Aspects of Family:いつか来るその時まで

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・イズルード10歳くらい
・ウィーグラフ、ミルウーダ、ゴラグロスは幼なじみ設定。

     

  

いつか来るその時まで

     

  

「ハシュマリム、朗報だ! 我々の仲間が見つかったぞ!」
 ヴォルマルフは自宅の庭でイズルードに剣の稽古をつけている最中であった。そこへやってきたのは銀髪の眉目秀麗な男性である。
「……侯爵様、家族の居る前であちらの名前を呼ばないでいただけませんかと何度もお願いしているのですが」
「ああ、忘れていた」
 ヴォルマルフの息子イズルードはまだ十歳。幸い、父親の裏の仕事については何も感づいていないようだった。
 ヴォルマルフは銀髪の貴公子――エルムドア侯爵の後ろに控えている二人の美女の姿を見た。踊り子のような格好をしている。誰もが目を引く……露出度である。ヴォルマルフは一つ咳払いをした。
「それから、侯爵様……申し上げづらいのですが、この信仰の土地に踊り子を連れてやってくるのは、いかがなものかと……」
 正直言うと、目のやり場に困る。
「失礼な! 彼女たちは踊り子ではなくれっきとしたアサシンで私の有能な部下だ」
「……父上、アサシンとはどんな仕事をするのですか?」
 イズルードが純粋な視線をヴォルマルフに向けた。ヴォルマルフはますます困った。息子に「殺し屋」の言葉を教えるのはまだ早い気がしたのだ。
「あら、ベーゼの味を知るにはまだ早いわよ、坊や」
 髪の長い方の美女がイズルードの耳元にふっと息を吐きかけた。イズルードはどうして良いのか分からない様子でおろおろしている。
「……早く本題に入りましょう、侯爵様。仲間が見つかったというのは本当ですか?」
 このまま息子をビューティフル・アサシンと一緒に居させるのは教育上の問題がある。この銀の貴公子には早くお暇を願わなくては。
「ああ、そうだ。聖石が選んだのだから間違いない。ウィーグラフ・フォルズという男だ」
「誰ですか、その人は」
「私も、彼がガリオンヌに居るらしい、としか分からないのだが……聖石の見せるビジョンは曖昧でよく分からない」
 その時、イズルードが「父上」と間に入ってきた。「その人、知ってます。ガリオンヌの若い騎士で英雄のような人だと聞きました」
「聞いた? 誰がそんなことを言っていたのだ?」とヴォルマルフ。
「この間バルバネス様がミュロンドに来てくださった時に、そうお話ししていらっしゃいました」
「そうか……天騎士がそう言うのなら間違いないな」
 ヴォルマルフとエルムドアは顔を見合わせた。
「それで、ハシュ……マルフ、これからどうするのだ?」
「勿論、聖石を持って会いに行きます。そして、私たちの仲間にならないかと交渉してきます」

 ミュロンドからガリオンヌへは少々長旅である。ヴォルマルフは旅の準備をしながら、子供たちに声を掛けていた。家族をここに残したままガリオンヌへ行くのは不安だった。それに寂しい。
 ところが、イズルードはヴォルマルフと一緒に荷物をまとめていたが、メリアドールは行かないと言う。
「メリア……本当にパパと一緒に行かないのか? パパは少し寂しいぞ……」
「うん、行かない。だって北の国は寒いもの。そんなところ行きたくないわ」
 いつも父親の後ろを離れずくっついていた我が娘であるが……もうついてきてくれないとは。ヴォルマルフはショックを受けていた。
「姉さんはもったいないことするなぁ……ラーナーはカニがおいしいのに」
「私はアンタみたいに食い意地がはってないのよ、イズ」
「そんなこと言って! 姉さんの方がいつも大食いじゃないか! お土産は絶対に買ってこないからな!」
「別にいいわよ。お土産はパパにお願いするから。ね、パパ?」
 可愛い娘のおねだり。ヴォルマルフは「よしよし」と娘の頭を撫でた。「ちゃんと良い子で留守番してるのだぞ」
「心配しなくても大丈夫よ。ローファルがいるわ。騎士団のことはローファルに任せておけば大丈夫よ」
「私が心配してるのはお前のお転婆なのだが……」
 まあ、気を揉んだところで仕方あるまい。
「イズルード、行くぞ」
「はい、父上」

 ガリオンヌの市街地にある、とある邸宅。
「なんだ、ミルちゃん一人か。ウィーグラフはいないのか?」
「兄さんはイグーロスへ行ったわ。北天騎士団の将軍さんと話があるって。それと、一人じゃないわよ、あれが居るわ」
 ミルウーダは部屋の隅で一人で飲んだくれている男を指さした。「ゴラグロス、せっかく来たのならあれをつまみ出して。うちに長々と居座ってて邪魔だから」
 ゴラグロスはミルウーダの兄ウィーグラフの幼なじみで、小さい頃から三人で遊んできた仲だった。三人で仲良く石を投げて遊んでいた頃から変わらず、ゴラグロスはこうしてミルウーダの家にふらりとやってくる。ミルウーダの両親は共に数年前に病で亡くなった。今は両親亡き家に兄と二人で暮らしている。といっても兄は不在がちであったが。
「ギュスタヴ……おまえ、またここに居座ってるのか」
「なんだよ、俺がここに居たら悪いみたいなその言い方。骸騎士団の副団長が団長の家を訪ねてくるのは何もおかしくないだろ。ここで作戦を立てた方が効率的だ」ギュスタヴはゴラグロスに言い返した。
「ゴラグロス、そいつの言うことを真に受けちゃだめよ。酒場を出禁になっててうちにたかりに来てるだけだから。兄さんはお人好しすぎるのよ……こんなお荷物を持って帰ってきちゃって……」
 ミルウーダとゴラグロスはウィーグラフ率いる骸騎士団のメンバーだったが、ギュスタヴは元は北天騎士団の騎士だった。素行の悪さからイグーロスを追放され……世話好きの兄ウィーグラフが拾ってきてしまったのだ。ギュスタヴは貴族であった。そのためウィーグラフは、彼に骸騎士団の副団長という肩書きを気前よく用意したのであった。
「兄さんは迷いチョコボとかも律儀に世話するような人だから……なんでこんなお荷物を拾ってくるのよ」
「義理堅い奴なんだよなぁ、ウィーグラフは。ギュスタヴ! おまえはウィーグラフにもっと感謝しろよな」
「――ゴラグロス。おまえに話がある。外に出よう」
 ギュスタヴはゴラグロスを邸宅の外に連れ出した。ミルウーダはギュスタヴが散らかしたあとを悪態をつきながら片付けていた。

「なんだよ、話って」
「ミルウーダのことだ。兄貴は妹を一人残してどこへ行ったんだ」
「仕方ないだろ。ウィーグラフだって忙しいんだよ。ミルちゃんだってそれは分かってるはずだ。戦争が終われば落ち着くさ」
「問題はそこだ。この戦争は終わらない。イヴァリースが敗北を認めるまではな」
「そう、なのか……?」
 ギュスタヴは元は北天騎士団の軍師だった人物だ。今はこんな怠惰な生活を送っているが、イグーロスでは貴族として北天騎士団の軍務に携わっていたはずだ。彼の言うことなら一理あるのだろう、とゴラグロスはうなずいた。こんな奴に指摘されるのも癪に障るが……。
「でも、戦争が終わったら、骸騎士団は役目を終えて解散だろ? そしたらウィーグラフもこっちに戻ってくるんじゃないのか。ミルちゃんと一緒に暮らせる」
「おまえ、戦争が終われば平和になると本気で思ってるのか? ロマンダとオルダリーアへ払う賠償金はイヴァリースの王庫にはないぜ。王庫にない金は領主が払うんだ。つまり、俺たちが奴らの尻ぬぐいをするんだ。骸騎士団も役目を終えて解散するだろうが、報奨金も何も支払われないだろう」
「俺たちの未来は暗いということか……だが、ウィーグラフが俺たちを見棄てるはずがない」
 ゴラグロスは幼なじみのウィーグラフのことを思った。彼は誰からも慕われ、人望があった。彼の父親は商売で財産と名声を築いた地元の名士だった。流行病で父を亡くし財産を相続したウィーグラフはその財力を使って騎士団を立ち上げ、祖国救済のための貢献を惜しまなかった。だが、戦争を続けるには意外と金が掛かるのだ。ウィーグラフが騎士団を運営するために相当な財産を使い込んでいることはゴラグロスにも察せられることだった。
「そう、あいつは自分の騎士団を見放したりはしないだろう。俺みたいな落ちぶれた貴族の面倒まで見てる変わり者だ」
「ギュスタヴ……おまえが言うかよ。自覚してるのなら恩を返せ」
「ああ、そうだとも。兄貴があれじゃあミルウーダが苦労する。俺だってちゃんと考えてるんだぜ――何をするにしても金が必要だ。俺にいい案がある」
「何だ……?」
「貴族を誘拐して身代金をせびる」
「ああ……おまえの話を真面目に聞いた俺が馬鹿だった」

「ミルウーダ、元気にしてたか?」
「兄さん……やっと帰ってきたの」
「どうした? 機嫌が悪いな?」
 ウィーグラフはイグーロスでの用事を終え、一週間ぶりに家に戻ってきた。しかし……何故だか妹の機嫌が悪い。
「兄に会えなくて寂しかったか」
「違うわよ。それより兄さんイグーロスへ行っていたんでしょう。またザルバッグ将軍のお使い? 貴族の連中にいいように使われてるだけってまだ気づいてないの?」
「ミルウーダ……ザルバッグ将軍のことをそんな風に言うんじゃない。あの方は素晴らしい武人だ。ミルウーダ、貴族はギュスタヴのような外道ばかりじゃない」
「まあまあ、二人とも落ち着いてくれよ」
 ミルウーダと言い合いをしているとゴラグロスが仲裁に入る。いつものわが家の光景だ。普段と全く変わらない日常の風景だ。家に帰るとミルウーダが居て、ゴラグロスがいる。ギュスタヴが居候していることもあるが、今日は居ない。代わりに、見知らぬ少年が居る。
 こいつは誰だ? 
 まだ十歳くらいの大人しそうな茶髪の少年だ。騎士団にこんな純朴そうな少年が居ただろうか……?
「ミルウーダ……この子は誰だ」
「ゴラグロスに聞いて」
 妹はそっぽを向いている。どうやら相当機嫌が悪いようだ。
「……ゴラグロス、説明を頼む」
「ああ…ギュスタヴが……」
 ゴラグロスは事の次第をかいつまんで話した。
「つまり、金欲しさにどこかの貴族の御曹子を誘拐してきたと」
 ウィーグラフはゴラグロスを睨みつけた。「面倒なことを起こすな」
「俺じゃない! ギュスタヴの独断だ! あいつが俺の言うことなんか聞くものか」
「まあ、そうだろうな……」
 ウィーグラフはため息をついた。「ギュスタヴめ。厄介なことをしてくれたな。騎士の名誉にかけて、身の代金など要求できるか。むしろこちらが謝罪にいかねば……謝罪金として法外額を請求されたらどうするのだ」
「兄さんは甘いわ。相手が貴族だからって下手に出る必要はないわ」
 ウィーグラフは妹の忠告を無視した。わが妹・ミルウーダは騎士団の中では少々……いや、かなり過激な性格だ。ギュスタヴは副団長に置いてはいるが、騎士としてというより人としても論外の人間だ。次から次へとトラブルを持ち込んでくる。
 騎士団をまとめるのも一苦労だ。
「それで、坊やはどこの家の者だ? どこから来た?」
「はい、僕はイズルード・ティンジェルと言います」
 礼儀正しい少年だ。ギュスタヴに見習わせたいくらいの真面目さだ。
「父は神殿騎士団の騎士団長です」
「神殿騎士団……ミュロンドか。教会領から子供をかどわしてくるとはギュスタヴも罰当たりな」
 ミュロンドの神殿騎士団のヴォルマルフ・ティンジェル。ウィーグラフでさえ名前を知っている名高い騎士だ。ひどく短気で交渉ごとには応じない性格とも聞く。
 ウィーグラフは気が重くなった。どうやって穏便にこの子を返そうか。

「イズルード……どこへ行ってしまったのだ……」
 ちょっと目を離した隙に息子とはぐれてしまったヴォルマルフは慌てふためいていた。すると、そこへ金髪の青年がイズルードを連れて表れたのであった。
「イズルード! 迷子になったのかと探し回ったぞ。どこにいたんだ」
「うん、知らないお兄さんに声を掛けられて」
「知らない人についていっては駄目だとあれほど言っただろう」
「でも、その人は騎士と名乗ってたよ。父さんみたいに立派な騎士かもしれない」
 息子の純朴さよ。ヴォルマルフはイズルードと再開できて安堵したが、同時に不安にもなった。人を疑うことを知らないこの子にいったいどうやって教えればよいのだろうか。騎士の全てが高潔な人間ではないと。その一例がこの私なのだが……。
「どうやら私の騎士団のメンバーがとんだ迷惑を掛けたようです。私は骸騎士団の長としてその件の謝罪にきました」
「おお、貴殿が噂のフォルズ殿か」
 ヴォルマルフは喜んだ。探す手間が省けた。この青年が聖石が選んだ噂の人間だ。どうやって勧誘しようか。
「それで……サー・ヴォルマルフ・ティンジェル、いかほど、お支払いすれば……」
「なんの話だ?」
「ご子息をトラブルに巻き込んでしまった謝罪金です。私としても神殿騎士団を敵にまわすつもりはありませんので。ここは一つ、どうか穏便にお願いしたいものです」
「金など受け取れない。いや、だが欲しいものはある……私は貴殿の身体がどうしても欲しいのだ」
 骸騎士団の団長ウィーグラフ・フォルズは困惑の表情を浮かべた。
「い、いや……決していかがわしい意味ではないぞ! ち、違うのだ……私は……貴殿にどうしても一目会いたいと思いはるばるミュロンドからやってきたのだ。どうだ、私と一緒にミュロンドで暮らす気はないか?」
 さすがに聖石と契約してその身体を捧げて欲しい、とは言えない。ヴォルマルフは念入りに言葉を選んで遠回しに勧誘をした……つもりが気色悪いことになってしまった。ウィーグラフはさっぱり意味が分からない、といった様子である。
「たとえ教会の要請であってもお断りします。私たち骸騎士団はどこの権力にもまつろわぬ身。私の身体も精神も私のもの。誰に捧げるつもりもありませぬ」
 そう言い残すとウィーグラフはさっと背中を向けて去って行った。イズルードをヴォルマルフの手に引き渡して。
 勧誘は失敗だ。ヴォルマルフはこういう交渉事は苦手だった。まあ、仕方ない。こういう仕事は副団長に任せるに限る。
「父上、あの方は……すごい騎士だと思います」
 イズルードが去りゆくウィーグラフの背中を目で追っていた。
「ああ、そうだな。イズルード……おまえもいつか、彼のような気高い騎士になるのだろうな」
 いずれ、子は父の背中を超えていくのだ。それが自然の摂理だ。その時が来た時……彼は父のことをどんな目で見るのだろうか。神殿騎士団の騎士団長ヴォルマルフ・ティンジェルのことを。
「父上、でも僕は父上のような騎士になりたいと思います」
「そうか……そう言ってもらえるのは嬉しい。だが、息子よ、いつか私の背中を超えていけ――父を倒し、その先へ進むのだ」
「父上……?」
「いつか分かる時がくるさ――さあ、メリアドールにお土産を買って帰ろう」
 いつか来るその時まで――その時までは家族三人で楽しく幸せに暮らすのだ。

     

  

2017.08.26

     

  

誇りを失った騎士:第四幕

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誇りを失った騎士

  

 

第四幕

  

 

