ボスは愛娘を手放さない

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ボスは愛娘を手放さない

            

            
◆1

 年頃の娘を持つ父親として、いつか言われるであろう台詞を覚悟してた。“娘さんを私にください”というあれだ。
 もちろん、絶対にくれてやる気はない。

「団長、参謀から申し上げたいことが……」
「クレティアンか。なんだ、言いたまえ」
「二十歳の娘の父親はそろそろ子離れする時期かと」
「貴様……次元の狭間に葬られたいのか?」
 だいたい、求婚するにしてももっと言い方があるだろう。私はそんな礼儀も知らない男に娘を渡すわけにはいかない。
「私の娘はそのことを知っているのか」
「いえ、でも承知の上かと。それに父親に先に話をしておくのがマナーかと思いまして」
 まるで娘と結婚できるのが当然だと思いこんでいるこの求婚者の態度が私は気に入らなかった。私の優秀な部下であるのに、私の許可なくいつの間にか“そういう仲”になっていたらしい。腹立たしい。
「ローファル、例の本を持ってくるのだ」
 私は騎士団長として様々な権限を持っている。気に入らない娘の求婚者を消し去るのはたやすいことなのだと、この恐れ知らずな参謀に思い知らせてやろうと思った……が、副団長は私の命令が聞こえなかったのか聞こえて無視しているのか、何食わぬ顔をしてそっぽを向いている。
 副団長はどうやら中立を決め込んだようだ。
 こいつはどっちの味方だ? 大事な娘の将来がかかっているというのに。
 そういう訳で、私は一人でこの問題に話をつける必要があった。
「おまえは私の娘を手に入れられると思っているようだが、それは間違いだ」
「何故です? 私はお嬢様の愛を得るにふさわしい人物だと思っていますが。恥じるべき行為は何一つしていません」
 悪びれる風もなく、涼しげな声で私に口答えをする。私に物怖じせず言ってくるのは後にも先にもこいつと副団長くらいだった。「団長が参謀の助言を無視するのはいかがなものですか」とまで言ってくる。これで無能な部下であればすぐにでも娘の手の届かない場所に左遷してやるのだが……。
「そんなに娘に惚れ込んでいるのなら教えてやろう……我が娘は家出中だ」
 さすがにこの言葉は居丈高な若き参謀にも多大なショックを与えたようだった。当たり前だ。私も娘の家出で言葉を失ったのだから。
「お、お嬢様は今どこに……?」
「分からない。私が知りたいくらいだ」
 さて、どうしてものかと私が考えあぐねていると、副団長がそっと私に助言をしてきた。彼の助言は参謀の戯れ言よりも結構役に立つのだ。
「良い青年ですよ」
「なんだね、ローファル。おまえまであいつの肩を持つのか」
「参謀が傍にいれば誰も手出しできません。最適な虫よけではありませんか」
「そ、そうか……そうなのか?」
「それに、彼は誰よりメリアドールさまに惚れ込んでいますよ。結婚許可を出せば、彼は確実にメリアドールさまをつれて帰ってくるでしょう」
 娘が帰ってくる。その言葉に私は心を動かされた。激しく癪に障るが、それならばこの参謀に頼んでもいいかもしれない。だが、娘の相手に選んでも良いかということとは全く別問題だ。
「さあ、クレティアンよ。娘をつれてこい。団長の命令だ。話はそれからだ」
「当然です。お嬢様の身に何かあってからでは遅いのですから。団長の命令があろうとなかろと私は迎えに行きます」
 そう言い残してさっさと部屋を出て行った。
「可愛げのない奴め……」
 ああ、娘よ、あんな男のどこが良いのだ……。
 私は頭を抱えた。これは深刻な問題だ。

◆2

「メリアドール……さっきから僕たち付けられてないか? 人の気配を感じるんだ」
「あら、だってここは貿易都市だもの。たくさん人がいるわ」
「いや、もっと執念深い気配を感じるんだけど……ストーカーみたいな」
「ああ、あの人なら大丈夫よ。無害な人だから放っておけばいいのよ。ただの父の部下だから」
「お嬢様! そこまで気づいているのなら私を無視しないでくださいますか?!」
 ああもう、うんざりだわ。せっかく家を出たっていうのに、父の部下が探しにきたなんて私の面目が立たないじゃないの。ああ、ほら、ラムザが怪訝そうな顔をして私を見ている。
「それで、一体何をしにきたの。ドロワさん?」
 はやく家に帰ってこいというお小言を父に代わって言われるのだと思った。
「あなたを愛しています。心から愛しています」
 私は全く予想していなかった言葉に度肝を抜かれた。
「私はあなたのお父上と話をしてきたのです。なのにお嬢様が家出中では話になりません。ですから、早くお父様と和解してください。そして家に帰ってきてください」
「そ、そういう話は……私が家を出る決断をする前にしてほしかったです……」
 タイミングが悪すぎるのよ。
「ええ。そのつもりでしたが、気づいたらお嬢様が相談もなしに家を飛び出してしまっていて……」
 当たり前じゃない。家出するのに相談するわけないじゃない。それに――
「――父に言う前に私に先にプロポーズをすべきではありませんこと?」
「では、ここでお嬢様に正式に求婚します。指輪の銘はお嬢様の好みを聞いてから作らせようと思ってましたが……では、『我が唯一の望み』と『我が心は永久に』のどちらが良いですか――」
「ちょ、ちょっと、お待ちなさい! こんな街中でのプロポーズなんて私認めませんからね!」
 あまりに恥ずかしさに顔が赤くなるのが分かった。このやりとりを隣で聞いているラムザは何を思っているやら……。
「僕は席をはずしますから、あとは二人でどうぞ」
 あ、よかった。紳士だわ。
 そうしてドーターの街角を二人で歩いていた。クレティアンは私をちゃんとエスコートしてくれたけれど、時々心配そうに後ろを振り返った
「お嬢様が迷子になっていないか不安で……」
 この人は私を何だと思っているんだろう。私はもう二十歳なのに、まるで手の掛かるお嬢様だとでも言わんばかりの態度だった。
「ラムザにどう思われているか心配だわ。私の実家がとんでもないところだって思われてないかしら。ああ、それにきっと、私は世間知らずのお嬢様だって思われてるに違いないわ……」
「お嬢様が世間知らずなのは事実でしょう」
 この失礼極まる発言は聞かなかったことにしてあげた。彼は方々を訪ねて周り私のことを探してやっと見つけてくれたのだから、多少はその苦労に報いてあげようと私は思った。それに、年上の騎士に愛を捧げてもらう喜びが分からないわけでもなかった。
「あの方はベオルブ家のご子息様でしょう? あとで挨拶に行かないと――お嬢様が失礼なことを言っていないと良いのですが。まさか出会い頭に喧嘩を売ったりしていないでしょうね」
「で、でも、ちゃんと、和解したわ」
 ああ、もう本当に、にくたらしい人ね。……悔しいけど、全くその通りなのよね。
「思いこみで行動してはだめだとあれほど言っているのに……あなたという人は……」
 余計なお小言よ。
「あなたは、私に求婚しにきたのではなくって? それとも御託を並べにいらしたわけ?」
「そんな……分かりきったことをわざわざ聞かないでください、お嬢様。それで、私ははるばる求婚しに来て、快い返事の一つももらえずに帰るのですか?」
「同じことばをそのままお返ししますわ。ドロワさん――私が快くない返事をするはずはありませんもの」

