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*chapter2

     

  

     

  

「王様の戦いに参加してもいないのに、ご主人様は何のご用でゼラモニアまで行くのですか?」
 王と王子の密命を受けたヴォルマルフは急いでゼラモニアに発つべく、厩舎で旅の準備をしていた。ヴォルマルフの従者は主人の荷造りを手伝いながらも、旅の目的が気になって仕方がないといった様子で彼に尋ねた。「そうだな……」ヴォルマルフは何と答るべきか迷った。
 アンセルム王子の婚約はまだ公表されていなかった。いずれ王自身が公にするのだろう。そのため、ヴォルマルフの任務は極秘事項だった。ヴォルマルフは王子から婚約者に渡すようにと託された宝石を自分の旅袋にそっと詰め込んだ。この旅の目的――王の婚約者を迎えにいくことは誰にも漏らしてはいけない重大な機密だ。ヴォルマルフは自分の従者にさえもこの秘密をばらすまいと決めていた。
「ご主人様? この綺麗な宝石は何に使うのです? 誰かに贈るのですか」
 ヴォルマルフがちょっと目を離した隙に、彼の従者は主人の荷物の中身を盗み見たらしい。燃えるような深紅の輝きを持つ宝玉を彼は手にしていた。それは中央に天蝎宮の紋章が彫られている王家に伝わる宝玉であり、ヴォルマルフがアンセルム王子から託された宝石の中でも特に貴重なものだった。
 ヴォルマルフはそれを慌てて取り上げると、従者を叱った。
「キンバリー! 主人の荷物を勝手に開けるんじゃない」
「だって、さっきからご主人様はずっと上の空で、何も答えてくださらないから」
 少年は主人に怒られて不満げに言い訳をした。
「おまえの主人はな、これからゼラモニアに女を口説きに行くんだ。その宝石は麗しきご婦人への贈答品だ。勝手にさわるんじゃないぞ」
 ヴォルマルフが従者の扱いに手をこまねいている最中、そこに割って入ってきたのはフランソワだった。彼の言葉を聞いて、少年は楽しそうな笑顔をヴォルマルフに向けた。
「ご主人様も一人前の騎士だったのですね」
「キンバリー! さっきから荷造りの手が止まっているぞ。減らず口を叩く暇があるのなら鞭をくれてやるからな!」
 もちろん、ヴォルマルフは鞭など持っていなかったが、やんちゃ盛りの少年である従者に灸を据えるにはこれくら言う必要があるだろう。ヴォルマルフは従者に荷物を放り投げた。「これをチョコボの背にくくりつけてきてくれ」そう言って厩舎の奥に追いやると、妙なタイミングで現れたフランソワのことをにらみつけた。
「おまえが変なことを言ったせいで私は従者に笑われたではないか」
「あの坊やはおまえの従者だったのか? だが、少年の方が正しいぞ。十五、六にもなれば女遊びの一つや二つはたしなんで然るべき騎士の作法だ」
「騎士の作法は淑女に礼儀を尽くすことだ!」
 フランソワは笑った。「おまえのその生真面目さには頭が下がるよ。だが、これから王の代理で求婚に行く男の台詞とは思えないな」
「おい、声が大きいぞ――この任務のことは私とおまえ以外は誰も知らないのだからな」
「ああ、もちろん分かってる」
 ヴォルマルフは親友の姿をちらりと見た。長旅の時に着る丈の長い外套を羽織っている。どう見ても旅装束だ。まさかこいつはゼラモニアまで一緒についてくる気ではないだろうな。
「しかし、フランソワ……私にはおまえが旅の格好をしているように見えるのだが。分かっていると思うが、この任務は殿下が私に直接頼まれたことなのだぞ」
 ヴォルマルフは『殿下が私に』という語句を特に強調した。
「安心しろ。俺はおまえの出世の機会を横取りするつもりはない。ゼラモニアに用があるんだ。同じ方面に行くんだ。一緒につれていってくれよ。護衛を雇うには金がかかる。騎士であるおまえが一緒なら道中は安全だからな」
「そうか。なら構わないが……」
 イヴァリース各地では旅人を狙った追い剥ぎの被害が多発しており、剣を持たない宮廷の貴人が長旅をするには危険が伴った。ヴォルマルフは実際に戦場に赴いたことはないとはいえ、盗人を撃退できる程度の剣術の心得は持っていた。だから親友が旅の同行を願い出てきても、まあうるさい荷物が一つ増えるな、と軽く思ったのだった。
「ヴォルマルフ様! ご主人様のチョコボをお連れしました」
 仕事を終えた彼の従者が二頭のチョコボをつれて戻ってきた。
「ああ、ご苦労だったな」
 ヴォルマルフは少年の頭をなでてやった。と、そこへフランソワが腰をかがめて少年の耳元で何かささやいた。すると二人は声を立てて笑った。
「頼むから礼儀正しくしてくれよ、キンバリー」
 親友の旅の同行を許可したことはやっぱり間違いだったかもしれない、とヴォルマルフは思った。この調子ではゼラモニアにつくまで笑われっぱなしだろう。私の将来とイヴァリースの未来がかかっているというのに――これでは先が思いやられるというものだ。

