花嫁の決断:Chapter4

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*chapter4

     

  

     

  

 サー・バルバネスは巡回から戻ってきたが、ヴォルマルフがなくした天蝎宮の宝石は戻ってこなかった。予想はしていたことであったが、ヴォルマルフは肩を落としてため息をついた。レディ・イゾルデの手がヴォルマルフの肩にそっとふれた。「もうあきらめましょう」彼女の胸元にはルビーの薔薇が輝いている。レディ・イゾルデの言うとおり、もうあきらめるしかなさそうだった。深紅のクリスタルはもう二度とヴォルマルフの手元に戻ってこないだろう。真相はこのまま闇に葬るしかない。
「さあ、日が暮れる前にエッツェル城に帰りましょう」
 レディ・イゾルデの言葉にヴォルマルフは念を押した。「本当に、あなたは殿下の求婚をお受けするのですか?」
「もちろんよ。だいたい、私がサー・バルバネスと駆け落ちしたですって? 一体どなたがそんな事をおっしゃったの?」
 ヴォルマルフはレディ・イゾルデとサー・バルバネスが二人で逃げたのだと思っていた。だが実際は駆け落ちでも何でもなかった。レディ・イゾルデがイヴァリースに嫁ぐ前に母の財産を相続したかっただけらしい。だったら最初からそう言ってエッツェル城を離れてもらいたかった――とはいえ、彼女の母がゼラモニア王家の血を引いていることは誰にも秘密であったから、こうしてこっそりと城を抜け出してきたのだと今になってこそヴォルマルフは理解していたが、おかげでとんでもない取り越し苦労をしてしまった。しかも問題はまだ残っている。レディ・イゾルデはこの結婚を承諾したのだ。婚約を破談にしてこいと言ったアンセルム王子との約束がヴォルマルフの喉につかえていた。
「そんなに不安そうな顔をしなくても大丈夫よ。私は逃げたりしないわ」
 レディ・イゾルデはサー・バルバネスと一緒になって楽しそうに笑いながらブルゴント城から持ち帰る財宝をチョコボの背にくくりつけている。「これから婚約者に会うのが楽しみだわ」
 なんの屈託もなく笑うレディ・イゾルデの姿を見てヴォルマルフの胸に罪悪感がこみ上げてきた。これから花嫁を花婿のもとへ送り届ける。けれど、これから結婚にのぞむ花婿は父親にあてがわれた花嫁のことを快く思っていない。そんな場所に私はレディ・イゾルデを連れて行くのだ。王子はさすがにレディ・イゾルデを虐待することはないだろうが――けれど花嫁を待っているのは愛のない結婚生活だ! 
 ヴォルマルフはこのことをレディ・イゾルデにもっと早くに伝えるつもりでいた。けれども、ゼラモニアの古城の惨状を見たあとでは何も言えなくなった。彼女の祖国はオルダリーアからの独立を望んでいる。その独立を果たすにはイヴァリースとゼラモニアの同盟関係がどうしても必要だった。レディ・イゾルデは祖国の独立のためにこの結婚を選択したのだ。ヴォルマルフは彼女のその気高い決断に水を差すことがどうしても出来なかった。そして、どうやら自分は政治の駆け引きには向いていないということに気づいた。宮廷で暮らすには不自由な性格だ。だがこの心配ももうすぐ終わる。姫君を王子のもとへ無事に送り届けられたら自分は宮廷を辞して父の暮らす田舎へ帰ろうかと思った。王子の信頼を失ったままルザリアで生活することは出来ないのだから。
「ティンジェルの若殿、何か悩みでもあるのか? まるで終末を憂うような顔をしているではないか」
「サー・バルバネス!」
 ヴォルマルフはこれからのことを考えて眉間に皺を寄せていたが、サー・バルバネスに呼ばれてさっと顔を上げた。サー・バルバネスはすらりとした長身で、近くでみるとヴォルマルフより頭一つ大きかった。そしてブロンドの長髪を風にさらさらとなびかせている。なんて涼やかな美男子なんだろう。男の自分でさえうらやましいと思う背格好だった。私も髪を伸ばしてみようかとヴォルマルフは自分の栗毛をつまんでみた。髪を伸ばしたところで自分が天騎士になれるわけではないと分かっていたが……。しかも、サー・バルバネスは誰もがうらやむような華やかな容姿でありながら、イヴァリースで最高の称号を持つ騎士でもあるのだ。天は彼に二物を与えている。うらやましいかぎりだ!
「サー・バルバネス。日が暮れる前にお行きましょう」
 レディ・イゾルデのサー・バルバネスを見つめるうっとりとしたあの目! うらやましい! 二人はチョコボの鼻先を並べて楽しそうに話している。その光景を見て、ヴォルマルフは思わず嫉妬を感じた。
 いや待て、嫉妬だと? レディ・イゾルデは殿下の婚約者だぞ? 私は一体何を考えているのだ?
「サー・ヴォルマルフ! あなたも早くおいでなすって」
 自分でもわけのわからない混沌とした気持ちを抱えていたヴォルマルフをレディ・イゾルデが手招きした。そして悩めるヴォルマルフの心に追い打ちをかけた。
「帰りはサー・バルバネスが一緒だから、盗賊に襲われても安心ね」
 悪意など全くないレディ・イゾルデの純粋な一言――だからこそヴォルマルフは落ち込んだ。
 これでは、私には騎士としての威厳がまるでないではないか!
 ヴォルマルフの内心に立ちこめた暗雲のことなどつゆ知らずに、レディ・イゾルデとサー・バルバネスの二人は楽しげにおしゃべりを続けながらブルゴント城を出発した。ヴォルマルフはなんとなく二人の会話に入っていくのに気が引けたので、二人の後を静かについていった。
「――それで、ご子息様は今おいくつなのかしら」
「長男のダイスダーグは十三歳になりました。そろそろ士官学校に入れようと思っているところです。下の子はまだ四歳になったばかりで」
「ご子息様たちはあなたに似ていらっしゃる?」
「さあ、どうでしょう。ザルバッグは――下の子です――私と同じ金髪で容姿も似ていますが、性格は私の若い頃よりずっと真面目で神経質なのです。ダイスダーグは癇の強い子で父親である私でさえ手を焼いています。ああ、そういえばダイスダーグはルザリアの士官学校に入れるために王都の邸宅に呼び寄せたところです。もしかしたら、あなたもルザリアで会う機会があるかもしれません。是非その目でご覧ください――わが子のどこに父親の面影があるのかを」
「ルザリアにもお屋敷があるの?」
「ええ。宮殿に面した大通りに別邸があります。ベオルブの名前を出せばすぐ分かるでしょう。王都で困った時はいつでも訪ねてきてください。あなたならいつでも歓迎しますよ、レディ・イゾルデ。といっても、私が王都の屋敷に帰ることはめったにないのですが……」
「是非そうさせていただきますわ。私は、あなたもご存じの通りオルダリーアから戻ってきたばかりですから、イヴァリースの王都には誰も知り合いがいないんです。でもお友達の騎士さまのお屋敷が王都にあると分かって、とても心強いわ」
 レディ・イゾルデはサー・バルバネスのことを心の底から信頼しているようだった。ヴォルマルフは王都にある我が家のことを思った。我が家といってもただの狭い借家だ。ゼラモニアとイヴァリースの二つの王家の名前を継ぐ姫君を招待できるような家ではとてもない。天騎士のように、困った時はいつでも我が家にどうぞ――とは言えないのだった。
「サー・ヴォルマルフ、あなたは? ご家族は近くに暮らしてらっしゃるの?」
 レディ・イゾルデは振り向いてヴォルマルフを呼んだ。チョコボの手綱を片手で持ちながらヴォルマルフを手招きしている。「もっと近くへいらっしゃって。一緒にお話ししましょう」
 ヴォルマルフは心持ち前に進み出た。王子の婚約者に対して、話すのに適切な距離を保ちながら。
「私は地方貴族の出ですので、家族は田舎で暮らしております。それに、都に邸宅を設けるほど裕福な家ではありませんので……」
「あら! でも、ずいぶん立派なお召し物を着ていらっしゃるわ」
「これは殿下からいただいたのです。姫君をお迎えにあがるのにボロ着ではまずかろうということで」
「そうだったのね。私はてっきり、すごいお屋敷の若旦那様がいらっしゃったのかと思ったわ――だって毛皮のコートなんて着ていらっしゃるから」
 若旦那様だと! ヴォルマルフはそんな言葉とは無縁の生活を送っていた。そういえば、エッツェル城に来た時、ゼルテニアのオルランドゥ伯爵とすれ違った。あの時、伯爵は何人もの従者をしたがえていた。伯爵家のお屋敷では一体どれほどの使用人が働いているのだろう。一方、ヴォルマルフはたった一人の見習い騎士を従えるだけの慎ましやかな生活を送っている。ヴォルマルフからすると、レディ・イゾルデもサー・バルバネスもまるで手の届かない存在だった。
「他にご家族は――奥様はいらっしゃらないの?」
「妻ですって? 私はまだ二十二ですよ! 結婚とはほど遠い生活を送っております」
「私も二十三だけれど、もうすぐ夫ができるわ」
「そうだ。レディ・イゾルデの言うとおりだ、若殿よ。私が貴殿の年齢の頃はもうすでに父親だった」レディ・イゾルデと一緒になってサー・バルバネスは言った。「私に年頃の娘がいれば貴殿に紹介できたのだが……あいにく私は息子ばかり作ってしまって、我が家には嫁がせる娘がいないのだ」
「天騎士様! ご冗談を! どんな間違いが起きても、ベオルブ家のご令嬢にティンジェルの名を継がせるわけにはいきません。むしろ私がベオルブの名前を継ぎたいくらいなのです」

  

  

 どうやらレディ・イゾルデの父親は相当な領地を所有しているらしい。彼女の輿入れのために付けられた持参金の多さにヴォルマルフは驚いた。王がこの縁談を取り付けた理由もそのあたりにあるのだろう。
 ヴォルマルフは彼の従者と一緒にレディ・イゾルデの乗る羽車を準備していた。
「こんなに豪華な車に乗っていくレディ・イゾルデはどんな方なんですか? 数え切れないほどの財産をお持ちになって、まるでお姫様のような方ですね」キンバリー少年が尋ねた。
「そうだ。彼女は気位も、財産も、血筋も何をとっても尊い姫君だ。レディ・イゾルデこそ真正のお姫様だ」
「僕はそんな高貴な身分のお方とは話したことがありません……どうやってお話しすればよいのですか?」
「困ったことに、それが私にも分からないのだ」
 ブルゴント城から戻ってきた時、すでにヴォルマルフは疲労困憊の状態だった。姫君の相手をするのがこんなに大変だとは全く知らなかった。
「でもご主人様はいつも殿下とお話ししていらっしゃるのに。王子様のお相手ができるのなら、お姫様のお相手も同じ様にできるのでは?」
「同じだったらどんなに楽だろう! だがレディ・イゾルデと話すのは殿下のお相手をするのとはまた違った気苦労がある」
 特にレディ・イゾルデのような姫君と話すには――ヴォルマルフはレディ・イゾルデに会う前、彼女のことを戦争に翻弄されたひどくあわれな姫君だと思っていた。しかし、実際はどうだろう。彼女は底抜けに明るく、自由奔放な姫君だった。彼女の気ままな振る舞いを見ていると、ヴォルマルフは時として彼女が歩んできた過酷な人生を忘れてしまう。
「サー・ヴォルマルフ! もう準備はできたのかしら?」
 胸壁の上から当の姫君――レディ・イゾルデが手を振った。赤紫色のビロードのドレスが風に翻った。「私も準備は出来てよ。今そちらに行くわ」
 レディ・イゾルデはすぐにヴォルマルフらのもとへ駆け下りてきた。
「お母様にお別れを言ってきたの」
「それは名残惜しいでしょう……これでブルゴント城も見納めですね」
「いいえ、全然! それよりも早くルザリアに行って王子様に会いたいわ」彼女は明るく笑い飛ばした。
「それでは、車の用意が出来ていますので……」ヴォルマルフはレディ・イゾルデをチョコボに引かせた羽車のもとへ案内した。
「車? どなたの?」
「あなたのですよ、レディ・イゾルデ」
 レディ・イゾルデはきょとんとした顔をした。「あら、私もチョコボに乗っていくわ」
「姫! ここからルザリアまでは二、三日で着く距離ではありません。かなりの長旅になるでしょう。ですから――」
 チョコボにまたがって輿入れする花嫁など聞いたこともない。ヴォルマルフはレディ・イゾルデの素っ頓狂な気まぐれをなんとか思いとどまらせようとした。
「大丈夫よ。そんなこともあろうかと思ってドレスの下に乗羽服を着ておいたの!」
 レディ・イゾルデはさっとドレスの裾をたくしあげた。「あ、これはお母様には内緒にしておいてね」
 レディ・イゾルデはヴォルマルフの驚きも意に介さず、誰の手も借りず一人でチョコボの背に飛び乗った。「乗羽は得意なのよ」
「レディ・イゾルデ……あなたオルダリーアで長く暮らしていらっしゃったと聞きます。ブラの宮廷で一体どんな生活をしていたのですか?」
「ああ、それ! 母にも同じことを言われたわ」
 なんという破天荒な姫君だ! しかもこの姫君があのおとなしいアンセルム王子の花嫁なのだ。ヴォルマルフは驚きのあまり開いた口がふさがらなかった。私は、果たして、こんなお転婆姫様を王子の婚約者として王都まで連れ帰ってよいのだろうか……ヴォルマルフは不安になってきた。これではおとなしい殿下のことを軽々と尻に敷きかねない。
「さっそく手を焼いているようだな、若殿」
「天騎士様!」
 どう事態をおさめるものかとヴォルマルフが右往左往していると、彼に声を掛けた者があった。サー・バルバネスだった。サー・バルバネスはオルダリーアに向けて出発したデナムンダ王と合流して前線に立つらしく、甲冑をつけて戦装束を着ていた。
「サー・バルバネス。私にはあのお姫様をどう扱ったらよいのか、さっぱり分かりません」
「ふむ。私も初めて彼女に会ったときは驚いたのだ。なにせ、彼女は城の武器庫で剣を持って敵兵を撃退しようとしていた」
「剣ですって!」
 ただでさえ、どうやって姫君の相手をすればよいのか分からずに四苦八苦しているというのに、剣を持って戦う姫君の扱い方などヴォルマルフにはお手上げだ。そして、ルザリアに着くまでの道中は、レディ・イゾルデの言うことをおとなしく聞くほかないと観念した。

  

  

「このグレン山脈を越えれば王都は目前です――このあたり一帯はファルメリアと呼ばれていて炭鉱脈が広がっています」
「山を登っていくの?」
「いいえ、麓には炭鉱都市がいくつかあり街道も整備されていますから、そこまで険しい道のりにはならないでしょう」
「そうなの。ルザリアは山脈に囲まれた場所にあるのね」
「ええ、わがイヴァリースの王都は三方を山に囲まれていて、要塞としても十分な機能を備えています。万が一、オルダリーアと全面戦争になっても、王都が落とされることはまずないでしょう。といってもルザリアは山にばかり囲まれた街ではありません。王都の北には広大な穀倉地帯が広がっておりまして、そちらに行けばもっと風光明媚な光景が見られます」
 ゼラモニアを出発してからちょうど十二日が経過した。ゼラモニアからランベリー領を経由してルザリア領に入ると、サー・ヴォルマルフが辺りの地形を細々と説明してくれるようになった。イゾルデは熱心に語るサー・ヴォルマルフの言葉に耳を傾けていた。これから自分が暮らすことになる街なのだから、知っておかなければならないことはたくさんある。
「ルザリアの中心部にある大宮殿は、アトカーシャ王朝初代国王であるデナムンダ王が建造したものです。その王宮が今も使われているのです」
「デナムンダ王?」
「今の国王陛下のお父様にあたる方です。小国に分裂していたイヴァリースを統一し、新たな王朝を開いた偉大な国王でした。私はその人柄については詳しく知りませんが、陛下にそっくりの激しい気性の方だったと聞いています。今の国王陛下――デナムンダ王も数多の戦争で功績を上げ<戦大王>とまで呼ばれるようになった荒ぶる戦士のような方です。レディの前でこのような話をするのもはばかれますが――陛下は私生活もひどく奔放なお方で、アンセルム王子の他にも庶子が数え切れないほどいるのです」
「それでは、私の夫となる方――王子殿下はお父様やお祖父様に似ていらっしゃる? やっぱり荒っぽいお方なのかしら」
「いいえ、アンセルム殿下は何より争い事を嫌う物静かなお方です。あなたとは真逆のおとなしい方です」
「あら! それは私に対する嫌みかしら? 私が騒々しいじゃじゃ馬だとでも言いたげね」
「い、いえ……決してそのような意味では……」
 あわてふためくサー・ヴォルマルフの姿を見てイゾルデはくすりと笑った。本当に不器用な方だこと。彼を見ているとついからかいたくなってしまう。「冗談よ。あなたのような真面目で誠実な騎士さまがお仕えする主君ですもの、きっとお優しい方に違いないわ」
「ええ、間違いなく殿下はお優しい方です――この国の誰よりも。あなたに手を上げるようなことは決してありません。この件に関しては私の命を掛けてでも保証します」
「王子殿下のことを尊敬していらっしゃるのね」
 サー・ヴォルマルフは王子のことを心から愛しているのだわ。自分の仕える主君について深々と語るサー・ヴォルマルフの言葉がイゾルデの耳には心地よかった。深い信頼関係が感じられる。この人が話す言葉をずっと聞いていたい。
「私はお優しい殿下にお仕えすることができて幸せです。けれど……殿下は美しい音楽と詩を愛するお方。剣を持つ私はいつまでたっても功績を上げることができません」
 サー・ヴォルマルフは苦虫を噛み潰したような顔で言った。
「功績って?」
「私も騎士ですから……やはり戦いの場で名声を上げたいと思うのです」
「あなたが戦場で雄叫びを上げながら剣を振り回すの? うふふ……」
 そんな姿、想像もできない! イゾルデは想像してみた――この若い騎士が戦場で血みどろになって敵の首をはねる姿を。ああ、なんて似合わないことだろう。あなたには典雅で穏やかな宮廷の生活の方が似合っていてよ、なんて言ったら彼は気を悪くするだろうか。
「レディ・イゾルデ! あなたが笑う気持ちは分かります――分かりますが、私も一人の男で騎士なのです! 私だってサー・バルバネス・ベオルブのように天騎士と呼ばれ自分の騎士団を率いて戦いたい――そんな途方もない夢があるのです」
「それは素敵な夢ね」
「ですが、騎士団を持てるのはベオルブ家のような武家の棟梁か伯爵家のような上級貴族の血筋に限られています。私のような下級貴族が叶えられる夢ではありません。努力をすれば誰でも将軍になれるわけではないのです」
「他に道はないの? 騎士団を率いている方はみんな偉い貴族なの?」
「身分の低い者に騎士団が与えられることもありますが、それ特例中の特例でめったにありません。それか、世俗の栄誉を捨てて修道騎士団に入るとか。あそこは貴族の序列が存在しない特別な組織ですから――といっても私に神への奉仕を誓えるほどの忠誠心はありませんが……」
「つまり、あなたはとても大きな夢を抱いているということね」
 世の中には称号や役職を買うために大金をはたく人もいるとイゾルデは聞いていた。けれども、もしそんなお金があったとしてもサー・ヴォルマルフはそんな馬鹿げた真似はしないだろう。きっと真面目に、こつこつと努力していくのだろう――叶うかどうかも分からない夢のために。サー・ヴォルマルフのような方の夢こそ叶うべきだわ。
「いつか私ががあなたのことを騎士団長様と呼べる日がくることを願っているわ――心から」

  

  

