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*chapter3

     

  

     

  

 レディ・イゾルデがサー・バルバネスと一緒に向かったらしい場所はすぐに分かった。エッツェル城の羽番たちが行き先を聞いていた。彼らの話によると城の近くの森を抜けた先に今は廃墟になっている古城があり、どうやら二人はそこを目指したようであった。羽番たちは皆口を揃えて「ああ、あの古城に……」と神妙な顔で話した。何か不吉ないわれでもあるのだろうかとヴォルマルフは不安になった。ただでさえ面倒な事態を抱えているのだから、これ以上のもめ事に巻き込まれるのは勘弁してもらいたかった。エッツェル城に自分の従者を留守番代わりに残すと、ヴォルマルフは森の中の古城を目指してチョコボを駆けさせた――数分おきに神に祈りながら。
 ヴォルマルフは鬱蒼と茂る森の中を全力疾走しながら、これから会いに行くレディ・イゾルデのことを思った。彼女の境遇は実に波乱に満ちたものであった。ゼラモニアの由緒ある家に生まれた姫君であるにもかかわらず、祖国で暮らすこともできず宗主国のオルダリーアに捕らわれ、<人質>生活を余儀なく押しつけられていた。そしてゼラモニアとオルダリーアの間でとうとう戦争が起き、命からがらにゼラモニアへ逃げ帰ってきたかと思えば、勝手に望まぬ結婚を押しつけられる。レディ・イゾルデの結婚相手はアンセルム・デナムンダ・アトカーシャ――いずれイヴァリースの国王となる人物である。しかもアンセルム王子は初婚ではない。姫より一回りも年上の王子のもとへレディ・イゾルデは嫁ぐのである。王家に入れば自由など全くないだろう。つまり、彼女が自由の身でいられる時は昔もこれからも全くないのだ。なんと哀れな人生なのだろう! それが貴族の家に生まれた娘の宿命とはいえ、彼女のあまりの不自由な人生を思い、ヴォルマルフは心を痛めた。
 そして、ヴォルマルフは一人静かに決意をした――自分はレディ・イゾルデの駆け落ちを応援しようと。彼女が束縛の人生から逃れようとサー・バルバネスと一緒に城を抜け出したのなら、ヴォルマルフはそれを黙って見届けるつもりだった。もともと婚約破棄はアンセルム王子も望んでいたことだ。しかし姫が王家から逃げ出したとなれば、自らが取り決めた婚約が破談なるのだから国王は怒り狂うことだろう。そしてレディ・イゾルデの駆け落ちを見過ごしたヴォルマルフも相応の処罰を食らうことだろう。生きてルザリアの宮廷から帰れないかもしれない。しかし――構うものか。ヴォルマルフは騎士に叙されたときに淑女に礼節を尽くすという誓いを立てたのだ。騎士ならば騎士としてのつとめを果たすまでだ。

  

  