  

  

「結婚ですって? どなたが?」
 ゼラモニア州、エッツェル城の薔薇園を母と一緒に歩いていたイゾルデは驚いて声を上げた。
「おまえがですよ、イゾルデ」
「まあ! ヒルデ母様! 私は先週やっとエッツェルに戻ってきたばかりだというのに! 実家でゆっくりする暇もなく誰かのお屋敷に嫁がされるというのね!」
「お父様が決めたことよ」
「私に一言の相談もなしに!」
「イゾルデ、そう大きな声を出すんじゃありません。あなたはブラの宮殿で一体何を学んできたのかしら? 淑女は散歩の時に大声でわめき散らしたりしません」
 ヒルデは花壇がきちんと手入れされているかを横目で確認しながら、貝殻の敷き詰めた小道を姿勢良く歩いていた。その後ろをイゾルデは慌てて追って歩いた。
「だって、だってお母様――」
 ヒルデは騒々しく歩く娘をちらりと振り返った。そのとがめるような視線を感じ取ったイゾルデは姿勢を正した。薄い青緑色の毛織りのドレスの裾をただし、袖口についた見えもしない埃を払い落としてからゆっくりと話し始めた。
「お父様はどうかしてしまったのかしら? 私がブラで暮らしていると知りながらオルダリーアに挙兵するなんて。イヴァリースの騎士さまが助けにきてくださらなければ私はオルダリーアに取り残されたまま殺されていたかもしれないわ。やっと助かった命だというのに、息つく暇もなく今度は結婚ですって! 娘に対してまるで関心がないわ」
「イゾルデや、父親のことをそんなに言うものではありません」
 ヒルデは立ち止まると、娘の発言をたしなめた。そうしてからイゾルデのことを愛情深くぎゅっと抱きしめた。
「お母様……」
「おまえの人生はおまえ一人のものではありませんよ。ゼラモニアの未来のことも考えてごらんなさい。誰かが立ち上がらなければこの国の独立は果たせないのよ。それに、お父様はあなたのことをちゃんと愛していますよ」
「ええ、戦さの戦利品と同じくらいにね」
 二人はしばらくゆったりとした歩調で散歩道を歩いていた。イゾルデが実家のエッツェル城に戻ってくるのは実に二十年ぶりだった。幼少期はこの城で暮らしていたのだが、その時の記憶はほとんどなかった。薔薇園を歩きながら、実家はこんな風だったのだと、記憶の糸をたぐり寄せていた。ブラに両親が尋ねてくるようなこともなかったので、両親とこうして再会するのも、まるで初対面の人と会うような気持ちがする。実家に居るというのにイゾルデは妙な気分だった。
 万事が全てこんな調子だったので、父親が勝手に持ってきた結婚話についても、その強引な決定には不満こそあったが、エッツェルを離れて見知らぬ土地に嫁ぐことは嫌ではなかった。エッツェルに名残はない。嫁いだ先で新しい生活を楽しく送ればよいだけだ。イゾルデには結婚への不安はなかった。代わりに、どんな国でどうやって暮らせるのかという興味でいっぱいだった。
「それで、ヒルデお母様。私はどなたと結婚するのですか?」
「この縁談はまだ公表されてないの。まだ秘密よ」
