ヴァイゼフラウ・バルマウフラ――森の魔女の物語

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*このSSだけの設定:魔女は不死の存在。炎で焼いても死なない。魔女の力を誰かに継承した時に、その命は尽きるが、魔女の知恵は代々継承されていく。そんな魔女を見た人々は「魔女には転生の力がある」と信じるようになったとか。基本的にグレバドス教会とは対立している。
*ヴァイゼフラウはドイツ語民話などに出てくる魔女の名前。「賢い女」の意。


 
ヴァイゼフラウ・バルマウフラ――森の魔女の物語

 

 

森の中に魔女が住んでいた。
魔女は娘と暮らしていた。
娘は父親を知らなかった。
母親のこともよく知らなかった。
母は娘のことを、ただ「バルマウフラ」と呼び、
娘は母のことを、ただ「お母さん」と呼んだ。

 

 
魔女は時々、一人で森の外へ出かけた。
森の近くの村へやってくると、
人々に惜しみなく魔女の知恵を分け与えた。
そして、魔女の知恵のお礼に、村人から、
パンと、水と、薪と、蝋燭をもらって森へ戻った。
娘の待つ、森の中の小さな小屋へと。

 

 
森の魔女は何でも知っていた。
村の人は、敬意と愛情をこめて、
魔女のことを「賢い女ヴァイゼフラウ」と呼んだ。
魔女は本当の自分の名前を誰にも明かさなかった。
娘ですら、彼女の名前を知らなかったのだから。

 

 
「お母さん、私も魔女になりたい。
お母さんみたいに、村の人を助けたいの」
「だめよ、バルマウフラ」
母は娘に言った。
「森の外はおそろしい場所なの」
魔女はずばぬけた知恵と力を持っていた。
教会の聖石がなくても、魔女は奇跡を起こせた。
だから、教会は魔女の命をねらっていた。
「バルマウフラ、お母さんと約束して。
決して森の外には出ないと」

 

 
ある日の、ある夜のこと、
母は森の中の家に戻ってこなかった。
バルマウフラは母の教えを守り、森から出なかった。
けれど、次の日も母は帰ってこなかった。
バルマウフラは、それから3つの夜を数え、
とうとう母の教えを破った。
森を出て、村へと出かけたのだ。

 

 
母が言った通り、森の外は恐ろしい場所だった。
バルマウフラが村の広場で見たのは、
杭に縛られ、炎で焼かれる母の姿だった。
広場には、魔女の炎を見守る三人の男と、
そこに群がる村人たちがひしめきあっていた。
ある村人がバルマウフラに教えた。
一人目の男は、魔女をとらえた騎士。
二人目の男は、魔女に異端の容疑を下した枢機卿。
三人目の男は、魔女の判決を承認した司祭。
三人の男は口をそろえて言った。
「あの女は、教会の教えに背いて魔術を使った魔女だ。
魔女は永遠の命を持っている。
魔女は焼いても死なない。
教会の反逆者よ、汝の大罪を、
その永劫の炎の上で償うがよい」

 

 
バルマウフラは泣いていた。
森の外は恐ろしい場所だった。森に帰りたい。
でも、森の小屋に戻っても、もう母はいない。
母は、ここでずっと炎に焼かれているから。
「魔女は焼いても死なない」
だとしたら、母の苦しみはいつまで続くのだろう?
バルマウフラは、母が本当の魔女だと知っていた。
もちろん、教会の反逆者でもないことを。
「お母さん……お母さん……」
バルマウフラは泣いて叫んだ。
「私が魔女になる。私が魔女を継ぐ」
母の苦しむ姿をもうこれ以上見たくなかった。
「だから、私にお母さんの力をちょうだい」
炎の中で、母は微笑んだ。
「いいわ、この力をあなたに託す。
さあ、魔女の力を使ってみなさい」

 