「ここは昔、ブルゴント城と呼ばれておりました」
 イゾルデはサー・バルバネスの手を引いて城の中を案内した。今は誰も住んでいない、森の中にある朽ち果てた古城である。二人は城門を抜け、中庭を通り過ぎていった。
「ブルゴント? ふむ……どこかで聞いたことがあるような気がします」
「ブルゴントはゼラモニアの昔の王都の名前です――オルダリーアに併合される前、この城ではゼラモニアの王族たちが暮らしていました」
 イゾルデはサー・バルバネスを連れて廃墟となったブルゴント城を歩いていた。城の中に入り、大広間の階段を上がると、そこには儀礼の際に使われていた一室があった。家財道具は全て持ち去られ、往事を偲ぶものは何もないが、当時、ここでは種々の祭事が執り行われていたはずだ。イゾルデは城の石壁にそっと手をあてた。
 ゼラモニアがオルダリーアに併合されたのはイゾルデが生まれるよりずっと前――およそ百年ほど前の出来事である。イゾルデは祖国の歴史についていくつかの出来事を伝え聞いていた。百年前、オルダリーアによる一方的な併合にゼラモニアは激しい抵抗をし、このブルゴント城ではおびただしい血が流されたと、イゾルデは祖国の悲劇の歴史について聞かされていた。
「レディ・イゾルデ。その昔、オルダリーアとゼラモニアの間で壮絶な戦いがあったと聞きます」
「ええ、そうでした。私の祖父のそのまた祖父の……ずっと前の時代のことです。でも結局、私の祖国はオルダリーアには勝てませんでした。その結果、ゼラモニアの王家の血筋も途絶えました」
 この廃墟となったこのブルゴント城を見れば、当時のゼラモニアとオルダリーアの間でどんな戦いが繰り広げられたのかを察することができる。ブルゴント城には生活のためのものはもう何も残されていなかった。城下町もろとも焼き払われ、略奪され尽くされたのである。わずかな領土とわずかな領民しか持たない小国ゼラモニアは隣国の大国ゼラモニアに蹂躙されるがままだった。しかし、ゼラモニアが併合された後もゼラモニア国民は抵抗を続け小規模な反乱は続いた。オルダリーアはこの反乱を鎮圧すべく画策し、ゼラモニアの貴族の妻子らをブラに<人質>として呼び寄せたのだった。イゾルデがゼラモニアで生まれてすぐにブラに預けられたのも、この因習のためだった。けれども、戦乱の傷跡が生々しい祖父や父の時代ならまだしも、イゾルデの時代には両国の間に表だった戦争はもはやなく、すっかり平和になっていた。イゾルデはブラの宮廷で、楽しく優雅な生活を送っていた。
「ほんの百年前まで、ここに都があったなんて……」
 イゾルデは朽ち果てたかつての王城の姿を見て、祖国の栄枯盛衰を感じた。今ならなぜ父が私をイヴァリースに嫁がせようとしたのか分かる気がする。小国であるゼラモニアがオルダリーアに立ち向かうのは不可能だ。でも、もう一つの隣国イヴァリースの力を借りれば、祖国の独立は果たせるかもしれない。祖国の独立、それは父だけではなく、ゼラモニアの民全体の悲願でもあるのだ。だとしたら、私がなすべきことはただ一つ。祖国のために、父の望む結婚をするのだ。
「レディ・イゾルデ、大丈夫ですか?」
「え、ええ……このお城に来たら、なんだか感傷的な気分になってしまいましたわ。私、自分の祖国がこんなに悲惨な目にあっていたなんて、こうやって自分の目で見るまで知りませんでしたわ。ブラではとても楽しい暮らしを送っていましたから」
「おそらく、それがオルダリーアの狙いだったのでしょう。戦争の記憶を薄れさせ、独立運動の士気を下げさせるための」
「だとしたら私はまんまとオルダリーアの思惑にはまっていたのですね……」
 母が「おまえの人生はおまえだけのものではない」と言っていたことをイゾルデは思い出した。まさに母の言う通りだった。
「サー・バルバネス、今日は私と一緒に来てくださってありがとうございます。私は、イヴァリースに嫁ぐ前にどうしても自分の祖国の旧都を見ておきたかったのです」
「嫁ぐ? あなたはご結婚されるのですか」
 サー・バルバネスは少し驚いた様子だった。