◆3

 お嬢様はどうやら父親と和解したらしい。そもそもの喧嘩の発端は定かでないが、あの気むずかしいお嬢様をなだめて連れ帰ってくるのは大騒動だった。
「……ヴォルマルフ団長。私の働きには報いてくださらないのですか」
 彼女は私がつれてきたのだ。私が迎えにいかなければ、今頃彼女はベオルブの御曹司と一緒に鴎国観光を満喫していたことだろう。それに団長とはまだ話の続きがある。お嬢様の家出騒動の前にしていた話が。
「何のことだね。言いたまえ」
 知っているくせに。しらを切るつもりだろうか。
 団長はご機嫌だ。なぜなら、大事な箱入り娘が帰ってきたのだから。繰り返すが私が迎えにいったのだ。お嬢様もご機嫌よろしく父親にくっついて「お父様、ごめんね」と言っている。団長も「よしよし、メリア。仕方ないなぁ」などと甘やかしすぎである。副団長もそんな様子をにこやかに見守っている。
 そんな穏やかな団らんの中で私にこんな台詞を言わせるのだから、我が団長はさすがとしか言いようがない。この娘にしてこの父親、というものだ。
「……娘さんを私にください。お嬢様の許可はいただいています」
 団長は驚いたようにお嬢様を見た。私の言葉はひとまず無視するようだった。
「そうなのか、メリア」
「うん」
「どうしてそういう大事なことを先に父さんに話さないんだ」
「だって、大好きなお父様ならゆるしてくれると思ったから」
「そうか……そんなにこの男のことが好きなのか? 嘘じゃないのか? 本当なのか? 本気なのか?」
「うん。ちゃんとプロポーズしてくれたのよ」
 団長は難しい表情をしている。何を考えているのかは想像に難くないが……
「クレティアン」
「はい」
「どうやら娘はおまえのことを認めているようだ――だが私は断る。私が娘を手放すつもりはない」
「まあ、そうですよね……」
「もう、お父様ったら。あ、でもそれって私はお父様とずっと一緒に暮らせるってこと?」
 お嬢様は嬉しそうだった。メリアドール、そこは喜ぶところじゃないぞ、私は言いたかった。これでは子離れができていないのか、親離れができていないのか、どっちだか分からなくなってくるじゃないか。
 私の内心を悟ってくれたらしく、お嬢様がそっと助け船を出してくれた。
「でも、ドロワさんはお父様のためなら命を捨ててくれるって。立派な騎士だと思わない?」
「うむ、それはそれで心配だな……父親としてはまずは娘に命を捧げてほしいものだが……いや、おまえの献身は分からなくもないが、それは団長として嬉しいのだが、それと娘のことは別なのだよ」
「まあ、もういいですよ……」
 ここは私が折れるところなのだろう。結局、私が騎士である限り、団長には頭があがらないのだから。そうしてその団長の娘を愛してしまったのだから。

◆4

「メリアドール、こっちへおいで」
「ローファル?」
 父とクレティアンに聞こえないように私を近くに呼び寄せた。
「あとでクレティアンの部屋へ行ってなぐさめておあげ」
「何を?」
「今日のことを。クレティアンはヴォルマルフ様にちゃんとプロポーズしたかったんだよ」
「だって私は彼の求婚にはちゃんと答えたわ」
「それとはまた別のことなんだ。男はプライドが高い生き物だから、好きな人の父親の前ではいい格好をしたいと思うんだよ」
 そういうものなのかしら。でも、ローファルはクレティアンとは長いつきあいがある友人だし……彼の言うことなら間違いないのだろう。
「でも、ドロワさんは私より父に忠義を尽くしてくれているんじゃないかと思うの……」
「多分彼も同じことを思っているよ」
「え?」
「お嬢様は一番愛しているのは父上ではないかと胃を痛めていた。有り体に言えばとても嫉妬している」
「だって……お父様のことは愛しているけど……それは家族だもの。当然でしょう? なんで父親に嫉妬するわけ?」
「男というものはそういう生き物なんだ。いつまでたっても娘を手放さない父親と殴り合いの一つや二つはするものだ――相手が騎士団長でなければね」
「ドロワさんがお父様に喧嘩売りにいく姿が見てみたいわ。お願いしたらやってくれるかしら」
「おそらくね。そうやって頼んで彼を困らせておいで」
 ローファルはどこか嬉しそうだ。私はどうしてそんな顔をするのかと尋ねた。
「何故かって? 大事なお嬢様をそう簡単には手放したくないんだ。お嬢様への求婚者はこうやって少し困らせてやるくらいがちょうど良いのさ」

            


            

ローファルがこの二人(クレメリ)の仲人をしてくれるのは、「大事なお嬢様であるメリアドールの思い人だから」であって、クレティアンには「お嬢様に求愛するなら少しくらい覚悟しとけよ」という気持ちです。ローファルはメリアドールの第二のお父さん(?)です。みんなメリアドールのことが大好きなんです。末永く仲良くしてね!