 第一場 リオファネス城。地下牢。
 牢獄。部屋は木製の壁で狭く仕切られている。扉には鍵が掛かっている。イズルードが床に伏している。ラファが食事を持って登場。

イズルード< (独白)真っ暗だ――真っ暗で何も見えない――(聖石を取り出して)人は弱いからこそ神にすがるというが――クリスタルの輝きを以てしても何も見えない。まるで己の未来を暗示しているかのようだ。いっそこの暗闇の中で果ててしまいたい。光の中に戻れはしまい。(隠し持っていた短剣を取り出し)このまま死んでしまおうか――いや、恐ろしすぎる。怖い――オレにはとても出来ない――(短剣を放り出す)   (ラファが食事を持ってイズルードを訪ねる。扉の鍵を開ける音。イズルード、慌てて聖石を上着に隠す) ラファ 随分やつれているわね。何か食べたら。(イズルードをいたわって)兄さんがひどく撲ったのね? 可哀想に。
イズルード (返答なし。食事にも手を付けない)
ラファ いらないの? 別に毒を仕込んで殺そうなんて思ってないわよ。安心して。何か食べないと身体が保たないわ。
イズルード いっそ君がこの場で毒を仕込んでくれたなら!
ラファ ひどく憔悴しているようね。(間)――毒――なんですって!
イズルード ご覧、ここは全くの暗闇だ。誰かを葬り去るのにはうってつけの場所だ。捕虜を一人始末することくらい、君には容易いだろう? そうすれば、人質になったオレが大公の前に出ることもなく、父を困らせることもない。オレもこれ以上絶望に塞がれることもない。誰もかもが幸せだ。
ラファ (怒って)ひどい人! ひどい人! 私たちを何だと思っているの! そう、私達は暗殺者。誰かの命を奪い、それを生業に暮らしている――だけどこんな生活、私が望んだわけじゃない! 大公に村を焼かれ、親を殺され、望みもしない生活を与えられ――なのにあなたはそんな私に、人を殺せと言うのね。あなたは修道院で一体何人斬った! 聖石強奪のために、僧侶や学者を斬り捨ててきたのでしょう! なのに、此の期に及んで尚、自分の手を汚すことすら厭い、私にこの手を汚せと言うのね。他人の尊厳を踏みにじって!
イズルード すまない、すまない。君を傷つけるつもりはなかったんだ――(謝る)
ラファ あなたをそこまで絶望に陥らせるものは一体何? 私達に聖石を奪われたこと? それとも捕虜になってゾディアックブレイブの誇りを失ったこと? そんなものに命を懸ける程の価値があるのかしら。
イズルード 違う、オレが惨めなのはそこじゃないんだ。オレも君も同じ籠の鳥だ。まやかしの現実しか知らなかった。誇りを持っていたゾディアックブレイブも――ただ教会の威光を上げるためだけに作り上げられたまやかしだ。その実態など何もない。他人の聖石を奪い上げて得なければいけない、そんなまかやしの称号への誇りなどとうに失ってしまった――オレは教会への離反を決めた。もう教会のために剣は持つまいと心に決めた。だけど、ミュロンドには父がいる、姉がいる――家族を見捨てて、一人で逃げるわけにはいかないんだ。姉さんはきっと今でも、オレの帰りをたった一人で待っている――そう、オレが惨めなのは、騎士としての誇りを失ったからじゃない。そんなものは初めからなかったんだ。だけど――だけど――オレは教会を離れては生きていけない。何より信仰が全てだったんだ。しかし何を信ずべきかもはや分からなくなってしまった――(間)――君は絶望という言葉を知っているか?
ラファ (独白)この人大丈夫かしら。何を話しているのはさっぱり分からないわ。そうとう気が滅入っているようだわ。
イズルード (続けて)それは、神に見棄てられ、一切の望みを絶たれることだ。後にも先にも暗闇しか残らない。憩いなき永遠の夜――(間)――神に見棄てられ、だって!? オレは一体何を口走っているのだ。神を見棄てようとしたのはオレの方ではないのか! 教会が権力に腐心し、民の信仰心を利用しているというのに、オレはそれを知っていて、何もしようとしない! あまつさえ、そのまま逃げ出そうとすらした。神の創造たるこの命すら自ら投げ出そうとしている、なのに今でも都合良く神にすがろうとしている――そうだ、ゾディアックブレイブなど最初からおとぎ話で、何も信ずべきものなど何もなかったのだと思えば、もはや怖れるものなど何もない――! (短剣を再び取る)
ラファ (独白)可哀想に、この人はすっかり混乱しているわ。(イズルードに)気を確かに!
イズルード 絶望に身を委ね己が剣で恐怖心を切り裂く――

  (イズルード、ひと思いに短剣で首筋を斬りつける。そのまま倒れ伏す)

ラファ 大変――誰か――! (慌てて退場)

  (扉の鍵は開け放たれたまま。イズルードの呻き声。)

  

 

  第二場 前場に同じ。
  イズルード、ウィーグラフ。

  (ウィーグラフ、地下牢で血を流して倒れているイズルードを見つけ、慌てて駆け寄る)

ウィーグラフ (介抱して)どうしたんだ! 一体何があった――血がこんなにも――あのカミュジャの奴らにやられたのか! (イズルードが握ったままの短剣を見つける)――そうか、自分でやったのか――しかしなんということだ! なんというむごいことだ! こんなにも冷たくなって――どうにかして――助けてやりたいが――

  (ウィーグラフ、イズルードを抱き寄せたまますすり泣く。しばらくの間。)

ウィーグラフ そうだ、聖石! 私は聖石を持っている! そして幸いなことに私はその秘められた力を知っている。あのクリスタルには死者の魂を呼び戻す力が宿っているのだ。私はその奇跡をしかとこの目で見た――ほんの数日前に、修道院でその奇跡を目の当たりにしたばかりだ! 私は知っている。その恐ろしい力を――だが、イズルード、お前はそんな心配をしなくていい。私が聖石に祈る――こんな言葉は使いたくないが他に思いつかない――のだから。(イズルードを抱きしめて)死ぬのはさぞ怖かったことだろう。私はその恐怖が分かるぞ――真面目なおまえのことだ、捕虜になるなとの命令に従ったのか? 騎士として誇り高くあるために師を選んだのか? ああ、答えてくれ――イズルード! お前はこんな暗闇の中で、誰に看取られることなく、一人で死んではいけない――! そんなことは私がさせるものか――!

  (ウィーグラフ、白羊宮のクリスタルを取り出し、一心に祈りを捧げる。しばらくの間。ウィーグラフの持つクリスタルがイズルードの顔を照らし出す。)

ウィーグラフ (イズルードを見つめながら)きれいな寝顔だ、安らかな、いい顔だ――おまえは美しい。お前に比べてこの私のなんと醜いことか。かつて骸騎士団にいた頃、私は理想を持った騎士だった。その実現に燃える騎士だった。だが、その理想を守るため、思想を守るため、私は幾人もの仲間をこの手に掛け、粛清してきた。そこまでしても、この理想には守るべき価値があると思っていたのだ。だが、理想の実現のためには権力が必要だと気付いてしまったのだ。しかし、その権力を――ゾディアックブレイブの称号を――保持するために、私は、修道院で幾人もの修道士を斬り捨ててきた。そうまでして手に入れたのが、お前に託した処女宮のクリスタルだ。お前はきっと純粋に教会の信仰を守るために任務を果たしたのだろう。一方で、同じ任務を果たしながら、私は己の保身だけを考えていた――聖石を持ち帰らねば、私はミュロンドを追い出される、そうなれば、もう私に未来などない。そうするしかなかったのだ。ただ理想を求めていただけなのに、欲望は際限なく積み上げられ、もう後戻りなど出来ない。今になれば、本当に私が欲していたものなど何も分からない。ただ雲上の楼閣のような人生だった。何かを望めば血が流れる――そんな人生を歩んできた私に比べて、お前は美しい――

  (間。イズルードは身じろぎせずその場に倒れたまま動かない)

ウィーグラフ イズルード、お前だけは私のことを理想に燃えた高潔な騎士として見ていてくれた。お前だけだ! ベオルブの若造が修道院で私に向けた、あの蔑みと哀れみの視線――私は堪えられなかった――皆、私をそうやって見るのだ。イズルード! お前だけが私を誇り高き騎士として見ていてくれた! それがどんなに嬉しかったことか! お前の中で私は、修道院で志し半ばで倒れ、戦友にその遺志を託した――その姿のままなのだろう。どうか、その後で私におこった悲劇など知らないでくれ! 私がこうやって、生きて、リオファネス城に居ることなど、あってはならないことなのだから!

  (ウィーグラフ、その場を去ろうとするも、イズルードの様子が気になり振り返る)

ウィーグラフ 私は二度死ぬはずだった。骸旅団の騎士として死ぬはずだった。ミュロンドの騎士として死ぬはずだった。しかし私はこうして生きている。実現するはずだった理想を手放し、ミルウーダの仇も取らずに、こうして生きている。誇りを失った哀れな騎士だ。次に死ぬ時は、騎士ですらなく、人ですらなく、悪魔に魂を売り渡したなれの果てとして逝くのだろう――私もあのベオルブの若造に――ミルウーダの仇に――引導を渡されるか。
イズルード うう――
ウィーグラフ イズルード! ああ、だが私の姿を見ないでくれ――(去りかける)――だが、もし、この哀れな騎士の姿を見ることがあるならば――何も言わずに、どうか一滴の涙を注いでくれ――こうして憐憫の情を寄せられ、理想なき教会の犬と蔑まれることはあっても、この誇りを失った騎士の為に泣いてくれる人は誰もいないのだから――(立ち去る)
イズルード (目を覚ます)ああ、ここは――(辺りを見回す)――ウィーグラフの声を聞いた気がする。だからオレはてっきり彼の国へ渡ったものかと――だけど、ここはリオファネス城じゃないか! オレは確かにこの手で、この短剣で命を絶ったものだと思っていたのに、どうした訳だか、傷一つ残らない! あの流した血の感触は覚えているというのに――どうして、オレは生きているのか。――そうか、これが聖石の力か。なんということだ! 信仰を捨て去ろうとしていた、この己に奇跡が起きるとは! これこそ聖石の秘密! 偉大なるかな神の御業! 神の存在とは、まことに、己の力の及びえざる場所に在るものだな――(跪く)

  

 

  第三場 リオファネス城。
  指定なし。ウィーグラフ、バルク。二人、すれ違う。

バルク こんなところで会うとはな。
ウィーグラフ (バルクをちらりと見、そのまますれ違う)
バルク 修道院で戦死したと聞いたが。
ウィーグラフ (立ち止まる)戦地から辛くも生還した戦友にかける言葉は他にないのか。
バルク 祝って欲しいのか。喜んで欲しいのか。アンタは随分すさんだ目つきをしている。とても祝辞を述べられる雰囲気ではない。それに――アンタはオレの事が嫌いだっただろう。
ウィーグラフ (睨み付ける)
バルク オレだってだてに長いこと生きちゃいない。酸いも甘いも噛み分けてきたのさ。人の目を見ればだいたいそいつの本性は分かる。どんなに取り繕っても、その眼差しだけは偽れないんだよ。
ウィーグラフ お前の慧眼もそこまでだな。私は別段、お前を好いているように取り繕ってもない。ありのままの物事をさも分析しがいがあるように述べ散らかすのは阿呆のやることだ――
バルク そうだ、アンタはいつだってそうやって自分を高みに置いて人を見下してきたんだ。少なくとも自分は騎士だった。守るべき誇りがあった。果たすべき忠誠があった。理想を奉じて生きてきた。それに比べてオレたちみたいな活動家は、目先の利益だけを追い求める思想なき人間どもだ。一緒にされてたまるか――と、隠すことなく思っているのだろう。アンタはオレの事が嫌いだっただろう――今も、最も軽蔑すべき存在だと思っているんだろう?
ウィーグラフ 前言を撤回しよう。たいした慧眼だ。お前は歴史学者にでもなっていれば良かったものを。
バルク それは賛辞と受けとっておこう。アンタはいつでもお高くとまった英雄気取りだった。今でも、己を堕ちた英雄とでも思っているのだろう。だからそんなすさんだ目をしているんだ。だが、よく周りを見回すことだ。民衆を率いて鴎国と戦った指導者? 骸騎士団? 奴らはせいぜい盗賊崩れか、浮浪者まがいのゴロツキかだったじゃねえか。そんなところに騎士団なんて名前を付けるのが間違いだったんだ。名は体を表す。本性に反する名前を与えられた者は悲劇だ。見ろ、アンタのかつての仲間たちは戦争の終わりを待たずして離散していった。アンタはそいつらの尻ぬぐい。誰も手を貸さない。民衆がアンタのことを、農村から立ち上がった雄々しきリーダーとでも思ってると? よく見ろ! 目を開けてよく見るんだ! 誰もそんなこと思っちゃいない。思い上がりも甚だしいぞ。
ウィーグラフ 私は己を英雄だと思ったことはない。ただ惨めな人生だったと回顧するばかりだ。
バルク 英雄として高みに立った経験を知っているから、堕ちた惨めさがあるのだ。高みにいるなどと思わない方が幸せだっただろう。あんたは騎士になどならない方が幸せだった。そうすれば誇りを失った騎士だと、惨めに思うことはなかっただろうに。オレは誰かの上に立った覚えなど一切――金輪際――ないからな、幸せになることも、惨めにうちひしがれる事もなかった。アンタは自分が惨めだと泣いているが、その悲劇は全て己が引き起こしたことだとまだ分かっていないんだな。アンタがオレを見下すその高尚な理想とやらが、悲劇の引き金になっているのさ! (息巻く)アンタたちが英雄としてミュロンドに迎えられている頃、オレたちは裏で苦労していたんだ。オレたちはオレたちのやり方であの団長に仕えてきた! 誰に喜ばれることもなく、誰に褒められることもなく――
ウィーグラフ そうか、お前も英雄になりたかったんだな。一度で良いから誰かの上に立ち、称賛と喝采とを一心に集めたかったんだな。
バルク (怒る)そんなことは言っていない!
ウィーグラフ ならば、その苦労もじきに終わるぞ。私は貧乏神だった。行く先々で疫病を振りまいてきた。私の居たところは、どこも三年と待たずに崩壊の道を辿った。故郷も、家族も、仲間も、もう皆死んだ。見ろ、この教会もすでに腐敗を極めている。崩壊は近い。お前の苦労もそう長くはない。(独白)――そうだ、私は常に貧しかった。私の精神は常に満たされることがなかった。豊かさとは無縁の生活だった。理想を求める一方、不平不満を不断に抱え、これは私の望んだ道ではなかったと、ただただ己に言い続けてきた。だがそんな不満もじきに終わる――崩壊は近い――(二人退場)

  

 

  第四場 リオファネス城。客間。
  城の大広間。長テーブルが舞台中央に配置され、貴族諸侯が机を囲み歓談をしている。上座に大公。末席にヴォルマルフが控える。エルムドア、イズルード、その他貴族たち。

バリンテン (立ち上がって)諸卿には少々退席を願いたい。私はミュロンドの騎士団長と二人で内談したいことがある。また後ほど宴席に招きましょう。どうぞそれまでは城で、長旅の疲れを癒やし、ゆるりと滞在なされよ。(ヴォルマルフに手を招いて)さ、近くへ。

  (貴族ら、席を立つ)

エルムドア (ヴォルマルフに)ではまた後ほど。
ヴォルマルフ (小声で)そう遠くへは行くでないぞ。またすぐに用が出来ようから。あの間抜け面をした貴族どものように悠々と羽を伸ばされては困るのだ。
エルムドア 御意。勿論、近くに控えておりますぞ。それに私は伸ばすほどの羽を持っておりません。それはさておき、貴方のことだ、私の必要などないでしょう。貴方に比べれば私は蠅のごとき存在。獅子の狩った獲物の上に耳障りな羽音をまき散らし、徘徊するくらいしか出来ませぬ。
バリンテン 侯爵、どうしたのだ。具合でも悪いか。
エルムドア いいえ。私はこれから城を見学させてもらいますよ。我がランベリーの白亜城に比べてここは、いささか――無骨で――逆に見ていて飽きませんね。いや実に目新しいものだ。(退場)
バリンテン 私はランベリーに行ったことはないが、あそこの城が白く輝いているというのは真か。
ヴォルマルフ 湖――といっても先の戦争で、毒沼となった湖ばかりですが――に映える城であるのは確かです。
バリンテン だが、いくら見た目を着飾っても、実利が伴わなければその価値は半減だ。いや、半減どころではない、死滅だ。いくら白亜城と讃えられても、あの戦争で真っ先に落とされたのは、侯爵の城であったな? 戦略は歴史から学ぶもの。過去の戦いを振り返る者こそ、次なる戦場で勝利を勝ち得るのだ。さあ、騎士殿、侯爵はここから何を学ぶべきであったと思うか?
ヴォルマルフ ランベリーの東天騎士団が使いようもない屑連中であったこと。侯爵はまず、奴らを教育し直すべきですな。陥落したランベリーを救ったのがベオルブの将軍率いるガリオンヌの北天騎士団だったというのは、未来永劫笑い話になりましょう。おかげで東騎士団など、噂話にものぼらない始末。今となっては誰がその存在を知りましょうか。
バリンテン そうだ、全くその通りだ。城は堅固であればある程良い。何故なら、敵に攻められぬからだ。軍事力はあれば有る程良い。何故なら、敵を攻められるからだ。こそこそ私のモットーだ。これは我が家の家訓でもあるのだよ。私が武器王と讃えられる所以だ。
ヴォルマルフ しかし、わざわざ騎士団ではなく、異国の魔道士集団を育て上げるとは、たいした忍耐ですな。騎士団を抱える方がよっぽど手が掛からないでしょうに。私は異教の者どもを教育して暗殺者に仕立て上げるなど、まったく無理な話。公の忍耐は美談として語られるべきですなあ。流石は次期国王と噂されるお方。武器王などという粗野の称号は今すぐに返上するべきです。
バリンテン 勿論、私が武器――王――という浮き名を流しているのには訳あってのこと。私は誰より、あの公式礼装だけ立派な、軽佻浮薄だった王を憂いて畏国の未来を慮っています。大きな威厳と権威を持ちながら、何一つ指図しようとしなかったあの愚王――おっと失礼――国王陛下が為した事と言えば混乱だけだ。痴王――陛下がするべきだった事はただ一つ、後継者を育てれば良かったのだ。ところが、世継ぎを育てる前に王妃が王座を乗っ取った。なんという事態だ。おかげで王宮の御前で獅子らが三つどもえの争いを繰り広げているこの惨事。哀れなのは餓える国民だけ。あの獅子らに王座を渡してはならない。
ヴォルマルフ これはたいそうな憂国論をお持ちで。さぞや立派な賢王になることでしょう。。
バリンテン これは戦乱からの民の救済を掲げて、ゾディアックブレイブを結成した教会の意志とも合致するはず。そうでしょうな――?
ヴォルマルフ (笑う)――救済? ハハハ――いや、全くその通りだ!
バリンテン 同じ目的を持ち、同じ理想を掲げるのならば、同じ道を歩むのは当然という道理がありますな。――騎士殿、わざわざ我が城まで来て貰ったのには訳がある。我々と手を結びましょう。
ヴォルマルフ (笑う)これはこれは。既に畏国最強と言われる軍事力を持った武器王が我が貧しき騎士団に同盟を持ちかけるなど、どう考えても釣り合いませぬ。
バリンテン いいや、畏国最強の軍事力を持っているのは我々ではありません。それは間違いなく貴方たちだ。神殿騎士団だ。何故なら――あなた方は聖石を随分と持っていらっしゃる。
ヴォルマルフ 聖石! 貴公はおもしろい事をおっしゃる。聖石の奇跡を欲するとは余程信仰に篤い方だ。むしろ逆に我がミュロンドの騎士団にお招きしたいところですな。しかし、あれはただのクリスタルです。実際、ただの石です。剣ならば人を刺し殺せますが、投石如きで一体どうやって人を殺せましょう。我々が聖石を集めるのは教会の威信のためです。軍事力のためではありません。
バリンテン (ほくそ笑んで)――ほう、ならば枢機卿の死をどうお考えで?
ヴォルマルフ 病死だったと。
バリンテン そうですか、あくまでしらを切り通すおつもりですか。いいでしょう。私も言質を操る議論戦闘はあまり好みませんので――ですが、聖石が貴方がたにとって大切な神器であるのは事実だ。さらに事実をお伝えしましょう。我々は聖石を預かっています。タウロスとスコーピオは我が手中にあります――
ヴォルマルフ ハハ、おかしなことを――それは我々騎士団が欲していたクリスタルではありませぬ。
バリンテン (呼ぶ)マラーク!