 ゼラモニアからルザリアへの長い旅に終わりが近づいてきたある日のこと――日が暮れる前に一行は近くの街で宿をとることにした。
「ここはどこ?」
「ファルメリア高地の山岳都市ゴルランドです。ここは王都ルザリアと南方の貿易都市ドーターを結ぶ交易路のちょうど真ん中にある街です。炭鉱の山岳都市とはいえ、この地方ではかなり大きな宿場町ですのでいい宿屋があるはずです。姫君を粗末な宿に泊めるわけにはいきませんから――ご安心ください、レディ・イゾルデ」
「私は別に木賃宿だっていいのよ。それに実は私、王子様のベッドで寝る前に、一度洞窟や森の中で野宿の体験をしてみたいと思っていたの。お宿がなければ野宿でもいいわ」
「レディ・イゾルデ! 物騒なことを言い出すのはやめてください! 殿下の花嫁を屋根もない場所で野宿させるなど言語道断です! そんなことは絶対にさせません――騎士の名にかけて!」
 サー・ヴォルマルフは真面目な顔でイゾルデに苦言を呈した。そしてその言葉の通り、イゾルデを立派な宿に案内した。そこは屋根の下に破風窓がいくつも並んでいる木骨煉瓦造りのしっかりした建物で、入り口には大きな看板が下がっていた。「いいお宿を知っているのね」
 部屋に案内されてすぐに、サー・ヴォルマルフの従者の少年が手桶に汲んだ水と火を持ってきてくれた。
「ありがとう。助かるわ。坊や、あなたのお名前は?」
「キンバリーと申します、お姫様」
 暖炉に火をおこして部屋を暖めてくれたキンバリー少年の手にイゾルデは小さな金貨を一つ握らせた。
「この辺りは随分と寒い場所なのね。ありがとう、キンバリー。いい子ね。あなたのおかげで私は今夜ベッドの上で凍死しなくてすみそうよ」
「お姫様……どうも、あ、ありがとうございます。ここゴルランドでは北の氷海から吹き付ける冷たい風が、ファルメリアの山脈にぶつかって年がら年中雪を降らせているのだとご主人様がおっしゃっていました」
「そう。雪ね……聞いただけで凍えそうだわ!」
「お夜食をお持ちしましょうか?」
「そうね。二人分の夕食をお願いできるかしら。私と、あなたのご主人様の分よ」
「では下で準備してきます」
「急がなくていいのよ――階段で転ばないようにね」
 走って部屋を出て行くキンバリー少年にイゾルデは声を掛けた。戻ってきたらお駄賃としてもう一枚金貨を握らせてあげようと思いながら。
 キンバリー少年が出て行くのと同時に、サー・ヴォルマルフが戻ってきた。「お部屋は満足いただけましたか? レディ・イゾルデ」
「ええ、おかげさまで。それで、あなたのお部屋は?」
「え?」
「あなたは今夜どこで寝るの?」
「私は……あなたの護衛の任務がありますので」
「私の部屋の前で寝ずの番でもするつもり? だめよ。こんないいお宿なんですもの。忍び込んでくる不審な連中はいないわよ。だからあなたもベッドで寝てちょうだい」
「私の任務はあなたを無事にルザリアまでお連れすることです。万一のことがあったら大変です。私は騎士です。ですから、どうかそのつとめを果たさせてください」
「こんなにいい宿に泊まってわざわざ床の上で足を組んで坐って夜を明かすなんて、あなたはお坊さんにでもなって清貧の誓いでも立てるの?」イゾルデは呆れて言った。
 まったく! 頑固な人ね! この人ったらてこでも動かないつもりだわ。長旅で疲れているだろうから、サー・ヴォルマルフには無理をさせずにゆっくり休んでもらいたかった。
「あなたの仕える王子様は自分の騎士に床で寝ずの番をしろと命じたの?」
「いいえ、殿下はそのようなことは……というのも、実は、あなたをルザリアにお迎えするよう私に命じたのも、殿下ではなく陛下なのです。この縁談に殿下は関わっておりません。殿下はむしろ――あなたを…………して欲しいと………」
 サー・ヴォルマルフがぼそぼそと何かをつぶやいている。イゾルデは彼の言葉の語尾がよく聞き取れなかった。サー・ヴォルマルフは何を言っているの? 王子様から私への伝言が何かあるのかしら? でも今はそんなことはどうでもいいわ。サー・ヴォルマルフをベッドに放り込みにいかなくては。
「つまり、私をルザリアに連れてこいと言ったのは王様なのね。だったらあなたがふかふかのベッドで熟睡していても王子様の命令には全く違反しないわ! それに私は王子様の妻になるのよ。あなたの主君の妻なのよ! だからあなたは私の命令を聞くべきだわ。今、隣の部屋を借りてくるわ。それまであなたはそこで座って待っていてちょうだい――これは命令よ」
 イゾルデは財布を取り出した。もう一つ部屋を借りるにはいくら必要なのだろう。宿屋に泊まるという経験が初めてだったので、イゾルデには相場がさっぱり分からなかった。けれど、金貨を何枚か出せば交渉には応じてくれるだろう。
「いけません! 高貴な姫君が下の階の連中の間に入ってお金の交渉をするなんて!」
「いいから黙ってそこにお座りになって!」
 イゾルデはごねるサー・ヴォルマルフを有無を言わせずに座らせると、急いで部屋を出て後ろ手に扉を閉めた。
 酒場と食事処を兼ねている階下に降りると、あたりはにぎやかな喧噪に包まれていた。宿屋の主人はどこにいるのかとイゾルデは目を凝らした。けれど宿屋の主人を見つけるより先にキンバリー少年の姿を見つけた。両手に木製のお盆を持っている。パンとチーズと焼いた鶏肉が乗ってる。
「お姫様! お部屋からお出でになるほどおなかがすいていらっしゃったのですか?」
「いいえ違くてよ! 大丈夫よ、あなたの仕事が遅いと食事の催促に来たわけではないから安心して」イゾルデはキンバリー少年の手から夕食のお盆を受け取ると、かわりに金貨がぎっしりとつまった財布を渡した。「ねえ、坊や。ここの主人を探してもう一部屋借りてきてくれるかしら? あなたのうっかり者のご主人様が自分の部屋を用意してくるのを忘れたらしいの」
 キンバリー少年は受け取った財布の重さに驚いている様子だった。「お金はいくら使ってもいいわよ」イゾルデは付け足した。キンバリー少年はうなずくと、すぐに宿屋の主人と思わしき恰幅の良い男のもとへと走って行った。「マスター! お姫様のためにもう一部屋貸してほしいんだ」
 キンバリー少年が手際よく交渉してるのを見て、イゾルデは食事を持って自分の部屋へ戻った。そっと扉を押し開けた。中は静かだった。
「サー・ヴォルマルフ? お夜食を持ってきたわ。一緒に食べましょう――あらあら」
 部屋の中の光景を見てイゾルデはお盆を持ったままその場に立ち止まった。サー・ヴォルマルフが暖炉の側の椅子に座ったままうたた寝をして舟を漕いでいる。きっと暖炉の暖かさが誘う心地よい睡魔に勝てなかったのだろう。イゾルデは音をさせないようにそっと静かにお盆を机の上に乗せた。忍び足でベッドまで近づくと掛け布団を一枚はがし、サー・ヴォルマルフの背にそっと乗せた――彼を起こさないように細心の注意を払いながら。できれば彼をそのままベッドの上にうつしたかったが、いい年をした殿方を一人で抱え上げるのはさすがのイゾルデにも無理だった。
「お姫様! お部屋が用意でき――」
 キンバリー少年がばたばたと部屋に駆け込んできた。イゾルデはあわてて人差し指を唇に当てた。
「お静かに――ご主人様をこのまま寝かせてあげて。私が隣の部屋へ行くわ。ああ、お財布は私の荷物の中にあとで入れておいてくださる? でも、その前に金貨を一枚持って行くのを忘れずにね――お駄賃よ」
 やっぱりもう一部屋借りておいて正解だったわ。サー・ヴォルマルフがこうやって外の床で居眠りをしてしまって、そのまま誰かに踏みつけられでもしたら大変だわ。
「うっかりさん、おやすみなさい。よい夢を」イゾルデは彼の耳元でそっとささやいた。

  

  

 街の中心にある大宮殿に近づくにつれ、花嫁を連れたヴォルマルフの足取りは重くなっていった。これからレディ・イゾルデと一緒にアンセルム王子に謁見しに行くのかと思うとヴォルマルフは憂鬱になった。父親が決めた望まぬ政略結婚。王子はきっと悲しい顔をすることだろう。主君の望みを叶えることができないのは、臣下として何よりふがいない。
「これがルザリアの王宮? すごい……こんなに立派な宮殿は見たことないわ。オルダリーアの王宮よりずっと広くて素敵」
「これから先、アンセルム王子が戴冠さなれば、この宮殿はあなたのものです。あなたが王妃としてこのルザリアを統治するのです」
「私が王妃様と呼ばれる日がくるなんて……なんだか背筋がぞくぞくしてきたわ。足がすくんで動けなくなりそう」
「でしたら、もう少しの間、そのままお行儀よくしていただけると。では――殿下のもとへご案内いたします」
 ヴォルマルフはレディ・イゾルデの先に立って歩いた。王宮の中は似たような部屋がいくつも並び、回廊と側廊が複雑に入り組んでいたが、ヴォルマルフは迷うことなく慣れた足取りでレディ・イゾルデを先導していった。目指す場所は王子のプライベートな私室だ。ヴォルマルフが、レディ・イゾルデをつれてルザリアに到着したことを知らせると王子は自分の私室でごくごく内密に姫と会いたいとヴォルマルフに申しつけた。まだ城内の者にさえ公表していない縁談であるから、誰かに見つかって騒がれることなく静かに婚約者と話がしたいということなのだろう。ヴォルマルフは王子のプライベートな居住空間に立ち入ることを許されていた。城の衛兵たちも、ヴォルマルフの顔を見ると何も言わずにその場を通した。
「サー・ヴォルマルフ! あなたって随分と信頼されているのね。衛兵たちとも顔見知り?」レディ・イゾルデが感心した様子でヴォルマルフに言った。
「ええ、まあ、ここで十年以上は暮らしておりますので……城の者とはだいたい顔見知りです」
「宮廷暮らしが長くても王の部屋に呼ばれない人はたくさんいるわ。あなたは特別なのね」
 ヴォルマルフは曖昧にうなずいた。ヴォルマルフは王子の寵愛を得るために特別に働いたわけでもなく、彼はただの王家に仕える一廷臣にすぎなかった。レディ・イゾルデに感心されるようなことは何一つしていない。
 ヴォルマルフは扉越しに王子に話しかけた。「王子殿下! ヴォルマルフ・ティンジェルはただいまゼラモニアより帰還いたしました。ご拝謁賜りたく存じます」
「おお、ヴォルマルフよ! そなたの帰りを待っていたぞ。扉は開いている。入ってまいれ」
「では、レディ・イゾルデ。先に失礼致します。しばしお待ちください――」レディ・イゾルデにそう言ってからヴォルマルフは王子の部屋にしずしずと入っていった。
「ヴォルマルフよ。長旅ご苦労であった。子細は使いの者から聞いた。ゼラモニアの姫君と――私の妻と一緒だそうだな」
「ええ……殿下のご命令に背くことになってしまい、大変心苦しく思っております……」
 アンセルム王子は椅子に座って机に向かっていた。机の上には高級ベラム革の装飾本が開かれたままになっている。読書中だったのだろう。うつむきがちに話す王子の顔にはどこか翳りがあるように感じられた。ヴォルマルフは胃がしめつけられるようだった。「申し訳ありません。殿下のご命令に背いた私にどうか相応の処罰をお与えください」
「いや、構わない」王子は首を横に振った。「この縁談は父が決めたことだ。国王の命令に誰が背けようか? それは王子である私でさえ不可能だ――私はそなたに最初から実行不可能な命令を下したのだ。どうか気に病むな」
「殿下の寛大なお心づかいに感謝いたします」ヴォルマルフは深々と頭を下げた。「こんなことを申すのも、言い訳がましくて情けないのですが……初めは、私も殿下のお心に添うつもりでした――イゾルデ姫と会うまでは。姫もこの縁談を望んでいないのならば、私は国王陛下の怒りを承知で、この婚約を破談に持ち込もうと心に決めたのです。けれど、姫は――レディ・イゾルデは殿下との結婚を望んでいたのです。祖国の独立のために、ゼラモニアとイヴァリースの婚約を望んだのです。私は、レディ・イゾルデのその尊い決断に反対することができませんでした。ですから、こうして――」
「もうよい」
 アンセルム王子はヴォルマルフの言葉に口を挟んだ。「そなたなら、そう言うと思っていた。だから私はそなたに護衛を頼んだのだ」
「殿下? それはどういう意味でしょうか……」
「私は、貴殿こそが私の花嫁に最も誠実に振る舞ってくれる騎士だと思ったから、この任務を命じたのだ――さあ、ヴォルマルフよ。私の花嫁に会わせておくれ」
 ヴォルマルフの胸にあついものがこみ上げてきた。まさか、殿下にこのようにほめていただけるとは。「き、恐悦至極に存じます……」ヴォルマルフは再びアンセルム王子に頭を下げると――今度は感謝の意味で――急いでレディ・イゾルデを迎えにいった。レディ・イゾルデは早く王子様に会いたくてしょうがない、といった様子でそわそわとしていた。「姫、落ち着いてください」
「だって、どんなお方なのか気になってしょうがないのよ――あら!」
 レディ・イゾルデは王子の部屋に入った瞬間、驚きの声をあげた。そしてヴォルマルフにだけ聞こえるようにそっとささやいた。「なんて素敵な方! 彫りが深くて、色白で、まるで絵画の中かた出てきた人みたい! それに……なんて美しい巻き髪なのかしら! エッツェル城でイヴァリースの国王様はお見かけしたけれど、王子様は陛下よりずっと気品ある方だわ」
 主君のことを褒めてもらえるのは心地よいことだった。レディ・イゾルデの言葉に、ヴォルマルフは我が事のように喜んだ。
「わがルザリアへようこそ。イゾルデ姫」
 アンセルム王子は椅子から立ちあがってレディ・イゾルデを迎えた。レディ・イゾルデは王子にお辞儀をしてから、再びヴォルマルフにささやいた。「こんな立派なお方の隣に立つなんて、なんだか気後れしちゃいそうだわ」
「大丈夫ですよ。たしかに殿下はおきれいな方です。けれど、あなたはもっと美しい――誰にもまして美しい姫君でいらっしゃいますから」
「あら、お世辞をどうも」
「いいえ、今の言葉は私の本心です。飾らぬ私の胸のうちです」
 レディ・イゾルデはふっと微笑んだ。「優しい騎士さん、ありがとう。でも私の夫の前でそんなことを言ったら誤解されるわ」
 王子はレディ・イゾルデに手を差し出した。「イゾルデ姫、お会いできて光栄です」
 二人が手を取り合う姿を見て、ヴォルマルフはやっと自分の任務が終わったのだと感じた。花嫁と花婿は無事に対面した。じきに婚約が発表され、二人は夫婦として結ばれる。自分も王子の不信を買って暇を出されることもなさそうだった。これで、万事が全て丸くおさまったのだ――
「では、私はこれにて下がらせていただきます」
 ヴォルマルフが退出を申し出ると、王子はおだやかな声で引き留めた。「少し待つのだ。ヴォルマルフ」そう言ってから、自分の手にはめていた指輪を抜き取ってヴォルマルフに差し出した。
「長旅ご苦労であった。これは私からのささやかなねぎらいだ。受け取りなさい」
 ヴォルマルフが手渡されたのは大振りの赤い宝石がついた指輪だった。王族が身につける高級品だ。
「いいえ、このような高貴な品はとても受け取れません!」ヴォルマルフは慌てて固辞した。
 深紅にきらめく赤の宝石――それは奇しくもレディ・イゾルデの胸元で輝く赤の薔薇のブローチと同じルビーだった。
「サー・ヴォルマルフ。私からもお礼を申し上げます――ルザリアまで送ってくださってありがとうございました。あなたのおかげで楽しい旅になりましたわ。ですから、どうぞ受け取ってください。殿下のおこころざしです」
「それでは……ありがたく拝受致します」
 レディ・イゾルデからそう言われてしまい、ヴォルマルフは指輪を貰わざるを得なかった。ヴォルマルフは王子から渋々と指輪を受け取った。これを見る度にゼラモニアの古城での一件を思い出して苦々しい気持ちになりそうだった。王家の宝石をなくしておきながら、褒美に王子の指輪を頂戴するとはなんという皮肉だ!
「また近いうちにお会いしましょうね、サー・ヴォルマルフ」
 レディ・イゾルデは明るい笑顔でヴォルマルフにひらひらと手を振った。ヴォルマルフは王子に仕える騎士なのだから、彼女の言った通りまた会う機会は少なからずあるだろう。だが、その時は彼女はもうただのレディではない――王子妃なのだ。万事が全て丸くおさまった――はずなのに何故かヴォルマルフの心は晴れなかった。長い間一緒に旅をしてきた姫君が自分のもとから離れていってしまった。そう、ヴォルマルフはそれが寂しかったのだ。しかし、彼女が王子の婚約者であることは最初から分かっていたことではないか。何を今更――
 ヴォルマルフはルビーの指輪を片手でもてあそびながら、物寂しい気持ちで帰路についた。今になって長旅の疲れがどっと吹き出してきた――早く家に帰って寝よう、と思いながら。

  

  

  

>Chapter5

  

花嫁の決断:Chapter3

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*chapter3

     

  

     

  

 レディ・イゾルデがサー・バルバネスと一緒に向かったらしい場所はすぐに分かった。エッツェル城の羽番たちが行き先を聞いていた。彼らの話によると城の近くの森を抜けた先に今は廃墟になっている古城があり、どうやら二人はそこを目指したようであった。羽番たちは皆口を揃えて「ああ、あの古城に……」と神妙な顔で話した。何か不吉ないわれでもあるのだろうかとヴォルマルフは不安になった。ただでさえ面倒な事態を抱えているのだから、これ以上のもめ事に巻き込まれるのは勘弁してもらいたかった。エッツェル城に自分の従者を留守番代わりに残すと、ヴォルマルフは森の中の古城を目指してチョコボを駆けさせた――数分おきに神に祈りながら。
 ヴォルマルフは鬱蒼と茂る森の中を全力疾走しながら、これから会いに行くレディ・イゾルデのことを思った。彼女の境遇は実に波乱に満ちたものであった。ゼラモニアの由緒ある家に生まれた姫君であるにもかかわらず、祖国で暮らすこともできず宗主国のオルダリーアに捕らわれ、<人質>生活を余儀なく押しつけられていた。そしてゼラモニアとオルダリーアの間でとうとう戦争が起き、命からがらにゼラモニアへ逃げ帰ってきたかと思えば、勝手に望まぬ結婚を押しつけられる。レディ・イゾルデの結婚相手はアンセルム・デナムンダ・アトカーシャ――いずれイヴァリースの国王となる人物である。しかもアンセルム王子は初婚ではない。姫より一回りも年上の王子のもとへレディ・イゾルデは嫁ぐのである。王家に入れば自由など全くないだろう。つまり、彼女が自由の身でいられる時は昔もこれからも全くないのだ。なんと哀れな人生なのだろう! それが貴族の家に生まれた娘の宿命とはいえ、彼女のあまりの不自由な人生を思い、ヴォルマルフは心を痛めた。
 そして、ヴォルマルフは一人静かに決意をした――自分はレディ・イゾルデの駆け落ちを応援しようと。彼女が束縛の人生から逃れようとサー・バルバネスと一緒に城を抜け出したのなら、ヴォルマルフはそれを黙って見届けるつもりだった。もともと婚約破棄はアンセルム王子も望んでいたことだ。しかし姫が王家から逃げ出したとなれば、自らが取り決めた婚約が破談なるのだから国王は怒り狂うことだろう。そしてレディ・イゾルデの駆け落ちを見過ごしたヴォルマルフも相応の処罰を食らうことだろう。生きてルザリアの宮廷から帰れないかもしれない。しかし――構うものか。ヴォルマルフは騎士に叙されたときに淑女に礼節を尽くすという誓いを立てたのだ。騎士ならば騎士としてのつとめを果たすまでだ。

  

  

