誇りを失った騎士:第一幕

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誇りを失った騎士

  

四幕のドラマ
Inside the Kaleidscope―Seven Knights of Mullonde

  

  

――被造物の外なる神
汝の力の及びえざる所へ行け、
汝の見えざる所で見よ。
何らの音なく何ものも響かざる所で聴け
かくして、汝は神の語りかける場に在るであろう

Angelus Silesius :
Cherubinischer Wandersmann I ,
tr. Matsuyama Yasukuni

  

登場人物
イズルード・ティンジェル ミュロンドの若き騎士
メリアドール その姉、ミュロンドの騎士
ヴォルマルフ その父、ミュロンドの神殿騎士団を統べる長
ウィーグラフ ミュロンドの騎士、元革命家
ローファル ヴォルマルフの部下、ミュロンドの騎士、剣の使い手
クレティアン ヴォルマルフの部下、ミュロンドの騎士、魔法の使い手
バルク ヴォルマルフの部下、ミュロンドの騎士、銃の使い手
アルマ・ベオルブ 名門貴族の長女
ラムザ その兄、家名を捨てた剣士
シモン オーボンヌ修道院院長、神学者
ゲルカニラス・バリンテン フォボハム領領主、武器王[大公]
マラーク・ガルテナーハ 暗殺集団[カミュジャ]の一員、魔道士
ラファ その妹、魔道士

その他、ランベリー領主[侯爵]、従者、貴族など
舞台は獅子戦争中期の畏国、ライオネル・ルザリア・フォボハム領の各都市

  

第一幕

 第一場 ミュロンドの城館。階下の一室。
 夕方。薄暗い部屋。室内に装飾はなく、質素な作り。壁に空けられた明かり窓からうっすらと夕日が差し込む。室内では姉弟が談笑している。イズルードは床に座り、メリアドールが椅子に腰掛けて話し込んでいる。

メリアドール 教皇猊下からゾディアックブレイブに選んでいただけるなんて、それはそれは名誉なことよ。イズルード、どうしてお前はそう素直に喜べないの。
イズルード そりゃ姉さんは嬉しいだろうけれど、だけど――
メリアドール だけど、何? ちゃんとおっしゃいなさいな。何が不満なの。
イズルード 不満だって!? オレだって栄誉ある称号を頂いてこの上なく嬉しい。今にも宙に飛び上って舞いたいくらいだ。人の話を最後まで聞かないで思い込みで話しをするのは姉さんの――
メリアドール まあまあ、姉に向かって説教をするのね!
イズルード またそうやって! オレの話を最後まで聞いてくれよ。誤解されたくないんだ。
メリアドール いいわよ 、聞きましょう、(座り直して)私が思い込みの激しい勘違い女だと誤解されないように。
イズルード (軽く咳払いをして)猊下から、ゾディアックブレイブに選んでいただけたと聞いた時は、正直この耳を疑ったよ。それは本当のことかと従者に何度も、何度も聞き返して煙たがられた程さ。なぜかって、ゾディアックブレイブはアジョラの弟子の称号、生きたまま聖アジョラの弟子の名誉に与れるのだから! 本当に――神に感謝――嬉しいよ。
メリアドール (相槌を打って弟の話に耳を傾けている)
イズルード だけど、一瞬の歓喜のあとでとてつもない不安に襲われたんだ。ミュロンドの勇士たちは民衆の期待と羨望を一身に集める騎士の誉れ。民は教会に諸侯の争いの調停を望んでいる。民衆は勇士らを鳩の翼を持った 和平の使いとはなから信じている。まったく人々はオレたちを聖人か士師を迎えるごとき目で見ている。
メリアドール 良いことでないの。信徒の希望を集めることは猊下もお望みよ。
イズルード オレには荷が重すぎるよ。
メリアドール 謙遜がすぎるわ。この大任に選ばれたことは、我が世に神の国を築くための思し召しだったのかもしれないわ。
イズルード いくら理想があっても、いや、理想ばかりが先走りして、オレにはそれを実現する手立てがないんだ。姉さんには分からないよ。姉さんは、だってもう、その働きが認められて、既に猊下から宝剣セイブザクィーンを戴いているじゃないか。父上やローファルと揃いの物だ。それに姉さんは元々華やかで、社交的で、先輩の騎士たちの間でも毅然と立ち 振る舞いが出来る。そういう人なんだ。ウィーグラフだって! ガリオンヌの指導者で、人々に慕われ、そして彼らを導いてイヴァリースに勝利をもたらした人だ。それに比べてオレには誇れる経歴が何もない! 
メリアドール 確かに謙虚さは騎士の美徳の一つよ。だけど、時には己に矜持を持つことも必要ね。
イズルード 聖石をもらって、称号をもらって、いくら立派に着飾ったといっても、オレはまだ経歴のない若者にすぎない。どんな顔をして人々の前に立って、どんな言葉を話せばいいんだ。父の後ろに立って、所詮は騎士団長の盾持ちと揶揄されるのは嫌だ。
メリアドール 簡単なことよ。背筋を伸ばして、堂々と歩くのよ。飾ることなく、でも慈愛の心を持って話すのよ。ミュロンドの騎士が輝くのは、決してその聖なる神器のためだけじゃないのよ。尊厳とは着飾って与えられるものではない。真に美しく正しい威厳とは、衣の内より輝きあふれるもの。権力を身に帯び、支配のための剣を腰に帯びようとする者は真の騎士とは呼べないわ。たとえ衣でその偽を隠そうとも、おのずとその言葉、その立ち振る舞いに現れるもの。私達ミュロンドの騎士は、清貧と誠実を尊び、信仰を腰に帯び、正義をその身に帯びる者。その不断の努力と鍛錬によって、信頼と尊厳を得たのよ。勇士らは民を導き、指導者となり、ミュロンドの騎士の誉れとなるのよ。恥じることは何一つないわ。
イズルード だからこそ、名誉ある称号だからこそ、しかるべき人に賦与されるべきだとも思ったんだ。
メリアドール ああ駄目よ、だめ! そんなこと考えないで! でもおまえは、いい子ね、やさしい子ね。おまえは私の弟。可愛い私の弟。手を取り合って一緒にこの道を歩いてゆきましょう――一緒に、私たちの務めを果たすのよ。
  
  (メリアドール、イズルードを抱きしめる)

イズルード オレも愛しているよ――。心の許せるたった一人の家族だ。
メリアドール (笑って)それではまるで父の前だと心許せないとでも言いたげね。
イズルード 父は厳しい人だから――
メリアドール ローファルも父と同じくらい厳格だわ。私にはね。
イズルード 思うに、どうしてローファルが聖石をもらわなかったのかを不思議に思うよ。オレみたいな若造に称号を与えるより、彼が聖石を持つ方が威厳があって、よっぽど教会への威信が高まる。
メリアドール おまえだってあと二十年も生きていれば、髭も生えておのずと威厳も出てくるものよ。
イズルード その前に姉さんの方が威厳あふれる恐ろしい女騎士になりそうだ。
メリアドール なんですって?
イズルード 何でもないよ。ただの独り言だ。
メリアドール 独り言は人に聞かれないように小声で話すものよ! (小声で)そうそう、ここだけの話――これは誰にも言っちゃだめよ――ローファルも聖石を持っていたのよ。
イズルード 何だって!?
メリアドール しっ! 静かに! 誰が外で聞いているんだか分からないんだから! ――そう、誰にも公表していないけれど、カプリコーンをローファルは持っていたの。
イズルード どうして公表しない?
メリアドール 公表する前に他の人の手に渡ったからよ。
イズルード 誰に?
メリアドール ダイスダーグ卿。親愛と友和の証に私達の聖石をベオルブ家に贈ったらしいの。(呟く)私には、父と卿がとても友和を結べるとは思えないけれど、父のすることだから、きっと何か考えがあるのでしょうね。

  (夕課を告げる鐘の音が外から聞こえる)

メリアドール (続けて)あら大変、礼拝に遅れてしまうわ。急がないと。さ、一緒に行きましょう。(念を押して)イズルード、今話したことは絶対に他の人に漏らしてはだめよ。(退場)
イズルード (独白)ダイスダーグ卿だって! これは驚いたな! ダイスダーグ・ベオルブ! ベオルブ家の棟梁じゃないか。父は一体何を考えているんだ――(姉の後を追って退場)

  

 第二場 ミュロンドの城館。廊下。
 夕方。天井の低い石造りの廊下。片方は礼拝堂に繋がる。
 イズルード、メリアドール、遅れてクレティアン登場。

メリアドール お前はいつも何をお祈りしているの。
イズルード 友のため、家族のため、兄弟たちのため。彼らの平安と神の国の実現。
メリアドール それは高い志ね。
イズルード 種は蒔かなければ芽が出ない。種には水をやらねば芽が出ない。しかるべきところに蒔かねば芽が出ない。成果を得るにそれ相応の努力は付き物だ。地を耕し、水をやらねば作物は育たないのだから。そして理想の実現は神の加護あってこそ――野の物を育てるのは最終的には神の恩物[光]あってこそ。
メリアドール それでは、しっかりお祈りいたしましょう。

  (クレティアン廊下の反対側より登場)

メリアドール あら、ドロワさま、こんなところでお会いするなんて。ご機嫌よう。
クレティアン おやおや、こんなところで。これから何処へ。
メリアドール 外の鐘の音が聞こえませんか。一日の終わりに、しかるべき方に、しかるべき感謝をするために。
イズルード 夕べのつとめに。
クレティアン それは関心なことだ。常に神への感謝を忘れないのはミュロンドの騎士の美徳の一つだ。
メリアドール それはもちろん、先輩方が常に私たちに手本となる道を示してくださるからです。貴方がたの良き振る舞いがあるからこそ、私たちもこうして道を外れることなく歩いてゆけるのです。
クレティアン やはり、父の背中を見て育っただけあるな。あの団長にしてこの娘。よく父君に似ている。
メリアドール 父は私の最も尊敬する騎士の一人です――もちろん、ヴォドリング師も。この度に私たちをゾディアックブレイブに推薦してくださったのも、ヴォドリング師のとりなしあってのこととお聞きしました。
クレティアン そうだな、存分に感謝したまえよ。
メリアドール 聖石の拝領、光栄の限りです。弟もこのように感謝しております――(弟をうながす)
イズルード (頭を下げる)
メリアドール いくら言葉を費やしても感謝し尽くせませんわ。それに師には剣術のお世話にもなっていますもの。良き師に恵まれ、私も今や剛剣使い。
イズルード 姉の壊した剣は数しれず。姉の壊した鎧は――
メリアドール イズルード! おだまりなさい!
クレティアン ローファルは、それはそれはお前のことを高く評価していたよ。先だっても、さっそくお前たちが猊下に認められたと聞いて我が事のように喜んでいた。私だって、猊下に劣らずお前のことを認めている。
メリアドール まあ、お戯れをおっしゃらないで。王都の秀才と称えられた騎士さまからそんな言葉が出るなんて。一度にそんなにたくさんのお褒めの言葉はいただけません。
クレティアン いいや決して戯言などではないぞ。全て真の言葉だ。それに王都の秀才などと、誰がそんなことを言ったか。所詮はただの噂だ。
メリアドール あら、でも事実でしょう。同じ騎士団の同じ兄弟の仲なのですから、こんなところで謙遜をなさらないで。ガリオンヌの学庭ではさぞ優秀な成績を修めていたとか。気の弱い教授を言い負かしていたとか。
クレティアン 噂は噂。何事も大げさに伝わるというもの。
メリアドール 火のないところに煙は立ちません。
クレティアン (笑う)だがしかし、こんなちっぽけな田舎じみた島までその煙が届くとはまったく驚きだな! メリアドール! 相変わらず口が達者だな!