  (マラーク、イズルードを連れて登場)

イズルード 父上――!

  (マラーク、バリンテンにタウロスとスコーピオを手渡す)

バリンテン (マラークに)ご苦労であった。あとで褒美を取らそう。(笑いながら)たっぷりとな――もちろん、妹御にもな。楽しみにしておきなさい。

  (マラーク退場)

ヴォルマルフ この愚か者め! (イズルードを平手打ち)
イズルード 申し訳ありません――
バリンテン どうです、この聖石をご覧下さい――(タウロスとスコーピオを見せる)
イズルード どうぞこの聖石を――(ヴァルゴをヴォルマルフに手渡す)
ヴォルマルフ 我々を見くびるなよ、バリンテン。(ヴァルゴを見せる)どうやら、我が息子の方が優秀であったようだ。次なる王座を狙う貴公のこと。まさか、たかが二つの聖石を手にいれただけで我々を御せるとお思いかな? 我がゾディアックブレイブは各々が聖石を持っている――このイズルードも――加えてこのヴァルゴ。貴公の目が節穴でなければ、我々が幾つ聖石を持っているかお分かりであろう。そして貴公はたった二つ――聖石が軍事力に代わる力を持っているのは貴公もご承知のこと。
バリンテン 私を脅そうというのか。無謀なことはおやめなさい。このタウロスとスコーピオがどうなっても良いのですか。
ヴォルマルフ 脅迫などしておりませぬ。私は事実を述べているまでのこと。タウロス? スコーピオ? それは異端者が所持していたただの石だ。我が教会の物ではない。貴公がそのまま所持なさると良い。何故私が、そんな物のために貴公に組みすると? その石をここで叩き割っても一向に私は困りませぬ。
イズルード そのクリスタルはアルマ嬢から信頼の証にと預かりました――
ヴォルマルフ この愚か者が! (イズルードを平手打ち)いつ異端者風情と信頼を結ぶ程になったのだ。お前は、あの娘にそそのかされて剣を棄てたと聞いたが? よく私の前に平然と戻ってこれたな。騎士の誇りを忘れたか。
イズルード 申し訳ありません――確かにオ――私は一度剣を棄てました。それは宥されることではないと存じます。けれど、彼女は――アルマ嬢は決して忌むべき異端者ではありません。彼女は正しい思想を持った人です。かつて私は貴族は搾取するばかりで何らの価値を持ち得ない腐った豚であると信じてきました。けれど、彼女らもまた誰かに虐げられて生きてきた人間たちです。現実を見もせず、彼女らを家畜と呼んできた自分の浅ましさを知りました。自分を傲ることなく、謙虚に生きることの尊さを知りました。
バリンテン (ヴォルマルフに)先ほどから貴下は聖石をただの石だとか、これは少々暴言がすぎますな。仮にも、信仰を奉ずるミュロンドの騎士団の総長の言葉とはとても思えませぬ。そして何より大公の御前に控えているということを忘れておられるようだ。私は優れた暗殺者たちを育てている。くれぐれも、これ以上傲慢にならぬよう助言を差し上げよう。謙虚になりなされ。
イズルード (続けて)そして、彼女は私に一つの道を示しました。それは教会の真の姿です。この戦乱の裏で手を引くのが猊下であると――我々神殿騎士団は、その片棒を担っているだけだと、彼女に言われたのです。父上、私はヴォルゴを持って参りました。教会のために貢献したかったのです。けれど、その聖石のためにはおびただしい血が流れました。同じグレバドス教徒の血です! こんなことは――あってはならないと――父上、お父上、どうか分かってください。私が剣を棄てようとしたのは、そのような神殿騎士の姿に絶望してしまったからです――
ヴォルマルフ (バリンテンに)傲慢! 私が傲慢だと言ったな! 貴様はゼルテニア領を統べるだけでは物足りずに王座を欲している。さらに我が騎士団の力をも得ようとしている。だが、私はその聖石を手放すと言っているのだ。どちらが傲慢だ。貴公の方が強欲ではないのか。
イズルード (続けて)――絶望! それは全くの暗闇です。私は道を失いました。全てを棄て、信仰をも投げ出そうとしていた時、奇跡が起こったのです。私はこの目で聖石の奇跡を見ました。この身体を持って知ったのです! 私の魂を救ったのは、この聖石に宿る計り得ざる神の御業です――
バリンテン (ヴォルマルフに)何を馬鹿なことを。領主が権力を求めるのは、統治者としてまったく必要なことです。戎井を着ることもなく、王杓を持とうともしなかったあの国王のせいでイヴァリースは荒れ果てている。統治者にはそれ相応の権力がなければ、困窮するのは民だ! そして貴殿は騎士だ。騎士は統治者に仕える者だ。身相応の振る舞いを心がけるように――特にあなたは、信仰の衣を着た貧しき騎士なのだから、我々のために戦い、あとはただ祈りの言葉を唱えていれば良いのだ。信仰に立ち戻られよ。
イズルード (続けて)私は信仰に立ち戻ることが出来ました。もう私は迷いません。正しい――神殿騎士として生きるべきだと確信しました。アジョラの御名にかけて――二度とこの剣を離さないと誓います。教会の腐心から信仰を守るべきです。神殿騎士団がこのまま権力行使のための浅ましい犬になり果てていくことに私は堪えられません。教会の犬としてではなく、神の僕として誇りを持って生きるべきだと悟ったのです。神殿騎士として、真に正しき道を示すために私は再び剣を持ちました。ですから――父上――どうか、その処女宮のクリスタルは元の修道院に謝罪と共にお返しください。同じグレバドス教徒たちの間でこれ以上血が流れるのを私は望みません。
ヴォルマルフ (バリンテンに)とうとう本性を現したな。貴様は愚王にもなれぬ。たかが人間如きが権力を求めようなどと思わぬことだ。貴様はうぬぼれているようだな、バリンテン。私が望んでいるのは血を流すことだ。貴様を始末することなど容易いぞ――(聖石レオを取り出す)
バリンテン おやめなさい――
イズルード 父上――?
ヴォルマルフ (イズルードに)確か、おまえは聖石の秘密を知ったと言ったな。
イズルード はい――聖石のおかげで私は死の淵から蘇ることが――出来――父上――?
ヴォルマルフ ならば気兼ねする必要はあるまいな――(咆哮)
バリンテン おやめなさい――(慌てて退場)

  (暗転)

  

 

  第五場 リオファネス城。
  指定なし。エルムドア、クレティアン、ローファル。

エルムドア (辺りを見回して)ほうほう、これはなかなか良い作りだ。難攻不落の城と言うだけあって見応えがある。(思い出しながら)特に屋上のから見える尖塔は素晴らしかった。実に良い眺めであった。我が城にも取り入れたい。戻ったら建築家を雇い入れよう。――おや、神殿騎士団のドロワ殿、こんなところでどうなされた。
クレティアン 侯爵が私のことを知っているとは驚きますね。どうも、良いお日柄で。(一礼)
エルムドア 貴方は経歴も人柄も華やかなお方だ。
クレティアン あなたも、銀の貴公子と慕われているとか。華やかな貴公子がこんな城のこんな暗い一角で一体何を。これから大公と晩餐会ではないのですか。
エルムドア ああ、残念ながら晩餐会は中止だ。大公は私がついさっき、屋根から投げ捨ててきた。うさぎを締めるより容易い仕事だった。
クレティアン ご冗談を――それにあの武器王は我が団長自ら首を刎ねる算段だったはずでは。
エルムドア 少々予定が狂いましてね。あの臆病なうさぎは彼の獲物には物足りないだろう。今頃は我が僕たちが後始末をしているだろう。私の僕たちはずいぶんと優秀でね、軽やかに絹をまとい、蝶が舞うより早くに仕留めるのだ。鋭い短剣を腰に仕込み、熱きベーゼで息の根を止める。ただ辺りを血の海に沈めるだけの凡人とは違う。暗殺は一つの芸術だ。逝かせる者を魅了させるのが最低限のマナーだ――そう思わないかね? 手がすることは、目も楽しまなくてはならんだろう。その点で我が僕たちは至極有能だ。いつか貴公にも紹介しよう。
クレティアン それは結構なことで、しかし私はあいにく女人の舞には興味がありませんので――
エルムドア おや、これは奇特な方だ。眉目秀麗な仕手はお嫌いか。時に貴方もこんなとこで暇をもてあましている場合ではあるまい。今頃はわが君が広間で一暴れしている頃だろう。私もこれから見にいくところだが、さぞや壮観だろう。
クレティアン 随分と血が流れた模様。衛兵どもも誰がこの騒ぎを起こしたかさっぱり見当もつかず、敵を仲間に斬らせ、仲間を敵と斬り、もはや手の付けようのない事態。皆、口を開けば人殺し、慈悲を、逃げろ、血が、死体が、化け物が、と怒声と叫び声だけ。生憎、私はうるさい場所を好みませんのでね――この騒乱が落ち着くまで引っ込んでいることにします。
エルムドア 俗世の汚れに卒倒したか。
クレティアン そんなことで気を失うほど私も若くはありませんので――為政者と、それに組みする者どもの手が血にまみれている事はとうに知っている。しかし、かつても私は若い頃があった。士官学校に居た頃――あの頃は、私も政治を志す若き理想家だったのだ――ザルバッグ将軍に誘われ、北天騎士団に身を委ねるつもりだったのだ。しかし、現実はむごたらしい。あの天騎士の称号を戴いたベオルブの名前などとうに朽ち果てていた! 私はダイスダーグ卿が――浅ましくも――――をしている様を見た時、すぐさまこの身を翻してガリオンヌを去った。なるほど卿は狡猾な策士だ。洞察力がある。指導者としての器もある。言葉巧みに操り、貴賤への影響力もある。卿がいなければラーグ公もここまで世を渡れなかっただろう。だかしかし不純だ。たった一つの染みは他の全ての栄誉を汚す。良心あるのはザルバッグ将軍だけだった。
エルムドア それで、純粋な将軍をガリオンヌの掃きだめの中に残し、将軍を支えるはずだった良き参謀は一人でミュロンドへ逃げてきたというわけか。
クレティアン 申し開きは神の前だけで充分。私の本心は誰にも打ち明ける気はありませぬ。政治の汚濁に私はとうてい耐えられない。そんな厭わしき生活はいっかな承知できまい。ならば、ミュロンドへ来れば、世俗の尺度ではない、信仰の尺度によった生活が出来ると信じていたのだ。――私はなんと愚かな若者だったのだろうか! この地上の世界に理想を求めるとは! 永遠不変の理想のイデアはただ神の国にのみ実在する!
エルムドア 所詮、教会も地上の組織だ――この地の上に存在する限り、野心と権力とにまみれた政治の渦中にあるのだよ。ようやく悟りましたか、青年よ? 北天騎士団も、神殿騎士団も衣が違うだけで、その服を着るのは同じ人間どもだ。我々のやり方に肯んぜないのなら、まだあの将軍の後ろに控えていた方が心穏やかであったろう。今からでも遅くないぞ、我々に手を貸す気がないのなら、ガリオンヌへ去ったらどうだ。
クレティアン この世に善悪をもたらすのは神の業。この世の善悪を判断するのは人の業。私も人ならば、善し悪しを判断するのは控えましょう。どうして私の選択が間違っていたと? それを判断するのは神の領域だ。世俗の権力者の間で、利用し利用される汲々とした暮らしに身を投げるのは嫌だが、神の膝元にこの身を――命を懸けても――捧げるのは私の望むところだ。私はミュロンドに留まる。
エルムドア そう、信仰のために血を捧げるのは良いことだ――

  (ローファル、登場)

ローファル 侯爵、これはとんだご労足を。(一礼)
エルムドア 何、たいしたことではない。大公は始末した。為すべき事は為した。後は頼んだぞ。(退場)
ローファル (クレティアンに)お前も少しは足を動かしたらどうだ。仕事がないなどとはぬかすなよ。見ろ、手柄を銀髪鬼にまんまとかすめ取られてしまった。あの男は隙が無い。
クレティアン どうせ、誰がうさぎを始末したかなんて誰も見ちゃいないだろ。目撃者は死体だけだ。もしヴォルマルフ様に慈悲の心があるなら話は別だが。ああ、私はすっかり気が滅入った! 一足先にミュロンドに帰らせてもらうぞ。
ローファル 忘れずにバルクも回収してから帰ってくれ。
クレティアン イズルードはどうした。回収しなくていいのか。メリアドールが待ってるのはバルクじゃないだろ。
ローファル ――それは――(言いよどむ)
クレティアン ――私は、今まで、一度も己の選択を誤ったと思ったことはない。全く後悔はしていない。その判断は神のみ知ることだ。しかし、生まれて初めて私は自分が哀れになった――
ローファル ならばプライドを棄てろ、己を棄てろ、そして全てを投げ出せ。さすれば楽になれる。
クレティアン 私がこの身を投げ出してひれ伏すのはただアジョラの前のみ。他は誰であろうと――愚人どもの前に、私は私をくれてやる気は微塵もない! (退場)

  (次いでローファル、無言で退場)

  

 

  第六場 リオファネス城。客間。
  第四場に同じ。イズルードが血を流して壁にもたれている。アルマが駆け寄る。

アルマ 大変! イズルード! (駆け寄って抱き寄せる)
イズルード 君の言ったことは本当だった――(血を吐く)――真っ暗で何も見えないんだ――
アルマ もうしゃべらないで。私が傍にいるわ。
イズルード 剣を――剣を手放してはいけない――オレの剣はどこにある――
アルマ (なだめて)もう戦わなくていいの。あなたはもう何もしなくていいのよ。
イズルード (アルマの声が聞こえず、続けて)剣を――オレこの剣を離すまいと誓った。そして正しい神殿騎士の姿を示さなければならないと。だけど、オレは見てしまったんだ――
アルマ 可哀想に、こんなに怪我をして。震えているわ。無理もないわ。ここであれの姿を見たんでしょう! この血だらけの部屋で! 何もかもが切り裂かれ、踏みにじられているわ。とても人間の所業とは思えない。イズルード、あなたはこの惨状を目の当たりにしたのね――(抱き寄せ、頭を撫でる)
イズルード (続けて)あの姿を!
アルマ (抱きながら)悪魔の姿を!
イズルード (続けて)父親の姿を! 悪魔のような化け物だった――奴を倒さねばイヴァリースは滅んでしまう。信仰を守らなければならない。教会を不正と腐敗から救わなければならない――だかしかし、あれは誰だ、一体誰だ。父親ではない何かだ。そこには血に餓えた獣しかいなかった――だが、その魔が差した眼差しの向こうに――誇りを失った騎士の姿を見た――
アルマ もう戦わなくていいのよ。あの化け物は兄さんがすっかり倒したわ。
イズルード ――オレは剣を揮えなかった――どうしても――何故なら――彼は、誰に赦しを請うこともなく、人知れず涙を――流していたから――オレはとうとう剣を手放した――
アルマ それでいいの。それで良かったのよ。あなたはもう充分立派に戦ったわ。ゆっくり休むといいわ。
イズルード (呼ぶ)アルマ――いつか君がオレに信頼の証として聖石を託してくれたね――(パイシーズを手渡す)――今度は――この聖石を君に――(斃れる)
アルマ (受け取る)いってらっしゃい――永遠の夜の国へ。まぶしい光でなく、穏やかな暗闇が住まう憩いの国へ――(そっとキスをして)いつか私も一緒に行くわ。そして二人で世界の涯を見にいきましょう――(立ち去る)

  

 

[幕]
2015.07.05

  

 

誇りを失った騎士:第一幕

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誇りを失った騎士

  

四幕のドラマ
Inside the Kaleidscope―Seven Knights of Mullonde

  

  