「ここは昔、ブルゴント城と呼ばれておりました」
 イゾルデはサー・バルバネスの手を引いて城の中を案内した。今は誰も住んでいない、森の中にある朽ち果てた古城である。二人は城門を抜け、中庭を通り過ぎていった。
「ブルゴント? ふむ……どこかで聞いたことがあるような気がします」
「ブルゴントはゼラモニアの昔の王都の名前です――オルダリーアに併合される前、この城ではゼラモニアの王族たちが暮らしていました」
 イゾルデはサー・バルバネスを連れて廃墟となったブルゴント城を歩いていた。城の中に入り、大広間の階段を上がると、そこには儀礼の際に使われていた一室があった。家財道具は全て持ち去られ、往事を偲ぶものは何もないが、当時、ここでは種々の祭事が執り行われていたはずだ。イゾルデは城の石壁にそっと手をあてた。
 ゼラモニアがオルダリーアに併合されたのはイゾルデが生まれるよりずっと前――およそ百年ほど前の出来事である。イゾルデは祖国の歴史についていくつかの出来事を伝え聞いていた。百年前、オルダリーアによる一方的な併合にゼラモニアは激しい抵抗をし、このブルゴント城ではおびただしい血が流されたと、イゾルデは祖国の悲劇の歴史について聞かされていた。
「レディ・イゾルデ。その昔、オルダリーアとゼラモニアの間で壮絶な戦いがあったと聞きます」
「ええ、そうでした。私の祖父のそのまた祖父の……ずっと前の時代のことです。でも結局、私の祖国はオルダリーアには勝てませんでした。その結果、ゼラモニアの王家の血筋も途絶えました」
 この廃墟となったこのブルゴント城を見れば、当時のゼラモニアとオルダリーアの間でどんな戦いが繰り広げられたのかを察することができる。ブルゴント城には生活のためのものはもう何も残されていなかった。城下町もろとも焼き払われ、略奪され尽くされたのである。わずかな領土とわずかな領民しか持たない小国ゼラモニアは隣国の大国ゼラモニアに蹂躙されるがままだった。しかし、ゼラモニアが併合された後もゼラモニア国民は抵抗を続け小規模な反乱は続いた。オルダリーアはこの反乱を鎮圧すべく画策し、ゼラモニアの貴族の妻子らをブラに<人質>として呼び寄せたのだった。イゾルデがゼラモニアで生まれてすぐにブラに預けられたのも、この因習のためだった。けれども、戦乱の傷跡が生々しい祖父や父の時代ならまだしも、イゾルデの時代には両国の間に表だった戦争はもはやなく、すっかり平和になっていた。イゾルデはブラの宮廷で、楽しく優雅な生活を送っていた。
「ほんの百年前まで、ここに都があったなんて……」
 イゾルデは朽ち果てたかつての王城の姿を見て、祖国の栄枯盛衰を感じた。今ならなぜ父が私をイヴァリースに嫁がせようとしたのか分かる気がする。小国であるゼラモニアがオルダリーアに立ち向かうのは不可能だ。でも、もう一つの隣国イヴァリースの力を借りれば、祖国の独立は果たせるかもしれない。祖国の独立、それは父だけではなく、ゼラモニアの民全体の悲願でもあるのだ。だとしたら、私がなすべきことはただ一つ。祖国のために、父の望む結婚をするのだ。
「レディ・イゾルデ、大丈夫ですか?」
「え、ええ……このお城に来たら、なんだか感傷的な気分になってしまいましたわ。私、自分の祖国がこんなに悲惨な目にあっていたなんて、こうやって自分の目で見るまで知りませんでしたわ。ブラではとても楽しい暮らしを送っていましたから」
「おそらく、それがオルダリーアの狙いだったのでしょう。戦争の記憶を薄れさせ、独立運動の士気を下げさせるための」
「だとしたら私はまんまとオルダリーアの思惑にはまっていたのですね……」
 母が「おまえの人生はおまえだけのものではない」と言っていたことをイゾルデは思い出した。まさに母の言う通りだった。
「サー・バルバネス、今日は私と一緒に来てくださってありがとうございます。私は、イヴァリースに嫁ぐ前にどうしても自分の祖国の旧都を見ておきたかったのです」
「嫁ぐ? あなたはご結婚されるのですか」
 サー・バルバネスは少し驚いた様子だった。
「ええ、でも、私はまだ夫の名前すら知らないんです。貴族の結婚にはよくある事だと聞きますけど。私の未来の夫はあなたにように親切な方だと良いのですけど……」
 イゾルデはほほえんでサー・バルバネスに言った。
「実のところ、私は何度も、もし私の未来の夫があなただったらと思っていたのです。想像してみてください、騎士さま――もう私は殺されるのだと絶望していた時に、私の目の前に立派な騎士が現れて私を救い出してくださったのです。あなたは私の希望の光でした」
「姫君にそう言っていただけるのは、騎士の至上の喜びでございます。あなたの言葉をわが身の光栄としたいものです――けれど、私には愛する妻がいるのです」
 サー・バルバネスのその返事を聞いてもイゾルデは少しも驚かなかった。サー・バルバネスの年齢では結婚していない方が珍しい。イゾルデも本気でサー・バルバネスに求婚されたいと思ったわけではない。ただ、オルダリーアから救い出してくれたサー・バルバネスに憧れと感謝の気持ち――心からの――を伝えたかったのだ。私の想いは騎士さまに伝わっただろうか? 
 サー・バルバネスは続けた。しかし、その言葉を聞いてイゾルデは胸がつぶれそうになった。
「――たとえ亡き人になろうと、私は今でも彼女のことを愛しているのです」
「それでは……奥様は……」
「はい。数年前に亡くなりました。ですが、息子が二人います。妻の忘れ形見です」
 イゾルデは息を飲んだ。亡き人のことを愛し続けるというのはどんな気持ちなのだろう。いくら愛を伝えたところで、その愛に応えてくれる人はもういない。なのにサー・バルバネスの言葉はあたたかく、この上なく幸せそうだった。
「奥様のことを、とても深く愛してらっしゃるのですね」
 私はこれから結婚にのぞむ身。夫となる人のことを、ここまで愛せるのだろうか。
「サー・バルバネス……一つ聞いてもよろしいかしら。愛とはどんなものなのでしょうか? たった一つの愛を生涯貫けるものなのでしょうか?」
「レディ、残念ながらその質問には私は答えられません。それはきっと、あなたが心から愛する人でなければ答えられないでしょう――」
 サー・バルバネスの返事にイゾルデは曖昧にうなずいた。未来の夫とこれから会い、そして一目で会った瞬間に恋に落ち深く愛し合う――そんなことがあるはずがない! 
 でも、まあ、人生ってそんなものよね。私は今の時代に生まれたことを感謝しなくては。もし、祖父の時代のゼラモニアで生まれていたら私は戦争に巻き込まれてあっさり死んでいたかもしれないのだ。私は生きるか死ぬかの選択をしなくて良いし、未来の夫はイヴァリースの富豪なのだから、衣食住に困ることもない。これって、とても幸せなことよね? イゾルデは心の中でそっと神に感謝した。
 その時、外でチョコボのいななく声がした。イゾルデが侵入者の気配に身構えるより早くサー・バルバネスは腰の剣に手をあてた。
「誰かが城に入ってきたな! レディ・イゾルデ、普段ここを訪ねる者はいるのですか?」
「いいえ! ゼラモニアの人間はめったにこの城には近づきません。ここには祖国の悲劇が眠っているのですから。でも、ここは昔の王城。大方が略奪されたとはいえ、城にはまだ王家の財宝が残っているという噂は絶えず、その財宝を狙った盗賊が出没しているようです――母からそう聞きました」
「盗賊か……集団でこられるとやっかいだな。レディ、私は外を見てきます。あなたはどうか安全な場所へ」
 サー・バルバネスは剣を持ったまま、階段を駆け下りていった。その姿のなんと頼もしいことだろう! イゾルデは走り去っていくサー・バルバネスにむけて背後から「気をつけて!」と叫んだ。戦場へ旅立つ騎士を見送る婦人はこんな気持ちでいるのだろうか、そんなことを考えながらサー・バルバネスに手を振った。
「さて、騎士さまは行ってしまったし――」
 一人になったイゾルデは城の地下を目指した。イゾルデは母親からこの城について色々なこと――城に眠る財宝のありかについても――を聞かされていた。
「さあ、盗賊に見つけ出される前に、城の財宝を探さなければ――そのために私はエッツェル城の宴会を抜け出してきたのだから」

  

  

 なんと不気味な城なのだろうか。
 森の中、ヴォルマルフが息を切らせながらチョコボを走らせてやっと辿り着いた先には四つの塔を抱えた巨大な城が建っていた。レディ・イゾルデとサー・バルバネスの二人が逃げ込んだという<ゼラモニアの古城>は昔の時代の遺跡か何かだろうとばかり思い込んでいたヴォルマルフは目の当たりにした城の立派さに驚いた。しかも城壁の中には町の残骸が散らばっていた。相当な大きさの城下町が繁栄していたに違いない。けれど、あたりに人気はなく、町のあらゆる場所が破壊され尽くされていた。
 瓦礫の山と化した城下町を抜け、ヴォルマルフは町の中心にそびえ立つ城を目指した。町がこの有様であるので、城の中の惨状を想像しただけでヴォルマルフは背筋が凍りそうになった。本当にこんな不気味な廃墟にレディ・イゾルデとサー・バルバネスはやってきたのだろうか――主人の不安な気持ちを察してか、彼のチョコボが甲高くいなないた。ヴォルマルフはすぐに下羽すると、愛羽の首筋を撫でてやった。「よしよし、落ち着くんだ。大丈夫だ」
 しかし、本当に大丈夫なのか? 破壊され尽くした城下町を見れば明らかなように、この城は相当な曰く付きな様子だった。エッツェル城の者が誰もこの古城の名前を言わなかったのもうなずける。これは戦争の跡だ。この古城には戦争の傷跡が生々しく残っている。
 ヴォルマルフはチョコボを近くの木につなぐと、おそるおそる城門に近づいていった。大扉は開いていた――というより、突き破られて破壊されたままになっていた。
「誰か居ないのか?」
 城に門をくぐるにあたり、ヴォルマルフは一応叫んでみたが、当然返事はなく、自分の声があたりにむなしく響きわたっただけであった。ヴォルマルフは姿勢を低くして、いつでも剣を抜き取れるように身構えて進んだ。こういう場所には敵がひそんでいるものだと、彼の直感が警告していた。彼の直感は正しかった。ヴォルマルフは城の地下へ通じる階段をそろそろと降りていった。すると、暗がりに誰かの気配を感じた。誰かが潜んでいる。こいつは城に忍び込んだ盗賊だな。そうに違いない。いつ襲われても反撃できるように、ヴォルマルフは剣を手をかけ、臨戦態勢をとった。
「そこに居るのは誰!」
 暗がりから聞こえてきた金切り声にヴォルマルフはたじろいた――彼の予想に反して、若い女性の声だったのだ。「城の宝を奪いにきた盗人ね!」
 しかも相手の女性は自分のことを盗賊と勘違いしているらしい。誤解を解かなくては、とヴォルマルフは慌てた。こんな場所に女性が一人で生活しているとは考えられない。おそらく、この女性がエッツェル城から逃げてきたレディ・イゾルデなのだろう。
「誤解です! 私はあやしい者ではありません!」
「嘘おっしゃい! 侵入者! 泥棒! 悪党! 今すぐそこをおどきなさい――」
 相手はありとあらゆる罵詈雑言の類をヴォルマルフに投げつけてきた。相手は相当気が立っている。足下でごそごそと石を引きずる音がした。ヴォルマルフが暗闇に目を凝らすと、風下に立っているレディが両手で石の塊を抱えている。階段に落ちていたものを拾ったのだろう。
 まさか私に投げつけてくる気ではないだろうな?
 本気で殴られれば致命傷にもなりかねない大きさの石塊である。しかも相手が王子の婚約者とあっては、実力行使をして阻止することも難しい。そもそも淑女に手をあげるなど騎士の名折れだ。
 相手に戦意がないことを示すため、ヴォルマルフは剣を腰におさめると両手を広げた。すると、ヴォルマルフの姿を見て、レディが再び鋭い叫び声をあげた。ヴォルマルフは困惑した。今度は一体何なのだ――
「あなた、後ろ!」
「え――?」
 ヴォルマルフは後ろを振り返った。視界を人影が横切った。
 今度こそ本物の盗賊だ! しまった!
 しかしヴォルマルフが剣を再び抜くよりも、男がナイフを取り出す方が素早かった。斬りつけられる感触がヴォルマルフの身体に走った。

  

  

 イゾルデの悲鳴をききつけ、サー・バルバネスはすぐに戻ってきた。イゾルデに襲いかかろうとしていた盗賊をその場でねじ伏せると、城の外へと追い出した。
「お怪我はありませんか?」
「私は大丈夫よ。でも――」
 イゾルデは、足下で気絶している若い男をちらりと見た。
「この人もお仲間かしら? もしそうなら縄で縛ってお堀に捨ててこようかしら?」
 サー・バルバネスは笑った。「これは頼もしい姫様だ! しかしこの人は――このこぎれいな格好はどうも盗賊には似つかわしくない。道に迷ったどこかの貴族の若殿でしょうな……」
 イゾルデは気を失ったままの若者の姿をまじまじと見た。明るい栗毛色のくしゃっとした髪の毛。紋織り黒ビロードの丈の長い上着を来ている。裾には複雑な装飾模様が縫いとられ、腰のベルトには宝石が散りばめられている。そして羽織ったマントの裏には毛皮がついていた。これは貂ではなくて? きっと良い身分の貴族の方なのね。それにしてもそそっかしい人なのね。盗賊に襲われるなんて!
「この青年は怪我をしているようですね。手当をしてあげないと。レディ・イゾルデ、この近くに休める部屋はありますか?」
「この上に控えの間として使っていた部屋があるはずです。そこへ行きましょう。サー・バルバネス、この人を運ぶのを手伝ってくださいますか?」
 幸運なことに彼の傷は深くないようだった。サー・バルバネスは軽々と若者を上の部屋まで運ぶと、慣れた手つきで介抱していた。
「お上手ですわね」
 サー・バルバネスは服の裂いて作った即席の包帯を若者の傷跡に巻いていた。
「こうういう荒事は戦場では日常茶飯事ですから――レディの前では見苦しい姿ではありますが」
「いいえ、どうぞお構いなく。私は血を見て卒倒するような姫君ではありませんもの」
「良かった。その言葉を聞いて安心しました」
 サー・バルバネスはそう言って腰を上げた。「では、私は外の見回りに行ってきます。レディ・イゾルデ、また怪しい者が現れたらすぐ呼んでください」
「大丈夫ですわ。部屋に内側から鍵を掛けておきます。あなた以外に素性の怪しい者は誰一人中にいれません」
 といっても、この若者が一番素性の怪しい人間なのだけれど――貴族の若殿がどうしてこんな森の中の古城にやってきたのかしら? 本当に道に迷っただけ? 実は貴族のふりをして城の宝を奪いにきた盗人なのでは? もしかしたらオルダリーアがゼラモニア向けて放った間諜かも? イゾルデの胸の中に様々な不安が去来した。もしそうだとしたらどうしよう。サー・バルバネスが出て行った後、一人残ったイゾルデは段々心細くなってきた。このまま落ち着かない状況でただサー・バルバネスの帰りを待っているのはつらい。イゾルデは相手を起こそうとして、おそるおそる声を掛けてみた。
「グーテンターク?」
 イゾルデはそっと彼の身体をゆすってみた。そのまま目を覚ます気配があったのでイゾルデはオルダリーアの言葉で話しかけてみた。
「<あなたはどなた? ご気分はいかが?>」
 相手は何のことだかさっぱり分からないという顔をしていた。オルダリーア語は通じなさそうね。よかったわ、敵国の間諜ではなさそうだわ。イゾルデは安心して相手に優しく微笑んだ。

  

  

 目を覚ましたら密室にご婦人と二人きり――これはかなり気まずい状況だ。
 ヴォルマルフは盗賊に襲撃されたところまでは覚えていたが、その後の記憶はさっぱりなかった。冷たい石の床の上で意識を取り戻したが、目の前には息をのむような美しいブロンドの髪の女性が座ってこっちを見つめている。階段で自分を殴り飛ばそうとしていた女性は間違いなくこの人だ。しかし困ったことに彼女は異国の言葉を話している。どうしてこんな状況になったのか、ヴォルマルフにはさっぱり分からなかった。
「あなた具合はよろしくて? そう聞いたのよ。どう? 傷は痛むかしら?」
 ヴォルマルフが困惑していると、相手の女性がイヴァリースの言葉で言い直してくれた。
「え、ええ……気分は……大変悪いです」
 それが正直な気持ちだった。身体の傷はまだ痛んだが、それ以上に精神に負った傷の方が大きかった。婦人の前で昏倒しておいてしておいて、気分が爽快になれるはずがない。
「あなたのお名前を伺ってもよいかしら? 私はイゾルデ。オルダリーアから来たけれど、生まれはゼラモニアよ。でももうすぐイヴァリースに嫁ぐの」
 ああやっぱり、この人がレディ・イゾルデだった。確かに、アンセルム王子の婚約者だ。そんな方に寝たまま挨拶をする訳にはいかない。ヴォルマルフはすぐに飛び起きて、レディ・イゾルデに一礼をした。
「ご気分がお悪いのでしょう? 座ったままでもよろしくってよ」
「いいえ、そんな横着をする訳にはいきません。レディ・イゾルデ、やっとお会いできました――私はヴォルマルフ・ティンジェルと申します。ルザリアの騎士です」
「騎士ですって!」
 ヴォルマルフが名乗った途端にレディ・イゾルデは笑いだした。口元を袖で隠しているが、おかしくてしょうがないといった風情だ。ヴォルマルフは居心地が悪くなったが、醜態をさらした後なので何も言えなかった。
「あなた騎士さまだったのね……ふふ。てっきりその剣は飾り物だとばかり思ってたわ」
「私はオムドリア国王から直々に金の拍車を授けられた真っ当な騎士です!」
 レディ・イゾルデがあまりに笑いをかみ殺しているので、ヴォルマルフはあわてて付け加えたが、言い訳がましく聞こえてしまい自分でも情けなくなった。
「うふふ……これは失礼! あなたはルザリアの騎士さまなのね。ルザリアってイヴァリースの王都でしょう? 都の方だったのね。どうりで綺麗な服を着てらっしゃるわけだわ。それでサー・ヴォルマルフ。どうしてこんな森の中を歩いてらっしゃったの? この城はゼラモニアの人間でもめったに近寄らない場所だわ」
「レディ・イゾルデ……その件について大切なお話があります。私は、さるお方のお使いで参りました――私はあなたの夫となる方から、あなたをお迎えするように仰せつかった使者です」
「まあ! 私の未来の夫はどんな人かしら?」
「イヴァリースの次なる王であらせられるアンセルム・デナムンダ・アトカーシャ殿下でございます」
 レディ・イゾルデはしばらくきょとんとした顔でヴォルマルフのことを見つめていた。夫が王子様だというのだから、彼女が驚くのも無理はない話だとヴォルマルフは思った。けれどすぐにレディ・イゾルデは笑い出した。
「うそうそ! サー・ヴォルマルフ、あなたは私をからかいにきたのね! イヴァリースの王子様が私に求婚するなんてたいそうな冗談だわ」
「いいえ。これは真実です。私が王家より使わされた証拠をお見せしましょう――殿下から貴女にと直々に授かった宝石があります」
 どうやらレディ・イゾルデは全く信じてくれないようであったので、ヴォルマルフは王子から預かった宝石を見せることにした。天蝎宮の印が刻まれた深紅の宝石だ。あれはイヴァリースの一つしかない貴重な財宝だった。道中、絶対になくさないようにと革袋に入れて大切に持ってきたのだった。それを取りだそうとして――ヴォルマルフは気づいてしまった。革袋がないぞ。額を冷や汗が流れた。嫌な予感がする。
「レディ……付かぬことをお聞きしますが……私が気を失っている間に、これくらいの大きさの、革袋を……お見かけしなかったでしょうか……」
「袋? ああ、そういえばあの盗賊が持っていったかもしれないわ」
「ファーラム!」
 ヴォルマルフは血の気が引いて、その場に倒れ込んだ。また卒倒しそうだった。「なんということだ! 目利きの盗人め! 最初からこれが狙いだったのか――あの中には王家の宝が入っていたというのに!」アンセルム王子は何より血が流れるのを嫌う穏和な方だったが、さすがの殿下も使いにやった騎士が王家の宝を紛失してきたと聞けばヴォルマルフの首をはね飛ばすかもしれない。ヴォルマルフはしゃがみ込んで膝の間に顔を埋めた。
「大丈夫?」
 レディ・イゾルデはそう言って一応はヴォルマルフを気遣ってくれていたが、声をあげて笑い転げていた。これは笑われても仕方ない大失態だ!
 ヴォルマルフは膝のあいだに頭を押し込んで彼女の笑い声をきくまいとしていた。

  

  