  (外で鐘の音が響く)

メリアドール そろそろ、私も、礼拝堂で沈黙を守りに行くべきですわ。(立ち去ろうとする)
クレティアン その口から紡ぎだされる美しい言葉を隣で聞きたいと思う騎士連中はさぞ多いことだろう。
メリアドール (立ち止まる、しばし黙って)沈黙に勝る金言はありません。祈りの場で華やいだ言葉など不用の長物。私にはファーラムの一言さえあれば結構ですの。
クレティアン それは至極もったいないことだ。宝石も磨かずば光るまい。
メリアドール この世で輝く宝玉はただ聖石のみ。それは神の器、クリスタルにこそふさわしい言葉です。
クレティアン ならば聖石を携えた騎士はより一層光り輝くものだな。たとえ厚い衣を身に纏い、頭巾を被っても、その輝きは隠せぬもの。夕闇に輝く月のような輝きを内に湛えながらも、それを隠せよとはつくづく神は罪なお方だ。
メリアドール 神に苦言を呈してはいけませんわ。私は神を讃えます。
クレティアン 被造物の賞讃はそのまま神の賞讃に繋がるのだよ。時にメリアドール、Y――から聞いたが、お前は髪を随分伸ばしていると、金の――
メリアドール 私は神を讃えます。女の素顔を覗き見することが許されるのはその伴侶のみ。生涯に伴侶はただ一人――ただ一人だけですわよ。
クレティアン つまり、少なくともその幸運にあずかれる男が一人はいるということだな。
メリアドール つまり、アジョラ様だけです。ファーラム。
クレティアン 御旨のままに、ファーラム。

  (外、再び鐘の音)

クレティアン おっと、時間をとりすぎたな、私はこれで失礼。(足早に退場)
メリアドール (見送って)あら、そちらは礼拝堂とは真逆の方向だわ。礼拝の時間も惜しんで勉強なんて、関心ですわね。(間)――ああ、鬱陶しい人! なんて失礼な男!
イズルード 姉さん、早く行こう。
メリアドール (独白)どうして挨拶の一つもできないのかしら。まるで礼儀がなってないわ。ああ嫌な人! ゾディアックブレイブに任命された事だって、ローファルを見習って、どうしておめでとうの一言でも言えないのかしら。褒めそやされることにしか慣れていないのね。おめでたい人! 何度私に頭を下げさせれば気が済むのよ! 少しは書物から顔を上げて外の景色に気を回しなさい! まるでそれが当然のことだと思ってでもいるんだわ。敬われて当然と振る舞えるその神経が信じられないわ。あんな人が父の傍に控えているなんて、年配者として頭を下げなければいけないなんて! 思い上がりのすぎた人ほど醜い者はないわね。まったく自惚れがすぎるわよ、クレティアン!
イズルード さあ早く――礼拝堂に――
メリアドール (続けて)それに、平然と礼拝をすっぽかすなんて、随分といい度胸ね。いくら騎士の礼拝免除があるといっても、謙虚さが足りない! 少しは弟を見習ったらどうなの。いくら優雅に言葉を取り繕っても行動が伴わなければ意味がないのよ。ああそれに、猊下の御座すミュロンド を田舎じみた島ですって? なんて傲慢な人なんでしょう! さぞ都の豪勢な暮らしに慣れきっているのでしょうね。剣を置いてそのままルザリアに帰ってもいいのよ。あんな男、騎士の風上にも置きたくないわ。私を父の娘扱いして――それは事実だけど――私は私の努力を積んでこの宝剣[セイブザクィーン]を手にしたのよ。着飾り、見せびらかすために聖石をいただいたんじゃないのよ。それにいつも私をティンジェルの娘扱い! 私だって同じミュロンドの騎士なのよ! 失礼にも程があるわ! ああ身体を覆う鉄の鎧があれば――いいわよ、私だって女だもの、美しく着飾って、香水を纏って、存分に女として羽ばたくわ。だけど、私は鉄の鎧をも打ち壊すこの剣をも持っているのよ――ああ身体を覆う鉄の鎧があれば!
イズルード ごねてないで――
メリアドール (続けて)女は男に愛されるのが至高の喜びとでも愚かな男どもは思っているのでしょうね。浅はかな考えだわ。どうして同じ神殿騎士にあんな物言いが出来るのかしら! 父の部下じゃなかったらひっぱたいてやりたいわ。信仰に篤い、アカデミーを首席で出た良い人だと聞いていたのに、がっかりだわ。せいぜい父の後ろにくっついておとなしく言うことを聞いていればいいわ。今度失礼な発言をしたらその時は容赦なく剣を――
イズルード いいから早く!(姉の手をひいて退場)

  

 第三場 聖ミュロンド寺院。前庭。
 外でヒバリが鳴く。朝日が建物の隙間から差し込む。舞台中央に泉。左手が身廊に繋がり、建物奥には祭壇が見える。
 イズルード、ウィーグラフ。

イズルード (興奮して)ウィーグラフ、あれを見たか。
ウィーグラフ 何だ。
イズルード あれだよ、あれ。あの美しい、あれを見た時オレは――
ウィーグラフ おまえの話は具体性に欠けている。分かるように話せ! どうした! (呟く)――さすがは姉弟。 
イズルード あの聖石を! パイシーズ! オレは今さっき、礼拝堂に安置されているあの聖遺物を初めてこの目で見てきた。なんと美しいのだろう。なんと純真な輝きをしているのだろう。
ウィーグラフ そうか、双魚宮――私はてっきりおまえに好い人でも出来たのかと。何なら、その聖石をそのまま抱いて連れて帰ってもよかったのだぞ。もうあれはミュロンドの勇士なるおまえの所有物。いつまでも御堂に飾りあそばすものでもあるまい。
イズルード いや、あれは来歴正しき教会の神器。大事あってはと思うと、そう手軽に身に帯びるわけにもいかない。それにしてもあの妙なる輝き! (恍惚とした表情で)やっとオレはゾディアックブレイブに選ばれたのだと実感できたよ。 
ウィーグラフ (呟く)これはそうとう惚れ込んでいるな。
イズルード (礼拝堂を見上げて)今日も多くの信徒らがあの神器を一目見ようと、その加護にあずかろうと訪ねてきている。教会への信頼と信仰が日ごと夜ごと増していくのを感じるよ。嬉しいことだ。
ウィーグラフ ここの信徒は聖石を見たことがないのか。
イズルード そりゃあ、聖石は神の器だから――常日頃から見られるものではないだろう。違うのか。
ウィーグラフ 私はガリオンヌで腐るほど聖石を見てきた。
イズルード (驚く)なんだって!
ウィーグラフ おまえも知っているだろう。彼の地で疫病が猛威を振るったことは。
イズルード 噂には。
ウィーグラフ あれはひどい疫病だったぞ。ガリオンヌのどこの町でも――私の故郷でも――おそらく同じ光景が繰り広げられていたと私は確信するが、最初はただの流行り病だった。ある日、町で死人が一人出た。次の日には三人出た。村人は悪い風が流行っていると思っていた。その次の日には十人死んだ。やがて村人は恐れだした。これは何かたちの悪い病気だと気付きだした。最初は屍体は丁寧に布でくるんで埋葬されていた。だがやがて屍体も埋葬すらされず、そ こら中に放置されるようになった。何故か? 簡単なことだ。僧侶が逃げ、墓掘り人が死に、誰も死人に構う暇がなくなったからだ。城下町ですら壊滅的だった。況や農村は。(溜息をつく)
イズルード (沈黙)
ウィーグラフ 町から逃げ出す者も居たが、彼らの末路は想像しない方が良いだろう。黒死病が出た町から来た旅人は、別の町の境界をまたぐ前にその場で打ち殺されていた。奴らが病を持ち込み、平和な町を乱すのだと皆信じていたから。
イズルード (沈黙)
ウィーグラフ いつだったか、町を訪れた苦行僧の一団がこういった。これは肉体の病でなく魂の病である。病める身体には薬草を、病める魂には正しき信仰を――と。彼らはあるものを持ってきた。彼らが携え持ってきたのは聖石だった。これに触れよ、さすれば病は疾く癒えん――と。
イズルード  それは本当か!
ウィーグラフ それが擬い物かどうかは私には分からなかった。聖遺物の真贋の判断など地に這うように暮らす人には到底不可能だ。私にはそれが――ただの石に見えた。
イズルード 偽りならばそれは教会の名を騙る不埒な輩! 断じて許してはおけない!
ウィーグラフ まあ、待て。そう急くな。(呟く)――さすがは姉弟。そう、私にはただの石ころに見えたよ。だがしかし、私には、あのアリエスとて、ただの石に見えてしまうのだよ――
イズルード (信じられないといった素振りで)ウィーグラフ――アンタは――
ウィーグラフ ああ、言わなくても分かる。言いたいことは分かるぞ、大丈夫だ。私をあのおぞましい無神論者の輩と一緒にはしてくれるな。私にだって尊きものを敬う畏敬の念はあるさ。いかなる自然物にも神の御業は宿るもの。信仰あらばこそ、奇跡は起きるもの。見たまえ、私がこうして黒死病の渦中から、こうして生還できたのは何故か、それは人の業では与り知れぬこと。――イズルード、この意味が分かるな?
イズルード なべて奇跡は神の業なるもの。
ウィーグラフ そう、そうだ。そういうことだ――神に感謝――ああ、ミルウーダにも。愛しい我が妹よ!
イズルード ミルウーダとは一体?
ウィーグラフ そうか、まだ話していなかったか。私の妹だ。私が騎士に志願して故郷を離れている間、随分と苦労を掛けてしまった。両親亡き後の、たった一人の家族だ。いつか楽をさせてやろうと思えど、暮らしは貧苦にあえぐばかり、いつか――いつか楽を――と思ううちに戦死した。(小声で)――あの豚どもが――ミルウーダ! 今でも愛しているぞ!
イズルード (うつむいて)それは気の毒に。ファーラム! どんな人だったんだ。
ウィーグラフ おまえの姉君に少し似ている。
イズルード それは、恐ろしいな。(もっともらしく頷きながら)昨日も、姉さんは機嫌が悪かった。あのクレティアンの首の皮をねじ切っても良いとひとしきりオレに愚痴をこぼしていたよ。
ウィーグラフ 我の強い者どうし気が合わないのだろう。あれがどうなろうと私の知ったことではないが、同輩の誼だ。せめて奴の首の皮がつながっているよう祈っておいてやろう。
イズルード ――ところで、アンタはガリオンヌの生まれというならば、ベオルブ家のダイスダーグ卿のことを知っているか?
ウィーグラフ 知るも知らぬも、ガリオンヌで生まれて剣を持って育ったならば、その名前は嫌でも耳に入るもの。
イズルード どんな人なんだ?
ウィーグラフ 髭が生えている。
イズルード そうじゃなくて。
ウィーグラフ 案外猫背だった。
イズルード そうじゃなくて!
ウィーグラフ 想像よりずっと人相が悪い。
イズルード (怒って)ウィーグラフ!
ウィーグラフ はは、そう怒るな。だが、人相が悪いのは想像に難くないだろう。何せ、黒い噂がごまんと立っているのだからな!
イズルード 父とは気が合うだろうか。
ウィーグラフ ダイスダーグ卿とヴォルマルフ団長がか? 悪いが全く想像できんな。――いや、でも、もしかしたら――いや、団長の名誉のために、これ以上は言うまい。しかし、突然どうしたのだ。何故 ここでベオルブの名前が出てくる。頼むから私の前でその忌まわしい名前を――ああ、ミルウーダ!――出さないでほしい!
イズルード (慌てて)気を悪くさせたのなら、すまない。
ウィーグラフ 腐った豚どもめ!
イズルード 豚だって?(首をかしげる)
ウィーグラフ ああそうだ。豚と言ったんだ。貴族連中は搾取することに慣れきっている。領地で働く平民は体よく家畜扱いだ。食わなければ生けていけないというのに、耕す者らはは家畜。汚い小屋に放り込まれ、顧みられることもなく、働かされ、己が肉を食卓に提供し続けるのだ。貴族連中は農民を平気で蔑む。家畜扱いだ。だが、人は己の嫌う人種を蔑視することしか出来ぬ哀れな存在だ。奴らが我々を家畜と呼ぶ間、我々は奴らをまるで醜い腐った豚と罵倒しているのだ。イズルード、覚えておけ、あの青い血[貴族]の連中をわざわざ貴き人種などと呼ぶなよ! 奪い取ることにしか快楽を見いだせない、芯から腐った醜い存在――ただの豚だ!
イズルード ベオルブの連中も、つまり、(言いよどんで)――腐った――豚だと?
ウィーグラフ まったくそうだ。あの一族の中で唯一尊敬に足るのはまあ、あの将軍[ザルバッグ]だけだな。あの人はベオルブの良心だ。そうだ、あそこにも若い小僧がいたな。確かお前と同じ年頃だったか。だが、神に誓っても良いが、あの腐ったベオルブ家の連中より――ザルバッグ将軍よりもだ――おまえの方がずっと良い騎士になる。気位ばかり高い連中とは比べものにならないほどの資質を持っているよ、イズルード。
イズルード (顔を上げて)本当か! ――その言葉、もう一度言ってはくれないか――
ウィーグラフ ベオルブ家は腐った豚ッ!
イズルード そこではなく!
ウィーグラフ これではないのか。そうか。――イズルードよ、おまえはいずれ騎士の鑑となるに足る人物だ――これで満足か。
イズルード ああ! その言葉、信じても良いのか――
ウィーグラフ 私とて、名誉を重んずる騎士。嘘偽りは語るまい。
イズルード なんという嬉しさ。なんという幸せ。アンタの口から、そう言ってもらえるなんて。感激の極みだ。
ウィーグラフ ハハハ! 私を褒めたところで褒美など出ないぞ! 何せ私は生まれ卑しい貧しき身。それに私はただ事実を言っただけだ。
イズルード 事実だって! (喜ぶ)
ウィーグラフ 何をそんなに喜ぶのだ。 
イズルード 分からないか。それは、つまり、オレは、アンタのことを――察してくれよ!――とても尊敬しているんだ、ウィーグラフ!
ウィーグラフ おい、イズルード、理想を高く見すぎるなよ。私はそのような――
イズルード 初めてアンタの噂を聞いた時、オレはまだ見習いだった。ザルバッグ将軍がイヴァリースを勝利に導き、ガリオンヌの雄として名を上げていた。オルダリーアを撃退して、ランベリーを奪還し、栄冠を勝ち取った将軍はとても輝いて見えた。オレはとても感動していた。いつかそんな名声に与れたら――と夢想だにしていた。だけど、その将軍の傍らに、同じ志を持って戦地に臨んだ剣士が多く居たと聞いた。彼らは祖国に貢献しようと、自らの意志で戦いに志願し、戦地に赴いた。彼らが望んだものはただ祖国の勝利。名声を望まず、利を求めず、将軍の名の影で、密かに、だが偉大な戦いに従事していた。オレは確信している。イヴァリースの勝利は彼らの働きなしには為し得なかったと! 彼らは疫病に死したる屍の上に立ち上がった義勇兵、彼らは骸旅団! (高らかに)彼らを率いた指導者、ウィーグラフ・フォルズ!
ウィーグラフ (続けて)――尊敬に値する人物では――
イズルード 彼らは確かにイヴァリースの勝利に貢献した。だが悲しいことに、彼らは全く顧みられなかった。誰も彼らの功績を称えなかった。誰も彼らの働きに報いなかった。それどころか、卑しき盗賊として蔑まれる始末。ウィーグラフ! オレはアンタが貴族に追われ、騎士団を追放され、見捨てられてきた事を知っている。だけど、アンタは今もこうして落ちぶれることなく、教会の名誉のために働いている。報復の心でなく、信仰の心をもって名誉を保っている! 騎士の理想だ! 
ウィーグラフ (続けて)――決して私は――(しばし沈黙、呟いて)――だが、こうやって誰かから一心に慕われ、好いてもらうのも悪い気はしないな。(二人退場)

