聖夜の宴

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・「異端者に神はいるだろうか? 家畜に神はいるだろうか?」
・もしもイズルードがリオファネス城から生還していたら…ifストーリー
・時間軸はリオファネス戦後~ラムザがアルマ奪還のためミュロンドに乗り込む直前

 

 

 
聖夜の宴

 

 

 

 教会の鐘は沈黙していた。
 聖アジョラの降誕祭を迎えるにあたって、待降節に入ったのである。賑やかな祭の前の静かなひとときであった。
「もう降誕祭に入ったのか?」
 部屋の隅に置かれたベッドの上に腰掛けながらイズルードは尋ねた。
「まだだな。ちょど先週から待降に入った。聖夜まではまだ日がある」
 クレティアンは答えた。そして窓から外を覗いているイズルードにもう寝るようにうながした。
「もう少し寝てな。病み上がりなんだから」
「もう十分よくなったから。それに、こんな部屋で寝てばっかりじゃ気分が晴れないから……」
 あの『リアファネスの惨劇』から数ヶ月。気が付いたらミュロンドに連れ戻されていた。後であれは異端の者が聖石を使い異形の魔物を喚びだしたのだと人づてに聞いた。教会が言うのだからそうなのだろう。
「ちょっと外を見てくる」
「どこへ行く気だ? 無理するなよ。少し前まで床に就いてたのだからな」
 リオファネスで大怪我を負って運び込まれてきた時、クレティアンが随分と親身になって看てくれた。さすがは希代の大魔道士。もう怪我はほとんど良くなっていた。
「街を見てくるだけだって」
 心配そうにしているクレティアンをよそに、イズルードの心は浮かれていた。長いことベッドに寝かされていただけあって、早く外に出たい、と。しかも時期はもうすぐ降誕祭。はやる心を抑えられなかった。
「どうせ出掛けるなら、私のチョコボを使っていきな」
 ようやくクレティアンも諦めたようだった。