 
「なんだ、『賢い女』はただの人間だったのか」
「燃えてしまったというなら、魔女じゃなかったということさ」
「ただの人間が、教会にたてつくから燃やされるんだ」
村人は、燃えて黒くなった「賢い女」に口々に言った。
バルマウフラは苛立った。
母を殺した教会にも、母を見捨てた村人にも。
「魔女はここにいる。私が魔女だ」
バルマウフラはつぶやいた。
そして、母から受け継いだ魔女の力を使った。
彼女が最初に使った魔女の力は「呪い」だった。
バルマウフラは母を殺した三人の男に呪いをかけた。
一人目の男は、母をとらえた騎士。
二人目の男は、母に異端の容疑を下した枢機卿。
三人目の男は、母の判決を承認した司祭。
皆、その場で、あるいは、数日の間に命を失った。

 

 
バルマウフラは母の名を汚した村人も許しはしなかった。
バルマウフラが森に戻り、それからしばらくして、
村では疫病がはやり、何十人もの命がなくなった。
心ある村人が森の中に「賢い女」の墓を作り弔った。
そして、「賢い女」の一人娘を探した。
けれど、もう遅かった。
魔女の娘は森から姿を消し、
村には荒廃の風が寂しく吹きすさんでいた。

 

 
教会に呪いを、母を殺した者に死を。
バルマウフラは森を出て、
迷うことなく、ミュロンド寺院へやってきた。
すべては母の死の復讐を遂げるために。

 

 
「私はおまえを殺すためにきた」
バルマウフラは言った。教会の騎士の長に。
絶対に殺してやる、この男は母をとらえた騎士団の長だ。
「できるものか、小娘に」
騎士団長は笑った。バルマウフラは笑わなかった。
ならば、時が満ちるのを待つだけだ。
魔女の呪いを受けるがよい。
バルマウフラは密かに誓いを立てた。
あとは、時が満ちるのを待つだけだ。

 

 
森の魔女の娘は、母を焼いて、魔女の力を継承した。
そして、教会に舞い戻り、教皇の付き人になった。
あの魔女はいったい何なのだ。
彼女はいったい何者なのか。
誰もがバルマウフラを恐れ、そばに近づかなかった。
彼女のことが分からなかったからだ。
バルマウフラも自分のことが分からなかった。
何故、母を殺した教会に忠誠を誓っているのか……
その度に、密かに立てた魔女の誓いを思い出すのだ。
教会に呪いを、母を殺した者に死を。

 

 
仮面を被ればいいの。
そうすれば、私の心は誰にも見せなくてすむから。

 

 
雨の日の、陰鬱な礼拝堂の入り口で、
少女が絶望の涙を流して泣いていた。
バルマウフラは知っている。
彼女は、騎士団長の娘。
新生ゾディアックブレイブ。篤信の娘。
気丈夫で、騎士団を率いていく新鋭。
そんな少女が、いったい何に涙を注いでいるのか。
「弟が死んだ。聖石を持つ同志が殺された。
父もいなくなった。私はすべてを失った。
この絶望に、誰が嘆かずにいられようか」

 

 
ああ、なんということだ。
私が殺した。彼らの死には、私の責任がある。
バルマウフラは思った。
私が呪ったから。私がこの教会に呪いをかけたから。
魔女だった母は「賢い女」だった。
村人を助け、癒し、知恵を与えた。
けれど、魔女になった私は、呪ってばかり。
私に関わった人は皆、不幸になる。
そうなるように私が望んだことだったから。
バルマウフラは魔女の力を封印した。
私はもう二度と魔女の力を使わない。
誰も呪いたくないから。

 

 
バルマウフラの記憶の中で炎がはぜた。
全身を焼く熱い炎。
でも、その炎に苦しむのは彼女ではない。
「お母さん、お母さん……私が魔女になるから……」
私はお母さんを助けたかっただけなのに。
だから私は魔女になったのに。
魔女だった母は「賢い女」として村人に癒しを与えた。
けれど魔女になった私は、呪いをまき散らすばかり。
私が生きていると、誰かが命を落とす。
それって、とても悲しいことね。

 

 
森の魔女は、人間になる決意をした。
こんな世界から抜け出し、私は人間に戻る。
仮面を被って生きるのはもう嫌。
魔女でなんかいたくない。
私はただの人間として森に帰る。
故郷の森への道は今でも覚えている。
けれど、教会から抜け出すのはたやすいことではなかった。
教会から抜け出す道はただ一つ。