「花嫁は私よ! 花嫁である私にも秘密のことなの?」
「ええ。その方がプロポーズされた時の楽しみが増えるでしょう」
「そうね……そうかもしれないわ」
 もちろんヒルデは母親として娘の結婚相手を知っていた。相手はアンセルム・デナムンダ・アトカーシャ――イヴァリースの王子だった。しかしイヴァリース側から正式に公表されるまではどうか内密に、と念を押されていた。ヒルデは娘がおしゃべりでにぎやかな性格であるとよくよく知っていたので、この縁談は実の娘にも隠し通すことを心に決めた。この子は王家に嫁げるのだと知ったらきっと舞い上がって城中の者に言いふらすに違いにない、と案じていたからだった。
 イゾルデはそんな母の思惑はつゆ知らず、まだ見ぬ婚約者への空想を膨らませていた。散歩道に設けられた石のベンチに座ると結っていた髪をほどいて、道々で摘んできた花を髪に編み込みはじめた。
「お母様! そうは言っても、どんな方と結婚するのか気になるわ。ちょっとだけ――せめてどこに嫁ぐのかだけでも教えてくださらない?」
「相手はイヴァリースの方よ。とても偉い方。お金もたくさん持っているわ。そうね……きっとあなたがブラで暮らしていたのと同じくらいの生活ができるわ――いいえ、それ以上かもしれない」
「とってもお金持ちの方なのね!」
 イゾルデは喜んだ。お金と食べるものと着るものに困ることはないんだわ。だったらブラの暮らしと何一つ変わらない。それに、もう命の心配をするような<人質>生活をしなくて良いのだから、今までよりずっと楽しく暮らせそうだ。それにしても、まさかイヴァリースに嫁げるとは!
「あらイゾルデ、なんだか嬉しそうね」
「お母様! だってイヴァリースで生活できるのよ!」
「てっきり私はあなたがゼラモニアから離れるのを嫌がるかと思ったけれど……どうやら違うようね」
「その心配は大丈夫よ。私はエッツェルを離れても寂しくはないわ。私を救ってくださったのはイヴァリースの騎士さま――サー・バルバネスよ! その方の国で暮らせるなんて嬉しいわ」
 イゾルデは興奮のあまり、髪を編む手に止めて持っていた花をぽろぽろと地面の上にこぼした。
「あらあら」とヒルデは花を拾いあげた。「続きは私がやってあげる」
 娘が結婚に対して前向きでいるようでヒルデはほっと一安心した。とはいえ、こんなにそそっかしい子が王家に嫁げるのかしら? さっきから落ち着きがなくて、淑女の立ち振る舞いの作法がまるで身についていない。こんな子が未来の王妃様になるなんて!
「イゾルデ、あなたに話すことがたくさんあります。一つは淑女のマナーについて。もう一つは花嫁の心構えについて。もう一つは――」
「お母様、お小言は結構よ!」
 イゾルデが慌ててベンチから立ち上がろうとするので、ヒルデは編みかけ彼女の三つ編みをぎゅっと引っ張った。イゾルデは小さく悲鳴を上げてその場に留まらざるを得なかった。どうやら母のお説教を聞くしかなさそうだった。

  

  