            

            

2016.12.6

            

Sweethearts After The Dawning

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・五十年戦争でイヴァリースが勝利し、その後の獅子戦争もおこることなかった平和な世界です
・骸騎士団は落ちぶれてなくてウィーグラフは五十年戦争の英雄です
・イズルードは戦争の記憶(夢?)があるけれど、アルマその他は平和なイヴァリースしか知りません(イズアル初対面です)
・イズアル23~25才くらい。騎士とレディです

          


          
Sweethearts After The Dawning

          

          

 ガリオンヌの名士ウィーグラフ・フォルズは英雄だった。
 先の大戦で故国イヴァリースをロマンダの手から守り、占領下にあったリオファネス城を奪って、華々しく故郷に還ってきた。
 彼は英雄と呼ばれるにふさわしい寛大な心と篤信な志を持ち合わせていた。
 だから、ウィーグラフがリオファネス城で行き倒れている瀕死の青年を見つけた時も、見棄てることなく、その可哀想な青年を家に連れ帰り、手厚く介抱してやったのだった。

          

 ウィーグラフが見つけたのは、年の頃二十を過ぎた、まだ立派な顔立ちをした栗毛色の青年だった。光輝く黄金の鎧に萌葱色の丈の長い上着を羽織り、装飾を散りばめた立派な腰帯を締めていた。剣は見つからなかったが、それでも、この青年が身分やんごとなき騎士であろうことは、すぐに想像できた。その上、この若き騎士は胸に尊く光る貴石を手放すことなく抱きかかえていた。その貴石は聖人らの魂を宿した教会の聖遺物であり、ガリオンヌの名士であるウィーグラフですら、間近に見ることかなわない高価な代物であった。その死の淵にあろうとも、こうして貴石を決して手放そうとしないその信仰の深さにウィーグラフはますます感じ入り、この若き篤信家に深い敬意を示した。
 しかし、いくらウィーグラフが手厚く看病をしようが、どうしたことか、この青年は一向に目を覚まさなかった。薬師を呼び治療を施したが、それでも彼は昏々と眠り続け、一向に目を覚まさなかった。
 深い眠りから呼び覚ますため、名前を呼ぼうにも、この信仰深き騎士の素性を明かすものは何もなかった。ただ、どこかの立派な家の子息なのであろうということだけであった。

          

 困り果てたのはウィーグラフだった。あらゆる手を尽くしたが、快復のきざしは見えなかった。それでも、この隣人を見棄てようとしなかったのは、この義理がたき英雄の英雄たる志ゆえであった。
「はて、困ったものだ」
 ウィーグラフは思った。この青年は、どうも、傷を負って昏睡の状態にあるようには見えなかった。まるで呪いにでもかけられ、醒めることのない夢幻の夢をさ迷っているようにウィーグラフには見えたのである。英雄とは果て無き夢を見る存在である。そこでウィーグラフは言った。「呪いに掛けられた眠り姫を、夢路から覚ますのは愛の接吻である」と。
 夢を抱く英雄には聡明な妹がいた。妹は、壮大な夢を描く兄にいつも現実的な忠告をした。そこで、今日もまた、兄に忠告をしたのだ。「兄さん、この世に呪いなどありはしないわ」おとぎ話じゃあるまいに。でも、『愛』の効能は否定しなかった。彼女もまた、一人の女性であったから。
 そこで兄妹は信仰にたよるべきだという一つの結論に達した。人の手によって治せないものは神にたよるしかない。ガリオンヌで一等信仰の高い者は誰かと兄妹は話しあった。二人の結論は一つであった。「レディ・アルマしかいない」と。

          

 長らく修道院暮らしをしていたレディ・アルマがガリオンヌの領地に呼び戻されたのはこういう経緯であった。ガリオンヌの英雄から、不治の傷を負い哀れにも眠り続けている騎士を、その信仰の奇跡で助けて欲しいと懇願されたのだった。レディ・アルマは心優しい修道女であったので、その頼み事に快い返事をした。「はい、よろこんで。神の御心にかなうよう、おつとめをいたします」
 三人の兄たちに連れられて、レディ・アルマがその騎士の枕辺に立った時、彼女は思わず赤面して、後ろに下がった。彼女の誠実な三人の兄たちは、一体何があったのかと妹に尋ねた。レディ・アルマの答えは簡単だった。彼女は修道院の深窓で育てられてきたお嬢様であった。生まれてこの方、家族である兄以外の殿方と始めて対面したのだった。その気恥ずかしさは言いようもなかった。しかし、具合でも悪いのかと心配する兄たちに向かって、このこそばゆい気持ちをどう伝えれば良いのかさえ分からなかったレディ・アルマは、さしあたって「この方のためにお祈りがしたいので、私と彼のために時間をください」と頼んだ。
 家族や世話人たちを全て下がらせると、部屋には彼と彼女だけが残った。
 すやすやと安らかな寝息をたてて眠る青年の寝台のそばに、レディ・アルマはスツールを引き寄せて座った。そして、彼の寝顔をあらためてまじまじと見詰めた。長く伸びた栗毛色の髪が肩にかかるようにシーツの上で波打っている。レディ・アルマは彼の顔にそっと手を伸ばし、額にかかる前髪を払いのけた。しばらくの間、優しく彼の髪をくしけずったり撫でたりしていた。
「どうして私がここに呼ばれたのかしら」
 レディ・アルマはそう呟いた。彼女は大貴族の娘であり、敬虔な修道女でもあったが「ガリオンヌ一の修道女」という肩書きはやんわりと拝受を断る謙虚さも持ち合わせていた。
「ガリオンヌで一番の信仰をお持ちなのは姫様よ。姫様ほど熱心にお祈りされる方には出会ったことがないもの」
 でも、とアルマは付け加える。お忙しい姫様をお呼び立てするわけにもいかないわね。 アルマはどうしたら良いのか分からず、名前も分からない騎士の顔を再び見詰めた。薬師が役に立たないというなら、自分に一体何が出来るだろうか、と。
「サー、貴方のお名前を教えてくださいな……名前も分からないとお呼びできませんわ」
 眠り姫を呪いから解き放つのは愛の接吻であると、ガリオンヌの英雄は笑ってレディ・アルマに話した。レディ・アルマはそのことを思い出し、またもや気恥ずかしさでいっぱいになった。
「サー・ウィーグラフ、あの方は少し冗談が過ぎますわ。接吻で呪いが解けるなどおっしゃるなんて、あの方は吟遊詩人の語る物語に少し耳を傾けすぎたのでしょう。もし『愛』で世の呪いが癒やされるとしたら、薬師の仕事はなくなってしまいますもの。それに、もしそうであったら、私たちは一体何のために祈って暮らすのでしょう」
 それからしばらくレディ・アルマは名も知らぬ彼のために祈祷を捧げた。そして、思い切ったようにスツールから立ち上がった。
「神よ、おゆるしください」そう言うと、彼の横たわる寝台に近づくと、やおらシーツを引きはがし、治療のために彼の身体を覆っていた薄衣をまくって傷の跡を探し当てた。その一連の行為になんらやましい心はなかったが、うら若いレディには勇気のためされることであった。
「まあ……まるで獣に襲われたかのような傷跡ね。リオファネス城にそんな猛獣がいたのかしら。この方が八つ裂きにされなくて本当によかったわ。こんな傷では痛いでしょうに……」
 レディ・アルマは薬草を手に取り、おそるおそる傷口に手を伸ばした。出来ることは何でもする心意気であった。
 物言わぬ二人の時間が静かに流れていった。