「ええ、でも、私はまだ夫の名前すら知らないんです。貴族の結婚にはよくある事だと聞きますけど。私の未来の夫はあなたにように親切な方だと良いのですけど……」
 イゾルデはほほえんでサー・バルバネスに言った。
「実のところ、私は何度も、もし私の未来の夫があなただったらと思っていたのです。想像してみてください、騎士さま――もう私は殺されるのだと絶望していた時に、私の目の前に立派な騎士が現れて私を救い出してくださったのです。あなたは私の希望の光でした」
「姫君にそう言っていただけるのは、騎士の至上の喜びでございます。あなたの言葉をわが身の光栄としたいものです――けれど、私には愛する妻がいるのです」
 サー・バルバネスのその返事を聞いてもイゾルデは少しも驚かなかった。サー・バルバネスの年齢では結婚していない方が珍しい。イゾルデも本気でサー・バルバネスに求婚されたいと思ったわけではない。ただ、オルダリーアから救い出してくれたサー・バルバネスに憧れと感謝の気持ち――心からの――を伝えたかったのだ。私の想いは騎士さまに伝わっただろうか? 
 サー・バルバネスは続けた。しかし、その言葉を聞いてイゾルデは胸がつぶれそうになった。
「――たとえ亡き人になろうと、私は今でも彼女のことを愛しているのです」
「それでは……奥様は……」
「はい。数年前に亡くなりました。ですが、息子が二人います。妻の忘れ形見です」
 イゾルデは息を飲んだ。亡き人のことを愛し続けるというのはどんな気持ちなのだろう。いくら愛を伝えたところで、その愛に応えてくれる人はもういない。なのにサー・バルバネスの言葉はあたたかく、この上なく幸せそうだった。
「奥様のことを、とても深く愛してらっしゃるのですね」
 私はこれから結婚にのぞむ身。夫となる人のことを、ここまで愛せるのだろうか。
「サー・バルバネス……一つ聞いてもよろしいかしら。愛とはどんなものなのでしょうか? たった一つの愛を生涯貫けるものなのでしょうか?」
「レディ、残念ながらその質問には私は答えられません。それはきっと、あなたが心から愛する人でなければ答えられないでしょう――」
 サー・バルバネスの返事にイゾルデは曖昧にうなずいた。未来の夫とこれから会い、そして一目で会った瞬間に恋に落ち深く愛し合う――そんなことがあるはずがない! 
 でも、まあ、人生ってそんなものよね。私は今の時代に生まれたことを感謝しなくては。もし、祖父の時代のゼラモニアで生まれていたら私は戦争に巻き込まれてあっさり死んでいたかもしれないのだ。私は生きるか死ぬかの選択をしなくて良いし、未来の夫はイヴァリースの富豪なのだから、衣食住に困ることもない。これって、とても幸せなことよね? イゾルデは心の中でそっと神に感謝した。
 その時、外でチョコボのいななく声がした。イゾルデが侵入者の気配に身構えるより早くサー・バルバネスは腰の剣に手をあてた。
「誰かが城に入ってきたな! レディ・イゾルデ、普段ここを訪ねる者はいるのですか?」
「いいえ! ゼラモニアの人間はめったにこの城には近づきません。ここには祖国の悲劇が眠っているのですから。でも、ここは昔の王城。大方が略奪されたとはいえ、城にはまだ王家の財宝が残っているという噂は絶えず、その財宝を狙った盗賊が出没しているようです――母からそう聞きました」
「盗賊か……集団でこられるとやっかいだな。レディ、私は外を見てきます。あなたはどうか安全な場所へ」
 サー・バルバネスは剣を持ったまま、階段を駆け下りていった。その姿のなんと頼もしいことだろう! イゾルデは走り去っていくサー・バルバネスにむけて背後から「気をつけて!」と叫んだ。戦場へ旅立つ騎士を見送る婦人はこんな気持ちでいるのだろうか、そんなことを考えながらサー・バルバネスに手を振った。
「さて、騎士さまは行ってしまったし――」
 一人になったイゾルデは城の地下を目指した。イゾルデは母親からこの城について色々なこと――城に眠る財宝のありかについても――を聞かされていた。
「さあ、盗賊に見つけ出される前に、城の財宝を探さなければ――そのために私はエッツェル城の宴会を抜け出してきたのだから」