  

 第四場 ミュロンドの城館。執務室。
 昼。天井の低い一室。長い机が置かれ、ヴォルマルフが椅子に腰掛けて机に向かっている。壁には毛織りのタペストリーが飾られている。机の上と壁の燭台には火が灯されているが、部屋はやや暗い。書き物をしているヴォルマルフの傍にローファルが控える。しばらくして、ウィーグラフが扉を開けて登場。

ウィーグラフ お呼びですか、ヴォルマルフ様。何かご用でしょうか。
ヴォルマルフ 用がなければ呼びはせぬ。用があるから呼んだのだ。分かりきった挨拶など煩雑なだけ。ここでは礼儀など不要だ。
ウィーグラフ では、用件を伺いましょう。私も貴方も気が短いようですから、どうぞ手短に。
ヴォルマルフ 物わかりが良いな。ならばさっさと話そう。聖石を探し、ミュロンドへ持ち帰るのだ。
ウィーグラフ それは要領を得ませんね。いくら聖石が不滅の輝きを有しているといえども、それではまるで砂漠で金を探すのと同じこと。私にはそんな気の長いことは到底出来ませぬ。誰か他の者をお使いください。
ヴォルマルフ 待て、貴様が手短に話せといったから端折って伝えたまでのこと。これは斯様な無謀な計画ではない。つまりこれは――ええい面倒だな、ローファル、詳しく話して伝えろ。
ローファル では私から。貴方はオーボンヌ修道院に聖石があるのは勿論知っていますね?
ウィーグラフ (頷く)
ローファル ならば話が早い。その聖石をミュロンドへ持ち帰ってきて欲しいのです。ただそれだけの事です。
ウィーグラフ ふむ。しかし、修道院の聖石は修道院の所持するものでしょう。
ヴォルマルフ 聖石は秘蹟を行う神器。元はといえば、聖石はアジョラが集めたものだ。所有権は我々グレバドス教会にある。それが正統なる持ち主の元へ返るだけのこと。
ウィーグラフ ふむ。しかし、オーボンヌ修道院はグレバドス教会の直轄では。
ヴォルマルフ 貴様は阿呆か。少しは頭を回したらどうだ。いいか、私は短気だと言っただろう――
ローファル (ヴォルマルフを制して)あそこの聖石は、アジョラの手を離れた後は、代々アトカーシャ王家が所持しています。王位継承と共に、聖石も継承されてきたのです。オーボンヌ修道院に王女が預けられた時、同時に聖石も修道院に預けられたのです。
ウィーグラフ ああ、分かった。そうか、そうか。つまり、私が盗んでくるのはグレバドス教会の聖石ではなく、王家の聖石であるということですね。王家の石を盗ってくるとは、これは王室へのこの上ない当てつけになりましょう。ははあ、この不毛な王位継承戦争において、我々教会が優位に立っているのをこんな回りくどいやり方で示す訳ですね。これは明確な意思表示だ。なるほど、これは汚いやり方だ。
ヴォルマルフ 貴様は王党派なのか、教会の支持者なのか、どっちなのだ。言葉は正しく使いたまえ。正確には、アジョラ・グレバドスの持っていた聖石をアトカーシャの連中が奪い、それを我々グレバドスの徒の元に返してもらう――ということだ。王族嫌悪の元革命家には容易い事だろう。
ウィーグラフ ヴォルマルフ様はどうやら私どもの事を誤解されているようですね。私ども革命家は打倒貴族を掲げて活動をしておりますが、そこには次の世代に良き生活を残そうという清く正しき思想があってのことです。手当たり次第に野卑な暴力に訴えるテロリストの類とは――間違っても一緒にされたくはないのです! 彼らは何を考えることなく、掠奪と破壊とを繰り返します。理想を奉ずることのない、獣の本性を持った輩です。――間違っても――
ヴォルマルフ 御託は結構。それ以上並べんでもよい。私が聞きたいのは、オーボンヌから聖石を持ち帰れるのかどうか、それだけだ。
ウィーグラフ それは――
ヴォルマルフ 出来ぬのか。これでは聖剣技を使える貴様をわざわざ拾ってきたローファルの苦労が報われまい。我々は貴様に異端者の烙印を押して黒珊瑚海に放り込むことも簡単だ。そうだろう、ローファル?
ローファル それは私には答えかねます。フォルズ殿、早く決断をなされよ。私は貴方にこう言った、我々を利用しても良いと。その言葉に二言はありません。思う存分に利用しなさい。だが、それはつまり我々も貴方を存分に利用したいとのこと。貴方も知っているでしょう。この騎士団で、その聖剣技がどれほど珍重されているかを。
ウィーグラフ それはつまり、剛剣が役に立たぬと認めたようなものですね。その言葉、賛辞と受けとりましょう。
ヴォルマルフ (ウィーグラフに)貴様! (ローファルに)おまえも少しは言葉を選べ!
ローファル さあ、早く答えを。そのような素晴らしき剣技を持ちながら、何故もてあますのです。それとも――此の期に及んで、修道院の僧侶相手に剣を揮うのが嫌とでもお思いですか。私達が、あまりに世俗の浅ましい政治に手を出しすぎているとお考えですか。ならばお話ししましょう。これは決してイヴァリースの覇権を取りたいという卑近な野望から成る仕事ではないのですよ。貴殿は、先つ方、ゾディアックブレイブに任命されました。これは疑いなく事実です。あなたもその称号を喜んでいる――でしょうね? ――この仕事はその称号に大きく関わることです。というのも、貴方が任命されたのはただのゾディアックブレイブではない、(強調して)新生、ゾディアックブレイブです。この違いが貴殿に分かりますか?
ウィーグラフ 大方、伝説を新たに蘇らせた、といったところでしょう。
ローファル ま、そんなところですね。そう、彼らはアジョラの使徒です。その称号を今、新生ゾディアックブレイブとして蘇らせたのには意味があるのです。この戦乱の世にアジョラの使徒を呼び戻す意味とは――教皇は、貴方がたに多大な期待を寄せています。教皇は、かつての使徒を超える働きを望んでいます。貴方がたは、重大な使命を帯びた存在です。その使命を為さねば。
ウィーグラフ もう少し具体的に話してくれまいか。それでは私には何のことだかさっぱり分かりませぬ。
ローファル 新生の使徒たちはまだこの世に遣わされたばかり。まだ何の行いも果たしていません。貴方たちミュロンドの勇士が再び伝説に語られるか、忘れ去られるかはその働き次第。当然、民衆は貴方がたを期待の眼差しをもって見ているのですよ。――つまり、ここで貴殿が新たな聖石を持ってミュロンドに帰還すれば、その栄光は民草に語り継がれいずれは伝説に。何故なら、教会の神器を取り戻したのですから。民衆の聖石に寄せる信頼と信仰は貴方も知っていましょう。しかし、ここで貴殿が、何の業績を上げることもなく、ただその称号のみを掲げているならば――まだお分かりになりませんか。
ヴォルマルフ つまり、貴様は永遠に負け犬のままだ。故郷を追放され、貴族に楯突き、返り咲くこともなく、教会に拾われ、ひとときの名誉を得るも、所詮は、素性卑しき生まれの実力の伴わぬ奴だった、と未来永劫語りぐさになるであろう。
ローファル さあ、選びなさい。ここでさらなる英雄の道を歩むか――
ヴォルマルフ 負け犬として、その名を留めるか――
ウィーグラフ (呟く)選択などあるものか。どちらを選ぼうと、私は教会の飼い犬でしかないのか――いいでしょう。聖石を取ってきましょう。オルダリーアから畏国の領土を奪ってこいというより容易きこと。
ヴォルマルフ ふ、己の保身にはかるか。これでゾディアックブレイブの地位も上がるぞ。喜べ。貴様はますます信徒に迎えられる。
ローファル (独白)これは私たち日影の道を歩む者にはかなわぬ事――喜びなさい。
ヴォルマルフ オーボンヌへ行くならば、一人では道中退屈だろう。メリアドールでもイズルードでも、好きな方をどちらか連れてゆくがいい。
ウィーグラフ 私はどちらでも。二人を連れて行くのは。
ヴォルマルフ ならぬ。どちらか一人はミュロンドに置いていく。四人のゾディアックブレイブが皆、島を不在にしているというのも都合が悪い。どちらか一人は信徒をなだめすかすためにここに置いていく。
ウィーグラフ 四人? ヴォルマルフ様もオーボンヌ修道院へ行くのですか。
ヴォルマルフ 私は行かぬ。私は、フォボハムへ用があってな。
ウィーグラフ (考えて)なら、イズルードを連れて行きます。ご子息をお借りしますよ。
ヴォルマルフ 好きにしたまえ。好きに使って構わぬ。(退場)
ウィーグラフ (ローファルに)あの方は、少しばかり息子に冷たくはないか。
ローファル 獅子は我が子を崖から突き落とすもの。
ウィーグラフ それも愛情か。まあ、他人の家庭事情には首を突っ込まぬが良いな。私には分からん。私には、あの方が、時々獅子の相貌を通り越して悪魔じみた狂気を感じるよ――
ローファル (低く)発言には気を付けなされ。ここは聖地ミュロンド。かような不適切な発言は慎まれよ――異端の徒と呼ばれたくなければ――
ウィーグラフ おっと、これは失礼。(退場)
ローファル まったく――教会の犬が嫌なら、ここでの生活はつとまらぬぞ――(退場)

  

 第五場 聖地ミュロンド。桟橋。
 島と本土を繋ぐ港。港は雑踏で溢れている。船荷があちこちに積み上げられている。島の奥にミュロンド寺院が見え、夕刻を告げる鐘の音が聞こえる。メリアドールが物思いにふけりながら一人で桟橋を歩く。しばらくしてイズルードが登場。

メリアドール (独白)そう、おまえは、オーボンヌへ行くのね、行ってしまうのね、イズルード――ウィーグラフも一緒に。父はゼルテニアへ。弟はオーボンヌへ。ローファルも父と一緒に行くのね――みんな、私を置いて――(溜め息をついて)私をこの島に一人残して行ってしまうんだわ。いいわね、イズルードやウィーグラフは外に出ていけて。あの二人のことだから、きっと華々しい凱旋をすることでしょうね。羨ましいわ。その間、私はただミュロンドで、勇士たちの帰りを待ってるだけ。これじゃあ籠の中の鳥と同じね。女の役目なんてしれくらい。綺麗に着飾って、人々の目を楽しませておけばいいのね。私は騎士なのに、誰もが私を女騎士と呼ぶのよ――私がゾディアックブレイブとして出来ることはそれくらいしかないのね。舞台の上の役者の方がまだ自由があるわ。私は――弟は、私が実力を以て称号を得たというけれど、一体誰が本当の私を知っているのかしら。私も弟と同じくらい――いいえそれ以上に――この国を変えたいと思っているのに、この熱い思いを父は知っているのかしら? 父は、母が亡くなってからというものの――すっかり冷たくなってしまった。父はもう私とは一緒に居てくれない。それから私は一人。いつだって私は独りだった。一緒にいたのはイズルードだけだった! どうして父は急に――

  (イズルード、姉の名を呼びながら登場)

イズルード 姉さん!
メリアドール あら、まだ居たの。早くしないと、ウィーグラフに置いていかれるわよ。
イズルード 少しくらい大丈夫。待っててくれる。それより別れのキスを――
メリアドール まあ、神殿騎士がそんなものをねだるんじゃありません。いつ誰に見られているのだか分からないのだから、きちんとした態度を心がけなさい。
イズルード は――はい――せめて餞別の言葉を。
メリアドール 気を付けていってらっしゃい。またすぐに会えるのだから、大仰な言葉はいらないわね。
イズルード もし、オレが聖石を見つけてきたら喜んでくれる――?
メリアドール そういうことは、実際にミュロンドに持ち帰ってきてから聞くものよ――ないものを喜ぶことは出来ないわ――でも、おまえの事だからきっと上手くいくでしょう。もちろん、喜ぶわ。
イズルード 父も喜んでくれるかな。
メリアドール おまえが正しい戦い方をしたなら、きっと喜んでくれるでしょう。

  (ウィーグラフ、イズルードを呼ぶ)

メリアドール さあ、早く行ってらっしゃい。きっと、おまえの凱旋を楽しみにしているわ。(退場)

  (ウィーグラフ、再びイズルードを呼ぶ)

イズルード 姉さん――(独白)もし、この手で聖石を持ち帰れたのならば、オレはやっと姉さんの横に並べる気がする――父もきっと喜んでくれるだろう。オレは使命を果たさないと。――さあオーボンヌへ! (ウィーグラフに)今行くから!

