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*chapter1

     

  

     

  

 デナムンダ王がブラを攻め落としたらしい――朗報はすぐにイヴァリースの王都にも届けられた。その興奮は直接戦地に赴かずに宮中の護衛の任についていた騎士たちにも十分に伝わったようだった。
「伝令によるとデナムンダ王の勝利には北天騎士団の将軍サー・バルバネス・ベオルブが大いに貢献したという。オルダリーアに軍配を上げて上機嫌の陛下はその場でサー・バルバネスに天騎士の称号を授けたらしい」
「そうか、それは名誉なことだな」
 ヴォルマルフはルザリアの宮廷で遠い戦場の様子を友人から伝え聞いていた。天騎士といえば騎士の最高の将軍だ。サー・バルバネスの素晴らしい戦いぶりを想像して、ヴォルマルフは心の底から羨望を感じた。
 ヴォルマルフは二十二歳。成人してようやく一人前と認められた若き騎士であった。濃いブラウンの髪に、髪色と同じ色の瞳を持っていた。その端正な顔つきと礼儀正しく穏やかな物腰のおかげで宮廷での評判は高かったが、一方の本人はそういった噂話や他人の名声といったものには大した興味を持たない宮廷ではやや珍しい部類の人間であった。ヴォルマルフはオルダリーアへの侵攻作戦には直接参加しないで王都に残った騎士の一人だった――彼は遠征中の国王に代わって王都を守る王子付きの騎士なのであった。
「しかし、いくら鴎国の首都とはいえ、陥落させるまでに随分と時間が掛かったものだな」
 友人にそう言うと、ヴォルマルフは国王がオルダリーアに宣戦布告をした日のことを思い出した。その時、ヴォルマルフはまだ十歳かそこらだった。つまり、オルダリーアへの宣戦布告から十年近くが経過していることになる。十年という月日は以外と長い。国王の布告を聞いたときはまだ見習い騎士であったヴォルマルフも十年経った今や立派な騎士である。
 この十年の間、ヴォルマルフはこの戦争で騎士として戦い、手柄を立てたいと密かに思っていた。けれど、畏鴎両国の間で表だった戦闘はなく、膠着状態が続いていた。十年。その長い年月の間にヴォルマルフは戦さで功績を上げるという夢を忘れかけていた――しかし、バルバネスが国王のために戦い天騎士の称号を得たというたった今飛び込んできた朗報は、ヴォルマルフの忘れかけていた夢を再び思い起こさせた。彼も騎士である。戦さで手柄を立てて功績を認められることは騎士の誉れだ。そしてサー・バルバネスのように自分の騎士団を持てたなら――騎士ならば誰でも憧れるようなたわいもない、ありふれた夢だ。だが武家の棟梁の出ならまだしも、ただの名もなき地方貴族の出であるヴォルマルフには果てしなく遠い夢だった。
「十年もかかったか。たしかに長いといえば長いが……」
 ヴォルマルフの話相手となっているのは彼の宮廷での親友フランソワだった。彼はヴォルマルフより五歳年上で、宮廷で見習い騎士をしていた頃から何かと面倒を見てもらっていた。
 彼らは代わり映えのない宮廷生活の退屈さを紛らわせるために、華やかな戦場の出来事に思いを馳せていた。
「デナムンダ大王がオルダリーアに宣戦布告したのはゼラモニア独立支援のためだった――少なくとも、表向きには」
「フランソワ、詳しいのだな。私はその頃まだ十歳だった。政治のことはよく分かっていなかった」
「大王は、オルダリーアのディワンヌ王亡き後の王位継承に納得がいかなかったのさ。デナムンダ王と鴎国のヴァロワ王は仇敵同士だ。畏鴎両国がゼラモニアを挟んでにらみ合っているという寸法だ」
 フランソワは宮廷の侍従長官の息子だった。その家柄もあってか、国内外の情勢に通じていて国王の動向にも詳しかった。また、彼はヴォルマルフと違って剣をふるう騎士ではなくペンを持った詩人であった。フランソワのような宮廷詩人の役目は宮廷の内外の出来事を詩にしたためて、王の権威を誇示することである。つまり、彼は情報屋であり、こういった世情に通じた人なのである。逆にヴォルマルフはこういった分野にはてんで疎いのであった。
「しかし、この十年で両国の間に目立った戦闘はなかったではないか。戦争は終結したのだと私は思っていた」
 ヴォルマルフは言った。戦争が終わったのなら戦場で手柄を立てる機会もないだろう、とずっと落胆していたのだ。
「あくまでこの戦争の名目はゼラモニアの支援であったからな……ゼラモニアはオルダリーア戦闘を仕掛ける気がなかったのだ」
「なぜだ? 王国の独立は民の希望ではなかったのか」
「勿論そうだろうよ。だが、それを見越してオルダリーアが先手を打ったのだ。ゼラモニアの旧王家の血を引く諸侯や彼らの妻子をブラの宮殿に迎え入れたのだ。つまり、オルダリーアは<人質>を取ることで反乱を事前に鎮圧させたのだ」
「そうか……」
「オルダリーアの目論見通りゼラモニアはこの十年、宗主国であるオルダリーアに反乱を起こすことなく服従していた。だが、不満を募らせたのは我らが国王だ。ゼラモニアと同盟を結ぶことでせっかくオルダリーアに侵略する口実が出来たというのに、当のゼラモニアは進軍に乗り気ではないのだから話にならない。しばらく様子を見ながら進軍の機会を眈々と狙っていたのだが――とうとうしびれを切らしたのだろう。国王は誰が見てももう老体だ。老い先が短いことを悟り、死ぬまでにヴァロワの首を取りたいと考えたのだろう。此度のブラ侵攻も、おそらく我らが国王が重い腰のゼラモニア諸侯に圧力を掛けて挙兵させたのだろう」
「陛下らしいやり方だ」
 ヴォルマルフはルザリアの宮殿で長く暮らしていたので国王の人となりについてはよく知っていた。泣く子も黙る戦大王、というのがデナムンダ王のひそかな渾名だった。もっとも、王はイヴァリース各地での狩猟に明け暮れており宮殿にいることは滅多になく、王国の内政については王の嫡子であるアンセルム王子に任せっきりであったが。
「まあ、勢いがあって精力旺盛なのは良いことだ。戦大王のおかげでイヴァリースは他国の侵略を免れている。そもそもデナムンダ王とヴァロワ王との間に確執が生まれたのは、鴎国の先代の国王が跡継ぎも作らずに死んだせいだ。その点では、我らが国王陛下は安心だ。正嫡の王子も王女もいるし、庶子にいたっては数え切れないほど作ってしまったのだからな」
 フランソワは笑いながら話した。ヴォルマルフは彼の皮肉屋な性格をよく知っていたので、人前であまり王の批判はするなよ、とだけ親友に告げた。親友が宮廷で敵を作らないようにと思っての忠告である。ところがフランソワはヴォルマルフの心配も気にせず「批判精神は詩人の美徳の一つさ」と返した。

