飛ぶ鳥、はるか

.

             

・レインとヘリアーク(ソルの中身)のヴィジョンの会話。色々妄想。


 

 

 

飛ぶ鳥、はるか

 

 

 
「ソル!」
 魔力を使い果たして、羽が地面に落ちるようにゆっくりと岩床に倒れ伏したソルのもとにレインは駆け寄った。彼の魔力は果てしないように見えたが、これが本当に最期なのだとレインは悟った。
 彼の身体から発していた白い光が少しずつ薄らいでゆく。ローブの下の身体がゆっくりと溶けるように色を失っていく。
 だが、胸元に光るものが残った。ソルの身体から光が消えたのちも、周囲に静かな光を放っている。透明で、さわると冷たい結晶のようなもの。「クリスタル?」レインはつぶやいた。

「それは魔導心臓よ。彼は特殊な心臓を持っていたの」
 レインの背後から艶っぽい声が響いた。黒の花嫁のフィーナだ。クリスタルと同化した彼女は変幻自在に、姿を表したり消したりしている。
「フィーナ……」
「彼の最期を見に来たの。同じヘスの賢者だもの。看取ってあげないと」
 黒のフィーナはソルの身体の上からクリスタルをひょいと取り上げた。
「ふぅん……これが魔導心臓っていうのね。現物は初めてみたわ」
「それは? クリスタルに見えるけど……」
「核はクリスタルよ。どういう原理で動いてるのかは私も知らないけど」
「どうしてソルの心臓はクリスタルなんだ?」
 クリスタルが心臓として動くものなのだろうか。レインは不思議に思った。そして、ソルがことある毎に、自分には感情がないと言っていたことを思い出した。心臓がないから、「心」がなかったのだろうか……。
「そんなに気になるなら本人に聞いてみたら? 魔導心臓の主成分はクリスタルだからヴィジョンを喚び出せるわよ」
 黒のフィーナはレインにソルの心臓をぽんと手渡した。レインは戸惑った。心臓を手にしたままその場に立ち尽くしている。
「どうしたの? ヴィジョンの喚び方、忘れちゃった?」
「いや、違うんだ。ちょっと怖くて……だって、これ、ソルのクリスタルだろ? また混沌の闇みたいな化け物のヴィジョンが出てきたらどうしようかと思って。皇帝に、ウェポンに、混沌の闇。いくら俺でもそんなにいっぺんに相手に出来ないしさ」
「大丈夫よ。そんなに恐ろしいものは出てこないわよ。ちゃんと呼んであげればね」
 黒のフィーナは笑った
「ヘリアーク」
「え?」レインの耳元で黒のフィーナがささやく。ふふ、と色っぽく微笑みながら。
「ヘリアーク。そう呼んであげれば大丈夫よ」
 レインは言われるままに名前を呼んだ。

 このうえなく美しいひとが現れた。クリスタルから白のフィーナが生まれた時のことをレインは思い出した。深い湖を凍らせたような青の長い髪。透き通った氷のような白い肌。どこから飛んできたのか、白い鳩を肩に止まらせて、自分は止まり木のようにじっと静かにたたずんでいる。
 女性かと思った。レインは最初にそう感じた。鳩の止まり木は静かに口を開いた。「君は誰だい?」女性がしゃべるよりずっと低いテノールの声。その話す声を聞いて、レインは気づいた。ソルと同じ声だ……「生命は全て醜い、私が滅する」そう言った声と全く同じだ。
 どういうことだ? ソルのクリスタルから、見たこともない穏やかそうな見た目の青年が現れた。
 レインはとっさに黒のフィーナに助け船を出そうとしたが、気まぐれな彼女の姿はもう見えなくなっていた。といっても、気配はレインの後ろに感じられた。レインと鳩の青年の対面を後ろで笑って楽しんでいるに違いない。まいったな……とレインはこぼした。
「ソル?」
 レインは尋ねた。どう見てもソルには見えないが、声はソルだった。だけど、あの骸骨の冠の下にこんな物腰穏やかな青年がいたとも思えない。
「ソル……? 僕はヘリアーク。クリスタルの研究者だ。研究所では主に魔導心臓の開発に携わっていた。君とは初めてだよね? よろしく」
 ヘリアークと名乗った青年は、レインに向かって気さくに右手を差し出してきた。鳩は彼の肩の上にきちんと収まったままだ。どうやらとてもなついているらしい。
 レインは差し出された右手を握った。とても暖かい。相手がヴィジョンだということを忘れてしまいそうだ。
「俺はレイン」
 ヒョウ、と名乗るつもりだった。だけど、ソルはレインと呼び続けていた。考えるより先に慣れ親しんだ名前が出てきてしまう。言い直そうか迷った。でも、この青年はレインと初対面なのだから、二つ名前をいっても混乱するだけだろうと思ってやめた。といっても、ソルとヘリアークのことで俺も混乱してるけど。