  

  

 なんと不気味な城なのだろうか。
 森の中、ヴォルマルフが息を切らせながらチョコボを走らせてやっと辿り着いた先には四つの塔を抱えた巨大な城が建っていた。レディ・イゾルデとサー・バルバネスの二人が逃げ込んだという<ゼラモニアの古城>は昔の時代の遺跡か何かだろうとばかり思い込んでいたヴォルマルフは目の当たりにした城の立派さに驚いた。しかも城壁の中には町の残骸が散らばっていた。相当な大きさの城下町が繁栄していたに違いない。けれど、あたりに人気はなく、町のあらゆる場所が破壊され尽くされていた。
 瓦礫の山と化した城下町を抜け、ヴォルマルフは町の中心にそびえ立つ城を目指した。町がこの有様であるので、城の中の惨状を想像しただけでヴォルマルフは背筋が凍りそうになった。本当にこんな不気味な廃墟にレディ・イゾルデとサー・バルバネスはやってきたのだろうか――主人の不安な気持ちを察してか、彼のチョコボが甲高くいなないた。ヴォルマルフはすぐに下羽すると、愛羽の首筋を撫でてやった。「よしよし、落ち着くんだ。大丈夫だ」
 しかし、本当に大丈夫なのか? 破壊され尽くした城下町を見れば明らかなように、この城は相当な曰く付きな様子だった。エッツェル城の者が誰もこの古城の名前を言わなかったのもうなずける。これは戦争の跡だ。この古城には戦争の傷跡が生々しく残っている。
 ヴォルマルフはチョコボを近くの木につなぐと、おそるおそる城門に近づいていった。大扉は開いていた――というより、突き破られて破壊されたままになっていた。
「誰か居ないのか?」
 城に門をくぐるにあたり、ヴォルマルフは一応叫んでみたが、当然返事はなく、自分の声があたりにむなしく響きわたっただけであった。ヴォルマルフは姿勢を低くして、いつでも剣を抜き取れるように身構えて進んだ。こういう場所には敵がひそんでいるものだと、彼の直感が警告していた。彼の直感は正しかった。ヴォルマルフは城の地下へ通じる階段をそろそろと降りていった。すると、暗がりに誰かの気配を感じた。誰かが潜んでいる。こいつは城に忍び込んだ盗賊だな。そうに違いない。いつ襲われても反撃できるように、ヴォルマルフは剣を手をかけ、臨戦態勢をとった。
「そこに居るのは誰!」
 暗がりから聞こえてきた金切り声にヴォルマルフはたじろいた――彼の予想に反して、若い女性の声だったのだ。「城の宝を奪いにきた盗人ね!」
 しかも相手の女性は自分のことを盗賊と勘違いしているらしい。誤解を解かなくては、とヴォルマルフは慌てた。こんな場所に女性が一人で生活しているとは考えられない。おそらく、この女性がエッツェル城から逃げてきたレディ・イゾルデなのだろう。
「誤解です! 私はあやしい者ではありません!」
「嘘おっしゃい! 侵入者! 泥棒! 悪党! 今すぐそこをおどきなさい――」
 相手はありとあらゆる罵詈雑言の類をヴォルマルフに投げつけてきた。相手は相当気が立っている。足下でごそごそと石を引きずる音がした。ヴォルマルフが暗闇に目を凝らすと、風下に立っているレディが両手で石の塊を抱えている。階段に落ちていたものを拾ったのだろう。
 まさか私に投げつけてくる気ではないだろうな?
 本気で殴られれば致命傷にもなりかねない大きさの石塊である。しかも相手が王子の婚約者とあっては、実力行使をして阻止することも難しい。そもそも淑女に手をあげるなど騎士の名折れだ。
 相手に戦意がないことを示すため、ヴォルマルフは剣を腰におさめると両手を広げた。すると、ヴォルマルフの姿を見て、レディが再び鋭い叫び声をあげた。ヴォルマルフは困惑した。今度は一体何なのだ――
「あなた、後ろ!」
「え――?」
 ヴォルマルフは後ろを振り返った。視界を人影が横切った。
 今度こそ本物の盗賊だ! しまった!
 しかしヴォルマルフが剣を再び抜くよりも、男がナイフを取り出す方が素早かった。斬りつけられる感触がヴォルマルフの身体に走った。

  

  