 

 
「あなたに恨みはないれど、死んでちょうだい。
黒羊騎士団のディリータ・ハイラル、
あなたを始末すれば、私の監視の任は解かれる。
そうしたら、私は教会の呪縛から自由になれるのよ!」
バルマウフラが差し向けたナイフはあっさりと叩き落とされた。
「気が狂ったか、教会の魔女。俺を呪い殺すつもりか」
「私は魔女ではない!
そもそも、教会が先に私たちを迫害した。
でも私は復讐には興味ないの……今はね。
あなたたちのような野蛮な騎士たちと違ってね」
一刻も早く、この場所から逃れたい。
ここでは教会と、国王と、騎士と、役人が、
永遠に飽くなき血の闘争をしている。

 

 
私は、もう嫌になったの。
森に帰らせて。
お願いだから、私を魔女と呼ばないで。
私はただの人間として森に帰りたいの。
こんな場所にいるのはもう嫌!

 

 
「帰りたいなら、好きにするがいい……」
黒羊騎士団の男はつぶやいた。
「ウィッチ・バウマウフラ……ミステリアスな女だ。
教会の魔女だと噂されているが、おまえの目的は何だ」
「さあ、私も目的なんて忘れたわ」
「おまえは俺と同じだ。仮面を被り、演じる。
たとえそれが、偽りの仮面であっても。
被り続け、演じ続ければ、それが真実になる」
「演説がお上手ね、騎士さん。でも一緒にしないで」
私は仮面を捨てる。捨てたいのよ……

 

 
「偽りの仮面でも、被り続け、演じ続ければ、
いつしかそれが真実になる」
バルマウフラはその言葉を信じた。
彼女が継承した魔女の力はあまりにも重く、
背負うに苦しいものだった。
教会の仮面を捨てて、そして、魔女を隠す仮面を被る。
そうすれば、私は人間になれる?
いいえ、私は人間になるの。
仮面を被り、演じ続ければ、私は人間。
魔女だったのは遠い昔のことだ。

 

 
記憶の中で炎がはぜる。
バルマウフラはかたくなに目を閉じた。
見たくない。母が苦しむ姿が何度も見たから。
「お母さん……」
私が魔女になってお母さんを助ける。
そう言うはずだった。そう言ったはずだった。
でも私はこう言った。
私は魔女になりたくない、魔女にはなりたくないの。
「お母さん、ごめんなさい……」
私が魔女になっても、人を呪うことしかできないから。
ごめんなさい……ごめんなさい……
バルマウフラは燃える炎に背を向けた。
決して後ろを振り返らないように、拳を握りしめて。

 

 
「君は魔女だろう? ちょっと助けてくれないかな」
城から出ようとするバルマウフラに若い青年の声が引き留める。
バルマウフラは眉を潜める。
私のことを、不躾に魔女だと呼ぶ失礼な男は誰?
そこには、褐色の肌の、満身創痍の若者。
戦場から抜け出してきたかのようだ。
「僕は、今脱獄したばかりでね……」
バルマウフラは無視して歩き去った。
脱獄者に関わって面倒事に巻き込まれるのはごめんだ。
それも、自分を魔女と呼ぶ男には。
「魔女のお嬢さん、君は教会の人なんだろう
怪我を負った隣人を見捨てていくのかい」
「私は魔女でありません。
それを訂正してくれるのなら、この手をお貸ししましょう」

 

 
僕は占星術士。星の運行で未来を読むんだ。
男は聞きもしないのに、ぺらぺらと勝手に自己紹介を始めた。
その声は、まるで異国の吟遊詩人が歌う、心地よい旋律のように。
「君は本物の魔女だね。アークウィッチだ。
その力は誰かを救うために授かったものだ。
星がそう語っている。間違いない」
「あなたの星詠みはずいぶんあてずっぽうなのね。
残念だけど、私はもう魔女ではないわ。
誰かを助けたこともないから」
「星は現在のことを語っているのではない、
未来のことを語っているんだ」
「嘘よ。私は魔女の力を封印したの。
もう二度と使うつもりはないから」
占星術士は、食い下がらない。
「でも、未来は未来だ。
これから先、君はアークウィッチになって、
誰かの命を救って感謝されるかもしれない」
「さあね。もし私が魔女になったとしても、
あなたには関係のないことよ。
だって、私たちはここでたまたま出会っただけで、
それから、また再会することなんてないでしょうから。
確かめようのない話ね」