 まるで困った騎士さまだこと! 
 城に迷い込んだ若者が自分の婚約者の使いと名乗るのだからイゾルデは驚いた。しかもその人は王子の使いと言っているのだから驚きもさらに増した。私の夫が王子様だというのは本当のことかしら、とイゾルデはしばらくの間考え込んだ。けれど、その懊悩もすぐに吹き飛んだ。王子の使者らしいサー・ヴォルマルフは大切な贈答品――それは王子様から私に贈られるはずだったものだ――をなくしたというのだ!
 イゾルデはこらえきれずに身体を二つに折って笑い転げていた。あまりにそそっかしい騎士さまだわ! この人は一体何をしにここまで来たのかしら!
 けれどサー・ヴォルマルフはうずくまったまま顔を上げない。立ち上がれないほど意気消沈している。イゾルデはすっかりしょげきった若騎士の姿を見て、ひどく哀れに思い、なんとかして慰めてあげたくなった。イゾルデはサー・バルバネスの頭をそっと撫でた。柔らかい髪の感触がイゾルデの手に伝わった。かわいそうな人! ずっとこうして撫でてあげたくなる。
「お願い、どうか元気を出して。もしかしたらサー・バルバネスが戻ってくる時にその袋を見つけてきてくださるかもしれないわ」
「ですが……あれは王家にたった一つしかない、この上なく貴重な宝石なのです。なくしたとなれば、私は王家にとんでもない損害を与えてしまったことになる……ああ! 私は生きてルザリアに帰れない」
「大丈夫よ。だってその贈り物は私のものになるはずのものだったのでしょう。私が見なかったことにしてあげるわ。そうしたら誰にもばれないでしょう? このことは誰にも言わないわ。私が共犯者になってあげる」
「レディ・イゾルデ……」
 涙目でイゾルデを見つめるげるサー・ヴォルマルフの姿をはイゾルデの中に眠っていた母性本能を呼び覚ました。思わずイゾルデはこのまま彼を抱きしめてあげたくなった。けれどそれはさすがに婚前の淑女のマナーに反するだろうと思ったので、心の中で思うだけにとどめた。
 そうだわ、良いことを思いついたわ! イゾルデの脳裏にある名案がぱっと思いついた。
「あなたに案内したい場所があるの。ついてきてくださる?」イゾルデはサー・ヴォルマルフの手を引いて立ち上がらせた。「歩ける元気は残ってる?」
「え、ええ! もちろん!」
「そう。それは良かったわ――こっちよ。この部屋のすぐ下」
 イゾルデは控えの間を出ると、地下へ通じる階段にサー・ヴォルマルフを引っ張っていった。階段の途中に隠し通路があるはずだ。
 隠し通路の先に小さな小部屋があった。壁には小ぎれいな棚があつらえられており、金の燭台やら宝石箱やら綺麗な装飾品が飾られていた。床にはたくさんの衣装箱がいくつも並んでいた。よかったわ。ヒルデ母様の言っていたとおりだわ。イゾルデは喜んだ。
「レディ、イゾルデ。この部屋は……? 見たところ財宝部屋のようですが……」
「そうよ、財宝庫。ここ――ブルゴント城は昔ゼラモニアの王族が住んでいたの。オルダリーアとの戦争の時に城の大部分は略奪されたけれど、まだゼラモニア王家の宝がどこかに隠されているという噂が絶えないわ――その真実がこれよ。まだ地下へ続く通路があるわ。地下にはもっとたくさんの財宝が残っているはずよ」
「そうだったのですか……ですが、どうしてあなたがこの財宝の在処を?」
「私の母が教えてくれたの――このお城は母のものだから」
「ですが、先ほど、この城は王家のものだったと……ということはお母様は王族の血を引いているのですか?」
「そう。でも王家といっても傍流のね。直系の王家はオルダリーアに滅ぼされてしまったわ」
 イゾルデの母ヒルデはゼラモニア王家の血筋をわずかに引いていた。だから城を継ぐ直系王家の人間が滅びてしまった後、イゾルデの母がこのブルゴント城を密かに相続したのだった。けれどそのことはイゾルデの親族でもほんのわずかな者しかしらない極秘の事実とされていた。ゼラモニア王家の人間がまだ生き残っていると分かれば、オルダリーアに命を狙われるからだ。イゾルデはゼラモニアに戻ってきた時に母からそっとその事実を教えてもらった。
「サー・ヴォルマルフ。このことは誰にも秘密にお願いいたします。オルダリーアの者にばれたら、私も、母も殺されてしまいます」
「もちろん。ですが……そのような重大な秘密をどうして今日会ったばかりの男である私に?」
「だって、その方がフェアでしょう? 私はあなたの秘密――王家の秘宝をなくしたという大変な秘密――を知ってしまったのよ。だから私もあなたに、私だけの秘密をさしあげます」
「レディ・イゾルデ……あなたのそのお優しいお心遣いに感謝します。貴女に誓って私はこの秘密を口外いたしません」
 イゾルデはうなずいた。秘密の共有。さっき出会ったばかりだというのに、二人の間に特別の関係が生まれた気がした。言葉にできない、密やかな信頼関係だ。
 イゾルデは部屋を見回した。数え切れないほどの財宝が残っていた。どうやらこの部屋は盗賊たちに暴かれることはなかったらしい。イゾルデがエッツェル城の宴席を密かに抜け出してブルゴント城にやってきた理由はこの財宝を持ち帰るためだった。彼女の母ヒルデは、ブルゴント城に残された莫大な財宝を娘に分け与えたのだった。イゾルデの父親は嫁に出る娘に相応の持参金を持たせていたが、それは全て夫のものとなる。そこで母ヒルデは娘が自由に処分できる財産を与えたのだった。ブルゴント城に残されたものは自由に使って良いし、いつでも好きな時に処分して良い――と。イゾルデは母の優しさに感謝した。そしてイヴァリースに嫁ぐ前に自分の財産を貰っておくつもりだった。そこでサー・バルバネスに頼んでブルゴント城に連れてきてもらったのだった。
「――それで、あなたが私にくださる宝石はどんなものだったのかしら? たしか天蝎宮のしるしが刻まれた宝石とおっしゃいましたわね」
 イゾルデは話しながら次々と宝石箱を開け、サー・ヴォルマルフがなくした宝石に似たようなものがないか探していた。
「ええ、深紅の色をしたクリスタルです。それは綺麗なものでした――あなたにお見せできないのが残念です」
「天蝎宮……さすがにここにはサソリをあしらったものはないわね。あら――でも良いものが見つかったわ。これはどうかしら」
 イゾルデは金細工に深紅のルビーをはめ込んだ薔薇のブローチを見つけた。手のひらにすっぽりとおさまる大きさのものだ。それを満足そうに見つめると、サー・ヴォルマルフに手渡した。
「さあ、これをあなたに差し上げます。どうぞ受け取ってください。その宝石はかつてのゼラモニア王家のもの。大国であるイヴァリース王家の財宝と同じ価値があるとは思えないけれど、それでも同じ王家の財宝よ」
 イゾルデはサー・ヴォルマルフに薔薇のブローチを押しつけた。サー・ヴォルマルフはそれを受け取ったものの。どうして良いのか分からず困惑していた。「レディ・イゾルデ……これは?」
「そうしたら――さあ、その薔薇を私にくださいまし。王子様からのプロポーズを伝えるのに手ぶらでは格好がつかないでしょう?」
「ああ、そういうことでしたか。重ねてのお心遣い感謝――」
「それはいいから! はやく!」
 イゾルデは至極丁寧にお礼を述べ始めたサー・ヴォルマルフせっついた。サー・ヴォルマルフは両手でブローチを持ったまま、その場で固まっている。緊張しているのかしら? それとも女性を口説いたこともない奥手な人なのかしら?
 それでもイゾルデは辛抱強く待った。そして、やっとのことでサー・ヴォルマルフがひざまずいて、おずおずとルビーの薔薇を差し出した。
「殿下からの愛をお渡しします」
 長い時間をかけてやっと彼の口から出てきた、たった一言だけのプロポーズ。イゾルデはまた笑いそうになった。この人はとんでもなく不器用で――だけど誠実な人ね。
「その愛を私の至上の喜びとして、お受け致します」

  

  

  

>Chapter4

  

花嫁の決断:Chapter2

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*chapter2

     

  

     

  

「王様の戦いに参加してもいないのに、ご主人様は何のご用でゼラモニアまで行くのですか?」
 王と王子の密命を受けたヴォルマルフは急いでゼラモニアに発つべく、厩舎で旅の準備をしていた。ヴォルマルフの従者は主人の荷造りを手伝いながらも、旅の目的が気になって仕方がないといった様子で彼に尋ねた。「そうだな……」ヴォルマルフは何と答るべきか迷った。
 アンセルム王子の婚約はまだ公表されていなかった。いずれ王自身が公にするのだろう。そのため、ヴォルマルフの任務は極秘事項だった。ヴォルマルフは王子から婚約者に渡すようにと託された宝石を自分の旅袋にそっと詰め込んだ。この旅の目的――王の婚約者を迎えにいくことは誰にも漏らしてはいけない重大な機密だ。ヴォルマルフは自分の従者にさえもこの秘密をばらすまいと決めていた。
「ご主人様? この綺麗な宝石は何に使うのです? 誰かに贈るのですか」
 ヴォルマルフがちょっと目を離した隙に、彼の従者は主人の荷物の中身を盗み見たらしい。燃えるような深紅の輝きを持つ宝玉を彼は手にしていた。それは中央に天蝎宮の紋章が彫られている王家に伝わる宝玉であり、ヴォルマルフがアンセルム王子から託された宝石の中でも特に貴重なものだった。
 ヴォルマルフはそれを慌てて取り上げると、従者を叱った。
「キンバリー! 主人の荷物を勝手に開けるんじゃない」
「だって、さっきからご主人様はずっと上の空で、何も答えてくださらないから」
 少年は主人に怒られて不満げに言い訳をした。
「おまえの主人はな、これからゼラモニアに女を口説きに行くんだ。その宝石は麗しきご婦人への贈答品だ。勝手にさわるんじゃないぞ」
 ヴォルマルフが従者の扱いに手をこまねいている最中、そこに割って入ってきたのはフランソワだった。彼の言葉を聞いて、少年は楽しそうな笑顔をヴォルマルフに向けた。
「ご主人様も一人前の騎士だったのですね」
「キンバリー! さっきから荷造りの手が止まっているぞ。減らず口を叩く暇があるのなら鞭をくれてやるからな!」
 もちろん、ヴォルマルフは鞭など持っていなかったが、やんちゃ盛りの少年である従者に灸を据えるにはこれくら言う必要があるだろう。ヴォルマルフは従者に荷物を放り投げた。「これをチョコボの背にくくりつけてきてくれ」そう言って厩舎の奥に追いやると、妙なタイミングで現れたフランソワのことをにらみつけた。
「おまえが変なことを言ったせいで私は従者に笑われたではないか」
「あの坊やはおまえの従者だったのか? だが、少年の方が正しいぞ。十五、六にもなれば女遊びの一つや二つはたしなんで然るべき騎士の作法だ」
「騎士の作法は淑女に礼儀を尽くすことだ!」
 フランソワは笑った。「おまえのその生真面目さには頭が下がるよ。だが、これから王の代理で求婚に行く男の台詞とは思えないな」
「おい、声が大きいぞ――この任務のことは私とおまえ以外は誰も知らないのだからな」
「ああ、もちろん分かってる」
 ヴォルマルフは親友の姿をちらりと見た。長旅の時に着る丈の長い外套を羽織っている。どう見ても旅装束だ。まさかこいつはゼラモニアまで一緒についてくる気ではないだろうな。
「しかし、フランソワ……私にはおまえが旅の格好をしているように見えるのだが。分かっていると思うが、この任務は殿下が私に直接頼まれたことなのだぞ」
 ヴォルマルフは『殿下が私に』という語句を特に強調した。
「安心しろ。俺はおまえの出世の機会を横取りするつもりはない。ゼラモニアに用があるんだ。同じ方面に行くんだ。一緒につれていってくれよ。護衛を雇うには金がかかる。騎士であるおまえが一緒なら道中は安全だからな」
「そうか。なら構わないが……」
 イヴァリース各地では旅人を狙った追い剥ぎの被害が多発しており、剣を持たない宮廷の貴人が長旅をするには危険が伴った。ヴォルマルフは実際に戦場に赴いたことはないとはいえ、盗人を撃退できる程度の剣術の心得は持っていた。だから親友が旅の同行を願い出てきても、まあうるさい荷物が一つ増えるな、と軽く思ったのだった。
「ヴォルマルフ様! ご主人様のチョコボをお連れしました」
 仕事を終えた彼の従者が二頭のチョコボをつれて戻ってきた。
「ああ、ご苦労だったな」
 ヴォルマルフは少年の頭をなでてやった。と、そこへフランソワが腰をかがめて少年の耳元で何かささやいた。すると二人は声を立てて笑った。
「頼むから礼儀正しくしてくれよ、キンバリー」
 親友の旅の同行を許可したことはやっぱり間違いだったかもしれない、とヴォルマルフは思った。この調子ではゼラモニアにつくまで笑われっぱなしだろう。私の将来とイヴァリースの未来がかかっているというのに――これでは先が思いやられるというものだ。

  

  

「結婚ですって? どなたが?」
 ゼラモニア州、エッツェル城の薔薇園を母と一緒に歩いていたイゾルデは驚いて声を上げた。
「おまえがですよ、イゾルデ」
「まあ! ヒルデ母様! 私は先週やっとエッツェルに戻ってきたばかりだというのに! 実家でゆっくりする暇もなく誰かのお屋敷に嫁がされるというのね!」
「お父様が決めたことよ」
「私に一言の相談もなしに!」
「イゾルデ、そう大きな声を出すんじゃありません。あなたはブラの宮殿で一体何を学んできたのかしら? 淑女は散歩の時に大声でわめき散らしたりしません」
 ヒルデは花壇がきちんと手入れされているかを横目で確認しながら、貝殻の敷き詰めた小道を姿勢良く歩いていた。その後ろをイゾルデは慌てて追って歩いた。
「だって、だってお母様――」
 ヒルデは騒々しく歩く娘をちらりと振り返った。そのとがめるような視線を感じ取ったイゾルデは姿勢を正した。薄い青緑色の毛織りのドレスの裾をただし、袖口についた見えもしない埃を払い落としてからゆっくりと話し始めた。
「お父様はどうかしてしまったのかしら? 私がブラで暮らしていると知りながらオルダリーアに挙兵するなんて。イヴァリースの騎士さまが助けにきてくださらなければ私はオルダリーアに取り残されたまま殺されていたかもしれないわ。やっと助かった命だというのに、息つく暇もなく今度は結婚ですって! 娘に対してまるで関心がないわ」
「イゾルデや、父親のことをそんなに言うものではありません」
 ヒルデは立ち止まると、娘の発言をたしなめた。そうしてからイゾルデのことを愛情深くぎゅっと抱きしめた。
「お母様……」
「おまえの人生はおまえ一人のものではありませんよ。ゼラモニアの未来のことも考えてごらんなさい。誰かが立ち上がらなければこの国の独立は果たせないのよ。それに、お父様はあなたのことをちゃんと愛していますよ」
「ええ、戦さの戦利品と同じくらいにね」
 二人はしばらくゆったりとした歩調で散歩道を歩いていた。イゾルデが実家のエッツェル城に戻ってくるのは実に二十年ぶりだった。幼少期はこの城で暮らしていたのだが、その時の記憶はほとんどなかった。薔薇園を歩きながら、実家はこんな風だったのだと、記憶の糸をたぐり寄せていた。ブラに両親が尋ねてくるようなこともなかったので、両親とこうして再会するのも、まるで初対面の人と会うような気持ちがする。実家に居るというのにイゾルデは妙な気分だった。
 万事が全てこんな調子だったので、父親が勝手に持ってきた結婚話についても、その強引な決定には不満こそあったが、エッツェルを離れて見知らぬ土地に嫁ぐことは嫌ではなかった。エッツェルに名残はない。嫁いだ先で新しい生活を楽しく送ればよいだけだ。イゾルデには結婚への不安はなかった。代わりに、どんな国でどうやって暮らせるのかという興味でいっぱいだった。
「それで、ヒルデお母様。私はどなたと結婚するのですか?」
「この縁談はまだ公表されてないの。まだ秘密よ」
「花嫁は私よ! 花嫁である私にも秘密のことなの?」
「ええ。その方がプロポーズされた時の楽しみが増えるでしょう」
「そうね……そうかもしれないわ」
 もちろんヒルデは母親として娘の結婚相手を知っていた。相手はアンセルム・デナムンダ・アトカーシャ――イヴァリースの王子だった。しかしイヴァリース側から正式に公表されるまではどうか内密に、と念を押されていた。ヒルデは娘がおしゃべりでにぎやかな性格であるとよくよく知っていたので、この縁談は実の娘にも隠し通すことを心に決めた。この子は王家に嫁げるのだと知ったらきっと舞い上がって城中の者に言いふらすに違いにない、と案じていたからだった。
 イゾルデはそんな母の思惑はつゆ知らず、まだ見ぬ婚約者への空想を膨らませていた。散歩道に設けられた石のベンチに座ると結っていた髪をほどいて、道々で摘んできた花を髪に編み込みはじめた。
「お母様! そうは言っても、どんな方と結婚するのか気になるわ。ちょっとだけ――せめてどこに嫁ぐのかだけでも教えてくださらない?」
「相手はイヴァリースの方よ。とても偉い方。お金もたくさん持っているわ。そうね……きっとあなたがブラで暮らしていたのと同じくらいの生活ができるわ――いいえ、それ以上かもしれない」
「とってもお金持ちの方なのね!」
 イゾルデは喜んだ。お金と食べるものと着るものに困ることはないんだわ。だったらブラの暮らしと何一つ変わらない。それに、もう命の心配をするような<人質>生活をしなくて良いのだから、今までよりずっと楽しく暮らせそうだ。それにしても、まさかイヴァリースに嫁げるとは!
「あらイゾルデ、なんだか嬉しそうね」
「お母様! だってイヴァリースで生活できるのよ!」
「てっきり私はあなたがゼラモニアから離れるのを嫌がるかと思ったけれど……どうやら違うようね」
「その心配は大丈夫よ。私はエッツェルを離れても寂しくはないわ。私を救ってくださったのはイヴァリースの騎士さま――サー・バルバネスよ! その方の国で暮らせるなんて嬉しいわ」
 イゾルデは興奮のあまり、髪を編む手に止めて持っていた花をぽろぽろと地面の上にこぼした。
「あらあら」とヒルデは花を拾いあげた。「続きは私がやってあげる」
 娘が結婚に対して前向きでいるようでヒルデはほっと一安心した。とはいえ、こんなにそそっかしい子が王家に嫁げるのかしら? さっきから落ち着きがなくて、淑女の立ち振る舞いの作法がまるで身についていない。こんな子が未来の王妃様になるなんて!
「イゾルデ、あなたに話すことがたくさんあります。一つは淑女のマナーについて。もう一つは花嫁の心構えについて。もう一つは――」
「お母様、お小言は結構よ!」
 イゾルデが慌ててベンチから立ち上がろうとするので、ヒルデは編みかけ彼女の三つ編みをぎゅっと引っ張った。イゾルデは小さく悲鳴を上げてその場に留まらざるを得なかった。どうやら母のお説教を聞くしかなさそうだった。

  

  

 エッツェル城ではオルダリーア遠征に参加した騎士たちを招いての祝宴が催されていた。ホールの壁には色鮮やかなタペストリーが下がっており、床は豪華な絨毯が敷き詰められていた。祝宴のための長テーブルが中央に置かれ、上には料理がぎっしり並べられている。鹿肉やくじゃくの丸焼き、サーモンの薫製やうずらの料理もある。見ただけでイゾルデはおなかが鳴りそうになった。それにホールにはビロードや繻子で着飾った騎士たちが数え切れないほど集まっていた。なんてにぎやかな光景なのかしら! イゾルデは彼らの姿を目で追いながら、この中のどこかに自分の婚約者がいるのかもしれないと思って視線をめぐらせた。けれどイゾルデには彼らがゼラモニアの人間なのかイヴァリースの人間なのかさえ区別するのも難しかった。
 イゾルデは母に言われたとおりにしずしずと歩き、自分の席についた。しかし、最初の料理を食べ終える頃にはすでに退屈し始めていた。彼女の周りには宴のぶどう酒で酔っぱらった見知らぬ男たちがうろうろしていた。何人かに声を掛けられたが、あまり上品な言葉遣いではなかったため、イゾルデは失礼にならない程度に無視していた。
「はやく終わらないかしら……」
 イゾルデは宴席を抜け出し、さっさと自分の部屋へ戻ってドレスの紐をゆるめたかった。しかし絶望的なことに、城主である彼女の父が長々しい演説を始めてしまった。イゾルデは綿菓子をつまみながら父親の演説を流し聞いていた。けれど、父が「いかなる犠牲を払ってでも祖国の独立を――」と言い出したくだりで綿菓子を放り投げそうになった。
 まったく! お父様は娘の命を何だと思っているのよ! 私がブラで暮らしているのを知っていながら戦争を始めるなんて、どうかしているわ。
 父親の演説にも、宴席の騒々しい空気にもすっかり退屈しきっていたイゾルデはテーブルクロスの下で足を伸ばしてくつろぎはじめた。こんなお行儀の悪い姿を母に見られたら大目玉をくらうに違いないが、幸いテーブルの下までは母の監視の目も届かないことだろう。
「レディ・イゾルデ――」
「は、はい!」
 名前を呼ばれてイゾルデは慌てて上品に座り直した。不作法をとがめられたのかと思ったのだ。すると目の前に、絹のシャツに腿まであるビロードの上着を羽織った長身の騎士が軽やかな身のこなしで立っていた。イゾルデと目が合うと彼は笑顔でウインクを返した。
「あら、騎士さま! また会えましたわね」
 イゾルデはバルバネスと再会できたことを心から喜んだ。彼こそが、イゾルデをブラからエッツェルまで護衛してくれた騎士だった。ああ、なんて素敵な方なのかしら。戦馬鹿の父親や、犬っころのように騒ぎ散らかしている礼儀知らずの騎士たちの中で、サー・バルバネスの姿は輝いて見えた。お礼を言わなくては、とイゾルデは立ち上がった。
「サー・バルバネス。あなたが私を助けに来てくださらなければ、私は父に見捨てられてあのままオルダリーアで殺されていましたわ。あなたには心から感謝しております」
「いいえ、レディ、私は騎士として当然のつとめを果たしたまでです」
 バルバネスはイゾルデの言葉に率直に返した。
「あなたは最高の騎士さまですわ。そうだわ。さっき、王様から特別な称号をいただいてらしたでしょう――たしか<天騎士>という……」
 エッツェル城の宴席にはイヴァリースの国王であるデナムンダ王の姿もあった。宴席の最初に、デナムンダ王はこの戦いで功績を挙げた騎士たちを呼び集め、特別にねぎらっていた。サー・バルバネスはデナムンダ王から<天騎士>と呼ばれていた。王の仰々しい素振りから、その<天騎士>という称号がきっと特別なものだろうとイゾルデは推測していたのだった。
「いや、たいしたものではありませんよ、レディ・イゾルデ。真っ当な騎士ならば誰でももらえる称号ですから」
「真っ当な騎士なら誰でももらえるだと! 笑わせるなよ、バルバネス! おまえが北天騎士団の団長でベオルブの名前を持っているからこそ<天騎士>の称号を授けられたのだ。異国の姫様を誤解させてはいかんぞ」
 サー・バルバネスがイゾルデに謙遜を示していると、彼の背中をうしろから叩いた者があった。褐色の髪を短く刈り込んだ体格の良い男性だった。焦げ茶色のマントを羽織っている。年はサー・バルバネスと同じくらいだった。二人でこづきあって笑っている様子を見ると、二人は旧知の仲なのだろう。
「北天騎士団? サー・バルバネス、あなたは騎士団長さまでしたの?」
 イゾルデはサー・バルバネスに尋ねた。ブラでの宮廷暮らしが長いイゾルデでもイヴァリースの北天騎士団の名前は知っていた。イヴァリースで最も名誉ある騎士団の名前だ。
 イゾルデの質問に答えたのは、サー・バルバネスの友達の方だった。
「ああ、そうだとも。彼の名前はバルバネス・ベオルブ。北天騎士団を率いる名将軍だ」
「まあ! でしたら、はじめからそう名乗ってくだされば良かったのに。そうすれば私もイヴァリースの北天騎士団の立派な騎士さまの前でもっと――適切な――淑女らしい振る舞いができましたのに!」
 イゾルデはサー・バルバネスとブラの武器庫で初めて会った時のことを思い出して顔を赤らめた。あの時私は剣を持っていた! なんということ! 彼にとんでもないお転婆娘と思われていないかしら。
「おいおいシド、よしてくれよ。私はそんな器じゃない。おまえの方が姫様を誤解させている。姫、我が北天騎士団といえども所詮は粗野な男連中の集まり。私の手に負えぬ輩もいるのです。イヴァリースで最も優れた騎士団を挙げるのなら、ランベリーの聖印騎士団でしょう。彼ら修道騎士団は規律を守る道徳心と士気の高さで名高いのです」
 バルバネスはシドを押しのけてイゾルデに話した。イゾルデは二人のやりとりを微笑ましく見ていた。このお二人はきっとすごく仲の良いお友達なのね。
「レディ・イゾルデ、紹介が遅れましたが、この男はシドルファス・オルランドゥ。ゼルテニアの伯爵で南天騎士団の騎士団長です」
「あらまあ! 私はなんて光栄な身でしょう。こうしてイヴァリースの名誉ある二人の騎士団長さまとお話しできるなんて」
 イゾルデはドレスの裾をすっと広げてお辞儀をした。二人の騎士は腰をかがめて彼女に返礼した。
 二人の騎士と話していると宴席の退屈な時間を忘れるかのようだった。その時、イゾルデは思い出した。自分があと幾日もしないうちに輿入れをする身であることを。けれどまだ夫の名前も知らないのだから、少しくらい殿方と楽しいひとときを過ごしても大丈夫だろう。それに、私はこれからイヴァリースに嫁ぐのだ。自分が嫁ぐ国について勉強しておくのはとても有益なことだ――勉強熱心な花嫁だと母に褒められるかもしれないわ、とイゾルデは思った。
「騎士さま、あなた方のお国のことを私にもっと教えてくださらないかしら?」
 イゾルデは二人の騎士に手を差し出した。

