聖夜の宴

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・「異端者に神はいるだろうか? 家畜に神はいるだろうか?」
・もしもイズルードがリオファネス城から生還していたら…ifストーリー
・時間軸はリオファネス戦後~ラムザがアルマ奪還のためミュロンドに乗り込む直前

 

 

 
聖夜の宴

 

 

 

 教会の鐘は沈黙していた。
 聖アジョラの降誕祭を迎えるにあたって、待降節に入ったのである。賑やかな祭の前の静かなひとときであった。
「もう降誕祭に入ったのか?」
 部屋の隅に置かれたベッドの上に腰掛けながらイズルードは尋ねた。
「まだだな。ちょど先週から待降に入った。聖夜まではまだ日がある」
 クレティアンは答えた。そして窓から外を覗いているイズルードにもう寝るようにうながした。
「もう少し寝てな。病み上がりなんだから」
「もう十分よくなったから。それに、こんな部屋で寝てばっかりじゃ気分が晴れないから……」
 あの『リアファネスの惨劇』から数ヶ月。気が付いたらミュロンドに連れ戻されていた。後であれは異端の者が聖石を使い異形の魔物を喚びだしたのだと人づてに聞いた。教会が言うのだからそうなのだろう。
「ちょっと外を見てくる」
「どこへ行く気だ? 無理するなよ。少し前まで床に就いてたのだからな」
 リオファネスで大怪我を負って運び込まれてきた時、クレティアンが随分と親身になって看てくれた。さすがは希代の大魔道士。もう怪我はほとんど良くなっていた。
「街を見てくるだけだって」
 心配そうにしているクレティアンをよそに、イズルードの心は浮かれていた。長いことベッドに寝かされていただけあって、早く外に出たい、と。しかも時期はもうすぐ降誕祭。はやる心を抑えられなかった。
「どうせ出掛けるなら、私のチョコボを使っていきな」
 ようやくクレティアンも諦めたようだった。

 *

 隊舎の外れにあるチョコボ小屋へ行くと、色とりどりのチョコボが並んでいた。一般騎乗用の黄チョコボの他に、白や茶、緑のチョコボも飼われている。イズルードは様々な色チョコボを見回した。たしか白チョコボは魔道士の騎乗に使われていたはず。イヴァリースのユトランド地方が産地で……と思い起こす。普段何気なく乗っているチョコボのことになど気を留めたこともなかった。こんなチョコボ小屋に入ろうとも思った事はなかった。いつもは馬飼いにまかせっぱなしだった。
「こうして見るとチョコボも案外かわいい奴だな」
 切れ長の大きな目、ふさふさした羽、長く立派な尾。そのどれもがなでさすりたいくらいに愛らしかった。イズルードは目の前にいた、輝く赤銅の羽を持ったチョコボに手を伸ばした。
「そいつは気性が荒いぜ。気を付けな」
「ディリータ? いたのか?」
「いたさ、ずっと前からな。おまえが俺に気付かなかっただけだ」
 無愛想に答えるディリータ。ここでチョコボの世話をしていたらしい。その手つきは愛情にあふれていた。
「わざわざチョコボの面倒を見に来たのか? 珍しいやつだな。そんなの人に任せておけばいいものを。チョコボが好きなのか?」
 その質問に答えはなかった。団中でも無愛想で人付き合いの悪いと評判のディリータであった。あいつは何を考えているのか分からない、と他の騎士らは噂した。
 仲間内の付き合いにもさして顔を出さないくらいだからよほど冷めたやつなんだろう、と見当をつけていたイズルードは、チョコボをかわいがるディリータの姿を見て驚いた。意外と愛嬌のあるやつじゃないか。
「赤チョコボは総じて気性が荒い。見知らぬ奴が手を出すと、隕石の一つや二つは平気で降らせるような暴れ馬だ。うっかり野生の赤チョコボに出会ったら、そいつは運がないとしか言えないな」
「ふーん……そうなのか。詳しいなディリータ」
「これくらいは常識だろ? ん、そうか。おまえはも一応ティンジェルの家の御曹子だもんな。こんなこと知らなくて当たり前か。チョコボの世話は下のやつらの仕事だしな」
 『ティンジェルの御曹子』という言い方が、少し引っかかった。周りからそんな目で見られたことは一度もない。父ですら、自分のことはただの一介の騎士としてしか見ていないだろう。もし『御曹子』として見られているのだったら、今頃はとっくにディバインナイトに叙されているはずである。
「オレは別にそんな、跡取りってわけじゃ……」
「団長の息子で、聖石持ち。それだけで十分に人から羨ましがられる要素は揃っている。ま、別に俺はそんなこと気にしてないがな……」
 うつむきがちにディリータは呟いた。彼の過去をイズルードは知らない。彼がここにくるまでに、どういう人生を歩んできたのかも。人には知られたくない過去があるのだろう。イズルードはそのことについて何も言及しなかった。他人の経歴を詮索することは御法度というのが、団内での不文律となっていた。
 イズルードは赤チョコボから離れ、小屋の奥の一画に大事に世話されている白チョコボに近づいた。この小ぎれいなチョコボはクレティアンに飼われているものだった。主人に似て、非常に礼儀正しく、イズルードが近づくと膝を折ってお辞儀をした。無論、クチバシでつつかれたりということはなかった。
「そのチョコボは、クレティアン様のじゃないのか? 勝手に乗っていいのか」
「許可はあるよ。外へ行くなら使っていいって言われた。オレのチョコボはリオファネスで戦死しちゃったからさ」
「そうか……そうだったのか。そういえば、傷はもういいのか? リオファネスでは随分と人が死んだな。おまえ、よく生きて還ってこれたな」
「うん、ドロワ様が看てくれて、おかげで、なんとか」
「クレティアン様とは親しいんだったな。羨ましいな、あのアカデミー随一の魔導士様と知り合いとは」
「オレがまだここで見習いだった頃からの付き合いで……って、ディリータ、なんでドロワ様がアカデミー卒だってこと知ってるんだ?」
 たしか、クレティアンは自分がアカデミー卒だとは、口外していない。それも首席だったなどとは。ソーサラーの称号を持っているにもかかわらず、普段は白魔道士を名乗っているくらいだった。イズルードは不思議に思って、ディリータを見たが、視線を合わそうとしない。答える代わりに、ディリータはそっと白チョコボをなでた。チョコボは綺麗な声でキュと鳴いた。この美声も主人譲りだろうか。クレティアンはまた歌も器用に上手かった。
「そうだ、ディリータ、暇なら一緒に街へ行かないか?」
「遠慮する。そんな気分じゃないな」
「何故だ? もうすぐ降誕祭が心待ちじゃないのか」
「……降誕祭――聖アジョラの、生まれましぬ日、か。そうだ、イズルード、おまえは神がいると思うか?」
「オレを誰だと思っている。オレを無神論者だと思ったのか?」
 イズルードは思わずむっとした。仮にもゾディアックブレイブの名をもらった自分に向けられる質問にしては無神経だと思った。
「悪い悪い、そんな意味じゃないよ。俺が思ったのはな、おまえのような信心深い人やつともかく、あの、『異端者』とかにも神はいるのか、って思っただけだよ」
 想定外の質問だった。イズルードはたじろいた。
「え、えっと――それは――」
「ならばこのチョコボや、家畜にも、神はいるか? あまりの貧窮に教会へだってこれない者が世の中にはたくさんいるんだぜ」
「ああ――」
 家畜に神はいるか、と問うたディリータの顔は真剣だった。どう答えるべきか、悩むイズルードを無視してディリータは小屋を去ろうとした。
「何故俺がクレティアン様のことを知っているかとおまえは聞いたな。俺はな、昔、アカデミーにいたんだ。それにベオルブにも仕えていた。そこでチョコボの世話を任されていた。……もう昔の話だよ」
 ディリータは遠い目をして言った。どことなく淋しそうな顔をしていた。そして立ち去っていった。見送るようにチョコボたちがクェェと鳴いた。
「ディリータ……」

 *

「なんだ、街へ行くのではなかったのか?」
 飛び出すように出て行ったにもかかわらず、落ち込んだ様子でクレティアンの部屋を訪ねたイズルードであった。
「そんな気分じゃなくなってさ」
「気分が晴れないから外へ出たいといっていたのがどうしたことだ」
 机に向かい、ペンを走らせながらクレティアンは訊いた。
 紙の上をさらさらとペンが走る。心地よい静かな音だった。カリグラフィーと称される美しい飾り文字がするすると綴られていく。
「ディリータのこと何だけど……」
「ああ、あの聖剣技使いの騎士だろう。今は剛剣にも精を出しているそうだ。あの向学心は他の者らも見習うべきだろうな」
 クレティアンは思った。彼にはもともと剣の才はあったようだが、ミュロンドへに来てすぐに聖剣技を習得し、今は剛剣の習得に励んでいる。それは向学というより、何か強い執着――強迫観念のようなものを感じた。何かひどく切迫したものを感じる。彼はそんなことを口に出す人柄ではなかったが。
「ディリータか……彼もたしかアカデミー出だったか」
「あ、クレティアン、知ってるの? もしかして、むこうで一緒だったとか」
「いや、ちょうど私が卒業する頃にすれ違いで入学してきたはずだからな。本土では会っていない。でもベオルブ先輩――ザルバッグ将軍からよく話は聞いていたよ。なにせあの偉大なる天騎士の家に居たそうだから、大変だったのだろう……」
 まさかミュロンドに来て会うことになるとは思っていなかったことであった。
「なんかさーそのディリータがさ、『異端者に神はいるのか』とか言うから。やっぱりアイツのこと気にしてるのかなと思って。でもオレ、結局その質問に答えられなくて。よくわからないんだ」
 クレティアンはペンを止めた。紙の上に綴られたのは福音書の言葉だった。聖典の筆写など、修道院の仕事であったが、そもそも聖典原典の言葉である畏国古代文字を解する者が少ないこともあって、よく筆写を頼まれていた。決して嫌な仕事ではない。ただ無心に、筆写を続けることは一瞬の瞑想のメディテーションでもあった。
 たしかに、アジョラの述べ伝えた福音には「異端者を愛せ」などとは一言も書かれていない。書かれていない、が。
「ふん…『異端者に神は存在するか』ということか。実際に身の上に置き換えて考えれば簡単だな」
「えっと……どういうこと?」
 机の上に重ね上げられた聖典を取った。 先程まで自分まで筆写をしていた原本だった。
「今から私がこれをカテドラルに持っていってその場で焼き捨てれば、寸分構わず『異端者』になれる。そしたらイズルード、あの『異端者』に神はいたのかどうか考えてみればいい」
 袖をたくしあげ、クレティアンはさっと中に手を挙げるとささやかな火炎を散らした。あわててイズルードが止めに入る。
「えっ待って待って、そんなこと……本当にやらない、よね……?」
 怯えた目で袖をつかむイズルードの頭をそっとなでた。おまえは少し素直すぎるな、と。
「第一、書物を焼く人がいれば、それはいずれ人をも焼くようになる――とある詩人が言っていたのでな……まあ、聖典を焼き捨てるようなことは私はまっぴらだがな。たとえそんな『異端者』がいたとしても、私にはその人の信仰までは推し量れない。しかし、その者の上にも神の平安があるように願ってはいる――」
 書見台に広がられた聖典を見た。美しく装飾が施されたそれは、数多くの人々を信仰の道へ導き、魂を救ってきた。だがその数に劣らず勝らず、この本は、多くの人を死へ導いたのであろう。この本に書かれた、その言葉だけを頼りに、殉教した人のなんと多いことか。また、この「神の言葉」のために闇に葬られた人々と真実――その数については、想像もつかない。
「じゃあ、人でなくて、信仰心を持たない動物……家畜とかなら? 家畜にも神はいるんだろうか?」
「イズルード……? 先程から異端者だの家畜だの、本当にどうしたんだ」
「あ、オレのことじゃなくて、ディリータが随分気にしてたから……」
 ディリータ。あの少年か。可哀想に、どこぞの心ない輩に暴言を吐かれたのだろう。あの繊細な少年には耐えられないだろうな、とクレティアンは思った。
「ならイズルード、聖アジョラはどこで生まれた?」
「チョコボ小屋で……そのあと井戸の毒を予見したって」
「仮にも、『神の御子』がそんな井戸に毒がたまっているようなみすぼらしい家畜小屋もどきで生まれるなんて不思議じゃないか。『神の御子』なら生まれる場所くらい自由に選べたっていいはずだと思わないか?」
「そういえば、そうだけど」
「父親なら誰しも息子を可愛がるものだろう。天の御父は、大事な我が子を家畜小屋に遣わしたということは、そこに神の意志があるはずだ。これは神の至上の祝福以外の何ものでもないはずじゃないのか」
 そう、ちょうど、ヴァルマルフ様が、目の前のこの少年を、愛しているように。言葉に出さずともその愛は伝わってくる。
「ああ、ならば――」
「神の創りし万物に祝福あり、とここには書いてある」
 クレティアンは、聖典の文字をなぞった。たかが、紙の上に書かれた文字ではあるが、幾世代も前の人々が、この言葉を原典から写し取り、書き写し、書き写しして今に伝えた言葉である。この言葉には神の霊力というよりも、人々の、こうであれと願うその気持ちが宿っているようである。
 全ての人とものとが、平等に神の祝福を受ける世界。これこそアジョラが実現させたかった「神の国」のことであろう。だが、アジョラの昇天の後、一度として「神の国」は到来していない。