「ヘリアーク、どうして君は魔導心臓を持っていたんだ? クリスタルが心臓の代わりになるのか?」
「それは……」
 明るい青年の顔が、一瞬、困った顔になった。でもすぐに言葉を継いだ。「僕の心臓がバブイルに持って行かれてしまったから。僕の心臓はバブイルの決して開かない永久機関の中。だから代わりに魔導心臓を僕の身体に入れたのさ」
「バブイルの心臓! もしかして……!」
 レインはラピスで見たバブイルの心臓を思い出した。クリスタルに封印されてた影響で、溶けてしまった心臓。
 ヘリアークは驚いた。「まさか、君は僕の心臓のゆくえを知っている……?」
「ああ……だけど、もう手遅れだった。ごめん」
「君が謝らなくても。もともとは僕がなくしたのが悪いんだ」
 それに……とヘリアークは顔を伏せた。視線の先には、息絶えたソルの躯。「どうやら僕の身体は魔力を使い果たして死んだのだろう? 心臓があっても身体がないのでは、意味がないからね」
 ソルの胸の上にヘリアークは手をおいた。目を閉じて、静かにつぶやく。
「ほんとうは、返して欲しかったけど……仕方ないよね」
 ヘリアークはあはは、と笑った。
 レインは彼の気持ちが分からなかった。心臓をとられた、というのに、彼の口からは憎しみや、恨みや、怒りの言葉は一つも出てこない。ソルは人間のことをあんなに憎んでいたのに。
 君はどうして笑っていられるんだ? 君がさわっているその躯はもう二度と息を吹き返さない。つまり、君が還る身体はもう存在しないんだ。
「ヘリアーク、怖くないのか……? 今、ここで君の身体は力つきた。もし、このクリスタルが砕けてヴィジョンが消えたら、君はもうここに存在できない。永遠に消えてしまう……それってすごく怖いことじゃないか?」
 俺は怖かった。ゲートを閉じた時、これが終わったらもう死ぬのだと思った。めちゃくちゃ怖かった。クリスタルにヴィジョンを残したけど、自分が死んだ後のヴィジョンが、こんな風に穏やかに笑って自分の死を語るかどうかなんて考える余裕はなかった。
「僕は一度死んだことがあるから、慣れてるんだ。最初は怖かったけど、今はそんなに怖くないよ」