  

  

  

>第ニ幕

  

  

それは余りものだからと彼女は言う

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それは余りものだからと彼女は言う

 

 

 

 コンコン、と扉を叩く音。クレティアンは読みかけの魔道書から目をあげた。夕べの勤めが終わり、騎士たちは隊舎に戻っている時間である。
 こんな時間に彼の自室を訪ねてくるのは、彼とある程度の親しみのある者に限られる。単に参謀長と話したい者は執務室へ行く。
「どうぞ――メリアドール?」
 クレティアンが扉をあけると、そこには騎士団長の愛娘、メリアドールがひとりでたたずんでいた。戦装束を解いて、黒い修道服をゆったりと纏っている。普段はフードで見えない髪が、今日はゆるい三つ編みになって肩の上に柔らかに下がっている。

 ――きれいだな。

 クレティアンは率直に思った。鎧を着込み、勇ましく剣をふるう姿からは想像もできないが、彼女の素顔はとても美しい。その美しさを知っているのは、彼女がこうして気兼ねなく素顔を見せてくれる相手――たとえば自分のような――だけだ。
「お邪魔してもよろしいかしら」
 クレティアンは片手で扉をあけたまま、片手でメリアドールを促す。といっても、メリアドールはクレティアンのエスコートに気づくことなく堂々と彼の部屋へ入り、手近なスルーツの上にちょんと座った。

 ――やれやれ、夜中に男部屋に一人で入ってくるとは、勇敢なお嬢様だ。

 クレティアンは貴族の屋敷で育ち、同じような貴族子息たちの通う士官学校で育ってきた。彼からすると、メリアドールの『大胆な』行動にはいつも驚かされる。そして、自分の方が気を遣ってしまう。相手は団長の愛娘だ。彼女の機嫌を損なうようなことがあれば、団長の叱責が飛んでくる。とはいえ、メリアドールとは騎士団に入ってからの付き合いも長く、彼女の豪快な、そしてやや鈍感な性格についてはクレティアンもよく知っているので、細かいことは気にしない。
「メリアドール、こんな時間にどうしました?」
 クレティアンは自分の机に戻った。開きっぱなしだった魔道書を閉じ、椅子をメリアドールの方に向けた。メリアドールとは、本を読みながら適当に相づちをうっている時もあるが、今日の彼女はやけにおとなしい。スツールの上で顔をうつむけ、そわそわと所在なさげにしている。こういう時のメリアドールは、何か問題を抱えていることが多い。
「……お父上と喧嘩でもしましたか? また仲裁ですか?」
 これはよくある事例だ。
「いいえ、そ、そうではなくて……」
「では、また上官の剣を壊してしまいましたか? ローファルに工面してもらいましょう」
 これもよくある事例だ。
「いいえ! 違うの! 私は……あなたに渡したいものがあって来たの……ッ」
 メリアドールが意を決したように立ち上がる。クレティアンも反射的に腰を浮かせた。これは貴族時代に身につけた習慣だ。
 爆薬でも押しつけられるのかと思った。彼女があまりにも気迫凄まじく迫ってきたので、クレティアンはたじろいた。が、メリアドールから渡された――押しつけられた――ものを見て安堵した。
 それは、東方の意匠が凝らされた古代風の金の髪飾りだった。ミュロンドの金細工屋では見かけない。市が開かれた時に買っておいたものだろう。
「きれいですね。でも髪飾りなら、きっとあなたの方が似合うでしょう。よければつけて差し上げましょう」

 ――輝く金髪に、輝く髪飾り。最高の組み合わせだ。そして、その光景を私が独り占めできる。

「わ、私じゃなくて! それ、魔道士用の髪飾りなの! 市で見かけて、きれいだから買ったのだけど、魔道士用のだと知らなくて……そ、それであなたにお渡ししようと思って……」
 クレティアンはメリアドールの髪にそっと手をのばした――が、彼女は「違うの!」とクレティアンの手を拒絶した。頬が紅潮している。
「魔道士のアクセサリーを間違えて買うとは、鈍くさいお方だ」
 クレティアンはとっくに気づいている。戦経験豊富な彼女が、魔道士と騎士のアクセサリーを見間違うはずはない。最初から自分に渡すために用意してくれていたのだと。だが、どうやら素直になれないらしい。贈り物を一つ渡すのにこんなにも手間取っている。乙女の気むずかしい心か、団長の娘としてのプライドか。
「いいでしょう、あなたのご好意をお受けいたします。つけてくださいますか?」
「はい――」
 クレティアンはメリアドールの手の届く高さに腰をかがめようとした――自然と彼女の前に膝まづく姿勢になった。
「そんなに仰々しくなさらなくても……」
 メリアドールの手がクレティアンの頭にふれた。ゆっくりと髪を梳くように、柔らかい手つきでクレティアンの髪を優しく撫でていく。
「――戦地へ旅立つ騎士たちは、こうして姫君から贈り物をいただき、愛を授かりました。詩人の歌う戦歌にはこういう場面がよく出てきます。私も、聖石の騎士から贈り物をいただける日がくるとは、光栄です」
「……んん? それって……」
 メリアドールが手を止めた。何やら考え込んでいる。
「……もしかして、私があなたに愛を贈っているように見えるということ……?」
「違いますか?」
「だ・か・ら! これは間違って買っちゃったのよ! 一番手近な魔道士があなただったから渡してるだけです。お分かりいただけまして?」

 ――ああ、分かっるとも。君が素直になれない手の掛かるお嬢様だといいうことが。
 ――ミュロンドに市が開かれるのは年に一回。どれだけの時間をかけて、この髪飾りを探したのだろうか。

 メリアドールはやや機嫌を損ねたらしい。つんと顔をあげて「帰ります」と言った。
「お礼は何がいい? あなたの誕生日までに何か用意しておきましょう」
「お好きにどうぞ。それを受け取るかどうかは私が決めることですがら」

 ――難しいな。あの気むずかしいお嬢様はいったい何を気に入るというのだ。

 クレティアンはひとり笑った。メリアドールも同じことを考えていたに違いない。何を贈れば喜んでくれるか、気に入ってもらえるか、そんなことをあれこれと考えるのは何にもまして、幸せで、楽しい時間であるのだから。

  

  

 

 
・クレティアンは恋愛経験そこそこあるけど、メリアドールはクレティアンが初恋だと思う、ので純情乙女で、贈り物一つにあれこれ悩んだりしてそうです。もちろんプライドも高いのでデレないツンです。
・上官(ヴォルマルフ団長)の娘と部下の関係なので、二人とも敬語で喋ってます。もう少し親密度があがったら、じょじょにタメ語が増えていきます(そして喧嘩の嵐になる)。
・6/6クレティアンお誕生日おめでとう小説でした。

 

 

2020.06.06

 

輝く日を仰いで

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輝く日を仰いで

 

 

 

 
 メリアドールは私の娘だった。もちろん、私は彼女の父親ではない。
 父親は死んだのだ。
 娘と息子二人を残して。幼い子供らを庇護できるのは私しかいなかった。否、私にしかできないと思った。
「ウォドリングおじさん」
 彼女ははじめ、私のことをそう呼んだ。だが、いつしか時は流れ、私のことを名前で呼んでくれるようになった。屈託のない笑顔と一緒に。

 

 
 私は父親。彼女は誰より大切な私の娘。

 

 
 その日は突然にやってきた。
「こんど騎士団に来る人、アカデミーの首席だった人なんですって。ローファル知ってる?」
 メリアドールはルザリアから来る士官に興味津々な様子だった。私が何と答えたかは記憶にない。
 都会から来る士官学生がろくな奴であった試しはない、のだが――鳶色の髪のすらりとした背格好の青年が年頃の娘の気を引かない訳がない。
 私は心配だった。愛する娘が、野心あふれる若者にもてあそばれるのではないかと気に病んでいた。だが、彼女の口から「クレティアン、クレティアン」と若き士官の名前がこぼれるのを聞いて、私は諦めた。
 私は父親であり彼女は娘だった。そこに彼が加わっただけのこと。家族が二人から三人になっただけのことだ。

 

 
「私はメリアドールには手を出すなと何度も言った。なのにおまえは私の話を全く無視したな、クレティアン」
「手は出していない……ああ、信じてないって顔だな。だが誓ってもいい。私は誠実であり、彼女は気高く清純だ。騎士の誓いを破ったことは一度もない」
「そうか……おまえがそう言うのなら、そうなのだろうな」
「それにしてもひどいな。なぜ私がメリアドールに手を出すなどと思ったのだ」
「野心ある若者がよくやることだ」
「私をそのような下卑な連中と一緒にしないでくれ。私が彼女の手を借りなければ出世できないような俗人に見えるか」
「ああ、そうだったな」
 5年、10年と一緒に暮らして過ごせば相手の性格は分かるようになるものだ。今や私は副団長。彼は参謀。良きパートナーであった。
「しかしローファル。はっきり言うぞ。おまえのメリアドールへの執着は異常だ。なぜ父親でもないおまえが、彼女をそこまで庇うのだ」
「私が父親なんだ」
「ほう。私の頭がいかれてなければ、彼女の父である騎士団長殿は存命だ」
「死んだんだよ。おまえがミュロンドに来るよりずっと前にな。そう……あれは不幸な事故だった。ヴォルマルフ様は魂を悪魔に喰われて死んだ。だから私は誓った。幼い子供たちを死んだ父親に代わって守り抜くと」
「――そうだったのか」
「信じるのか? こんな荒唐無稽な話を。私が狂っているとは思わないのか」
「おまえがそう言うのなら、それが真実なのだろう。私はおまえを信じるよ、ローファル」

 

 
 普通ではない。これは普通の家族ではない。本当は家族でもない。分かっていたことだ。いつか彼女が真相を知った時、この家族ははかなく消え去ってしまうことを。
 輝かしい思い出だけを残して。

 

 
 団長が死都に向かうと言った。私は何も言わずについて行った。メリアドールはとうに私の手を離れていた。私の役目は終えたのだ。あとは見届けるだけだった。
 しかしこれだけは予想もしていなかった。まさかメリアドールが自らの手で終焉をもたらすとは。
 その剣を振り下ろすまでに、彼女はいったいどれほど涙を流したのだろうか。私には決して分からない。分かってあげられない。それがどれほど悔しいのかも、彼女に分かってもらえない。

 

 
「……クレティアン、待っていてくれたんだな……」
 身体中の力が抜けていくのが分かる。身も心もぼろぼろだった。修道院の深淵の、暗い、暗い、廃墟の街。こんなところで自分を待っていてくれる人がいるとは。
「ローファル、おまえが来るのを待っていたんだ。だって、もうおまえしかいないじゃないか……あの日々のことを覚えているのは」
 そうだった。あの懐かしい日々。彼女と過ごしたあの日々。もう決して戻ってこないあの輝かしい日々。
「……ローファル、一つ言っておくことがある。私は約束を果たしたぞ……彼女には指一本触れなかった。彼女は尊く清らかだ。実のところ、私は彼女に感謝しているのだ。こんな状況になっても、な……。彼女を思えばこそ、こんな汚れた地獄の世界のまっただ中でも正気を失わずに生きてこられた。この想いを、ローファル、おまえに、伝えておきたかった……」
 息も途切れ途切れに、それはほとんど愛の告白だった。
「なぜ私に?」
「いつか言っただろう、おまえが彼女の父親だったと」
「ああ……」
 そうだ。私が父親だったなら、愛する娘に向けられたこの上ない讃辞を涙なしには聞けなかっただろう。私が父親だったなら……
「その言葉、たしかに受け取ったぞ。だが、真にその言葉を受け取るべき人は私じゃない」
 私の返事を聞くことなく彼は力尽きたようだった。そっと彼の身体を抱き寄せた。
「よく頑張ったな……おまえに会わせたい人がいる。さあ、これから一緒に会いに行こう――」