 *

 宵を告げるように、教会の鐘が鳴った。これからだんだんと日が暮れていく。普段なら、日没とともに静寂につつまれる教会も、今日は賑やかだった。今日は年に一度の大聖日。降誕祭が始まったのだと、アルマは察した。アルマは騎士団の隊舎はずれの部屋の窓から、外を眺めていた。この祭りの日を迎えるのは今年で何度目だろうか、窓の木枠に身体をもたれさせながらぼんやりと考えていた。去年はイグーロスのベオルブの邸で、その前はオーボンヌで。その時はまさか自分がはるばるミュロンドまで来るなんて事は考えなかった。いや、連れてこられた、と言った方が正しいかもしれない。
 外の賑わいがゆるやかに、大きくなっていく。これから盛大な宴が始まるのだ。普段の質素な暮らしぶりからうってかわって、聖夜の饗宴が開かれる。きっと華やかで、楽しいものなのだろう。家族そろって過ごした昔の日々を思い出して、懐かしんだ。そして、窓から見える人々の群れの中に、いつの間にか兄の姿を探していた。
「兄さん……いまどこにいるの?」
 その時、背後に冷たい空気の流れを感じた、扉を開けて誰かが入ってきたのだ。ちらりと後ろを見ると、緑の法衣が視界をかすめた。
「兄さん? ダイスダーグ卿なら……」
「ラムザ兄さんのことよ」
 念を押すように言った。目の前にいる騎士は、自分をミュロンドまで連れて来た本人であった。戦局悪化による治安の攪乱により、ダイスダーグ卿が妹アルマの身を案じてミュロンドのグレバドス教会に保護を命じた――という話があったのだと彼から聞かされた。
 今は、こうやって、明日の心配をすることなく日々を過ごすことが出来る。多くの騎士達が戦争に身を投じているというのに。兄さんだって、今頃どこで何をしているのか、手がかりさえ分からない。そう思うと、どうしようもない焦燥感に駆られ、居ても立ってもいられなくなる。
「安心しろ。ここがイヴァリースで一番安全なところだ。何てたって神の加護と聖アジョラの祝福があるんだからな」
「でも、兄さんが教会の祝福を受けられるとでも? 兄さんは『異端者』にされたのよ、あなたたちのせいで」
「その件については、異端審問官らの管轄であって、オレたちの――」
「あなたはきっと、目の前に『異端者』がいたら、殺すのでしょうね」
 この騎士が至極真面目な、そして敬虔なグレバドスの信者であることは知っている。自分の新年に真っ直ぐで、融通が利かない、そんなところが兄さんに少し似ている、とアルマは思った。「オレは、別に君の兄貴を憎んでるわけじゃない……」
「あら?」
 そんな事を聞けると思っていなかったので、そう言ってもらえると嬉しい。それも恐ろしく冷たい目をしたあの団長の、息子から。でも、気休めでしょうね。彼は、教会の命令ならば逆らわないはずがない。
 もう兄さんが教会に戻ってこれるはずがないのだ。この賑やかな宴を一緒に楽しむこともない。そんな日は、きっともう二度とやってこない……。
「ね、ところで、その手に持ってる瓶はなあに?」
「ああ、これか?」
 イズルードは緑の法衣の裾にくるむように、大事に抱えていた瓶を取り出した。
「宴席から一瓶頂戴してきた。お酒だよ、飲むか?」
「お酒は、飲めないの」
 アルマがそう呟くと、騎士は残念そうな顔をした。そして部屋を出ようとする。
「どこへ?」
「一緒に飲める友を捜しに」
「外は寒いわよ。これ持っていったら」
 防寒用にと、自分が羽織っていた白い薄布のマントを渡した。
 こんな寒い日、どうか兄さんが街の隅で一人で凍えていませんように。そう願った。