  

  

「姫様はご不在です。宴席の途中で背の高い騎士と一緒にどこかへ出て行かれました。行き先は知りません」
 何だって?
 ゼラモニアのエッツェル城に着くなり城の家令に言われた言葉にヴォルマルフは度肝を抜かれた。姫が居ないだと? 一体何が起きたのだ?
「ヴォルマルフ? どうした?」
「姫はどこかの騎士と城を出て行ったようだ。行き先は誰も知らない、と……フランソワ、これはどういう意味だと思うか?」
 ヴォルマルフとフランソワは城のホールには入らず、堀の上に架かった跳ね橋まで引き返していた。目的の姫がここにはいないというのだから、わざわざ城の中に入るのは無駄足だ。
「姫が親の決めた結婚に反発して恋人と一緒に駆け落ちした、とか? まあ、若いお嬢さんにはよくあることじゃないか」
「姫は殿下の婚約者なのだぞ! 『よくあること』では困るのだ」
 はあ、と悲痛なため息をヴォルマルフは漏らした。王子と国王から無理難題を押しつけられ、その上、王子の婚約者にまで逃げられるとは前途多難だった。一刻も早く姫を探しに行かなければ。ヴォルマルフは急いで橋を渡ろうとした。
「おい、ヴォルマルフ。どこへ行く気だ? もう任務を諦めてルザリアに逃げ帰るのか?」
「ルザリアに帰る? 馬鹿な! 私は姫を探しにいくんだ」
「消えた姫を探し出す騎士、か……その意気込みは立派なものだと認めてやるよ。いつか詩にしたためたいくらいの気高い騎士の姿だ――だが、落ち着け。まずは落ち着いてよく考えるんだ。姫が西へ行ったのか東へ行ったのかも分からないままどこへ探しにいくというのだ」
 確かにその通りだった。ヴォルマルフは沈黙してその場に立ち止まった。
「おまえ一人じゃ危なっかしくて見ていられない。俺と一緒に来て正解だろう?」
「ああ……そのようだな……」
 ちゃっかり旅に同伴してきた親友の調子の良さには呆れるが、彼の助言は役に立たない訳ではない。腹立たしいが、ヴォルマルフはうなずいた。
「おや、外で声がすると思えば我がイヴァリースの言葉。若者たち、イヴァリースの者か」
 ヴォルマルフとフランソワが橋の上で言い合っていると、城の中から立派な体格の騎士が歩いてきた。フード付きの外套を着込んでいる。何人もの従者を後ろに控えさせている姿から察するに、相当に身分の高い貴人のようだった。
 ヴォルマルフは「ええ、ルザリアから」とだけ答えた。
「そうか、王都からはるばる来たのか。おまえたちも宴会に招かれたのか? だとしたら貴殿らは大遅刻したな。もう宴はすっかりお開きだ。陛下は次なる戦いに向けてブラに出立なされた」
「いいえ、私たちは――」
 何と答えれば良いのだろう。宴に顔を出すためにはるばるゼラモニアまでやって来た訳ではない。そもそも王の戦いに参加していないヴォルマルフは祝宴に招かれてすらいない。ヴォルマルフは言葉を詰まらせた。
「姫に会いに来たのです。ブラから帰還したという噂のご令嬢に」フランソワがすかさず助け船を出した。
「ふむ、若者らしい答えで結構だ! 私も若い頃はそうやって遊んでいたものだ」
 フードの貴人は豪快に笑った。
「王の戦いではサー・バルバネス・ベオルブが素晴らしい功績をあげたと聞きまして。王都ルザリアはその話で持ちきりですよ。噂のご令嬢も素晴らしい美姫だとかで。我が友が一目だけでも見たいと言うので、こうしてゼラモニアまではるばる来たのです」
 王と王子の密命で、とは言い出せないヴォルマルフが黙っていると、フランソワはあらぬ事をぺらぺらとしゃべり出した。本音を言えないがゆえの方便とは分かっているが、これではまるで自分が姫に求婚しに来た若者の体になってしまっている。ヴォルマルフは自分の従者を外で待たせていて良かったと思った。あの少年のことだ、もしこの場にいたらフランソワと一緒になって話を盛り上げだしかねない。ヴォルマルフは気まずい思いをしながらも、親友の話す姿を黙って見守ることしか出来なかった。
「――しかしレディ・イゾルデは城にはいないとのこと。これではわざわざ王都からゼラモニアまで出向いた甲斐がありません。姫を探しにいきたいのですが、行方が分からず……サー、あなたは姫の行き先をご存じですか?」
「もし仮に私が行き先を知っているとして、聞いてどうするのだ」
「勿論――」
 ヴォルマルフは相手に気づかれないようにそっとフランソワの背中をこづいた。<余計なことは言うなよ>という忠告だ。
「勿論――言わずとも、あなたも男なら分かってもらえるでしょう」
「はは! 都の伊達男らは元気があり余っているな。その活力を少しは戦場にも注いでほしいものだ! さすがの私も、はるばる異国まで出向いて女を口説くことはなかったが――そのはやる気持ちは分かるぞ、若人らよ」男は笑いながらヴォルマルフとフランソワを交互に見た。「姫の行き先は知らぬが、連れていったのは我が友・バルバネスだ。先ほど三人で話し込んでいてな、盛り上がった二人は遠乗りに出かけようと言っていた。厩舎の羽番に尋ねてみるといい。行き先を知っているかもしれない」
 だとしたら、姫は天騎士と駆け落ちしたというのか? これは大変なことになったぞ、とヴォルマルフは青ざめた。
「ご親切にありがとうございます。あの……名前をうかがってもよろしいですか?」
 天騎士バルバネス・ベオルブの名前を聞きヴォルマルフはたじろいたが、姫の行方の手がかりが掴めたのは大きな収穫だった。この貴人に礼が言いたかった。
「私か? 私はシドルファス・オルランドゥ。ゼルテニアで暮らしているから、王都で会う機会はないかもな。さらばだ、若人らよ――健闘を祈るぞ!」
 シドルファル・オルランドゥは二人に手を振ると颯爽と橋を渡って城を出て行った。
「オルランドゥ――ゼルテニアの伯爵家の名前じゃないか。では、あの人は伯爵だったのか。気さくな伯爵もいるもんだな」
 感心するフランソワの横でヴォルマルフは肩を落としていた。
「伯爵……シドルファス・オルランドゥ伯爵――<雷神シド>として名高いあの方ではないか! よりによってそんな方にこんな姿を見られるとは……」
「ヴォルマルフ?」
「伯爵様は私たちのことを、都からはるばる姫の尻を追いかけに来た軽薄な求婚者だと思っているに違いない」
「安心しろよ。伯爵は笑ってたぞ。それにおまえの名前は出してない」
「これから宮廷で伯爵様と顔を会わせる機会があったら――考えるだけで気まずい。ああ、どうか伯爵様が私の顔を覚えていませんように――ファーラム!」
 ヴォルマルフは神にもすがりたい気分だった。
「それで、おまえは姫さん――レディ・イゾルデを探しに行くのか? 伯爵の話によるとあの天騎士と一緒に逃げたらしいが……」
「ああ、もちろんだ。任務を途中で放棄する訳にはいかない。しかし――」
 しかし、私は天騎士に会いに行って何と話せば良いのだろうか。王子の婚約者と駆け落ちしたサー・バルバネスを説得して姫を連れ戻すのか? それとも殿下との約束通り、無事に縁談が頓挫するように姫の駆け落ちを応援しに行くのか? 事態の収拾がつかなくなってきた――このややこしい状況をどうやって解決しろというのだ!
「じゃあな、相棒。俺はエッツェル城に用があるんだ。ルザリアで良い報告を待ってるからな」
 フランソワはヴォルマルフに手を振るとさっさと城の中へ入っていった。しかし、次にこの親友とルザリアの宮廷で会う機会はないかもしれないとヴォルマルフは密かに思った。王の怒りを買うか、王子の失望を招くか、そのどちらかだ。どちらにせよ宮廷を追い出されるのは確実だろう。
 神よ! 哀れな我が身にどうか慈悲の手を!

  

  

  

>Chapter3

  

  

花嫁の決断:Chapter1

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*chapter1

     

  

     

  

 デナムンダ王がブラを攻め落としたらしい――朗報はすぐにイヴァリースの王都にも届けられた。その興奮は直接戦地に赴かずに宮中の護衛の任についていた騎士たちにも十分に伝わったようだった。
「伝令によるとデナムンダ王の勝利には北天騎士団の将軍サー・バルバネス・ベオルブが大いに貢献したという。オルダリーアに軍配を上げて上機嫌の陛下はその場でサー・バルバネスに天騎士の称号を授けたらしい」
「そうか、それは名誉なことだな」
 ヴォルマルフはルザリアの宮廷で遠い戦場の様子を友人から伝え聞いていた。天騎士といえば騎士の最高の将軍だ。サー・バルバネスの素晴らしい戦いぶりを想像して、ヴォルマルフは心の底から羨望を感じた。
 ヴォルマルフは二十二歳。成人してようやく一人前と認められた若き騎士であった。濃いブラウンの髪に、髪色と同じ色の瞳を持っていた。その端正な顔つきと礼儀正しく穏やかな物腰のおかげで宮廷での評判は高かったが、一方の本人はそういった噂話や他人の名声といったものには大した興味を持たない宮廷ではやや珍しい部類の人間であった。ヴォルマルフはオルダリーアへの侵攻作戦には直接参加しないで王都に残った騎士の一人だった――彼は遠征中の国王に代わって王都を守る王子付きの騎士なのであった。
「しかし、いくら鴎国の首都とはいえ、陥落させるまでに随分と時間が掛かったものだな」
 友人にそう言うと、ヴォルマルフは国王がオルダリーアに宣戦布告をした日のことを思い出した。その時、ヴォルマルフはまだ十歳かそこらだった。つまり、オルダリーアへの宣戦布告から十年近くが経過していることになる。十年という月日は以外と長い。国王の布告を聞いたときはまだ見習い騎士であったヴォルマルフも十年経った今や立派な騎士である。
 この十年の間、ヴォルマルフはこの戦争で騎士として戦い、手柄を立てたいと密かに思っていた。けれど、畏鴎両国の間で表だった戦闘はなく、膠着状態が続いていた。十年。その長い年月の間にヴォルマルフは戦さで功績を上げるという夢を忘れかけていた――しかし、バルバネスが国王のために戦い天騎士の称号を得たというたった今飛び込んできた朗報は、ヴォルマルフの忘れかけていた夢を再び思い起こさせた。彼も騎士である。戦さで手柄を立てて功績を認められることは騎士の誉れだ。そしてサー・バルバネスのように自分の騎士団を持てたなら――騎士ならば誰でも憧れるようなたわいもない、ありふれた夢だ。だが武家の棟梁の出ならまだしも、ただの名もなき地方貴族の出であるヴォルマルフには果てしなく遠い夢だった。
「十年もかかったか。たしかに長いといえば長いが……」
 ヴォルマルフの話相手となっているのは彼の宮廷での親友フランソワだった。彼はヴォルマルフより五歳年上で、宮廷で見習い騎士をしていた頃から何かと面倒を見てもらっていた。
 彼らは代わり映えのない宮廷生活の退屈さを紛らわせるために、華やかな戦場の出来事に思いを馳せていた。
「デナムンダ大王がオルダリーアに宣戦布告したのはゼラモニア独立支援のためだった――少なくとも、表向きには」
「フランソワ、詳しいのだな。私はその頃まだ十歳だった。政治のことはよく分かっていなかった」
「大王は、オルダリーアのディワンヌ王亡き後の王位継承に納得がいかなかったのさ。デナムンダ王と鴎国のヴァロワ王は仇敵同士だ。畏鴎両国がゼラモニアを挟んでにらみ合っているという寸法だ」
 フランソワは宮廷の侍従長官の息子だった。その家柄もあってか、国内外の情勢に通じていて国王の動向にも詳しかった。また、彼はヴォルマルフと違って剣をふるう騎士ではなくペンを持った詩人であった。フランソワのような宮廷詩人の役目は宮廷の内外の出来事を詩にしたためて、王の権威を誇示することである。つまり、彼は情報屋であり、こういった世情に通じた人なのである。逆にヴォルマルフはこういった分野にはてんで疎いのであった。
「しかし、この十年で両国の間に目立った戦闘はなかったではないか。戦争は終結したのだと私は思っていた」
 ヴォルマルフは言った。戦争が終わったのなら戦場で手柄を立てる機会もないだろう、とずっと落胆していたのだ。
「あくまでこの戦争の名目はゼラモニアの支援であったからな……ゼラモニアはオルダリーア戦闘を仕掛ける気がなかったのだ」
「なぜだ? 王国の独立は民の希望ではなかったのか」
「勿論そうだろうよ。だが、それを見越してオルダリーアが先手を打ったのだ。ゼラモニアの旧王家の血を引く諸侯や彼らの妻子をブラの宮殿に迎え入れたのだ。つまり、オルダリーアは<人質>を取ることで反乱を事前に鎮圧させたのだ」
「そうか……」
「オルダリーアの目論見通りゼラモニアはこの十年、宗主国であるオルダリーアに反乱を起こすことなく服従していた。だが、不満を募らせたのは我らが国王だ。ゼラモニアと同盟を結ぶことでせっかくオルダリーアに侵略する口実が出来たというのに、当のゼラモニアは進軍に乗り気ではないのだから話にならない。しばらく様子を見ながら進軍の機会を眈々と狙っていたのだが――とうとうしびれを切らしたのだろう。国王は誰が見てももう老体だ。老い先が短いことを悟り、死ぬまでにヴァロワの首を取りたいと考えたのだろう。此度のブラ侵攻も、おそらく我らが国王が重い腰のゼラモニア諸侯に圧力を掛けて挙兵させたのだろう」
「陛下らしいやり方だ」
 ヴォルマルフはルザリアの宮殿で長く暮らしていたので国王の人となりについてはよく知っていた。泣く子も黙る戦大王、というのがデナムンダ王のひそかな渾名だった。もっとも、王はイヴァリース各地での狩猟に明け暮れており宮殿にいることは滅多になく、王国の内政については王の嫡子であるアンセルム王子に任せっきりであったが。
「まあ、勢いがあって精力旺盛なのは良いことだ。戦大王のおかげでイヴァリースは他国の侵略を免れている。そもそもデナムンダ王とヴァロワ王との間に確執が生まれたのは、鴎国の先代の国王が跡継ぎも作らずに死んだせいだ。その点では、我らが国王陛下は安心だ。正嫡の王子も王女もいるし、庶子にいたっては数え切れないほど作ってしまったのだからな」
 フランソワは笑いながら話した。ヴォルマルフは彼の皮肉屋な性格をよく知っていたので、人前であまり王の批判はするなよ、とだけ親友に告げた。親友が宮廷で敵を作らないようにと思っての忠告である。ところがフランソワはヴォルマルフの心配も気にせず「批判精神は詩人の美徳の一つさ」と返した。

  

  

「サー・ヴォルマルフ、殿下がお呼びです」
 折しも、フランソワと王に関する不穏な話をしていた最中だったので、急いできたらしい王子の小姓に名前を呼ばれたヴォルマルフはその場で飛び上がらんばかりに驚いた。心臓が止まるかと思った。なのにフランソワは涼しい顔をしている。ヴォルマルフは親友をにらみつけた。
「私に何の用だ?」
「殿下が<内密かつ重大なお話>があるので至急来て欲しいとのことです」
 息を切らして走ってきた小姓はヴォルマルフに王子の伝言を伝えた。ヴォルマルフは何のことやら察しかねて首をかしげた。そしてあまり深刻な事ではないと良いのだが、と気乗りのしない腰を上げた。
 小姓に案内されてヴォルマルフが通されたのは王のプライベートな私室だった。アンセルム王子は臙脂色の丈の長い長衣を着て部屋の机に向かっていた。机の上には一通の手紙が置かれていた。王子がそれを深刻な表情で見つめているので、それが重要なものであるとすぐにヴォルマルフは分かった。
「お呼びですか、殿下」
「おお、さっそく来てくれたかヴォルマルフよ。これを見よ。父上が私に手紙を寄越したのだ」
「陛下が……そういえば陛下はゼラモニアで素晴らしい戦果を上げられたそうですね。先ほど私らのもとにも戦報が届きました」
「そうだ、それが問題なのだ。私を悩ませるのはいつも父なのだ」
 アンセルム王子は長いため息をついた。アンセルム王子はアトカーシャ王家の人間に共通した美しい容貌――ブロンドの巻き毛――を持っていた。王子は王家の象徴でもあるその綺麗なブロンドの髪を長くのばしていた。彫りの深い顔立ちもあって、王子はその場にたたずむだけで肖像画のように美しい人であった。彼は容貌こそ父である国王とそっくりであったが、性格は真逆であった。デナムンダ国王が血気に盛んな戦大王であるのに対して、王子は温厚で柔和な気質だった。芸術と音楽をこよなく愛し、父である国王と一緒に鴎国遠征に行くこともなかった。アンセルム王子は遠征中の国王不在の代理として王宮で政務にあたっている、というのが表向きの理由であったが、実際のところは王子が剣を持って戦うことを好まないからだということを臣下たちは薄々察していた。
 そのアンセルム王子が非常に険しい表情をしている。視線の先にはデナムンダ国王から届いたらしいの手紙が置かれている。
 また陛下が無理難題を押しつけてきたのだろうか、とヴォルマルフは思った。国王の縦横無尽な振る舞いに王子が手を焼いていることをヴォルマルフは知っていた。
「ヴォルマルフよ、これを見よ――この手紙によると父はブラを攻め落とし種々の戦利品を手に入れたらしい。オルダリーアからは勿論のこと、ゼラモニアからも同盟と協力の見返りに少なからぬ財を受け取ったようだ」
「それは良きことです――陛下に栄光を。イヴァリースの繁栄は陛下のおかげです」
「父はこう書いている――『私はおまえに、私が手に入れた中で最良のものを与える』と」
「……それは何でしょう?」
「妻だ。どうやら父はゼラモニア貴族の娘をもらったらしいのだ。つまり私にオルダリーアから連れてきたゼラモニア貴族の娘と結婚せよと命じている――だが私はその結婚に気乗りがしない。父の望む結婚など私は断る」
「左様でございますか……」
 さすがにデナムンダ国王は齢五十を超えている。老体の身とあっては若い娘と釣り合わないと感じ、息子に若妻を譲ってやろうと思ったのだろうか。
「父はどうやら私に相談することなく話を進めたようだ。その娘をゼラモニアまで迎えに行き、ルザリアまで連れてくるようにと父は私に命じている。ヴォルマルフ・ティンジェル。私は父である国王の名の下に、おまえにその護衛の任を命ずる」
 王子の婚約者。つまり未来のイヴァリース王妃となる人を迎えにいくのだ。ヴォルマルフは冷や汗をかいた。これは大任すぎる。とても二十才そこらの若者に任せる護衛ではないだろう。つまり、何か事情があるのではないか。ヴォルマルフは不審に思った。
 彼の思惑は当たった。アンセルム王子はこう付け足したのだった。
「――だがもう一つ、アンセルム・デナムンダ・アトカーシャの名の下に命ずる。娘に会い、この望まぬ縁談を穏便に破棄せよ――」

  

  

