ネバー・フォーエバー

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ネバー・フォーエバー


     

  

 

 自惚れていたわけじゃない。ただ事実として自分こそがこの世界の中心に立つ人間だと思っていた。それ相応の努力もした、生まれながらの才能だってあった。貴族の地位もあった。そして教会のミュロンド派の騎士になり、教皇に仕える身となった。
 誰もがうらやむような人生だったと自負していた。清貧の騎士として何も望むものはなかったが、大方のものは手に入った――ただ一人、あの女性をのぞいては。
 彼女の名前はメリアドール。私の上司の娘で、教会の中でも聖石を持つゾディアックブレイブという最上位の地位を持つ。私が……唯一頭が上がらない女性だった。それは彼女が地位を持っていたからという理由ではない、彼女はとんでもなく気が強く、私の話す言葉全てに反論してきた。むろん、私も反論した。だが、最終的には、決まって彼女はこう言うのだった。
「クレティアン? それが何?」
 そして涼しい顔で去っていく。
 彼女はいつだって私の前を歩いていた。その背中に追いつこうと必死で、気がつけば――

  

 

「とうとう、私の手の届かない場所に行ってしまったな」
 私は間違っていた。己が世界の中心にいたなど、なんと愚かなことを考えていたのだろうかと。
 彼女こそがこの世界のヒロインだったのだ。

  

 

 聖石を持っていたのは、親の七光でもない、彼女が真に道を切り拓くしなやかさと力強さを持っていたからだ。
 私のかつて抱いていた理想は彼女がやがて為すであろう。できることならば、共に、背中を追い続けていきたかったが、もはや我が身は死せる都のはるか奥に。
「物語のヒロインはなべて聖杯を手に凱旋し、世に平安をもたらすものだ。――マイ・レディ・メリアドール、汝の行く末にとこしえの光あらんことを」
 全てを捨てた私にできることは、ただ祈ることだけだ。
 でも、心の底から、そうであれと願っているよ――――

  

2021.06.20
iva*fesオンライン ワンドロ企画:テーマ「ヒロイン」

 

  

 

忘れじの

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忘れじの


     

  

 
 からん、と音がして小さなクリスタルが床に転がった。神殿騎士団団執務室の机に座っていたメリアドールは、あら、と転がる石を目で追った。「団長!」と若い神殿騎士が慌ててそのクリスタルを拾いあげた。
「メリアドール様! 聖石が!」
「あら、そんなに慌てなくても大丈夫よ。それは聖石ではありませんもの」
「そうですか……でしたら、これは……?」
 若い神殿騎士は、団長メリアドールに差し出したクリスタルをまじまじと眺めた。言われてみれば、聖石に特有の黄道十二宮の紋は刻まれていない。しかし、透き通る水晶はやはりクリスタルそのものだった。
「昔の知り合いのクリスタルよ」
「と、いうことは……」
 イヴァリースにはこんな伝承がある。記憶は石に継がれる――つまり、クリスタルには死者の魂が宿るという言い伝えられている。
「失礼いたしました」
 若い神殿騎士はそのクリスタルをメリアドールに丁重に差し出した。名も知らぬ故人への哀悼を示すかのように。
「いいのよ、そんなに丁寧に扱わなくても。なんなら、床にたたきつけて割ってもいいわよ……」
「ご冗談を、このクリスタルはたしかに傷だらけですが、割れることなく大切に扱われているのは一目瞭然。昔のご同胞とお伺いしましたが、その方にお悔やみ申しあげます。今も、こうしてメリアドール様に大切に想われていて、さぞ光栄なことでしょう」
「やめてちょうだい、そんなこと」
 メリアドールはクリスタルを受け取った。小さな石。小さな記憶の塊。死者の魂の、小さな思い出。

  

 
 ――そんな大切な人ではないのよ。だって、クレティアン、あなたは教皇を殺した大罪人なのだから……
 ――そんなクリスタルを今も忘れず持っている私も私だけれど。

  

 
 部下に言った通り、最初は床に投げつけて割るつもりだった。でも、どうしてもできなかった。それから、捨てる機会を待ちつつ、待ちつつ、月日が流れた。

  

 
 ――あなたは、私のことを、このミュロンドのことをどう思っていたのかしら。本当に、思い切って、いっそ割ってみようかしら。そうしたら、石に託したあなたの記憶が蘇るかもしれない。
 ――でも、きっとそんなことはできないわね……どうしてかしらね……

  

