.

 

 
 香る花、告げるもの

 

 

 

 

 ディバインナイトたる者の何よりの使命は島の警備であった。巡礼者も多く、人が多いということは即ち治安も悪くなるということである。それにもかかわらず、このミュロンドが旅人の安心して歩けるというのは、ひとえに、神の加護とディバインナイトたちのたゆまぬ努力のおかげであった。
「メリアドール、いいかい、私は朝方には戻るからそれまでは誰もここには入れてはならんよ。こんな夜中に出歩く者は夜盗か不審者と決まっている。そんな奴らに関わる必要はないからな」
「はい、ヴォドリング隊長、承知しております」
 島にあるミュロンド寺院の警備として、不寝の番にあたる二人の騎士がいた。正確には、一人の壮齢のディバインナイトと、その見習い騎士の、年もまだ若い一人の娘だった。
「本来なら不寝番には別の者が当たるはずだったんだが…仕方ない。くれぐれもよろしく頼んだよ。私は外を見てくる」
 ローファルはよろしく、と言っていたが内心はメリアドールを一人残していくことがひどく不安であった。それもそのはず、多忙な団長ヴォルマルフに代わり、彼の子供たちをローファルが育て、可愛がってきたのだった。男所帯の中、特に慈しんできたメリアドールを仕事とはいえ深夜に一人残しておくことは不安だった。
「まあ、メリアドールも良い剛剣の使い手だ。夜盗くらい容易く追い払うだろう……だが、せめてもう少し女らしくてもいいものを……」
 長い髪はきれいにまとめ、その端正な容姿を飾り立てることもない。その剛剣の腕はまだ見習いといえど、並みの騎士に匹敵するものがあった。粗野な男騎士達の中で育ててしまったせいだろうか。メリアドールは女性として、あまりにおとなしすぎた。そして、あれこれ考えながら、一人ごちつつつ見張り用の小屋を離れたローファルであった。
 小屋に一人で残ったメリアドールは、師の言い付けを守って静かに小屋の中で待機していた。飾り気のない、質素な部屋であった。夜番の騎士たちが詰所として使っているためか、ものは乱雑に散らかっていた。ミュロンドの名高いディバインナイトも、殆どが男騎士で構成されており、メリアドールの様な女騎士は稀有な存在だった。彼女はそんな中で育ち、彼らの立ち振舞いを覚えてしまったのである。ローファルはそんなメリアドールの事を嘆いたが、母親をも早く亡くした彼女に女らしさを教える者は誰もいなかったのである。
 外は夜。いつの間にか降りだした雨は強さを増し、とうとう雷雨となった。こんな悪天候の日は、誰も出歩かないだろうとメリアドールは思っていたが、やがて扉を叩く音を聞いた。かなり激しく、ダンダンと叩いている。
「誰かいないのか!? 雨宿りをしたい!」
 雨音にかき消されつつも叫ぶ声があった。青年の声であった。メリアドールは言い付け通り、沈黙を守った。しかし外は雷が鳴り響いている。こんな天気の中に放り出しておくのも心が痛む。どうしたものかと逡順していた。
「誰もいないのか! 扉を蹴破るぞ!」
 このままだと扉を破られかねない、と慌ててメリアドールはほんの少しだけ扉を開けた。思わず、あっと呟いた。声の主をメリアドールは知っていた。
「おっと、お嬢さん一人かい?」
「ええ、夜明けまでは私一人です」
「これは失礼。少し避難させてくれないかな」
 青年は大事そうに上着にくるんで抱えていた包みを床の上に広げた。中からは四、五冊の書物が出てきた。なるほど書物に水塗れは厳禁である。少しでも塗れないよう、ここまで運ばれてきたのであろう。青年は本を置くと自分は踵を返してさっさと雷雨の中に戻っていった。
「待って! 待って…! こんな雷の中を歩いて帰るのは危険です、ドロワ様!」
 名前を呼ばれ、引き留められたクレティアンは不思議に思った。何故こんな夜中に年若い娘が一人で小屋番をしているのか。何故見習い騎士風情の彼女が自分の名前を知っているのか。等々。しかし、呼ばれたからにはありがたく雨宿りをさせてもらうことにした。何せ外は横殴りの暴風雨。
「中で濡れた着物を乾かしてくださいな。火種がなくて暖炉は使えませんが……あら、暖炉に火が…?」
「何、火くらい簡単におこせるさ。初級の黒魔法だからね」
 さっと手を伸ばすと暖炉に小さな炎が踊った。クレティアンは自分は濡れたまま、せっせと水浸しになった本を暖炉の回りに干していた。貴重な魔導書なのである。
「それにしても、こんな夜更けに女一人で詰めさせるとは、ディバインナイトらも相当に人員不足なのか? お嬢さんも災難だったな。あなたの上司にあったら文句の一つでも代わりに言っておこう」
「いえ、仕事ですから……」