 

 
 ――ヴォルマルフ様、あなたの誇り高い魂に誓って、彼女をこの命に代えても守り抜くと誓います。

 

 
 はるか彼方。遠い昔の誓いの言葉。
 この誓いは果たされた。私は為すべきことを為した。

 

 

 

 

 家族は遠く離れてしまった。子供たちはもう二度と私の元へ戻ってはこないだろう。私のこの血に汚れた手で抱きあげることもかなわないだろう。
 息子よ、娘よ。
 彼らは死んだ父親に何を言うのだろうか。せめて叱責してくれようものなら赦しを請うこともできるのだが。

 

 
「ヴォルマルフ様」
 聞き慣れた二人の男の声。振り返らずとも誰に呼ばれているのか分かる。私の忠実な部下たち。
「おまえたちか」
 やはり来てくれたのか、と安堵する。しかし、やはり来てしまったのか、とも思う。ここまで忠義を尽くす必要もなかっただろうに。<統制者>である私に。
「ヴォルマルフ様……やっと……お会いできました。私はあなたに、<統制者>に代わって死んだ<本当の>あなたに会える日を楽しみに、ここまで生きてきたのです」とローファル。
 後ろを振り返ると、そこにはクレティアンに寄り添ったローファルの姿があった。そうだ、この二人はいつも一緒だった。互いに支え合う二人の姿。そんな日常が毎日だった昔に戻ったようで微笑ましい。
 ここまで来て、やっとあなたに会えました、と震える声を絞り出すローファル。私はそんなにも慕われていたのか。
「ローファル。さぞ憎かったことだろう、私を殺した<統制者>のことが。剣を向けてもよかったのだぞ。私の娘がそうしたように」
「いいえ……それだけはできませんでした。たとえ魂は離れようと、その身体はあなたのもの。私が剣を向けることなどできませぬ」
「そうか、そうか。ならば私はその忠節に応えてやらねばならないな……だが、私はもはや何もかもを失った身。家族にすら見放された私に何ができようか」
 私は息子に手をかけた。その報いを娘の手により受けた。愛する家族にすら何もしてやれなかったのだ。
「ヴォルマルフ様、私たちは何も望みません。騎士団の仲間と過ごしたあの日々は、楽しく、輝かしいものでした。その思い出だけで私たちは十分なのです」
「ローファル、クレティアン。おまえたちは特に娘の面倒をよく見てくれていたな」
「ええ、それはとても」
 と、二人そろって笑い合った。その談笑の輪に私は入れない。私は娘に父と呼んでもらえない。私はあの子たちと家族になれなかった。だが、私の部下たちが――私の忠実な部下たちがあの子たちの家族となってくれた。
 それだけで十分ではないか。

 

 
「ヴォルマルフ様。だから私たちは戻ってきたのです」
「……どういう意味だ?」
「私たちは、お嬢様とこの上なく楽しい日々を過ごしました。この、お嬢様との思い出を、父であるあなたに知ってもらいたいのです。だから、こうしてお返しにきました――あの輝かしい日々を」
「語り合いましょう、三人で。尽きせぬ時間があるのですから」

 

 
 私、神殿騎士団団長のヴォルマルフ・ティンジェルは良き部下に恵まれた。心からそう思った。

 

 
輝ける日々
それは家族の記憶
私がいるはずだった家族の記憶
戻らぬ時を経て、懐かしき思い出は今や私の手の中に
いかなる喜びぞ

 

 

 

2017.05.13

 

 

君にならびて、共に

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 君にならびて、共に

 

 

 

 
 その一閃は空気をも切り裂いた。メリアドールに対峙した相手の剣の一薙ぎは彼女の武器と鎧を壊すのに充分であった。彼は剛剣の使い手だった。相手の装備を破壊する剛剣、剣技の一種であるが、それはかなり特殊なものであった。表向きは相手の武装を解除することにより、相手に降伏を促すという手法を用いる。相手の懐に直接斬り込む野蛮な剣技ではないと、剛剣の使い手たちは云った。彼らの多くは信仰をもった騎士たち、神殿騎士団に属していた。そうはいえども、実際は聖剣技に代表される他の剣技と何ら変わりはない、戦場で命を奪い合う騎士どもの使う危険極まりないものであった。砕かれた武器は持ち主の手に突き刺さり、叩き壊された鎧は服を破き、皮膚を傷付ける。
「すまなかった、メリアドール。大丈夫か?」
 声の主はディバインナイトの一人、いわばメリアドールの同僚だった。
「いいえ、模擬戦だからといってメンテナンスを怠った私悪いのよ。あなたに非はないわ。これが戦場だったらとっくに私は斬られてるわ」
 そういいながらも、彼女の身体は傷だらけだった。血にまみれた両の手で、必死に鎧の破片で傷ついた脚をかばっている。着ていた深緑のサーコートは裾が破れていた。そこに点々と深紅の染みができていた。大丈夫、大丈夫、そうはいっても彼女一人では立つことも難しいようだった。
「誰か、人を呼んでくれ! 怪我人がいる! はやく施療院に――」
 騎士が叫ぶと同時に、偶然そこを通り掛かったと見える長身の魔道士がメリアドールの側に寄った。年若い青年ながらも、彼が着ている服からは相応の位を持った魔道士であることが伺える。それもそのはず、彼はイヴァリースでソーサラーの称号を持つ数少ない魔道士の中の一人であった。魔道士らしく白のローブを緩やかに羽織り、精緻な刺繍が施された帯を腰に締めている。訓練場の石畳の上にカツカツと靴音を響かせながら歩いてくると、ローブの裾が汚れるのも構わずに、崩れるように座り込むメリアドールの隣りにしゃがんだ。
「何事だ?」
「訓練中の模擬戦の事故でして……」
 答える例の騎士に、そんな事を聞いているのではないと魔道士の青年が目で制す。
「私が彼女を施療院まで運ぼう」
「クレティアン? 私、一人で大丈夫よ?」
 やんわりと拒否したメリアドールを無視するとクレティアンはそのまま彼女を軽々と抱き上げた。ここを片付けておくように、と言い残すと急ぎ足で施療院へと向かった。

 

 
 何故こんな事態になったのだろうと、メリアドールは訝しんだ。騎士に傷は付き物。生傷は耐えず彼女の肌につきまとった。だが、ここまでの深手を負ったのは初めてだった。大丈夫、そうはいったものの、彼女の身体の傷は疼いていた。全身の力が抜け、自力で歩けない程であった。もしここが、一寸の間断なく弓矢の降り注ぐ戦場であったなら、自分のような者は真っ先に切り捨てられるのだろうとメリアドールはぼんやりと思った。だがここは死に物狂いの激戦が繰り広げられる戦場ではなく、静かで平和な島ミュロンドであり、傷ついた騎士も見捨てられることはなく、むしろ優しく抱かれていた。
「ね、降ろして、ってさっきから言ってるんだけど?」
「何か不満でも? ふ、素直になればいいものを……」
 クレティアンの腕の中でぶつぶつとメリアドールは不平をこぼしていた。施療院まで運ぶと自ら買って出た彼は、急ぎ足ながらもメリアドールをしっかりと抱いていた。一方メリアドールは自分で歩けない自覚はあり、満更でもない様子で大人しく抱かれているのであった。
「恥ずかしいのよ。もしこんな姿を誰かに見られたらと思うといても立ってもいられなくの」
「なるほど、私に抱きかかえられるのが恥ずかしいとは、それは嬉しいことを言ってくれる」
「違うわ! 誤解しないで頂戴。私はもう一人前の騎士になったのよ。あのディバインナイトにね。剛剣を使う身なのよ、それが、あろうことかその剛剣によってこんな怪我をするなんて……みっともないじゃないの」
 口こそ達者にクレティアンと言い合っていたが、実際は身体中がもう疲労の限界近くまで達していた。ほぼ無意識的に彼女は身体をクレティアンに預けていた。
「そんなに人に見られるのを気にしてるなら、ほら……」
 クレティアンはメリアドールの頭をそっと胸に近づけた。他人に彼女の顔が見えないように腕の裾で彼女を覆い、人目に配慮してくれたのである。
 メリアドールは顔が火照るのを感じた。身体も熱い。ぼうっとするのは怪我のせいだろうか。いやそれだけではない。その感情には薄々気付いていたが、あえて無視していた。クレティアンの胸に顔を埋めると、古びた書物の香りがうっすらとした。魔道書やら研究書やらに埋もれてるせいね、そうメリアドールは思った。実に魔道士らしい。幾重にも折り重なった歴史の放つ、莫々たる香り。それに比べて自分の何と汗臭いことか。今なお止まらず流れ続けている血でどれほど彼の白いローブを汚していることか。そんなことをぼんやりと頭の片隅で気にしていた。
 だがしかしそんなことを考える余裕もだんだんとなくなりつつあった。クレティアンがメリアドールの耳に一言、二言ささやき優しく抱き締めた。それが何だったのかも分からず、ゆっくりと眠りに落ちるようにメリアドールは意識を失った。

 

 
 気がつくとベットの上だった。どうやら自分は無事に施療院まで運び込まれたらしい。四肢を動かすのもだるく、ベッドの上で寝転んだままあたりを見回した。
「おや、お気づきになりましたか」
 声を掛けてきたのは、施療院の院長であった。初老を過ぎた白魔道士であり、その腕は確かなものであった。ここに運ばれてきた自分を看てくれたのも彼なのだろう。クレティアンの姿は見えなかった。もうどこかへ行ってしまったらしい。他の仕事で忙しいのだろう、とメリアドールは見当を付けた。
「なかなかに、深い傷でしたよ。まったくこれだから騎士というものは野蛮でならない…こんな美しい婦人に怪我を負わせるとはね。さあ、もう少し看てさしあげましょう」
 そう言うや否、メリアドールの黒のロングスカートをおもむろにめくりあげ、彼女の白い足をあらわにした。腿の傷を見ると、巻いた包帯の上からなでさすった。その慣れた手つきにメリアドールは思わず嫌悪感を覚えた。
「こういう機会でもないと、なかなか貴女のような方には近づきになれませんからね」
 悪寒が走った。この男は私をいやらしい目つきで見ている。涼しい笑顔の裏に獣の本性が見えるようだった。
「去りなさい」
 メリアドールは一喝した。
「え、何か……」
「私の側から離れなさい、そういったのよ。早く出て行ってちょうだい。あなたに用はないわ」
「ですが、貴女はまだ治療が必要な身、私が側にいないと」
「去りなさいッ!」
 その迫力に気圧されて、思わず男が身を引いた。メリアドールはベッドの上から一歩も動かなかったが、男を睨め付けた。男はしぶしぶといった風情で部屋を後にした。その後も何人かの魔道士が彼女の部屋の扉を叩いたが、メリアドールは一切を無視して寝ていた。少々機嫌が悪かった。

 

 
 トントンと、扉を叩く音で目が覚めた。誰だろうかと思いつつも、無言で返した。しばしの静寂のあと、今度はドンドン、といらだたしげに叩く音。メリアドールが寝たまま返事をしようか逡巡している間に、音の主は扉を蹴破るように入ってきた。
「姉さん! なんでオレを無視するんだ」
「あら、イズだったの。ごめんなさいね、気付かなかったのよ。またどうでもいい輩が群がってきたんじゃないかと思って」
「院長を追い出したんだって? 一体何をやらかしたんだよ…」
 イズルードはベッドの側まで寄ると、横になっている姉の頬にキスをした。メリアド-ルも弟の挨拶にいつものように口づけで応えた。
「だってあの男は、私をまるで……」
 そこまで答えて言いよどんだ姉の姿をイズルードは見た。髪こそスカーフで覆っているものの、うっすらと汗の光る首筋、シーツの上に絡まるスカートの裾からのぞく、形の整った白い脚。それに年相応の色気が上乗せされて、何とも言えない趣を醸し出している。身内の贔屓目を除いても、姉は美しかった。
「ま、院長の気持ちも分からなくはないが……。姉さんは綺麗なんだから」
「あなたまでそんなことを言うのね。私は女でる前に騎士よ、騎士として見て欲しいの。なのに…」
「勿論、姉さんのことは騎士として尊敬してるよ。だってオレ、剣だったら姉さんには敵わないし。で、傷の方はどうなのさ。結構心配してるんだけど」
 オレと違って姉さんは女なんだからあんまり傷が残るかどうか心配で、そう言おうとしたがまた機嫌を損ねそうだったので言わないことにした。
「そうね、さっきまで寝ていたから痛みは大分引いたけど、そろそろ包帯を替えたいのよ。ちょっと替えの包帯を取ってきてくれないかしら。それにお湯とポーションと……あと何か役に立ちそうなものがあればそれも頼むわ。よろしくね、イズ」
「役に立つものね……」