 エッツェル城ではオルダリーア遠征に参加した騎士たちを招いての祝宴が催されていた。ホールの壁には色鮮やかなタペストリーが下がっており、床は豪華な絨毯が敷き詰められていた。祝宴のための長テーブルが中央に置かれ、上には料理がぎっしり並べられている。鹿肉やくじゃくの丸焼き、サーモンの薫製やうずらの料理もある。見ただけでイゾルデはおなかが鳴りそうになった。それにホールにはビロードや繻子で着飾った騎士たちが数え切れないほど集まっていた。なんてにぎやかな光景なのかしら! イゾルデは彼らの姿を目で追いながら、この中のどこかに自分の婚約者がいるのかもしれないと思って視線をめぐらせた。けれどイゾルデには彼らがゼラモニアの人間なのかイヴァリースの人間なのかさえ区別するのも難しかった。
 イゾルデは母に言われたとおりにしずしずと歩き、自分の席についた。しかし、最初の料理を食べ終える頃にはすでに退屈し始めていた。彼女の周りには宴のぶどう酒で酔っぱらった見知らぬ男たちがうろうろしていた。何人かに声を掛けられたが、あまり上品な言葉遣いではなかったため、イゾルデは失礼にならない程度に無視していた。
「はやく終わらないかしら……」
 イゾルデは宴席を抜け出し、さっさと自分の部屋へ戻ってドレスの紐をゆるめたかった。しかし絶望的なことに、城主である彼女の父が長々しい演説を始めてしまった。イゾルデは綿菓子をつまみながら父親の演説を流し聞いていた。けれど、父が「いかなる犠牲を払ってでも祖国の独立を――」と言い出したくだりで綿菓子を放り投げそうになった。
 まったく! お父様は娘の命を何だと思っているのよ! 私がブラで暮らしているのを知っていながら戦争を始めるなんて、どうかしているわ。
 父親の演説にも、宴席の騒々しい空気にもすっかり退屈しきっていたイゾルデはテーブルクロスの下で足を伸ばしてくつろぎはじめた。こんなお行儀の悪い姿を母に見られたら大目玉をくらうに違いないが、幸いテーブルの下までは母の監視の目も届かないことだろう。
「レディ・イゾルデ――」
「は、はい!」
 名前を呼ばれてイゾルデは慌てて上品に座り直した。不作法をとがめられたのかと思ったのだ。すると目の前に、絹のシャツに腿まであるビロードの上着を羽織った長身の騎士が軽やかな身のこなしで立っていた。イゾルデと目が合うと彼は笑顔でウインクを返した。
「あら、騎士さま! また会えましたわね」
 イゾルデはバルバネスと再会できたことを心から喜んだ。彼こそが、イゾルデをブラからエッツェルまで護衛してくれた騎士だった。ああ、なんて素敵な方なのかしら。戦馬鹿の父親や、犬っころのように騒ぎ散らかしている礼儀知らずの騎士たちの中で、サー・バルバネスの姿は輝いて見えた。お礼を言わなくては、とイゾルデは立ち上がった。
「サー・バルバネス。あなたが私を助けに来てくださらなければ、私は父に見捨てられてあのままオルダリーアで殺されていましたわ。あなたには心から感謝しております」
「いいえ、レディ、私は騎士として当然のつとめを果たしたまでです」
 バルバネスはイゾルデの言葉に率直に返した。
「あなたは最高の騎士さまですわ。そうだわ。さっき、王様から特別な称号をいただいてらしたでしょう――たしか<天騎士>という……」
