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 星空の彼方

                 

                 

 むかしのことを思い出した。

                 

 母が亡くなって間もない頃、まだ人が死んだらどうなるのか分からなかった頃。いつまで経っても戻ってきてくれない母の帰りをずっと待っていた。
「かあさまはどこへ行ったの?」
 その言葉に父は答えてはくれなかった。わたしに背中を向け、「遠いところへ行ったんだよ」
「どうして?」
 繰り返すわたしに答えをくれたのはローファルだった。たくさんの魔道書。古の伝承歌。教会の教え。剣の持ち方。ローファルは、わたしの知らないことをなんでも教えてくれた。
 蔵書室の傍らに腰掛けて、昔の英雄達の最後を語ってくれた。あれこれと、とても真面目に、<死後の世界>について教えてくれた。それでも首をかしげるわたしに、ローファルはとうとう諦めて、外へと連れて行ってくれた。
 夜の帳の静かに落ちた後、空は満天の星が輝いていた。一つ、二つ、と星の数を数えていたら、
「母君はあの星の向こうへ逝ってしまった。こうなることは決まっていたんだ。イヴァリースに住む者は皆、星々の運行の下に生きているんだ。誰もそれを止めることは出来ないのさ……」
 母がわたし達を置いて本当に遠いところへ行ってしまったのだと分かった。丸い天の下、たった一人取り残されてしまったような気がしてとても怖かった。悲しかった。そしてとてつもなく寂しかった。隣に座っていたローファルにぎゅうぎゅうと抱きしめた。この手で掴んでいないと、みんな遠くへ去ってしまうような気がした。
「メリア、そんなに抱きつかなくても、私はちゃんとここにいるよ。寂しくなったらいつでもおいで」
 悲しいのか嬉しいのか自分でも分からなかったけれど、涙がぽろぽろと頬を伝った。
 わたしを呼びに来た弟が不思議そうに見ていた。「ねえさん、どうして泣いてるの?」
「かあさまが遠くにいってしまったからよ」
 弟はまだ母の死を知ることが出来なかった。死という残酷な響きを理解するにはあまりに幼すぎた。
「もうすこし大きくなったらわかることよ」

                 

                 

 母が亡くなった時は悲しかった。弟が亡くなった時はもっと悲しかった。
「期待のゾディアックブレイブだったのに…」
 あちこちでそうささやく声が聞こえた。ゾディアックブレイブの証の聖石はとうとう戻らなかった。折れた剣がひとふり、わたし達の許へ帰ってきた。それだけだった。
 騎士として立派につとめを果たしました。ぼろぼろの剣はそう語っていた。けれど、わたしの心はそんな言葉で慰められることはなく。抑えられない悲しさにおぼれそうになっていた。
 相変わらず父はわたしの前に顔すら見せなかった。もう家族がばらばらに引き裂かれてしまったように思った。それでも、その頃は、わたしも騎士として相応の分別を持ち合わせていたから、取り乱したりすることはなく、ローファルの許をそっと訪ねた。
「一体リオファネス城で何があったのですか?」
「……異端者と打ち合ったと聞く」
「そう……ならば、弟はミュロンドの騎士として死んだのですね。これも星宿の巡り合わせというものなのでしょうか」
 答えはなかった。しばらくの沈黙が続いた。そして、ローファルはぼそりと、「違う、そうじゃなかった」と答えた。わたしは再び、「リオファネスで何があったのですか」と繰り返した。けれど、無言のままに扉を閉められた。内側から嗚咽が漏れた。「可哀想に」
 可哀想に。真相も分からず夭折した弟も、たった一人残されたわたしも。
「寂しいときはいつでも来い、って約束してくれたじゃない――」
 わたしは、密かに下された異端者抹殺の命を全うすべく、夜の闇の中を歩く他なかった。

                 

                 