 
 メリアドールは机の上に静かに転がる物言わぬ石を眺めた。言葉にできないこと、言葉にできなかったこと。言葉にしたくなかったこと。数多の想いがこの石には宿っているのだろう。
 石があるかぎり、魂はそこにある。メリアドールはそんな気がしてならない。語らずとも、そこにあればいい。それだけで十分だ。それ以上のことはのぞまない。
 あなたの魂は暗い地下の底ではなく、今もここに、私と共に、教会と共にある。それだけで、満足なのだから。

  

  

2021.06.20
iva*fesオンライン ワンドロ企画:テーマ「クリスタル」

  

 
  

La Pourriture Noble

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La Pourriture Noble


     

  

 

 二人の男女がテーブルを囲んでディナーをとっている。時もたけなわ、食事が終わり、テーブルの上には最後のデザートワインが置かれた。これで終わりだ。これが最後なのだ。このワインを飲み、二人は別れる。

  

 

「メリアドール、私たちの関係はまさにこのワインのようだったと思わないか?」
 テーブルの上に置かれたのは、透き通る蜂蜜色の、特別に甘い、高価な貴腐ワインだ。
「あなたが、そう言うなら」
 二人の男女――クレティアンとメリアドールは静かにワインを飲み交わした。
 どちらが言うわけでもなく、二人は特別な関係になった。そして、二人は別れ、別々の場所に去っていく。
「なぜこのワインがこんなに甘美な香りを持っているか知っているか?」
「さあ。そういう知識に詳しいのはあなたの方でしょう、クレティアン?」
「このワインに使う葡萄は極限まで糖度を高めている――ある種の菌を使って疑似的に腐らせているんだ。そうすることで水分を蒸発させ、果汁を糖化させる。みためは醜い、腐敗した葡萄だ。だが、その成熟しきった甘さゆえに、その腐敗はPourriture Noble<貴腐>と呼ばれる」
「あなたの言うとおりね。腐敗しきって…………それでもそこには成熟した甘い愛があった、それは<貴腐>だったと言いたいのね」
 メリアドールは怒るでもなく呆れるでもなく笑うでもなく淡々と答えた。
「クレティアン、私はミュロンドを出る。いつかあなたに剣を向ける時がくると思う。でも、あなたが、私たちの関係をそう言うのならば、私もそう思うことにする。だって異論はないもの。過ぎた日々を憎しむのは好きじゃないわ。あの日々を貴い腐敗というなんて、あなたは最後まで粋な人ね。そういうところが、好きだったわ。でも愛は成熟しきった。文字通り腐り果ててしまったのよ。さあ、別れましょう、このワインと共に」

  

 

 そうして、二人は別々の道へと帰って行った。その後、二人は恋人として顔を合わせることは二度となかった。

  

 

  

2021.06.20
iva*fesオンライン ワンドロ企画:テーマ「ワイン」

  

 

Klondike Cooler

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Klondike Cooler

     

  

 

 夢を見ていたんだ。空を飛ぶ鳥のように、誰にも支配されることのない自由な世界をこの目で見たかったんだ。

  