 イゾルデの悲鳴をききつけ、サー・バルバネスはすぐに戻ってきた。イゾルデに襲いかかろうとしていた盗賊をその場でねじ伏せると、城の外へと追い出した。
「お怪我はありませんか?」
「私は大丈夫よ。でも――」
 イゾルデは、足下で気絶している若い男をちらりと見た。
「この人もお仲間かしら? もしそうなら縄で縛ってお堀に捨ててこようかしら?」
 サー・バルバネスは笑った。「これは頼もしい姫様だ! しかしこの人は――このこぎれいな格好はどうも盗賊には似つかわしくない。道に迷ったどこかの貴族の若殿でしょうな……」
 イゾルデは気を失ったままの若者の姿をまじまじと見た。明るい栗毛色のくしゃっとした髪の毛。紋織り黒ビロードの丈の長い上着を来ている。裾には複雑な装飾模様が縫いとられ、腰のベルトには宝石が散りばめられている。そして羽織ったマントの裏には毛皮がついていた。これは貂ではなくて? きっと良い身分の貴族の方なのね。それにしてもそそっかしい人なのね。盗賊に襲われるなんて!
「この青年は怪我をしているようですね。手当をしてあげないと。レディ・イゾルデ、この近くに休める部屋はありますか?」
「この上に控えの間として使っていた部屋があるはずです。そこへ行きましょう。サー・バルバネス、この人を運ぶのを手伝ってくださいますか?」
 幸運なことに彼の傷は深くないようだった。サー・バルバネスは軽々と若者を上の部屋まで運ぶと、慣れた手つきで介抱していた。
「お上手ですわね」
 サー・バルバネスは服の裂いて作った即席の包帯を若者の傷跡に巻いていた。
「こうういう荒事は戦場では日常茶飯事ですから――レディの前では見苦しい姿ではありますが」
「いいえ、どうぞお構いなく。私は血を見て卒倒するような姫君ではありませんもの」
「良かった。その言葉を聞いて安心しました」
 サー・バルバネスはそう言って腰を上げた。「では、私は外の見回りに行ってきます。レディ・イゾルデ、また怪しい者が現れたらすぐ呼んでください」
「大丈夫ですわ。部屋に内側から鍵を掛けておきます。あなた以外に素性の怪しい者は誰一人中にいれません」
 といっても、この若者が一番素性の怪しい人間なのだけれど――貴族の若殿がどうしてこんな森の中の古城にやってきたのかしら? 本当に道に迷っただけ? 実は貴族のふりをして城の宝を奪いにきた盗人なのでは? もしかしたらオルダリーアがゼラモニア向けて放った間諜かも? イゾルデの胸の中に様々な不安が去来した。もしそうだとしたらどうしよう。サー・バルバネスが出て行った後、一人残ったイゾルデは段々心細くなってきた。このまま落ち着かない状況でただサー・バルバネスの帰りを待っているのはつらい。イゾルデは相手を起こそうとして、おそるおそる声を掛けてみた。
「グーテンターク?」
 イゾルデはそっと彼の身体をゆすってみた。そのまま目を覚ます気配があったのでイゾルデはオルダリーアの言葉で話しかけてみた。
「<あなたはどなた? ご気分はいかが?>」
 相手は何のことだかさっぱり分からないという顔をしていた。オルダリーア語は通じなさそうね。よかったわ、敵国の間諜ではなさそうだわ。イゾルデは安心して相手に優しく微笑んだ。

  

  