          

 新鮮な薬草の香りに誘われてイズルードは目を覚ますと、傍でうとうとと船を漕いでいる一人の女性に気付いた。美しく豊かなブロンドの巻毛を肩に垂らしている。修道女のような出で立ちであったが、ローブの下に真紅のドレスの裳裾が見え隠れしている。イズルードは彼女が真正のレディであると一目で分かった。目が覚めるような美しさだった。ずっとこのまま眺めていたいとも思った。
 それに、不思議なことにイズルードはこのレディのことをずっと前から知っていた。長い夢の中で、彼は彼女と何度も巡り会った。暗い戦乱の中、彼はレディ・アルマと幾たびも出会い、幾たびも分かれた。彼は夢かうつつか分からぬ世界で何度か死の淵にあった。その度ごと、彼女は彼にそばにつき、死を看取った。彼女だけが、死にゆく彼のそばに膝をつき、最期まで寄り添ってくれたのだった。そして夢は覚め、ありがたいことに、彼は生きていた。そして彼女がそばにいる。
「レディ・アルマ」
 やっと逢えた、とイズルードは声にならない感慨を態度で示した。つまり、彼女の手を優しく握った。あふれんばかりの親愛の情を込めて。
 イズルードが深い感慨に耽っている一方で、レディ・アルマは驚きを隠せなかった。彼女は、慎み深いレディとして、殿方に手をとられる経験など今までになかったものだから、どう反応してよいのか分からなかった。しかし嫌な心地ではなかった。
「サー、やっとお目覚めになったのですね。これもあなたの信仰が救ってくださったのでしょう――この<パイシーズ>はあなたの大切なものでしょう? ずっと肌身離さずもってらっしゃいましたよ」
 それはイズルードがレディ・アルマに手渡したはずの聖石であった。
「あなたの名前をお伺いしても? わたくしの名前はレディ・アルマ・ベオルブと申します」
 イズルードは疑問に襲われた。彼はレディ・アルマのことを知っている。しかし、彼女は自分のことを知らないようであった。彼がレディ・アルマを連れてオーボンヌ修道院を逃げたことはまるで夢の中の出来事であったようだった。そう、あれは夢だったのかもしれない。なぜなら、今、イズルードの目の前に立っているレディ・アルマは妙齢のレディで、彼が連れて逃げた幼い少女だったあの頃の面影はない。よりいっそう美しくなった。
「私はイズルード・ティンジェル。ミュロンドの神殿騎士です」
 彼は騎士の道徳をもって、初対面のレディに対するふさわしい挨拶をした。そしてこう付け加えるのを忘れなかった。「レディ・アルマ。貴女とは夢の中で出逢っています」
「サー・イズルード。あなたの夢にお邪魔できたとは、わたくしも光栄に思いますわ。それはとても素敵なことです」
「夢の中で、私がひどい瀕死の傷を負っていた時、私にずっと寄り添ってくださったのは他の誰でもない貴女だった。あの恐ろしい父の業行を目の当たりにしたあとでさえ、貴女の姿が瞼の裏から離れなかった――ずっと――ただの一時も!」
「まあ……でも、あなたが、こうして無事でいらっしゃるのは、わたくしのおかげではありませんよ。それこそあなたの信仰が起こした奇跡でしょう――さ、<パイシーズ>をお持ちになって。これはあなたの大切なものでしょう。サー・イズルード」
「いいえ、これは貴女に捧げたものです」
 イズルードはレディ・アルマに貴石を捧げた。「私が持つより、貴女が持っていたほうがずっといい」
「頂けませんわ、こんな高価なもの、これは王女殿下がお召しになるような貴重なクリスタルです」
「どうか、私から贈らせてください。これからの親愛のしるしに」
 イズルードは寝台から立ち上がると、レディ・アルマの前に額ずいた。彼はどこまでも騎士としてのマナーを守った。そしてレディ・アルマの両手に貴石を握らせた。
「私が貴女からいただいた御恩は、とても物やしるしでは返せないようなものです」
 イズルードは貴石を握るレディ・アルマの手に深い接吻を授けた。レディ・アルマは最初こそ驚いたが、彼女の中に流れる貴族の血が、彼女の佇まいを凜とさせた。
「このようなまたとない光栄に与れるとは、わたくしは何という幸せものでしょう! 教えて下さい、サーイズルード。わたくしはあなたに一体何を差し上げたでしょう。わたくしばかりが尽くしてもらうのはフェアではありませんわ」
「貴女は私の<希望>だった。血にまみれた騒乱のまっただ中でもう死ぬと分かったとき、剣もなく、絶望と諦めの境地に立ったとき、貴方の声が聞こえてきた。光なき全き暗闇の中、その優しい声は私をどれほど勇気付けたことか!」
 レディ・アルマはこらえきれずにイズルードを抱きしめた。この若い騎士がひどい夢を見てきたことは明らかだった。早く、そのような悪夢から解放してあげたいと心から思った。
「サー・イズルード! あなたは一体どんなひどい夢を見ていたのです?」
「このイヴァリースに太古の悪魔が跋扈し、血と争いを巻き起こしている――私は、イヴァリースを救いたかった。しかし、あの時はもう剣を持てなかった」
「もうあなたが剣を必死で探す必要はありませんわ。だってこのイヴァリースは平和そのものですもの。戦乱はとうの昔に過ぎ去りました」
 イズルードは信じられない、という素振りを見せた。
「わたくしがあなたを安心させるために嘘を言っているとお思いね。でもそんなことはありませんよ。それでも疑うというのなら、サー・ウィーグラフの話を一緒に聞きにいきましょう――あの方はロマンダからイヴァリースを救った英雄なのですから!」