 *

 隊舎の外れにあるチョコボ小屋へ行くと、色とりどりのチョコボが並んでいた。一般騎乗用の黄チョコボの他に、白や茶、緑のチョコボも飼われている。イズルードは様々な色チョコボを見回した。たしか白チョコボは魔道士の騎乗に使われていたはず。イヴァリースのユトランド地方が産地で……と思い起こす。普段何気なく乗っているチョコボのことになど気を留めたこともなかった。こんなチョコボ小屋に入ろうとも思った事はなかった。いつもは馬飼いにまかせっぱなしだった。
「こうして見るとチョコボも案外かわいい奴だな」
 切れ長の大きな目、ふさふさした羽、長く立派な尾。そのどれもがなでさすりたいくらいに愛らしかった。イズルードは目の前にいた、輝く赤銅の羽を持ったチョコボに手を伸ばした。
「そいつは気性が荒いぜ。気を付けな」
「ディリータ? いたのか?」
「いたさ、ずっと前からな。おまえが俺に気付かなかっただけだ」
 無愛想に答えるディリータ。ここでチョコボの世話をしていたらしい。その手つきは愛情にあふれていた。
「わざわざチョコボの面倒を見に来たのか? 珍しいやつだな。そんなの人に任せておけばいいものを。チョコボが好きなのか?」
 その質問に答えはなかった。団中でも無愛想で人付き合いの悪いと評判のディリータであった。あいつは何を考えているのか分からない、と他の騎士らは噂した。
 仲間内の付き合いにもさして顔を出さないくらいだからよほど冷めたやつなんだろう、と見当をつけていたイズルードは、チョコボをかわいがるディリータの姿を見て驚いた。意外と愛嬌のあるやつじゃないか。
「赤チョコボは総じて気性が荒い。見知らぬ奴が手を出すと、隕石の一つや二つは平気で降らせるような暴れ馬だ。うっかり野生の赤チョコボに出会ったら、そいつは運がないとしか言えないな」
「ふーん……そうなのか。詳しいなディリータ」
「これくらいは常識だろ? ん、そうか。おまえはも一応ティンジェルの家の御曹子だもんな。こんなこと知らなくて当たり前か。チョコボの世話は下のやつらの仕事だしな」
 『ティンジェルの御曹子』という言い方が、少し引っかかった。周りからそんな目で見られたことは一度もない。父ですら、自分のことはただの一介の騎士としてしか見ていないだろう。もし『御曹子』として見られているのだったら、今頃はとっくにディバインナイトに叙されているはずである。
「オレは別にそんな、跡取りってわけじゃ……」
「団長の息子で、聖石持ち。それだけで十分に人から羨ましがられる要素は揃っている。ま、別に俺はそんなこと気にしてないがな……」
 うつむきがちにディリータは呟いた。彼の過去をイズルードは知らない。彼がここにくるまでに、どういう人生を歩んできたのかも。人には知られたくない過去があるのだろう。イズルードはそのことについて何も言及しなかった。他人の経歴を詮索することは御法度というのが、団内での不文律となっていた。
 イズルードは赤チョコボから離れ、小屋の奥の一画に大事に世話されている白チョコボに近づいた。この小ぎれいなチョコボはクレティアンに飼われているものだった。主人に似て、非常に礼儀正しく、イズルードが近づくと膝を折ってお辞儀をした。無論、クチバシでつつかれたりということはなかった。
「そのチョコボは、クレティアン様のじゃないのか? 勝手に乗っていいのか」
「許可はあるよ。外へ行くなら使っていいって言われた。オレのチョコボはリオファネスで戦死しちゃったからさ」
「そうか……そうだったのか。そういえば、傷はもういいのか? リオファネスでは随分と人が死んだな。おまえ、よく生きて還ってこれたな」
「うん、ドロワ様が看てくれて、おかげで、なんとか」
「クレティアン様とは親しいんだったな。羨ましいな、あのアカデミー随一の魔導士様と知り合いとは」
「オレがまだここで見習いだった頃からの付き合いで……って、ディリータ、なんでドロワ様がアカデミー卒だってこと知ってるんだ?」
 たしか、クレティアンは自分がアカデミー卒だとは、口外していない。それも首席だったなどとは。ソーサラーの称号を持っているにもかかわらず、普段は白魔道士を名乗っているくらいだった。イズルードは不思議に思って、ディリータを見たが、視線を合わそうとしない。答える代わりに、ディリータはそっと白チョコボをなでた。チョコボは綺麗な声でキュと鳴いた。この美声も主人譲りだろうか。クレティアンはまた歌も器用に上手かった。
「そうだ、ディリータ、暇なら一緒に街へ行かないか?」
「遠慮する。そんな気分じゃないな」
「何故だ? もうすぐ降誕祭が心待ちじゃないのか」
「……降誕祭――聖アジョラの、生まれましぬ日、か。そうだ、イズルード、おまえは神がいると思うか?」
「オレを誰だと思っている。オレを無神論者だと思ったのか?」
 イズルードは思わずむっとした。仮にもゾディアックブレイブの名をもらった自分に向けられる質問にしては無神経だと思った。
「悪い悪い、そんな意味じゃないよ。俺が思ったのはな、おまえのような信心深い人やつともかく、あの、『異端者』とかにも神はいるのか、って思っただけだよ」
 想定外の質問だった。イズルードはたじろいた。
「え、えっと――それは――」
「ならばこのチョコボや、家畜にも、神はいるか? あまりの貧窮に教会へだってこれない者が世の中にはたくさんいるんだぜ」
「ああ――」
 家畜に神はいるか、と問うたディリータの顔は真剣だった。どう答えるべきか、悩むイズルードを無視してディリータは小屋を去ろうとした。
「何故俺がクレティアン様のことを知っているかとおまえは聞いたな。俺はな、昔、アカデミーにいたんだ。それにベオルブにも仕えていた。そこでチョコボの世話を任されていた。……もう昔の話だよ」
 ディリータは遠い目をして言った。どことなく淋しそうな顔をしていた。そして立ち去っていった。見送るようにチョコボたちがクェェと鳴いた。
「ディリータ……」

