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転がる死体、ついえた野心、高凜の花

                   

                   
 メリアドールはミュロンドの大聖堂を訪れた。剣を突き立てられ血を流した死体が転がっている。グレバドスの名の冠する寺院にあってはならない光景である。彼の名前はマリッジ・フューネラル五世。メリアドールを神殿騎士に叙勲した教皇のなれの果てだ。
 その無惨な姿にメリアドールは息を飲んだ。
「ひどい……ひどい殺され方だわ」
 普段会うこともなかったが、教会の騎士であったメリアドールのとって教皇は無関係な人物ではない。血の海に沈んだその屍に、メリアドールはおそるおそる近づいた。
「メリアドール?」
 柱の陰からメリアドールのよく知った声が聞こえた。
「……クレティアン? そこにいるの?」
 腕を組んだまま柱に寄りかかってすでに息耐えた死体を見つめている。その冷酷な視線には敬意はみじんも感じられない。
「あなたがやったのね?」
 返事をする代わりにクレティアンは死体に刺さった剣をまっすぐ指さした。「あれを見ろ」
「まあ、セイブザクィーンだわ。私の持っている剣と同じだわ……ということは……ああいやだ、あの人が刺したのね……いやだ、おそろしいわ……」
「そうだローファルが」
「で、あなたはそれを見ていたというのね、クレティアン? 自分の手は汚しもしないで、ローファルにやらせたというのね?」
「……ヴォルマルフ様の命だ」
「また! 父のせいにして! 本当に甲斐性のないひとね」
 ささいなことをあげつらって、クレティアンに言いがかりをつけようとしているのはメリアドールも分かっている。多少いじめたところで相手が気にする質ではないことをメリアドールは知っている。気が付けば同じ騎士団の中で十何年一緒に暮らしてきた。勝手知ったる仲なのである。
「メリアドール。言いたいことはそれだけか? 余程気が立っているようだな。少しは落ち着いたらどうだ」
「済んでない!」
「教皇を殺したことがそれほど気に障るなら自分で弔いをしてくるがいい」
 クレティアンは腕をふってメリアドールにうながした。さあ、あの剣を引き抜いてこい――出来るものなら、と。
 その仕草にメリアドールはますます腹が立った。
「何なの? 私はもう騎士団を抜けたのよ。悪事を働く教会には愛想を尽かしたの。もう教会とは縁を切ったわ。私に弔いをさせる前に、自分がファーラムしてあげたら? あなたたちの指導者なんでしょう?」
「教皇の私たちのヴォルマルフ様を捨て駒の如く使い捨てようとしていた。教皇の意は騎士団の意向ではない」
「ふうん……」
 思いがけず父の名前に遭遇してメリアドールは黙った。そうだった。この男は、私をそうそうに見切ったくせに、父には心酔している。
「そう、そんなに父のことが好きなの」
 メリアドールの小さな呟きはクレティアンに届かなかったようで、彼は淡々と言葉を続けた。
「それに、私は個人的にこの男は好きではなかった。私は――教会の不正を正すために騎士団に入った。グレバドスの教えが、野心ある権力者の食い物にされているのが気に入らなかった。戦争の混乱に乗じて、グレバドス教会は世俗の力を求めすぎてしまった。その指導者だったのだ――この男こそが」
 クレティアンは力を込めて拳を握った。過ぎ去った理想を語り続けるクレティアンの横顔を見つめていた。
「――と、私も昔はそういう志があったのだよ。まあ、今となってはそんなことを思っていたかどうかさえあやしいがな……」
「知ってる」
 メリアドールはクレティアンから視線をそらした。床を見つめ、下を向いたまま答えた。
「あなたが意外に気高い理想を持っていたのは十年前から知ってたわよ。私が騎士団に入ったとき、あなたはまだ士官学校を出たての、若い貴族みたいな人で、理想を持って生きる人なんだなって思ってた……」
 世間知らずの十幾つの娘には、それはそれは、格好良く見えたのよ。と、メリアドールは付け加えておいた。勿論、声には出さずに。
「そんな日々もあったかな……」
「あったわよ。私があんなにも憧れてたんだから、忘れないでおいてほしいわ」
「え、今、何と言った?」
「なんでもありません!」
 彼が理想高き高潔な騎士だったのはとうの昔のこと。見初めたのが間違いで、今となってはそこらの腐りきった野心家と大差ないとメリアドールは悟った。彼が革命家だとか言った日にはウィーグラフに詫びに行かなければならない。でも、時々、メリアドールの目には昔の面影が見える。彼女が憧れていた騎士の姿が。
「そう、だから困るのよね……」
 メリアドールはクレティアンに少しだけすり寄った。