――被造物の外なる神
汝の力の及びえざる所へ行け、
汝の見えざる所で見よ。
何らの音なく何ものも響かざる所で聴け
かくして、汝は神の語りかける場に在るであろう

Angelus Silesius :
Cherubinischer Wandersmann I ,
tr. Matsuyama Yasukuni

  

登場人物
イズルード・ティンジェル ミュロンドの若き騎士
メリアドール その姉、ミュロンドの騎士
ヴォルマルフ その父、ミュロンドの神殿騎士団を統べる長
ウィーグラフ ミュロンドの騎士、元革命家
ローファル ヴォルマルフの部下、ミュロンドの騎士、剣の使い手
クレティアン ヴォルマルフの部下、ミュロンドの騎士、魔法の使い手
バルク ヴォルマルフの部下、ミュロンドの騎士、銃の使い手
アルマ・ベオルブ 名門貴族の長女
ラムザ その兄、家名を捨てた剣士
シモン オーボンヌ修道院院長、神学者
ゲルカニラス・バリンテン フォボハム領領主、武器王[大公]
マラーク・ガルテナーハ 暗殺集団[カミュジャ]の一員、魔道士
ラファ その妹、魔道士

その他、ランベリー領主[侯爵]、従者、貴族など
舞台は獅子戦争中期の畏国、ライオネル・ルザリア・フォボハム領の各都市

  

第一幕

 第一場 ミュロンドの城館。階下の一室。
 夕方。薄暗い部屋。室内に装飾はなく、質素な作り。壁に空けられた明かり窓からうっすらと夕日が差し込む。室内では姉弟が談笑している。イズルードは床に座り、メリアドールが椅子に腰掛けて話し込んでいる。

メリアドール 教皇猊下からゾディアックブレイブに選んでいただけるなんて、それはそれは名誉なことよ。イズルード、どうしてお前はそう素直に喜べないの。
イズルード そりゃ姉さんは嬉しいだろうけれど、だけど――
メリアドール だけど、何? ちゃんとおっしゃいなさいな。何が不満なの。
イズルード 不満だって!? オレだって栄誉ある称号を頂いてこの上なく嬉しい。今にも宙に飛び上って舞いたいくらいだ。人の話を最後まで聞かないで思い込みで話しをするのは姉さんの――
メリアドール まあまあ、姉に向かって説教をするのね!
イズルード またそうやって! オレの話を最後まで聞いてくれよ。誤解されたくないんだ。
メリアドール いいわよ 、聞きましょう、(座り直して)私が思い込みの激しい勘違い女だと誤解されないように。
イズルード (軽く咳払いをして)猊下から、ゾディアックブレイブに選んでいただけたと聞いた時は、正直この耳を疑ったよ。それは本当のことかと従者に何度も、何度も聞き返して煙たがられた程さ。なぜかって、ゾディアックブレイブはアジョラの弟子の称号、生きたまま聖アジョラの弟子の名誉に与れるのだから! 本当に――神に感謝――嬉しいよ。
メリアドール (相槌を打って弟の話に耳を傾けている)
イズルード だけど、一瞬の歓喜のあとでとてつもない不安に襲われたんだ。ミュロンドの勇士たちは民衆の期待と羨望を一身に集める騎士の誉れ。民は教会に諸侯の争いの調停を望んでいる。民衆は勇士らを鳩の翼を持った 和平の使いとはなから信じている。まったく人々はオレたちを聖人か士師を迎えるごとき目で見ている。
メリアドール 良いことでないの。信徒の希望を集めることは猊下もお望みよ。
イズルード オレには荷が重すぎるよ。
メリアドール 謙遜がすぎるわ。この大任に選ばれたことは、我が世に神の国を築くための思し召しだったのかもしれないわ。
イズルード いくら理想があっても、いや、理想ばかりが先走りして、オレにはそれを実現する手立てがないんだ。姉さんには分からないよ。姉さんは、だってもう、その働きが認められて、既に猊下から宝剣セイブザクィーンを戴いているじゃないか。父上やローファルと揃いの物だ。それに姉さんは元々華やかで、社交的で、先輩の騎士たちの間でも毅然と立ち 振る舞いが出来る。そういう人なんだ。ウィーグラフだって! ガリオンヌの指導者で、人々に慕われ、そして彼らを導いてイヴァリースに勝利をもたらした人だ。それに比べてオレには誇れる経歴が何もない! 
メリアドール 確かに謙虚さは騎士の美徳の一つよ。だけど、時には己に矜持を持つことも必要ね。
イズルード 聖石をもらって、称号をもらって、いくら立派に着飾ったといっても、オレはまだ経歴のない若者にすぎない。どんな顔をして人々の前に立って、どんな言葉を話せばいいんだ。父の後ろに立って、所詮は騎士団長の盾持ちと揶揄されるのは嫌だ。
メリアドール 簡単なことよ。背筋を伸ばして、堂々と歩くのよ。飾ることなく、でも慈愛の心を持って話すのよ。ミュロンドの騎士が輝くのは、決してその聖なる神器のためだけじゃないのよ。尊厳とは着飾って与えられるものではない。真に美しく正しい威厳とは、衣の内より輝きあふれるもの。権力を身に帯び、支配のための剣を腰に帯びようとする者は真の騎士とは呼べないわ。たとえ衣でその偽を隠そうとも、おのずとその言葉、その立ち振る舞いに現れるもの。私達ミュロンドの騎士は、清貧と誠実を尊び、信仰を腰に帯び、正義をその身に帯びる者。その不断の努力と鍛錬によって、信頼と尊厳を得たのよ。勇士らは民を導き、指導者となり、ミュロンドの騎士の誉れとなるのよ。恥じることは何一つないわ。
イズルード だからこそ、名誉ある称号だからこそ、しかるべき人に賦与されるべきだとも思ったんだ。
メリアドール ああ駄目よ、だめ! そんなこと考えないで! でもおまえは、いい子ね、やさしい子ね。おまえは私の弟。可愛い私の弟。手を取り合って一緒にこの道を歩いてゆきましょう――一緒に、私たちの務めを果たすのよ。
  
  (メリアドール、イズルードを抱きしめる)

イズルード オレも愛しているよ――。心の許せるたった一人の家族だ。
メリアドール (笑って)それではまるで父の前だと心許せないとでも言いたげね。
イズルード 父は厳しい人だから――
メリアドール ローファルも父と同じくらい厳格だわ。私にはね。
イズルード 思うに、どうしてローファルが聖石をもらわなかったのかを不思議に思うよ。オレみたいな若造に称号を与えるより、彼が聖石を持つ方が威厳があって、よっぽど教会への威信が高まる。
メリアドール おまえだってあと二十年も生きていれば、髭も生えておのずと威厳も出てくるものよ。
イズルード その前に姉さんの方が威厳あふれる恐ろしい女騎士になりそうだ。
メリアドール なんですって?
イズルード 何でもないよ。ただの独り言だ。
メリアドール 独り言は人に聞かれないように小声で話すものよ! (小声で)そうそう、ここだけの話――これは誰にも言っちゃだめよ――ローファルも聖石を持っていたのよ。
イズルード 何だって!?
メリアドール しっ! 静かに! 誰が外で聞いているんだか分からないんだから! ――そう、誰にも公表していないけれど、カプリコーンをローファルは持っていたの。
イズルード どうして公表しない?
メリアドール 公表する前に他の人の手に渡ったからよ。
イズルード 誰に?
メリアドール ダイスダーグ卿。親愛と友和の証に私達の聖石をベオルブ家に贈ったらしいの。(呟く)私には、父と卿がとても友和を結べるとは思えないけれど、父のすることだから、きっと何か考えがあるのでしょうね。

  (夕課を告げる鐘の音が外から聞こえる)

メリアドール (続けて)あら大変、礼拝に遅れてしまうわ。急がないと。さ、一緒に行きましょう。(念を押して)イズルード、今話したことは絶対に他の人に漏らしてはだめよ。(退場)
イズルード (独白)ダイスダーグ卿だって! これは驚いたな! ダイスダーグ・ベオルブ! ベオルブ家の棟梁じゃないか。父は一体何を考えているんだ――(姉の後を追って退場)

  

 第二場 ミュロンドの城館。廊下。
 夕方。天井の低い石造りの廊下。片方は礼拝堂に繋がる。
 イズルード、メリアドール、遅れてクレティアン登場。

メリアドール お前はいつも何をお祈りしているの。
イズルード 友のため、家族のため、兄弟たちのため。彼らの平安と神の国の実現。
メリアドール それは高い志ね。
イズルード 種は蒔かなければ芽が出ない。種には水をやらねば芽が出ない。しかるべきところに蒔かねば芽が出ない。成果を得るにそれ相応の努力は付き物だ。地を耕し、水をやらねば作物は育たないのだから。そして理想の実現は神の加護あってこそ――野の物を育てるのは最終的には神の恩物[光]あってこそ。
メリアドール それでは、しっかりお祈りいたしましょう。

  (クレティアン廊下の反対側より登場)

メリアドール あら、ドロワさま、こんなところでお会いするなんて。ご機嫌よう。
クレティアン おやおや、こんなところで。これから何処へ。
メリアドール 外の鐘の音が聞こえませんか。一日の終わりに、しかるべき方に、しかるべき感謝をするために。
イズルード 夕べのつとめに。
クレティアン それは関心なことだ。常に神への感謝を忘れないのはミュロンドの騎士の美徳の一つだ。
メリアドール それはもちろん、先輩方が常に私たちに手本となる道を示してくださるからです。貴方がたの良き振る舞いがあるからこそ、私たちもこうして道を外れることなく歩いてゆけるのです。
クレティアン やはり、父の背中を見て育っただけあるな。あの団長にしてこの娘。よく父君に似ている。
メリアドール 父は私の最も尊敬する騎士の一人です――もちろん、ヴォドリング師も。この度に私たちをゾディアックブレイブに推薦してくださったのも、ヴォドリング師のとりなしあってのこととお聞きしました。
クレティアン そうだな、存分に感謝したまえよ。
メリアドール 聖石の拝領、光栄の限りです。弟もこのように感謝しております――(弟をうながす)
イズルード (頭を下げる)
メリアドール いくら言葉を費やしても感謝し尽くせませんわ。それに師には剣術のお世話にもなっていますもの。良き師に恵まれ、私も今や剛剣使い。
イズルード 姉の壊した剣は数しれず。姉の壊した鎧は――
メリアドール イズルード! おだまりなさい!
クレティアン ローファルは、それはそれはお前のことを高く評価していたよ。先だっても、さっそくお前たちが猊下に認められたと聞いて我が事のように喜んでいた。私だって、猊下に劣らずお前のことを認めている。
メリアドール まあ、お戯れをおっしゃらないで。王都の秀才と称えられた騎士さまからそんな言葉が出るなんて。一度にそんなにたくさんのお褒めの言葉はいただけません。
クレティアン いいや決して戯言などではないぞ。全て真の言葉だ。それに王都の秀才などと、誰がそんなことを言ったか。所詮はただの噂だ。
メリアドール あら、でも事実でしょう。同じ騎士団の同じ兄弟の仲なのですから、こんなところで謙遜をなさらないで。ガリオンヌの学庭ではさぞ優秀な成績を修めていたとか。気の弱い教授を言い負かしていたとか。
クレティアン 噂は噂。何事も大げさに伝わるというもの。
メリアドール 火のないところに煙は立ちません。
クレティアン (笑う)だがしかし、こんなちっぽけな田舎じみた島までその煙が届くとはまったく驚きだな! メリアドール! 相変わらず口が達者だな!

  (外で鐘の音が響く)

メリアドール そろそろ、私も、礼拝堂で沈黙を守りに行くべきですわ。(立ち去ろうとする)
クレティアン その口から紡ぎだされる美しい言葉を隣で聞きたいと思う騎士連中はさぞ多いことだろう。
メリアドール (立ち止まる、しばし黙って)沈黙に勝る金言はありません。祈りの場で華やいだ言葉など不用の長物。私にはファーラムの一言さえあれば結構ですの。
クレティアン それは至極もったいないことだ。宝石も磨かずば光るまい。
メリアドール この世で輝く宝玉はただ聖石のみ。それは神の器、クリスタルにこそふさわしい言葉です。
クレティアン ならば聖石を携えた騎士はより一層光り輝くものだな。たとえ厚い衣を身に纏い、頭巾を被っても、その輝きは隠せぬもの。夕闇に輝く月のような輝きを内に湛えながらも、それを隠せよとはつくづく神は罪なお方だ。
メリアドール 神に苦言を呈してはいけませんわ。私は神を讃えます。
クレティアン 被造物の賞讃はそのまま神の賞讃に繋がるのだよ。時にメリアドール、Y――から聞いたが、お前は髪を随分伸ばしていると、金の――
メリアドール 私は神を讃えます。女の素顔を覗き見することが許されるのはその伴侶のみ。生涯に伴侶はただ一人――ただ一人だけですわよ。
クレティアン つまり、少なくともその幸運にあずかれる男が一人はいるということだな。
メリアドール つまり、アジョラ様だけです。ファーラム。
クレティアン 御旨のままに、ファーラム。

  (外、再び鐘の音)

クレティアン おっと、時間をとりすぎたな、私はこれで失礼。(足早に退場)
メリアドール (見送って)あら、そちらは礼拝堂とは真逆の方向だわ。礼拝の時間も惜しんで勉強なんて、関心ですわね。(間)――ああ、鬱陶しい人! なんて失礼な男!
イズルード 姉さん、早く行こう。
メリアドール (独白)どうして挨拶の一つもできないのかしら。まるで礼儀がなってないわ。ああ嫌な人! ゾディアックブレイブに任命された事だって、ローファルを見習って、どうしておめでとうの一言でも言えないのかしら。褒めそやされることにしか慣れていないのね。おめでたい人! 何度私に頭を下げさせれば気が済むのよ! 少しは書物から顔を上げて外の景色に気を回しなさい! まるでそれが当然のことだと思ってでもいるんだわ。敬われて当然と振る舞えるその神経が信じられないわ。あんな人が父の傍に控えているなんて、年配者として頭を下げなければいけないなんて! 思い上がりのすぎた人ほど醜い者はないわね。まったく自惚れがすぎるわよ、クレティアン!
イズルード さあ早く――礼拝堂に――
メリアドール (続けて)それに、平然と礼拝をすっぽかすなんて、随分といい度胸ね。いくら騎士の礼拝免除があるといっても、謙虚さが足りない! 少しは弟を見習ったらどうなの。いくら優雅に言葉を取り繕っても行動が伴わなければ意味がないのよ。ああそれに、猊下の御座すミュロンド を田舎じみた島ですって? なんて傲慢な人なんでしょう! さぞ都の豪勢な暮らしに慣れきっているのでしょうね。剣を置いてそのままルザリアに帰ってもいいのよ。あんな男、騎士の風上にも置きたくないわ。私を父の娘扱いして――それは事実だけど――私は私の努力を積んでこの宝剣[セイブザクィーン]を手にしたのよ。着飾り、見せびらかすために聖石をいただいたんじゃないのよ。それにいつも私をティンジェルの娘扱い! 私だって同じミュロンドの騎士なのよ! 失礼にも程があるわ! ああ身体を覆う鉄の鎧があれば――いいわよ、私だって女だもの、美しく着飾って、香水を纏って、存分に女として羽ばたくわ。だけど、私は鉄の鎧をも打ち壊すこの剣をも持っているのよ――ああ身体を覆う鉄の鎧があれば!
イズルード ごねてないで――
メリアドール (続けて)女は男に愛されるのが至高の喜びとでも愚かな男どもは思っているのでしょうね。浅はかな考えだわ。どうして同じ神殿騎士にあんな物言いが出来るのかしら! 父の部下じゃなかったらひっぱたいてやりたいわ。信仰に篤い、アカデミーを首席で出た良い人だと聞いていたのに、がっかりだわ。せいぜい父の後ろにくっついておとなしく言うことを聞いていればいいわ。今度失礼な発言をしたらその時は容赦なく剣を――
イズルード いいから早く!(姉の手をひいて退場)

  

 第三場 聖ミュロンド寺院。前庭。
 外でヒバリが鳴く。朝日が建物の隙間から差し込む。舞台中央に泉。左手が身廊に繋がり、建物奥には祭壇が見える。
 イズルード、ウィーグラフ。