 目を覚ましたら密室にご婦人と二人きり――これはかなり気まずい状況だ。
 ヴォルマルフは盗賊に襲撃されたところまでは覚えていたが、その後の記憶はさっぱりなかった。冷たい石の床の上で意識を取り戻したが、目の前には息をのむような美しいブロンドの髪の女性が座ってこっちを見つめている。階段で自分を殴り飛ばそうとしていた女性は間違いなくこの人だ。しかし困ったことに彼女は異国の言葉を話している。どうしてこんな状況になったのか、ヴォルマルフにはさっぱり分からなかった。
「あなた具合はよろしくて? そう聞いたのよ。どう? 傷は痛むかしら?」
 ヴォルマルフが困惑していると、相手の女性がイヴァリースの言葉で言い直してくれた。
「え、ええ……気分は……大変悪いです」
 それが正直な気持ちだった。身体の傷はまだ痛んだが、それ以上に精神に負った傷の方が大きかった。婦人の前で昏倒しておいてしておいて、気分が爽快になれるはずがない。
「あなたのお名前を伺ってもよいかしら? 私はイゾルデ。オルダリーアから来たけれど、生まれはゼラモニアよ。でももうすぐイヴァリースに嫁ぐの」
 ああやっぱり、この人がレディ・イゾルデだった。確かに、アンセルム王子の婚約者だ。そんな方に寝たまま挨拶をする訳にはいかない。ヴォルマルフはすぐに飛び起きて、レディ・イゾルデに一礼をした。
「ご気分がお悪いのでしょう? 座ったままでもよろしくってよ」
「いいえ、そんな横着をする訳にはいきません。レディ・イゾルデ、やっとお会いできました――私はヴォルマルフ・ティンジェルと申します。ルザリアの騎士です」
「騎士ですって!」
 ヴォルマルフが名乗った途端にレディ・イゾルデは笑いだした。口元を袖で隠しているが、おかしくてしょうがないといった風情だ。ヴォルマルフは居心地が悪くなったが、醜態をさらした後なので何も言えなかった。
「あなた騎士さまだったのね……ふふ。てっきりその剣は飾り物だとばかり思ってたわ」
「私はオムドリア国王から直々に金の拍車を授けられた真っ当な騎士です!」
 レディ・イゾルデがあまりに笑いをかみ殺しているので、ヴォルマルフはあわてて付け加えたが、言い訳がましく聞こえてしまい自分でも情けなくなった。
「うふふ……これは失礼! あなたはルザリアの騎士さまなのね。ルザリアってイヴァリースの王都でしょう? 都の方だったのね。どうりで綺麗な服を着てらっしゃるわけだわ。それでサー・ヴォルマルフ。どうしてこんな森の中を歩いてらっしゃったの? この城はゼラモニアの人間でもめったに近寄らない場所だわ」
「レディ・イゾルデ……その件について大切なお話があります。私は、さるお方のお使いで参りました――私はあなたの夫となる方から、あなたをお迎えするように仰せつかった使者です」
「まあ! 私の未来の夫はどんな人かしら?」
「イヴァリースの次なる王であらせられるアンセルム・デナムンダ・アトカーシャ殿下でございます」
 レディ・イゾルデはしばらくきょとんとした顔でヴォルマルフのことを見つめていた。夫が王子様だというのだから、彼女が驚くのも無理はない話だとヴォルマルフは思った。けれどすぐにレディ・イゾルデは笑い出した。
「うそうそ! サー・ヴォルマルフ、あなたは私をからかいにきたのね! イヴァリースの王子様が私に求婚するなんてたいそうな冗談だわ」
「いいえ。これは真実です。私が王家より使わされた証拠をお見せしましょう――殿下から貴女にと直々に授かった宝石があります」
 どうやらレディ・イゾルデは全く信じてくれないようであったので、ヴォルマルフは王子から預かった宝石を見せることにした。天蝎宮の印が刻まれた深紅の宝石だ。あれはイヴァリースの一つしかない貴重な財宝だった。道中、絶対になくさないようにと革袋に入れて大切に持ってきたのだった。それを取りだそうとして――ヴォルマルフは気づいてしまった。革袋がないぞ。額を冷や汗が流れた。嫌な予感がする。
「レディ……付かぬことをお聞きしますが……私が気を失っている間に、これくらいの大きさの、革袋を……お見かけしなかったでしょうか……」
「袋? ああ、そういえばあの盗賊が持っていったかもしれないわ」
「ファーラム!」
 ヴォルマルフは血の気が引いて、その場に倒れ込んだ。また卒倒しそうだった。「なんということだ! 目利きの盗人め! 最初からこれが狙いだったのか――あの中には王家の宝が入っていたというのに!」アンセルム王子は何より血が流れるのを嫌う穏和な方だったが、さすがの殿下も使いにやった騎士が王家の宝を紛失してきたと聞けばヴォルマルフの首をはね飛ばすかもしれない。ヴォルマルフはしゃがみ込んで膝の間に顔を埋めた。
「大丈夫?」
 レディ・イゾルデはそう言って一応はヴォルマルフを気遣ってくれていたが、声をあげて笑い転げていた。これは笑われても仕方ない大失態だ!
 ヴォルマルフは膝のあいだに頭を押し込んで彼女の笑い声をきくまいとしていた。

  

  