「えっ?」
 一度死んだことがある? どういうことだ?
 不思議に思って聞き返したレインにヘリアークは語った。
「魔導心臓の核になっているのはクリスタルだ。君も知っていると思うけど、クリスタルは人の想いを吸収する性質がある。僕のクリスタルは僕の想いを吸収し、とうとう僕の存在全てを吸収し尽くした。そうして僕は死んだんだ。僕は自分の心がだんだんとクリスタルに奪われていくのを感じていた。最初はやっぱり怖かったよ……だって、自分の心がどんどんなくなっていって、自分という存在が失われていくのが分かってしまったから……」
 ヘリアークは静かに語り続けた。
「でも、ヘリアークが死ぬ時、最期まで見届けてくれた人がいたから。最期はそんなに怖くなかったかな……あ、その時はもう心がクリスタルにほとんど奪われてたから、だから何も感じなかったのかも、あはは」
 レインはテノールの声をずっと聞き続けていた。柔和なトーン。死への恐怖はどこにも感じられない。
「それで、僕の肉体もやっと死んだんだよね? 不老不死だったから長く生きてたと思うけど……僕が死んでから何年くらいこの肉体は生きていたんだろう」
「えーと、700年くらい?」
 レインの答えにヘリアークは驚いた様子だった。
「すごいなあ、僕。よく700年も魔力が尽きなかったよ。魔導心臓のクリスタルが僕以外の想いも吸収していたんだろう。ねえ、レイン、僕の肉体はどうやって死んだんだ? 君は僕の最期を看取ってくれたようだけど……僕は、700年もの間、どうやって生きていた?」
 レインは言葉に詰まった。ソルの生きてきた700年の人生をレインは知らない。知っているのは、ラピスでゲートを巡って死闘を繰り広げ、パラデイアで一緒に旅をしたほんの少しの時間のことだけ。それに、ラピスにいたソルは憎悪の固まりだった。憎しみ、怒り、悲しみ、絶望、苦しみ、復讐……人間の負の感情の塊を喚び出し、ラピスを破壊しようとしていた。そんなこと、この青年に伝えて良いのだろうか。自分が、死んだ後、自分の身体が世界に混沌をもたらそうとしていた、と。この優しそうな彼はきっとひどく心を痛めるはずだ。レインは首をふった。もう終わったことだ。彼に言うのはやめよう。
「君は……ずっと感情が分からないと言っていた。自分には心がないから、感情を知りたい、と言っていた。だから……ええと……人間の想いをたくさん吸収しようとしていた」
「ああ、きっと魔導心臓が暴走していたんだろう。このクリスタルで出来た魔導心臓は、人の想いを吸収してエネルギーに変換する仕組みだ。僕の身体に宿る膨大な魔力を支えるには、さぞかしたくさんの人の想いが必要だったんだろう。僕の心臓は周りに迷惑をかけていただろう。僕と一緒に居た人たちは皆、感情を奪われ、冷酷無比になって暴れていたことだろう……申し訳ないことをしてしまった……」
 ヘリアークは顔を沈ませた。
「いや、そうじゃなかった。ソル……いや、君のクリスタルが吸収していたのは人々の怒り、憎しみ、嫉妬……あらゆる負の感情だった。その想いは星を破壊しそうなほど膨れ上がっていた。君はあらゆる人間の汚れた感情を見て、人間は醜いと言った。だから滅ぼす、と……」
 あ、言ってしまった……レインは焦った。こんな事実を告げたら、彼はきっとひどく落ち込んでしまう。そう思ったが、ヘリアークは意外な一言をつぶやいた。
「ああ、僕でよかった……」
 レインは意味が分からず、ちょっと考え込んだ。何を言っているんだ?
「僕が……悲しみや憎しみを背負う人でよかった……それが僕の願いだったんだ。人々の苦しみを救いたい、ずっとそう思っていた。僕は白魔法も使えないし、僕の研究は戦争の道具にされてしまったけれど、それでも僕はずっと人々の苦しみを救うために生きたいと思っていた……僕の開発した魔導心臓が、そうやって人々の苦しい気持ちを吸収してくれていたなら、僕の研究は少しは役に立ったということだ……よかった」
 青年は続けた。「人間の命は短い。短い人生を悲しみや憎しみにとらわれたまま終えるのは可哀想だ。僕は不老不死だから……苦しみの感情はいくらでも吸収できる」
「ヘリアーク……だめだよ、君はあの感情の塊に潰されてしまう。ソルが喚び出した混沌の闇は、ラピスを破壊しようとしていた。君一人が背負いきれる量の感情ではなかった」
「そうだったのか……」
 しばしの沈黙。
「……やっぱり魔導心臓は欠陥品かぁ。君の話を聞いて苦痛を吸い上げるクリスタル機関に改良できないかなって思ったけど、やはり難しそうだ。クリスタルに蓄積された想いのエネルギーを循環させる構造にしないと、膨大な量のエネルギーが君の言うように破壊兵器に盗用される危険性がある」
 ヘリアークは研究者然としてぶつぶつと一人でつぶやいていた。彼はクリスタルの研究者だったというが、その手腕もきっと確かなものだったのだろう。
「レイン、僕の肉体の死を看取った君にお願いがある。この魔導心臓を一緒に破壊してくれないだろうか」

「どういうことだ?」
「簡単だよ。魔導心臓はクリスタルで出来ているから、叩き潰せば砕け散る。僕は魔道士だから、クリスタルをたたき壊すほどの腕力はないんだ。頼む」
「いや、だって……!」
 レインは慌てた。「そ、そんなことをしたら、君のヴィジョンも消えてしまう。依り代のクリスタルが砕けてしまったら、君は二度とヴィジョンとして蘇ることができなくなってしまう!」
「そんなことは構わない。僕の生きていた時代から700年も経っているらしいから、もう僕のことを思い出して懐かしむ人もいないだろう。それに、君の話だと、僕の心臓には膨大な量の負の感情が蓄積されているらしいじゃないか。もし、誰かがそれを喚びだして暴走させたらどうなる? そんな危険なものを残しておくことは出来ない。……君に出来ないというなら、僕がやる」
 ヘリアークは杖を取り出し、高らかに振り上げた。あたりに凍てつく冷気が渦巻く。レインはヘリアークの意図を察して、彼の振り上げた杖を奪おうと飛びかかった。だが、ヘリアークはするりと身をかわし、魔法を詠唱した。詠唱といっても、言葉がひとつふたつ、あったかないかのうちに天から鋭い氷塊が降り注いだ。冷たい塊はヘリアークの幻の身体を突き抜け、狙いを外すことなくソルの心臓を貫いた。心臓に一撃。かたいものが粉々に砕ける乾いた音。
「待ってくれ……ッ! 混沌の闇なんて怖くない! 俺が何度でも倒してやる! だから、まだ――」
「君は強いね、ありがとう……でも……」
 きらきらとした光の粒子が舞い上がった。それが氷の欠片なのか、クリスタルの欠片なのか、もう判別できないきらめく何か。

