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あなたのお誕生日はいつ?

     

  

     

  

 ヴォルマルフ・ティンジェルはミュロンドの神殿騎士団の騎士団長である――そして二児の父親でもある。彼は妻の忘れ形見の二人の子どもたちの子育てに奮闘中であった。
「ヴォルマルフよ、実はこのあいだ息子たちに『お母さんが欲しい』と言われてしまってな……」
 ヴォルマルフと天騎士バルバネスは旧知の仲であった。二人とも同じ騎士団長であり、そして二人とも子育てに悩む父親であった。といっても、バルバネスの方が年齢も身分も父親歴も上であった。だから旧知の仲といっても、ヴォルマルフはバルバネスに礼儀を欠くことなく折り目正しく接していた。
「サー・バルバネス……それは災難でしたね」
 バルバネスはヴォルマルフに家庭の愚痴をこぼしていた。天騎士の家の家庭事情もなかなかに複雑なのだ。
「他人事ではないぞ、ヴォルマルフ。おまえも父一人で二人の子どもたちの面倒を見ているだろう。いつ『お母さんが欲しい』と言われてもおかしくはないぞ」
「ご心配は無用です。天騎士様。私の子どもたちは私にとても懐いております。それに、私は仕事にかまけて家庭を省みないような人間ではありません」
 ヴォルマルフはバルバネスに誇らしげに言った。たしかに、メリアドールとイズルードには母親がいなくて寂しい想いをさせていまっているかもしれない。だが、ヴォルマルフは再婚するつもりは全くなかった。母親の分まで自分が愛せば良いことだ。
「そうか……それは羨ましいかぎりだ。私は最近、騎士団の仕事が忙しくてな。なかなか家に帰れない。だから、たまに帰るとつい息子たちを甘やかしてしまう」
 バルバネスは、困ったものだ、とため息を漏らした。
「だが、ダイスダーグにはいずれ騎士団を継がせようと思っている。父親としての威厳も見せてやらないとな……ヴォルマルフ、貴殿のところも子ども達に騎士団を継がせるのか?」
「ああ……」
 ヴォルマルフは曖昧に答えた。
 自分の跡を誰が継ぐのか、そんなことは考えたこともなかった。

     

  

「パパ! おかえりなさい」
 ヴォルマルフが家に帰ってくるとすぐに娘が駆け寄ってきた。父親の帰りを待ちわびていたようだ。遅れてイズルードも走ってきた。「父さん、おかえりなさい」
 ヴォルマルフは二人を抱きよせてただいまのキスをした。
「パパ、もうすぐ私の誕生日なの。覚えてる?」
「もちろん」
 磨羯の月の二日。忘れるはずもない。
「私ね、誕生日に欲しいものがあるの……パパにお願いしてもいい?」
「可愛い我が子の頼みごとなら何でも聞こう。メリア、何が欲しいんだ?」
「新しいパパが欲しいの!」
 娘の言葉を聞いてヴォルマルフはその場で硬直した。
 新しいパパだと?
「そっそれは……もうこのパパはいらないと言うのか……?」
 ヴォルマルフは恐る恐る聞き返した。ここでメリアドールにうなずかれたらショックで死んでしまうだろう。
「ううん、そうじゃなくて……一緒に遊んでくれるパパが欲しいの」
「ああ、そういう意味か……イズルード、おまえも新しいパパが欲しいか」
「僕は今の父さんでいい。でも、もっと一緒にいたい」
 やはり子たちは寂しがっているのだ。仕事を放り出して一緒に遊んでやりたい気持ちは山々だが……そうは出来ないのが騎士団長のつらいところだ。
「パパはいつも何をしているの?」
 メリアドールが聞いた。
「教会のお仕事をしているんだ」
 子どもたちに神殿騎士団の仕事について、ちゃんと話してはいなかった。というより、言えなかった。
 神殿騎士団の仕事といえば、教会が表沙汰に処理できない裏の仕事を片づけることだ。娘に向かって、パパの仕事は民衆を殺して真なる神のために生き血を集めることだと言えるだろうか。無理だ。
「父さんは騎士団のとても偉い人だってこと、僕は知ってるよ。僕も父さんみたいな騎士になれる?」
 何と答えれば良いのか……ヴォルマルフは戸惑った。息子に父親と同じ騎士になりたいと言われるのは嬉しい。だが素直に喜べないのだ。
「私の方が先に騎士になるのよ! 私がお姉さんなんだから!」
 メリアドールが割り込んだ。
「ああ……そうだな。二人とも良い騎士になれるだろう」
 ヴォルマルフは交互に二人の頭を撫でた。

     

  