  

  

「サー・ヴォルマルフ、殿下がお呼びです」
 折しも、フランソワと王に関する不穏な話をしていた最中だったので、急いできたらしい王子の小姓に名前を呼ばれたヴォルマルフはその場で飛び上がらんばかりに驚いた。心臓が止まるかと思った。なのにフランソワは涼しい顔をしている。ヴォルマルフは親友をにらみつけた。
「私に何の用だ?」
「殿下が<内密かつ重大なお話>があるので至急来て欲しいとのことです」
 息を切らして走ってきた小姓はヴォルマルフに王子の伝言を伝えた。ヴォルマルフは何のことやら察しかねて首をかしげた。そしてあまり深刻な事ではないと良いのだが、と気乗りのしない腰を上げた。
 小姓に案内されてヴォルマルフが通されたのは王のプライベートな私室だった。アンセルム王子は臙脂色の丈の長い長衣を着て部屋の机に向かっていた。机の上には一通の手紙が置かれていた。王子がそれを深刻な表情で見つめているので、それが重要なものであるとすぐにヴォルマルフは分かった。
「お呼びですか、殿下」
「おお、さっそく来てくれたかヴォルマルフよ。これを見よ。父上が私に手紙を寄越したのだ」
「陛下が……そういえば陛下はゼラモニアで素晴らしい戦果を上げられたそうですね。先ほど私らのもとにも戦報が届きました」
「そうだ、それが問題なのだ。私を悩ませるのはいつも父なのだ」
 アンセルム王子は長いため息をついた。アンセルム王子はアトカーシャ王家の人間に共通した美しい容貌――ブロンドの巻き毛――を持っていた。王子は王家の象徴でもあるその綺麗なブロンドの髪を長くのばしていた。彫りの深い顔立ちもあって、王子はその場にたたずむだけで肖像画のように美しい人であった。彼は容貌こそ父である国王とそっくりであったが、性格は真逆であった。デナムンダ国王が血気に盛んな戦大王であるのに対して、王子は温厚で柔和な気質だった。芸術と音楽をこよなく愛し、父である国王と一緒に鴎国遠征に行くこともなかった。アンセルム王子は遠征中の国王不在の代理として王宮で政務にあたっている、というのが表向きの理由であったが、実際のところは王子が剣を持って戦うことを好まないからだということを臣下たちは薄々察していた。
 そのアンセルム王子が非常に険しい表情をしている。視線の先にはデナムンダ国王から届いたらしいの手紙が置かれている。
 また陛下が無理難題を押しつけてきたのだろうか、とヴォルマルフは思った。国王の縦横無尽な振る舞いに王子が手を焼いていることをヴォルマルフは知っていた。
「ヴォルマルフよ、これを見よ――この手紙によると父はブラを攻め落とし種々の戦利品を手に入れたらしい。オルダリーアからは勿論のこと、ゼラモニアからも同盟と協力の見返りに少なからぬ財を受け取ったようだ」
「それは良きことです――陛下に栄光を。イヴァリースの繁栄は陛下のおかげです」
「父はこう書いている――『私はおまえに、私が手に入れた中で最良のものを与える』と」
「……それは何でしょう?」
「妻だ。どうやら父はゼラモニア貴族の娘をもらったらしいのだ。つまり私にオルダリーアから連れてきたゼラモニア貴族の娘と結婚せよと命じている――だが私はその結婚に気乗りがしない。父の望む結婚など私は断る」
「左様でございますか……」
 さすがにデナムンダ国王は齢五十を超えている。老体の身とあっては若い娘と釣り合わないと感じ、息子に若妻を譲ってやろうと思ったのだろうか。
「父はどうやら私に相談することなく話を進めたようだ。その娘をゼラモニアまで迎えに行き、ルザリアまで連れてくるようにと父は私に命じている。ヴォルマルフ・ティンジェル。私は父である国王の名の下に、おまえにその護衛の任を命ずる」
 王子の婚約者。つまり未来のイヴァリース王妃となる人を迎えにいくのだ。ヴォルマルフは冷や汗をかいた。これは大任すぎる。とても二十才そこらの若者に任せる護衛ではないだろう。つまり、何か事情があるのではないか。ヴォルマルフは不審に思った。
 彼の思惑は当たった。アンセルム王子はこう付け足したのだった。
「――だがもう一つ、アンセルム・デナムンダ・アトカーシャの名の下に命ずる。娘に会い、この望まぬ縁談を穏便に破棄せよ――」