 何もなくなってしまった。
 ソルのこと、何も知らなかった。感情がない、と言っていた。だけど、自分の心臓の中にちゃんと持ってたじゃないか。なのに、自分で砕きやがって。滅したいって、言葉通りにしやがって。なんだよ、なんで何も話さずにいっちゃうんだよ。

「ね、彼、いい人でしょう。私が言った通り混沌の闇なんて出てこなかったでしょう?」
 今更になって黒のフィーナがレインの後ろでささやいた。
「フィーナ……どうして、止めてくれなかったんだ」
「だって、私も、魔導心臓は壊した方が良いって思ってたから。危険でしょ。あんなものが残ってたら」
「だけど……もうちょっと、彼の話を聞いていたかった。俺、今更だけど、ソルのことをもっと知りたいって思った。ソルも知らない昔のソルのことを聞きたかった。フィーナ、土のクリスタルの力を使って、ヘリアークのことをもう一度、喚び出せないか?」
「んー、難しいかも。私が知ってるのはヘリアークじゃなくてソルの方だし。私が喚んだらソルが出てきちゃうかも」
「やっぱり、難しいか……」
 レインは肩を落とした。黒のフィーナがレインの身体をふわりと包み込んだ。精神体の彼女の温かい感情がレインを励ました。
「そんなにがっかりしないで。私の知ってることを話してあげるから」
 そう言って黒のフィーナは語り出した。彼女の話によると、少しの間だけ軍の施設でヘリアークは兵士と働いていたらしい。
「彼、とても優しい人だったのよ。いつも朗らかで。にこにこと笑ってて。私が軍の施設に居た時に、ちょっとだけ一緒に戦ったことがあったわ。でも、彼、すごい魔力を持っているのにあの性格だから全然使いこなせなくて。軍人に向いてなかったわ。だからすぐに研究所に戻されて。その後は研究所でクリスタルの研究をしてたらしいけど、私は詳しくは知らない。ユライシャの下で再会した時はもうソルって名乗ってた」
 レインは黒のフィーナの話を静かに聞いていた。
「魔導心臓の件もね、ユライシャから聞いた噂によると、彼は同僚に裏切られてまだ未完成だった魔導心臓を埋め込まれたらしいわ。妬まれ、裏切られ、陥れられたっていうのに、ヘリアーク本人ったら全然怒らないのよ。あなたはもっと他人を疑って生きなさいってユライシャが叱ってたって」
「へえ……あのソルに、そんな過去があったとは……」
 レインは岩床に散らばるきらめく破片をいくつか拾った。粉々に砕けたクリスタル。ソルの心臓。ヘリアークの心。
「私はヘリアークのことは全然知らなかったけど、研究所にいた時の彼を知ってる人は、彼のことを太陽みたいな人だって言ってた」
「だからソルって名乗ってたのか……」
「自分でつけたんじゃなくて、誰かにもらった名前って言ってた」
 700年前にソルとなる前のヘリアークがどんな人生を送っていたのか、レインにはさっぱり分からない。
「きっと……その人はソルに、ヘリアークとして生きて欲しかったんだろうな。だからヘリアークの心が死んでも、太陽の輝きが失われないようにって……」
 クリスタルに感情を奪われたヘリアークが、ソルに託した唯一のもの。

「またどこかで会えないかな。ソルじゃなくて……ヘリアークのことを知ってる人がいれば、その人がヘリアークのクリスタルを持ってたりしないかな」
「無理じゃない? だって、ヘスの八賢者たち、もうほとんど死んじゃったし。ユライシャだってもういないし」
「700年か……だけど、この星から争いはまだ消えない。ソル……いや、ヘリアークは人の苦しみを救いたいと言っていた。彼の願いはまだ叶いそうにない」
「――だから、あなたが叶えるんでしょ?」
 レインは自分の使命を思い出した。何故、自分がオーダーズに入ったのか。情を捨て去り、ヒョウとなったのかを。アルドールとヘスの争いを終わらせるんだ。道は険しい。けれど、前に進まなければ。
 その時、白い鳩が宙でひとまわり円を描いてからレインの肩に止まった。
「ヘリアークのビジョンの鳩ね。彼、いつも鳥と一緒にいたから、一緒にクリスタルに宿ってたのね。よかったわね、あなたのクリスタルは砕けなかったのね。それだけ強い想いが残っていたのね」
「強い想い?」
「ヘリアークが言っていたでしょ。人々の苦しみを救いたいって。この世界の人は、戦争に疲弊しきってる。アルドールとヘスの対立は人々に苦しみをもたらす。だから……」
 黒のフィーナはレインの髪をつついている鳩をうながした。
「あなたの主人はもうここにはいないわ。飛んでいきなさい。彼の想いが尽きる日まで飛び続けるのよ――争いのない世界が実現するまで」

 

 

 

2018.11.18