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忘れじの


     

  

 
 からん、と音がして小さなクリスタルが床に転がった。神殿騎士団団執務室の机に座っていたメリアドールは、あら、と転がる石を目で追った。「団長!」と若い神殿騎士が慌ててそのクリスタルを拾いあげた。
「メリアドール様! 聖石が!」
「あら、そんなに慌てなくても大丈夫よ。それは聖石ではありませんもの」
「そうですか……でしたら、これは……?」
 若い神殿騎士は、団長メリアドールに差し出したクリスタルをまじまじと眺めた。言われてみれば、聖石に特有の黄道十二宮の紋は刻まれていない。しかし、透き通る水晶はやはりクリスタルそのものだった。
「昔の知り合いのクリスタルよ」
「と、いうことは……」
 イヴァリースにはこんな伝承がある。記憶は石に継がれる――つまり、クリスタルには死者の魂が宿るという言い伝えられている。
「失礼いたしました」
 若い神殿騎士はそのクリスタルをメリアドールに丁重に差し出した。名も知らぬ故人への哀悼を示すかのように。
「いいのよ、そんなに丁寧に扱わなくても。なんなら、床にたたきつけて割ってもいいわよ……」
「ご冗談を、このクリスタルはたしかに傷だらけですが、割れることなく大切に扱われているのは一目瞭然。昔のご同胞とお伺いしましたが、その方にお悔やみ申しあげます。今も、こうしてメリアドール様に大切に想われていて、さぞ光栄なことでしょう」
「やめてちょうだい、そんなこと」
 メリアドールはクリスタルを受け取った。小さな石。小さな記憶の塊。死者の魂の、小さな思い出。

  

 
 ――そんな大切な人ではないのよ。だって、クレティアン、あなたは教皇を殺した大罪人なのだから……
 ――そんなクリスタルを今も忘れず持っている私も私だけれど。

  

 
 部下に言った通り、最初は床に投げつけて割るつもりだった。でも、どうしてもできなかった。それから、捨てる機会を待ちつつ、待ちつつ、月日が流れた。

  

 
 ――あなたは、私のことを、このミュロンドのことをどう思っていたのかしら。本当に、思い切って、いっそ割ってみようかしら。そうしたら、石に託したあなたの記憶が蘇るかもしれない。
 ――でも、きっとそんなことはできないわね……どうしてかしらね……

  

 
 メリアドールは机の上に静かに転がる物言わぬ石を眺めた。言葉にできないこと、言葉にできなかったこと。言葉にしたくなかったこと。数多の想いがこの石には宿っているのだろう。
 石があるかぎり、魂はそこにある。メリアドールはそんな気がしてならない。語らずとも、そこにあればいい。それだけで十分だ。それ以上のことはのぞまない。
 あなたの魂は暗い地下の底ではなく、今もここに、私と共に、教会と共にある。それだけで、満足なのだから。

  

  

2021.06.20
iva*fesオンライン ワンドロ企画:テーマ「クリスタル」