 *

 聖地ミュロンドに、夜が近づいていた。闇の帳をおろしたような、荘厳な、清澄な空気の中、静かに日は暮れる。
「――今更剣を措く気か? 何を血迷った、ラムザ?」
「いや、何もこんな日に、戦いを挑み行くのはどうかと思って――いや、ただの冗談だよ」
 詰問するアグリアスにラムザは答える。
「今日はどこも宴が繰り広げられていて、警備も手薄だからといったのは貴方じゃないか。それに早く妹君に会いたいのだろう? 彼女がここミュロンドにいるのは間違いない。人質を取るなど、汚いやり方だ」
「分かってる。早くアルマに会いたい」
 慎重にいかなければ。もうあのジーグデンの悲劇は見たくない。何としても無事にアルマを取り返さなければならない。だから、慎重に、そっと、敵に感づかれないように、教会に忍び込む。それも聖アジョラの降誕際のまっただ中に。それが作戦だった。そのため、島のはずれの砂糖畑のなかに、ひっそりと身を隠していたラムザ一行であった。まだ誰にも気付かれていない。すれ違った人々は、彼らのことを、巡礼に来た信徒の一団だと思っていることだろう。
 島はずれの、畑の中にまで、カテドラルで歌われる聖歌が流れてくる。毎年、この時期になると歌われるその古い歌は、どことなく旅愁を誘った。その調べにいざなわれるように、そろりそろりと、畑を出た。ラムザは古びたぼろぼろのマントを身に纏っていた。変装のためではなく、長い旅路の果てに、こうなった。
 ベオルブの邸にいた頃は家族揃って教会を訪ねて、歌を歌い、この日を祝っていた。あの時は隣に兄らがいた、アルマがいた、ディリータも一緒だった。それが今は『異端者』の烙印を押され、あまつさえこれから教会に剣を向ける。
「たしかに、僕は、たくさん人を殺してきたけど――」
 足は自然と街の大通りを避け、裏路地へと向かっていた。狭い石畳の両側に、あばら屋が所狭しと並んでいる。スラム街だろうか。ラムザはいつの間にか、こういった日陰の場所を好むようになっていた。ただでさえ温潤なミュロンドの気候に輪を掛けるように、このあたりは湿っぽい。足元を虫が這っていく。淀んだ空気が立ち籠めている。それでも、そんな場所にさえ、教会の音楽は流れてくる。
 石畳を抜け、聖歌を辿るように、歩いていたら、島の中心部のカテドラルまで来たようだった。目の前にそぼえる堅固な石壁に圧倒される。それでも、周りを見回し、どこか忍び込めそうな場所はないか、探る。今夜にでも、教会へ奇襲をかけるつもりだった。
「そこにいるのは誰だ?!」
 突然、頭上から声が降ってきた。まずい、とラムザは思った。見張りに見つかったか。瞬時に声の主を探す。塀の上だった。塀といっても、何ハイトあるか分からない高さである。この高さならあの見張りがここまで易々と来られるはずはない。よし、このままなら逃げ切れる。そうラムザは確信した。
「『異端者』が我がグレバドス教会何の用だ」
 声の主は、ひらりと身をかわした。騎士は塀を蹴って空へと軽やかに跳躍した。このような事は並大抵の騎士にはできない。おそらくは竜騎士の類だろう。
 逃げられると思ったのに。ラムザは嘆息した。出来るならば無駄な戦闘は避けたい。血は流さないにこしたことはない。そう思いながらも、一体何人の者をこの手に掛けてきたことだろう。赤煉瓦の城壁を背に、走りながらも、相手がだんだんと距離を詰めてくるのが感じ取れた。巡礼者らが歌う聖歌が背中に降ってくる。
「ラムザ・ベオルブよ! 『異端者』が教会に足を踏み入れ無事に帰れると思ったか? さあ剣を抜くがいい…!」
 ラムザは覚悟を決めた。腰に帯びた剣に手を掛け、件の教会の騎士と対峙した。ラムザは剣を取った、と同時に彼の騎士も剣を振りかざす。紫電一閃、打ち合いか、と思ったかが、相手の振り上げた剣の先にはためいていたのは、一枚の白布だった。夜空に光る白い布。それが何を意味するのかは容易に想像できる。白旗は降伏の際に掲げられるもの。ラムザは警戒しつつも、相手に近づいた。
「ああ、イズルードじゃないか! 生きていたのか…!」
 リオファネスで瀕死の彼を見た時、もう長くはないだろうと思った。その彼が今目の前にいる。
「何だ、オレが生きてたら不都合か?」
「いや、そうじゃなくてさ」
 お互いの顔に笑みがこぼれた。
「ところでこれは一体何なんだい? 君は僕に何を求めているんだ。それとも君が僕たちと一緒に来てくれる気になったのか? 白旗は降伏の――」
「白は平和の象徴だ。我々神殿騎士は教会と共にある。オレが教会から離れるとでも?」
「じゃあ異端者を殺しにきたのか?」
「じゃあこれは何のための白旗か? そんなことじゃない。いいからラムザ、剣をおろせよ」
 イズルードは手に持っていた剣を投げ出すと地面に座り、ラムザをうながす。教会の宴席から盗んできたのであろうか、酒瓶を取り出すとラムザに差し出した。
「飲まないか?」
「いや……」
「疑うのか? 罠なんかじゃないぜ、ほら」
「……お酒はちょっと…」
「飲めないのか! 女々しいやつだな!」
 盛大に吹き出すイズルードにつられてラムザもついに笑い出した。こんな風に笑ったのはいったいいつ以来だろうか。それからしばらくの間談笑に耽った。お互い敵対する者同士であることを忘れて。
「これを持っていけ」
 イズルードは剣の先に巻いていた白布を放り投げた。見るとそれは薄手のマントであった。こころなしかアルマの香りがするのは単なる夢だろうか。
「何故僕に?」
「そんなボロボロの服で歩くなよ……みっともない」
 確かに彼の身なりは貧しいものだった。ろくに装備を調えることも出来ない、そんな生活を続けていたラムザに思わぬ贈り物だった。そしてそのマントにそっと身を隠した。肉親に追われ、騎士団に追われ、ついには異端者として、教会からも追われている。誰もが自分を狙っている、一瞬たりとも休まることの出来ない生活だった。そんな彼のもとに、届けられた一枚の白いマント。――白は平和の象徴。
「教会の騎士が異端者と会っているのがばれたら危ないのじゃないのか? もし君の父にでも見つかったら――」
「オレとお前で何が違う? 同じ友じゃないか……父上には友と会っていたとでも言っておこう」
 ぼそりと呟くとイズルードは逃げるように去っていた。彼の持ってきた酒瓶はそのままになっていた。ラムザが拾い上げると綺麗に装飾されたラベルに文字が書かれていた。
 ――主の平和、全地にあれ
 ああそうだ、今日は降誕祭じゃないか。遠くに聞こえる祝いの歌を聞きながらラムザは昔の思い出に浸っていた。ディリータと過ごしたあの日々。骸旅団の若い女剣士と戦った時の事を思い出した。あの時ディリータ剣を向けた相手に「彼女は同じ人間」と言った。そして、今、神殿騎士のイズルードは「友」と言った。
「…ラムザ? 何をしている?」
「アグリアスさん?」
「あまりに帰りが遅いから心配した。こんな教会の近くまで来ていたのか、危ないぞ。ところでそれはどうしたんだ、そんな小ぎれいなマントなんてどこで手に入れたんだ」
「えっと……、親切な人が恵んでくれて……」
「何だ、罠じゃないのか、お前をおびき寄せるための――」
「多分、違うと思います、だって今日は降誕祭じゃないですか」
「『主の平和』ってやつか。まるでおとぎ話だな。……だが、悪い話でもないな」
 アグアリスに急かされ、教会の城壁から離れて仲間の元へと帰路に就いた。だんだんと聖歌が遠くなっていくにつれ、ラムザは自分の置かれている状況を把握した。そう、これから教会へ奇襲を掛けるのではないか。だというのに自分は教会の騎士と手を取り合って笑い合っていた。思わず苦笑した。あれは何だったのだろう。今となってはもう幻のように思えた。しかし、彼の背には白いマントがはためいていた。彼の背中に残っているそのマントこそが、あの平和の挨拶が幻などではないことを証明している。
「アグリアスさん、どうして神殿騎士団は聖石を欲しているのでしょうか……僕には彼らが聖石の真の意味を知っているようには思えないんです。あのルガヴィの謎を知る者は教会の中でもごく僅か、なら他の騎士らはどうして聖石を望むのでしょうか」
「『神の奇跡』のため、と奴らは言っていたな」
「そんなことのために……彼らは気付いていない……」
 聖石の裏に潜むルガヴィの影に彼らは気付いていない。そしてもう一つ。奇跡は聖石によって引き起こされるのではないということに彼らは気付いていない。互いに剣を向け合う存在の者同士が、たとえ一瞬であっても剣を棄てて手を取り合ったことは、奇跡以外の何ものでもない。それを引き越すのは聖石ではない、神の力でもない、ただ人間の力。背中の白マントをしっかりと握りながら、そう確信した。
 この血の戦乱を生きるイヴァリースの人々も、今日ばかりはこう思ったであろう。
 ――主の平和、全地にあれ

 

 

公開日:???


 

 

僕の妹が神殿騎士にさらわれました

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僕の妹が神殿騎士にさらわれました

               

               

勝利条件:神殿騎士イズルードを倒せ!

               

▼ED後イズルード生存ルート
▼ラムザが重度のシスコンです
▼READY?

               

               

 僕の名前はラムザ・ベオルブ。僕には妹がいる。彼女の名前はアルマ。はちみつ色の濃いブロンドの巻き毛に赤いリボン。赤い靴に赤いバレッタ。僕の妹のコーディネートは素晴らしい。上から下まで完璧だ。彼女には鮮やかな色がよく似合う。でもどんなドレスを着ていたって彼女は愛らしい。僕の天使だ。『聖天使』の称号をアジョラにくれてやるつもりはない。僕の妹こそが聖天使なのだから。
「ラムザ兄さん」
 僕と妹は年が一つしか違わない。でもいつだって彼女は僕のことを兄と慕って僕のあとをついてくる。僕のうしろをくっついて歩いてくるんだ。彼女は赤い靴をはいているからね。Moveが+1もあるんだ。すごく可愛いんだよね。

               

               

 僕たちがこうして家族で一緒に暮らせるようになったのはつい最近のことだ。戦争の悲劇が僕たちを離ればなれに引き裂いた。実は、アルマがアジョラの魂を持っているというんだ。僕の妹の身体を無断で使ったアジョラが許せない(殺したけど)。けれど、僕はさらわれた妹を自分の手で連れ戻した。<僕が>助け出したんだ。妹に手を出した男は、皆死んでいった。妹をさらおうとした骸旅団の戦士はザルバッグ兄さんが殺したけれど、ウィーグラフは僕が殺した。ザルモゥも僕が殺した。イズルードは一人で死んでた。ヴォルマルフは僕が殺した。奴らは皆、僕の可愛い妹に手を出そうとしたろくでもない連中だ。当然の報いだ。
「兄さん、こうしてまた一緒に暮らせるなんて私は嬉しいわ」
「僕もだよ、アルマ。僕の家族はもう君しかいないんだ。これからは二人で、ずっと一緒に幸せに暮らそう――」
 僕は妹を抱きしめた。僕は今までずっと傭兵として生きてきた。あの砦の悲劇のあと、僕は全てを捨てて逃げ出してしまった――ベオルブ家の全てを――家族を――<アルマのことを>――僕は間違っていた。けれど英雄王は亡き妹の形見のペンダントを生涯手放すことはなかったという……そう、ディリータは正しかった。僕は間違っていた! アルマと離れて暮らすなんて!
 こうして家族と抱き合うあたたかさを味わえるのは何年ぶりだろう――

               

               

「アルマ様――」
 僕たちの二人だけの穏やかな生活に、ある日突然、静かな来訪者がやってきた。
 暗闇に溶け込むようなダークブラウンの髪の青年。物静かな紳士だ。
「イズルードさん! 会いにきてくれたのね」
 心から再開を喜ぶ妹の顔。幸せそうな笑顔が二人の間に交わされた。アルマが僕の知らない、やわらかな表情を彼に見せる。
 僕の知ってるイズルードは神殿騎士だった。修道院で血みどろの殺し合いをした記憶は未だ鮮明に残っている。
「あの時の神殿騎士か! また懲りずに妹をさらいに来たのか!」
「とんでもない! 騎士として、あのような非礼はもう二度と働きません」
 彼は深々と頭を下げた。
 この礼儀正しい青年は一体誰だ?
 修道院で殺し合いをしていたあの絶望の騎士はどこへいってしまったのだ?
「アルマ様。もっと早く会いにきたかったのですが……まさかゼラモニアにいらっしゃるとは思わなくて。ガリオンヌにあなたのお墓があります。私は、てっきり……あなたがもう二度と帰らぬ人になってしまったのかと……」
 イズルードが僕の妹に丁重に話しかける。まるで深窓の姫君に忠誠を誓う騎士のようだ。アルマも満足そうにしている。騎士……僕がどんなにイヴァリースを奔走しても、ついに手に入らなかった称号だ。見習い騎士のまま陰の英雄になった僕が、今、どんな表情で彼のことを見ているか分かるだろうか。……羨ましい。
「ああ、ラムザ、また会えて嬉しいよ。元気にしていたかい?」
 イズルードがくだけた口調で僕に言った。アルマには敬語で話してたのに。同じ兄妹なのに扱いがまるで違う。神殿騎士め。今ここでオーボンヌ修道院地下書庫三階の再戦をしても良いんだぞ?
「すまない、父さんが迷惑をかけたみたいだな」
「うん、すごい迷惑だった。妹をさらうとかやめて欲しい。父子で誘拐するなんて気が狂ってるとしか思えなかった」
「数百年ぶりに会えてテンション上がっちゃったて父さん言ってたし……姉さんから聞いたよ。父さんはアルマ様(の身体を借りた聖天使)のために命を捨てたと」
「ああ……確かに君の父上はすごい人だった。まさか自ら腹を裂くとは。これがガフガリオンの首をせせこましく700ギルで買い、僕の兄さんをゾンビにした暗黒神殿騎士の死に様かと思うと僕も驚いたよ。でも、できれば僕にとどめを刺させて欲しかったんだけど。ところで、僕はさっきからものすごい違和感を感じてるんだけど……君を殺した父親の話を君と語り合うのはおかしくないかい?」
「何を言っているの、兄さん! おかしくなんかないわ」
 ルカヴィの首魁たる統制者に命を捧げさせた僕の可愛い妹が言う。僕の妹がそう言うのなr……いや、おかしいだろ。
「イズルードさんは言ってたわ。『疲れたから少し眠る』と……それだけのことよ」
「……それはファーラムの婉曲表現だって知ってるかい?」
 しかも僕は君の姉さんに剣を壊されたんだけど。弟の魂の代償だと謂わんばかりに――返してくれッ僕のブラッドソード! ガフガリオンの忘れ形見だったんだ!
「兄さん……私はイズルードさんにさらわれてリオファネス城に行ったの」
「知ってるよ。僕はあそこで何十回もウィーグラフと戦ったから、よく知ってるよ」
「確かに、私とイズルードさんの出会いは最悪なファーストインプレッションだった……でも、私たちがリオファネス城に辿りつくまでに、【あんなこと】や【こんなこと】があってね――」
 くそッ神殿騎士め! 僕の妹に何をしたんだ!
「――それからね、リオファネス城には一体いくつの聖石があったと思う? (イズルードさんの)パイシーズ、(イズルードさんが盗んできた)ヴァルゴ、(ヴォルマルフさんの)レオ、(ウィーグラフさんの)アリエス、(エルムドア侯爵様の)ジェミニ、(兄さんから貰って海に捨ててこなかった)タウロスとスコーピオ。これだけの聖石があったら奇跡の一つや二つが起こってもおかしくないでしょう?」
「ああ……その通りだ……聖石が7/13個もあったなら人間が一人生き返ろうと、リオファネス城の兵士が全滅しようと全くおかしくない……だけど……」
 ……もっと大変な奇跡が起きてしまった!
 妹が……僕の可愛い妹が……僕だけを癒しの杖で殴っていたあの可愛い妹が……いつの間にか恋する一人の女性になってしまった! ファーラムッ!