 エッツェル城の宴席にはイヴァリースの国王であるデナムンダ王の姿もあった。宴席の最初に、デナムンダ王はこの戦いで功績を挙げた騎士たちを呼び集め、特別にねぎらっていた。サー・バルバネスはデナムンダ王から<天騎士>と呼ばれていた。王の仰々しい素振りから、その<天騎士>という称号がきっと特別なものだろうとイゾルデは推測していたのだった。
「いや、たいしたものではありませんよ、レディ・イゾルデ。真っ当な騎士ならば誰でももらえる称号ですから」
「真っ当な騎士なら誰でももらえるだと! 笑わせるなよ、バルバネス! おまえが北天騎士団の団長でベオルブの名前を持っているからこそ<天騎士>の称号を授けられたのだ。異国の姫様を誤解させてはいかんぞ」
 サー・バルバネスがイゾルデに謙遜を示していると、彼の背中をうしろから叩いた者があった。褐色の髪を短く刈り込んだ体格の良い男性だった。焦げ茶色のマントを羽織っている。年はサー・バルバネスと同じくらいだった。二人でこづきあって笑っている様子を見ると、二人は旧知の仲なのだろう。
「北天騎士団? サー・バルバネス、あなたは騎士団長さまでしたの?」
 イゾルデはサー・バルバネスに尋ねた。ブラでの宮廷暮らしが長いイゾルデでもイヴァリースの北天騎士団の名前は知っていた。イヴァリースで最も名誉ある騎士団の名前だ。
 イゾルデの質問に答えたのは、サー・バルバネスの友達の方だった。
「ああ、そうだとも。彼の名前はバルバネス・ベオルブ。北天騎士団を率いる名将軍だ」
「まあ! でしたら、はじめからそう名乗ってくだされば良かったのに。そうすれば私もイヴァリースの北天騎士団の立派な騎士さまの前でもっと――適切な――淑女らしい振る舞いができましたのに!」
 イゾルデはサー・バルバネスとブラの武器庫で初めて会った時のことを思い出して顔を赤らめた。あの時私は剣を持っていた! なんということ! 彼にとんでもないお転婆娘と思われていないかしら。
「おいおいシド、よしてくれよ。私はそんな器じゃない。おまえの方が姫様を誤解させている。姫、我が北天騎士団といえども所詮は粗野な男連中の集まり。私の手に負えぬ輩もいるのです。イヴァリースで最も優れた騎士団を挙げるのなら、ランベリーの聖印騎士団でしょう。彼ら修道騎士団は規律を守る道徳心と士気の高さで名高いのです」
 バルバネスはシドを押しのけてイゾルデに話した。イゾルデは二人のやりとりを微笑ましく見ていた。このお二人はきっとすごく仲の良いお友達なのね。
「レディ・イゾルデ、紹介が遅れましたが、この男はシドルファス・オルランドゥ。ゼルテニアの伯爵で南天騎士団の騎士団長です」
「あらまあ! 私はなんて光栄な身でしょう。こうしてイヴァリースの名誉ある二人の騎士団長さまとお話しできるなんて」
 イゾルデはドレスの裾をすっと広げてお辞儀をした。二人の騎士は腰をかがめて彼女に返礼した。
 二人の騎士と話していると宴席の退屈な時間を忘れるかのようだった。その時、イゾルデは思い出した。自分があと幾日もしないうちに輿入れをする身であることを。けれどまだ夫の名前も知らないのだから、少しくらい殿方と楽しいひとときを過ごしても大丈夫だろう。それに、私はこれからイヴァリースに嫁ぐのだ。自分が嫁ぐ国について勉強しておくのはとても有益なことだ――勉強熱心な花嫁だと母に褒められるかもしれないわ、とイゾルデは思った。
「騎士さま、あなた方のお国のことを私にもっと教えてくださらないかしら?」
 イゾルデは二人の騎士に手を差し出した。