 ローファルはミュロンド寺院の地下墓所の中でじっと佇んでいた。この墓所が薄暗く不気味な雰囲気を醸し出しているのは、この場所が聖天使への生け贄を捧げる場所に選ばれているからだ。ここへ立ち入ることが出来るのは、神殿騎士と、彼らに屠られることになる、哀れな生け贄たちだけであった。
 ローファルは覚悟を決めて、自らの死を受け入れた――生け贄として血を捧げる決意をしたのである。
 彼はクリスタルに宿る太古の知識を得るために身体を犠牲にした。そして膨大な知識を得た。だが、その結果、グレバドス教会について知ってはいけない真実までを知ってしまったのである。信仰も肉体も失った。
 教会にとって、不死の肉体とは便利なものだった。殺しても肉体は蘇り続けるのだ。その肉体が滅しないかぎり生き血が永久に手に入る。教会がそのような不死の肉体を持つローファルに目を付けないはずがなかった。すぐに彼は捕らえられ、教会のために<奉仕>せよと命じられた。
 ローファルは抵抗しなかった。聖石から叡智を授けられた時点で、人としての真っ当な生き方は放棄していた――せざるを得なかった。彼の中にはどんな呪われた運命を超然として受け入れる、ある種の諦観が生まれていた。
 静かな地下墓所に足音が響いた。
「……あなたが来るのを、お待ちしておりました」
 ローファルは振り向かずに言った。相手は誰だか分かっている。神殿騎士団団長のヴォルマルフ・ティンジェルだ。誰からも恐れられ、彼自身が悪魔と契約していると噂されるほどであった。このままローファルのことを何の感情もなく斬り捨てることだろう――
 沈黙。
 長い沈黙。
 そして、長い沈黙の後、何も起こらなかった。
「ヴォルマルフ様?」
 ローファルが怪訝に思って後ろを振り返ると、そこには一人の男が立っていた。肩に小さい女の子を担ぎ、空いた手で彼女と同じくらいの背格好の男の子を連れている。剣は腰に差していたが、どうみても家族連れの父親だ。
「あの……私はここで神殿騎士団のヴォルマルフ・ティンジェルという人物を待っているのですが……」
「私がヴォルマルフだ」
「人違いではなくて……?」
 ローファルは聖石を手にしてからというもの、何に動揺することもなくなった。けれど、さすがのローファルも驚かざるを得なかった。娘(?)を肩に担いだまま人を殺しにきたのか? しかし、娘(?)にそんな殺戮の場を見せるとは、悪趣味な父親だ……
 けれど、ヴォルマルフは動かなかった。
 ローファルもどうして良いか分からず動けなかった。
「あの、あなたは何のご用でここにいらっしゃったのでしょうか……」
 ローファルは困惑して言った。
「そ、それは……私もどうしてよいか分からなくなった」
 ヴォルマルフも困惑している様子だった。ローファルはますます訳が分からなくなった。

     

  

「しっかりしてください、あなたが騎士団長でしょう」
 結局、ヴォルマルフはローファルを殺さなかった。そして、そのまま彼をミュロンドの自宅に案内した。
 このまま血を抜かれる覚悟をしていたローファルは拍子抜けした。
「何故、私を殺さなかったのです? 血を集めることがあなたの役目でしょう」
「いや……ずっと娘を担いできて手が疲れてしまって」
「……そんな理由がありますか」
 ローファルは呆れた。神殿騎士団に目を付けられたら最期、一滴残らず血を絞り取られる、とまで陰でささやかれているというのに……
「だいたい、地下墓所に娘さんと一緒に来るとはどういう事です?」
「娘だけじゃない、息子もいた。イズルードのことも忘れないでやってくれ」
「ヴォルマルフ様……私の言っている意味が理解できますか」
「ああ、分かっているとも。私だって好きで家族を連れ込んだわけじゃない。子どもたちに父親の仕事している姿が見たいと頼まれ断れなかったのだ。父親が働いてないと思われたら、父の尊厳が台無しだろう」
「はい……それは、そうですね」
「……それで断れなかった。そしてつい娘に言ってしまったのだ。『パパは教会の騎士で、悪い人をやっつけるのが仕事なんだ』と――どうしよう」
「そんな事実と全くかすりもしない職務内容を言っておいて……私はフォローしかねます」
「だが事実をいったら嫌われるだろう。父親が陰で人間の生き血を集めていると知ったら、どう思われるだろう」
「父親と見なしてもらえないでしょうね。人間と思ってもらえるかも……」
「駄目だ! 絶対に駄目だ! それだけは避けねばなるまい」
 ヴォルマルフは悲痛な叫び声をあげた。
「ヴォルマルフ様……つまり、総括すると『子ども達の前で良い父親の格好をつけたかった』と言うことですね」
「うむ。その通りだ。おまえは……たしかローファルとか名乗ったな。運が良かったな。私の子らのおかげで命が助かったのだ。感謝することだ」
「そう言われましても……」
 ローファルは自分のことをもてあましていた。
 生きていることを感謝しろと言われても、元々捨てたも同然の人生だ。
「なんだ、嬉しくないのか?」
「ええ……でも私を殺しても別に構わないのですよ? この肉体は教会に捧げるつもりだったのです。どうぞ好きに使ってください」
「そう言うのならば、好きに使わせてもらうぞ」
 その時、父親の様子をうかがうように、金髪の少女が入ってきた――飛び込んできたというのが正しいかもしれない。ローファルはこの子がヴォルマルフの箱入り娘なのだとすぐに分かった。
「パパ! この人は? この人は誰? パパのお友達?」
「私は――」
 ローファルは何と答えようか迷った。ヴォルマルフが娘を抱き寄せながらローファルに視線を送っている。絶対に真相をばらすなよ、という顔だ。
「……私はあなたのお父様に助けていただいたのです」
「本当?」
「はい。命を救ってくださいました」
「パパすごい! 騎士みたい」
「おまえが生まれる前からパパは騎士だったんだよ」
 はしゃぐ娘に自慢げに言うヴォルマルフだった。
 それは、紛れもなく、幸せな親子の姿だった。喜ぶ二人の姿を見てローファルは言葉を続けた。
「お嬢様、私がこうして生きていられるのは、あなたのおかげでもあるのです」