               

               

「ラムザ、彼女と二人で話がしたいんだけど、いいかな? 俺は彼女をさらいにきたのではなく……君の許可をもらいにきたんだ。妹さんを私にください、と……」
「断る――イズルード、君はまた僕と殺し合いをしたいのかい?」
 戦闘の準備はできている。僕はもう二度と妹を手放さないと誓ったのだから!
「兄さん、血迷っちゃだめ!」
 アルマ、君の方が間違っている! こいつは正真正銘、君をさらいにきたんだ!
 この神殿騎士は僕に勝てると思っているのか――ならば力ずくで阻止するまでだ!

               

 READY……

               

「ラ、ラムザ! よく聞いてくれ! 俺たちの目指す場所は同じはず――そう、『家族』だ。俺の義兄になってくれないか!」
 家族! その言葉に僕は手を止めた。
「僕のことを兄と呼べるのはアルマだけだ……家族と呼べるたった一人の肉親なんだ」
 アルマだけなんだ。父も兄も死んでしまった。僕に残された家族はもう彼女しかいない。
「分かるよ、その寂しさ。俺のところもそうだった。もう姉さんしかいないしさ……父さんはアレだったし、騎士団の仲間たちもアレだったし……」
「だったら君も分かってくれるだろう。たった一人の家族をとられてしまう寂しさを――君も想像してみてくれ。毎日一緒に過ごしてきた姉さんがある日知らない人の家に嫁いでいってしまったら……」
「姉さんが?」
「そう、メリアドールさんが結婚したら、やっぱり寂しいだろう?」
「恐喝の香水[シャンタージュ]をつけて大剣[セイブザクィーン]を振り回している姉さんが結婚したら寂しいかって?」
「あ、ごめん……家庭事情はだいぶ違ったみたい」
 僕が妹のことをどれほど愛しているのか、彼に伝わったのだろうか。僕の妹への愛はゲルミナス山脈より高くて、バグロス海より深いのだ。
「もう! 兄さんったら、大げさよ」
「アルマ……でも父上が生きていたら絶対こう言うはずだよ。『こんなに可愛い娘は誰にも渡さない』と。兄上たちが生きていてもこう言うはずだ。『こんなに可愛い妹は誰にも渡さない』と。シド伯爵も言っていた。『こんなに可愛い娘は誰にも渡さない』と。僕だってこう言う。『こんなに可愛い妹は誰にも渡さない』と」
「ラムザ、俺は――」
 イズルードが言いよどんだ。
「イズルード。僕はアルマが止めさえしなければ君とここで再び剣を交えてもいいんだ。オーボンヌ修道院地下書庫三階の再戦をするかい?」
「では、アルマ様……あなたはどうなのです?」
 イズルードは僕ではなく、僕の妹に話しかけた。
「私の愛を受けてくださるのですか? だとしたら、私はあなたのお兄様の許可をいただきたい――今ここで、あなたの手をとってもよいと」
 ずるい。そんな風に言われたら――
「兄さん――私の愛する兄さん。私はイズルードさんと一緒にいたいの。彼のことを、愛しているから……」
 そんな風に言われたら――僕はうなずくより他はないじゃないか。誰よりも愛する僕の妹の頼みなのだから、笑顔で送り出すのだ。
 愛してるよ、アルマ。どうか幸せになってくれ。心からの祝福を――

               

               

 俺の名前はイズルード・ティンジェル。教会の騎士だった。彼女――アルマ・ティンジェルと出会えたのも、俺が神殿騎士だったからだ。でも戦争の数奇な運命に巻き込まれ、俺たちは離ればなれになり――そして、どういう星の巡り合わせか、あの時オーボンヌ修道院で血を流しながら激闘をした異端者のことを「義兄さん」と呼んで、一緒に食卓を囲んでいる。
 俺が「義兄さん」と呼ぶとラムザは神妙な顔をする。
「まだ慣れなくて……だって僕のことを兄と呼んでくれるのは家族だけ――アルマだけだったから」
「すぐ慣れるさ。ラムザ、君が俺を家族に迎え入れてくれたんだ。さあ、一緒に食事をしようじゃないか」
 家族と一緒に食卓を囲めるもが、こんなに嬉しいことだったとは。少しばかりのパンとスープだけの慎ましい食事だ。でも幸せだ。だって、愛する家族と共に食卓を囲むのだから。
「イズルード、今だから聞くけど、どうして僕の妹を選んでくれたんだ?」
「理由が必要か?」
「僕は兄だ。もちろん、知りたいさ」
「そうだな……彼女は、明るくて朗らかで、そしてすごく可愛いんだ」
「うん、そんなことは言われるまでもなく知ってる」
「ラムザ、君は人生が嫌になったことはないか? こんな望まぬ戦乱の時代を生き抜くことに嫌気がさしたことはないか? ……俺はある。与えられた使命が嫌になった。何もかもに絶望して、闇に身を委ねようとさえ思った」
「僕だってあるよ。だから、僕は逃げ出したんだ。君と出会うずっと前のことだけど」
「俺は逃げたくても逃げられなかった……だけど、その時、彼女に出会ったんだ。こんな悲惨なイヴァリースを見ても希望を信じ続けられる明るさに俺は救われた。あの時、彼女はこう言った。『私は、私が生まれたこの時代が好き。そして、このイヴァリースが大好きよ!』と。そんなことを言うひとに初めて会った。彼女に出会えたから、俺は絶望することなく、信念を持ち続けることができた。だから……愛しているんだ」
「……ああ、その言葉を信じるよ。僕も君と出会えてよかった――さあ、スープが冷める前にみんなで一緒に食事をしよう。アルマを呼んでくる」
 家族そろってか、か……幸せな響きだ。ラムザがアルマを呼びにいった。一人になったその時に、俺はもう一つの『家族』のことを思った。そこには、何があろうと消えない絆がある。
 ――父さん、俺の妻を見てください。誰よりも可愛くて、純粋で、朗らかで、強い信念を持った妻なのです。俺だって父さんみたいに彼女のことを『聖天使』と呼びたい(本当に天使のような子なんです)。だけど、もう血を捧げる必要はない。じゃあ、何を捧げるのかって? それは……
「イズルードさん!」
 アルマがラムザと一緒に手をつないで戻ってきた。この兄妹は何があっても変わらないな。やはり『家族』の絆は不思議と消えないものだ。
「食事の前に乾杯しましょう――私たちの家族に」
 高く掲げた杯の中には並々と注がれた葡萄酒――もう戦争は終わったのだから、愛を語るにはこれで十分なのだ。

               

               

▼Congratulation!

               

               


・イヴァフェス3開催記念FFTアンソロジー「畏国回顧録」寄稿作品
・FFTの20周年のお祝い作品でした

              

2017.9.23

Sweethearts After The Dawning

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・五十年戦争でイヴァリースが勝利し、その後の獅子戦争もおこることなかった平和な世界です
・骸騎士団は落ちぶれてなくてウィーグラフは五十年戦争の英雄です
・イズルードは戦争の記憶(夢?)があるけれど、アルマその他は平和なイヴァリースしか知りません(イズアル初対面です)
・イズアル23~25才くらい。騎士とレディです

          


          
Sweethearts After The Dawning

          

          

 ガリオンヌの名士ウィーグラフ・フォルズは英雄だった。
 先の大戦で故国イヴァリースをロマンダの手から守り、占領下にあったリオファネス城を奪って、華々しく故郷に還ってきた。
 彼は英雄と呼ばれるにふさわしい寛大な心と篤信な志を持ち合わせていた。
 だから、ウィーグラフがリオファネス城で行き倒れている瀕死の青年を見つけた時も、見棄てることなく、その可哀想な青年を家に連れ帰り、手厚く介抱してやったのだった。

          

 ウィーグラフが見つけたのは、年の頃二十を過ぎた、まだ立派な顔立ちをした栗毛色の青年だった。光輝く黄金の鎧に萌葱色の丈の長い上着を羽織り、装飾を散りばめた立派な腰帯を締めていた。剣は見つからなかったが、それでも、この青年が身分やんごとなき騎士であろうことは、すぐに想像できた。その上、この若き騎士は胸に尊く光る貴石を手放すことなく抱きかかえていた。その貴石は聖人らの魂を宿した教会の聖遺物であり、ガリオンヌの名士であるウィーグラフですら、間近に見ることかなわない高価な代物であった。その死の淵にあろうとも、こうして貴石を決して手放そうとしないその信仰の深さにウィーグラフはますます感じ入り、この若き篤信家に深い敬意を示した。
 しかし、いくらウィーグラフが手厚く看病をしようが、どうしたことか、この青年は一向に目を覚まさなかった。薬師を呼び治療を施したが、それでも彼は昏々と眠り続け、一向に目を覚まさなかった。
 深い眠りから呼び覚ますため、名前を呼ぼうにも、この信仰深き騎士の素性を明かすものは何もなかった。ただ、どこかの立派な家の子息なのであろうということだけであった。

          