 

 
 わずかな睡眠からメリアドールが目を覚ますと、身体の痛みにうずいた。だが半分夢うつつで、ベッドの上に身体をあずけてまどろんでいた。イズルードを使いに出してからどれくらいが経っただろうかと、彼女が訝しんだその時、扉を叩く音が聞こえた。誰かが来たのだった。「入ってもいいかな」と尋ねる声。イズルードではなかった。あの院長でもなかった。そのまま深く考えずに返事をした。
「メリー、具合は?」
 薄暗がりの部屋に透き通った声が低く響いた。クレティアンだった。予想外の人物にメリアド-ルは飛び上がらんばかりに驚いた。実際にベッドの上に跳ね起きた。
「あぁっ…」
 起きた衝撃の痛みに耐えかねて声を漏らすと、クレティアンが心配そうな顔をした。
 狭い石造りの部屋の中、クレティアンがさっと身を翻してメリアドールの側へ近寄った。丁寧に、ベッドに腰掛けてもいいかと聞いてきたので、もちろん、メリアドールは承知した。ミュロンドの騎士達の中で、彼は珍しくそういった細やかな騎士道精神を持ち合わせた人であった。大方は、彼が学生時代を送ったアカデミーで仕込まれたものだろうとメリアドールは見当を付けている。ガリランドのアカデミーは貴族御用達の場所だと聞いている。そういった身分の人々と接する機会も多かったのだろう。
「ところで、どうしてあなたが……? 私はイズルードに、包帯と、役に立つものと――」
「私なら随分と役に立つだろうな」
 嫌みをこめつつも涼やかな顔で笑うと、クレティアンはさっそくメリアドールを看た。失礼、そう言ってそっとメリアドールの掛け布団をどかすと、服の上から傷を触って確認していった。メリアドールもおとなしく、従順にされるがままになっていた。不思議と嫌な気持ちは起こらなかった。クレティアンが包帯を替え、メリアドールには聞こえない声で何か、おそらくは呪文の類、を呟くのを何とはなしに聞いていた。薄暗がりの部屋の中、その表情はよくわからなかった。ただ静かな、穏やかな時が流れていった。

 

 
「あなたの魔法の腕はたいしたものね」
 彼女の傷口はすっかりふさがっていた。まだ完治には相当の時間を有するだろう、そうつぶやいたクレティアンにメリアドールはこう言い返したのであった。
「魔法ってすごいわね。あんなひどい怪我だったのに、もうどこが傷口なのか分からないわ」
「見た目はね。魔法だった万能じゃないんだよ。外見だけは元通りに治せるけど、実際は身体の回復は追いついていないんだから、安静にするように」
「だけど、手練れの魔道士は魂をも引き戻せるって……」
「それは魔法の賜物というよりは、神の奇跡と言うべきだな」
「そうね、信仰心のなせる業ね」
 イヴァリースにおいては、魔法の使い手たちの多くは聖職者であった。信仰が魔法を生み出すのだと、信じられていた。それがイヴァリースの掟であった。
 魔法、それは傷を癒し怪我を治すもの。だが、本質的に癒しを与えるのは魔法の力ではない、その魔法の使い手の信じる力、癒しを与えることが出来ると、目に見えぬその存在を信じること、その信仰だった。
 メリアドールが運び込まれたこの施療院はミュロンド寺院の敷地に建てられた施設であったが、多くの神殿騎士団員たち――その大半は魔道士であったが――がここで奉仕していた。もともとは貴族や高貴な身分の者のための私的な、小さな礼拝堂として建立されたのだが、過去の黒死病の大流行に加え、一向に収まる気配のない戦乱により傷ついた民のための、安息と治療の場として施療院として使われるようになった。ここで奉仕する者の多くは篤い信仰を持った者達、すなわち手練れの魔道士らであった。だが信仰に生きる者全てが高い徳を持っているという訳ではなかった。
「私をここへ運んできたのはあなたでしょう、クレティアン?」
 メリアドールはベッドの上、顔をうつむけながら小声でありがとう、と呟いた。クレティアンはそれには何も答えず微笑んだだけだった。
「でもどうして、わざわざここを選んだの? 下の階に放って置いてくれてもよかったのに」
 この施療院は二階建てであり、一階を民衆に解放し、上階は、本来の目的である礼拝堂として使われている。メリアドールの運ばれた部屋は、小さく、明かり採り用に上部に申し訳程度に窓があるだけの質素な部屋であった。ベッドに、書き物ようの小型の机。それに人が二人も入ればもう満室となるであろう狭い部屋であったが、壁に掛けられた宗教画、机の上のガラス製のインク壷に飾りペン、ベッドの上の清潔なシーツを見ればここが貴人のために用意された場所であるのが分かった。
「下の階に? あそこはうるさいだろう。ここの方が落ち着いて安静に寝ていられる。それにこの部屋の隣は礼拝堂になっている、祭壇に少しでも近い方が怪我にも効くだろうと思って……」
「ああ、そんなこと、そんなことにも気を配ってくれたなんて、あなたは気の付く人ね。本当に」
「この部屋は貴人らが宿泊した際に、個人的な祈りを捧げる場所か、告解に使うと聞いた。普段はここの院長が使用しているそうだが」
 メリアドールは先程の院長とのやりとりを思い出し、きまりが悪くなった。部屋の隅に置かれた跪拝台を見やった。ここにひざますくべき人物は、まずあの院長だろう。
「罪深き子よ――」

 

 
「――罪深き子よ」
 メリアドールの独り言に近いその言葉を聞いて、反射的にクレティアンは跪拝台の上に膝を落とした。腕を組み、膝を折りこうべを垂れた。礼拝の時に常にそうするように、従順の祈りの形を取った。それに慌てたのはメリアドールだった。
「あら、違うのよ、さっきの独り言はあなたに言ったわけじゃないの」
 取り繕うメリアドールの言葉を、クレティアンは跪拝台に身をもたせたまま聞いていた。両手を台の上で組んだまま頭をあげ、彼女の方へ視線を向けた。
「そう? てっきり、何か怒っているのかと……。ここへ運んでくる時も機嫌悪そうだったからね」
「そ、それは……」
「そんなことより、さっきは院長を追い払ったのは、男と二人きりになりたくなかったのだろう? いいいのか、妙齢のご婦人がこんな男と一緒にいて気に障らないのかい?」
 彼は、多少の嫌みを含んでメリアドールに質問を投げかけた。
「あら、だってあなたはそんなことに興味がないもの」
「それはどういう……?」
「女たちが身を飾り、服を彩り、男たちそんな彼女らの気をひこうと武勲をあげて、そうやって忙しくやりとりしている、そんな俗世のしきたりにはあなたは関心がないでしょう。あなたはもっと、清らかな、信仰の世界を生きる人だわ。だから……」
「ふ、失敬な。私だって人を愛することは出来る。お望みなら――」
 クレティアンは、膝を立て、メリアドールのベッドへ近づこうとした。それを彼女はほほえんで制した。
「あら、だめよ。その愛は私にはもったいないわ。神に捧げるべきものよ」
「ならば、望みのままに。君の回復を祈っておこう」
 クレティアンはそのまま壁へと顔をうつむけ、跪拝台の上、祈りの姿勢を取った。そのまま無言の時が流れた。静謐な時間だった。メリアドールはベッドの上、微動だにせずにそんな彼を見守っていた。床にこぼれるように広がった白いローブの裾、台の上に組まれた綺麗な両手、瞑想に入る穏やかな端正な、横顔。彼の周りの全てのものが美しく調和していた。
 彼は私のために祈ってくれているのだ。メリアドールは思った。それだけで幸せだった。
 自分に近づいてくる男はたくさんいる。団長の娘という立場上、他の騎士たちから注目されることも多い。目立つということは良いことばかりではない。虎視眈々と出世の道を探るものはたくさんいる。そういった人々の中で暮らすのはなかなかに気を遣うことである。他人のために無償で祈りを捧げてくれるような人は希有であった。たとえ信仰を合わせ持った神殿騎士団といえど、中で暮らすのは世俗の人間なのである。
 彼だけは周りの人たちとは一線を画していた。もともとアカデミー出身のエリート意識があるのか、プライドが高いだけなのか、人に媚びへつらうということを一切しない人だった。団長、すなわち彼女の父親に取り入り、高い役職を望む騎士たちを彼女は多く知っていた。いい年をした勇壮な騎士たちが愛想を振りまきながら彼女に近づいてくる。彼は、クレティアンは違った。
 黙々と祈りを捧げるクレティアンの側へ、メリアドールは近づこうと、ベッドから起き上がった。それを気配で察したクレティアンは、まだ安静に、と彼女に言った。
「もう平気よ。それに、あなたの祈りの邪魔をするつもりはないのよ。私も一緒に祈ろうと思って。あなたの隣に座ってもいいかしら」
 彼ほどの学位を持ち得るならば、高位の僧侶となり教会の指導者たることも出来得たはずである。その道を潔く棄てて騎士団へと入ってくるほどの男である。その姿は清々しかった。どういう志を抱いてこの道を選んだのだろう、とメリアドールは常々思っていた。彼の口からその理由が語られることはなかった。信仰に厚い分、世俗の関心事には興味がないのかもしれない……。
 だから、せめて、隣に立って時間を共有したかった。少しでも長く、たくさん、一緒にいたかった。

 

 
 お互いの祈りが済むと、クレティアンは、床に座り込んだままのメリアドールの手を取ると、甲にそっと口づけをした。
「おやすみ」
 それだけ言うと長い白のローブをはためかせながら彼は部屋を去った。
 手のひらにまだ残る彼のぬくもりを撫でながら、嬉しそうにメリアドールもつぶやいた。
「おやすみなさい」

 

 

 

白桃

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 白桃

 

 

 
 彼女の身体は鋼鉄の鎧に覆われている。深く被ったフードは彼女の髪を隠し、脚は長いローブの内に秘められている。彼女は誰にもその素顔を見せない。メリアドール――皆がその名前を呼ぶが、彼女の秘められた姿を知る者は少ない。彼女は剣を携えた戦乙女だった。磨き込まれた鎧は鈍い金色に輝き、彼女の勇ましさを際立たせる。彼女は信仰のためなら迷わず剣をふるう。その太刀さばきは見事なものだった。勇猛な歴戦の騎士と見まごう程であった。それでも彼女が美しい女性であると分かるのは、彼女が歩く度、緑で縁取られた黒のローブが翻り、その一瞬、婦人のスカートの形になるからだった。彼女は美しく、そして颯爽と歩く。
 だから彼女の女の素顔を知ることが出来る時間は、ほんの一瞬だけである。

 

 
 神殿騎士たちは、ベルベニアからミュロンドへの帰還の途中、森の中で天幕を張って仮の宿営を取っていた。クレティアンはメリアドールが一団の外れの天幕に入っていく様を見た。すかさず後をつけ、そして、メリアドール付の従者が中に入り、主人の世話をしようとしているのを手で制止した。若い彼女は二言三言、言い返してきたが、クレティアンは構わず、近くの果樹園から頂戴してきた桃を二つ彼女に放り投げ、彼女を容易く買収した。
 メリアドールは天幕の中にあつらえた簡易ベッドに腰を下ろし、進軍の疲れを癒やしていた。その時、誰かが入ってくる気配を感じた。それはメリアドールに付き従い、世話を焼くいつもの少女ではなかった。
 ――悪い虫が入ってきたわね。
 彼女は剣を引き寄せた。
 ――これは失敬。
 その声の主は対して悪びれる風もなく、形だけの詫びを述べた。
 ――あなただったのね、クレティアン。
 メリアドールは剣を手放した。――剣が落ちたぞ、とクレティアン。
 ――駄目よ、私が本気でこの剣を叩き付けたら、あなたの息の根を止めてしまうわ。あなたがそうして欲しいと望むのなら、話は別だけど。
 彼女は、後ろに居るであろう長身の青年を想って声を掛けた。振り向きさえもしなかったが、そこに居る青年の風貌を想像することは容易いことだった。ダークブラウンの髪を後ろに流し、彼女が纏っているのと同じくらい丈の長いローブを羽織り、腰の帯で締めている。多分、手と足の裾から黒の下着が少し見えているはずだ、とそこまでメリアドールは思い描くことが出来た。甲冑で身を固めた彼女とは対照的な姿である。メリアドールが本気を出せば、大した苦労もなくこの魔道士を仕留められるだろう。もしここにいる青年が獲物を狩にきた男であったなら、彼女はすぐさま駆逐していたはずである。しかし二人は親密な仲であった。
 ――挨拶もなしに、女性の天幕に入ってくるのはいかがなものかしらね。
 ――ご機嫌よう、メリア。
 続けて、
 ――これで私が追い出されることはなくなったな。
 ――さあ、どうかしらね。
 メリアドールはベッドの上に腰掛けたままである。背筋を伸ばし、毅然と座ったままである。
 ――ところで、私の可愛い付き人の姿が見えないのだけど、どこへ遊びに行ったのかしら。主人の着替えもまだだというのに、一体どこをほっつき歩いているのでしょう。
 ――ならば、手すきの私が然るべき仕事を果たすまで。
 メリアドールはやっと振り向いた。そして笑いながら言った。
 ――まあ、あなた女の服の扱い方を知っていて? それに、鎧を着たことがあって?