 まるで困った騎士さまだこと! 
 城に迷い込んだ若者が自分の婚約者の使いと名乗るのだからイゾルデは驚いた。しかもその人は王子の使いと言っているのだから驚きもさらに増した。私の夫が王子様だというのは本当のことかしら、とイゾルデはしばらくの間考え込んだ。けれど、その懊悩もすぐに吹き飛んだ。王子の使者らしいサー・ヴォルマルフは大切な贈答品――それは王子様から私に贈られるはずだったものだ――をなくしたというのだ!
 イゾルデはこらえきれずに身体を二つに折って笑い転げていた。あまりにそそっかしい騎士さまだわ! この人は一体何をしにここまで来たのかしら!
 けれどサー・ヴォルマルフはうずくまったまま顔を上げない。立ち上がれないほど意気消沈している。イゾルデはすっかりしょげきった若騎士の姿を見て、ひどく哀れに思い、なんとかして慰めてあげたくなった。イゾルデはサー・バルバネスの頭をそっと撫でた。柔らかい髪の感触がイゾルデの手に伝わった。かわいそうな人! ずっとこうして撫でてあげたくなる。
「お願い、どうか元気を出して。もしかしたらサー・バルバネスが戻ってくる時にその袋を見つけてきてくださるかもしれないわ」
「ですが……あれは王家にたった一つしかない、この上なく貴重な宝石なのです。なくしたとなれば、私は王家にとんでもない損害を与えてしまったことになる……ああ! 私は生きてルザリアに帰れない」
「大丈夫よ。だってその贈り物は私のものになるはずのものだったのでしょう。私が見なかったことにしてあげるわ。そうしたら誰にもばれないでしょう? このことは誰にも言わないわ。私が共犯者になってあげる」
「レディ・イゾルデ……」
 涙目でイゾルデを見つめるげるサー・ヴォルマルフの姿をはイゾルデの中に眠っていた母性本能を呼び覚ました。思わずイゾルデはこのまま彼を抱きしめてあげたくなった。けれどそれはさすがに婚前の淑女のマナーに反するだろうと思ったので、心の中で思うだけにとどめた。
 そうだわ、良いことを思いついたわ! イゾルデの脳裏にある名案がぱっと思いついた。
「あなたに案内したい場所があるの。ついてきてくださる?」イゾルデはサー・ヴォルマルフの手を引いて立ち上がらせた。「歩ける元気は残ってる?」
「え、ええ! もちろん!」
「そう。それは良かったわ――こっちよ。この部屋のすぐ下」
 イゾルデは控えの間を出ると、地下へ通じる階段にサー・ヴォルマルフを引っ張っていった。階段の途中に隠し通路があるはずだ。
 隠し通路の先に小さな小部屋があった。壁には小ぎれいな棚があつらえられており、金の燭台やら宝石箱やら綺麗な装飾品が飾られていた。床にはたくさんの衣装箱がいくつも並んでいた。よかったわ。ヒルデ母様の言っていたとおりだわ。イゾルデは喜んだ。
「レディ、イゾルデ。この部屋は……? 見たところ財宝部屋のようですが……」
「そうよ、財宝庫。ここ――ブルゴント城は昔ゼラモニアの王族が住んでいたの。オルダリーアとの戦争の時に城の大部分は略奪されたけれど、まだゼラモニア王家の宝がどこかに隠されているという噂が絶えないわ――その真実がこれよ。まだ地下へ続く通路があるわ。地下にはもっとたくさんの財宝が残っているはずよ」
「そうだったのですか……ですが、どうしてあなたがこの財宝の在処を?」
「私の母が教えてくれたの――このお城は母のものだから」
「ですが、先ほど、この城は王家のものだったと……ということはお母様は王族の血を引いているのですか?」
「そう。でも王家といっても傍流のね。直系の王家はオルダリーアに滅ぼされてしまったわ」
 イゾルデの母ヒルデはゼラモニア王家の血筋をわずかに引いていた。だから城を継ぐ直系王家の人間が滅びてしまった後、イゾルデの母がこのブルゴント城を密かに相続したのだった。けれどそのことはイゾルデの親族でもほんのわずかな者しかしらない極秘の事実とされていた。ゼラモニア王家の人間がまだ生き残っていると分かれば、オルダリーアに命を狙われるからだ。イゾルデはゼラモニアに戻ってきた時に母からそっとその事実を教えてもらった。