          

 青年が目を覚ましたというので、ウィーグラフは彼に鎧やら服やらを返しにいった。
 伸びていた髪を短く切り、装束一式を身にまとった若者はどこからどうみても立派な凜々しい騎士であった。彼はミュロンドの神殿騎士だと言う。その所属を聞いて、ウィーグラフは納得した。あの青年はどこか浮世離れした誠実さを持っている。彼個人が生来から持つ騎士道精神もあろうが、信仰に裏打ちされた純朴さも大いに持ち合わせている、というのがウィーグラフの見解であった。
 彼がレディ・アルマに頼まれて昔の武勇伝を木訥と語っている間、イズルードとレディ・アルマは寄り添い合ってすわっていた。まるで騎士と姫そのものである、とウィーグラフは思った。
 姫君が疲れてうとうととし始めた頃、ウィーグラフは話を切り上げて客人たちをまとめて送った。レディ・アルマは兄たちよりもイズルードの方に身体を寄せている。どうやら二人はわずかながらも親密な関係になったらしい。イズルードが持っていた貴石はいつの間にかレディ・アルマの手に移っている。ウィーグラフはそれを見逃さなかった。しかし二人の間に一体どんなやりとりが交わされたのかは、知るよしもなかった。

          

          


           

「眠り姫(イズ)を勇者(アルマ)が目覚めさせる展開にしたかったけれどこのイズアル純朴すぎて無理だった(草食」→「クラシックなおとぎ話のようなカプ話を書きたかった」「アルマに敬語で話すイズルードが見たかった」という作者の願望丸出しw

              

     

2016.08.21

         

王の名は

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王の名は

 
久しぶりにダムシアンの王を訪ねようと思った。
彼がまだ王子だった頃、短い間だけ一緒に旅をしたことがある。

私は長いことあの時のことを謝ろうと思っていた。
ダムシアンが空爆された、あの日のことを。

「国王陛下」
そう言ったら、そんな堅いことはいらないと、優しく私を抱いてくれた。
あの頃と同じ、やさしい、おだやかな人だった。
「リディア、おかえり。よく帰ってきたね」
美しくて、涼しい、きれいな声。
ダムシアンの王族はとても美しい声を持っている。
魔法のようなこの声で、砂漠の怪物を鎮めている。

だけど、あの日、王子様はひどく涸れた声をしていた。
祖国が空爆されて、城が焼け落ちて、王様も王妃様も亡くなってしまった。
そんな状況だったから、王子様はひどく泣いていた。

私も泣いていた。母が死んでしまって悲しかったから。見知らぬ騎士につれられて、どこへ行くのかも分からないまま、旅をしていた。

王子様は泣いていた。
私は悲しいのに。私だって悲しいのに。
私も泣いていた。

「あなたが泣いていたら、誰がこの国を立て直すの?」
「王子様は私よりずっと大人なのに」

私は悲しみにかられてひどいことをたくさん言った。
私だって、知っていたはずなのに。
愛する人を失う孤独を。

それでも、王子様は船を貸してくれた。
ダムシアンの王族だけが持っている、砂漠を渡るための特別な船。
私をさらった騎士の大事な人が病で危篤だったのだ。
王子様は私たちに協力してくれた。
「愛する人を失ってはいけない」
そうして、私は、王子様と少しの間だけ旅をした。

「ダムシアンの王子様は女性のように美しいお声とお姿をしておられるそうだ」
そんな噂をカイポで聞いていた。
王子様は見聞を広めるため吟遊詩人に身を隠して旅に出ているのだとも。

「この国の王族、ギルバート・クリス・フォン・ミューアです」
王子様はそう名乗った。
私が一緒に旅をしたのは吟遊詩人の青年ではなかった。いずれダムシアンの王になる王族だった。

砂漠を船で渡る間、王子様はこう語った。
「僕の吟遊詩人としての旅は、アンナの死とともに終わった」
「もう僕はあの頃には戻れない」
だから私は、王子様が吟遊詩人だった頃を知らない。

王の名は、ギルバート・クリス・フォン・ミューア。
「ギルバート」
私はそうやって呼ぶ。皆、そうやって王の名前を呼ぶ。
「リディア、どうしてダムシアンに? 幻獣界に帰ったと聞いたけれど」
「昔のことを話そうと思って」

「ギルバート、私のお願いを聞いてくれる?」
かつての王子様はにこやかに笑っている。初めて会った時から変わらず柔和な人だった。
「私、あなたの歌をきいたことがないの。一度でいいから、吟遊詩人だったあなたの姿を見てみたいと思ったの」
美しい声を持つダムシアンの王族。
どんな綺麗な音色で歌うのだろう。
「僕が吟遊詩人だったのは昔のことだ。アンナが亡くなり、父の名前を継いだ日から僕はこの国の王になった。もうあの放縦な日々には戻れない」