 

 
 ――意外と小さいんだな。
 クレティアンはメリアドールの上着を丁寧に脱がせると、目の前の神殿騎士をまじまじと眺めた感想を実直に述べた。彼女の体はまだ無骨な鎖帷子で覆われていたが、ふっくらと優しい曲線を描く女性の胸を隠すことは出来ていなかった。
 ――何をしているの。どうやら、あなたのお手は仕事を忘れているようね。やっぱりあなたは鎧を着たことがないんでしょう。この鎖帷子がどんなに重くって、汗にまみれているのか知らないんでしょう。早く、私はこれを脱いでさっぱりしたいの。
 お乳の感想は聞かなかったことにして、メリアドールはクレティアンを促した。つんとすまして侍女に着替えの手伝いを要求する姫さながらに、彼女は腕を伸ばし、さらなる奉仕を求めていた。ただし、彼女は絢爛豪華な衣装を纏って城の窓辺に立つ姫ではなく、れっきとした騎士である。瀟洒なドレスの代わりに鋼鉄の鎧を身にまとった戦乙女である。
 メリアドールが首を振ると輝く金髪が彼女の首筋にこぼれ落ちた。綺麗に手入れされた明るいブロンド。それは彼女の秘められた素顔であった。その隠された美しさに存分にあずかれるクレティアンは、彼女の髪をくしけずりながら、一つ二つ房にして肩に垂らした。鎖帷子を外すのに邪魔だったからである。そして、再び感想。
 ――意外と小さいだな。
 ――また。そればっかり。二回目よ。そんなに他の人のを見たことがあるの。
 メリアドールは機嫌が悪くなった。すねてベッドの上に寝転んだ。戦装束を解いた彼女は、扱いの難しい年頃の娘になっていた。仰向けに寝転ぶと、彼女の形の良い小さな愛らしい乳房は重力に押しつぶされて、ぺったりと平たくなった。ローブの上からでもその様子は分かった。クレティアンは紐解いた鎖帷子を床に投げ捨てると彼女の上に覆い被さった。柔らかい感触。メリアドールはまだ機嫌が悪かったが、首筋に顔を埋めてじゃれついてくる人をぞんざいにはしなかった。

 

 

 

 
 ――ちょっと、どこを触っているの。
 ふいにメリアドールが声をあげた。クレティアンの手が下に伸びてきたからだった。ささやかな抗議の声である。平素は厚い鎧に覆われている彼女の素肌は白磁の器のように透き通っている。声を上げる度、彼女の頬に赤が花開いていた。
 ――そんなに叫んだら他の人に聞こえてしまうだろう。
 と、口を塞ぐようにキスをしたのはクレティアンの方である。
 ――それ以上は駄目よ。おなかが大きくなったら困るもの。誰か人を呼ぶわ。
 ――お預けか?
 ――外にいる従者を呼ぶわ。私にこれ以上怒鳴られたくなかったら、早くそこをどくことね。
 クレティアンは名残惜しげに彼女の乳房を撫でていた。小さくとも愛らしいそれは、熟れた二つの果実のようで、クレティアンが口に含むと、えも言われる甘美の味が広がった。

 

 
 ――まあどうして服がこんなに散らかっているんですか。
 呼び戻した従者は床に投げ捨てたままの戦装束を一目見て、そして片付けながら呆れて言った。
 ――それは私がやったんじゃないのよ。
 ――どなたがいらっしゃったんです?
 メリアドールはその問いには答えなかった。返答の代わりに、お前は何処に行っていたの、と聞き返した。
 ――ドロワさまに桃をいただいたんです。剥いてきたので一緒に食べましょう。瑞々しくて、とても良い香りがします。

 

 
 熟れた果実を見て顔を赤らめた理由を、付き人の少女は知らなかった。

 

 

 

 

香る花、告げるもの

.

 

 
 香る花、告げるもの

 

 

 

 

 ディバインナイトたる者の何よりの使命は島の警備であった。巡礼者も多く、人が多いということは即ち治安も悪くなるということである。それにもかかわらず、このミュロンドが旅人の安心して歩けるというのは、ひとえに、神の加護とディバインナイトたちのたゆまぬ努力のおかげであった。
「メリアドール、いいかい、私は朝方には戻るからそれまでは誰もここには入れてはならんよ。こんな夜中に出歩く者は夜盗か不審者と決まっている。そんな奴らに関わる必要はないからな」
「はい、ヴォドリング隊長、承知しております」
 島にあるミュロンド寺院の警備として、不寝の番にあたる二人の騎士がいた。正確には、一人の壮齢のディバインナイトと、その見習い騎士の、年もまだ若い一人の娘だった。
「本来なら不寝番には別の者が当たるはずだったんだが…仕方ない。くれぐれもよろしく頼んだよ。私は外を見てくる」
 ローファルはよろしく、と言っていたが内心はメリアドールを一人残していくことがひどく不安であった。それもそのはず、多忙な団長ヴォルマルフに代わり、彼の子供たちをローファルが育て、可愛がってきたのだった。男所帯の中、特に慈しんできたメリアドールを仕事とはいえ深夜に一人残しておくことは不安だった。
「まあ、メリアドールも良い剛剣の使い手だ。夜盗くらい容易く追い払うだろう……だが、せめてもう少し女らしくてもいいものを……」
 長い髪はきれいにまとめ、その端正な容姿を飾り立てることもない。その剛剣の腕はまだ見習いといえど、並みの騎士に匹敵するものがあった。粗野な男騎士達の中で育ててしまったせいだろうか。メリアドールは女性として、あまりにおとなしすぎた。そして、あれこれ考えながら、一人ごちつつつ見張り用の小屋を離れたローファルであった。
 小屋に一人で残ったメリアドールは、師の言い付けを守って静かに小屋の中で待機していた。飾り気のない、質素な部屋であった。夜番の騎士たちが詰所として使っているためか、ものは乱雑に散らかっていた。ミュロンドの名高いディバインナイトも、殆どが男騎士で構成されており、メリアドールの様な女騎士は稀有な存在だった。彼女はそんな中で育ち、彼らの立ち振舞いを覚えてしまったのである。ローファルはそんなメリアドールの事を嘆いたが、母親をも早く亡くした彼女に女らしさを教える者は誰もいなかったのである。
 外は夜。いつの間にか降りだした雨は強さを増し、とうとう雷雨となった。こんな悪天候の日は、誰も出歩かないだろうとメリアドールは思っていたが、やがて扉を叩く音を聞いた。かなり激しく、ダンダンと叩いている。
「誰かいないのか!? 雨宿りをしたい!」
 雨音にかき消されつつも叫ぶ声があった。青年の声であった。メリアドールは言い付け通り、沈黙を守った。しかし外は雷が鳴り響いている。こんな天気の中に放り出しておくのも心が痛む。どうしたものかと逡順していた。
「誰もいないのか! 扉を蹴破るぞ!」
 このままだと扉を破られかねない、と慌ててメリアドールはほんの少しだけ扉を開けた。思わず、あっと呟いた。声の主をメリアドールは知っていた。
「おっと、お嬢さん一人かい?」
「ええ、夜明けまでは私一人です」
「これは失礼。少し避難させてくれないかな」
 青年は大事そうに上着にくるんで抱えていた包みを床の上に広げた。中からは四、五冊の書物が出てきた。なるほど書物に水塗れは厳禁である。少しでも塗れないよう、ここまで運ばれてきたのであろう。青年は本を置くと自分は踵を返してさっさと雷雨の中に戻っていった。
「待って! 待って…! こんな雷の中を歩いて帰るのは危険です、ドロワ様!」
 名前を呼ばれ、引き留められたクレティアンは不思議に思った。何故こんな夜中に年若い娘が一人で小屋番をしているのか。何故見習い騎士風情の彼女が自分の名前を知っているのか。等々。しかし、呼ばれたからにはありがたく雨宿りをさせてもらうことにした。何せ外は横殴りの暴風雨。
「中で濡れた着物を乾かしてくださいな。火種がなくて暖炉は使えませんが……あら、暖炉に火が…?」
「何、火くらい簡単におこせるさ。初級の黒魔法だからね」
 さっと手を伸ばすと暖炉に小さな炎が踊った。クレティアンは自分は濡れたまま、せっせと水浸しになった本を暖炉の回りに干していた。貴重な魔導書なのである。
「それにしても、こんな夜更けに女一人で詰めさせるとは、ディバインナイトらも相当に人員不足なのか? お嬢さんも災難だったな。あなたの上司にあったら文句の一つでも代わりに言っておこう」
「いえ、仕事ですから……」
 メリアドールは、自分に背を向けうずくまって熱心に本を乾かしている青年を見つめていた。クレティアン・ドロワ。名前は知っていた。最近ミュロンドにやって来た若き魔道士。イヴァリースの中でも類い希な秀才で切れ者と聞いていた。島育ちのメリアドールにとっては、本土から来たというだけでも物珍しく、一度話してみたいと思っていたのだった。同じ神殿騎士といえども、騎士と魔道士とでは会う機会がないのである。
 暖炉では静かに火がはぜていたが、外では雷がとどろいていた。かなりの轟音がした。近く落雷したのではないだろうか。にわかに、外回りのローファルの事が心配になった。
 小屋の中ではしばしの沈黙。そして扉を開ける音。ローファルが戻ってきたのだった。
「メリアドール、近くに雷が落ちたらしい。火事にはならなかったようだ。おや、どうやら鼠が入り込んだ模様。深夜に徘徊する不届き者め、何の用だ?」
 剣の鞘でかつかつと床を叩きながら言い放った。
「これはローファルじゃないか。そうか、あなたがこの子の上司か。ならば一言云いたい、いくら仕事とはいえ、こんな夜中に女性を一人にしておくとは無用心じゃないか。それに私は好きで深夜に歩き回っているのではないのだよ。魔道書をわざわざ聖堂図書室まで取りに行っていただけのこと」
「仕方あるまい。名誉あるディバインナイトの役目だ。それにそちらも人員不足か。本の四、五冊くらい部下に行かせればいいものを」
「何、こちらは夜中に女性を一人歩きさせるなんて不粋なことはやらないのでね」
 騎士団とは打って変わって、魔導士たちはほとんどが女性である。
「ふん、口の減らない男め……おっと、言い争いはここまでだ」
 見ると、暖炉の側に座ってメリアドールがうつらうつらと船を漕いでいる。炎の暖かさに安心しきって、すっかり夢の世界に入り込んでいるようだった。
「まったく、床で寝るなんてむさ苦しい真似をするなと何度も言っているのに、困った子だ」
 ローファルはメリアドールを抱き抱えると、近くの藁を詰めて作った布団へと運んだ。
「その子は…」
「知らないのか。メリアドール、メリアドール・ティンジェル」
「ああ、団長の……。これは悪い事をしたな。見たところ見習い騎士の様子、このまま女騎士になるおつもりか」
「父の跡を追ってディバインナイトになるのだと言い張ってな。たしかに剣の腕も良い。こう見えても剛剣の使い手だ。お前の首くらい簡単にへし折るぞ」
「おお怖い怖い。それは勘弁……」
「ならば手を出さない事だな。団長溺愛の箱入り娘だ」
「愛してるなら騎士になどしなくても良いではないのか。たしかもう一人子息がいたはずだろう」
「イズルードな。あれはあれでいまいち剣が立たないので困っているのだ…。落ちこぼれではないのだが、何せ周りが凄腕の騎士ばかりでな。おかげでメリアドールは弟に代わって自分がティンジェル家を引っ張っていくのだと気に負っている節がある。ティンジェル家も伝統ある旧家なのだが早くに母親が亡くなっていて、裏では大変なのだよ。そうでなければメリアドールだってもう少し楽な道を選べたはずだ」
「父親は……ヴォルマルフ様は愛娘を騎士にすることへの抵抗はなかったのか」
「彼女をディバインナイトに叙するのも、父親なりの愛情なんだ。騎士ともなれば、いざ戦争になると前線に飛ばされる。ヴォルマフル様はそんなことはさせたくなかったのであろう。ディバインナイトなら主な任務は聖堂の守護だから、そうそう戦地に赴任することもないはずだ」
 語る間も、ローファルはずっとメリアドールの寝顔を見守っていた。可愛くて可愛くて仕方がない、とでも言いたげに。
「クレティアンよ、この子をどう思うか」
「何です、出し抜けに」
「お前は王都で暮らしていたこともあっただろう。王都の娘たちはさぞ綺麗に着飾っていたのではないかな。うちの娘は剣の修行をするより他に趣味がないと言っても良いくらいでね。お洒落の一つでも早く覚えてほしいものだ……。そうだ、クレティアン、ベオルブのご令嬢とも顔見知りだったな? あの娘はどうであったかな」
「アルマ嬢か。貴族の娘らしく、おとなしい、静かな子だった気がするな。だが、何も着飾るだけが女の魅力ではないぞ。私なんかは、こう、根のしっかりとした、素朴な女性の方に心惹かれますがね……。それに時期がくれば、自ずと女になりますよ」
「時期か、メリアドールはもう20にもなるんだぞ。このまま修行を積めば立派な騎士になるだろうが、だが、このまま放っておくのも、気が進まない。騎士として女を捨てさせる訳にはいかない」
「求婚者の一人や二人はいるでしょう?」
「勿論。ごまんといるさ。だが、ヴォルマフル様の鉄壁の守りがな。父親は娘を手離したくないようで……」
 ローファルは身を屈めて、眠るメリアドールの頬におやすみ、とキスをした。
「どうだクレティアン、一つ頼まれてくれないか」
「何を」
「メリアドールにな、教えてやって欲しいのだ、年頃の女の立ち振舞いというものをな。私はこれから仕事に戻る」
「ふむ、考えておこう……」
 オレが手を出してもいいんだな、とクレティアンはつぶやいた。