「メリア?」
「……あなたの考えについてはこれ以上聞かないわ。父のことも。どうせ私が聞いたって理解できないでしょうから」
「聞く気はあるのか?」
「ない」
「だったら話は早い。メリアドールさっさとここを離れるんだ」
 有無を言わせぬ物言いだった。クレティアンはメリアドールの身体をそっと押し返した。さっさと行けとでも言うように。
「どういうこと?」
「殺人現場に居座りたいのか? この剣を見ろ。この騎士剣はディバインナイトのものだ。おまえのものでもある」
「それはローファルのものよ。私のじゃない」
「でも私がおまえのものだと言えば、誰もがそう信じる。異端者一味が寺院に押し入り、教皇を殺害したと。あの異端者には前科があるだろう――枢機卿を殺したのは誰だったかな?」
「ひどい人ね。教皇殺害の罪を私たちになすりつけようと言うのね……!」
「私はヴォルマルフ様がそうするかもしれないと忠告しているんだ」
「そうね……リオファネス城でやったことを思えば、父はそうやって私を抹殺するかもしれないわね。でも、その前に私が、教皇を殺したのは神殿騎士団の者だと密告するかも」
「そんなことをすれば――」
「そうね、そんな謀反を起こした神殿騎士団は即刻解散させられるわね。こんな暴挙をしでかした以上、生かして解散させる訳がないわ。残っている教皇派の者がきっとあなたたちをすぐに処刑するわ。吊し首になるわよ」
「さもなければ首を刎ねてさらし台行きだな。落ちぶれた野心家のたどる道だ。よくある光景だ。で、おまえはそれを見て満足するだろう。正義の断罪ができて」
 言ってはみたものの、そんな光景を想像しただけで足がすくむ。教皇の無惨な死に様に立ち会っただけで、こんなに心が痛むというのに、家族が、かつて愛した者たちが処刑される場を想像することなど出来るはずがない。やめて! 耐えられない――!
「お願い、クレティアン、はやくここから逃げて――だれか来る前に――」
「逃げる? 私が? メリアドール、おまえは誤解している。私は殺人の罪を被るつもりはない。逃げるのはおまえの方だ」
 メリアドールはこの期に及んでしれっと答えるクレティアンをひっぱたきたくなった。
「クレティアン! その自信はどこからくるの? あなたったら憎たらしいほどの自信家ね――そうだったわ、あなたがそういう性格なのすっかり忘れてたわ」
「それはどうも」
「いい? まだ分からないの? こんな悪事が露見しないはずがないわ。異端者が消されるか神殿騎士団が潰されるかどっちかしかないのよ! 私が死ぬかあなたが死ぬか、そのどちらかよ! 道はそれだけよ!」
「メリア――」
 まくしたてるメリアドールを牽制しようと手を伸ばした。メリアドールは今度こそ彼の手をひっ叩いた。
「私の話を最後まで聞きなさい! 私は――私はあなたにそんな不名誉な死に方をさせたくないのよ――私の気持ちも分かってよ……!」
「メリア、教皇を殺した事実は事実だ。確かに私がやったに相違あるまい。否定はしない。私はそれを不名誉だとは思わないし、ここで教皇派の手にかかるつもりもない」
「その自負心を捨てなさい! 少しは謙虚になりなさい、クレティアン――! あなたたち、一体どれだけ人に迷惑を掛けてきていると思っているの? その罪を償いなさい!」
 堂々巡りの言い争いにメリアドールは憤慨した。
「なるほど、私に罪の購いをさせたいのだな。ならば今すぐこの剣を引き抜いて司祭を探しに行ってこよう。そうして私はひどい罪を犯したと告解をしてこよう――懺悔が終わった時に私は自分の首の皮が繋がっているとは思えないのだが」
「私を怒らせたいの? それともあなたはただの莫迦なの? 私がそんなことを言いたいんじゃないって分かってるくせに……!」
「そうか、ならば君は私にこうして欲しいんだな」
 クレティアンはメリアドールの目の前ですっと膝を付いた。その意図が分からずメリアドールは困惑した。
「私はここで慈悲を乞う」
「え……何よ……」
「もし、君が慈悲の心を持っているなら、メリアドール、私をここでひと思いに貫いて欲しい。人の手にかかって死ぬより、死んだ後永遠にその名前を晒されるより、誰ににも知られることなくここで葬って欲しい。戦士の求める慈悲がどういうものかは知っているだろう――?」
「ま、待って――慈悲を乞う相手が違うわ――私じゃない――私はもう教会から離反したのよ」
「この死んだ男に頭を下げて懺悔するつもりはない。神の恩寵は地上の王のものではない」
「だったら神に赦しを――いいから顔をあげてよ――請うべきよ」
「私は……もはや信じるものを失ってしまった。拠り所とするものは何もない。頼れるものは何もないんだ……」