 
「ボスッ! 教会の騎士になるって噂は本当かよ! 気でも狂っちまったのかよ!」
 ゴーグの裏路地、人通りのない街角で、機工士風のいでたちをした黒髪の男性に若い青年ジェイミーが声を荒げた。
「ああ、その通りさ。どう噂されてるかは知らんが」
 糞が、とジェイミーが怒声を吐いて壁を蹴った。
「嘘だろッ! 俺たちのボスであるアンタが教会の騎士になるってことがどういう意味かは分かるだろ! 俺たちは誰の支配も受けない、誰に支配されることのない世界を作るんだ――いつもそう言っていたじゃないか! だから俺たちはアンタに付いていくって決めたんだ。自由な世界を作るために……ッ」
「ジェイ、落ち着け。よくよく考えてみろ。ミュロンドは治外法権だ。あそこは貴族も王も手を出せない。つまり、俺たちの首を狙う、うるせえ雑魚どもは手も足もでねえってことだ。雑魚払いが楽になったってことだ」
 ジェイミーは全く腑に落ちない、という顔をしていた。
「だけど、教会の騎士になるってことは、教皇に仕えるってことだ。俺たちの理念に反するじゃないか」
「建前上は、な」
 ボスと呼ばれた機工士――バルクは服の塵払いをしながら片手でジェイミーをあしらった。
「――利用され、利用する関係を築くってことだ。奴らは俺の貴族殺しの腕を買った。教会にも始末したい奴らがいるんだろう。で、その代わりに俺に教会の領土で自由に暮らせる権利を与えてくれるという算段だ。教会の奴は俺に契約の証にと、この石を見せた。これがなんだかわかるか?」
 バルクはジェイミーに小さな石を放り投げた。
「クリスタル……?」
「ああ、教会の奴らは聖石なんて呼んだりしてるらしい。数千年の死者の魂を宿している叡智の石だとか、奇跡を起こして死者を生き返らせるクリスタルとか、そんな力が宿ってるなんて言ってるぜ」
「正気か? こんな石っころにそんな力があるわけないだろ。まさかそんな石のために、俺たちの機工士の誇りを捨てて教会の犬になるって言うんじゃないだろ……?」
「俺だって信じてないさ」
 二人の男性は――この街に住むものは誰もが――機工士の誇りを持って生きていた。教会が説く奇跡よりもよっぽど理知的で、論理的で、現実的な技術を使って生きている。
「ただのクソつまらない契約や勧誘ならすぐさまそいつの頭を撃ち抜いて帰ってきたぜ。だが、奴らはちょいと興味深い話をしたのさ」
 バルクは足で地面をコツコツとつついた。
「ジェイ、この下に古代の遺物が埋まってるのは知っているだろう?」
「あ、ああ……」
 ジェイミーはゴーグのスラムで生まれ育った青年だった。養ってくれる親もなく、生きる道は自分で探さなければならなかった。だが、幸運なことに、ゴーグの地下には、はるか昔に滅んだと言われる文明の欠片が埋まっていた。坑道に潜り、何かしらの機械の部品や、屑鉄まがいのものを拾うだけでもその日の食事くらいにはありつけた――決して楽な仕事ではなかったが。
「そう、かつてこの世界では空を飛ぶ船があったという。俺たち機工士はその飛空艇を蘇らせ、いつか自分の手で空を飛びたいと願っている。だが、現実はそう簡単ではない。ジェイ、このあいだ東四区画の五番坑道が崩落したのは聞いているか?」
「らしいな。奥にいた奴らは全員生き埋めだろうな。可哀そうに」
「こんな仕事、もう嫌だと思うか? 地べたに這いつくばり、生死と隣り合わせで、どこにあるのかも分からない古代の夢を掘りにいく生活はもう勘弁か?」
「そんなことは断じてない! 俺だって機工士だ! いつかこの手で飛空艇をよみがえらせ、空を飛んでみせるんだ」
 バルクはにやりと笑った。そうそう、それでこそ機工士だ、と。
「それと同じさ。俺も一攫千金の夢を見てみたいのさ」
「は……?」
「教会の奴らが言うには、この地下には飛空艇が空を飛んでいた頃の古代の都の遺構が眠っているらしい。それも、ゴーグで拾えるちっぽけな欠片のレベルじゃない、もしかしたら生き動いている機械そのものがあるかもって話だ。ま、やつらの狙いは機械ではないらしいがな」
「まさか……そんな話、信じられるわけない……しょせん、夢物語だ……」
「……だが、夢を見てみたいと思わないか? 俺はこの街で生まれ、この街で育った。だからゴミ溜めみたいなスラムで育ったお前らみたいなガキらのことはよく知ってるんだよ。坑道に今日の飯代を稼ぎにいったまま、地下に埋まって還らなかった奴らもな」
 バルクは教会から契約の証にもらったという小さなクリスタルを地面に叩きつけた。
「教会の犬どもは、こんな石を死者の魂が宿るクリスタルだと有難がっているが、俺は死んだ奴らに興味はない。俺はただ夢を見ているんだ。そしてガキどもに見せてやりたいんだよ。かつてこの世界には鳥のように空を飛ぶ船があった。その船に乗せて、自由に空を駆けさせてやりたいんだ」
「ボス……」
「お前だって誰の支配も受けずに自由に空を飛んでみたいと思ってるだろう? 同じことさ」
 ジェイミーはうなずいた。
「ボス、俺もついていく。アンタと同じ夢を見てみたい。そしてこの街の子供らが、空を飛ぶ鳥のように、誰にも支配されることのない自由な世界で生きていく様を見てみたい」
「翼を掴んで生きて帰ってくるか、地下で無様に死ぬか、これは賭けだ。覚悟があるならついてこい。死地まで連れてってやるぜ。そして翼を掴もうぜ」

  

 

 そうして、二人の男は、翼を求めてゴーグから姿を消した。

  

 

2021.06.16

  

