王の名は

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王の名は

 
久しぶりにダムシアンの王を訪ねようと思った。
彼がまだ王子だった頃、短い間だけ一緒に旅をしたことがある。

私は長いことあの時のことを謝ろうと思っていた。
ダムシアンが空爆された、あの日のことを。

「国王陛下」
そう言ったら、そんな堅いことはいらないと、優しく私を抱いてくれた。
あの頃と同じ、やさしい、おだやかな人だった。
「リディア、おかえり。よく帰ってきたね」
美しくて、涼しい、きれいな声。
ダムシアンの王族はとても美しい声を持っている。
魔法のようなこの声で、砂漠の怪物を鎮めている。

だけど、あの日、王子様はひどく涸れた声をしていた。
祖国が空爆されて、城が焼け落ちて、王様も王妃様も亡くなってしまった。
そんな状況だったから、王子様はひどく泣いていた。

私も泣いていた。母が死んでしまって悲しかったから。見知らぬ騎士につれられて、どこへ行くのかも分からないまま、旅をしていた。

王子様は泣いていた。
私は悲しいのに。私だって悲しいのに。
私も泣いていた。

「あなたが泣いていたら、誰がこの国を立て直すの?」
「王子様は私よりずっと大人なのに」

私は悲しみにかられてひどいことをたくさん言った。
私だって、知っていたはずなのに。
愛する人を失う孤独を。

それでも、王子様は船を貸してくれた。
ダムシアンの王族だけが持っている、砂漠を渡るための特別な船。
私をさらった騎士の大事な人が病で危篤だったのだ。
王子様は私たちに協力してくれた。
「愛する人を失ってはいけない」
そうして、私は、王子様と少しの間だけ旅をした。

「ダムシアンの王子様は女性のように美しいお声とお姿をしておられるそうだ」
そんな噂をカイポで聞いていた。
王子様は見聞を広めるため吟遊詩人に身を隠して旅に出ているのだとも。

「この国の王族、ギルバート・クリス・フォン・ミューアです」
王子様はそう名乗った。
私が一緒に旅をしたのは吟遊詩人の青年ではなかった。いずれダムシアンの王になる王族だった。

砂漠を船で渡る間、王子様はこう語った。
「僕の吟遊詩人としての旅は、アンナの死とともに終わった」
「もう僕はあの頃には戻れない」
だから私は、王子様が吟遊詩人だった頃を知らない。

王の名は、ギルバート・クリス・フォン・ミューア。
「ギルバート」
私はそうやって呼ぶ。皆、そうやって王の名前を呼ぶ。
「リディア、どうしてダムシアンに? 幻獣界に帰ったと聞いたけれど」
「昔のことを話そうと思って」

「ギルバート、私のお願いを聞いてくれる?」
かつての王子様はにこやかに笑っている。初めて会った時から変わらず柔和な人だった。
「私、あなたの歌をきいたことがないの。一度でいいから、吟遊詩人だったあなたの姿を見てみたいと思ったの」
美しい声を持つダムシアンの王族。
どんな綺麗な音色で歌うのだろう。
「僕が吟遊詩人だったのは昔のことだ。アンナが亡くなり、父の名前を継いだ日から僕はこの国の王になった。もうあの放縦な日々には戻れない」

ギルバート。私の知っているギルバートはずっと王子様だった。
だけど、燃える城の中で、たくさんの亡骸の前で泣きながら歩く彼はとても国を背負う王子の姿には見えなかった。

心穏やかな吟遊詩人の青年に、とてつもない重荷を背負わせてしまったのかもしれない。
私が弱虫、なんて言ったから。
そんなことを伝えると、かつての王子様――王様は笑った。
「それが王族のつとめだよ」と。
「国を背負うことは王族の義務だ。あの時、国民を守れなかったことが悔しい――君も、リディア、悲しい思いをさせてしまってすまない」
王様はぎゅっと抱きしめてくれた。

あなたは悪くないのに。
私はもう孤独と恐怖に耐えきれずに泣き出す子供じゃないのに。

ふれ合う肌から、あたたかいやさしさが伝わってくる。

背も伸びて、髪もずいぶん長くなった。
私はあれから大人になった。
大人になるとは、愛を知ること。
たくさんの人が私に愛を教えてくれた。
この世界には、時々、王様のような人がいる。溢れそうなほどの無償の愛をくれる。そんな心優しい人たち。

「ギルバート、テラさまとは仲直りできた?」
「ああ、トロイアで祝福をくださったよ。父が息子にしてくれるように――僕はテラさんの息子として認めてもらえたんだ」

ダムシアンが争乱に見舞われているとき、王子様はもっと大変な状況を抱えていた。
私は王子様が吟遊詩人だった頃の話はよく知らない。だから、吟遊詩人の青年と、賢者の娘の間にはぐくまれた愛の物語についてはよく分からない。

テラさんが亡くなってしまって、もう王様が吟遊詩人だった頃を知る人はみんないなくなってしまった。
「寂しくないの?」
私はそう聞いた。
「寂しいよ……とても。僕たちの愛を知る人は皆いなくなってしまった。だけど、思い出は今も、色あせることなく燦然と輝いている。一生忘れることの出来ない幸せな愛を知った。それだけで僕は十分幸せなんだ」

ギルバート。
王様は昔のことを話してくれない。
戦争が始まる前、平和だったあのころの、王子様が幸せだった頃の話を私は聞いてみたい。
でも、聞かなくてもわかる……王様がどんな恋をしていたのか。

私は大人になったけれど、まだまだわからないこともある。
もう誰も知らない愛を今でも大切に抱き続けること。
もう二度と返事のかえってこない恋人の名前を呼び続けること。
それはどんなに寂しいことだろう。

「リディア、帰るなら送るよ。僕の船を使うといい」
「幻獣界へ戻る前にエブラーナに行きたいの。寄ってもいい?」
王様は快く船を貸してくれた。
私たちは二人で砂漠の海を渡った。

一度でいいからあなたの歌声を聞いてみたかったとお願いしたら王様は少し笑って「いいよ」と答えてくれた。

一隻の船が流れゆく
かかえきれぬ重荷を乗せて
彼女が一人で漕いでいく
それに勝る愛を持っているのに
私はとても出来ない
これ以上荷を乗せたら
船はきっと沈んでしまうだろうから

私に船があるならば
櫓を漕いで
そうしたら対岸まで渡してあげられるのに
沈まぬように

愛とは優しく穏やかなもの
けれど朝露の如くに消えてしまう

私に船があるならば
あなたと私を乗せる
そうしたら二人で漕いでいけるのに
沈まぬように

  

私は砂漠の彼方のダムシアン城を振り返った。

もう誰も知らない、王様が吟遊詩人だった頃の愛の物語。
私はしばらく、王様の綺麗な歌声に耳を傾けていた。

  

2016.07.20

・ギルバートとリディア(大人)…すごく好きな二人です。
・ギルバートのジョブ名が「おうぞく」で明らかに浮いているのは、祖国の襲撃の場を目の当たりにして彼が吟遊詩人としてではなく王族として生きる決意をしたから…と想像してみたり。恋人も死んでしまって、もう吟遊詩人としては生きていけないと悟ったんじゃないかなーとか。
・白鳥英美子さん(もしくはPeter Paul and Mary)の「THERE IS A SHIP」を流しながら読んでもらえると嬉しいです。