  

  

「ヴォルマルフ。どうした? 干上がった魚みたいな眼をしてるじゃないか」
 アンセルム王子の私室を辞し、ヴォルマルフはフランソワの場所に戻ってきていた。王子との話の内容が気になるフランソワにせっつかれていたが、当のヴォルマルフは上の空だった。まだ王子の言葉が脳裏にこびりついていた。
「ヴォルマルフ! おい、どうしたんだよ。殿下の私室に呼ばれるとは随分な話じゃないか。大事な任務を任されたんじゃないのか?」
「ああ――婚約を――」
「婚約! とうとうおまえも結婚するのか! 殿下が仲人か? それは素晴ら――」
「違う! 私ではない――殿下の婚約だ。陛下の命令で殿下の婚約を取り持つように言われ、殿下の命令で陛下の婚約を破棄するように言われた」
「おいおい、俺にも分かるように話せ。おまえが何を言っているのかさっぱり分からん」
「つまりだな――」
 ヴォルマルフは順を追って説明をした。
「なるほど。おまえはこれからゼラモニアまで殿下の婚約者を迎えに行き、そして婚約者を説得して婚約を破棄させるのか。殿下はあくまで相手方の都合で婚約を取り消すという流れにしたいのだな」
 フランソワは興味津々という顔で腕を組んだ。
「そうだ。アンセルム殿下は父である陛下の決めた縁談を表だって破棄することを望んでいない。だが、それでもこの婚約は王の取り決めなのだ。破談になったら王の怒りを買うのは間違いない。つまりこの任務に就いた私は宮廷での地位を失う――せっかく騎士になれたばかりだというのに――それどころか、もしかしたら首が飛びかねない」
「だが、そのゼラモニアの姫様を婚約者としてルザリアに連れてきてしまえば、今度は王子の機嫌を損ねるという訳か」
「どちらにせよ、私が宮廷で出世できる望みは絶たれることになる」
 ヴォルマルフは我が身のことを思い、その場に倒れ込みそうだった。どうすれば良いのだ。アンセルム王子が強権的な国王に振り回されているのを知っているヴォルマルフは、なんとか王子の力になりたかった。けれど、大した肩書きもない一介の騎士がこじれた王家の結婚問題を解決するのはどう考えても不可能だ。
「まあまあ、そう悲観的になるなよ。おまえがうまく立ち回ればその悲劇は回避できる。要は、姫様の気を反らせて、ゼラモニア側からこの婚約を破談にさせるようにし向ければ良いのだろう?」
 これはおもしろい事になったとばかりにフランソワは楽しげな素振りを見せていた。ヴォルマルフはあきれた。これだから詩人の友達は持つべきではない。考えるより先に口から言葉が出てくる。
「フランソワ! 事の重大さを分かって話しているのだろうな! この任務はイヴァリース王家の将来が――私の未来も――かかっているんだぞ! 王子の婚約者はゼラモニア貴族の娘だという。イヴァリース王家と血縁関係になれるチャンスをわざわざ捨てるとは思えない」
「父親はな。だが娘はどうだ? 故郷を離れて見ず知らずの男のもとに嫁ぐ気になるか? しかも彼女は今までずっと祖国を離れて敵国で<人質>として暮らしていたんだろう。女心を読めよ。彼女の気持ちを考えれば分かるだろう。それだけさ。簡単なことだろ」
「女心など分かるものか。私はまだ結婚もしていないというのに――プロポーズをする前に破談の策略を仕掛けにいかなくてはならない」
 女心! そんなものが分かるはずもない。なのに縁談の調停役をしなければならないとは皮肉なことだな、とヴォルマルフは思った。
「しかし、なぜ王はゼラモニア貴族の娘を王家に迎え入れようと思ったんだ?」とフランソワ。