ギルバート。私の知っているギルバートはずっと王子様だった。
だけど、燃える城の中で、たくさんの亡骸の前で泣きながら歩く彼はとても国を背負う王子の姿には見えなかった。

心穏やかな吟遊詩人の青年に、とてつもない重荷を背負わせてしまったのかもしれない。
私が弱虫、なんて言ったから。
そんなことを伝えると、かつての王子様――王様は笑った。
「それが王族のつとめだよ」と。
「国を背負うことは王族の義務だ。あの時、国民を守れなかったことが悔しい――君も、リディア、悲しい思いをさせてしまってすまない」
王様はぎゅっと抱きしめてくれた。

あなたは悪くないのに。
私はもう孤独と恐怖に耐えきれずに泣き出す子供じゃないのに。

ふれ合う肌から、あたたかいやさしさが伝わってくる。

背も伸びて、髪もずいぶん長くなった。
私はあれから大人になった。
大人になるとは、愛を知ること。
たくさんの人が私に愛を教えてくれた。
この世界には、時々、王様のような人がいる。溢れそうなほどの無償の愛をくれる。そんな心優しい人たち。

「ギルバート、テラさまとは仲直りできた?」
「ああ、トロイアで祝福をくださったよ。父が息子にしてくれるように――僕はテラさんの息子として認めてもらえたんだ」

ダムシアンが争乱に見舞われているとき、王子様はもっと大変な状況を抱えていた。
私は王子様が吟遊詩人だった頃の話はよく知らない。だから、吟遊詩人の青年と、賢者の娘の間にはぐくまれた愛の物語についてはよく分からない。

テラさんが亡くなってしまって、もう王様が吟遊詩人だった頃を知る人はみんないなくなってしまった。
「寂しくないの?」
私はそう聞いた。
「寂しいよ……とても。僕たちの愛を知る人は皆いなくなってしまった。だけど、思い出は今も、色あせることなく燦然と輝いている。一生忘れることの出来ない幸せな愛を知った。それだけで僕は十分幸せなんだ」

ギルバート。
王様は昔のことを話してくれない。
戦争が始まる前、平和だったあのころの、王子様が幸せだった頃の話を私は聞いてみたい。
でも、聞かなくてもわかる……王様がどんな恋をしていたのか。

私は大人になったけれど、まだまだわからないこともある。
もう誰も知らない愛を今でも大切に抱き続けること。
もう二度と返事のかえってこない恋人の名前を呼び続けること。
それはどんなに寂しいことだろう。

「リディア、帰るなら送るよ。僕の船を使うといい」
「幻獣界へ戻る前にエブラーナに行きたいの。寄ってもいい?」
王様は快く船を貸してくれた。
私たちは二人で砂漠の海を渡った。

一度でいいからあなたの歌声を聞いてみたかったとお願いしたら王様は少し笑って「いいよ」と答えてくれた。

一隻の船が流れゆく
かかえきれぬ重荷を乗せて
彼女が一人で漕いでいく
それに勝る愛を持っているのに
私はとても出来ない
これ以上荷を乗せたら
船はきっと沈んでしまうだろうから

私に船があるならば
櫓を漕いで
そうしたら対岸まで渡してあげられるのに
沈まぬように

愛とは優しく穏やかなもの
けれど朝露の如くに消えてしまう

私に船があるならば
あなたと私を乗せる
そうしたら二人で漕いでいけるのに
沈まぬように

  

私は砂漠の彼方のダムシアン城を振り返った。

もう誰も知らない、王様が吟遊詩人だった頃の愛の物語。
私はしばらく、王様の綺麗な歌声に耳を傾けていた。

  

2016.07.20

・ギルバートとリディア(大人)…すごく好きな二人です。
・ギルバートのジョブ名が「おうぞく」で明らかに浮いているのは、祖国の襲撃の場を目の当たりにして彼が吟遊詩人としてではなく王族として生きる決意をしたから…と想像してみたり。恋人も死んでしまって、もう吟遊詩人としては生きていけないと悟ったんじゃないかなーとか。
・白鳥英美子さん(もしくはPeter Paul and Mary)の「THERE IS A SHIP」を流しながら読んでもらえると嬉しいです。

転がる死体、ついえた野心、高凜の花

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転がる死体、ついえた野心、高凜の花

                   