 ――それも今はもう昔の話。あれから刻々と時は流れ、あの当時は想像もしなかった環境にいる。決して共に歩むことなどないと思った人と今は一緒にいるのだから。
「メリアドール? そんなところに居たら風邪ひくわよ?」
「あらアルマ。そうね、ちょっと夜風に当たりたくて。星を眺めているといろいろなことを思い出すの」
 昔の事を思い出す。かつて共に過ごした人たちも今はもういなくなってしまった。寂しい。だのに、それを慰めてくれる人はいない。――寂しくなったらいつでもおいで。
「そう、約束してくれたじゃないの」
「何の約束?」
「ううん、昔の事よ。何でもない」
 夜風が頬をさらっていく。さらさらと、静かに吹いている。やむことなく、さらさらと。
「わたしもね、こうして星空を見ているとあの時の事を思い出すわ。オーボンヌからさらわれたあの日のことを」
「その節は、どうもうちの弟が随分と迷惑を掛けたみたいね。ごめんなさいね。普段はあんな乱暴な子じゃないのよ」
「いきなり殴って気絶させられるなんて、初めての体験だったわ。あれはもう御免。でもいいの。別に恨んでないし、本当はわたし、誰かにここから連れ出してもらうのを心の底では待ってたの……」
「兄さんたちはみんな自分の道を自分で決めて、歩んで、すごくうらやましかった。なのにわたしは修道院と、学校との往復。そのうちお嫁にいって、跡継ぎを作る。そんな道しかなかったから。いつかこんな狭い世界からわたしをさらってくれるような騎士様を待ち望んでたの。本の読み過ぎかしら。――でも、本当に来てくれた」
 アルマは静かに語っていた。夜の暗さから、表情は見えない。
「イズルードと二人で、チョコボに載って、満天の星空の下を走ってた。行き先も教えてくれないかったから、わたしはこれからどうなるのかも分からなくて、でも全然怖くはなかった。あんな真夜中に、森の中を走ってるんだから、今思い返すと不思議なことね。」
「でもさすがに、ラムザ兄さんと引き離されて、その時のわたしはとても機嫌が悪かったから、わたしは不満ばかり言ってて、困ったイズルードがこう言ったの」
 ――オレがあの天の星を一つもいできてやる。だから機嫌を直せ。
 アルマは静かに語る。声は柔らかく、暖かかった。
「あらやだ、イズったらそんな恥ずかしいことを」
「ふふ、わたしがあんまり怒っていたから困ったんでしょうね。一生懸命、わたしをなだめようとしてくれたもの」
「あの子は、女の子の機嫌を取る方法なんて知らないから……」
「わたしはその時思ったの、この人と一緒に行ってもいいかな、って。安心したの。でも、もういないのね。とてもさみしい、わ。」
 昔の事は今でも手に取るように思い出せる。思い出せるのに、今はもういないなんて。
 寂しい。隣にアルマがいるはずなのに、まるでたった一人夜に取り残されてしまったようで、誰かにぎゅっと抱きしめてもらいたかった。あの頃のように、「ここにいるよ」と言ってもらいたかった。
 その時、アルマが寄りかかってきた。ふわり、と柔らかな髪が背の上でゆらめいた。
「でもね、イズルードはちゃんと約束を守ってくれたのよ。ほら、ちゃんとわたしに天上の星をもってきてくれたのよ」
 アルマが聖石を取り出した。愛おしそうに撫で、唇をそっと持っていった。
「聖石は天からの授かり物、ね。そんなことをゾディアックブレイブに任命された時云われたわね」
「どんな星より綺麗な石の中の石。天から持ってきてくれたみたい。わたしの宝物。……本当に、星を取って、天から切り離せたらよかったのに。そうしたら運命だって止められたのに。でも、わたしは幸せよ。ああして、ほんの一瞬だけでも一緒に過ごせたのだから。ひとときでも心通わせた大切な人なの」
 アルマの小さな身体が触れた。暖かかった。とても幸せそうだった。ちらりと見えた横顔には幸福の表情があった。その顔は、恋する乙女そのもの。
 誰も知らない、二人だけの秘密。それはそれは密やかな、ささやかな恋。そう、あれは私の初めての恋だったのだ。
 そう、イズルード、恋をしていたのね。わたしの知らないうちに、随分と大きくなったのね。
 見上げた夜空には、粛々と星が輝いている。あと数刻もすれば夜が明けるだろう。目を閉じて、草むらに横になった。
 星空の彼方、上のほうから「ここにいるよ」と声が聞こえたような気がした。

                 

                 

2015.1.29