「ヴォルマルフ。どうした? 干上がった魚みたいな眼をしてるじゃないか」
 アンセルム王子の私室を辞し、ヴォルマルフはフランソワの場所に戻ってきていた。王子との話の内容が気になるフランソワにせっつかれていたが、当のヴォルマルフは上の空だった。まだ王子の言葉が脳裏にこびりついていた。
「ヴォルマルフ! おい、どうしたんだよ。殿下の私室に呼ばれるとは随分な話じゃないか。大事な任務を任されたんじゃないのか?」
「ああ――婚約を――」
「婚約! とうとうおまえも結婚するのか! 殿下が仲人か? それは素晴ら――」
「違う! 私ではない――殿下の婚約だ。陛下の命令で殿下の婚約を取り持つように言われ、殿下の命令で陛下の婚約を破棄するように言われた」
「おいおい、俺にも分かるように話せ。おまえが何を言っているのかさっぱり分からん」
「つまりだな――」
 ヴォルマルフは順を追って説明をした。
「なるほど。おまえはこれからゼラモニアまで殿下の婚約者を迎えに行き、そして婚約者を説得して婚約を破棄させるのか。殿下はあくまで相手方の都合で婚約を取り消すという流れにしたいのだな」
 フランソワは興味津々という顔で腕を組んだ。
「そうだ。アンセルム殿下は父である陛下の決めた縁談を表だって破棄することを望んでいない。だが、それでもこの婚約は王の取り決めなのだ。破談になったら王の怒りを買うのは間違いない。つまりこの任務に就いた私は宮廷での地位を失う――せっかく騎士になれたばかりだというのに――それどころか、もしかしたら首が飛びかねない」
「だが、そのゼラモニアの姫様を婚約者としてルザリアに連れてきてしまえば、今度は王子の機嫌を損ねるという訳か」
「どちらにせよ、私が宮廷で出世できる望みは絶たれることになる」
 ヴォルマルフは我が身のことを思い、その場に倒れ込みそうだった。どうすれば良いのだ。アンセルム王子が強権的な国王に振り回されているのを知っているヴォルマルフは、なんとか王子の力になりたかった。けれど、大した肩書きもない一介の騎士がこじれた王家の結婚問題を解決するのはどう考えても不可能だ。
「まあまあ、そう悲観的になるなよ。おまえがうまく立ち回ればその悲劇は回避できる。要は、姫様の気を反らせて、ゼラモニア側からこの婚約を破談にさせるようにし向ければ良いのだろう?」
 これはおもしろい事になったとばかりにフランソワは楽しげな素振りを見せていた。ヴォルマルフはあきれた。これだから詩人の友達は持つべきではない。考えるより先に口から言葉が出てくる。
「フランソワ! 事の重大さを分かって話しているのだろうな! この任務はイヴァリース王家の将来が――私の未来も――かかっているんだぞ! 王子の婚約者はゼラモニア貴族の娘だという。イヴァリース王家と血縁関係になれるチャンスをわざわざ捨てるとは思えない」
「父親はな。だが娘はどうだ? 故郷を離れて見ず知らずの男のもとに嫁ぐ気になるか? しかも彼女は今までずっと祖国を離れて敵国で<人質>として暮らしていたんだろう。女心を読めよ。彼女の気持ちを考えれば分かるだろう。それだけさ。簡単なことだろ」
「女心など分かるものか。私はまだ結婚もしていないというのに――プロポーズをする前に破談の策略を仕掛けにいかなくてはならない」
 女心! そんなものが分かるはずもない。なのに縁談の調停役をしなければならないとは皮肉なことだな、とヴォルマルフは思った。
「しかし、なぜ王はゼラモニア貴族の娘を王家に迎え入れようと思ったんだ?」とフランソワ。
「さあ。だが、殿下が結婚に反対する理由は察しがつく――陛下の干渉を退けたいのだろう。」
 アンセルム王子はヴォルマルフやフランソワより一回り年上のまだ若き王族だった。父親であるデナムンダ国王は独裁君主として采配を振り続け、息子にふさわしい結婚相手を見つけてきた。そう、アンセルム王子は既に結婚していた。だが、不幸なことに王子妃は流行病で二年前に帰らぬ人となっていた――次々代のイヴァリース国王となるであろう跡継ぎ一人を残して。
 ヴォルマルフは王子付きの騎士として、王子夫妻のことをよく知っていた。アンセルム王子は政略結婚とはいえ王子妃のことを愛していた。だからこそ、妃亡きあと数年も経たずに、再び国王から結婚を押しつけられるのは我慢がならないのだろう。ヴォルマルフは王子に同情した。王子の望みのためならどんな労力も厭わないとさえ思っているのであるが――
「フランソワ。私はこの任務を果たすべきなのか分からなくなってきた。陛下の真意は定かではないが、ゼラモニアとイヴァリースの同盟を維持したいとお考えなのだろう。だとしたら、私はイヴァリースの騎士としてこの結婚を取り持つべきではないだろうか――それとも、やはり仕えるお方の為に忠義をしめして、殿下のお心の平穏の為に働くべきだろうか。どちらが良いのか私にはさっぱり分からない」
「ふむ……」
「それに、気がかりなのは婚約者の娘のことだ。<人質>としてブラで幽閉されて育ったのだろう。そしてやっと祖国に帰還することができたかと思えば、息つく暇もなくすぐに他国の王家の見知らぬ人間のもとへ嫁がされるのだ。不憫な運命だと思わないか?」
「小国の貴族の宿命だな」
「彼女にとって、この結婚は望ましいものではないかもしれない――だが、こう考えることもできる。殿下は結婚に乗り気ではないとはいえ、温厚なお方だ。跡継ぎがいるからといって後妻の王子妃を冷たく見放すような性格ではない。けれど、もし、この婚約が破談になれば、彼女はまたどこかの貴族と結婚させられるのだろう。その未来の夫がアンセルム王子のように柔和な人柄である保証はない。妻に手を挙げる横暴な夫である可能性だってある。つまり、私の決断が彼女の一生を左右することにな――」
「分かったよ――おまえがごちゃごちゃと考える性格なのは分かった」
「フランソワ! おまえはもっと真面目に考えろ! イヴァリースの王国の未来と殿下とその婚約者の未来も私の決断一つに懸かっているんだ」
「ヴォルマルフ。もっと肩の力を抜けよ。俺たちはまだ二十代なんだ。国の将来と娘の人生を担ぐにはまだ若すぎる」
 ヴォルマルフは眉間にしわを寄せている。彼が勤勉で堅実な性格なのはフランソワも十分承知している。その誠実な人柄あってこそ王子の信頼を得てこのような大役を任されたのであろうが――どうやらこいつには少々荷が重すぎるようだ。
 ふと、フランソワの脳裏にある計画がよぎった。
「そうだ! おまえがその姫さんと結婚すればいい。そうすれば婚約破棄もできる、彼女の将来も安心だ。名案じゃないか?」
「馬鹿! 相手は殿下の婚約者なのだぞ! そんなことをしでかしたら私が王子の婚約者を寝取ったと思われるだろうが!」
 親友の突飛な発言にヴォルマルフは吹き出した。何が「名案だ!」だ。そんな計画を立てようものならヴォルマルフの宮廷での地位が危ぶまれる。
 ヴォルマルフは小さくため息をつくと思った。戦で手柄を立て、自分の騎士団を持つ――そんなことは夢のまた夢だと。

  

  

  

>Chapter2

  

  

花嫁の決断:Prologue

.

     

  
*prologue

     

  

     

  

 ――鴎国首都ブラの王城にて

 イゾルデは城の地下の武器庫に逃げ込むと、その場に小さく縮こまった。部屋の四隅には剣やら槍やら斧やらが整頓されることなく無造作に積まれていた。イゾルデはその中から一本の長剣をそっと引き抜いた。それは深紅のドレスを纏ったレディには似つかわしくない物騒な武器だった。彼女は生まれて初めて持った剣の重さに驚き、少しよろめいた。
 彼女は不運なことにあと一時間もしないうちに死ぬ運命にあった。
 レディ・イゾルデ――彼女はオルダリーアの隣国<だった>ゼラモニア――今はオルダリーアの属州――の出身であり、父親はゼラモニアの名高き諸侯であった。オルダリーアによるゼラモニア併合に不満を持つ当地の諸侯の反乱をおそれたオルダリーア当局はゼラモニアの諸侯の妻子らを首都ブラの宮殿に招いた。つまり、<人質>を要求したのであった。イゾルデもその一人であった。彼女はブラの宮殿で何一つ不自由ない優雅な生活を送っていたが、それも祖国の服従あってのかりそめの自由だった。もし、ゼルテニアに独立反乱の気運が少しでもあろうものなら、彼女ら<人質>の命は保証されなかった。
 今、彼女はブラの宮殿の脱出を試みていた。大国への服従に耐えかねたゼラモニアがとうとうオルダリーアに対して挙兵したのである。彼女は祖国の動向を宮中の侍女らから伝え聞いた。ゼラモニアが反乱を表明したということは、つまり彼女ら<人質>の命が危ないということだった。イゾルデは彼女の世話をしていた侍女や小間使いたちにが戦さに巻き込まれないように安全な場所に逃がすと、自らも逃走をはかった。だが、どこへ逃げればよいのかさっぱり分からなかった。
 イゾルデは生まれてからこのから二十数年をブラの宮殿で過ごしていた。閑雅で享楽的な宮廷人たちと一緒に暮らし、イゾルデはすっかり楽観的な姫様暮らしが板に付いていた。しかし、いくら苦労知らずの姫様暮らしに慣れきっていたイゾルデであっても、彼女の祖国ゼラモニアが大国オルダリーアにどうあがいても太刀打ち出来るはずがないと思えるだけの理性は残っていた。彼女は今、城の地下の武器庫で剣を握りしめながら、父は気が狂ってしまったのではないかとさえ思っていた。父はどうして家族を見捨てて勝ち目のない戦さを挑んでしまったのだろう。ああ、私はあと一時間もしないうちにオルダリーア兵に殺されるんだわ――イゾルデの状況は絶望的だった。
 彼女が震える手で剣を握りしめている時、廊下に足音が響いた。誰かが近づいてくる。イゾルデはその足音の主が何者であるか分からなかった。逃げ出した<人質>を捕らえにきた城の衛兵か、それともオルダリーア側の兵士が城に乗り込んできたのかだろうか。父が敵国に捕らわれた娘を助けに颯爽と現れる――そんな奇跡的な展開は想像できなかった。名もなき騎士が捕らわれの姫を助けに来てくれるのは、吟遊詩人の歌うロマンスの中だけのことなのだ。こんな馬鹿げた空想にふける暇があるのなら、神に祈った方がまだ有益であるとイゾルデは思った。
 扉を叩く激しい音がした。武器庫に鍵はかかっていたが、蹴破られるのも時間の問題だった。イゾルデは身構え、剣を力強く握った。戦い方は全く知らなかったが、こうして剣を構えておけば少なくとも威嚇にはなるかもしれない、とわずかに願いながら。
 とうとう扉が破られた。現れたのは長身の甲冑姿の騎士だった。土埃で汚れた白いマントを羽織っていた。相手の騎士は武器庫に人が居ると思っていなかったのか、イゾルデを見つけると驚いてその場に立ち止まった。
 イゾルデはおそるおそる口を開いた。気分はさながら死刑執行前の罪人のようだった。
「騎士さま、あなたはどなたですの? ゼラモニアの方?」
「いいえ」
 その返事を聞いてイゾルデは身震いした。ではこの人はオルダリーアの兵士だわ。神よ!
「――では、オルダリーアの方ですの?」
「いいえ」
 その答えを聞いてイゾルデはその場で硬直した。ゼラモニアの兵士でもなく、オルダリーアの兵士でもなければ、この男は一体何者であるか。
「私はゼラモニアの者でもオルダリーアの者でもありません。私はあなたのお父様の名前のもとに、イヴァリースより来ました――バルバネス・ベオルブです」
 イヴァリース。それはゼラモニアのさらに向こうにある大国だ。でも、なぜイヴァリースの騎士がオルダリーアに居るのだろうか。その騎士がなぜ父の名を?
 バルバネスと名乗る騎士は兜を外した。兜の下の凛々しい顔を見てイゾルデは驚いた。事情はさっぱり分からないが、なんて端正な顔立ちをしているのだろうか。彼は長いブロンドの髪を後ろで無造作に束ねていた。額に汗がにじんでいた。そして、やっと彼女は気づいた――バルバネスと名乗る男はイゾルデの父親の名前を出した。つまり、この人はオルダリーア兵を倒して私を助けにきてくれたのだ!
 バルバネスは、自分のマントを外すと、イゾルデにそっと羽織らせた。イゾルデはその時、彼の白地のマントに緑の獅子刺繍でほどこされているのに気づき、獅子がイヴァリースの王家の紋章であるということを思い出した。
「あなたがレディ・イゾルデですね?」
 バルバネスの問いかけにイゾルデは「はい」とだけ答え、差し出された手を取る。
 この騎士さまは私の手をとって私の祖国へ連れていってくれるのだ! 自分はもはや殺されることなく、あとはこの騎士に全てを委ねればよいのだと思うとイゾルデは安堵のあまり体中の力が抜けた。なんて素晴らしいことかしら。無事ゼラモニアへ帰れたら城に来ている吟遊詩人に少しは敬意を払おうと彼女は密かに誓った。なぜなら、彼らの語る物語に真実があると分かったからだ。
「いやあ、城中を探しましたよ、レディ! しかしまさか武器庫にいらっしゃるとは!」
「あら――」
 イゾルデは自分が剣を手にしたままであることを思い出した。数分前まで彼女は生きるか死ぬかの必死の思いで剣を握っていたのだ。けれど、もうその心配はどこかに消え去っていた。突然現れたこの素敵なブロンドの騎士に任せれば、全てが大丈夫なように思えた。
「レディ、こんな場所で何をしていたのですか。まさか剣を持って戦うおつもりでは――」
「ええ、私も加勢しようと戦いの準備をしていたところだったのです」
 殺されるかもしれないという不安が消し飛んだおかげで、イゾルデは持ち前の明るさを取り戻した。ブラの宮廷に群がる騎士たちと楽しくおしゃべりをしていた日々を思い出した。すっかり安心したイゾルデは剣を棚に戻すと笑って答えた。「騎士さま、私も一緒に戦いたいのですが、あいにく私にぴったりな鎧がないようでして。オルダリーアの騎士たちがみんな持って行ってしまったようですわ」
 イゾルデの返答にバルバネスはほほえんだ。
「それは頼もしいお姫様だ。それでは私の護衛は必要ないかな?」
「いいえ! あなたのような騎士さまに護衛してもらえるのはとても光栄なことですわ! それに私、生まれてからずっとブラで暮らしているのです。ゼラモニアへの行き方も知りません――あなたのエスコートなしには故郷へ帰れませんわ」

  

  

  

>Chapter1

  

 

花嫁の決断:前書き

.

     

  

     

【前書き】
・五十年戦争時代のイヴァリースを舞台にしたヴォルマルフ×奥さんの小説です
・バルバネスさんも出てきますが、メインで活躍するのはヴォルマルフさんです
・オリジナル展開満載の二次創作です
・オリジナルキャラの出番もあります。ご注意ください

  

  

【時代設定など】
・五十年戦争開戦直後(オルダリーアがゼラモニアを併合→イヴァリースがオルダリーアに宣戦布告)
・デナムンダ2世の治世(FFT本編で登場するオムドリア3世の曾祖父の時代)
・オルダリーアがゼラモニアを併合してから二十数年が経っている

  

  

【登場人物】
・ヴォルマルフ(22)…ルザリアの宮廷の廷臣。王子付の騎士。地方貴族の生まれ。真面目。自分の騎士団を持ちたい。
・イゾルデ(23)…ゼラモニア旧家のお嬢様。オルダリーアのブラ育ち。容姿も性格も華やか。
・フランソワ(27)…ルザリアの宮廷の廷臣。詩人。ヴォルマルフの親友。賑やか。口悪い。
・バルバネス(35)…北天騎士団の将軍。最近天騎士の称号をもらった。見た目涼やか。息子が二人いる。
・デナムンダ国王(5?)…イヴァリースの王(デナムンダ2世)。好戦的。愛称は<戦大王>
・アンセルム王子(34)…イヴァリースの次期国王(後のデナムンダ3世)。おだやかな芸術家肌の王子様。

  

  

  

>Prologue

  

 

Aspects of Family:あなたのお誕生日はいつ?

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あなたのお誕生日はいつ?

     

  

     

  

 ヴォルマルフ・ティンジェルはミュロンドの神殿騎士団の騎士団長である――そして二児の父親でもある。彼は妻の忘れ形見の二人の子どもたちの子育てに奮闘中であった。
「ヴォルマルフよ、実はこのあいだ息子たちに『お母さんが欲しい』と言われてしまってな……」
 ヴォルマルフと天騎士バルバネスは旧知の仲であった。二人とも同じ騎士団長であり、そして二人とも子育てに悩む父親であった。といっても、バルバネスの方が年齢も身分も父親歴も上であった。だから旧知の仲といっても、ヴォルマルフはバルバネスに礼儀を欠くことなく折り目正しく接していた。
「サー・バルバネス……それは災難でしたね」
 バルバネスはヴォルマルフに家庭の愚痴をこぼしていた。天騎士の家の家庭事情もなかなかに複雑なのだ。
「他人事ではないぞ、ヴォルマルフ。おまえも父一人で二人の子どもたちの面倒を見ているだろう。いつ『お母さんが欲しい』と言われてもおかしくはないぞ」
「ご心配は無用です。天騎士様。私の子どもたちは私にとても懐いております。それに、私は仕事にかまけて家庭を省みないような人間ではありません」
 ヴォルマルフはバルバネスに誇らしげに言った。たしかに、メリアドールとイズルードには母親がいなくて寂しい想いをさせていまっているかもしれない。だが、ヴォルマルフは再婚するつもりは全くなかった。母親の分まで自分が愛せば良いことだ。
「そうか……それは羨ましいかぎりだ。私は最近、騎士団の仕事が忙しくてな。なかなか家に帰れない。だから、たまに帰るとつい息子たちを甘やかしてしまう」
 バルバネスは、困ったものだ、とため息を漏らした。
「だが、ダイスダーグにはいずれ騎士団を継がせようと思っている。父親としての威厳も見せてやらないとな……ヴォルマルフ、貴殿のところも子ども達に騎士団を継がせるのか?」
「ああ……」
 ヴォルマルフは曖昧に答えた。
 自分の跡を誰が継ぐのか、そんなことは考えたこともなかった。

     

  

「パパ! おかえりなさい」
 ヴォルマルフが家に帰ってくるとすぐに娘が駆け寄ってきた。父親の帰りを待ちわびていたようだ。遅れてイズルードも走ってきた。「父さん、おかえりなさい」
 ヴォルマルフは二人を抱きよせてただいまのキスをした。
「パパ、もうすぐ私の誕生日なの。覚えてる?」
「もちろん」
 磨羯の月の二日。忘れるはずもない。
「私ね、誕生日に欲しいものがあるの……パパにお願いしてもいい?」
「可愛い我が子の頼みごとなら何でも聞こう。メリア、何が欲しいんだ?」
「新しいパパが欲しいの!」
 娘の言葉を聞いてヴォルマルフはその場で硬直した。
 新しいパパだと?
「そっそれは……もうこのパパはいらないと言うのか……?」
 ヴォルマルフは恐る恐る聞き返した。ここでメリアドールにうなずかれたらショックで死んでしまうだろう。
「ううん、そうじゃなくて……一緒に遊んでくれるパパが欲しいの」
「ああ、そういう意味か……イズルード、おまえも新しいパパが欲しいか」
「僕は今の父さんでいい。でも、もっと一緒にいたい」
 やはり子たちは寂しがっているのだ。仕事を放り出して一緒に遊んでやりたい気持ちは山々だが……そうは出来ないのが騎士団長のつらいところだ。
「パパはいつも何をしているの?」
 メリアドールが聞いた。
「教会のお仕事をしているんだ」
 子どもたちに神殿騎士団の仕事について、ちゃんと話してはいなかった。というより、言えなかった。
 神殿騎士団の仕事といえば、教会が表沙汰に処理できない裏の仕事を片づけることだ。娘に向かって、パパの仕事は民衆を殺して真なる神のために生き血を集めることだと言えるだろうか。無理だ。
「父さんは騎士団のとても偉い人だってこと、僕は知ってるよ。僕も父さんみたいな騎士になれる?」
 何と答えれば良いのか……ヴォルマルフは戸惑った。息子に父親と同じ騎士になりたいと言われるのは嬉しい。だが素直に喜べないのだ。
「私の方が先に騎士になるのよ! 私がお姉さんなんだから!」
 メリアドールが割り込んだ。
「ああ……そうだな。二人とも良い騎士になれるだろう」
 ヴォルマルフは交互に二人の頭を撫でた。

     

  

