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侯爵様は吸血鬼になりたい

        

        
「メスドラーマ様、お召し替えのお時間ですよ。さあ、早くお起きになって」
  心地よい午睡のまどろみを遮る、叱責じみた女性の声。メスドラーマ・エルムドアはベッドの上で寝返りを打った。
「セリア、カーテンを閉めてくれ。日光は身体に悪い」
「それは昼過ぎまでうたたねなさってる主様がだらしないだけですから」
 エルムドアに長年仕えてきた侍女のレディは主の扱い方を心得ている。カーテンを引いて部屋に明かりを入れると、シーツにしがみつく二日酔いの主をたたき起こした。
「まあ、お髪もみっともないことになっているではありませんか」
「もう少し寝かせてくれ」
「だめです。セリアお姉さまが教皇様のお使いを連れてくる前に、早く支度をオワラセナイト」
 外の日光から隠れて夢の世界へ戻ろうとする主にレディは不満だった。ベッドの上で縦横無尽に乱れた主の髪の毛を綺麗に整えようと格闘している。
「教皇の使い? ああ、ヴォルマルフの娘のことか。教皇に気に入られて聖石をもらったとか。あの娘なら城の庭で遊んでいた頃から知っている。今更かしこまる必要も……」
「メスドラーマ様! あなたはもうこのお城の領主様なのですから、そんなふざけた態度ではいけません。それにメリアドール様は教皇猊下の代理でいらっしゃるのですよ。お嬢様扱いしてはいけません。そもそもメリアドール様は次代の神殿騎士の長となる方で……」
 またレディの長いお説教がはじまった。
 エルムドアはベッドの上に身体を起こし、上の空で窓の外の景色を見ていた。領主様、か。もう気ままに暮らしてはいられないのか。いい加減起きるか。そう意気込んだものの、
「あ……」ワインに手が当たってしまった。
「メ・ス・ド・ラ・ー・マ・様」
 レディが用意してくれた白シャツに赤ワインの染みが広がる。当のレディはポーカーフェイスでそつなくエルムドアの身支度を整えていたが、声のトーンがおそろしいことになっている。侍女の逆鱗に触れてしまったようだ。こういうときは笑ってごまかすのが一番だ。
「大丈夫だ、問題ない。そうだ、あの黒のビロードのマントを羽織ろう。あのマントは丈が長いから服の汚れも見えないだろう」
「主様? 正気ですか? あれは舞踏会用の衣装で……そんな吸血鬼みたいな恰好で外の人に会うのはおやめください」
「なに、ヴォルマルフの娘っ子だ。あれはなかなか豪胆な騎士だと聞く。マナーにうるさい貴族や役人の類ではない」
 エルムドアはひらりとベッドから飛び降り、小言を述べ立てるレディかわすと特注の黒のマントを身にまとった。
「うむ、これで良い。これは舞踏会で吸血鬼の仮装をしようと思って作らせた一品物だ。私によく似合っているだろう」
「ああ……ランベリーの領主様が吸血鬼の格好など……メリアドール様が誤解なさったらどうするんですか。領主様が吸血鬼に襲われたと思われたら、きっと撃ち殺されますよ。あの方はとてもお強い方ですら……」
 エルムドアは鏡の前でくるりと回った。漆黒のマントに輝く銀髪。我ながら良い見栄えだ。レディは気に入らないようだが。
「レディ、そんなにごちゃごちゃ言うな。私も武人だ。刀は肌身離さず持ち歩いている」
「先の戦争の時、お城を取られて北天騎士団の将軍様に泣いて助けを求めたのはどなただったかしら? ガリオンヌへ遊びに行くと言って誘拐されて身代金を払ったのは誰かしら?」
「……」
 エルムドアは言葉に詰まった。しまった、自分だ。
「メスドラーマ様、わたくしは心配しているのです。主様はとても目を惹く容貌で、戦場を歩けば流れ矢が飛んでくるような方なんですよ。だから、せめてもう少しお静かに……」
「私に一生、城に引き籠ってくらせというのか? それは無理な話だ」
「いえ、そこまでは……」
「だから君が私のことを守ってくれるのだろう? 私の最高のアサシンよ」
 エルムドアはレディを見つめた。まっすぐ、信頼のまなざしで。「私の命は君に託した。信頼しているよ」
「メスドラーマ様……はい、もちろん、私の命を掛けてお護りいたします」 
 レディはエルムドアの前で膝をついた。だれよりも尊い、護るべき主の命。何に代えても守り抜く覚悟だ。
「……とは言っても、教会の方を暗殺はできませんから。メリアドール様の前ではお行儀よくしていてくださいね」
 吸血鬼の格好をして、意気揚々と部屋を出て行った主をレディは心配そうに見送った。不安の種が尽きない主人だ。
「まあ、あとはセリア姉さまが何とかしてくれるわね」

        

        

2018.10.31