イズルード (興奮して)ウィーグラフ、あれを見たか。
ウィーグラフ 何だ。
イズルード あれだよ、あれ。あの美しい、あれを見た時オレは――
ウィーグラフ おまえの話は具体性に欠けている。分かるように話せ! どうした! (呟く)――さすがは姉弟。 
イズルード あの聖石を! パイシーズ! オレは今さっき、礼拝堂に安置されているあの聖遺物を初めてこの目で見てきた。なんと美しいのだろう。なんと純真な輝きをしているのだろう。
ウィーグラフ そうか、双魚宮――私はてっきりおまえに好い人でも出来たのかと。何なら、その聖石をそのまま抱いて連れて帰ってもよかったのだぞ。もうあれはミュロンドの勇士なるおまえの所有物。いつまでも御堂に飾りあそばすものでもあるまい。
イズルード いや、あれは来歴正しき教会の神器。大事あってはと思うと、そう手軽に身に帯びるわけにもいかない。それにしてもあの妙なる輝き! (恍惚とした表情で)やっとオレはゾディアックブレイブに選ばれたのだと実感できたよ。 
ウィーグラフ (呟く)これはそうとう惚れ込んでいるな。
イズルード (礼拝堂を見上げて)今日も多くの信徒らがあの神器を一目見ようと、その加護にあずかろうと訪ねてきている。教会への信頼と信仰が日ごと夜ごと増していくのを感じるよ。嬉しいことだ。
ウィーグラフ ここの信徒は聖石を見たことがないのか。
イズルード そりゃあ、聖石は神の器だから――常日頃から見られるものではないだろう。違うのか。
ウィーグラフ 私はガリオンヌで腐るほど聖石を見てきた。
イズルード (驚く)なんだって!
ウィーグラフ おまえも知っているだろう。彼の地で疫病が猛威を振るったことは。
イズルード 噂には。
ウィーグラフ あれはひどい疫病だったぞ。ガリオンヌのどこの町でも――私の故郷でも――おそらく同じ光景が繰り広げられていたと私は確信するが、最初はただの流行り病だった。ある日、町で死人が一人出た。次の日には三人出た。村人は悪い風が流行っていると思っていた。その次の日には十人死んだ。やがて村人は恐れだした。これは何かたちの悪い病気だと気付きだした。最初は屍体は丁寧に布でくるんで埋葬されていた。だがやがて屍体も埋葬すらされず、そ こら中に放置されるようになった。何故か? 簡単なことだ。僧侶が逃げ、墓掘り人が死に、誰も死人に構う暇がなくなったからだ。城下町ですら壊滅的だった。況や農村は。(溜息をつく)
イズルード (沈黙)
ウィーグラフ 町から逃げ出す者も居たが、彼らの末路は想像しない方が良いだろう。黒死病が出た町から来た旅人は、別の町の境界をまたぐ前にその場で打ち殺されていた。奴らが病を持ち込み、平和な町を乱すのだと皆信じていたから。
イズルード (沈黙)
ウィーグラフ いつだったか、町を訪れた苦行僧の一団がこういった。これは肉体の病でなく魂の病である。病める身体には薬草を、病める魂には正しき信仰を――と。彼らはあるものを持ってきた。彼らが携え持ってきたのは聖石だった。これに触れよ、さすれば病は疾く癒えん――と。
イズルード  それは本当か!
ウィーグラフ それが擬い物かどうかは私には分からなかった。聖遺物の真贋の判断など地に這うように暮らす人には到底不可能だ。私にはそれが――ただの石に見えた。
イズルード 偽りならばそれは教会の名を騙る不埒な輩! 断じて許してはおけない!
ウィーグラフ まあ、待て。そう急くな。(呟く)――さすがは姉弟。そう、私にはただの石ころに見えたよ。だがしかし、私には、あのアリエスとて、ただの石に見えてしまうのだよ――
イズルード (信じられないといった素振りで)ウィーグラフ――アンタは――
ウィーグラフ ああ、言わなくても分かる。言いたいことは分かるぞ、大丈夫だ。私をあのおぞましい無神論者の輩と一緒にはしてくれるな。私にだって尊きものを敬う畏敬の念はあるさ。いかなる自然物にも神の御業は宿るもの。信仰あらばこそ、奇跡は起きるもの。見たまえ、私がこうして黒死病の渦中から、こうして生還できたのは何故か、それは人の業では与り知れぬこと。――イズルード、この意味が分かるな?
イズルード なべて奇跡は神の業なるもの。
ウィーグラフ そう、そうだ。そういうことだ――神に感謝――ああ、ミルウーダにも。愛しい我が妹よ!
イズルード ミルウーダとは一体?
ウィーグラフ そうか、まだ話していなかったか。私の妹だ。私が騎士に志願して故郷を離れている間、随分と苦労を掛けてしまった。両親亡き後の、たった一人の家族だ。いつか楽をさせてやろうと思えど、暮らしは貧苦にあえぐばかり、いつか――いつか楽を――と思ううちに戦死した。(小声で)――あの豚どもが――ミルウーダ! 今でも愛しているぞ!
イズルード (うつむいて)それは気の毒に。ファーラム! どんな人だったんだ。
ウィーグラフ おまえの姉君に少し似ている。
イズルード それは、恐ろしいな。(もっともらしく頷きながら)昨日も、姉さんは機嫌が悪かった。あのクレティアンの首の皮をねじ切っても良いとひとしきりオレに愚痴をこぼしていたよ。
ウィーグラフ 我の強い者どうし気が合わないのだろう。あれがどうなろうと私の知ったことではないが、同輩の誼だ。せめて奴の首の皮がつながっているよう祈っておいてやろう。
イズルード ――ところで、アンタはガリオンヌの生まれというならば、ベオルブ家のダイスダーグ卿のことを知っているか?
ウィーグラフ 知るも知らぬも、ガリオンヌで生まれて剣を持って育ったならば、その名前は嫌でも耳に入るもの。
イズルード どんな人なんだ?
ウィーグラフ 髭が生えている。
イズルード そうじゃなくて。
ウィーグラフ 案外猫背だった。
イズルード そうじゃなくて!
ウィーグラフ 想像よりずっと人相が悪い。
イズルード (怒って)ウィーグラフ!
ウィーグラフ はは、そう怒るな。だが、人相が悪いのは想像に難くないだろう。何せ、黒い噂がごまんと立っているのだからな!
イズルード 父とは気が合うだろうか。
ウィーグラフ ダイスダーグ卿とヴォルマルフ団長がか? 悪いが全く想像できんな。――いや、でも、もしかしたら――いや、団長の名誉のために、これ以上は言うまい。しかし、突然どうしたのだ。何故 ここでベオルブの名前が出てくる。頼むから私の前でその忌まわしい名前を――ああ、ミルウーダ!――出さないでほしい!
イズルード (慌てて)気を悪くさせたのなら、すまない。
ウィーグラフ 腐った豚どもめ!
イズルード 豚だって?(首をかしげる)
ウィーグラフ ああそうだ。豚と言ったんだ。貴族連中は搾取することに慣れきっている。領地で働く平民は体よく家畜扱いだ。食わなければ生けていけないというのに、耕す者らはは家畜。汚い小屋に放り込まれ、顧みられることもなく、働かされ、己が肉を食卓に提供し続けるのだ。貴族連中は農民を平気で蔑む。家畜扱いだ。だが、人は己の嫌う人種を蔑視することしか出来ぬ哀れな存在だ。奴らが我々を家畜と呼ぶ間、我々は奴らをまるで醜い腐った豚と罵倒しているのだ。イズルード、覚えておけ、あの青い血[貴族]の連中をわざわざ貴き人種などと呼ぶなよ! 奪い取ることにしか快楽を見いだせない、芯から腐った醜い存在――ただの豚だ!
イズルード ベオルブの連中も、つまり、(言いよどんで)――腐った――豚だと?
ウィーグラフ まったくそうだ。あの一族の中で唯一尊敬に足るのはまあ、あの将軍[ザルバッグ]だけだな。あの人はベオルブの良心だ。そうだ、あそこにも若い小僧がいたな。確かお前と同じ年頃だったか。だが、神に誓っても良いが、あの腐ったベオルブ家の連中より――ザルバッグ将軍よりもだ――おまえの方がずっと良い騎士になる。気位ばかり高い連中とは比べものにならないほどの資質を持っているよ、イズルード。
イズルード (顔を上げて)本当か! ――その言葉、もう一度言ってはくれないか――
ウィーグラフ ベオルブ家は腐った豚ッ!
イズルード そこではなく!
ウィーグラフ これではないのか。そうか。――イズルードよ、おまえはいずれ騎士の鑑となるに足る人物だ――これで満足か。
イズルード ああ! その言葉、信じても良いのか――
ウィーグラフ 私とて、名誉を重んずる騎士。嘘偽りは語るまい。
イズルード なんという嬉しさ。なんという幸せ。アンタの口から、そう言ってもらえるなんて。感激の極みだ。
ウィーグラフ ハハハ! 私を褒めたところで褒美など出ないぞ! 何せ私は生まれ卑しい貧しき身。それに私はただ事実を言っただけだ。
イズルード 事実だって! (喜ぶ)
ウィーグラフ 何をそんなに喜ぶのだ。 
イズルード 分からないか。それは、つまり、オレは、アンタのことを――察してくれよ!――とても尊敬しているんだ、ウィーグラフ!
ウィーグラフ おい、イズルード、理想を高く見すぎるなよ。私はそのような――
イズルード 初めてアンタの噂を聞いた時、オレはまだ見習いだった。ザルバッグ将軍がイヴァリースを勝利に導き、ガリオンヌの雄として名を上げていた。オルダリーアを撃退して、ランベリーを奪還し、栄冠を勝ち取った将軍はとても輝いて見えた。オレはとても感動していた。いつかそんな名声に与れたら――と夢想だにしていた。だけど、その将軍の傍らに、同じ志を持って戦地に臨んだ剣士が多く居たと聞いた。彼らは祖国に貢献しようと、自らの意志で戦いに志願し、戦地に赴いた。彼らが望んだものはただ祖国の勝利。名声を望まず、利を求めず、将軍の名の影で、密かに、だが偉大な戦いに従事していた。オレは確信している。イヴァリースの勝利は彼らの働きなしには為し得なかったと! 彼らは疫病に死したる屍の上に立ち上がった義勇兵、彼らは骸旅団! (高らかに)彼らを率いた指導者、ウィーグラフ・フォルズ!
ウィーグラフ (続けて)――尊敬に値する人物では――
イズルード 彼らは確かにイヴァリースの勝利に貢献した。だが悲しいことに、彼らは全く顧みられなかった。誰も彼らの功績を称えなかった。誰も彼らの働きに報いなかった。それどころか、卑しき盗賊として蔑まれる始末。ウィーグラフ! オレはアンタが貴族に追われ、騎士団を追放され、見捨てられてきた事を知っている。だけど、アンタは今もこうして落ちぶれることなく、教会の名誉のために働いている。報復の心でなく、信仰の心をもって名誉を保っている! 騎士の理想だ! 
ウィーグラフ (続けて)――決して私は――(しばし沈黙、呟いて)――だが、こうやって誰かから一心に慕われ、好いてもらうのも悪い気はしないな。(二人退場)

  

 第四場 ミュロンドの城館。執務室。
 昼。天井の低い一室。長い机が置かれ、ヴォルマルフが椅子に腰掛けて机に向かっている。壁には毛織りのタペストリーが飾られている。机の上と壁の燭台には火が灯されているが、部屋はやや暗い。書き物をしているヴォルマルフの傍にローファルが控える。しばらくして、ウィーグラフが扉を開けて登場。

ウィーグラフ お呼びですか、ヴォルマルフ様。何かご用でしょうか。
ヴォルマルフ 用がなければ呼びはせぬ。用があるから呼んだのだ。分かりきった挨拶など煩雑なだけ。ここでは礼儀など不要だ。
ウィーグラフ では、用件を伺いましょう。私も貴方も気が短いようですから、どうぞ手短に。
ヴォルマルフ 物わかりが良いな。ならばさっさと話そう。聖石を探し、ミュロンドへ持ち帰るのだ。
ウィーグラフ それは要領を得ませんね。いくら聖石が不滅の輝きを有しているといえども、それではまるで砂漠で金を探すのと同じこと。私にはそんな気の長いことは到底出来ませぬ。誰か他の者をお使いください。
ヴォルマルフ 待て、貴様が手短に話せといったから端折って伝えたまでのこと。これは斯様な無謀な計画ではない。つまりこれは――ええい面倒だな、ローファル、詳しく話して伝えろ。
ローファル では私から。貴方はオーボンヌ修道院に聖石があるのは勿論知っていますね?
ウィーグラフ (頷く)
ローファル ならば話が早い。その聖石をミュロンドへ持ち帰ってきて欲しいのです。ただそれだけの事です。
ウィーグラフ ふむ。しかし、修道院の聖石は修道院の所持するものでしょう。
ヴォルマルフ 聖石は秘蹟を行う神器。元はといえば、聖石はアジョラが集めたものだ。所有権は我々グレバドス教会にある。それが正統なる持ち主の元へ返るだけのこと。
ウィーグラフ ふむ。しかし、オーボンヌ修道院はグレバドス教会の直轄では。
ヴォルマルフ 貴様は阿呆か。少しは頭を回したらどうだ。いいか、私は短気だと言っただろう――
ローファル (ヴォルマルフを制して)あそこの聖石は、アジョラの手を離れた後は、代々アトカーシャ王家が所持しています。王位継承と共に、聖石も継承されてきたのです。オーボンヌ修道院に王女が預けられた時、同時に聖石も修道院に預けられたのです。
ウィーグラフ ああ、分かった。そうか、そうか。つまり、私が盗んでくるのはグレバドス教会の聖石ではなく、王家の聖石であるということですね。王家の石を盗ってくるとは、これは王室へのこの上ない当てつけになりましょう。ははあ、この不毛な王位継承戦争において、我々教会が優位に立っているのをこんな回りくどいやり方で示す訳ですね。これは明確な意思表示だ。なるほど、これは汚いやり方だ。
ヴォルマルフ 貴様は王党派なのか、教会の支持者なのか、どっちなのだ。言葉は正しく使いたまえ。正確には、アジョラ・グレバドスの持っていた聖石をアトカーシャの連中が奪い、それを我々グレバドスの徒の元に返してもらう――ということだ。王族嫌悪の元革命家には容易い事だろう。
ウィーグラフ ヴォルマルフ様はどうやら私どもの事を誤解されているようですね。私ども革命家は打倒貴族を掲げて活動をしておりますが、そこには次の世代に良き生活を残そうという清く正しき思想があってのことです。手当たり次第に野卑な暴力に訴えるテロリストの類とは――間違っても一緒にされたくはないのです! 彼らは何を考えることなく、掠奪と破壊とを繰り返します。理想を奉ずることのない、獣の本性を持った輩です。――間違っても――
ヴォルマルフ 御託は結構。それ以上並べんでもよい。私が聞きたいのは、オーボンヌから聖石を持ち帰れるのかどうか、それだけだ。
ウィーグラフ それは――
ヴォルマルフ 出来ぬのか。これでは聖剣技を使える貴様をわざわざ拾ってきたローファルの苦労が報われまい。我々は貴様に異端者の烙印を押して黒珊瑚海に放り込むことも簡単だ。そうだろう、ローファル?
ローファル それは私には答えかねます。フォルズ殿、早く決断をなされよ。私は貴方にこう言った、我々を利用しても良いと。その言葉に二言はありません。思う存分に利用しなさい。だが、それはつまり我々も貴方を存分に利用したいとのこと。貴方も知っているでしょう。この騎士団で、その聖剣技がどれほど珍重されているかを。
ウィーグラフ それはつまり、剛剣が役に立たぬと認めたようなものですね。その言葉、賛辞と受けとりましょう。
ヴォルマルフ (ウィーグラフに)貴様! (ローファルに)おまえも少しは言葉を選べ!
ローファル さあ、早く答えを。そのような素晴らしき剣技を持ちながら、何故もてあますのです。それとも――此の期に及んで、修道院の僧侶相手に剣を揮うのが嫌とでもお思いですか。私達が、あまりに世俗の浅ましい政治に手を出しすぎているとお考えですか。ならばお話ししましょう。これは決してイヴァリースの覇権を取りたいという卑近な野望から成る仕事ではないのですよ。貴殿は、先つ方、ゾディアックブレイブに任命されました。これは疑いなく事実です。あなたもその称号を喜んでいる――でしょうね? ――この仕事はその称号に大きく関わることです。というのも、貴方が任命されたのはただのゾディアックブレイブではない、(強調して)新生、ゾディアックブレイブです。この違いが貴殿に分かりますか?
ウィーグラフ 大方、伝説を新たに蘇らせた、といったところでしょう。
ローファル ま、そんなところですね。そう、彼らはアジョラの使徒です。その称号を今、新生ゾディアックブレイブとして蘇らせたのには意味があるのです。この戦乱の世にアジョラの使徒を呼び戻す意味とは――教皇は、貴方がたに多大な期待を寄せています。教皇は、かつての使徒を超える働きを望んでいます。貴方がたは、重大な使命を帯びた存在です。その使命を為さねば。
ウィーグラフ もう少し具体的に話してくれまいか。それでは私には何のことだかさっぱり分かりませぬ。
ローファル 新生の使徒たちはまだこの世に遣わされたばかり。まだ何の行いも果たしていません。貴方たちミュロンドの勇士が再び伝説に語られるか、忘れ去られるかはその働き次第。当然、民衆は貴方がたを期待の眼差しをもって見ているのですよ。――つまり、ここで貴殿が新たな聖石を持ってミュロンドに帰還すれば、その栄光は民草に語り継がれいずれは伝説に。何故なら、教会の神器を取り戻したのですから。民衆の聖石に寄せる信頼と信仰は貴方も知っていましょう。しかし、ここで貴殿が、何の業績を上げることもなく、ただその称号のみを掲げているならば――まだお分かりになりませんか。
ヴォルマルフ つまり、貴様は永遠に負け犬のままだ。故郷を追放され、貴族に楯突き、返り咲くこともなく、教会に拾われ、ひとときの名誉を得るも、所詮は、素性卑しき生まれの実力の伴わぬ奴だった、と未来永劫語りぐさになるであろう。
ローファル さあ、選びなさい。ここでさらなる英雄の道を歩むか――
ヴォルマルフ 負け犬として、その名を留めるか――
ウィーグラフ (呟く)選択などあるものか。どちらを選ぼうと、私は教会の飼い犬でしかないのか――いいでしょう。聖石を取ってきましょう。オルダリーアから畏国の領土を奪ってこいというより容易きこと。
ヴォルマルフ ふ、己の保身にはかるか。これでゾディアックブレイブの地位も上がるぞ。喜べ。貴様はますます信徒に迎えられる。
ローファル (独白)これは私たち日影の道を歩む者にはかなわぬ事――喜びなさい。
ヴォルマルフ オーボンヌへ行くならば、一人では道中退屈だろう。メリアドールでもイズルードでも、好きな方をどちらか連れてゆくがいい。
ウィーグラフ 私はどちらでも。二人を連れて行くのは。
ヴォルマルフ ならぬ。どちらか一人はミュロンドに置いていく。四人のゾディアックブレイブが皆、島を不在にしているというのも都合が悪い。どちらか一人は信徒をなだめすかすためにここに置いていく。
ウィーグラフ 四人? ヴォルマルフ様もオーボンヌ修道院へ行くのですか。
ヴォルマルフ 私は行かぬ。私は、フォボハムへ用があってな。
ウィーグラフ (考えて)なら、イズルードを連れて行きます。ご子息をお借りしますよ。
ヴォルマルフ 好きにしたまえ。好きに使って構わぬ。(退場)
ウィーグラフ (ローファルに)あの方は、少しばかり息子に冷たくはないか。
ローファル 獅子は我が子を崖から突き落とすもの。
ウィーグラフ それも愛情か。まあ、他人の家庭事情には首を突っ込まぬが良いな。私には分からん。私には、あの方が、時々獅子の相貌を通り越して悪魔じみた狂気を感じるよ――
ローファル (低く)発言には気を付けなされ。ここは聖地ミュロンド。かような不適切な発言は慎まれよ――異端の徒と呼ばれたくなければ――
ウィーグラフ おっと、これは失礼。(退場)
ローファル まったく――教会の犬が嫌なら、ここでの生活はつとまらぬぞ――(退場)