 ローファルはミュロンド寺院の地下墓所の中でじっと佇んでいた。この墓所が薄暗く不気味な雰囲気を醸し出しているのは、この場所が聖天使への生け贄を捧げる場所に選ばれているからだ。ここへ立ち入ることが出来るのは、神殿騎士と、彼らに屠られることになる、哀れな生け贄たちだけであった。
 ローファルは覚悟を決めて、自らの死を受け入れた――生け贄として血を捧げる決意をしたのである。
 彼はクリスタルに宿る太古の知識を得るために身体を犠牲にした。そして膨大な知識を得た。だが、その結果、グレバドス教会について知ってはいけない真実までを知ってしまったのである。信仰も肉体も失った。
 教会にとって、不死の肉体とは便利なものだった。殺しても肉体は蘇り続けるのだ。その肉体が滅しないかぎり生き血が永久に手に入る。教会がそのような不死の肉体を持つローファルに目を付けないはずがなかった。すぐに彼は捕らえられ、教会のために<奉仕>せよと命じられた。
 ローファルは抵抗しなかった。聖石から叡智を授けられた時点で、人としての真っ当な生き方は放棄していた――せざるを得なかった。彼の中にはどんな呪われた運命を超然として受け入れる、ある種の諦観が生まれていた。
 静かな地下墓所に足音が響いた。
「……あなたが来るのを、お待ちしておりました」
 ローファルは振り向かずに言った。相手は誰だか分かっている。神殿騎士団団長のヴォルマルフ・ティンジェルだ。誰からも恐れられ、彼自身が悪魔と契約していると噂されるほどであった。このままローファルのことを何の感情もなく斬り捨てることだろう――
 沈黙。
 長い沈黙。
 そして、長い沈黙の後、何も起こらなかった。
「ヴォルマルフ様?」
 ローファルが怪訝に思って後ろを振り返ると、そこには一人の男が立っていた。肩に小さい女の子を担ぎ、空いた手で彼女と同じくらいの背格好の男の子を連れている。剣は腰に差していたが、どうみても家族連れの父親だ。
「あの……私はここで神殿騎士団のヴォルマルフ・ティンジェルという人物を待っているのですが……」
「私がヴォルマルフだ」
「人違いではなくて……?」
 ローファルは聖石を手にしてからというもの、何に動揺することもなくなった。けれど、さすがのローファルも驚かざるを得なかった。娘(?)を肩に担いだまま人を殺しにきたのか? しかし、娘(?)にそんな殺戮の場を見せるとは、悪趣味な父親だ……
 けれど、ヴォルマルフは動かなかった。
 ローファルもどうして良いか分からず動けなかった。
「あの、あなたは何のご用でここにいらっしゃったのでしょうか……」
 ローファルは困惑して言った。
「そ、それは……私もどうしてよいか分からなくなった」
 ヴォルマルフも困惑している様子だった。ローファルはますます訳が分からなくなった。

     

  

「しっかりしてください、あなたが騎士団長でしょう」
 結局、ヴォルマルフはローファルを殺さなかった。そして、そのまま彼をミュロンドの自宅に案内した。
 このまま血を抜かれる覚悟をしていたローファルは拍子抜けした。
「何故、私を殺さなかったのです? 血を集めることがあなたの役目でしょう」
「いや……ずっと娘を担いできて手が疲れてしまって」
「……そんな理由がありますか」
 ローファルは呆れた。神殿騎士団に目を付けられたら最期、一滴残らず血を絞り取られる、とまで陰でささやかれているというのに……
「だいたい、地下墓所に娘さんと一緒に来るとはどういう事です?」
「娘だけじゃない、息子もいた。イズルードのことも忘れないでやってくれ」
「ヴォルマルフ様……私の言っている意味が理解できますか」
「ああ、分かっているとも。私だって好きで家族を連れ込んだわけじゃない。子どもたちに父親の仕事している姿が見たいと頼まれ断れなかったのだ。父親が働いてないと思われたら、父の尊厳が台無しだろう」
「はい……それは、そうですね」
「……それで断れなかった。そしてつい娘に言ってしまったのだ。『パパは教会の騎士で、悪い人をやっつけるのが仕事なんだ』と――どうしよう」
「そんな事実と全くかすりもしない職務内容を言っておいて……私はフォローしかねます」
「だが事実をいったら嫌われるだろう。父親が陰で人間の生き血を集めていると知ったら、どう思われるだろう」
「父親と見なしてもらえないでしょうね。人間と思ってもらえるかも……」
「駄目だ! 絶対に駄目だ! それだけは避けねばなるまい」
 ヴォルマルフは悲痛な叫び声をあげた。
「ヴォルマルフ様……つまり、総括すると『子ども達の前で良い父親の格好をつけたかった』と言うことですね」
「うむ。その通りだ。おまえは……たしかローファルとか名乗ったな。運が良かったな。私の子らのおかげで命が助かったのだ。感謝することだ」
「そう言われましても……」
 ローファルは自分のことをもてあましていた。
 生きていることを感謝しろと言われても、元々捨てたも同然の人生だ。
「なんだ、嬉しくないのか?」
「ええ……でも私を殺しても別に構わないのですよ? この肉体は教会に捧げるつもりだったのです。どうぞ好きに使ってください」
「そう言うのならば、好きに使わせてもらうぞ」
 その時、父親の様子をうかがうように、金髪の少女が入ってきた――飛び込んできたというのが正しいかもしれない。ローファルはこの子がヴォルマルフの箱入り娘なのだとすぐに分かった。
「パパ! この人は? この人は誰? パパのお友達?」
「私は――」
 ローファルは何と答えようか迷った。ヴォルマルフが娘を抱き寄せながらローファルに視線を送っている。絶対に真相をばらすなよ、という顔だ。
「……私はあなたのお父様に助けていただいたのです」
「本当?」
「はい。命を救ってくださいました」
「パパすごい! 騎士みたい」
「おまえが生まれる前からパパは騎士だったんだよ」
 はしゃぐ娘に自慢げに言うヴォルマルフだった。
 それは、紛れもなく、幸せな親子の姿だった。喜ぶ二人の姿を見てローファルは言葉を続けた。
「お嬢様、私がこうして生きていられるのは、あなたのおかげでもあるのです」

     

  

「仕事中に父さんの部屋に勝手に入ったら怒られるよ」
「イズ、黙ってて」
 メリアドールは父が連れてきた若い男の人のことが気になっていた。
 さっきから二人っきりで話している。
 何の話をしているのか父親に教えてもらおうとメリアドールは部屋に入っていった。尻込みしている弟はその場に置いてきた。
「――お嬢様、私がこうして生きていられるのは、あなたのおかげでもあるのです」
 父が命を救ったという、その謎めいた人物は、メリアドールの前で膝を折ってきちんと挨拶をした。
 え? 何? 
 メリアドールは突然のことに少し驚いた。自分が何をしたらこんなに丁寧に感謝されるのかも分からない。お嬢様、なんて呼ばれる経験もほとんどなかった。まるで騎士にかしずかれるお姫様みたい。ちょっと嬉しかった。
「あなたは誰?」
「私はローファル・ウォドリング。教会に仕える人間です」
「じゃあパパと同じね。私のパパも教会に仕える偉い人なの」
「私はあなたのお父様ほど偉い人間ではありませんよ。サー・ヴォルマルフ・ティンジェルは神殿騎士騎士団の団長ですが、私は何の肩書きも持たない存在――ただの人間です」
「……じゃあ、私のパパみたいにたくさん仕事をしなくてもいいの? 私とたくさん遊んでくれる?」
「お嬢様の好きなように」
「嬉しい! すごいわ! 私ね、お誕生日に新しいパパが欲しいと神様にお願いしたの。そうしたらパパがあなたを連れてきてくれた」
「あなたのお父様はヴォルマルフ様ただお一人ですよ。私では代わりになれませんが……」
「でも私とずっと一緒に居てくれるんでしょう?」
「はい」
「だったら、もう私の家族だわ!」
 きっと、誕生日の前に神様が贈り物をくださったんだわ。母はずっと前に死んでしまった。だからメリアドールの家族は父と弟だけだった。でもこれからはローファルが新しく家族になってくれる。素晴らしいことだ。
「ローファル、あなたのお誕生日はいつ? 私は明日なの! お誕生日は生きていることに感謝する日なの。それにたくさんの人が私に『おめでとう』と言ってくれる素敵な日なの」
「誕生日ですか……私の生まれた日は――今日です」
「そうなのね、なら今日はあなたにたくさん『おめでとう』と言わなくちゃ。待ってて、今イズルードを呼んでくるわ」
 メリアドールはローファルに抱き付いて「おめでとう」と言ってから、イズルードを探しに部屋を出た。

     

  

「生きているだけで感謝される日がくるとは……驚きです」ローファルは言った。
「今日が誕生日というのは本当か? うちの娘と一日違いとは偶然だな」
「本当の日は忘れました。でも生まれた日というなら、間違いなく今日です。今日から私は神殿騎士として生きていきます――あなた方と一緒に」
 そうか、とヴォルマルフは頷いた。「……まだ私はおまえを騎士団に迎え入れるとは一言も言っていないのだが」
「メリアドール様が私と一緒に居たいと言っているのに、あなたは反対なのですか?」
「……そうだな。反対するわけがない」
「でしたら――ヴォルマルフ様、私に騎士団をお任せください」
「ふむ、どういうことだ?」
「私があなたの代わりに騎士団の仕事をすれば、あなたはその分お嬢様方と一緒に過ごせる時間が増えます。それに、メリアドール様やイズルード様に騎士団の裏の仕事を任せるわけにはいかないでしょう。私が代わりに騎士団の後継者になります。どうです、名案ではありませんか?」
「なるほど、それは名案だ――とでも言うと思ったか! 私はまだまだ現役だ!」
 いくら可愛い娘のためとはいえ、昨日拾ってきた男に軽率にも騎士団を譲ってしまったと言えば、教皇から大目玉を食らうのは確実だ。それに、ヴォルマルフにも長いこと騎士団を率いてきた統率者としての誇りがある。これは軽々しく応じられる問題ではないのだ。
 ――そういう訳で、ローファル・ウォドリングが神殿騎士団の副団長に任命されるのは、もう少し先の出来事である。

     

  

     

  

初出:2017.09.23
イヴァフェス3発行「The Knight bended knee with a Vow」改題

     

  

Aspects of Family:いつか来るその時まで

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・イズルード10歳くらい
・ウィーグラフ、ミルウーダ、ゴラグロスは幼なじみ設定。

     

  

いつか来るその時まで

     

  

「ハシュマリム、朗報だ! 我々の仲間が見つかったぞ!」
 ヴォルマルフは自宅の庭でイズルードに剣の稽古をつけている最中であった。そこへやってきたのは銀髪の眉目秀麗な男性である。
「……侯爵様、家族の居る前であちらの名前を呼ばないでいただけませんかと何度もお願いしているのですが」
「ああ、忘れていた」
 ヴォルマルフの息子イズルードはまだ十歳。幸い、父親の裏の仕事については何も感づいていないようだった。
 ヴォルマルフは銀髪の貴公子――エルムドア侯爵の後ろに控えている二人の美女の姿を見た。踊り子のような格好をしている。誰もが目を引く……露出度である。ヴォルマルフは一つ咳払いをした。
「それから、侯爵様……申し上げづらいのですが、この信仰の土地に踊り子を連れてやってくるのは、いかがなものかと……」
 正直言うと、目のやり場に困る。
「失礼な! 彼女たちは踊り子ではなくれっきとしたアサシンで私の有能な部下だ」
「……父上、アサシンとはどんな仕事をするのですか?」
 イズルードが純粋な視線をヴォルマルフに向けた。ヴォルマルフはますます困った。息子に「殺し屋」の言葉を教えるのはまだ早い気がしたのだ。
「あら、ベーゼの味を知るにはまだ早いわよ、坊や」
 髪の長い方の美女がイズルードの耳元にふっと息を吐きかけた。イズルードはどうして良いのか分からない様子でおろおろしている。
「……早く本題に入りましょう、侯爵様。仲間が見つかったというのは本当ですか?」
 このまま息子をビューティフル・アサシンと一緒に居させるのは教育上の問題がある。この銀の貴公子には早くお暇を願わなくては。
「ああ、そうだ。聖石が選んだのだから間違いない。ウィーグラフ・フォルズという男だ」
「誰ですか、その人は」
「私も、彼がガリオンヌに居るらしい、としか分からないのだが……聖石の見せるビジョンは曖昧でよく分からない」
 その時、イズルードが「父上」と間に入ってきた。「その人、知ってます。ガリオンヌの若い騎士で英雄のような人だと聞きました」
「聞いた? 誰がそんなことを言っていたのだ?」とヴォルマルフ。
「この間バルバネス様がミュロンドに来てくださった時に、そうお話ししていらっしゃいました」
「そうか……天騎士がそう言うのなら間違いないな」
 ヴォルマルフとエルムドアは顔を見合わせた。
「それで、ハシュ……マルフ、これからどうするのだ?」
「勿論、聖石を持って会いに行きます。そして、私たちの仲間にならないかと交渉してきます」

 ミュロンドからガリオンヌへは少々長旅である。ヴォルマルフは旅の準備をしながら、子供たちに声を掛けていた。家族をここに残したままガリオンヌへ行くのは不安だった。それに寂しい。
 ところが、イズルードはヴォルマルフと一緒に荷物をまとめていたが、メリアドールは行かないと言う。
「メリア……本当にパパと一緒に行かないのか? パパは少し寂しいぞ……」
「うん、行かない。だって北の国は寒いもの。そんなところ行きたくないわ」
 いつも父親の後ろを離れずくっついていた我が娘であるが……もうついてきてくれないとは。ヴォルマルフはショックを受けていた。
「姉さんはもったいないことするなぁ……ラーナーはカニがおいしいのに」
「私はアンタみたいに食い意地がはってないのよ、イズ」
「そんなこと言って! 姉さんの方がいつも大食いじゃないか! お土産は絶対に買ってこないからな!」
「別にいいわよ。お土産はパパにお願いするから。ね、パパ?」
 可愛い娘のおねだり。ヴォルマルフは「よしよし」と娘の頭を撫でた。「ちゃんと良い子で留守番してるのだぞ」
「心配しなくても大丈夫よ。ローファルがいるわ。騎士団のことはローファルに任せておけば大丈夫よ」
「私が心配してるのはお前のお転婆なのだが……」
 まあ、気を揉んだところで仕方あるまい。
「イズルード、行くぞ」
「はい、父上」

 ガリオンヌの市街地にある、とある邸宅。
「なんだ、ミルちゃん一人か。ウィーグラフはいないのか?」
「兄さんはイグーロスへ行ったわ。北天騎士団の将軍さんと話があるって。それと、一人じゃないわよ、あれが居るわ」
 ミルウーダは部屋の隅で一人で飲んだくれている男を指さした。「ゴラグロス、せっかく来たのならあれをつまみ出して。うちに長々と居座ってて邪魔だから」
 ゴラグロスはミルウーダの兄ウィーグラフの幼なじみで、小さい頃から三人で遊んできた仲だった。三人で仲良く石を投げて遊んでいた頃から変わらず、ゴラグロスはこうしてミルウーダの家にふらりとやってくる。ミルウーダの両親は共に数年前に病で亡くなった。今は両親亡き家に兄と二人で暮らしている。といっても兄は不在がちであったが。
「ギュスタヴ……おまえ、またここに居座ってるのか」
「なんだよ、俺がここに居たら悪いみたいなその言い方。骸騎士団の副団長が団長の家を訪ねてくるのは何もおかしくないだろ。ここで作戦を立てた方が効率的だ」ギュスタヴはゴラグロスに言い返した。
「ゴラグロス、そいつの言うことを真に受けちゃだめよ。酒場を出禁になっててうちにたかりに来てるだけだから。兄さんはお人好しすぎるのよ……こんなお荷物を持って帰ってきちゃって……」
 ミルウーダとゴラグロスはウィーグラフ率いる骸騎士団のメンバーだったが、ギュスタヴは元は北天騎士団の騎士だった。素行の悪さからイグーロスを追放され……世話好きの兄ウィーグラフが拾ってきてしまったのだ。ギュスタヴは貴族であった。そのためウィーグラフは、彼に骸騎士団の副団長という肩書きを気前よく用意したのであった。
「兄さんは迷いチョコボとかも律儀に世話するような人だから……なんでこんなお荷物を拾ってくるのよ」
「義理堅い奴なんだよなぁ、ウィーグラフは。ギュスタヴ! おまえはウィーグラフにもっと感謝しろよな」
「――ゴラグロス。おまえに話がある。外に出よう」
 ギュスタヴはゴラグロスを邸宅の外に連れ出した。ミルウーダはギュスタヴが散らかしたあとを悪態をつきながら片付けていた。

「なんだよ、話って」
「ミルウーダのことだ。兄貴は妹を一人残してどこへ行ったんだ」
「仕方ないだろ。ウィーグラフだって忙しいんだよ。ミルちゃんだってそれは分かってるはずだ。戦争が終われば落ち着くさ」
「問題はそこだ。この戦争は終わらない。イヴァリースが敗北を認めるまではな」
「そう、なのか……?」
 ギュスタヴは元は北天騎士団の軍師だった人物だ。今はこんな怠惰な生活を送っているが、イグーロスでは貴族として北天騎士団の軍務に携わっていたはずだ。彼の言うことなら一理あるのだろう、とゴラグロスはうなずいた。こんな奴に指摘されるのも癪に障るが……。
「でも、戦争が終わったら、骸騎士団は役目を終えて解散だろ? そしたらウィーグラフもこっちに戻ってくるんじゃないのか。ミルちゃんと一緒に暮らせる」
「おまえ、戦争が終われば平和になると本気で思ってるのか? ロマンダとオルダリーアへ払う賠償金はイヴァリースの王庫にはないぜ。王庫にない金は領主が払うんだ。つまり、俺たちが奴らの尻ぬぐいをするんだ。骸騎士団も役目を終えて解散するだろうが、報奨金も何も支払われないだろう」
「俺たちの未来は暗いということか……だが、ウィーグラフが俺たちを見棄てるはずがない」
 ゴラグロスは幼なじみのウィーグラフのことを思った。彼は誰からも慕われ、人望があった。彼の父親は商売で財産と名声を築いた地元の名士だった。流行病で父を亡くし財産を相続したウィーグラフはその財力を使って騎士団を立ち上げ、祖国救済のための貢献を惜しまなかった。だが、戦争を続けるには意外と金が掛かるのだ。ウィーグラフが騎士団を運営するために相当な財産を使い込んでいることはゴラグロスにも察せられることだった。
「そう、あいつは自分の騎士団を見放したりはしないだろう。俺みたいな落ちぶれた貴族の面倒まで見てる変わり者だ」
「ギュスタヴ……おまえが言うかよ。自覚してるのなら恩を返せ」
「ああ、そうだとも。兄貴があれじゃあミルウーダが苦労する。俺だってちゃんと考えてるんだぜ――何をするにしても金が必要だ。俺にいい案がある」
「何だ……?」
「貴族を誘拐して身代金をせびる」
「ああ……おまえの話を真面目に聞いた俺が馬鹿だった」

「ミルウーダ、元気にしてたか?」
「兄さん……やっと帰ってきたの」
「どうした? 機嫌が悪いな?」
 ウィーグラフはイグーロスでの用事を終え、一週間ぶりに家に戻ってきた。しかし……何故だか妹の機嫌が悪い。
「兄に会えなくて寂しかったか」
「違うわよ。それより兄さんイグーロスへ行っていたんでしょう。またザルバッグ将軍のお使い? 貴族の連中にいいように使われてるだけってまだ気づいてないの?」
「ミルウーダ……ザルバッグ将軍のことをそんな風に言うんじゃない。あの方は素晴らしい武人だ。ミルウーダ、貴族はギュスタヴのような外道ばかりじゃない」
「まあまあ、二人とも落ち着いてくれよ」
 ミルウーダと言い合いをしているとゴラグロスが仲裁に入る。いつものわが家の光景だ。普段と全く変わらない日常の風景だ。家に帰るとミルウーダが居て、ゴラグロスがいる。ギュスタヴが居候していることもあるが、今日は居ない。代わりに、見知らぬ少年が居る。
 こいつは誰だ? 
 まだ十歳くらいの大人しそうな茶髪の少年だ。騎士団にこんな純朴そうな少年が居ただろうか……?
「ミルウーダ……この子は誰だ」
「ゴラグロスに聞いて」
 妹はそっぽを向いている。どうやら相当機嫌が悪いようだ。
「……ゴラグロス、説明を頼む」
「ああ…ギュスタヴが……」
 ゴラグロスは事の次第をかいつまんで話した。
「つまり、金欲しさにどこかの貴族の御曹子を誘拐してきたと」
 ウィーグラフはゴラグロスを睨みつけた。「面倒なことを起こすな」
「俺じゃない! ギュスタヴの独断だ! あいつが俺の言うことなんか聞くものか」
「まあ、そうだろうな……」
 ウィーグラフはため息をついた。「ギュスタヴめ。厄介なことをしてくれたな。騎士の名誉にかけて、身の代金など要求できるか。むしろこちらが謝罪にいかねば……謝罪金として法外額を請求されたらどうするのだ」
「兄さんは甘いわ。相手が貴族だからって下手に出る必要はないわ」
 ウィーグラフは妹の忠告を無視した。わが妹・ミルウーダは騎士団の中では少々……いや、かなり過激な性格だ。ギュスタヴは副団長に置いてはいるが、騎士としてというより人としても論外の人間だ。次から次へとトラブルを持ち込んでくる。
 騎士団をまとめるのも一苦労だ。
「それで、坊やはどこの家の者だ? どこから来た?」
「はい、僕はイズルード・ティンジェルと言います」
 礼儀正しい少年だ。ギュスタヴに見習わせたいくらいの真面目さだ。
「父は神殿騎士団の騎士団長です」
「神殿騎士団……ミュロンドか。教会領から子供をかどわしてくるとはギュスタヴも罰当たりな」
 ミュロンドの神殿騎士団のヴォルマルフ・ティンジェル。ウィーグラフでさえ名前を知っている名高い騎士だ。ひどく短気で交渉ごとには応じない性格とも聞く。
 ウィーグラフは気が重くなった。どうやって穏便にこの子を返そうか。