                   
 メリアドールはミュロンドの大聖堂を訪れた。剣を突き立てられ血を流した死体が転がっている。グレバドスの名の冠する寺院にあってはならない光景である。彼の名前はマリッジ・フューネラル五世。メリアドールを神殿騎士に叙勲した教皇のなれの果てだ。
 その無惨な姿にメリアドールは息を飲んだ。
「ひどい……ひどい殺され方だわ」
 普段会うこともなかったが、教会の騎士であったメリアドールのとって教皇は無関係な人物ではない。血の海に沈んだその屍に、メリアドールはおそるおそる近づいた。
「メリアドール?」
 柱の陰からメリアドールのよく知った声が聞こえた。
「……クレティアン? そこにいるの?」
 腕を組んだまま柱に寄りかかってすでに息耐えた死体を見つめている。その冷酷な視線には敬意はみじんも感じられない。
「あなたがやったのね?」
 返事をする代わりにクレティアンは死体に刺さった剣をまっすぐ指さした。「あれを見ろ」
「まあ、セイブザクィーンだわ。私の持っている剣と同じだわ……ということは……ああいやだ、あの人が刺したのね……いやだ、おそろしいわ……」
「そうだローファルが」
「で、あなたはそれを見ていたというのね、クレティアン? 自分の手は汚しもしないで、ローファルにやらせたというのね?」
「……ヴォルマルフ様の命だ」
「また! 父のせいにして! 本当に甲斐性のないひとね」
 ささいなことをあげつらって、クレティアンに言いがかりをつけようとしているのはメリアドールも分かっている。多少いじめたところで相手が気にする質ではないことをメリアドールは知っている。気が付けば同じ騎士団の中で十何年一緒に暮らしてきた。勝手知ったる仲なのである。
「メリアドール。言いたいことはそれだけか? 余程気が立っているようだな。少しは落ち着いたらどうだ」
「済んでない!」
「教皇を殺したことがそれほど気に障るなら自分で弔いをしてくるがいい」
 クレティアンは腕をふってメリアドールにうながした。さあ、あの剣を引き抜いてこい――出来るものなら、と。
 その仕草にメリアドールはますます腹が立った。
「何なの? 私はもう騎士団を抜けたのよ。悪事を働く教会には愛想を尽かしたの。もう教会とは縁を切ったわ。私に弔いをさせる前に、自分がファーラムしてあげたら? あなたたちの指導者なんでしょう?」
「教皇の私たちのヴォルマルフ様を捨て駒の如く使い捨てようとしていた。教皇の意は騎士団の意向ではない」
「ふうん……」
 思いがけず父の名前に遭遇してメリアドールは黙った。そうだった。この男は、私をそうそうに見切ったくせに、父には心酔している。
「そう、そんなに父のことが好きなの」
 メリアドールの小さな呟きはクレティアンに届かなかったようで、彼は淡々と言葉を続けた。
「それに、私は個人的にこの男は好きではなかった。私は――教会の不正を正すために騎士団に入った。グレバドスの教えが、野心ある権力者の食い物にされているのが気に入らなかった。戦争の混乱に乗じて、グレバドス教会は世俗の力を求めすぎてしまった。その指導者だったのだ――この男こそが」
 クレティアンは力を込めて拳を握った。過ぎ去った理想を語り続けるクレティアンの横顔を見つめていた。
「――と、私も昔はそういう志があったのだよ。まあ、今となってはそんなことを思っていたかどうかさえあやしいがな……」
「知ってる」
 メリアドールはクレティアンから視線をそらした。床を見つめ、下を向いたまま答えた。
「あなたが意外に気高い理想を持っていたのは十年前から知ってたわよ。私が騎士団に入ったとき、あなたはまだ士官学校を出たての、若い貴族みたいな人で、理想を持って生きる人なんだなって思ってた……」
 世間知らずの十幾つの娘には、それはそれは、格好良く見えたのよ。と、メリアドールは付け加えておいた。勿論、声には出さずに。
「そんな日々もあったかな……」
「あったわよ。私があんなにも憧れてたんだから、忘れないでおいてほしいわ」
「え、今、何と言った?」
「なんでもありません!」
 彼が理想高き高潔な騎士だったのはとうの昔のこと。見初めたのが間違いで、今となってはそこらの腐りきった野心家と大差ないとメリアドールは悟った。彼が革命家だとか言った日にはウィーグラフに詫びに行かなければならない。でも、時々、メリアドールの目には昔の面影が見える。彼女が憧れていた騎士の姿が。
「そう、だから困るのよね……」
 メリアドールはクレティアンに少しだけすり寄った。
「メリア?」
「……あなたの考えについてはこれ以上聞かないわ。父のことも。どうせ私が聞いたって理解できないでしょうから」
「聞く気はあるのか?」
「ない」
「だったら話は早い。メリアドールさっさとここを離れるんだ」
 有無を言わせぬ物言いだった。クレティアンはメリアドールの身体をそっと押し返した。さっさと行けとでも言うように。
「どういうこと?」
「殺人現場に居座りたいのか? この剣を見ろ。この騎士剣はディバインナイトのものだ。おまえのものでもある」
「それはローファルのものよ。私のじゃない」
「でも私がおまえのものだと言えば、誰もがそう信じる。異端者一味が寺院に押し入り、教皇を殺害したと。あの異端者には前科があるだろう――枢機卿を殺したのは誰だったかな?」
「ひどい人ね。教皇殺害の罪を私たちになすりつけようと言うのね……!」
「私はヴォルマルフ様がそうするかもしれないと忠告しているんだ」
「そうね……リオファネス城でやったことを思えば、父はそうやって私を抹殺するかもしれないわね。でも、その前に私が、教皇を殺したのは神殿騎士団の者だと密告するかも」
「そんなことをすれば――」
「そうね、そんな謀反を起こした神殿騎士団は即刻解散させられるわね。こんな暴挙をしでかした以上、生かして解散させる訳がないわ。残っている教皇派の者がきっとあなたたちをすぐに処刑するわ。吊し首になるわよ」
「さもなければ首を刎ねてさらし台行きだな。落ちぶれた野心家のたどる道だ。よくある光景だ。で、おまえはそれを見て満足するだろう。正義の断罪ができて」
 言ってはみたものの、そんな光景を想像しただけで足がすくむ。教皇の無惨な死に様に立ち会っただけで、こんなに心が痛むというのに、家族が、かつて愛した者たちが処刑される場を想像することなど出来るはずがない。やめて! 耐えられない――!
「お願い、クレティアン、はやくここから逃げて――だれか来る前に――」
「逃げる? 私が? メリアドール、おまえは誤解している。私は殺人の罪を被るつもりはない。逃げるのはおまえの方だ」
 メリアドールはこの期に及んでしれっと答えるクレティアンをひっぱたきたくなった。
「クレティアン! その自信はどこからくるの? あなたったら憎たらしいほどの自信家ね――そうだったわ、あなたがそういう性格なのすっかり忘れてたわ」
「それはどうも」
「いい? まだ分からないの? こんな悪事が露見しないはずがないわ。異端者が消されるか神殿騎士団が潰されるかどっちかしかないのよ! 私が死ぬかあなたが死ぬか、そのどちらかよ! 道はそれだけよ!」