  

 第五場 聖地ミュロンド。桟橋。
 島と本土を繋ぐ港。港は雑踏で溢れている。船荷があちこちに積み上げられている。島の奥にミュロンド寺院が見え、夕刻を告げる鐘の音が聞こえる。メリアドールが物思いにふけりながら一人で桟橋を歩く。しばらくしてイズルードが登場。

メリアドール (独白)そう、おまえは、オーボンヌへ行くのね、行ってしまうのね、イズルード――ウィーグラフも一緒に。父はゼルテニアへ。弟はオーボンヌへ。ローファルも父と一緒に行くのね――みんな、私を置いて――(溜め息をついて)私をこの島に一人残して行ってしまうんだわ。いいわね、イズルードやウィーグラフは外に出ていけて。あの二人のことだから、きっと華々しい凱旋をすることでしょうね。羨ましいわ。その間、私はただミュロンドで、勇士たちの帰りを待ってるだけ。これじゃあ籠の中の鳥と同じね。女の役目なんてしれくらい。綺麗に着飾って、人々の目を楽しませておけばいいのね。私は騎士なのに、誰もが私を女騎士と呼ぶのよ――私がゾディアックブレイブとして出来ることはそれくらいしかないのね。舞台の上の役者の方がまだ自由があるわ。私は――弟は、私が実力を以て称号を得たというけれど、一体誰が本当の私を知っているのかしら。私も弟と同じくらい――いいえそれ以上に――この国を変えたいと思っているのに、この熱い思いを父は知っているのかしら? 父は、母が亡くなってからというものの――すっかり冷たくなってしまった。父はもう私とは一緒に居てくれない。それから私は一人。いつだって私は独りだった。一緒にいたのはイズルードだけだった! どうして父は急に――

  (イズルード、姉の名を呼びながら登場)

イズルード 姉さん!
メリアドール あら、まだ居たの。早くしないと、ウィーグラフに置いていかれるわよ。
イズルード 少しくらい大丈夫。待っててくれる。それより別れのキスを――
メリアドール まあ、神殿騎士がそんなものをねだるんじゃありません。いつ誰に見られているのだか分からないのだから、きちんとした態度を心がけなさい。
イズルード は――はい――せめて餞別の言葉を。
メリアドール 気を付けていってらっしゃい。またすぐに会えるのだから、大仰な言葉はいらないわね。
イズルード もし、オレが聖石を見つけてきたら喜んでくれる――?
メリアドール そういうことは、実際にミュロンドに持ち帰ってきてから聞くものよ――ないものを喜ぶことは出来ないわ――でも、おまえの事だからきっと上手くいくでしょう。もちろん、喜ぶわ。
イズルード 父も喜んでくれるかな。
メリアドール おまえが正しい戦い方をしたなら、きっと喜んでくれるでしょう。

  (ウィーグラフ、イズルードを呼ぶ)

メリアドール さあ、早く行ってらっしゃい。きっと、おまえの凱旋を楽しみにしているわ。(退場)

  (ウィーグラフ、再びイズルードを呼ぶ)

イズルード 姉さん――(独白)もし、この手で聖石を持ち帰れたのならば、オレはやっと姉さんの横に並べる気がする――父もきっと喜んでくれるだろう。オレは使命を果たさないと。――さあオーボンヌへ! (ウィーグラフに)今行くから!

  

  

  

>第ニ幕

  

  

花摘みの季節

.
・メリアドールが神殿騎士団長になる、というエンディング後のif物語の中の一エピソードです(メリアドールのエピソードは同人誌「Top of the World」に載せています)。
・イズルードとアルマは結婚している前提(イズルードがベオルブ家の入り婿になりました)。エンディング後の物語ですが、誰も死んでいません。

 

 

 
花摘みの季節

 

 

 
 吹雪の季節が終わると、ガリオンヌには暖かい風が吹き、雪解けをうながす。暖かい風が吹く頃、領地に点在するなだらかな丘陵では、花摘みにいそしむ女性の姿が見られる。
「――彼女たちは、何をしているんだ?」
 ウィーグラフとチョコボの遠乗りをしていたイズルードは、丘の上で輪になってせっせと花を摘む女性たちの姿に釘付けだった。ベオルブ家に婿入りしたばかりのイズルードにとっては、ガリオンヌで見る風景の全てが新鮮だった。ミュロンドは温暖な島国だったから、雪国の風習はことさら珍しく感じられるのだろう。
「ああ、あれは、染料になる花を集めているんだ。特に赤の染料になる花は、ここガリオンヌでしか採取されないから特に貴重だ。ガリオンヌの商家が潤っていたのは、この特別な染料があったからだ――といっても、黒死病が流行る前のことだが」
「そういえば、ウィーグラフは商家の出身だっけ」
 ウィーグラフは、イズルードのチョコボに首を並べて、速度を落として、故郷のおだやかな風景を眺めていた。
 ――ここの風景も、すっかり元にもどったようだな……。
 イズルードが言った通り、ウィーグラフは商人の家の息子だった。綿製品の加工を細々と行う一族だったが、祖父の代に、新しい染色技法を開発し、それまでに染色不可能だった赤色のコットンシャツを開発し、当時の一大流行となった。ロマンダとの交易も活発に行われていた当時、ウィーグラフの祖父は一大で莫大な富を築きあげ、フォルズ家は地元の名士として敬われるようになった。ミルウーダが小さい頃は年上の貴族のレディたちに混じって、ガリオンヌの風物詩となったこの花摘みに出かけていた。
 だがそんな穏やかで幸せな日々も、ロマンダとの戦争、黒死病の流行、国王代替わりの内乱ですっかり変わり果ててしまった。ウィーグラフの両親は黒死病で亡くなり、争乱のなかで潰れた家業は借金しか残さなかった。ミルウーダはドレスを脱ぎ、戦装束をまとった。彼女は戦士として生きる決意をしたのだ。
 ――祖国のために戦うのよ! 私たちは屍にはならない! 故国の勝利を得るためなら、なんど死んでも生き返る!
 黒死病で故郷が壊滅し、家が没落しようと、それでも凛々しく、強く立ち上がった。ウィーグラフは思った。その姿は――とても、彼女に似ていた。
「ウィーグラフ、そういえば姉さんから手紙を預かっているんだ」
「ああ――ちょうどミルウーダ……いや、メリアドールのことを考えていたところだった」
 イズルードは、丘を下り、低木のしげみに乗っていたチョコボをつないで、木陰に座った。ウィーグラフもそれに続いた。
「父さんが引退するらしいんだ。それで、姉さんとクレティアンが次の長に推薦されえて……でも、折り合いが悪いみたいで、困ってるって。姉さんも気が強いし頑固だから……」
「ああ、うむ、そうだろうな」
 ウィーグラフは、メリアドールよりも先に妹のミルウーダのことを思い出した。気が強くて、走り出したら止まらない。喧嘩になると、折れるのはだいたい兄である自分だ。
 イズルードは、メリアドールからの手紙を読みながらウィーグラフに手渡した。
「――ウィーグラフ、ミュロンドに戻るつもりはないか? 姉さんが、自分の補佐は同じゾディアックブレイブとして戦ったウィーグラフに頼みたい、と手紙で書いてきてるんだ」
「――え?」
 ウィーグラフは目を丸くした。再びミュロンドの神殿騎士団に戻り、そして、副団長に? 
「オレ、ウィーグラフだったら騎士団を立派に率いてくれると信じてる。クレティアンも、努力家だし、うまくやってくれるって信じてるけど、姉さんと犬猿の仲だから……ウィーグラフならきっと、うまくやっていけるんじゃないかって思ってる」
「いや、買いかぶりすぎだ、イズルード。私にはそんな器はない。人望があるのは、祖父がガリオンヌの名士だったからだ。騎士団を引っ張る力もミルウーダの方がよほどある」
「そんなことない! オレは、神殿騎士団にいた頃、ウィーグラフのことがずっと憧れだった。財産をなげうってガリオンヌで祖国防衛のための旅団を立ち上げて、それで、活躍が認められて騎士団の称号を得たって聞いて……本当に吟遊詩人の語る英雄みたいな人だと思った。そんな人と、一緒に戦えるなんて、オレは……嬉しすぎて、今でも、一緒に戦場に立った時の感動を覚えている。オーボンヌ修道院に聖石奪還に行った時の……」
 なにやら熱い火が降ってきたようで、イズルードは止まることなくウィーグラフへの尊敬と賛辞の言葉を雨嵐と語り出した。隣で聞いているウィーグラフは、突然の熱い告白に困惑している。
 ――おいおい、イズルード、どうしたんだ。おまえはもう、神殿騎士ではなくて、ベオルブ家の若婿様だろう。家で新妻が夫の帰りを首を長くして待っているだろうに。
 ウィーグラフは、イズルードの髪をぐしゃっと撫でた。
「わ、な、何するんだよ」
「イズルード、おまえは日が暮れる前に城に帰れ。こんなところで油を売っている場合ではないだろう――イグーロスの若き城代さまよ」
「あ、ああ、うん、そうだけど……オレはもうちょっとウィーグラフと一緒に……」
「なんだ? もう夫婦喧嘩か?」
「ち、違うんだ! アルマ様はとても優しくて、いい人で……だけど、義兄達と打ち解けられなくて……ああ、もう! なんであんなに堅物の義兄が三人もいるんだよ! うちの姉さんが三倍になったみたいだ」
 ああ、とウィーグラフは笑った。ダイスダーグとザルバッグとラムザ。ゲルミナス山脈より高い障害が、三つ。
「おまえも苦労しているな、イズルード。まあ、だが新しい暮らしにはすぐ慣れるだろう。おまえも、メリアドールも。私の知る限り、ティンジェルの血筋もなかなか強情だからな」
 ウィーグラフはイズルードから受け取った手紙をひらひらと振った。
「メリアドールには私から返事を書いておく――申し出はありがたいが、私は、故郷から離れるつもりはない、と」
 名残惜しげに帰路に就くためにチョコボの綱を握っていたイズルードが聞いた。
「やっぱり、ミルウーダさん……家族と離れるのは寂しい?」
「まあ、そんなところかな」
 そして、イズルードはイグーロス城に、ウィーグラフはミルウーダの待つ家へとそれぞれ戻っていった。

 

 
「兄さん、遅い! 夕飯!」
 ウィーグラフがただいまを言うより早く、ミルウーダが叫ぶように言った。ウィーグラフはイズルードと話し込んでいて遅くなった手前、彼女の食事の準備を手伝おうと、テーブルの上に皿を並べようとした。
「なんだ、書類が山積みじゃないか。ギュスタヴに配達屋に届けるように頼んでおいたのだが、あいつは今日はこなかったのか?」
「ギュスタヴ? いるわよ、ほら、樽みたいなアレ」
 ミルウーダは鍋のふたを右手に持ったまま、部屋の片隅を示した。酒場から調達してきたらしいエールの樽を抱えて熟睡している。ゴラグロスも巻き込んだらしく、二人で酔いつぶれている。
「おまえら……今日は騎士団の庶務を片づけておけと言ったのに」
「兄さん、邪魔だから早く起こして。鍋が出来たけど私が皿によそう前にまだ起きてなかったら、スープを上からぶっかけるから」
 ミルウーダが鍋をスプーンでカツカツと叩いている。気が立っている。当然だ。ウィーグラフは二人の尻を蹴り上げると、エール樽を取り上げて戸口の外に頃がした。ゴラグロスは、ウィーグラフの剣幕に気づいて、気まずそうに謝った。なんだよ、寝てるとこ起こすなよ、とギュスタヴは不機嫌そうだ。
 ミルウーダが鍋を持ってきた。せっかくの夕飯が床にばらまかれては大変、とウィーグラフは慌ててギュスタヴの腕をつかみ、テーブルまで引っ張ってきた。
「ミルウーダの兎鍋、久しぶりだな……親父さんがいたころは、いつもこうして三人で食べてたよな」
 ゴラグロスはウィーグラフとミルウーダの幼なじみだった。まだウィーグラフの両親が黒死病で亡くなる前から、よく一緒に食卓を囲んでいた。
「ギュスタヴ、あんたは食事の前に、コレよ」
 ゴラグロスと一緒に、ちゃっかりフォルズ家の夕食にあずかろうとしていたギュスタヴをミルウーダが制した。スプーンをつかんでいた右手に、書類の束をどさっと置く。
「さっさと片づけないよ。今日中の集荷に間に合わせないといけないって兄さんに言われてたでしょ」
「ち、めんどくせぇな……」
「ギュスタヴ!」
 ミルウーダが、机を叩いた。この後の流れは容易に想像できる。ギュスタヴが不満をこぼしつつ仕事をしない、ミルウーダは苛立って皿をひっくり返す、そして、夕飯が台無しになる、といういつもの流れだ。
 ウィーグラフは、ギュスタヴから書類の束を取り上げた。「いい、私がやる」時間がもったいないと思ったのだ。
「兄さん? ギュスタヴを甘やかしすぎよ。ちゃんと働かせないと。これでも兄さんの副官なんだから。使えないなら北天騎士団に返却してきて。それにゴラグロス、あんたもよ! なんでギュスタヴと一緒になって昼から酔いつぶれてんのよ!」
「ご、ごめん……」
 ウィーグラフは三人の喧噪には慣れているので、目の前で舌戦が繰り広げられようと、何も気にせずに書類を裁いていく。インクとペンを手にしたついでに、メリアドールの手紙に簡単な返事をしたためた。「メリアドールへ、誘いはありがたいが、私の騎士団のことで手一杯なので、そちらにはいけない」と。
「あら、兄さん、手紙?」
「昔の仲間――ミュロンドの神殿騎士から頼りがあってな。ミュロンドに戻って副団長にならないかと聞かれたのだ」
 ミルウーダ、ゴラグロス、ギュスタヴは、示し合わせたかのように、おのおのの手を止めた。そして異口同音に言った。
「兄さんが? 無理でしょ」
「無理だよ、ウィーグラフ」
「おまえには無理だろ」
 こういう時に、ウィーグラフはイズルードのことが恋しくなる――自分のことを、眩しいほどの純粋な尊敬のまなざしで見てくれる、たった一人の騎士だった。
 やや寂しげに肩を落としたウィーグラフにミルウーダが、慰めではない言葉をかけた。
「兄さん、現実は甘くないのよ。私たちの同郷のディリータのこと、覚えてる? あの子も神殿騎士になったでしょう。そして、英雄になって、王になった。でも、兄さんも同じ神殿騎士だったのに、兄さんはミュロンドで何をしていたの?」
「なんだ、私がせっかく故郷に戻ってきたというのに、おまえたちはつれない態度だな。ミルウーダ、おまえは兄が戻ってきて嬉しくはないのか?」
「わ、私は別に……」
 ミルウーダは、ついっと横を向いた。これは妹の照れ隠しの仕草だ。よしよし、私のかわいい妹よ――と頭を撫でるのはやめた。それはさすがに怒られそうな年齢だったから。
「そうだ、ミルウーダ、明日は一緒に花摘みに行こう。丘の方はもう雪解けが始まっていた。祖父さまが生きてた頃はよくやっていただろう?」
「え、ええ……昔は……でも、今は花摘みなんて。街の女が着るようなドレスは持っていないし、もう何年も剣しか持ってなかったから、どうやって花なんて摘んでいいのか……」
「服ならちょうどいいものがある」
 ウィーグラフは、テーブルを離れて、部屋の中の荷物をあさりはじめた。神殿騎士団を辞してきた時に、持ってきたものがいくつか入れっぱなしになっている。
「ほら、私のローブがある。切って巻けば、ちょうどいいスカートになるだろう。祖父さまが染めてたの同じ赤色だ――少し、汗くさいのだけは勘弁してほしいが」
「やだ、兄さんったらそんな真っ赤なローブを教会で着てたの?」
「目立ちすぎじゃねえの?」とギュスタヴ――彼はウィーグラフが書類仕事に忙しいの理由に、ウィーグラフの夕食の皿をしれっと横領していた――そして、後でウィーグラフに叱られることになる。
「たまには剣をおいていくのもいいだろう。そして、親父らの墓に花を添えにいこう」
「そうね――」
 ミルウーダは、ウィーグラフだけに聞こえる小さな声でささやいた。兄さん、帰ってきてくれてありがとう――と。