 困り果てたのはウィーグラフだった。あらゆる手を尽くしたが、快復のきざしは見えなかった。それでも、この隣人を見棄てようとしなかったのは、この義理がたき英雄の英雄たる志ゆえであった。
「はて、困ったものだ」
 ウィーグラフは思った。この青年は、どうも、傷を負って昏睡の状態にあるようには見えなかった。まるで呪いにでもかけられ、醒めることのない夢幻の夢をさ迷っているようにウィーグラフには見えたのである。英雄とは果て無き夢を見る存在である。そこでウィーグラフは言った。「呪いに掛けられた眠り姫を、夢路から覚ますのは愛の接吻である」と。
 夢を抱く英雄には聡明な妹がいた。妹は、壮大な夢を描く兄にいつも現実的な忠告をした。そこで、今日もまた、兄に忠告をしたのだ。「兄さん、この世に呪いなどありはしないわ」おとぎ話じゃあるまいに。でも、『愛』の効能は否定しなかった。彼女もまた、一人の女性であったから。
 そこで兄妹は信仰にたよるべきだという一つの結論に達した。人の手によって治せないものは神にたよるしかない。ガリオンヌで一等信仰の高い者は誰かと兄妹は話しあった。二人の結論は一つであった。「レディ・アルマしかいない」と。

          

 長らく修道院暮らしをしていたレディ・アルマがガリオンヌの領地に呼び戻されたのはこういう経緯であった。ガリオンヌの英雄から、不治の傷を負い哀れにも眠り続けている騎士を、その信仰の奇跡で助けて欲しいと懇願されたのだった。レディ・アルマは心優しい修道女であったので、その頼み事に快い返事をした。「はい、よろこんで。神の御心にかなうよう、おつとめをいたします」
 三人の兄たちに連れられて、レディ・アルマがその騎士の枕辺に立った時、彼女は思わず赤面して、後ろに下がった。彼女の誠実な三人の兄たちは、一体何があったのかと妹に尋ねた。レディ・アルマの答えは簡単だった。彼女は修道院の深窓で育てられてきたお嬢様であった。生まれてこの方、家族である兄以外の殿方と始めて対面したのだった。その気恥ずかしさは言いようもなかった。しかし、具合でも悪いのかと心配する兄たちに向かって、このこそばゆい気持ちをどう伝えれば良いのかさえ分からなかったレディ・アルマは、さしあたって「この方のためにお祈りがしたいので、私と彼のために時間をください」と頼んだ。
 家族や世話人たちを全て下がらせると、部屋には彼と彼女だけが残った。
 すやすやと安らかな寝息をたてて眠る青年の寝台のそばに、レディ・アルマはスツールを引き寄せて座った。そして、彼の寝顔をあらためてまじまじと見詰めた。長く伸びた栗毛色の髪が肩にかかるようにシーツの上で波打っている。レディ・アルマは彼の顔にそっと手を伸ばし、額にかかる前髪を払いのけた。しばらくの間、優しく彼の髪をくしけずったり撫でたりしていた。
「どうして私がここに呼ばれたのかしら」
 レディ・アルマはそう呟いた。彼女は大貴族の娘であり、敬虔な修道女でもあったが「ガリオンヌ一の修道女」という肩書きはやんわりと拝受を断る謙虚さも持ち合わせていた。
「ガリオンヌで一番の信仰をお持ちなのは姫様よ。姫様ほど熱心にお祈りされる方には出会ったことがないもの」
 でも、とアルマは付け加える。お忙しい姫様をお呼び立てするわけにもいかないわね。 アルマはどうしたら良いのか分からず、名前も分からない騎士の顔を再び見詰めた。薬師が役に立たないというなら、自分に一体何が出来るだろうか、と。
「サー、貴方のお名前を教えてくださいな……名前も分からないとお呼びできませんわ」
 眠り姫を呪いから解き放つのは愛の接吻であると、ガリオンヌの英雄は笑ってレディ・アルマに話した。レディ・アルマはそのことを思い出し、またもや気恥ずかしさでいっぱいになった。
「サー・ウィーグラフ、あの方は少し冗談が過ぎますわ。接吻で呪いが解けるなどおっしゃるなんて、あの方は吟遊詩人の語る物語に少し耳を傾けすぎたのでしょう。もし『愛』で世の呪いが癒やされるとしたら、薬師の仕事はなくなってしまいますもの。それに、もしそうであったら、私たちは一体何のために祈って暮らすのでしょう」
 それからしばらくレディ・アルマは名も知らぬ彼のために祈祷を捧げた。そして、思い切ったようにスツールから立ち上がった。
「神よ、おゆるしください」そう言うと、彼の横たわる寝台に近づくと、やおらシーツを引きはがし、治療のために彼の身体を覆っていた薄衣をまくって傷の跡を探し当てた。その一連の行為になんらやましい心はなかったが、うら若いレディには勇気のためされることであった。
「まあ……まるで獣に襲われたかのような傷跡ね。リオファネス城にそんな猛獣がいたのかしら。この方が八つ裂きにされなくて本当によかったわ。こんな傷では痛いでしょうに……」
 レディ・アルマは薬草を手に取り、おそるおそる傷口に手を伸ばした。出来ることは何でもする心意気であった。
 物言わぬ二人の時間が静かに流れていった。

          

 新鮮な薬草の香りに誘われてイズルードは目を覚ますと、傍でうとうとと船を漕いでいる一人の女性に気付いた。美しく豊かなブロンドの巻毛を肩に垂らしている。修道女のような出で立ちであったが、ローブの下に真紅のドレスの裳裾が見え隠れしている。イズルードは彼女が真正のレディであると一目で分かった。目が覚めるような美しさだった。ずっとこのまま眺めていたいとも思った。
 それに、不思議なことにイズルードはこのレディのことをずっと前から知っていた。長い夢の中で、彼は彼女と何度も巡り会った。暗い戦乱の中、彼はレディ・アルマと幾たびも出会い、幾たびも分かれた。彼は夢かうつつか分からぬ世界で何度か死の淵にあった。その度ごと、彼女は彼にそばにつき、死を看取った。彼女だけが、死にゆく彼のそばに膝をつき、最期まで寄り添ってくれたのだった。そして夢は覚め、ありがたいことに、彼は生きていた。そして彼女がそばにいる。
「レディ・アルマ」
 やっと逢えた、とイズルードは声にならない感慨を態度で示した。つまり、彼女の手を優しく握った。あふれんばかりの親愛の情を込めて。
 イズルードが深い感慨に耽っている一方で、レディ・アルマは驚きを隠せなかった。彼女は、慎み深いレディとして、殿方に手をとられる経験など今までになかったものだから、どう反応してよいのか分からなかった。しかし嫌な心地ではなかった。
「サー、やっとお目覚めになったのですね。これもあなたの信仰が救ってくださったのでしょう――この<パイシーズ>はあなたの大切なものでしょう? ずっと肌身離さずもってらっしゃいましたよ」
 それはイズルードがレディ・アルマに手渡したはずの聖石であった。
「あなたの名前をお伺いしても? わたくしの名前はレディ・アルマ・ベオルブと申します」
 イズルードは疑問に襲われた。彼はレディ・アルマのことを知っている。しかし、彼女は自分のことを知らないようであった。彼がレディ・アルマを連れてオーボンヌ修道院を逃げたことはまるで夢の中の出来事であったようだった。そう、あれは夢だったのかもしれない。なぜなら、今、イズルードの目の前に立っているレディ・アルマは妙齢のレディで、彼が連れて逃げた幼い少女だったあの頃の面影はない。よりいっそう美しくなった。
「私はイズルード・ティンジェル。ミュロンドの神殿騎士です」
 彼は騎士の道徳をもって、初対面のレディに対するふさわしい挨拶をした。そしてこう付け加えるのを忘れなかった。「レディ・アルマ。貴女とは夢の中で出逢っています」
「サー・イズルード。あなたの夢にお邪魔できたとは、わたくしも光栄に思いますわ。それはとても素敵なことです」
「夢の中で、私がひどい瀕死の傷を負っていた時、私にずっと寄り添ってくださったのは他の誰でもない貴女だった。あの恐ろしい父の業行を目の当たりにしたあとでさえ、貴女の姿が瞼の裏から離れなかった――ずっと――ただの一時も!」
「まあ……でも、あなたが、こうして無事でいらっしゃるのは、わたくしのおかげではありませんよ。それこそあなたの信仰が起こした奇跡でしょう――さ、<パイシーズ>をお持ちになって。これはあなたの大切なものでしょう。サー・イズルード」
「いいえ、これは貴女に捧げたものです」
 イズルードはレディ・アルマに貴石を捧げた。「私が持つより、貴女が持っていたほうがずっといい」
「頂けませんわ、こんな高価なもの、これは王女殿下がお召しになるような貴重なクリスタルです」
「どうか、私から贈らせてください。これからの親愛のしるしに」
 イズルードは寝台から立ち上がると、レディ・アルマの前に額ずいた。彼はどこまでも騎士としてのマナーを守った。そしてレディ・アルマの両手に貴石を握らせた。
「私が貴女からいただいた御恩は、とても物やしるしでは返せないようなものです」
 イズルードは貴石を握るレディ・アルマの手に深い接吻を授けた。レディ・アルマは最初こそ驚いたが、彼女の中に流れる貴族の血が、彼女の佇まいを凜とさせた。
「このようなまたとない光栄に与れるとは、わたくしは何という幸せものでしょう! 教えて下さい、サーイズルード。わたくしはあなたに一体何を差し上げたでしょう。わたくしばかりが尽くしてもらうのはフェアではありませんわ」
「貴女は私の<希望>だった。血にまみれた騒乱のまっただ中でもう死ぬと分かったとき、剣もなく、絶望と諦めの境地に立ったとき、貴方の声が聞こえてきた。光なき全き暗闇の中、その優しい声は私をどれほど勇気付けたことか!」
 レディ・アルマはこらえきれずにイズルードを抱きしめた。この若い騎士がひどい夢を見てきたことは明らかだった。早く、そのような悪夢から解放してあげたいと心から思った。
「サー・イズルード! あなたは一体どんなひどい夢を見ていたのです?」
「このイヴァリースに太古の悪魔が跋扈し、血と争いを巻き起こしている――私は、イヴァリースを救いたかった。しかし、あの時はもう剣を持てなかった」
「もうあなたが剣を必死で探す必要はありませんわ。だってこのイヴァリースは平和そのものですもの。戦乱はとうの昔に過ぎ去りました」
 イズルードは信じられない、という素振りを見せた。
「わたくしがあなたを安心させるために嘘を言っているとお思いね。でもそんなことはありませんよ。それでも疑うというのなら、サー・ウィーグラフの話を一緒に聞きにいきましょう――あの方はロマンダからイヴァリースを救った英雄なのですから!」

          