 

Affinity

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Affinity

     

  

 

 ある日、父がひとりの少女を連れてきた。名前はバルマウフラ。無表情で、何も喋らず、年齢よりもずっと大人びていた。メリアドールは気になった。どうして彼女は笑わないのか、どうして彼女は誰とも喋らず、誰とも混じろうとせず、いつも一人でいるのか。
 だから、ある日、メリアドールは彼女に声を掛けた。
「お友達になりましょう?」
 彼女は笑ってくれると思った。友達はたくさんいれば嬉しいはず。だって、私もそうだから。
「どうして…? あなたは、あのヴォルマルフの子供で、聖石を持ったゾディアックブレイブで、私と関係を築く利益は何もないはず」
「えっ、友達になるのに理由がいるの……?」
「……そうね、あなたがそう望むのなら、『お友達』になりましょう」
 彼女はそっと微笑んだ。メリアドールが思っていたより、ずっとささやかな笑顔だったけれども。

  

 

 それから、時々、バルマウフラはメリアドールのところへやってくるようになった。一緒に本を読んだり。魔法のことを教えてもらったり。厨房で一緒に料理を手伝ったり。薬草畑の手入れをしたり。
 二人はたくさんのことを話した。そして笑った。でも、バルマウフラは決して自分のことを語ろうとしなかった。そして、バルマウフラは時々、ふらりと姿を消した。メリアドールが「どこに行っていたの?」と聞くと、彼女はただ「仕事」とだけ答えた。
 メリアドールはバルマウフラの『仕事』のことを詳しく知らなかったけれど、彼女が自分に話しかけてくれて、一緒に過ごせることが幸せだった。

  

 

「私と『友達』になってくれてありがとう、メリアドール。私はずっと忌み子だった。誰も私に近寄ろうとしなかった。皆、私に恐怖と侮蔑の目を向けた。親愛な目で見てくれたのはあなただけだった」
 私が笑えば、あなたも幸せそうに笑う。
 あなたが笑えば、私も幸せ。

  

 

「――父の非礼を詫びる。ラムザ、信頼の証としてこの聖石を貴公に託す。私も貴公に同行したい」
 幸せだった日々は長くは続かなかった。メリアドールは真実を知ってしまった。父・ヴォルマルフが多くの人を殺めていたことを――その中にバルマウフラの母親も含まれていたことを――知ってしまった。
 もう自分は教会の人間としては生きられない。そうして、メリアドールは教会の不正に対抗するために活動を続けるラムザ一行と行動を共にすると決意した。
「メリアドールさん、本当にいいのですか? 僕とともに行くということは、あなたのかつての仲間と戦うことになる。それは――」
「仲間ではない。私は裏切られた。剣を向ける覚悟はできている」
 その言葉に偽りはなかった。ただ一つ、心残りがあるとすれば――

  

 

 ――バルマウフラ、あなたはどうして私と『友達』になってくれたの?
 ――私の父があなたの母を殺したと知っていたのに、なのに、どうして私に笑いかけてくれたの?
 ――本当は、ヴォルマルフの娘である私のことなんか、憎くて、憎くて、殺したかったのではないの?
 ――あの笑顔は、一緒に過ごしたあの日々は、偽りのものだったの……?

  

 

「メリアドールさん、何か気がかりなことでも……?」
「いや、何でもない。ラムザよ、私は不正を働いた教会に正義の剣を振り下ろす。だが、一つ気がかりなことがあるとすれば……教会に『友』と呼び合う者がいた。だが、私が教会に裏切られたように、私もかの者に知らずのうちに裏切りをしていたことを知ったのだ。この動乱の中で消息は途絶えてしまったが……その者のために許しをこい願う時間をしばしもらいたい」

  

 

 ――親愛なる友よ、まだ友と呼んでくれるならば……汝の行く道に光あらんことを――

  

 

2021.06.09

  

 

MIMOSA

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MIMOSA

     

  

     

 彼女はいつも誰かの人生を歩かされていた。孤独て、惨めで、虚しい人生だった。彼女はいつか自分だけの人生を歩くことを夢見ていた。そのためなら、どんな悲惨な毎日だって耐えて、生き抜いてやるのだと自分に言い聞かせていた。
 彼女は、人里離れた森の魔女の子として育った。そのまま母親と同じように、森の中で静かに人生を送るのだと思っていた。でも、ある日、教会の騎士がやってきて母親を焼き殺した。そして、おまえは異端の子だと罵られ、そのまま教会の騎士に捕らえられた。自分も母親と同じように殺されるのだと思った。だが、教会は彼女を殺さなかった。彼女が――殺すにはあまりにも幼い少女だったから――ではない。ただ、魔女の子が持つ魔力を利用したかったからだ。彼女はいつしか教会の企みに気づいた。