「サー・ヴォルマルフ。このことは誰にも秘密にお願いいたします。オルダリーアの者にばれたら、私も、母も殺されてしまいます」
「もちろん。ですが……そのような重大な秘密をどうして今日会ったばかりの男である私に?」
「だって、その方がフェアでしょう? 私はあなたの秘密――王家の秘宝をなくしたという大変な秘密――を知ってしまったのよ。だから私もあなたに、私だけの秘密をさしあげます」
「レディ・イゾルデ……あなたのそのお優しいお心遣いに感謝します。貴女に誓って私はこの秘密を口外いたしません」
 イゾルデはうなずいた。秘密の共有。さっき出会ったばかりだというのに、二人の間に特別の関係が生まれた気がした。言葉にできない、密やかな信頼関係だ。
 イゾルデは部屋を見回した。数え切れないほどの財宝が残っていた。どうやらこの部屋は盗賊たちに暴かれることはなかったらしい。イゾルデがエッツェル城の宴席を密かに抜け出してブルゴント城にやってきた理由はこの財宝を持ち帰るためだった。彼女の母ヒルデは、ブルゴント城に残された莫大な財宝を娘に分け与えたのだった。イゾルデの父親は嫁に出る娘に相応の持参金を持たせていたが、それは全て夫のものとなる。そこで母ヒルデは娘が自由に処分できる財産を与えたのだった。ブルゴント城に残されたものは自由に使って良いし、いつでも好きな時に処分して良い――と。イゾルデは母の優しさに感謝した。そしてイヴァリースに嫁ぐ前に自分の財産を貰っておくつもりだった。そこでサー・バルバネスに頼んでブルゴント城に連れてきてもらったのだった。
「――それで、あなたが私にくださる宝石はどんなものだったのかしら? たしか天蝎宮のしるしが刻まれた宝石とおっしゃいましたわね」
 イゾルデは話しながら次々と宝石箱を開け、サー・ヴォルマルフがなくした宝石に似たようなものがないか探していた。
「ええ、深紅の色をしたクリスタルです。それは綺麗なものでした――あなたにお見せできないのが残念です」
「天蝎宮……さすがにここにはサソリをあしらったものはないわね。あら――でも良いものが見つかったわ。これはどうかしら」
 イゾルデは金細工に深紅のルビーをはめ込んだ薔薇のブローチを見つけた。手のひらにすっぽりとおさまる大きさのものだ。それを満足そうに見つめると、サー・ヴォルマルフに手渡した。
「さあ、これをあなたに差し上げます。どうぞ受け取ってください。その宝石はかつてのゼラモニア王家のもの。大国であるイヴァリース王家の財宝と同じ価値があるとは思えないけれど、それでも同じ王家の財宝よ」
 イゾルデはサー・ヴォルマルフに薔薇のブローチを押しつけた。サー・ヴォルマルフはそれを受け取ったものの。どうして良いのか分からず困惑していた。「レディ・イゾルデ……これは?」
「そうしたら――さあ、その薔薇を私にくださいまし。王子様からのプロポーズを伝えるのに手ぶらでは格好がつかないでしょう?」
「ああ、そういうことでしたか。重ねてのお心遣い感謝――」
「それはいいから! はやく!」
 イゾルデは至極丁寧にお礼を述べ始めたサー・ヴォルマルフせっついた。サー・ヴォルマルフは両手でブローチを持ったまま、その場で固まっている。緊張しているのかしら? それとも女性を口説いたこともない奥手な人なのかしら?
 それでもイゾルデは辛抱強く待った。そして、やっとのことでサー・ヴォルマルフがひざまずいて、おずおずとルビーの薔薇を差し出した。
「殿下からの愛をお渡しします」
 長い時間をかけてやっと彼の口から出てきた、たった一言だけのプロポーズ。イゾルデはまた笑いそうになった。この人はとんでもなく不器用で――だけど誠実な人ね。
「その愛を私の至上の喜びとして、お受け致します」

  

  

  

>Chapter4