 青年が目を覚ましたというので、ウィーグラフは彼に鎧やら服やらを返しにいった。
 伸びていた髪を短く切り、装束一式を身にまとった若者はどこからどうみても立派な凜々しい騎士であった。彼はミュロンドの神殿騎士だと言う。その所属を聞いて、ウィーグラフは納得した。あの青年はどこか浮世離れした誠実さを持っている。彼個人が生来から持つ騎士道精神もあろうが、信仰に裏打ちされた純朴さも大いに持ち合わせている、というのがウィーグラフの見解であった。
 彼がレディ・アルマに頼まれて昔の武勇伝を木訥と語っている間、イズルードとレディ・アルマは寄り添い合ってすわっていた。まるで騎士と姫そのものである、とウィーグラフは思った。
 姫君が疲れてうとうととし始めた頃、ウィーグラフは話を切り上げて客人たちをまとめて送った。レディ・アルマは兄たちよりもイズルードの方に身体を寄せている。どうやら二人はわずかながらも親密な関係になったらしい。イズルードが持っていた貴石はいつの間にかレディ・アルマの手に移っている。ウィーグラフはそれを見逃さなかった。しかし二人の間に一体どんなやりとりが交わされたのかは、知るよしもなかった。

          

          


           

「眠り姫(イズ)を勇者(アルマ)が目覚めさせる展開にしたかったけれどこのイズアル純朴すぎて無理だった(草食」→「クラシックなおとぎ話のようなカプ話を書きたかった」「アルマに敬語で話すイズルードが見たかった」という作者の願望丸出しw

              

     

2016.08.21

         

反魂香

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・死者の魂を呼び戻すという秘薬。ゼラモニア独立運動(FFTのED後)に携わっているラムザとアルマ&イズルード(故)で思い出語り。
・カップリング要素…ラムザ→アルマ→イズルード→ウィーグラフ 片思いの連鎖… 

 

 
◆ゼラモニアについてmemo
0)鴎国と畏国の間の地域(ゼルテニアの隣)で鴎国に併合される(五十年戦争の1世紀前) 
1)オルダリーアの属州にして五十年戦争の発端の地 
2)ラムザ&アグリアスは獅子戦争終結の後(EDから約5年後?)、ゼラモニアの独立運動に関わっている
3)ディリータがそこに派兵 
*ディリータのゼラモニアへの派兵についての解釈は、「(鴎国の軍事力を削ぐため)独立運動の支援」(ラムザとディリータの協力)でも良いのですが、小説では「(畏国の治安を守るため)独立運動の鎮圧」(ラムザとディリータの敵対)だと思って書いてしまいました。でも前者の説明の方がすっきりしますね^ω^;

 

 

 

反魂香

 

 

 

「死者の魂を呼び戻す秘薬?」
「そう、この香木を焚くと、その香りがあるうちは亡き人の魂を再びこの世につれ戻すことができるらしい」
「でもそれって、危険なことじゃないの? だって私は知ってるもの、聖石が魂を呼び戻す時、誰かの身体が犠牲になっていたもの。私はもうそんな光景は二度と見たくないわ」
「アルマ、これはそういうものじゃないんだよ。魂を肉体に宿らせるんじゃなくて、去っていってしまった魂をほんの少しだけこっちの世界に呼び戻してくれるんだ」
 兄は市場で珍品を見つけてきたらしい。アルマは半信半疑だった。死者を蘇らせるとか、魂を呼び戻すとか、そんな胡散臭いものには何か裏があるだろうとアルマは思っていた。アルマは兄と共に、祖国イヴァリースを離れて鴎国のゼラモニア州で暮らしていた。ここゼラモニア州では、イヴァリースとオルダリーアとの大国に挟まれて陸路での貿易が盛んであった。そのため、得体の知れない珍品も時々市場に流れてくる。きっと、兄もそうしてこの香木を手に入れたに違いない。
「アルマは、誰か会いたい人はいないのかい?」
「そうね……私は兄さんが居てくれればそれで十分なんだけど」
 兄の顔がぱっと輝いた。兄妹は、異国の地で二人よりそって暮らしている。アルマは今の暮らしが十分幸せだった。故郷の戦乱で亡くなった人は大勢いた。アルマは彼らのことを一人一人思い出しながら、追憶に浸った。――もし、この香木が本物ならば――ここにその魂を呼び戻せるとしたら――

 * * * 

「また会えるなんて嬉しいわ、イズルード!」
 戸口に若い男が立っていた。短く刈り上げた茶髪に、僧服姿をした男は、どうしてここへ来たか分からない様子で所在なさげにしていた。そんな彼をアルマ喜んで迎え入れた。
「ここはゼラモニアの私たちの家よ。私があなたを呼んで招待したのよ、イズルード」
「私たち?」
「そう、私と兄さんとで一緒に暮らしているのよ」
「兄妹二人暮らしか……君たちはずいぶん仲がいいんだろ? 夫婦みたいに仲睦まじくやってるのが目に浮かぶよ」
「やだ、夫婦なんて言い過ぎよ」
 そう言いながらもアルマは嬉しそうに、兄さん、兄さんとラムザを呼びに家の中へ入っていった。その様子を見てイズルードは安堵した。
「よかった、兄と再会できたんだな」
 彼にはアルマに対する責任があった。彼はアルマを兄ラムザのもとから引きはがし、拉致しようとしたのだった。彼はその当時、崇高な理想に燃えており、理想の実現のためには多少の犠牲はやむなしと考えていたが、今となっては騎士道に反する行動だったと感じていた。彼女に対して紳士的な振る舞いを欠いたことに、彼はいくらかの罪悪感を抱いていた。計画が頓挫し、彼女を戦場であるリオファネス城に放置してきてしまったことも、彼の心を痛ませていた。けれど、どうやら彼女はそこから無事生還して兄と再会できたようであることをイズルードは知り、それは彼の心を落ち着かせた。
 しかし、一つだけ腑に落ちないことがあった。
「アルマはどうして今更、オレを呼び出したんだ――?」
 手荒な方法でさらったことを、非難するつもりだろうか、と彼は思った。

 * * * 

 妹から男を紹介された。
「この人はイズルード」
 知ってるよ、とラムザは心の中で思った。自分がかつて剣を交えた騎士だ。不幸な事件に巻き込まれてリオファネス城で果てた若い男だ。
「兄さんの言っていたことは本当ね。この香木は本物だったわ」
 妹がそんなにも会いたかったというのはイズルードだったのか。戦乱で死に別れた女友達と再会を喜ぶのだろうとばかり思っていたラムザは困惑した。一体、どうしてこの騎士なのか。彼とは、たった数日一緒に過ごしていただけだろう。それとも、たった数日だけしか共にしていないというのに、“そういう仲”なのだろうか。妹から今更若い男を紹介されるとは思っていなかったため、ラムザは戸惑っていた。
「アルマ、一体オレに何か用があったのか……?」
 ラムザが彼女に聞く前にイズルードが尋ねた。至極控えめな素振りだった。
「どうして? 理由がなかったらいけないの? 私はあなたにもう一度会いたいと思っただけよ」
 彼女は迷うことなくさっと答えた。しかし、顔をわずかに背け、誰とも目を会わせないよう視線をさまよわせた。答えるほんの少し前に、頬に赤く染めたのをラムザは見逃さなかった。ラムザは彼女と暮らしていた。兄妹の絆は消えることなく、彼女はいつもラムザの可愛い妹だった。けれど、その時、彼を前にしたその時、彼女は彼の妹ではなかった。一人の女だった。
 彼らをその場に残して、自分が退席するべきだろうとラムザは思った。けれど、同時に、彼らを二人きりにしておきたくない、とも思った。名付けられない、その感情に従って彼はイズルードを誘い出した。
「少しの間、外で話そうか」
 彼はその申し出に応じた。
 

 * * *

 外は彼の知らない国だった。イヴァリースで生まれ、故国から出ることのなかったイズルードにとって、ゼラモニアの光景は新鮮だった。家や町並みに大陸の文化がかいま見られた。
 イズルードが聞いたところによると、ラムザはゼラモニアの独立運動に関わっているらしかった。
「ゼラモニアの歴史は知っているだろう?」
 ラムザが尋ねた。イズルードはうなずいた。
「もちろん。ここは常に戦争の火種になっている」
「独立の夢叶わずに鴎国に併合されたのが一世紀前。それから畏鴎戦争が五十年。そして僕たちの国の戦争があって、イヴァリースはゼラモニアから撤退した。ゼラモニアは数百年の間もオルダリーアの圧政の下だ」
「それで、ラムザはゼラモニアの独立運動を支援していると?」
「これまでずっとイヴァリースは、ゼラモニア独立の支援を続けてきたけれど、独立支援なんていうのは建前だ。本当はオルダリーアへの侵略を考えていただけさ。この国はイヴァリースとオルダリーアという大国に挟まれて、戦場として蹂躙され続けてきた。僕はイヴァリースに生まれた。ゼラモニアの歴史には責任があるんだ」
 年はとっくに二十歳を超えて、彼はいくつになっているのだろうか。イズルードは、淡々と語るラムザの声を聞いていた。確か、自分と彼とは年はそう離れていなかったはずだ。修道院で初めて顔を会わせた時は、お互いにまだ若い少年だった。理想に燃え、それぞれが正しいと信じるもののために戦っていた。
「ラムザ、オレは君と剣を戦わせたことがある。だけど、君といがみ合っていたとは一度も思っていない。君はゼラモニアの虐げられた人々のために戦おうとしている。オレは君の精神に敬意を払っている。あの時から、今も変わらずそう思っているよ」
 理想を掲げて、虐げられた民のために剣を取る。それが騎士のあるべき姿であるとイズルードは思っていた。ラムザはその志を持った人間だ。たった数回剣を交えただけでも、それを知ることが出来た。けれどラムザと会う前から、理想を掲げて戦っていた騎士をイズルードは知っていた。彼はラムザと同じ金髪、ガリオンヌの出身、貴族をくじく精神を持っていた。そして内に激しい魂を秘めていた。イズルードが尊敬し続けたただ一人の男だった。
「ウィーグラフ……」