「さあ。だが、殿下が結婚に反対する理由は察しがつく――陛下の干渉を退けたいのだろう。」
 アンセルム王子はヴォルマルフやフランソワより一回り年上のまだ若き王族だった。父親であるデナムンダ国王は独裁君主として采配を振り続け、息子にふさわしい結婚相手を見つけてきた。そう、アンセルム王子は既に結婚していた。だが、不幸なことに王子妃は流行病で二年前に帰らぬ人となっていた――次々代のイヴァリース国王となるであろう跡継ぎ一人を残して。
 ヴォルマルフは王子付きの騎士として、王子夫妻のことをよく知っていた。アンセルム王子は政略結婚とはいえ王子妃のことを愛していた。だからこそ、妃亡きあと数年も経たずに、再び国王から結婚を押しつけられるのは我慢がならないのだろう。ヴォルマルフは王子に同情した。王子の望みのためならどんな労力も厭わないとさえ思っているのであるが――
「フランソワ。私はこの任務を果たすべきなのか分からなくなってきた。陛下の真意は定かではないが、ゼラモニアとイヴァリースの同盟を維持したいとお考えなのだろう。だとしたら、私はイヴァリースの騎士としてこの結婚を取り持つべきではないだろうか――それとも、やはり仕えるお方の為に忠義をしめして、殿下のお心の平穏の為に働くべきだろうか。どちらが良いのか私にはさっぱり分からない」
「ふむ……」
「それに、気がかりなのは婚約者の娘のことだ。<人質>としてブラで幽閉されて育ったのだろう。そしてやっと祖国に帰還することができたかと思えば、息つく暇もなくすぐに他国の王家の見知らぬ人間のもとへ嫁がされるのだ。不憫な運命だと思わないか?」
「小国の貴族の宿命だな」
「彼女にとって、この結婚は望ましいものではないかもしれない――だが、こう考えることもできる。殿下は結婚に乗り気ではないとはいえ、温厚なお方だ。跡継ぎがいるからといって後妻の王子妃を冷たく見放すような性格ではない。けれど、もし、この婚約が破談になれば、彼女はまたどこかの貴族と結婚させられるのだろう。その未来の夫がアンセルム王子のように柔和な人柄である保証はない。妻に手を挙げる横暴な夫である可能性だってある。つまり、私の決断が彼女の一生を左右することにな――」
「分かったよ――おまえがごちゃごちゃと考える性格なのは分かった」
「フランソワ! おまえはもっと真面目に考えろ! イヴァリースの王国の未来と殿下とその婚約者の未来も私の決断一つに懸かっているんだ」
「ヴォルマルフ。もっと肩の力を抜けよ。俺たちはまだ二十代なんだ。国の将来と娘の人生を担ぐにはまだ若すぎる」
 ヴォルマルフは眉間にしわを寄せている。彼が勤勉で堅実な性格なのはフランソワも十分承知している。その誠実な人柄あってこそ王子の信頼を得てこのような大役を任されたのであろうが――どうやらこいつには少々荷が重すぎるようだ。
 ふと、フランソワの脳裏にある計画がよぎった。
「そうだ! おまえがその姫さんと結婚すればいい。そうすれば婚約破棄もできる、彼女の将来も安心だ。名案じゃないか?」
「馬鹿! 相手は殿下の婚約者なのだぞ! そんなことをしでかしたら私が王子の婚約者を寝取ったと思われるだろうが!」
 親友の突飛な発言にヴォルマルフは吹き出した。何が「名案だ!」だ。そんな計画を立てようものならヴォルマルフの宮廷での地位が危ぶまれる。
 ヴォルマルフは小さくため息をつくと思った。戦で手柄を立て、自分の騎士団を持つ――そんなことは夢のまた夢だと。

  

  

  

>Chapter2