 

 

2019.10.20

 

Sweethearts After The Dawning

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・五十年戦争でイヴァリースが勝利し、その後の獅子戦争もおこることなかった平和な世界です
・骸騎士団は落ちぶれてなくてウィーグラフは五十年戦争の英雄です
・イズルードは戦争の記憶(夢?)があるけれど、アルマその他は平和なイヴァリースしか知りません(イズアル初対面です)
・イズアル23~25才くらい。騎士とレディです

          


          
Sweethearts After The Dawning

          

          

 ガリオンヌの名士ウィーグラフ・フォルズは英雄だった。
 先の大戦で故国イヴァリースをロマンダの手から守り、占領下にあったリオファネス城を奪って、華々しく故郷に還ってきた。
 彼は英雄と呼ばれるにふさわしい寛大な心と篤信な志を持ち合わせていた。
 だから、ウィーグラフがリオファネス城で行き倒れている瀕死の青年を見つけた時も、見棄てることなく、その可哀想な青年を家に連れ帰り、手厚く介抱してやったのだった。

          

 ウィーグラフが見つけたのは、年の頃二十を過ぎた、まだ立派な顔立ちをした栗毛色の青年だった。光輝く黄金の鎧に萌葱色の丈の長い上着を羽織り、装飾を散りばめた立派な腰帯を締めていた。剣は見つからなかったが、それでも、この青年が身分やんごとなき騎士であろうことは、すぐに想像できた。その上、この若き騎士は胸に尊く光る貴石を手放すことなく抱きかかえていた。その貴石は聖人らの魂を宿した教会の聖遺物であり、ガリオンヌの名士であるウィーグラフですら、間近に見ることかなわない高価な代物であった。その死の淵にあろうとも、こうして貴石を決して手放そうとしないその信仰の深さにウィーグラフはますます感じ入り、この若き篤信家に深い敬意を示した。
 しかし、いくらウィーグラフが手厚く看病をしようが、どうしたことか、この青年は一向に目を覚まさなかった。薬師を呼び治療を施したが、それでも彼は昏々と眠り続け、一向に目を覚まさなかった。
 深い眠りから呼び覚ますため、名前を呼ぼうにも、この信仰深き騎士の素性を明かすものは何もなかった。ただ、どこかの立派な家の子息なのであろうということだけであった。

          

 困り果てたのはウィーグラフだった。あらゆる手を尽くしたが、快復のきざしは見えなかった。それでも、この隣人を見棄てようとしなかったのは、この義理がたき英雄の英雄たる志ゆえであった。
「はて、困ったものだ」
 ウィーグラフは思った。この青年は、どうも、傷を負って昏睡の状態にあるようには見えなかった。まるで呪いにでもかけられ、醒めることのない夢幻の夢をさ迷っているようにウィーグラフには見えたのである。英雄とは果て無き夢を見る存在である。そこでウィーグラフは言った。「呪いに掛けられた眠り姫を、夢路から覚ますのは愛の接吻である」と。
 夢を抱く英雄には聡明な妹がいた。妹は、壮大な夢を描く兄にいつも現実的な忠告をした。そこで、今日もまた、兄に忠告をしたのだ。「兄さん、この世に呪いなどありはしないわ」おとぎ話じゃあるまいに。でも、『愛』の効能は否定しなかった。彼女もまた、一人の女性であったから。
 そこで兄妹は信仰にたよるべきだという一つの結論に達した。人の手によって治せないものは神にたよるしかない。ガリオンヌで一等信仰の高い者は誰かと兄妹は話しあった。二人の結論は一つであった。「レディ・アルマしかいない」と。

          

 長らく修道院暮らしをしていたレディ・アルマがガリオンヌの領地に呼び戻されたのはこういう経緯であった。ガリオンヌの英雄から、不治の傷を負い哀れにも眠り続けている騎士を、その信仰の奇跡で助けて欲しいと懇願されたのだった。レディ・アルマは心優しい修道女であったので、その頼み事に快い返事をした。「はい、よろこんで。神の御心にかなうよう、おつとめをいたします」
 三人の兄たちに連れられて、レディ・アルマがその騎士の枕辺に立った時、彼女は思わず赤面して、後ろに下がった。彼女の誠実な三人の兄たちは、一体何があったのかと妹に尋ねた。レディ・アルマの答えは簡単だった。彼女は修道院の深窓で育てられてきたお嬢様であった。生まれてこの方、家族である兄以外の殿方と始めて対面したのだった。その気恥ずかしさは言いようもなかった。しかし、具合でも悪いのかと心配する兄たちに向かって、このこそばゆい気持ちをどう伝えれば良いのかさえ分からなかったレディ・アルマは、さしあたって「この方のためにお祈りがしたいので、私と彼のために時間をください」と頼んだ。
 家族や世話人たちを全て下がらせると、部屋には彼と彼女だけが残った。
 すやすやと安らかな寝息をたてて眠る青年の寝台のそばに、レディ・アルマはスツールを引き寄せて座った。そして、彼の寝顔をあらためてまじまじと見詰めた。長く伸びた栗毛色の髪が肩にかかるようにシーツの上で波打っている。レディ・アルマは彼の顔にそっと手を伸ばし、額にかかる前髪を払いのけた。しばらくの間、優しく彼の髪をくしけずったり撫でたりしていた。
「どうして私がここに呼ばれたのかしら」
 レディ・アルマはそう呟いた。彼女は大貴族の娘であり、敬虔な修道女でもあったが「ガリオンヌ一の修道女」という肩書きはやんわりと拝受を断る謙虚さも持ち合わせていた。
「ガリオンヌで一番の信仰をお持ちなのは姫様よ。姫様ほど熱心にお祈りされる方には出会ったことがないもの」
 でも、とアルマは付け加える。お忙しい姫様をお呼び立てするわけにもいかないわね。 アルマはどうしたら良いのか分からず、名前も分からない騎士の顔を再び見詰めた。薬師が役に立たないというなら、自分に一体何が出来るだろうか、と。
「サー、貴方のお名前を教えてくださいな……名前も分からないとお呼びできませんわ」
 眠り姫を呪いから解き放つのは愛の接吻であると、ガリオンヌの英雄は笑ってレディ・アルマに話した。レディ・アルマはそのことを思い出し、またもや気恥ずかしさでいっぱいになった。
「サー・ウィーグラフ、あの方は少し冗談が過ぎますわ。接吻で呪いが解けるなどおっしゃるなんて、あの方は吟遊詩人の語る物語に少し耳を傾けすぎたのでしょう。もし『愛』で世の呪いが癒やされるとしたら、薬師の仕事はなくなってしまいますもの。それに、もしそうであったら、私たちは一体何のために祈って暮らすのでしょう」
 それからしばらくレディ・アルマは名も知らぬ彼のために祈祷を捧げた。そして、思い切ったようにスツールから立ち上がった。
「神よ、おゆるしください」そう言うと、彼の横たわる寝台に近づくと、やおらシーツを引きはがし、治療のために彼の身体を覆っていた薄衣をまくって傷の跡を探し当てた。その一連の行為になんらやましい心はなかったが、うら若いレディには勇気のためされることであった。
「まあ……まるで獣に襲われたかのような傷跡ね。リオファネス城にそんな猛獣がいたのかしら。この方が八つ裂きにされなくて本当によかったわ。こんな傷では痛いでしょうに……」
 レディ・アルマは薬草を手に取り、おそるおそる傷口に手を伸ばした。出来ることは何でもする心意気であった。
 物言わぬ二人の時間が静かに流れていった。

          

 新鮮な薬草の香りに誘われてイズルードは目を覚ますと、傍でうとうとと船を漕いでいる一人の女性に気付いた。美しく豊かなブロンドの巻毛を肩に垂らしている。修道女のような出で立ちであったが、ローブの下に真紅のドレスの裳裾が見え隠れしている。イズルードは彼女が真正のレディであると一目で分かった。目が覚めるような美しさだった。ずっとこのまま眺めていたいとも思った。
 それに、不思議なことにイズルードはこのレディのことをずっと前から知っていた。長い夢の中で、彼は彼女と何度も巡り会った。暗い戦乱の中、彼はレディ・アルマと幾たびも出会い、幾たびも分かれた。彼は夢かうつつか分からぬ世界で何度か死の淵にあった。その度ごと、彼女は彼にそばにつき、死を看取った。彼女だけが、死にゆく彼のそばに膝をつき、最期まで寄り添ってくれたのだった。そして夢は覚め、ありがたいことに、彼は生きていた。そして彼女がそばにいる。
「レディ・アルマ」
 やっと逢えた、とイズルードは声にならない感慨を態度で示した。つまり、彼女の手を優しく握った。あふれんばかりの親愛の情を込めて。
 イズルードが深い感慨に耽っている一方で、レディ・アルマは驚きを隠せなかった。彼女は、慎み深いレディとして、殿方に手をとられる経験など今までになかったものだから、どう反応してよいのか分からなかった。しかし嫌な心地ではなかった。
「サー、やっとお目覚めになったのですね。これもあなたの信仰が救ってくださったのでしょう――この<パイシーズ>はあなたの大切なものでしょう? ずっと肌身離さずもってらっしゃいましたよ」
 それはイズルードがレディ・アルマに手渡したはずの聖石であった。
「あなたの名前をお伺いしても? わたくしの名前はレディ・アルマ・ベオルブと申します」
 イズルードは疑問に襲われた。彼はレディ・アルマのことを知っている。しかし、彼女は自分のことを知らないようであった。彼がレディ・アルマを連れてオーボンヌ修道院を逃げたことはまるで夢の中の出来事であったようだった。そう、あれは夢だったのかもしれない。なぜなら、今、イズルードの目の前に立っているレディ・アルマは妙齢のレディで、彼が連れて逃げた幼い少女だったあの頃の面影はない。よりいっそう美しくなった。
「私はイズルード・ティンジェル。ミュロンドの神殿騎士です」
 彼は騎士の道徳をもって、初対面のレディに対するふさわしい挨拶をした。そしてこう付け加えるのを忘れなかった。「レディ・アルマ。貴女とは夢の中で出逢っています」
「サー・イズルード。あなたの夢にお邪魔できたとは、わたくしも光栄に思いますわ。それはとても素敵なことです」
「夢の中で、私がひどい瀕死の傷を負っていた時、私にずっと寄り添ってくださったのは他の誰でもない貴女だった。あの恐ろしい父の業行を目の当たりにしたあとでさえ、貴女の姿が瞼の裏から離れなかった――ずっと――ただの一時も!」
「まあ……でも、あなたが、こうして無事でいらっしゃるのは、わたくしのおかげではありませんよ。それこそあなたの信仰が起こした奇跡でしょう――さ、<パイシーズ>をお持ちになって。これはあなたの大切なものでしょう。サー・イズルード」
「いいえ、これは貴女に捧げたものです」
 イズルードはレディ・アルマに貴石を捧げた。「私が持つより、貴女が持っていたほうがずっといい」
「頂けませんわ、こんな高価なもの、これは王女殿下がお召しになるような貴重なクリスタルです」
「どうか、私から贈らせてください。これからの親愛のしるしに」
 イズルードは寝台から立ち上がると、レディ・アルマの前に額ずいた。彼はどこまでも騎士としてのマナーを守った。そしてレディ・アルマの両手に貴石を握らせた。
「私が貴女からいただいた御恩は、とても物やしるしでは返せないようなものです」
 イズルードは貴石を握るレディ・アルマの手に深い接吻を授けた。レディ・アルマは最初こそ驚いたが、彼女の中に流れる貴族の血が、彼女の佇まいを凜とさせた。
「このようなまたとない光栄に与れるとは、わたくしは何という幸せものでしょう! 教えて下さい、サーイズルード。わたくしはあなたに一体何を差し上げたでしょう。わたくしばかりが尽くしてもらうのはフェアではありませんわ」
「貴女は私の<希望>だった。血にまみれた騒乱のまっただ中でもう死ぬと分かったとき、剣もなく、絶望と諦めの境地に立ったとき、貴方の声が聞こえてきた。光なき全き暗闇の中、その優しい声は私をどれほど勇気付けたことか!」
 レディ・アルマはこらえきれずにイズルードを抱きしめた。この若い騎士がひどい夢を見てきたことは明らかだった。早く、そのような悪夢から解放してあげたいと心から思った。
「サー・イズルード! あなたは一体どんなひどい夢を見ていたのです?」
「このイヴァリースに太古の悪魔が跋扈し、血と争いを巻き起こしている――私は、イヴァリースを救いたかった。しかし、あの時はもう剣を持てなかった」
「もうあなたが剣を必死で探す必要はありませんわ。だってこのイヴァリースは平和そのものですもの。戦乱はとうの昔に過ぎ去りました」
 イズルードは信じられない、という素振りを見せた。
「わたくしがあなたを安心させるために嘘を言っているとお思いね。でもそんなことはありませんよ。それでも疑うというのなら、サー・ウィーグラフの話を一緒に聞きにいきましょう――あの方はロマンダからイヴァリースを救った英雄なのですから!」

          

 青年が目を覚ましたというので、ウィーグラフは彼に鎧やら服やらを返しにいった。
 伸びていた髪を短く切り、装束一式を身にまとった若者はどこからどうみても立派な凜々しい騎士であった。彼はミュロンドの神殿騎士だと言う。その所属を聞いて、ウィーグラフは納得した。あの青年はどこか浮世離れした誠実さを持っている。彼個人が生来から持つ騎士道精神もあろうが、信仰に裏打ちされた純朴さも大いに持ち合わせている、というのがウィーグラフの見解であった。
 彼がレディ・アルマに頼まれて昔の武勇伝を木訥と語っている間、イズルードとレディ・アルマは寄り添い合ってすわっていた。まるで騎士と姫そのものである、とウィーグラフは思った。
 姫君が疲れてうとうととし始めた頃、ウィーグラフは話を切り上げて客人たちをまとめて送った。レディ・アルマは兄たちよりもイズルードの方に身体を寄せている。どうやら二人はわずかながらも親密な関係になったらしい。イズルードが持っていた貴石はいつの間にかレディ・アルマの手に移っている。ウィーグラフはそれを見逃さなかった。しかし二人の間に一体どんなやりとりが交わされたのかは、知るよしもなかった。

          

          


           

「眠り姫(イズ)を勇者(アルマ)が目覚めさせる展開にしたかったけれどこのイズアル純朴すぎて無理だった(草食」→「クラシックなおとぎ話のようなカプ話を書きたかった」「アルマに敬語で話すイズルードが見たかった」という作者の願望丸出しw

              

     

2016.08.21

         

反魂香

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・死者の魂を呼び戻すという秘薬。ゼラモニア独立運動(FFTのED後)に携わっているラムザとアルマ&イズルード(故)で思い出語り。
・カップリング要素…ラムザ→アルマ→イズルード→ウィーグラフ 片思いの連鎖… 

 

 
◆ゼラモニアについてmemo
0)鴎国と畏国の間の地域(ゼルテニアの隣)で鴎国に併合される(五十年戦争の1世紀前) 
1)オルダリーアの属州にして五十年戦争の発端の地 
2)ラムザ&アグリアスは獅子戦争終結の後(EDから約5年後?)、ゼラモニアの独立運動に関わっている
3)ディリータがそこに派兵 
*ディリータのゼラモニアへの派兵についての解釈は、「(鴎国の軍事力を削ぐため)独立運動の支援」(ラムザとディリータの協力)でも良いのですが、小説では「(畏国の治安を守るため)独立運動の鎮圧」(ラムザとディリータの敵対)だと思って書いてしまいました。でも前者の説明の方がすっきりしますね^ω^;

 

 

 

反魂香

 

 

 

「死者の魂を呼び戻す秘薬?」
「そう、この香木を焚くと、その香りがあるうちは亡き人の魂を再びこの世につれ戻すことができるらしい」
「でもそれって、危険なことじゃないの? だって私は知ってるもの、聖石が魂を呼び戻す時、誰かの身体が犠牲になっていたもの。私はもうそんな光景は二度と見たくないわ」
「アルマ、これはそういうものじゃないんだよ。魂を肉体に宿らせるんじゃなくて、去っていってしまった魂をほんの少しだけこっちの世界に呼び戻してくれるんだ」
 兄は市場で珍品を見つけてきたらしい。アルマは半信半疑だった。死者を蘇らせるとか、魂を呼び戻すとか、そんな胡散臭いものには何か裏があるだろうとアルマは思っていた。アルマは兄と共に、祖国イヴァリースを離れて鴎国のゼラモニア州で暮らしていた。ここゼラモニア州では、イヴァリースとオルダリーアとの大国に挟まれて陸路での貿易が盛んであった。そのため、得体の知れない珍品も時々市場に流れてくる。きっと、兄もそうしてこの香木を手に入れたに違いない。
「アルマは、誰か会いたい人はいないのかい?」
「そうね……私は兄さんが居てくれればそれで十分なんだけど」
 兄の顔がぱっと輝いた。兄妹は、異国の地で二人よりそって暮らしている。アルマは今の暮らしが十分幸せだった。故郷の戦乱で亡くなった人は大勢いた。アルマは彼らのことを一人一人思い出しながら、追憶に浸った。――もし、この香木が本物ならば――ここにその魂を呼び戻せるとしたら――