 * * * 

 イズルードが物思いに沈んでいる頃、ラムザもまた別のことを考えていた。
「イズルード、僕は崇高な精神のために戦っていたわけじゃないんだ」
 しかし、その言葉は彼の耳には届いていないようであった。
 ――僕は……大儀を掲げて戦ったわけじゃない。家族を、アルマを守りたかっただけなんだ……。もしあの時、修道院でディリータの姿を見なければ、僕はきっと戦争には関わらなかった。過去を捨て、家を捨て、名前を捨てて、そのまま逃げ続けていたかもしれない。
 ――ゼラモニアに居るのだって、本当はイヴァリースを追われてきたからだ。僕はもう二度とイヴァリースには帰らない、帰れないんだ。僕たちのことを誰も知らないこの土地で、僕はアルマと二人で平和に暮らそうと思っていた。独立運動のことを知らなかったわけじゃない……でも本当はただイヴァリースから逃げたかっただけなのかもしれない……。
 ラムザはこのことをイズルードに伝えられなかった。彼は自分のことを今でも理想を共にする同志だと思っているらしい。ゼラモニア独立のことも、彼はもしかしたら理想のための革命を起こせるのだと思っているのかもしれない。けれども、ラムザは過酷な現実を知っていた。かつてはオルダリーアの勢力を削ぐために独立を支援したイヴァリースが、今度は民衆の独立運動が自国に飛び火するのを恐れて派兵しようとしている。イヴァリースの英雄王自ら挙兵するとの話をラムザは聞いていた。ロマンダには英雄王に地位を奪われて亡命中の王子もいる。このままゼラモニアの独立運動が拡大すれば、周辺諸国を巻き込んでの争乱に発展するだろうことは容易に想像できた。けれどそうなった時、どう動くべきなのかをラムザはまだ想像できずにいた。もはやラムザ個人の力
ではどうにもできない問題になっていた。
 しかし、この夢見がちな青年にどうして本当の事が言えるだろうか?
 その時、イズルードがある名前をつぶやいた。
「ウィーグラフ……」
 ウィーグラフ・フォルズ。その名前を聞いてラムザは背筋が凍り付いた。その男はラムザを何度も殺しかけた、因縁浅からぬ者だった。
「もしウィーグラフが生きていたら、ゼラモニアの問題だって黙ってはいなかっただろうに。あいつは本当にすごい騎士だった。同じ神殿騎士として少しの間だけでも肩を並べられて光栄だった」
「うん、あの人はすごかった……僕はあの人の剣技にはとてもかなわなかった」
 ラムザがそう言うと、イズルードは同輩を賞賛されて嬉しかったのか、どこか誇らしげな顔をした。
「そう、ウィーグラフはすごい奴だった。オレは今でも心から尊敬しているよ。オレと同じゾディアックブレイブだったけれど、あいつはオレと違ってずっと苦労してきたんだ。イヴァリースのために戦ったのに、王家に裏切られてガリオンヌではかつての仲間と家族を失ったと聞いた」
 ――骸旅団を壊滅させ、彼の妹を殺したのは僕と、僕の兄たちだ。
「でも、ウィーグラフは剣を棄てず、ミュロンドに来て、信仰のために戦った。聖石が悪魔の力を宿していたとは誰も知らなかったが――ラムザ、君が正しかったよ――それでも、オレたちはあの時、貴族たちから平等を勝ち取ろうと戦っていたんだ。今もその気持ちは変わらない。ゼラモニアの困窮を前にして、オレもこのまま黙ってはいたくない。出来ることなら、君の力になりたかった。きっとウィーグラフもそう思っているだろう。民衆が立ち上がるための土台を築こうとしていたのだから」
 ――でも、あの時、確かにウィーグラフはこう言った。私を教会の犬と呼ぶが良い、と……。
「だけど、オレはウィーグラフを見捨ててきてしまったんだ。オーボンヌ修道院で、瀕死のウィーグラフを振り切ってその場を去った。それが心残りだった……。あの時は、あれが最善のことだったのかもしれない、だけど共に戦った戦友をあの場に残して一人立ち去った申し訳なさが残った。あの後、リオファネス城に行ったが――この経緯は君も知っているだろうが――そこで何度もウィーグラフの幻を見たよ。ここに居るはずもないのに、何度か彼の姿を見た気がする。幻覚を見るほどオレはウィーグラフのことを思っていたのかもしれない。――だから、ラムザ、どうか教えてくれないか。ウィーグラフの最期を知っているのは君だろう? 君があいつを討ち取ったんだろう、ウィーグラフはあの後、修道院でどうやって最期を迎えたんだ……?」
 ――そうだ、君の言うとおり僕がウィーグラフを討ち取った。だけど、そこはオーボンヌ修道院ではなく、リオファネス城だ。君が見たというのは幻じゃない、おそらくウィーグラフ本人だ。いや、彼はもうすでに聖石と契約を結んでいたから、ウィーグラフ本人ではないかもしれない……。
「ラムザ? どうしたんだ?」
「ああ、何でもないよ……」
 ラムザはイズルードに何も答えられなかった。イズルードを殺したのは、悪魔になり果てた彼の父親だった。ラムザは思った。もし、彼が、彼の敬愛するウィーグラフもが彼の父親と同じ道に墜ちてしまったと知ったらどう思うだろうか。父親に剣を向けたように、盟友にも同じように剣を向けただろうか。父親にそうしたように、変わり果てた友の身体に剣を突き立てたのだろうか。
 ――アルマ、今更どうして彼を呼んできたんだ。夢から覚めて、悲惨な現実を知って打ちひしがれるだけだというのに。僕は真実を知っている。だけどそれを彼には伝えられない。
「ラムザ? ウィーグラフは……」
「あの人は……最期まで僕の好敵手だった。僕の人生に影響を与えた人だったよ。あの人なしには僕の人生はなかったと思う。お互い、最後まで全力を尽くして死闘した。……最期は、妹さんのことが心残りだと言っていたかな……」
「そうだったのか。ラムザ、君がウィーグラフのことを認めてくれて、オレも嬉しいよ」
 ――知っているかい、イズルード? 君が敬愛するウィーグラフの、家族を殺して、彼を復讐に駆り立てさせた発端は僕にあるんだ。君はそんなことを露ほども知らないとは思うけれど……
 ラムザはイズルードに、ウィーグラフが聖石と契約を交わしていたことは言わなかった。彼の中で、ウィーグラフは永遠に高潔な騎士として生き続けることだろう。
 イズルードが理想高き誠実な騎士であることをラムザは十分理解していた。ゼラモニアの民衆運動にも、喜んで身を投じることだろう。妹を暴力にまかせて修道院から連れ去ったことは許し難い行為であったが、しかし、平素の彼はそれほど猛々しい性格ではなかった。むしろ、ラムザの知り合いの中では剣を持つ人間としては穏和な方であった。この期に及んで、凄惨な現実を突きつけて、この青年を絶望の淵に追いやるつもりはなかった。
 ――この男がアルマをさらっていった。そしてたった一瞬でアルマの心を奪ってしまったのだ。
 果たしてそのことにイズルードは気づいているのだろうか、とラムザは思った。
「アルマは君にずいぶん会いたがっていた」
 ラムザがそう言うと、イズルードは居心地が悪そうに言った。
「あの件は……本当に申し訳ないことをしたと思っている。アルマは、そのことをまだ怒っているだろうか……?」
 いや、それどころか君に好意を抱いている、とは言わなかった。代わりに「多分怒っていないと思う」と答えた。
「それは良かった。彼女には感謝している。そのことを伝えておいて欲しい」
 じゃあ、お互いよい旅路を、と言ってそこで彼とは別れた。何に対して「感謝している」のか、ラムザは分からなかった。けれど彼の言葉はそのまま妹のもとへ届けた。

 * * * 

「そう、イズルードはそんなことを言っていたのね」
 アルマは呟いた。せっかく再会の機会があったというのに、ろくに言葉を交わす間もなく再び彼は去っていってしまった。兄たちは外でずいぶん長いこと話していた。何を話していたのだろう、とアルマは思った。私も一緒について行けばよかったかしら。
「イズルードはこう言っていた、感謝していると。アルマ、そろそろ教えてくれないか。彼とはどういう関係だったんだ?」
「あらやだ、兄さん、もしかして嫉妬しているの?」
 兄がイズルードに何かしらの感情をあおられていることは確かだった。
「アルマ、僕はそういうつもりで言ったわけでは……」
「兄妹なんだから、兄さんが何を思っているのかは言わなくても分かるわよ。でも兄さんは勘違いしている。私たちは、イズルードとの間には、何もなかったのよ――だってよく考えてみて。私たちが一緒に過ごしたのはたった数日だったのよ。それも、私は誘拐されたのよ。“何か”を育むような楽しい逃避行ではなかったわ」
「彼は“感謝している”と。何もなかったわけじゃないだろう?」
「感謝されるとしたら、それはきっと、私が彼の最期を看たからよ……あの人は、私をさらった誘拐犯だったけれど、一人孤独に絶望の中で死を迎えるのはあまりに可哀想だわ。だから私、彼の手をとって、ずっと傍に居たの。彼も私も言葉を交わせるような状況じゃなかったわ」
 アルマはその時の光景を思い出して恐怖を再び感じた。血も凍り付くような虐殺がリオファネス城では繰り広げられていた。その真っ只中にアルマとイズルードは取り残されていた。そのような惨劇の中、彼らは互いに何も言うことも出来ず、ただ孤独と恐怖とをふさぎあうように寄り添っていた。
 再びおそった恐怖に身をすくめ、アルマは兄に抱きついた。目を閉じていても、脳裏にあの光景が浮かんだ。
「そうよ、私たちの間には何もなかったわ! 何もなかったのよ! あの時の私は修道院を出たばかりの何も知らない少女で、彼も教会のために命を捧げてきた人だった。私は兄さんに会いたくてずっと泣いていたし、彼は残してきた仲間のことを気にしていた。それに、あんな惨劇に見舞われて、お互い何の言葉を交わすこともなく別れたわ。だけど、今になって思うの。もう二度と会えないと知って、あれが、私の、初めての恋だったと気が付いたの。愛していたと気づいた時には、あの人は二度と戻らぬ人だったのよ……!」
 アルマは兄の腕に抱かれて泣いた。ラムザはこう言った。「アルマ、泣かないで、僕がずっと傍にいるよ」
「あの人は――イズルードは、私が初めて恋をした人だったの。だから、兄さんがあの香木を持ってきた時に、ふと、また会いたいと思ったの」
「愛を伝えるために?」
「いいえ、リオファネス城で、私の初恋はもう終わったのよ。昔の恋を伝えたかったわけじゃないわ。ただ……大人になって、綺麗になった私を、一度でいいから彼に見てもらいたかったの。ね、兄さん、あれから私はずいぶ大人になったでしょう?」
「僕の可愛い妹! 君は最高に美しいひとだ! 僕はもう二度と家族を手放すまい――誰にも引き離されることなく、僕たちはこの国で一緒に暮らしていくんだ――」
 兄妹は再び抱き合った。

 

 

2015.12.14

 

譽れ高き騎士に剣を捧げよ

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 譽れ高き騎士に剣を捧げよ

             

             