 *

「なんだ、街へ行くのではなかったのか?」
 飛び出すように出て行ったにもかかわらず、落ち込んだ様子でクレティアンの部屋を訪ねたイズルードであった。
「そんな気分じゃなくなってさ」
「気分が晴れないから外へ出たいといっていたのがどうしたことだ」
 机に向かい、ペンを走らせながらクレティアンは訊いた。
 紙の上をさらさらとペンが走る。心地よい静かな音だった。カリグラフィーと称される美しい飾り文字がするすると綴られていく。
「ディリータのこと何だけど……」
「ああ、あの聖剣技使いの騎士だろう。今は剛剣にも精を出しているそうだ。あの向学心は他の者らも見習うべきだろうな」
 クレティアンは思った。彼にはもともと剣の才はあったようだが、ミュロンドへに来てすぐに聖剣技を習得し、今は剛剣の習得に励んでいる。それは向学というより、何か強い執着――強迫観念のようなものを感じた。何かひどく切迫したものを感じる。彼はそんなことを口に出す人柄ではなかったが。
「ディリータか……彼もたしかアカデミー出だったか」
「あ、クレティアン、知ってるの? もしかして、むこうで一緒だったとか」
「いや、ちょうど私が卒業する頃にすれ違いで入学してきたはずだからな。本土では会っていない。でもベオルブ先輩――ザルバッグ将軍からよく話は聞いていたよ。なにせあの偉大なる天騎士の家に居たそうだから、大変だったのだろう……」
 まさかミュロンドに来て会うことになるとは思っていなかったことであった。
「なんかさーそのディリータがさ、『異端者に神はいるのか』とか言うから。やっぱりアイツのこと気にしてるのかなと思って。でもオレ、結局その質問に答えられなくて。よくわからないんだ」
 クレティアンはペンを止めた。紙の上に綴られたのは福音書の言葉だった。聖典の筆写など、修道院の仕事であったが、そもそも聖典原典の言葉である畏国古代文字を解する者が少ないこともあって、よく筆写を頼まれていた。決して嫌な仕事ではない。ただ無心に、筆写を続けることは一瞬の瞑想のメディテーションでもあった。
 たしかに、アジョラの述べ伝えた福音には「異端者を愛せ」などとは一言も書かれていない。書かれていない、が。
「ふん…『異端者に神は存在するか』ということか。実際に身の上に置き換えて考えれば簡単だな」
「えっと……どういうこと?」
 机の上に重ね上げられた聖典を取った。 先程まで自分まで筆写をしていた原本だった。
「今から私がこれをカテドラルに持っていってその場で焼き捨てれば、寸分構わず『異端者』になれる。そしたらイズルード、あの『異端者』に神はいたのかどうか考えてみればいい」
 袖をたくしあげ、クレティアンはさっと中に手を挙げるとささやかな火炎を散らした。あわててイズルードが止めに入る。
「えっ待って待って、そんなこと……本当にやらない、よね……?」
 怯えた目で袖をつかむイズルードの頭をそっとなでた。おまえは少し素直すぎるな、と。
「第一、書物を焼く人がいれば、それはいずれ人をも焼くようになる――とある詩人が言っていたのでな……まあ、聖典を焼き捨てるようなことは私はまっぴらだがな。たとえそんな『異端者』がいたとしても、私にはその人の信仰までは推し量れない。しかし、その者の上にも神の平安があるように願ってはいる――」
 書見台に広がられた聖典を見た。美しく装飾が施されたそれは、数多くの人々を信仰の道へ導き、魂を救ってきた。だがその数に劣らず勝らず、この本は、多くの人を死へ導いたのであろう。この本に書かれた、その言葉だけを頼りに、殉教した人のなんと多いことか。また、この「神の言葉」のために闇に葬られた人々と真実――その数については、想像もつかない。
「じゃあ、人でなくて、信仰心を持たない動物……家畜とかなら? 家畜にも神はいるんだろうか?」
「イズルード……? 先程から異端者だの家畜だの、本当にどうしたんだ」
「あ、オレのことじゃなくて、ディリータが随分気にしてたから……」
 ディリータ。あの少年か。可哀想に、どこぞの心ない輩に暴言を吐かれたのだろう。あの繊細な少年には耐えられないだろうな、とクレティアンは思った。
「ならイズルード、聖アジョラはどこで生まれた?」
「チョコボ小屋で……そのあと井戸の毒を予見したって」
「仮にも、『神の御子』がそんな井戸に毒がたまっているようなみすぼらしい家畜小屋もどきで生まれるなんて不思議じゃないか。『神の御子』なら生まれる場所くらい自由に選べたっていいはずだと思わないか?」
「そういえば、そうだけど」
「父親なら誰しも息子を可愛がるものだろう。天の御父は、大事な我が子を家畜小屋に遣わしたということは、そこに神の意志があるはずだ。これは神の至上の祝福以外の何ものでもないはずじゃないのか」
 そう、ちょうど、ヴァルマルフ様が、目の前のこの少年を、愛しているように。言葉に出さずともその愛は伝わってくる。
「ああ、ならば――」
「神の創りし万物に祝福あり、とここには書いてある」
 クレティアンは、聖典の文字をなぞった。たかが、紙の上に書かれた文字ではあるが、幾世代も前の人々が、この言葉を原典から写し取り、書き写し、書き写しして今に伝えた言葉である。この言葉には神の霊力というよりも、人々の、こうであれと願うその気持ちが宿っているようである。
 全ての人とものとが、平等に神の祝福を受ける世界。これこそアジョラが実現させたかった「神の国」のことであろう。だが、アジョラの昇天の後、一度として「神の国」は到来していない。