 メリアドールは、自分に背を向けうずくまって熱心に本を乾かしている青年を見つめていた。クレティアン・ドロワ。名前は知っていた。最近ミュロンドにやって来た若き魔道士。イヴァリースの中でも類い希な秀才で切れ者と聞いていた。島育ちのメリアドールにとっては、本土から来たというだけでも物珍しく、一度話してみたいと思っていたのだった。同じ神殿騎士といえども、騎士と魔道士とでは会う機会がないのである。
 暖炉では静かに火がはぜていたが、外では雷がとどろいていた。かなりの轟音がした。近く落雷したのではないだろうか。にわかに、外回りのローファルの事が心配になった。
 小屋の中ではしばしの沈黙。そして扉を開ける音。ローファルが戻ってきたのだった。
「メリアドール、近くに雷が落ちたらしい。火事にはならなかったようだ。おや、どうやら鼠が入り込んだ模様。深夜に徘徊する不届き者め、何の用だ?」
 剣の鞘でかつかつと床を叩きながら言い放った。
「これはローファルじゃないか。そうか、あなたがこの子の上司か。ならば一言云いたい、いくら仕事とはいえ、こんな夜中に女性を一人にしておくとは無用心じゃないか。それに私は好きで深夜に歩き回っているのではないのだよ。魔道書をわざわざ聖堂図書室まで取りに行っていただけのこと」
「仕方あるまい。名誉あるディバインナイトの役目だ。それにそちらも人員不足か。本の四、五冊くらい部下に行かせればいいものを」
「何、こちらは夜中に女性を一人歩きさせるなんて不粋なことはやらないのでね」
 騎士団とは打って変わって、魔導士たちはほとんどが女性である。
「ふん、口の減らない男め……おっと、言い争いはここまでだ」
 見ると、暖炉の側に座ってメリアドールがうつらうつらと船を漕いでいる。炎の暖かさに安心しきって、すっかり夢の世界に入り込んでいるようだった。
「まったく、床で寝るなんてむさ苦しい真似をするなと何度も言っているのに、困った子だ」
 ローファルはメリアドールを抱き抱えると、近くの藁を詰めて作った布団へと運んだ。
「その子は…」
「知らないのか。メリアドール、メリアドール・ティンジェル」
「ああ、団長の……。これは悪い事をしたな。見たところ見習い騎士の様子、このまま女騎士になるおつもりか」
「父の跡を追ってディバインナイトになるのだと言い張ってな。たしかに剣の腕も良い。こう見えても剛剣の使い手だ。お前の首くらい簡単にへし折るぞ」
「おお怖い怖い。それは勘弁……」
「ならば手を出さない事だな。団長溺愛の箱入り娘だ」
「愛してるなら騎士になどしなくても良いではないのか。たしかもう一人子息がいたはずだろう」
「イズルードな。あれはあれでいまいち剣が立たないので困っているのだ…。落ちこぼれではないのだが、何せ周りが凄腕の騎士ばかりでな。おかげでメリアドールは弟に代わって自分がティンジェル家を引っ張っていくのだと気に負っている節がある。ティンジェル家も伝統ある旧家なのだが早くに母親が亡くなっていて、裏では大変なのだよ。そうでなければメリアドールだってもう少し楽な道を選べたはずだ」
「父親は……ヴォルマルフ様は愛娘を騎士にすることへの抵抗はなかったのか」
「彼女をディバインナイトに叙するのも、父親なりの愛情なんだ。騎士ともなれば、いざ戦争になると前線に飛ばされる。ヴォルマフル様はそんなことはさせたくなかったのであろう。ディバインナイトなら主な任務は聖堂の守護だから、そうそう戦地に赴任することもないはずだ」
 語る間も、ローファルはずっとメリアドールの寝顔を見守っていた。可愛くて可愛くて仕方がない、とでも言いたげに。
「クレティアンよ、この子をどう思うか」
「何です、出し抜けに」
「お前は王都で暮らしていたこともあっただろう。王都の娘たちはさぞ綺麗に着飾っていたのではないかな。うちの娘は剣の修行をするより他に趣味がないと言っても良いくらいでね。お洒落の一つでも早く覚えてほしいものだ……。そうだ、クレティアン、ベオルブのご令嬢とも顔見知りだったな? あの娘はどうであったかな」
「アルマ嬢か。貴族の娘らしく、おとなしい、静かな子だった気がするな。だが、何も着飾るだけが女の魅力ではないぞ。私なんかは、こう、根のしっかりとした、素朴な女性の方に心惹かれますがね……。それに時期がくれば、自ずと女になりますよ」
「時期か、メリアドールはもう20にもなるんだぞ。このまま修行を積めば立派な騎士になるだろうが、だが、このまま放っておくのも、気が進まない。騎士として女を捨てさせる訳にはいかない」
「求婚者の一人や二人はいるでしょう?」
「勿論。ごまんといるさ。だが、ヴォルマフル様の鉄壁の守りがな。父親は娘を手離したくないようで……」
 ローファルは身を屈めて、眠るメリアドールの頬におやすみ、とキスをした。
「どうだクレティアン、一つ頼まれてくれないか」
「何を」
「メリアドールにな、教えてやって欲しいのだ、年頃の女の立ち振舞いというものをな。私はこれから仕事に戻る」
「ふむ、考えておこう……」
 オレが手を出してもいいんだな、とクレティアンはつぶやいた。