 * * * 

「また会えるなんて嬉しいわ、イズルード!」
 戸口に若い男が立っていた。短く刈り上げた茶髪に、僧服姿をした男は、どうしてここへ来たか分からない様子で所在なさげにしていた。そんな彼をアルマ喜んで迎え入れた。
「ここはゼラモニアの私たちの家よ。私があなたを呼んで招待したのよ、イズルード」
「私たち?」
「そう、私と兄さんとで一緒に暮らしているのよ」
「兄妹二人暮らしか……君たちはずいぶん仲がいいんだろ? 夫婦みたいに仲睦まじくやってるのが目に浮かぶよ」
「やだ、夫婦なんて言い過ぎよ」
 そう言いながらもアルマは嬉しそうに、兄さん、兄さんとラムザを呼びに家の中へ入っていった。その様子を見てイズルードは安堵した。
「よかった、兄と再会できたんだな」
 彼にはアルマに対する責任があった。彼はアルマを兄ラムザのもとから引きはがし、拉致しようとしたのだった。彼はその当時、崇高な理想に燃えており、理想の実現のためには多少の犠牲はやむなしと考えていたが、今となっては騎士道に反する行動だったと感じていた。彼女に対して紳士的な振る舞いを欠いたことに、彼はいくらかの罪悪感を抱いていた。計画が頓挫し、彼女を戦場であるリオファネス城に放置してきてしまったことも、彼の心を痛ませていた。けれど、どうやら彼女はそこから無事生還して兄と再会できたようであることをイズルードは知り、それは彼の心を落ち着かせた。
 しかし、一つだけ腑に落ちないことがあった。
「アルマはどうして今更、オレを呼び出したんだ――?」
 手荒な方法でさらったことを、非難するつもりだろうか、と彼は思った。

 * * * 

 妹から男を紹介された。
「この人はイズルード」
 知ってるよ、とラムザは心の中で思った。自分がかつて剣を交えた騎士だ。不幸な事件に巻き込まれてリオファネス城で果てた若い男だ。
「兄さんの言っていたことは本当ね。この香木は本物だったわ」
 妹がそんなにも会いたかったというのはイズルードだったのか。戦乱で死に別れた女友達と再会を喜ぶのだろうとばかり思っていたラムザは困惑した。一体、どうしてこの騎士なのか。彼とは、たった数日一緒に過ごしていただけだろう。それとも、たった数日だけしか共にしていないというのに、“そういう仲”なのだろうか。妹から今更若い男を紹介されるとは思っていなかったため、ラムザは戸惑っていた。
「アルマ、一体オレに何か用があったのか……?」
 ラムザが彼女に聞く前にイズルードが尋ねた。至極控えめな素振りだった。
「どうして? 理由がなかったらいけないの? 私はあなたにもう一度会いたいと思っただけよ」
 彼女は迷うことなくさっと答えた。しかし、顔をわずかに背け、誰とも目を会わせないよう視線をさまよわせた。答えるほんの少し前に、頬に赤く染めたのをラムザは見逃さなかった。ラムザは彼女と暮らしていた。兄妹の絆は消えることなく、彼女はいつもラムザの可愛い妹だった。けれど、その時、彼を前にしたその時、彼女は彼の妹ではなかった。一人の女だった。
 彼らをその場に残して、自分が退席するべきだろうとラムザは思った。けれど、同時に、彼らを二人きりにしておきたくない、とも思った。名付けられない、その感情に従って彼はイズルードを誘い出した。
「少しの間、外で話そうか」
 彼はその申し出に応じた。
 

 * * *

 外は彼の知らない国だった。イヴァリースで生まれ、故国から出ることのなかったイズルードにとって、ゼラモニアの光景は新鮮だった。家や町並みに大陸の文化がかいま見られた。
 イズルードが聞いたところによると、ラムザはゼラモニアの独立運動に関わっているらしかった。
「ゼラモニアの歴史は知っているだろう?」
 ラムザが尋ねた。イズルードはうなずいた。
「もちろん。ここは常に戦争の火種になっている」
「独立の夢叶わずに鴎国に併合されたのが一世紀前。それから畏鴎戦争が五十年。そして僕たちの国の戦争があって、イヴァリースはゼラモニアから撤退した。ゼラモニアは数百年の間もオルダリーアの圧政の下だ」
「それで、ラムザはゼラモニアの独立運動を支援していると?」
「これまでずっとイヴァリースは、ゼラモニア独立の支援を続けてきたけれど、独立支援なんていうのは建前だ。本当はオルダリーアへの侵略を考えていただけさ。この国はイヴァリースとオルダリーアという大国に挟まれて、戦場として蹂躙され続けてきた。僕はイヴァリースに生まれた。ゼラモニアの歴史には責任があるんだ」
 年はとっくに二十歳を超えて、彼はいくつになっているのだろうか。イズルードは、淡々と語るラムザの声を聞いていた。確か、自分と彼とは年はそう離れていなかったはずだ。修道院で初めて顔を会わせた時は、お互いにまだ若い少年だった。理想に燃え、それぞれが正しいと信じるもののために戦っていた。
「ラムザ、オレは君と剣を戦わせたことがある。だけど、君といがみ合っていたとは一度も思っていない。君はゼラモニアの虐げられた人々のために戦おうとしている。オレは君の精神に敬意を払っている。あの時から、今も変わらずそう思っているよ」
 理想を掲げて、虐げられた民のために剣を取る。それが騎士のあるべき姿であるとイズルードは思っていた。ラムザはその志を持った人間だ。たった数回剣を交えただけでも、それを知ることが出来た。けれどラムザと会う前から、理想を掲げて戦っていた騎士をイズルードは知っていた。彼はラムザと同じ金髪、ガリオンヌの出身、貴族をくじく精神を持っていた。そして内に激しい魂を秘めていた。イズルードが尊敬し続けたただ一人の男だった。
「ウィーグラフ……」

 * * * 

 イズルードが物思いに沈んでいる頃、ラムザもまた別のことを考えていた。
「イズルード、僕は崇高な精神のために戦っていたわけじゃないんだ」
 しかし、その言葉は彼の耳には届いていないようであった。
 ――僕は……大儀を掲げて戦ったわけじゃない。家族を、アルマを守りたかっただけなんだ……。もしあの時、修道院でディリータの姿を見なければ、僕はきっと戦争には関わらなかった。過去を捨て、家を捨て、名前を捨てて、そのまま逃げ続けていたかもしれない。
 ――ゼラモニアに居るのだって、本当はイヴァリースを追われてきたからだ。僕はもう二度とイヴァリースには帰らない、帰れないんだ。僕たちのことを誰も知らないこの土地で、僕はアルマと二人で平和に暮らそうと思っていた。独立運動のことを知らなかったわけじゃない……でも本当はただイヴァリースから逃げたかっただけなのかもしれない……。
 ラムザはこのことをイズルードに伝えられなかった。彼は自分のことを今でも理想を共にする同志だと思っているらしい。ゼラモニア独立のことも、彼はもしかしたら理想のための革命を起こせるのだと思っているのかもしれない。けれども、ラムザは過酷な現実を知っていた。かつてはオルダリーアの勢力を削ぐために独立を支援したイヴァリースが、今度は民衆の独立運動が自国に飛び火するのを恐れて派兵しようとしている。イヴァリースの英雄王自ら挙兵するとの話をラムザは聞いていた。ロマンダには英雄王に地位を奪われて亡命中の王子もいる。このままゼラモニアの独立運動が拡大すれば、周辺諸国を巻き込んでの争乱に発展するだろうことは容易に想像できた。けれどそうなった時、どう動くべきなのかをラムザはまだ想像できずにいた。もはやラムザ個人の力
ではどうにもできない問題になっていた。
 しかし、この夢見がちな青年にどうして本当の事が言えるだろうか?
 その時、イズルードがある名前をつぶやいた。
「ウィーグラフ……」
 ウィーグラフ・フォルズ。その名前を聞いてラムザは背筋が凍り付いた。その男はラムザを何度も殺しかけた、因縁浅からぬ者だった。
「もしウィーグラフが生きていたら、ゼラモニアの問題だって黙ってはいなかっただろうに。あいつは本当にすごい騎士だった。同じ神殿騎士として少しの間だけでも肩を並べられて光栄だった」
「うん、あの人はすごかった……僕はあの人の剣技にはとてもかなわなかった」
 ラムザがそう言うと、イズルードは同輩を賞賛されて嬉しかったのか、どこか誇らしげな顔をした。
「そう、ウィーグラフはすごい奴だった。オレは今でも心から尊敬しているよ。オレと同じゾディアックブレイブだったけれど、あいつはオレと違ってずっと苦労してきたんだ。イヴァリースのために戦ったのに、王家に裏切られてガリオンヌではかつての仲間と家族を失ったと聞いた」
 ――骸旅団を壊滅させ、彼の妹を殺したのは僕と、僕の兄たちだ。
「でも、ウィーグラフは剣を棄てず、ミュロンドに来て、信仰のために戦った。聖石が悪魔の力を宿していたとは誰も知らなかったが――ラムザ、君が正しかったよ――それでも、オレたちはあの時、貴族たちから平等を勝ち取ろうと戦っていたんだ。今もその気持ちは変わらない。ゼラモニアの困窮を前にして、オレもこのまま黙ってはいたくない。出来ることなら、君の力になりたかった。きっとウィーグラフもそう思っているだろう。民衆が立ち上がるための土台を築こうとしていたのだから」
 ――でも、あの時、確かにウィーグラフはこう言った。私を教会の犬と呼ぶが良い、と……。
「だけど、オレはウィーグラフを見捨ててきてしまったんだ。オーボンヌ修道院で、瀕死のウィーグラフを振り切ってその場を去った。それが心残りだった……。あの時は、あれが最善のことだったのかもしれない、だけど共に戦った戦友をあの場に残して一人立ち去った申し訳なさが残った。あの後、リオファネス城に行ったが――この経緯は君も知っているだろうが――そこで何度もウィーグラフの幻を見たよ。ここに居るはずもないのに、何度か彼の姿を見た気がする。幻覚を見るほどオレはウィーグラフのことを思っていたのかもしれない。――だから、ラムザ、どうか教えてくれないか。ウィーグラフの最期を知っているのは君だろう? 君があいつを討ち取ったんだろう、ウィーグラフはあの後、修道院でどうやって最期を迎えたんだ……?」
 ――そうだ、君の言うとおり僕がウィーグラフを討ち取った。だけど、そこはオーボンヌ修道院ではなく、リオファネス城だ。君が見たというのは幻じゃない、おそらくウィーグラフ本人だ。いや、彼はもうすでに聖石と契約を結んでいたから、ウィーグラフ本人ではないかもしれない……。
「ラムザ? どうしたんだ?」
「ああ、何でもないよ……」
 ラムザはイズルードに何も答えられなかった。イズルードを殺したのは、悪魔になり果てた彼の父親だった。ラムザは思った。もし、彼が、彼の敬愛するウィーグラフもが彼の父親と同じ道に墜ちてしまったと知ったらどう思うだろうか。父親に剣を向けたように、盟友にも同じように剣を向けただろうか。父親にそうしたように、変わり果てた友の身体に剣を突き立てたのだろうか。
 ――アルマ、今更どうして彼を呼んできたんだ。夢から覚めて、悲惨な現実を知って打ちひしがれるだけだというのに。僕は真実を知っている。だけどそれを彼には伝えられない。
「ラムザ? ウィーグラフは……」
「あの人は……最期まで僕の好敵手だった。僕の人生に影響を与えた人だったよ。あの人なしには僕の人生はなかったと思う。お互い、最後まで全力を尽くして死闘した。……最期は、妹さんのことが心残りだと言っていたかな……」
「そうだったのか。ラムザ、君がウィーグラフのことを認めてくれて、オレも嬉しいよ」
 ――知っているかい、イズルード? 君が敬愛するウィーグラフの、家族を殺して、彼を復讐に駆り立てさせた発端は僕にあるんだ。君はそんなことを露ほども知らないとは思うけれど……
 ラムザはイズルードに、ウィーグラフが聖石と契約を交わしていたことは言わなかった。彼の中で、ウィーグラフは永遠に高潔な騎士として生き続けることだろう。
 イズルードが理想高き誠実な騎士であることをラムザは十分理解していた。ゼラモニアの民衆運動にも、喜んで身を投じることだろう。妹を暴力にまかせて修道院から連れ去ったことは許し難い行為であったが、しかし、平素の彼はそれほど猛々しい性格ではなかった。むしろ、ラムザの知り合いの中では剣を持つ人間としては穏和な方であった。この期に及んで、凄惨な現実を突きつけて、この青年を絶望の淵に追いやるつもりはなかった。
 ――この男がアルマをさらっていった。そしてたった一瞬でアルマの心を奪ってしまったのだ。
 果たしてそのことにイズルードは気づいているのだろうか、とラムザは思った。
「アルマは君にずいぶん会いたがっていた」
 ラムザがそう言うと、イズルードは居心地が悪そうに言った。
「あの件は……本当に申し訳ないことをしたと思っている。アルマは、そのことをまだ怒っているだろうか……?」
 いや、それどころか君に好意を抱いている、とは言わなかった。代わりに「多分怒っていないと思う」と答えた。
「それは良かった。彼女には感謝している。そのことを伝えておいて欲しい」
 じゃあ、お互いよい旅路を、と言ってそこで彼とは別れた。何に対して「感謝している」のか、ラムザは分からなかった。けれど彼の言葉はそのまま妹のもとへ届けた。

 * * * 

「そう、イズルードはそんなことを言っていたのね」
 アルマは呟いた。せっかく再会の機会があったというのに、ろくに言葉を交わす間もなく再び彼は去っていってしまった。兄たちは外でずいぶん長いこと話していた。何を話していたのだろう、とアルマは思った。私も一緒について行けばよかったかしら。
「イズルードはこう言っていた、感謝していると。アルマ、そろそろ教えてくれないか。彼とはどういう関係だったんだ?」
「あらやだ、兄さん、もしかして嫉妬しているの?」
 兄がイズルードに何かしらの感情をあおられていることは確かだった。
「アルマ、僕はそういうつもりで言ったわけでは……」
「兄妹なんだから、兄さんが何を思っているのかは言わなくても分かるわよ。でも兄さんは勘違いしている。私たちは、イズルードとの間には、何もなかったのよ――だってよく考えてみて。私たちが一緒に過ごしたのはたった数日だったのよ。それも、私は誘拐されたのよ。“何か”を育むような楽しい逃避行ではなかったわ」
「彼は“感謝している”と。何もなかったわけじゃないだろう?」
「感謝されるとしたら、それはきっと、私が彼の最期を看たからよ……あの人は、私をさらった誘拐犯だったけれど、一人孤独に絶望の中で死を迎えるのはあまりに可哀想だわ。だから私、彼の手をとって、ずっと傍に居たの。彼も私も言葉を交わせるような状況じゃなかったわ」
 アルマはその時の光景を思い出して恐怖を再び感じた。血も凍り付くような虐殺がリオファネス城では繰り広げられていた。その真っ只中にアルマとイズルードは取り残されていた。そのような惨劇の中、彼らは互いに何も言うことも出来ず、ただ孤独と恐怖とをふさぎあうように寄り添っていた。
 再びおそった恐怖に身をすくめ、アルマは兄に抱きついた。目を閉じていても、脳裏にあの光景が浮かんだ。
「そうよ、私たちの間には何もなかったわ! 何もなかったのよ! あの時の私は修道院を出たばかりの何も知らない少女で、彼も教会のために命を捧げてきた人だった。私は兄さんに会いたくてずっと泣いていたし、彼は残してきた仲間のことを気にしていた。それに、あんな惨劇に見舞われて、お互い何の言葉を交わすこともなく別れたわ。だけど、今になって思うの。もう二度と会えないと知って、あれが、私の、初めての恋だったと気が付いたの。愛していたと気づいた時には、あの人は二度と戻らぬ人だったのよ……!」
 アルマは兄の腕に抱かれて泣いた。ラムザはこう言った。「アルマ、泣かないで、僕がずっと傍にいるよ」
「あの人は――イズルードは、私が初めて恋をした人だったの。だから、兄さんがあの香木を持ってきた時に、ふと、また会いたいと思ったの」
「愛を伝えるために?」
「いいえ、リオファネス城で、私の初恋はもう終わったのよ。昔の恋を伝えたかったわけじゃないわ。ただ……大人になって、綺麗になった私を、一度でいいから彼に見てもらいたかったの。ね、兄さん、あれから私はずいぶ大人になったでしょう?」
「僕の可愛い妹! 君は最高に美しいひとだ! 僕はもう二度と家族を手放すまい――誰にも引き離されることなく、僕たちはこの国で一緒に暮らしていくんだ――」
 兄妹は再び抱き合った。

 

 

2015.12.14