 *

 宵を告げるように、教会の鐘が鳴った。これからだんだんと日が暮れていく。普段なら、日没とともに静寂につつまれる教会も、今日は賑やかだった。今日は年に一度の大聖日。降誕祭が始まったのだと、アルマは察した。アルマは騎士団の隊舎はずれの部屋の窓から、外を眺めていた。この祭りの日を迎えるのは今年で何度目だろうか、窓の木枠に身体をもたれさせながらぼんやりと考えていた。去年はイグーロスのベオルブの邸で、その前はオーボンヌで。その時はまさか自分がはるばるミュロンドまで来るなんて事は考えなかった。いや、連れてこられた、と言った方が正しいかもしれない。
 外の賑わいがゆるやかに、大きくなっていく。これから盛大な宴が始まるのだ。普段の質素な暮らしぶりからうってかわって、聖夜の饗宴が開かれる。きっと華やかで、楽しいものなのだろう。家族そろって過ごした昔の日々を思い出して、懐かしんだ。そして、窓から見える人々の群れの中に、いつの間にか兄の姿を探していた。
「兄さん……いまどこにいるの?」
 その時、背後に冷たい空気の流れを感じた、扉を開けて誰かが入ってきたのだ。ちらりと後ろを見ると、緑の法衣が視界をかすめた。
「兄さん? ダイスダーグ卿なら……」
「ラムザ兄さんのことよ」
 念を押すように言った。目の前にいる騎士は、自分をミュロンドまで連れて来た本人であった。戦局悪化による治安の攪乱により、ダイスダーグ卿が妹アルマの身を案じてミュロンドのグレバドス教会に保護を命じた――という話があったのだと彼から聞かされた。
 今は、こうやって、明日の心配をすることなく日々を過ごすことが出来る。多くの騎士達が戦争に身を投じているというのに。兄さんだって、今頃どこで何をしているのか、手がかりさえ分からない。そう思うと、どうしようもない焦燥感に駆られ、居ても立ってもいられなくなる。
「安心しろ。ここがイヴァリースで一番安全なところだ。何てたって神の加護と聖アジョラの祝福があるんだからな」
「でも、兄さんが教会の祝福を受けられるとでも? 兄さんは『異端者』にされたのよ、あなたたちのせいで」
「その件については、異端審問官らの管轄であって、オレたちの――」
「あなたはきっと、目の前に『異端者』がいたら、殺すのでしょうね」
 この騎士が至極真面目な、そして敬虔なグレバドスの信者であることは知っている。自分の新年に真っ直ぐで、融通が利かない、そんなところが兄さんに少し似ている、とアルマは思った。「オレは、別に君の兄貴を憎んでるわけじゃない……」
「あら?」
 そんな事を聞けると思っていなかったので、そう言ってもらえると嬉しい。それも恐ろしく冷たい目をしたあの団長の、息子から。でも、気休めでしょうね。彼は、教会の命令ならば逆らわないはずがない。
 もう兄さんが教会に戻ってこれるはずがないのだ。この賑やかな宴を一緒に楽しむこともない。そんな日は、きっともう二度とやってこない……。
「ね、ところで、その手に持ってる瓶はなあに?」
「ああ、これか?」
 イズルードは緑の法衣の裾にくるむように、大事に抱えていた瓶を取り出した。
「宴席から一瓶頂戴してきた。お酒だよ、飲むか?」
「お酒は、飲めないの」
 アルマがそう呟くと、騎士は残念そうな顔をした。そして部屋を出ようとする。
「どこへ?」
「一緒に飲める友を捜しに」
「外は寒いわよ。これ持っていったら」
 防寒用にと、自分が羽織っていた白い薄布のマントを渡した。
 こんな寒い日、どうか兄さんが街の隅で一人で凍えていませんように。そう願った。