  

  

「姫様はご不在です。宴席の途中で背の高い騎士と一緒にどこかへ出て行かれました。行き先は知りません」
 何だって?
 ゼラモニアのエッツェル城に着くなり城の家令に言われた言葉にヴォルマルフは度肝を抜かれた。姫が居ないだと? 一体何が起きたのだ?
「ヴォルマルフ? どうした?」
「姫はどこかの騎士と城を出て行ったようだ。行き先は誰も知らない、と……フランソワ、これはどういう意味だと思うか?」
 ヴォルマルフとフランソワは城のホールには入らず、堀の上に架かった跳ね橋まで引き返していた。目的の姫がここにはいないというのだから、わざわざ城の中に入るのは無駄足だ。
「姫が親の決めた結婚に反発して恋人と一緒に駆け落ちした、とか? まあ、若いお嬢さんにはよくあることじゃないか」
「姫は殿下の婚約者なのだぞ! 『よくあること』では困るのだ」
 はあ、と悲痛なため息をヴォルマルフは漏らした。王子と国王から無理難題を押しつけられ、その上、王子の婚約者にまで逃げられるとは前途多難だった。一刻も早く姫を探しに行かなければ。ヴォルマルフは急いで橋を渡ろうとした。
「おい、ヴォルマルフ。どこへ行く気だ? もう任務を諦めてルザリアに逃げ帰るのか?」
「ルザリアに帰る? 馬鹿な! 私は姫を探しにいくんだ」
「消えた姫を探し出す騎士、か……その意気込みは立派なものだと認めてやるよ。いつか詩にしたためたいくらいの気高い騎士の姿だ――だが、落ち着け。まずは落ち着いてよく考えるんだ。姫が西へ行ったのか東へ行ったのかも分からないままどこへ探しにいくというのだ」
 確かにその通りだった。ヴォルマルフは沈黙してその場に立ち止まった。
「おまえ一人じゃ危なっかしくて見ていられない。俺と一緒に来て正解だろう?」
「ああ……そのようだな……」
 ちゃっかり旅に同伴してきた親友の調子の良さには呆れるが、彼の助言は役に立たない訳ではない。腹立たしいが、ヴォルマルフはうなずいた。
「おや、外で声がすると思えば我がイヴァリースの言葉。若者たち、イヴァリースの者か」
 ヴォルマルフとフランソワが橋の上で言い合っていると、城の中から立派な体格の騎士が歩いてきた。フード付きの外套を着込んでいる。何人もの従者を後ろに控えさせている姿から察するに、相当に身分の高い貴人のようだった。
 ヴォルマルフは「ええ、ルザリアから」とだけ答えた。
「そうか、王都からはるばる来たのか。おまえたちも宴会に招かれたのか? だとしたら貴殿らは大遅刻したな。もう宴はすっかりお開きだ。陛下は次なる戦いに向けてブラに出立なされた」
「いいえ、私たちは――」
 何と答えれば良いのだろう。宴に顔を出すためにはるばるゼラモニアまでやって来た訳ではない。そもそも王の戦いに参加していないヴォルマルフは祝宴に招かれてすらいない。ヴォルマルフは言葉を詰まらせた。
「姫に会いに来たのです。ブラから帰還したという噂のご令嬢に」フランソワがすかさず助け船を出した。
「ふむ、若者らしい答えで結構だ! 私も若い頃はそうやって遊んでいたものだ」
 フードの貴人は豪快に笑った。
「王の戦いではサー・バルバネス・ベオルブが素晴らしい功績をあげたと聞きまして。王都ルザリアはその話で持ちきりですよ。噂のご令嬢も素晴らしい美姫だとかで。我が友が一目だけでも見たいと言うので、こうしてゼラモニアまではるばる来たのです」
 王と王子の密命で、とは言い出せないヴォルマルフが黙っていると、フランソワはあらぬ事をぺらぺらとしゃべり出した。本音を言えないがゆえの方便とは分かっているが、これではまるで自分が姫に求婚しに来た若者の体になってしまっている。ヴォルマルフは自分の従者を外で待たせていて良かったと思った。あの少年のことだ、もしこの場にいたらフランソワと一緒になって話を盛り上げだしかねない。ヴォルマルフは気まずい思いをしながらも、親友の話す姿を黙って見守ることしか出来なかった。