     

  

「仕事中に父さんの部屋に勝手に入ったら怒られるよ」
「イズ、黙ってて」
 メリアドールは父が連れてきた若い男の人のことが気になっていた。
 さっきから二人っきりで話している。
 何の話をしているのか父親に教えてもらおうとメリアドールは部屋に入っていった。尻込みしている弟はその場に置いてきた。
「――お嬢様、私がこうして生きていられるのは、あなたのおかげでもあるのです」
 父が命を救ったという、その謎めいた人物は、メリアドールの前で膝を折ってきちんと挨拶をした。
 え? 何? 
 メリアドールは突然のことに少し驚いた。自分が何をしたらこんなに丁寧に感謝されるのかも分からない。お嬢様、なんて呼ばれる経験もほとんどなかった。まるで騎士にかしずかれるお姫様みたい。ちょっと嬉しかった。
「あなたは誰?」
「私はローファル・ウォドリング。教会に仕える人間です」
「じゃあパパと同じね。私のパパも教会に仕える偉い人なの」
「私はあなたのお父様ほど偉い人間ではありませんよ。サー・ヴォルマルフ・ティンジェルは神殿騎士騎士団の団長ですが、私は何の肩書きも持たない存在――ただの人間です」
「……じゃあ、私のパパみたいにたくさん仕事をしなくてもいいの? 私とたくさん遊んでくれる?」
「お嬢様の好きなように」
「嬉しい! すごいわ! 私ね、お誕生日に新しいパパが欲しいと神様にお願いしたの。そうしたらパパがあなたを連れてきてくれた」
「あなたのお父様はヴォルマルフ様ただお一人ですよ。私では代わりになれませんが……」
「でも私とずっと一緒に居てくれるんでしょう?」
「はい」
「だったら、もう私の家族だわ!」
 きっと、誕生日の前に神様が贈り物をくださったんだわ。母はずっと前に死んでしまった。だからメリアドールの家族は父と弟だけだった。でもこれからはローファルが新しく家族になってくれる。素晴らしいことだ。
「ローファル、あなたのお誕生日はいつ? 私は明日なの! お誕生日は生きていることに感謝する日なの。それにたくさんの人が私に『おめでとう』と言ってくれる素敵な日なの」
「誕生日ですか……私の生まれた日は――今日です」
「そうなのね、なら今日はあなたにたくさん『おめでとう』と言わなくちゃ。待ってて、今イズルードを呼んでくるわ」
 メリアドールはローファルに抱き付いて「おめでとう」と言ってから、イズルードを探しに部屋を出た。

     

  

「生きているだけで感謝される日がくるとは……驚きです」ローファルは言った。
「今日が誕生日というのは本当か? うちの娘と一日違いとは偶然だな」
「本当の日は忘れました。でも生まれた日というなら、間違いなく今日です。今日から私は神殿騎士として生きていきます――あなた方と一緒に」
 そうか、とヴォルマルフは頷いた。「……まだ私はおまえを騎士団に迎え入れるとは一言も言っていないのだが」
「メリアドール様が私と一緒に居たいと言っているのに、あなたは反対なのですか?」
「……そうだな。反対するわけがない」
「でしたら――ヴォルマルフ様、私に騎士団をお任せください」
「ふむ、どういうことだ?」
「私があなたの代わりに騎士団の仕事をすれば、あなたはその分お嬢様方と一緒に過ごせる時間が増えます。それに、メリアドール様やイズルード様に騎士団の裏の仕事を任せるわけにはいかないでしょう。私が代わりに騎士団の後継者になります。どうです、名案ではありませんか?」
「なるほど、それは名案だ――とでも言うと思ったか! 私はまだまだ現役だ!」
 いくら可愛い娘のためとはいえ、昨日拾ってきた男に軽率にも騎士団を譲ってしまったと言えば、教皇から大目玉を食らうのは確実だ。それに、ヴォルマルフにも長いこと騎士団を率いてきた統率者としての誇りがある。これは軽々しく応じられる問題ではないのだ。
 ――そういう訳で、ローファル・ウォドリングが神殿騎士団の副団長に任命されるのは、もう少し先の出来事である。

     

  

     

  

初出:2017.09.23
イヴァフェス3発行「The Knight bended knee with a Vow」改題