「メリア――」
 まくしたてるメリアドールを牽制しようと手を伸ばした。メリアドールは今度こそ彼の手をひっ叩いた。
「私の話を最後まで聞きなさい! 私は――私はあなたにそんな不名誉な死に方をさせたくないのよ――私の気持ちも分かってよ……!」
「メリア、教皇を殺した事実は事実だ。確かに私がやったに相違あるまい。否定はしない。私はそれを不名誉だとは思わないし、ここで教皇派の手にかかるつもりもない」
「その自負心を捨てなさい! 少しは謙虚になりなさい、クレティアン――! あなたたち、一体どれだけ人に迷惑を掛けてきていると思っているの? その罪を償いなさい!」
 堂々巡りの言い争いにメリアドールは憤慨した。
「なるほど、私に罪の購いをさせたいのだな。ならば今すぐこの剣を引き抜いて司祭を探しに行ってこよう。そうして私はひどい罪を犯したと告解をしてこよう――懺悔が終わった時に私は自分の首の皮が繋がっているとは思えないのだが」
「私を怒らせたいの? それともあなたはただの莫迦なの? 私がそんなことを言いたいんじゃないって分かってるくせに……!」
「そうか、ならば君は私にこうして欲しいんだな」
 クレティアンはメリアドールの目の前ですっと膝を付いた。その意図が分からずメリアドールは困惑した。
「私はここで慈悲を乞う」
「え……何よ……」
「もし、君が慈悲の心を持っているなら、メリアドール、私をここでひと思いに貫いて欲しい。人の手にかかって死ぬより、死んだ後永遠にその名前を晒されるより、誰ににも知られることなくここで葬って欲しい。戦士の求める慈悲がどういうものかは知っているだろう――?」
「ま、待って――慈悲を乞う相手が違うわ――私じゃない――私はもう教会から離反したのよ」
「この死んだ男に頭を下げて懺悔するつもりはない。神の恩寵は地上の王のものではない」
「だったら神に赦しを――いいから顔をあげてよ――請うべきよ」
「私は……もはや信じるものを失ってしまった。拠り所とするものは何もない。頼れるものは何もないんだ……」
 うつむいたまま、そんな寂しげに言われては心が揺らぐ。メリアドールはこの、うなだれて小さくなっている男を心から抱きしめてあげたい衝動に駆られた。かつての同僚。少しだけ年上のこの騎士の背中をメリアドールは憧憬のまなざしで見てきた。それから十何年、心通わせた同胞。それが、こうして落ちぶれた姿になっている。どうしてこうなってしまったのだろう。互いに反目し合った訳ではないのに、どうして私たちはこうして真逆の道にいるのだろう。
「クレティアン……私は……」
 だが、メリアドールの胸に温かいものがあふれてくる前に、彼女は現実に気づいた。
「ちょっと! どこまでも都合のいい人ね。あきれて物も言えないわ。自分の好きなように生きて、父がルカヴィになったと私に知らせもしないでひたすら嘘をつき続けておいて、今更私に何を請うというの? 思い上がりも甚だしいわよ、クレティアン! あなたは一度死んでくるべきだわ! 然るべき方法で罪を償いなさい」
「メリア! 私は!」
「……」
 もうこんな男には二度と関わらないとメリアドールは意を決した。メリアドールはクレティアンを置いてその場を立ち去った。振り返ってしまったらまた何かの情が湧いてしまいそうだったので、後ろは見ないことにした。
「メリア!」
「……」
 聞かない。見ない。立ち止まらない。
「メリアドール!!」
 執拗に無視し続けていたら大声で呼び止められた。この人が本気で怒鳴った場面を知らない。こんな怒り方をするのかと、メリアドールは今更思った。そしてさすがに足を止めた。けれど後ろは振り返らない。それは彼女なりのプライドの表れである。
「……何よ」
「真実を知らされなかったと不満げだな。言っておくがな、この男はな、おまえの父親を殺したんだぞ! 聖石を押しつけ、唆し、教会の権力を傘にして契約を結べと迫った! この権力者は――身勝手で低俗な己の野心のためだけに、ヴォルマルフ様の身体を奪い、魂を汚した!」
「父の――父の名前を出さないで!」
「いいか、奴を殺せと言ったのは確かにヴォルマルフ様だ――だが、これは私とローファルの意志でもある」
「こ、こんなところで父の仇を討てなんて私は頼んでいないわ……第一、私は父があんなバケモノだなんて今まで知らなかったもの……」
「そうだ、だからこれはおまえには関係のないことだ。ヴォルマルフ様には尽くしても尽くしきれないほどの恩義をいただいている。私はそれを返したかった。ローファルもそう思っている」
「ヴォルマルフ、ヴォルマルフって、いつだって口を開けば父のことばかり……! そんなに父を愛しているなら、父と心中してくればいいじゃない」
「もちろん、私はヴォルマルフ様と最期まで共にいくつもりだ」
「そればっかり。どうせ、私のことだって、父の娘だから気を引こうとしたんでしょ――ん……ッ――!」
 後ろから抱き留められた。突然の出来事にメリアドールは呻き声をあげた。
「ちょっと――離してよ……!」
「そんな意味じゃないって分かってるだろう――私が誰かを利用しないと出世できない器の小さい男に見えるか――?」
 これでイエスとうなずかれたら男がすたるというもの。そんなことになる前に、クレティアンはメリアドールの唇を奪った。颯爽と。
「……これでも分からないか?」
「あ――わ、わかったわ……」
「――だから言ったんだ。ここから逃げろと。死体の転がる戦場や野心にまみれた権謀の世界は君には似合わない。出来るものなら、こんな腐りきった世界からは離れて、どこか私の手の届かない場所へ――」
「ご忠告をどうも。だけど私は剣を捨てるつもりはなくってよ」
「ならば忠告ではなく伝言だ。お仲間に伝えておけ。“オーボンヌ修道院で待つ”と」
 用件だけ伝えるとクレティアンは去っていった。
「まったく! そのすがすがしさに逆に惚れるわよ。仲間に伝言? 私だって行くわよ――すぐに追いついてみせるんだから」
 メリアドールまだ口元に残っている甘い感触を確かめた。まだあたたかい。
「それでもやっぱり、あなたはやっぱり高嶺の花なのね、クレティアン――追いかけても、追いかけても、私には手の届かない人だった。いつも、こうやって私を置いて一人で遠くへ行ってしまうのね――」
 もう、仕方ないわね、そう言いながらメリアドールはミュロンド寺院を後にした。

                                      


                                      
・父親のことなど色々あったけれどタフなメリアドールと開き直って超自信家なクレティアン。私の理想w
・二人とも気の強い性格だといいなぁ…と思います。

                                      

                                      

2016.6.26