 *

 聖地ミュロンドに、夜が近づいていた。闇の帳をおろしたような、荘厳な、清澄な空気の中、静かに日は暮れる。
「――今更剣を措く気か? 何を血迷った、ラムザ?」
「いや、何もこんな日に、戦いを挑み行くのはどうかと思って――いや、ただの冗談だよ」
 詰問するアグリアスにラムザは答える。
「今日はどこも宴が繰り広げられていて、警備も手薄だからといったのは貴方じゃないか。それに早く妹君に会いたいのだろう? 彼女がここミュロンドにいるのは間違いない。人質を取るなど、汚いやり方だ」
「分かってる。早くアルマに会いたい」
 慎重にいかなければ。もうあのジーグデンの悲劇は見たくない。何としても無事にアルマを取り返さなければならない。だから、慎重に、そっと、敵に感づかれないように、教会に忍び込む。それも聖アジョラの降誕際のまっただ中に。それが作戦だった。そのため、島のはずれの砂糖畑のなかに、ひっそりと身を隠していたラムザ一行であった。まだ誰にも気付かれていない。すれ違った人々は、彼らのことを、巡礼に来た信徒の一団だと思っていることだろう。
 島はずれの、畑の中にまで、カテドラルで歌われる聖歌が流れてくる。毎年、この時期になると歌われるその古い歌は、どことなく旅愁を誘った。その調べにいざなわれるように、そろりそろりと、畑を出た。ラムザは古びたぼろぼろのマントを身に纏っていた。変装のためではなく、長い旅路の果てに、こうなった。
 ベオルブの邸にいた頃は家族揃って教会を訪ねて、歌を歌い、この日を祝っていた。あの時は隣に兄らがいた、アルマがいた、ディリータも一緒だった。それが今は『異端者』の烙印を押され、あまつさえこれから教会に剣を向ける。
「たしかに、僕は、たくさん人を殺してきたけど――」
 足は自然と街の大通りを避け、裏路地へと向かっていた。狭い石畳の両側に、あばら屋が所狭しと並んでいる。スラム街だろうか。ラムザはいつの間にか、こういった日陰の場所を好むようになっていた。ただでさえ温潤なミュロンドの気候に輪を掛けるように、このあたりは湿っぽい。足元を虫が這っていく。淀んだ空気が立ち籠めている。それでも、そんな場所にさえ、教会の音楽は流れてくる。
 石畳を抜け、聖歌を辿るように、歩いていたら、島の中心部のカテドラルまで来たようだった。目の前にそぼえる堅固な石壁に圧倒される。それでも、周りを見回し、どこか忍び込めそうな場所はないか、探る。今夜にでも、教会へ奇襲をかけるつもりだった。
「そこにいるのは誰だ?!」
 突然、頭上から声が降ってきた。まずい、とラムザは思った。見張りに見つかったか。瞬時に声の主を探す。塀の上だった。塀といっても、何ハイトあるか分からない高さである。この高さならあの見張りがここまで易々と来られるはずはない。よし、このままなら逃げ切れる。そうラムザは確信した。
「『異端者』が我がグレバドス教会何の用だ」
 声の主は、ひらりと身をかわした。騎士は塀を蹴って空へと軽やかに跳躍した。このような事は並大抵の騎士にはできない。おそらくは竜騎士の類だろう。
 逃げられると思ったのに。ラムザは嘆息した。出来るならば無駄な戦闘は避けたい。血は流さないにこしたことはない。そう思いながらも、一体何人の者をこの手に掛けてきたことだろう。赤煉瓦の城壁を背に、走りながらも、相手がだんだんと距離を詰めてくるのが感じ取れた。巡礼者らが歌う聖歌が背中に降ってくる。
「ラムザ・ベオルブよ! 『異端者』が教会に足を踏み入れ無事に帰れると思ったか? さあ剣を抜くがいい…!」
 ラムザは覚悟を決めた。腰に帯びた剣に手を掛け、件の教会の騎士と対峙した。ラムザは剣を取った、と同時に彼の騎士も剣を振りかざす。紫電一閃、打ち合いか、と思ったかが、相手の振り上げた剣の先にはためいていたのは、一枚の白布だった。夜空に光る白い布。それが何を意味するのかは容易に想像できる。白旗は降伏の際に掲げられるもの。ラムザは警戒しつつも、相手に近づいた。
「ああ、イズルードじゃないか! 生きていたのか…!」
 リオファネスで瀕死の彼を見た時、もう長くはないだろうと思った。その彼が今目の前にいる。
「何だ、オレが生きてたら不都合か?」
「いや、そうじゃなくてさ」
 お互いの顔に笑みがこぼれた。
「ところでこれは一体何なんだい? 君は僕に何を求めているんだ。それとも君が僕たちと一緒に来てくれる気になったのか? 白旗は降伏の――」