     

  

 ――あいつらは、はじめから、私の魔力が欲しかったんだ。
 ――だからお母さんを殺して、私を駒にするために育てたんだ。

     

  

 彼女は、教会のいいなりだった。母が遺した魔力を、汚いことにも使った。悔しくて、惨めで、涙を流しながら誰かの命を奪った。そうしろと教会が命令したから。逆らえば母親と同じように焼き殺される。彼女は自分が死ぬことは恐れていなかった。ただ、母と自分を身勝手な駒として扱う教会に復讐するための機会をうかがっていた。いつか牙を向く日がくると信じて、涙を飲んで過ごした。

     

  

 だから、『その日』が来た時、彼女はどうしていいのか分からなかった。
 目の前にいるのは、自分が監視をする対象人物――ディリータ・ハイラル。彼は彼女に刃を向けている。
「俺はここでおまえを殺した――歴史ではそう書かれることになる」
「私に……ここから逃げろというの?」
 そうだ、と彼は答えた。そして、ポツリと言葉をこぼした。「おまえは俺と一緒だ。駒として、誰かの手のひらの上で踊らされている。それに気づいてないだけだ」
「違うわ! 私は自分が駒として扱われていることを知っている! でも、そうしなければ生きられない! 私は教会に復讐がしたいのよ、そのためなら駒にだってなる。どんな道だって耐えると自分に誓ったのよ」
「ふ……所詮、『駒』の考えることだ。惨めだと思わないか?」
 まるで自分を見ているようだ、だから俺は耐えられないんだ、と彼は付け足した。そして、彼女を放り出した――そして彼女は自由を得た。誰にも命令されない。誰からも監視されない。何をするのも彼女が自分で選べる。なのに、彼女は戸惑っていた。自分でも何をしていいのか分からなかったから。自分が『駒』に成り果てていたのだと気づき、みたび涙を流した。

     

  

「僕と一緒に来てくれないか? 正直、僕は困っている。脱獄の途中なんだ。だから手伝って欲しいんだ、頼むよ」
「誰……?」
せっかく、彼女が自分の人生を探そうと決めた、まさにその瞬間に彼――後に彼女の夫となる男――に手を持って行かれた。なかば強引に。彼女の返答なんて聞かずに。
「嫌よ、わ、私は自由に生きるって決めたのよ、見ず知らずのあなたなんかに……ッ」
「そこをなんとか、頼むよ。城の通路に詳しい人を探していたんだ――それに、君は僕と一緒にいる運命だって星が言っている」
 そんなことを言われても、と彼女は困惑した。でも、彼は彼女の手を掴んで、握って、離さず、二人は城から逃げ出していった。

     

  

 そのままずっと、この手を握ってくれるのだと彼女は思っていた。
 なのに――

     

 

「おかあさん、きれいなお花が咲いているよ。お空のお星様みたいな黄色いお花だね」
「そうね……これはミモザというお花よ。あなたがもう少し大きくなったら枝に手が届くかもね」
 そう言って彼女は、子どもをあやした。
「あなたのお父さんも空のお星様を見るのが好きだったのよ」
 彼女はそっと背伸びをして天の河のごとく咲き乱れる黄色の花をそっと手折った。そして空にかざした。星々がきらめいているようだ。

     

 

 ――無責任にもほどがあるわよ。全部、私に押しつけて先にいってしまうんだから。
 ――そうね、初めて出会った時からあなたはとてもせっかちだった。だから流星のごとく先にいってしまったのね。

     

 

 彼女は、結局、自分だけの人生を歩むことはなかった。誰かのために生きるなんてまっぴらだと思っていたのに。自分だけの人生が欲しかったのに。今、彼女の手には彼の忘れ形見の小さな子がしがみついている。

     

 

 ――オーラン、あなたが命を託してくれたから。だから、私もあなたのために生きようかなと思えたの。

     

 

 彼女は我が子を抱きかかえて家に帰り、手土産にと手折った黄色の花を一つ、窓辺に置いていた杯の上に散らした。もう、共に杯を交わしてくれる人はいないけれど、彼女は満足そうな顔をしていた。誰かのために生きることも、案外、幸せなことなのね、と呟きながら。

     

 

2021.06.07