 

 
魔女と呼ばれる度に、
記憶の中で炎がはぜる。

 

 
私は森に帰って、静かに暮らすつもりなのに。
どうして、誰が、私に魔女の記憶を呼び出すの。
忌まわしい炎の記憶。呪いの記憶。
ああ、記憶はまた過去をさまよいはじめる。
炎がはぜる音。肌が焼かれる焦げた臭い。
バルマウフラは目を覆った。
どうして、どうして、何度もこの記憶がよみがえってくるのだ。
もう私は魔女の力を封印したというのに!
母は死んだ。教会に殺された。
私にはもうどうしようもできないことなのに。
どうして何度も何度も、この炎は私を苦しめるのか。

 

 
時は流れども、
されぞ炎の記憶は薄れず。

 

 
バルマウフラの中で炎がはぜた。
「ああ、またね……」
火刑の場面だ。母が杭に縛られて、燃やされている。
炎が立ち上る。私は炎のそばに駆け寄る。
「お母さん……」
苦しむ母に何と言葉をかけるべきか……
いや、違う。母ではない! 彼だ!
彼はこういった。「君は魔女だ」
そう、私は魔女だ。
母を火刑から救うために私は魔女になった。
バルマウフラは炎の中に向かって、まっすぐに歩いた。
「私は魔女。だから炎は私を焼かない」

 

 
教会を弾圧した占星術士が火刑に処されると聞き、
人々は火刑場に群がってきた。
その時、群がる人々の制止を振り返るように女が飛び出してきた。
女は迷うことなく、炎の中に入っていった。
可哀想に、あの娘は頭が狂ってしまったんだ。
誰かが呟き、嘆きの声を漏らした。
そして、炎は一層燃え上がり、煙が落ち着いた頃には、
もはやそこには男も女もいなかった。

 

 

 

 
森の中の、誰も立ちはいらない静かな場所に、
花と小枝で飾られた小さな石碑があった。
 ――アークウィッチ・ヴァイゼフラウ
 ――安らかなるとこしえの眠りを
「ここがお母さんの眠っている場所。
といっても、肉体は灰になるまで焼かれてしまったから、
ここにあるのはお母さんの思い出だけ」
バルマウフラは故郷の森に帰ってきた。
一人ではなく、もう一人と。
火刑の場から助けて、一緒に逃げてきた占星術士と。

 

 
「どうして僕をここに?」
「私は初めて魔女の力で誰かの命を救えたの……
私の母は『賢い女』と呼ばれていたの。
魔女の力で、人々を助け、慕われていた。
でも、私はお母さんから魔女の力を受け継ぎ、
母を殺した教会の諜報員として、働き、
その一方で教会を呪い続けてきた。
私はそんな自分が嫌だった……
でも、私もやっとお母さんみたいな魔女になれたわ」
「僕の言った通りだろう? 僕は未来が見えていたんだ。
きみは母君から魔女の力を継承した。
きみは『賢い女』なんだ。自分で思っているよりずっとね。
そして、賢女バウマウフラは燃え尽きるはずだった命を救った。
その命がまさか僕だったとは、その時は分からなかったけれど」
「まあ、あなたは本当に未来が見えていたのね」
「星が見えるかぎりね」
「じゃあ、今度は何が見える?」
「僕の隣に君がいる……ずっと」
バルマウフラは彼の手を引いた。
「ええ、私も、あなたの隣に」
そうして、彼の隣に、彼女が座り、
彼女の手の上に、彼の手が重なった。

 

 
占星術士は呟いた。
この幸福の時間をそっと引き留めようと。
「天球の運命はこの手のうちに、
私はあなた、あなたは私、
さすれば、時よ、永遠なれ」

 

 

2019.07.22