 

 

「ん……」
 メリアドールは目を覚ました。夜は明けつつあり、朝方のすがすがしい空気が部屋に満ちていた。そしてはっと飛び起きた。
「あれ、私、昨日そのまま寝ちゃったの?」
「おはよう、メリア」
 ローファルが側で声を掛けた。
「ゆっくり眠れたかな」
「ああっ隊長、ごめんなさい…」
 慌てて頭を下げようとするメリアドールにローファルは優しく声を掛けた。
「そんなに気を使うな、メリア。今は誰もいないし、昔みたいに挨拶して欲しいよ」
 メリアドールはあたりを見回すと、ローファルに抱きついた。
「おはよう! ローファル小父さん、大好きよ!」
 頬にキスをすると、お互い幸せそうに見やった。メリアドールは父親代わりだったローファルにすっかりなついていた。この物静かな男性が大好きで、二人の時はいつだってこうしてキスをしていた。彼に就いて剣を習うことになってからは、いつまでも甘えてられないとけじめをつけたが、やはりこうして甘えてられるのは嬉しかった。ローファルもまた、我が娘のようにメリアドールを可愛がっていた。
「最近ね、イズが冷たいのよ。話しかけても素っ気ない返事ばかりで寂しいの」
「そろそろイズルードも姉離れの時期じゃないかな。どれ、寂しかったらいつでも私の胸に飛び込んでおいで!メリア!」
「ふふ、遠慮しておくわ、隊長さん」
 メリアドールが首を振ると、首もとにほつれた彼女の綺麗な髪の毛が軽やかに躍った。メリアドールは手早くフードを被ると身支度を整えた。そこには凛々しい騎士の顔があった。
 朝まだき。白々と明けゆく夜は、透明な空気を湛えていた。気の早い鳥たちがさえずり始め、それに唱和するかのように、どこからともなく歌声が聞こえてきた。
「朝の点呼までに戻らないと……ね、ローファル小父さん、外に誰かいるの? 昨日の人?」
 外に響く歌声が気になってしょうがないといった様子でメリアドールは尋ねた。
「そう、昨日来た人だよ。昨晩は騒々しくて悪かったね。気になるなら行って挨拶してくると良い」
「でも何て言えばいいのかしら……」
「行って、さっきの歌を褒めてやると良い。あれで素直な男だから喜んでくれるさ。薬草摘みの人手が足りないと嘆いていたな。ついでに手伝ってやるといいんじゃないかな、ほら、これは預かっておくから」
 ローファルはメリアドールの持っていた剣を取った。これは暗に、しばらく自由にして良いという事であった。隊長直々の暇をもらったおかげで、外が気になりそわそわとしていたメリアドールは喜んで小屋の扉をくぐっていった。あとにはローファルが一人残された。
「メリアももうすぐ20、もう20歳なのか……早かったな。あっという間だった」
 外の爽やかな空気に囲まれ、部屋には、物音一つしない静寂が漂っていた。かつかつと、ローファルは壁際まで歩くと、壁にもたれた。
「一人になるのは、意外と、寂しいものだな……」
 先程までメリアドールが握っていた剣を抱き締める。ずっと手元に置いておきたかった。このままずっと――。
 小屋の外には巣立ちの時を迎えたらしい若鳥が二羽、歌い交わしていた。
「潮時だな。巣立ちも自然の営み、神の摂理か――。せっかく外の世界に出たんだ、うんと可愛くなって帰ってくると良い――」