 うつむいたまま、そんな寂しげに言われては心が揺らぐ。メリアドールはこの、うなだれて小さくなっている男を心から抱きしめてあげたい衝動に駆られた。かつての同僚。少しだけ年上のこの騎士の背中をメリアドールは憧憬のまなざしで見てきた。それから十何年、心通わせた同胞。それが、こうして落ちぶれた姿になっている。どうしてこうなってしまったのだろう。互いに反目し合った訳ではないのに、どうして私たちはこうして真逆の道にいるのだろう。
「クレティアン……私は……」
 だが、メリアドールの胸に温かいものがあふれてくる前に、彼女は現実に気づいた。
「ちょっと! どこまでも都合のいい人ね。あきれて物も言えないわ。自分の好きなように生きて、父がルカヴィになったと私に知らせもしないでひたすら嘘をつき続けておいて、今更私に何を請うというの? 思い上がりも甚だしいわよ、クレティアン! あなたは一度死んでくるべきだわ! 然るべき方法で罪を償いなさい」
「メリア! 私は!」
「……」
 もうこんな男には二度と関わらないとメリアドールは意を決した。メリアドールはクレティアンを置いてその場を立ち去った。振り返ってしまったらまた何かの情が湧いてしまいそうだったので、後ろは見ないことにした。
「メリア!」
「……」
 聞かない。見ない。立ち止まらない。
「メリアドール!!」
 執拗に無視し続けていたら大声で呼び止められた。この人が本気で怒鳴った場面を知らない。こんな怒り方をするのかと、メリアドールは今更思った。そしてさすがに足を止めた。けれど後ろは振り返らない。それは彼女なりのプライドの表れである。
「……何よ」
「真実を知らされなかったと不満げだな。言っておくがな、この男はな、おまえの父親を殺したんだぞ! 聖石を押しつけ、唆し、教会の権力を傘にして契約を結べと迫った! この権力者は――身勝手で低俗な己の野心のためだけに、ヴォルマルフ様の身体を奪い、魂を汚した!」
「父の――父の名前を出さないで!」
「いいか、奴を殺せと言ったのは確かにヴォルマルフ様だ――だが、これは私とローファルの意志でもある」
「こ、こんなところで父の仇を討てなんて私は頼んでいないわ……第一、私は父があんなバケモノだなんて今まで知らなかったもの……」
「そうだ、だからこれはおまえには関係のないことだ。ヴォルマルフ様には尽くしても尽くしきれないほどの恩義をいただいている。私はそれを返したかった。ローファルもそう思っている」
「ヴォルマルフ、ヴォルマルフって、いつだって口を開けば父のことばかり……! そんなに父を愛しているなら、父と心中してくればいいじゃない」
「もちろん、私はヴォルマルフ様と最期まで共にいくつもりだ」
「そればっかり。どうせ、私のことだって、父の娘だから気を引こうとしたんでしょ――ん……ッ――!」
 後ろから抱き留められた。突然の出来事にメリアドールは呻き声をあげた。
「ちょっと――離してよ……!」
「そんな意味じゃないって分かってるだろう――私が誰かを利用しないと出世できない器の小さい男に見えるか――?」
 これでイエスとうなずかれたら男がすたるというもの。そんなことになる前に、クレティアンはメリアドールの唇を奪った。颯爽と。
「……これでも分からないか?」
「あ――わ、わかったわ……」
「――だから言ったんだ。ここから逃げろと。死体の転がる戦場や野心にまみれた権謀の世界は君には似合わない。出来るものなら、こんな腐りきった世界からは離れて、どこか私の手の届かない場所へ――」
「ご忠告をどうも。だけど私は剣を捨てるつもりはなくってよ」
「ならば忠告ではなく伝言だ。お仲間に伝えておけ。“オーボンヌ修道院で待つ”と」
 用件だけ伝えるとクレティアンは去っていった。
「まったく! そのすがすがしさに逆に惚れるわよ。仲間に伝言? 私だって行くわよ――すぐに追いついてみせるんだから」
 メリアドールまだ口元に残っている甘い感触を確かめた。まだあたたかい。
「それでもやっぱり、あなたはやっぱり高嶺の花なのね、クレティアン――追いかけても、追いかけても、私には手の届かない人だった。いつも、こうやって私を置いて一人で遠くへ行ってしまうのね――」
 もう、仕方ないわね、そう言いながらメリアドールはミュロンド寺院を後にした。

                                      


                                      
・父親のことなど色々あったけれどタフなメリアドールと開き直って超自信家なクレティアン。私の理想w
・二人とも気の強い性格だといいなぁ…と思います。

                                      

                                      

2016.6.26