと。
「わたしもね、こうして星空を見ているとあの時の事を思い出すわ。オーボンヌからさらわれたあの日のことを」
「その節は、どうもうちの弟が随分と迷惑を掛けたみたいね。ごめんなさいね。普段はあんな乱暴な子じゃないのよ」
「いきなり殴って気絶させられるなんて、初めての体験だったわ。あれはもう御免。でもいいの。別に恨んでないし、本当はわたし、誰かにここから連れ出してもらうのを心の底では待ってたの……」
「兄さんたちはみんな自分の道を自分で決めて、歩んで、すごくうらやましかった。なのにわたしは修道院と、学校との往復。そのうちお嫁にいって、跡継ぎを作る。そんな道しかなかったから。いつかこんな狭い世界からわたしをさらってくれるような騎士様を待ち望んでたの。本の読み過ぎかしら。――でも、本当に来てくれた」
 アルマは静かに語っていた。夜の暗さから、表情は見えない。
「イズルードと二人で、チョコボに載って、満天の星空の下を走ってた。行き先も教えてくれないかったから、わたしはこれからどうなるのかも分からなくて、でも全然怖くはなかった。あんな真夜中に、森の中を走ってるんだから、今思い返すと不思議なことね。」
「でもさすがに、ラムザ兄さんと引き離されて、その時のわたしはとても機嫌が悪かったから、わたしは不満ばかり言ってて、困ったイズルードがこう言ったの」
 ――オレがあの天の星を一つもいできてやる。だから機嫌を直せ。
 アルマは静かに語る。声は柔らかく、暖かかった。
「あらやだ、イズったらそんな恥ずかしいことを」
「ふふ、わたしがあんまり怒っていたから困ったんでしょうね。一生懸命、わたしをなだめようとしてくれたもの」
「あの子は、女の子の機嫌を取る方法なんて知らないから……」
「わたしはその時思ったの、この人と一緒に行ってもいいかな、って。安心したの。でも、もういないのね。とてもさみしい、わ。」
 昔の事は今でも手に取るように思い出せる。思い出せるのに、今はもういないなんて。
 寂しい。隣にアルマがいるはずなのに、まるでたった一人夜に取り残されてしまったようで、誰かにぎゅっと抱きしめてもらいたかった。あの頃のように、「ここにいるよ」と言ってもらいたかった。
 その時、アルマが寄りかかってきた。ふわり、と柔らかな髪が背の上でゆらめいた。
「でもね、イズルードはちゃんと約束を守ってくれたのよ。ほら、ちゃんとわたしに天上の星をもってきてくれたのよ」
 アルマが聖石を取り出した。愛おしそうに撫で、唇をそっと持っていった。
「聖石は天からの授かり物、ね。そんなことをゾディアックブレイブに任命された時云われたわね」
「どんな星より綺麗な石の中の石。天から持ってきてくれたみたい。わたしの宝物。……本当に、星を取って、天から切り離せたらよかったのに。そうしたら運命だって止められたのに。でも、わたしは幸せよ。ああして、ほんの一瞬だけでも一緒に過ごせたのだから。ひとときでも心通わせた大切な人なの」
 アルマの小さな身体が触れた。暖かかった。とても幸せそうだった。ちらりと見えた横顔には幸福の表情があった。その顔は、恋する乙女そのもの。
 誰も知らない、二人だけの秘密。それはそれは密やかな、ささやかな恋。そう、あれは私の初めての恋だったのだ。
 そう、イズルード、恋をしていたのね。わたしの知らないうちに、随分と大きくなったのね。
 見上げた夜空には、粛々と星が輝いている。あと数刻もすれば夜が明けるだろう。目を閉じて、草むらに横になった。
 星空の彼方、上のほうから「ここにいるよ」と声が聞こえたような気がした。

                 

                 

2015.1.29