 祈りの歌、それがこの世で一番美しい言葉だと教会は教える。だが、他にも美しい言葉は世界に数多くある。愛の歌であったり、グレバドスの伝承が伝え残さなかった伝説の類、勇ましい戦士たちの物語。
「たくさん、お歌を知っていらっしゃるのですね。あの、素敵な歌声ですね。私、つい聞き入ってしまいました。ね、ドロワ様」
 クレティアンは後ろからおずおずと歩いてくる女性の気配を感じていた。もちろん彼女が誰なのかも知っている。
「なぁに、昔、吟遊詩人として世界を遊歴していてね…」
「ご冗談を。アカデミーで勉強していた方が詩人なんて」
「ふふ、お早う、ティンジェル嬢。昨日は失礼しました。ヴォルマルフ様のお嬢様と知っていればあんな騒々しい真似をしなかったものを…」
 お嬢様、そう呼ばれてメリアドールははっとした。そんな丁寧に名前を呼ばれたことなどなかった。気持ちが落ち着かず、不思議な感覚になる。
「お、お嬢様ですって…や、やめてください…」
「世が世なら貴方も立派な貴婦人でしょう。それに、たとえいかなる時代であっても女性は尊く、気高いもの。どうぞ気丈になってください」
 クレティアンはメリアドールの手を取るとキスをした。そして道を示した。
 こんなことをしてもらうのは初めてでとまどうメリアドールにとっても、その行為が何であるのかくらいは分かっていた。この人は私をエスコートしてくれているのだ。雨上がりのぬかるみを避け、草の上へとさりげなく誘ってくれている。それは分かっていても、その後どうすべきかは分からなかった。素直に付いていけば良いのだろうか。お礼を言うべきか。都会の淑女はこの時、どうするのだろうか。断って一人で歩いていくのが礼儀かしら。考えは堂々巡って、結局その場に棒立ちになったままであった。剣の道はきっちり教え込まれても、男女の社交については、誰も、教えてくれる人がいなかった。
「あの、どうしてドロワ様は私に良くして下さるんですか。まだ見習い騎士の私に……やっぱり、わたしが、団長の娘だから……」
「おや、これはローファルは本当に何も教えなかったと見える。お嬢様、男が興味のない女性をわざわざエスコートするとお思いに? まさか。分からないのなら私が教えよう、おいで――足元には気を付けて」
 ふわ、と身体が浮かぶような心地がした。
 それは初めての気持ちであった。嫌なものではなかった。この人の手の引く方へ、と身体が自然に動いた。

 

 

 道を歩いていたイズルードははた、と立ち止まった。視線の先にはメリアドールがいた。訓練の後でお互い声をかけ合う、姉弟のいつもの日常とそう変わるものはない。ただ一つ、メリアドールが両手に花を抱えていることを除けば。
「姉さん、どうしたの。花なんか持って珍しい」
「ドロワ様と一緒に薬草摘みに行ってきたの。根の部分しか使わないんですって。お花は捨てちゃうのかと思って聞いたら私にくれたわ」
 メリアドールは楽しそうに話す。
「ふぅん…それで、どうするの、それ」
「花は大切な人に贈るのものだって教えてもらったわ」
 じゃあオレにちょうだいよ、とイズルードは姉にねだったが、優しく一蹴された。
「だめよ、隊長にあげるの。イズも欲しかったら自分で摘むといいんじゃない?」
「それじゃあ意味がないじゃん…いいな、ローファルばっかり」
 それからしばらくの間、ローファルの机を野の花が飾ることとなる。それを見るたびクレティアンは嬉しそうにしていた。
 あたりには、ほんのり暖かな花の香りがあふれていた。新しい季節がやってきたのだ。