 

 

「ん……」
 メリアドールは目を覚ました。夜は明けつつあり、朝方のすがすがしい空気が部屋に満ちていた。そしてはっと飛び起きた。
「あれ、私、昨日そのまま寝ちゃったの?」
「おはよう、メリア」
 ローファルが側で声を掛けた。
「ゆっくり眠れたかな」
「ああっ隊長、ごめんなさい…」
 慌てて頭を下げようとするメリアドールにローファルは優しく声を掛けた。
「そんなに気を使うな、メリア。今は誰もいないし、昔みたいに挨拶して欲しいよ」
 メリアドールはあたりを見回すと、ローファルに抱きついた。
「おはよう! ローファル小父さん、大好きよ!」
 頬にキスをすると、お互い幸せそうに見やった。メリアドールは父親代わりだったローファルにすっかりなついていた。この物静かな男性が大好きで、二人の時はいつだってこうしてキスをしていた。彼に就いて剣を習うことになってからは、いつまでも甘えてられないとけじめをつけたが、やはりこうして甘えてられるのは嬉しかった。ローファルもまた、我が娘のようにメリアドールを可愛がっていた。
「最近ね、イズが冷たいのよ。話しかけても素っ気ない返事ばかりで寂しいの」
「そろそろイズルードも姉離れの時期じゃないかな。どれ、寂しかったらいつでも私の胸に飛び込んでおいで!メリア!」
「ふふ、遠慮しておくわ、隊長さん」
 メリアドールが首を振ると、首もとにほつれた彼女の綺麗な髪の毛が軽やかに躍った。メリアドールは手早くフードを被ると身支度を整えた。そこには凛々しい騎士の顔があった。
 朝まだき。白々と明けゆく夜は、透明な空気を湛えていた。気の早い鳥たちがさえずり始め、それに唱和するかのように、どこからともなく歌声が聞こえてきた。
「朝の点呼までに戻らないと……ね、ローファル小父さん、外に誰かいるの? 昨日の人?」
 外に響く歌声が気になってしょうがないといった様子でメリアドールは尋ねた。
「そう、昨日来た人だよ。昨晩は騒々しくて悪かったね。気になるなら行って挨拶してくると良い」
「でも何て言えばいいのかしら……」
「行って、さっきの歌を褒めてやると良い。あれで素直な男だから喜んでくれるさ。薬草摘みの人手が足りないと嘆いていたな。ついでに手伝ってやるといいんじゃないかな、ほら、これは預かっておくから」
 ローファルはメリアドールの持っていた剣を取った。これは暗に、しばらく自由にして良いという事であった。隊長直々の暇をもらったおかげで、外が気になりそわそわとしていたメリアドールは喜んで小屋の扉をくぐっていった。あとにはローファルが一人残された。
「メリアももうすぐ20、もう20歳なのか……早かったな。あっという間だった」
 外の爽やかな空気に囲まれ、部屋には、物音一つしない静寂が漂っていた。かつかつと、ローファルは壁際まで歩くと、壁にもたれた。
「一人になるのは、意外と、寂しいものだな……」
 先程までメリアドールが握っていた剣を抱き締める。ずっと手元に置いておきたかった。このままずっと――。
 小屋の外には巣立ちの時を迎えたらしい若鳥が二羽、歌い交わしていた。
「潮時だな。巣立ちも自然の営み、神の摂理か――。せっかく外の世界に出たんだ、うんと可愛くなって帰ってくると良い――」

 祈りの歌、それがこの世で一番美しい言葉だと教会は教える。だが、他にも美しい言葉は世界に数多くある。愛の歌であったり、グレバドスの伝承が伝え残さなかった伝説の類、勇ましい戦士たちの物語。
「たくさん、お歌を知っていらっしゃるのですね。あの、素敵な歌声ですね。私、つい聞き入ってしまいました。ね、ドロワ様」
 クレティアンは後ろからおずおずと歩いてくる女性の気配を感じていた。もちろん彼女が誰なのかも知っている。
「なぁに、昔、吟遊詩人として世界を遊歴していてね…」
「ご冗談を。アカデミーで勉強していた方が詩人なんて」
「ふふ、お早う、ティンジェル嬢。昨日は失礼しました。ヴォルマルフ様のお嬢様と知っていればあんな騒々しい真似をしなかったものを…」
 お嬢様、そう呼ばれてメリアドールははっとした。そんな丁寧に名前を呼ばれたことなどなかった。気持ちが落ち着かず、不思議な感覚になる。
「お、お嬢様ですって…や、やめてください…」
「世が世なら貴方も立派な貴婦人でしょう。それに、たとえいかなる時代であっても女性は尊く、気高いもの。どうぞ気丈になってください」
 クレティアンはメリアドールの手を取るとキスをした。そして道を示した。
 こんなことをしてもらうのは初めてでとまどうメリアドールにとっても、その行為が何であるのかくらいは分かっていた。この人は私をエスコートしてくれているのだ。雨上がりのぬかるみを避け、草の上へとさりげなく誘ってくれている。それは分かっていても、その後どうすべきかは分からなかった。素直に付いていけば良いのだろうか。お礼を言うべきか。都会の淑女はこの時、どうするのだろうか。断って一人で歩いていくのが礼儀かしら。考えは堂々巡って、結局その場に棒立ちになったままであった。剣の道はきっちり教え込まれても、男女の社交については、誰も、教えてくれる人がいなかった。
「あの、どうしてドロワ様は私に良くして下さるんですか。まだ見習い騎士の私に……やっぱり、わたしが、団長の娘だから……」
「おや、これはローファルは本当に何も教えなかったと見える。お嬢様、男が興味のない女性をわざわざエスコートするとお思いに? まさか。分からないのなら私が教えよう、おいで――足元には気を付けて」
 ふわ、と身体が浮かぶような心地がした。
 それは初めての気持ちであった。嫌なものではなかった。この人の手の引く方へ、と身体が自然に動いた。

 

 

 道を歩いていたイズルードははた、と立ち止まった。視線の先にはメリアドールがいた。訓練の後でお互い声をかけ合う、姉弟のいつもの日常とそう変わるものはない。ただ一つ、メリアドールが両手に花を抱えていることを除けば。
「姉さん、どうしたの。花なんか持って珍しい」
「ドロワ様と一緒に薬草摘みに行ってきたの。根の部分しか使わないんですって。お花は捨てちゃうのかと思って聞いたら私にくれたわ」
 メリアドールは楽しそうに話す。
「ふぅん…それで、どうするの、それ」
「花は大切な人に贈るのものだって教えてもらったわ」
 じゃあオレにちょうだいよ、とイズルードは姉にねだったが、優しく一蹴された。
「だめよ、隊長にあげるの。イズも欲しかったら自分で摘むといいんじゃない?」
「それじゃあ意味がないじゃん…いいな、ローファルばっかり」
 それからしばらくの間、ローファルの机を野の花が飾ることとなる。それを見るたびクレティアンは嬉しそうにしていた。
 あたりには、ほんのり暖かな花の香りがあふれていた。新しい季節がやってきたのだ。

 

 

ユールタイド・ミスルトゥ

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・ハッピーバースディ・ディア・マイ・レディなメリアドールさんお誕生日SS(×クレティアン前提)

 

 

 

ユールタイド・ミスルトゥ

 

 

 
「メリアさん、お届け物です」
ラムザの手から渡された、小さな小包。
「誰から?」
「さあ、通りすがりの男の人から。名前も顔も知らない人だったけれど、ガリランドの士官学校の出身って言ってたから、僕の先輩だったのかも。覚えてないけど。メリアさんに直接渡して欲しいって頼まれたんだ。受け取りたくなかったら、受け取らなくていいって」
それはとても軽かく、手紙のようだった。けれど中には手紙は入っていない――緑色の、赤いリボンで根元を結わえた小ぶりな植物飾りをのぞけば。
所書きもなく、人づてに渡された小さな贈り物。
「何かしら、これ。よくわからないけれど、もらっておくわ。怪しいものではないと思うし」
おそらく、赤いリボンを見れば、きっと何か優しい気持ちがこめられていると思ったから。
なぜなら、今日は冬至祭の日だから。人々の間でささやかな贈り物が交わされる日だから。

「メリアドール、何をもらっただ?」
「草」
アグリアスが訊ねる。
「ふむ、見たことがあるな。白魔道士が杖にその植物を編み込んでいる姿を知っている」
「そう、戦闘用のアクサセリーかしら?」
「いや……冬至祭の飾りなのかもしれない。この季節になると実家にそれを飾りつけていた。あいにく、私はそういった趣向には詳しくなかったが」
「貴族の文化なのね。ラムザは何か知っている?」
「うーん、そういえば、冬至祭の日に同級生たちが配っていたかも。僕も何回かもらったことがあるけど、そういえば魔法の呪具だったのかな」
「じゃあ、ラムザ、あなたがもってたら? 隊で一番魔法を使うのはあなただと思うから」

「あら、それはミスルトゥね。だめよ、そんなに簡単に恋のおまじないを配ってしまっては駄目よ」
私たちの会話をそれとなく聞いていたらしいレーゼが笑いながら言った。
「ミスルトゥ?」
「恋?」
「まじない?」
私たちは、三人で同時に、顔を見合わせた。
この手の話題は、彼女が一番詳しい。
「このミスルトゥは、冬でも枯れない緑の植物ってことで生命力の象徴として扱われるの。だから白魔道士の人が愛用してるわね。でも、この植物にはもっと別の意味で使われることもあるわ――特に、冬至祭の日のミスルトゥはね。恋人のお守りなの。ミスルトゥの下では、女性は男性のキスを拒めないって伝説があるの。だから……ミスルトゥを贈られるってことは……その意味は、わかるわよね?」
「へぇ、素敵な伝説があるんですね……え、ってことはメリアさん、もしかして、プロポーズ?!!」
のんびりしていたラムザが急に慌て出す。
「そうか、恋人がいたのか、ならば私らに気兼ねすることなく二人で会ってくるといい」
「恋人なんていないから! 違うから! 返してくるわ、こんなもの……」
「あらあらメリアドール、ご機嫌ななめね。いいじゃない。だってこの日のために用意して、待っていてくれたのでしょう? その人は」

想いを伝えるために一年。
たった一日のために、一年をかけて準備をする。

そんな手間のかかったことをする人とは、性があわないに決まっている。
私はせっかちだから。

「――それで、たかだかミスルトゥを返すためにミュロンドにやてきたのか? しかし残念だな。君が風情のかけらもないあのような戦闘集団にいるとは。君らの若きリーダーが貴族の学校を出ていると知って、せめての望みをかけたが……世間知らずの坊やだな」
「ラムザはあなたほど、横柄でもなく、傲慢でもない。知ったような口をきかないで」
「その意思表示をするために、<これ>を返却するのか?」
「冬至祭のミスルトゥは受け取りません。そんな簡単に私に求婚できると思わないで」
「つまり?」

想いを伝えるために一年。
たった一日のために、一年をかけて準備をする。

私にはできない、その、深い気持ちにだけは答えてあげてもいい。
なぜなら、今日は冬至祭の日だから。人々の間でささやかな贈り物が交わされる日だから。

「今日は私の誕生日なので、誕生日の贈り物として受け取ります。ありがとう、クレティアン」

 

 

 

2019.12.24