「白は平和の象徴だ。我々神殿騎士は教会と共にある。オレが教会から離れるとでも?」
「じゃあ異端者を殺しにきたのか?」
「じゃあこれは何のための白旗か? そんなことじゃない。いいからラムザ、剣をおろせよ」
 イズルードは手に持っていた剣を投げ出すと地面に座り、ラムザをうながす。教会の宴席から盗んできたのであろうか、酒瓶を取り出すとラムザに差し出した。
「飲まないか?」
「いや……」
「疑うのか? 罠なんかじゃないぜ、ほら」
「……お酒はちょっと…」
「飲めないのか! 女々しいやつだな!」
 盛大に吹き出すイズルードにつられてラムザもついに笑い出した。こんな風に笑ったのはいったいいつ以来だろうか。それからしばらくの間談笑に耽った。お互い敵対する者同士であることを忘れて。
「これを持っていけ」
 イズルードは剣の先に巻いていた白布を放り投げた。見るとそれは薄手のマントであった。こころなしかアルマの香りがするのは単なる夢だろうか。
「何故僕に?」
「そんなボロボロの服で歩くなよ……みっともない」
 確かに彼の身なりは貧しいものだった。ろくに装備を調えることも出来ない、そんな生活を続けていたラムザに思わぬ贈り物だった。そしてそのマントにそっと身を隠した。肉親に追われ、騎士団に追われ、ついには異端者として、教会からも追われている。誰もが自分を狙っている、一瞬たりとも休まることの出来ない生活だった。そんな彼のもとに、届けられた一枚の白いマント。――白は平和の象徴。
「教会の騎士が異端者と会っているのがばれたら危ないのじゃないのか? もし君の父にでも見つかったら――」
「オレとお前で何が違う? 同じ友じゃないか……父上には友と会っていたとでも言っておこう」
 ぼそりと呟くとイズルードは逃げるように去っていた。彼の持ってきた酒瓶はそのままになっていた。ラムザが拾い上げると綺麗に装飾されたラベルに文字が書かれていた。
 ――主の平和、全地にあれ
 ああそうだ、今日は降誕祭じゃないか。遠くに聞こえる祝いの歌を聞きながらラムザは昔の思い出に浸っていた。ディリータと過ごしたあの日々。骸旅団の若い女剣士と戦った時の事を思い出した。あの時ディリータ剣を向けた相手に「彼女は同じ人間」と言った。そして、今、神殿騎士のイズルードは「友」と言った。
「…ラムザ? 何をしている?」
「アグリアスさん?」
「あまりに帰りが遅いから心配した。こんな教会の近くまで来ていたのか、危ないぞ。ところでそれはどうしたんだ、そんな小ぎれいなマントなんてどこで手に入れたんだ」
「えっと……、親切な人が恵んでくれて……」
「何だ、罠じゃないのか、お前をおびき寄せるための――」
「多分、違うと思います、だって今日は降誕祭じゃないですか」
「『主の平和』ってやつか。まるでおとぎ話だな。……だが、悪い話でもないな」
 アグアリスに急かされ、教会の城壁から離れて仲間の元へと帰路に就いた。だんだんと聖歌が遠くなっていくにつれ、ラムザは自分の置かれている状況を把握した。そう、これから教会へ奇襲を掛けるのではないか。だというのに自分は教会の騎士と手を取り合って笑い合っていた。思わず苦笑した。あれは何だったのだろう。今となってはもう幻のように思えた。しかし、彼の背には白いマントがはためいていた。彼の背中に残っているそのマントこそが、あの平和の挨拶が幻などではないことを証明している。
「アグリアスさん、どうして神殿騎士団は聖石を欲しているのでしょうか……僕には彼らが聖石の真の意味を知っているようには思えないんです。あのルガヴィの謎を知る者は教会の中でもごく僅か、なら他の騎士らはどうして聖石を望むのでしょうか」
「『神の奇跡』のため、と奴らは言っていたな」
「そんなことのために……彼らは気付いていない……」
 聖石の裏に潜むルガヴィの影に彼らは気付いていない。そしてもう一つ。奇跡は聖石によって引き起こされるのではないということに彼らは気付いていない。互いに剣を向け合う存在の者同士が、たとえ一瞬であっても剣を棄てて手を取り合ったことは、奇跡以外の何ものでもない。それを引き越すのは聖石ではない、神の力でもない、ただ人間の力。背中の白マントをしっかりと握りながら、そう確信した。
 この血の戦乱を生きるイヴァリースの人々も、今日ばかりはこう思ったであろう。
 ――主の平和、全地にあれ

 

 

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