「イズルード……どこへ行ってしまったのだ……」
 ちょっと目を離した隙に息子とはぐれてしまったヴォルマルフは慌てふためいていた。すると、そこへ金髪の青年がイズルードを連れて表れたのであった。
「イズルード! 迷子になったのかと探し回ったぞ。どこにいたんだ」
「うん、知らないお兄さんに声を掛けられて」
「知らない人についていっては駄目だとあれほど言っただろう」
「でも、その人は騎士と名乗ってたよ。父さんみたいに立派な騎士かもしれない」
 息子の純朴さよ。ヴォルマルフはイズルードと再開できて安堵したが、同時に不安にもなった。人を疑うことを知らないこの子にいったいどうやって教えればよいのだろうか。騎士の全てが高潔な人間ではないと。その一例がこの私なのだが……。
「どうやら私の騎士団のメンバーがとんだ迷惑を掛けたようです。私は骸騎士団の長としてその件の謝罪にきました」
「おお、貴殿が噂のフォルズ殿か」
 ヴォルマルフは喜んだ。探す手間が省けた。この青年が聖石が選んだ噂の人間だ。どうやって勧誘しようか。
「それで……サー・ヴォルマルフ・ティンジェル、いかほど、お支払いすれば……」
「なんの話だ?」
「ご子息をトラブルに巻き込んでしまった謝罪金です。私としても神殿騎士団を敵にまわすつもりはありませんので。ここは一つ、どうか穏便にお願いしたいものです」
「金など受け取れない。いや、だが欲しいものはある……私は貴殿の身体がどうしても欲しいのだ」
 骸騎士団の団長ウィーグラフ・フォルズは困惑の表情を浮かべた。
「い、いや……決していかがわしい意味ではないぞ! ち、違うのだ……私は……貴殿にどうしても一目会いたいと思いはるばるミュロンドからやってきたのだ。どうだ、私と一緒にミュロンドで暮らす気はないか?」
 さすがに聖石と契約してその身体を捧げて欲しい、とは言えない。ヴォルマルフは念入りに言葉を選んで遠回しに勧誘をした……つもりが気色悪いことになってしまった。ウィーグラフはさっぱり意味が分からない、といった様子である。
「たとえ教会の要請であってもお断りします。私たち骸騎士団はどこの権力にもまつろわぬ身。私の身体も精神も私のもの。誰に捧げるつもりもありませぬ」
 そう言い残すとウィーグラフはさっと背中を向けて去って行った。イズルードをヴォルマルフの手に引き渡して。
 勧誘は失敗だ。ヴォルマルフはこういう交渉事は苦手だった。まあ、仕方ない。こういう仕事は副団長に任せるに限る。
「父上、あの方は……すごい騎士だと思います」
 イズルードが去りゆくウィーグラフの背中を目で追っていた。
「ああ、そうだな。イズルード……おまえもいつか、彼のような気高い騎士になるのだろうな」
 いずれ、子は父の背中を超えていくのだ。それが自然の摂理だ。その時が来た時……彼は父のことをどんな目で見るのだろうか。神殿騎士団の騎士団長ヴォルマルフ・ティンジェルのことを。
「父上、でも僕は父上のような騎士になりたいと思います」
「そうか……そう言ってもらえるのは嬉しい。だが、息子よ、いつか私の背中を超えていけ――父を倒し、その先へ進むのだ」
「父上……?」
「いつか分かる時がくるさ――さあ、メリアドールにお土産を買って帰ろう」
 いつか来るその時まで――その時までは家族三人で楽しく幸せに暮らすのだ。

     

  

2017.08.26

     

  

Aspects of Family:僕にお嫁さんをください

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・イズメリ10歳前後
・イズルード×アルマ前提
・余談ですが、ヴォルマルフとアルマの誕生日は一日違いです。奇跡的ですね!

     

  

僕にお嫁さんをください

     

  

「やあ、ヴォルマルフ、久しぶりだな。子どもたちは元気にしているか?」
 ヴォルマルフの暮らすミュロンドまでわざわざ足を運んできたこの気さくな騎士は天騎士バルバネス・ベオルブ。北天騎士団の団長である。今は自らの騎士団を率いて戦地へ赴いているはずであったが、どうしたことか急にヴォルマルフを訪ねにきたのであった。
「サー・バルバネス、北天騎士団の団長がお忍びで突然どうされました……?」
「いやあ、ふと、貴殿の子どもたちに会いたくなってな」
「そうでしたか! 戦争の合間に私の子どもらのことを思い出していただけるとは光栄です。娘は十二歳になりもう一人で剣を持つようになりました。星天爆撃打を使えるようになってもう一人前の剛剣使いです」
「ええと、イズルード君の話だったかな……?」バルバネスは首をかしげた。
「いいえ、娘です」
「そうか、そうか……貴殿の家の教育方針はずいぶんと厳しいのだな。娘御をディバインナイトに育てるつもりか?」
「いえ、そういう訳では……しかし私の背中を見て自然と剣技を身につけてしまったようです」ヴォルマルフはさりげなく娘自慢を付け足した。「私の娘はとても物覚えが良いようでして。遅かれ早かれ熟練の剛剣使いになるでしょう。父親としては、もう少しおしとやかな淑女になって欲しい気持ちもありますが……」
 だが、あまりおしとやかなレディになってしまうと、あっさりと嫁にいってしまうだろう。それは寂しい。であるから、ヴォルマルフは娘が剣の腕をせっせと磨いていることには口を挟まなかった。
 娘よ、どんどん剣の腕を上げるがよい。そうして軟弱な求婚者どもを撃退してくれ。
「実はな……私がこうして秘密裏にミュロンドへ来たのは娘のことで相談があったからなのだ」
「娘?」
 今度はヴォルマルフが首をかしげる番だった。確か、天騎士の子にベオルブの名前を次ぐレディはいなかったはずだが……。
「私には娘が一人いる。名前はアルマ・ルグリア。妻の子ではないが私の娘だ――まあ、事情は察してくれ。もうすぐ十歳になる。まだイグーロスには迎え入れていないが、いずれベオルブの名前を与えるつもりだ」
「そうでしたか……」
「貴殿の話を聞いていると、やはり娘と一緒に暮らすのはよいものだと思えてきてな。城に呼び寄せようと思ったのだが、私は騎士で、いつ戦場に呼び出されるか分からぬ身だ。主の不在がちな城で、身分の異なるわが娘が無事に暮らせるか分からない。かと言って男所帯の騎士団の中に放り込むわけにいかない。そこでだ、修道院に預けることにした」
「それが一番安全でしょう。しかし……離れて暮らすとなると寂しいでしょうね。お父様も、娘さんも」
「そうなのだ。娘に父親としての姿を見せることも、一緒に暮らすこともできない」
 バルバネスは寂しげに言った。ヴォルマルフは同情した。もしメリアドールが修道院に入ることになったら……ヴォルマルフは考えただけでぞっとした。娘と離れて暮らすなど想像もできない。
「だから、娘を修道院に預ける前に、今日だけは親子水入らずで一緒に食事でもしようと思って戦場をこっそり抜けてきたのだ――だが、戦況が急変した。私はこれから急いでオルダリーアへ向かわねばならん」
 バルバネスはヴォルマルフに向き合った。「だからヴォルマルフよ、父親である私のかわりに娘を預かってくれないか」
「私には無理です!」
 深く考えるより先に反射的にヴォルマルフは即答した。天騎士の娘を預かるなど……責任が重すぎる。
「何故だ? 貴殿は私と同じく騎士団を率いる身。しかも既にもう娘を立派に育て上げた父親ではないか」
「いえ、育てたといっても、メリアドールは――」
「そう謙遜するな。貴殿はよき父親だ。それは子どもたちの姿を見ればすぐに分かる」
「いえ、私には責任が重すぎます……そういうお話は伯爵様に頼んでください。南天騎士団のオルランドゥ様に」
「だめだ。もうアルマをミュロンドに呼んでしまった。これから一緒にミュロンド寺院へ行こうと思っていたのでな。預けようと思っている修道院はオーボンヌだ。ヴォルマルフよ、食事でもしたらそのままオーボンヌに連れて行ってくれないか。あちらの院長殿に話はしてある」
 バルバネスはそう言ってヴォルマルフの肩を叩いて出て行った。
 無茶ぶりにもほどがある。ヴォルマルフは頭を抱えた。一緒に食事といっても自分の家族と食卓を囲むのとは訳が違う。相手は天騎士のご令嬢なのだ。粗相があってはいけない。つまり――淑女を正式にディナーに招待するのだ。

「パパがすごい顔をして図書室を出て行ったわ。何かしら」
「修道院、とか、淑女、とかつぶやいてたよ。それに床に『貴族の礼儀作法』の本が落ちてる。姉さんを修道院に入れるつもりなんじゃない? 姉さんは剣の使い方を学ぶより、お祈りの仕方を学んだ方がいいと俺は思うんだけど」
「イズルード! 姉に向かってなんて口の聞き方をするのよ!」
「姉弟って言っても、たった一歳違いじゃないか! なんで姉さんばっかり剣の腕が上達するんだよ! ずるいや」
 イズルードはむくれた。やっと剣を持てるようになったと思ったら、姉はもう剛剣を使いこなしている。
「二人とも、どうしました? 図書室で大声をあげて」
 姉弟で言い合いをしていると、ローファルが姿を見せた。
「イズルードが私の剣の腕に嫉妬してやつあたりしてるの」
「姉さんッ」
 メリアドールは今にも突っかかってきそうな弟をさっと避けた。
「それよりも、ねえ、ローファル。大変なの。パパが私を修道院に入れるかもしれないって」
「ヴォルマルフ様が? まさか、そんなことはないでしょう」
 あのヴォルマルフ様に限って、とローファルは思った。メリアドールは知らないかもしれないが、あの騎士団長は子育てのために戦場に行くことを拒んだのだ。今更、娘を手放したりはしないだろう。
「本当?」メリアドールが念を押す。
「ええ。もしそんなことになったら私が修道院を爆破してでも呼び戻しますので安心してください」
「ローファル! あなたのこと大好きよ!」
 メリアドールがローファルにぎゅっと抱きついた。そして誇らしげにイズルードを振り返って言った。
「ほら、ローファルだってこう言ってるわ」
 イズルードは何か言いたげな顔をしている。けれど姉に気圧されて何も言えないようだ。
 姉弟喧嘩の雰囲気を察したローファルはイズルードに言った。「イズルード様は、またお姉さまにいじめられてたのですか?」
「うん――」
「違うの! イズルードが私をいじめたの。私に修道院に行けって言うのよ!」
「そうですか……」
 ローファルは姉弟の顔を順番に見比べた。喧嘩の発端は分からないが、どうやらこの勝負はメリアドールが勝ちそうだった。しかし姉弟喧嘩に介入する気はなかったので、ローファルは二人の言い争いをそっと見守っていた。そして今日に限らず、大抵はメリアドールがイズルードを言い負かしてしまうのだが……こればかりは傍で暖かく見守るしかなかった。

「あなたが私のお父様ですか?」
 ヴォルマルフはバルバネスに言われた通り、バルバネスの愛娘を迎えにいった。
 約束の場所には、栗毛色の巻き毛を赤いリボンで結わえた少女がちょこんと立っていた。
「私の父は騎士団長様だと聞きました。どうも、はじめまして」
 この愛らしい少女――アルマ嬢は深紅のドレスの裾を広げてヴォルマルフに挨拶をした。ヴォルマルフはあわてて名乗り出た。私は彼女の父親ではない。父親を詐称したくなるくらいの愛らしさではあるが、彼女に勘違いをさせてはいけない。
「い、いや……私は君の父親ではない。騎士団長ではあるが……」
 ヴォルマルフが挨拶をすると、アルマは微笑んだ。
「ティンジェルおじさま。今日はよろしくお願いいたします」
 バルバネスは惜しいことをしたものだ。こんなに可愛い子と離れて戦場に行ってしまうとは。
「私は君のお父さんから約束を預かっている。さあ、ディナーへ招待しよう」

「ヴォルマルフ様、ミュロンドの騎士団長が赤いドレスの少女を誘拐して連れ回していると噂が立っております」
「なんだと……」
 副団長の言葉にヴォルマルフは困惑した。バルバネスとの約束通り、ヴォルマルフはアルマ嬢をオーボンヌ修道院へ送り届けて自宅に戻っていた。
「あの子はサー・バルバネスの娘だ。決して私がさらってきたわけではない」
「天騎士様のところにご令嬢はいなかったはずですが」
「……いや、確かにいるのだ」
 ローファルは真顔でヴォルマルフを見返した。
「ローファル、私が適当なことを言っていると思ってるな」
 しかし、何故私がベオルブ家の家庭事情をここで自分の部下に説明しなければならないのだ。バルバネスめ、面倒事を押しつけやがって……
 けれど、ヴォルマルフはその面倒事を運良く免れることができた。二人が話しているところへイズルードがちょうど良く入ってきたのだ。
「父上……今日のディナーで一緒にいたあの愛らしいレディはどなたですか?」
「イズルード、気になるのか?」
 おずおずと話す息子の様子をヴォルマルフは見守った。息子も異性の目を気にするようになった。この間まで父親の背中にくっついていたというのに、成長は早いものだ。嬉しいかぎりだ。
「はい……とても。父上、お願いです、僕に彼女を紹介してください」
「そうか、そんなに気になるか……。だが彼女は由緒ある貴族の血筋を引いている。だが、事情があって、まだ名前は明かせない」
 少なくとも、バルバネスが彼女の存在を公表するまでは。
「つまり、僕の手の届かないとても高貴な存在だというのですね……」
 イズルードは気落ちした様子だった。
「……父上、お願いがあります。僕にお嫁さんをください。どうか彼女を僕に――」
「イズルード! おまえは男だろう! 頼むから、そこは『俺がさらってくる』という気概を父さんに見せてくれ!」
 同じように育てているのに、どうしてこうも姉弟で真逆の性格になってしまったのだろうか。メリアドールが剣をふりまわしてたくましくなっていく一方で、イズルードは輪をかけておとなしくなっていく。
「ち、父上までそんなことを言うのですね……」
 うなだれるイズルードの姿にヴォルマルフは慌てた。そんなに落ち込むほど叱ったつもりはないのだが……
「ヴォルマルフ様」ローファルがささやいた。「イズルード様は、姉君に姉弟喧嘩で勝てないことを気に病んでいるのです」
「そういうことか。我ながら困った娘だ……あのお転婆娘は」
「ですから、もう少し、優しくしてあげてください――イズルード様に」
「そうか……よし、イズルード。父さんがおまえの望みをかなえてやろう。あの子が好きなのだな?」
「はい!」
 しかし、バルバネスがそう簡単に愛娘を手放すとは思えない――ということは……
「よしよし、いつか父さんが連れてきてやるぞ」
「父上! ありがとうございます」
 このままでは騎士団長が誘拐犯であるという噂が実現してしまう――けれどヴォルマルフは素直に喜ぶイズルードの顔を見て、愛するわが子のためなら、まあ仕方ないか、と思ってしまうのであった。

     

  

2017.07.24

     

  

Aspects of Family:そんな日はこない

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・メリアドール(9)、クレティアン(15)くらい
・騎士団長さんは娘かわいい親馬鹿父さん全開です
・クレティアンがアカデミーを卒業して神殿騎士団に入る頃の出来事です
・クレメリ前提。ですがヴォルマルフ×メリアドールの方がいちゃいちゃしてます(父娘愛)

     

  

そんな日はこない

     

  

「クレティアン・ドロワと申します」
 これは貴重な逸材を手にいれたぞ、とヴォルマルフは思った。相手はまだ十六歳にもならない少年だ。だがその才能はアカデミーの教授陣のお墨付きだった。これで神殿騎士団も格も上がるとヴォルマルフは喜んだ。
「貴殿は吟遊詩人をマスターしていると聞いたが……」
「ええ。お望みなら貴方を讃える詩を書きましょう」
「それはちょうど良い! 是非とも教会の栄光を讃える詩を――」
 ヴォルマルフが言い終わらないうちに、勢いよく扉を開ける音がした。
「パパ! 遊んで!」
 娘のメリアドールだった。
「パパはお仕事中だ。真面目な話をしているから今はダメだ。後で遊んであげるから今は外へいっていなさい」
「やだ! 今がいいの!」
 パパは今取り込み中だから、とヴォルマルフが何度言ってもメリアドールは聞き入れなかった。この子は少々わがままなところがある。弟とは性格が正反対だ。
 メリアドールが父親の足もとにすがりついて離れないのでヴォルマルフは仕事を諦めて娘と遊んでやろうかと考えた。けれど、目の前で、ガリランドのアカデミーから来た少年が何事かと二人の様子を見つめている。まずい、とりあえず娘をここから連れ出さなくては。
「ローファル! 近くに居るなら娘を外で遊ばせてきてくれないか」
 ヴォルマルフは一縷の望みを託しながら扉の外に向かって頼れる部下の名前を叫んだ。

 神殿騎士団長は恐ろしい人だとクレティアンは聞いていた。めったに世間に顔を出すことはないが、凄腕でやり手の騎士団長だと噂されていた。悪魔と契約している、とさえ言う者もいた。であるから、アカデミーを卒業して神殿騎士団に入ると決めた時は周りから大層心配された。
 ミュロンドに来てすぐにヴォルマルフに呼ばれ、クレティアンはこの上なく緊張した。噂の騎士団長とは一体どんな人なのか――その人は今、ブロンドの髪の少女にじゃれつかれて笑っている。二人のよく似た顔立ちからして親子なのだろう、ということはすぐに分かった。
「困ったな……娘が邪魔をしてしまって……」
 と言いながら、騎士団長はちっとも困っていないような顔をしている。我が子が可愛くてしょうがないという表情だ。
 これが噂の騎士団長の素顔なのか! ただのほほえましい父親の姿ではないか!
「別に構いませんよ。どうせなら私が相手をしましょうか」彼女に手を差し出しながらクレティアンは言った。「お嬢様――」
「私はパパがいいの!」
 少女はクレティアンの言葉を一蹴してヴォルマルフに抱き付いた。
「そうかそうか! やはりパパがいいのか。よしよし。おいで、メリア」
 ヴォルマルフはどことなく自慢げになってメリアドールを抱き上げた。
 父娘の仲睦まじい様子にクレティアンは口を挟む余地がなかった。

「ヴォルマルフ様……人前ではもっと威厳を保ってください。お嬢様に構ってばかりだと騎士団長としての貫禄が台無しです」
「べ、別によいではないか。父親が娘を愛して何が悪い」
 メリアドールを引き取りに遅れてやってきたローファルに苦言を呈されて、ヴォルマルフはあわてて反論した。相手は副団長である。
「それに、この少年は神殿騎士団に入ると言っている。だから他人ではない。家族のようなものだ」
「またそんないい訳ばかりして……メリアお嬢様ももうじき十歳になるんですから、そろそろ親離れしてくださいよ」
 小言を並べ立てるローファルをヴォルマルフは無視した。だがメリアドールはこの真面目な副団長にいたく懐いている。ローファルの姿が見えるとヴォルマルフからすぐに離れて彼にくっついた。こいつ、副団長のくせに父親より娘に愛されているのではないか……ヴォルマルフは複雑な気持ちになった。
 その光景を見たクレティアンが言った。「皆様、仲がよろしいのですね」
 ああ、そうだとも――ヴォルマルフが言うより早くローファルが口を開いた。
「ただの親馬鹿です」
「ローファル! 余計なことを言うなよ!」

 一週間もしないうちにクレティアンはヴォルマルフのもとに詩を書き綴った紙の束を持ってきた。ヴォルマルフとローファルはそれを受け取った。
「お約束のものです」
「おお、仕事が早いな。さっそく教皇猊下に献上しよう」
「いいえ、それは……おやめいただけると……」
「何故だ? 謙遜する必要はない。おまえの才能は誰もが認めている」
「そういう意味ではなく……お嬢様が……」 
「我が娘がどうかしたか? 詩作の邪魔でもしたか?」
「私が詩を作っているとお嬢様が『私のパパはもっと優しい』『格好良くて素敵なの』と隣でおっしゃるので……お嬢様の要望のままに書きました。ですので、身内で読むにとどめておいた方がよろしいかと」
 クレティアンは気まずそうに言い残すと、さっさと出ていった。
「あきれた奴だな! 騎士団長である私の命令より娘の命令を優先させたというのか!」
「メリアお嬢様らしいやり方です。気の強い方ですから」
 ヴォルマルフは受け取った詩にさっと目を通した。……うむ、教皇に献上するのはよそう。
「……しかし、この詩を見ると私は余程、娘を溺愛しているように描かれているのだが……父親が我が子を愛するのは普通のことではないのか?」
「いいえ、子煩悩で良いと思いますよ」
 ローファルは笑った。「けれどそんなにお嬢様を愛してしまうと、お嫁に出す日がつらいのでは」
「そんな日はこない!」
 ヴォルマルフは断言した。
「そんなに油断してるとあのアカデミーから来た青年にお嬢様をもっていかれますよ」
「まさか!」
 あの新入りの顔を思い浮かべた。アカデミーでは魔法を学んできました、と言って剣術はからきし駄目な若者だった。それでも我が子たちはよく懐いている。息子とも仲良く遊んでいる。三人で遊んでいる姿を見ると年の離れた兄弟がくっついているように見える。そのため、ヴォルマルフには年の大きい息子がもう一人できた、としか思えないのだが……いつかそんな日が来るのだろうか。彼から「お義父さん」と呼ばれる日が。
 しかしあと十年はその心配をしなくても良いだろう。私の命令を無視して十歳の娘の言うことを聞いているのだから先は安泰だ。それまでは家族としてせいぜい可愛がってやろうとヴォルマルフは思ったのだった。

     

  

2017.06.06