「――しかしレディ・イゾルデは城にはいないとのこと。これではわざわざ王都からゼラモニアまで出向いた甲斐がありません。姫を探しにいきたいのですが、行方が分からず……サー、あなたは姫の行き先をご存じですか?」
「もし仮に私が行き先を知っているとして、聞いてどうするのだ」
「勿論――」
 ヴォルマルフは相手に気づかれないようにそっとフランソワの背中をこづいた。<余計なことは言うなよ>という忠告だ。
「勿論――言わずとも、あなたも男なら分かってもらえるでしょう」
「はは! 都の伊達男らは元気があり余っているな。その活力を少しは戦場にも注いでほしいものだ! さすがの私も、はるばる異国まで出向いて女を口説くことはなかったが――そのはやる気持ちは分かるぞ、若人らよ」男は笑いながらヴォルマルフとフランソワを交互に見た。「姫の行き先は知らぬが、連れていったのは我が友・バルバネスだ。先ほど三人で話し込んでいてな、盛り上がった二人は遠乗りに出かけようと言っていた。厩舎の羽番に尋ねてみるといい。行き先を知っているかもしれない」
 だとしたら、姫は天騎士と駆け落ちしたというのか? これは大変なことになったぞ、とヴォルマルフは青ざめた。
「ご親切にありがとうございます。あの……名前をうかがってもよろしいですか?」
 天騎士バルバネス・ベオルブの名前を聞きヴォルマルフはたじろいたが、姫の行方の手がかりが掴めたのは大きな収穫だった。この貴人に礼が言いたかった。
「私か? 私はシドルファス・オルランドゥ。ゼルテニアで暮らしているから、王都で会う機会はないかもな。さらばだ、若人らよ――健闘を祈るぞ!」
 シドルファル・オルランドゥは二人に手を振ると颯爽と橋を渡って城を出て行った。
「オルランドゥ――ゼルテニアの伯爵家の名前じゃないか。では、あの人は伯爵だったのか。気さくな伯爵もいるもんだな」
 感心するフランソワの横でヴォルマルフは肩を落としていた。
「伯爵……シドルファス・オルランドゥ伯爵――<雷神シド>として名高いあの方ではないか! よりによってそんな方にこんな姿を見られるとは……」
「ヴォルマルフ?」
「伯爵様は私たちのことを、都からはるばる姫の尻を追いかけに来た軽薄な求婚者だと思っているに違いない」
「安心しろよ。伯爵は笑ってたぞ。それにおまえの名前は出してない」
「これから宮廷で伯爵様と顔を会わせる機会があったら――考えるだけで気まずい。ああ、どうか伯爵様が私の顔を覚えていませんように――ファーラム!」
 ヴォルマルフは神にもすがりたい気分だった。
「それで、おまえは姫さん――レディ・イゾルデを探しに行くのか? 伯爵の話によるとあの天騎士と一緒に逃げたらしいが……」
「ああ、もちろんだ。任務を途中で放棄する訳にはいかない。しかし――」
 しかし、私は天騎士に会いに行って何と話せば良いのだろうか。王子の婚約者と駆け落ちしたサー・バルバネスを説得して姫を連れ戻すのか? それとも殿下との約束通り、無事に縁談が頓挫するように姫の駆け落ちを応援しに行くのか? 事態の収拾がつかなくなってきた――このややこしい状況をどうやって解決しろというのだ!
「じゃあな、相棒。俺はエッツェル城に用があるんだ。ルザリアで良い報告を待ってるからな」
 フランソワはヴォルマルフに手を振るとさっさと城の中へ入っていった。しかし、次にこの親友とルザリアの宮廷で会う機会はないかもしれないとヴォルマルフは密かに思った。王の怒りを買うか、王子の失望を招くか、そのどちらかだ。どちらにせよ宮廷を追い出されるのは確実だろう。
 神よ! 哀れな我が身にどうか慈悲の手を!

  

  

  

>Chapter3