 あの恐ろしい化け物は、騎士たちを羊を屠るように切り殺していった。あちこちに混乱と恐怖のさなかに絶命した者達が血を吹いて倒れている。アルマはおそるおそる、城の中を歩いて行った。無我夢中で道なりに進むと、覚えず、城の再奥の執務室にたどり着いた。扉を開けると、物言わぬ屍たちが一塊になってこぼれ落ちてきた。アルマはその重みにぞっとし、ここで壮絶な死闘があったのだということを悟った。顔も背けたくなるような光景の中に立ち入っていったのは、奥から人の声が聞こえてきたからだった。剣を放り出して、壁に身をもたれさせてうずくまる、若い、一人の騎士。アルマは彼のことを知っていた。側に駆け寄らずには居られなかった。
「――剣はどこだ?」
 彼は最期まで立派な正しい騎士だった。「もう戦わなくていいのよ、イズルード」アルマは彼の前にかがみ込み、耳元にそっとささやいた。アルマは血に汚れた上着の裾をきちんと整えた。そしてスカートの端を少しちぎると、彼の顔にそっとあてがったな前髪をそっと掻き分け、額の汚れをそっとぬぐった。
「きれいにしましょうね…最期くらい、きれいに飾ってあげなくちゃね……あなたは騎士としてずっと生きてきたのだから…」
 ベオルブの家に生まれて、彼女も、騎士が死ぬときにどういう装いをするものなのかは知っていた。皆、美しいマントに包まれ、胸の上には剣を大切に抱え持っていた。それを思い出し、アルマも側に落ちていた彼の剣を拾いに行った。その時初めて、その剣が片手で持てない程の重さであることに気づいた。「こんなに重たいものを持っていたのね」
 アルマは剣を引きずってイズルードの側に戻った。彼に剣を握らせ、その右手をアルマは両手で優しく包み込んだ。今際の場にあってもイズルードが尚もしっかりと剣を握りしめようとしているのに気づき、再び繰り返した。「もうあなたが戦う必要はないの。あの化け物は兄さんが倒したから…」アルマは髪を結わえていたリボンを解くと、剣の柄と彼の右手とに結びつけた。
「これは、私からの武勲のしるしとしての贈り物」
 彼の勇気と行いを褒め称え、飾るものをアルマは他には何も持っていなかった。イズルードは代わりに聖石をアルマに託した。それを受けとると、アルマはその場にぺたりと座り込み、彼を支えるように側に寄り添っていた。
「君の兄さんに伝え――」
「駄目、しゃべっちゃダメ。ね、ゆっくり眼を閉じてもう休むのよ」
 アルマは彼を黙らせるため、その口を接吻でふさいだ。静かな甘い時間が過ぎると、イズルードは最期にこういった。
「これでやっと兄さんの元へ帰れるな。アルマ、すまない。ラムザと幸せに――」
「イズルード!」
 アルマが呼びかけにもう反応はなかった。アルマは彼の顔を両手でそっと包み込み、抱き上げると、再び長いキスを彼に贈った。アルマが我に返り、目を上げた時、彼女の前に遺されたのはぼろぼろに痛めつけられた一人の騎士の亡骸と、一振りの剣、そして彼女に手渡された一つの聖石。これが彼の全てだった。アルマは聖石を握りしめ、祈りを捧げた。

             

 ――イズルード、その名もほまれ高き、いとしい騎士よ

             

 そしてその場を去っていった。愛する人を其処に残して。

             

2015.1.29

星空の彼方

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 星空の彼方

                 

                 

 むかしのことを思い出した。

                 

 母が亡くなって間もない頃、まだ人が死んだらどうなるのか分からなかった頃。いつまで経っても戻ってきてくれない母の帰りをずっと待っていた。
「かあさまはどこへ行ったの?」
 その言葉に父は答えてはくれなかった。わたしに背中を向け、「遠いところへ行ったんだよ」
「どうして?」
 繰り返すわたしに答えをくれたのはローファルだった。たくさんの魔道書。古の伝承歌。教会の教え。剣の持ち方。ローファルは、わたしの知らないことをなんでも教えてくれた。
 蔵書室の傍らに腰掛けて、昔の英雄達の最後を語ってくれた。あれこれと、とても真面目に、<死後の世界>について教えてくれた。それでも首をかしげるわたしに、ローファルはとうとう諦めて、外へと連れて行ってくれた。
 夜の帳の静かに落ちた後、空は満天の星が輝いていた。一つ、二つ、と星の数を数えていたら、
「母君はあの星の向こうへ逝ってしまった。こうなることは決まっていたんだ。イヴァリースに住む者は皆、星々の運行の下に生きているんだ。誰もそれを止めることは出来ないのさ……」
 母がわたし達を置いて本当に遠いところへ行ってしまったのだと分かった。丸い天の下、たった一人取り残されてしまったような気がしてとても怖かった。悲しかった。そしてとてつもなく寂しかった。隣に座っていたローファルにぎゅうぎゅうと抱きしめた。この手で掴んでいないと、みんな遠くへ去ってしまうような気がした。
「メリア、そんなに抱きつかなくても、私はちゃんとここにいるよ。寂しくなったらいつでもおいで」
 悲しいのか嬉しいのか自分でも分からなかったけれど、涙がぽろぽろと頬を伝った。
 わたしを呼びに来た弟が不思議そうに見ていた。「ねえさん、どうして泣いてるの?」
「かあさまが遠くにいってしまったからよ」
 弟はまだ母の死を知ることが出来なかった。死という残酷な響きを理解するにはあまりに幼すぎた。
「もうすこし大きくなったらわかることよ」

                 

                 

 母が亡くなった時は悲しかった。弟が亡くなった時はもっと悲しかった。
「期待のゾディアックブレイブだったのに…」
 あちこちでそうささやく声が聞こえた。ゾディアックブレイブの証の聖石はとうとう戻らなかった。折れた剣がひとふり、わたし達の許へ帰ってきた。それだけだった。
 騎士として立派につとめを果たしました。ぼろぼろの剣はそう語っていた。けれど、わたしの心はそんな言葉で慰められることはなく。抑えられない悲しさにおぼれそうになっていた。
 相変わらず父はわたしの前に顔すら見せなかった。もう家族がばらばらに引き裂かれてしまったように思った。それでも、その頃は、わたしも騎士として相応の分別を持ち合わせていたから、取り乱したりすることはなく、ローファルの許をそっと訪ねた。
「一体リオファネス城で何があったのですか?」
「……異端者と打ち合ったと聞く」
「そう……ならば、弟はミュロンドの騎士として死んだのですね。これも星宿の巡り合わせというものなのでしょうか」
 答えはなかった。しばらくの沈黙が続いた。そして、ローファルはぼそりと、「違う、そうじゃなかった」と答えた。わたしは再び、「リオファネスで何があったのですか」と繰り返した。けれど、無言のままに扉を閉められた。内側から嗚咽が漏れた。「可哀想に」
 可哀想に。真相も分からず夭折した弟も、たった一人残されたわたしも。
「寂しいときはいつでも来い、って約束してくれたじゃない――」
 わたしは、密かに下された異端者抹殺の命を全うすべく、夜の闇の中を歩く他なかった。

                 

                 

 ――それも今はもう昔の話。あれから刻々と時は流れ、あの当時は想像もしなかった環境にいる。決して共に歩むことなどないと思った人と今は一緒にいるのだから。
「メリアドール? そんなところに居たら風邪ひくわよ?」
「あらアルマ。そうね、ちょっと夜風に当たりたくて。星を眺めているといろいろなことを思い出すの」
 昔の事を思い出す。かつて共に過ごした人たちも今はもういなくなってしまった。寂しい。だのに、それを慰めてくれる人はいない。――寂しくなったらいつでもおいで。
「そう、約束してくれたじゃないの」
「何の約束?」
「ううん、昔の事よ。何でもない」
 夜風が頬をさらっていく。さらさらと、静かに吹いている。やむことなく、さらさらと。
「わたしもね、こうして星空を見ているとあの時の事を思い出すわ。オーボンヌからさらわれたあの日のことを」
「その節は、どうもうちの弟が随分と迷惑を掛けたみたいね。ごめんなさいね。普段はあんな乱暴な子じゃないのよ」
「いきなり殴って気絶させられるなんて、初めての体験だったわ。あれはもう御免。でもいいの。別に恨んでないし、本当はわたし、誰かにここから連れ出してもらうのを心の底では待ってたの……」
「兄さんたちはみんな自分の道を自分で決めて、歩んで、すごくうらやましかった。なのにわたしは修道院と、学校との往復。そのうちお嫁にいって、跡継ぎを作る。そんな道しかなかったから。いつかこんな狭い世界からわたしをさらってくれるような騎士様を待ち望んでたの。本の読み過ぎかしら。――でも、本当に来てくれた」
 アルマは静かに語っていた。夜の暗さから、表情は見えない。
「イズルードと二人で、チョコボに載って、満天の星空の下を走ってた。行き先も教えてくれないかったから、わたしはこれからどうなるのかも分からなくて、でも全然怖くはなかった。あんな真夜中に、森の中を走ってるんだから、今思い返すと不思議なことね。」
「でもさすがに、ラムザ兄さんと引き離されて、その時のわたしはとても機嫌が悪かったから、わたしは不満ばかり言ってて、困ったイズルードがこう言ったの」
 ――オレがあの天の星を一つもいできてやる。だから機嫌を直せ。
 アルマは静かに語る。声は柔らかく、暖かかった。
「あらやだ、イズったらそんな恥ずかしいことを」
「ふふ、わたしがあんまり怒っていたから困ったんでしょうね。一生懸命、わたしをなだめようとしてくれたもの」
「あの子は、女の子の機嫌を取る方法なんて知らないから……」
「わたしはその時思ったの、この人と一緒に行ってもいいかな、って。安心したの。でも、もういないのね。とてもさみしい、わ。」
 昔の事は今でも手に取るように思い出せる。思い出せるのに、今はもういないなんて。
 寂しい。隣にアルマがいるはずなのに、まるでたった一人夜に取り残されてしまったようで、誰かにぎゅっと抱きしめてもらいたかった。あの頃のように、「ここにいるよ」と言ってもらいたかった。
 その時、アルマが寄りかかってきた。ふわり、と柔らかな髪が背の上でゆらめいた。
「でもね、イズルードはちゃんと約束を守ってくれたのよ。ほら、ちゃんとわたしに天上の星をもってきてくれたのよ」
 アルマが聖石を取り出した。愛おしそうに撫で、唇をそっと持っていった。
「聖石は天からの授かり物、ね。そんなことをゾディアックブレイブに任命された時云われたわね」
「どんな星より綺麗な石の中の石。天から持ってきてくれたみたい。わたしの宝物。……本当に、星を取って、天から切り離せたらよかったのに。そうしたら運命だって止められたのに。でも、わたしは幸せよ。ああして、ほんの一瞬だけでも一緒に過ごせたのだから。ひとときでも心通わせた大切な人なの」
 アルマの小さな身体が触れた。暖かかった。とても幸せそうだった。ちらりと見えた横顔には幸福の表情があった。その顔は、恋する乙女そのもの。
 誰も知らない、二人だけの秘密。それはそれは密やかな、ささやかな恋。そう、あれは私の初めての恋だったのだ。
 そう、イズルード、恋をしていたのね。わたしの知らないうちに、随分と大きくなったのね。
 見上げた夜空には、粛々と星が輝いている。あと数刻もすれば夜が明けるだろう。目を閉じて、草むらに横になった。
 星空の彼方、上のほうから「ここにいるよ」と声が聞こえたような気がした。

                 

                 

2015.1.29