ネバー・フォーエバー

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ネバー・フォーエバー


     

  

 

 自惚れていたわけじゃない。ただ事実として自分こそがこの世界の中心に立つ人間だと思っていた。それ相応の努力もした、生まれながらの才能だってあった。貴族の地位もあった。そして教会のミュロンド派の騎士になり、教皇に仕える身となった。
 誰もがうらやむような人生だったと自負していた。清貧の騎士として何も望むものはなかったが、大方のものは手に入った――ただ一人、あの女性をのぞいては。
 彼女の名前はメリアドール。私の上司の娘で、教会の中でも聖石を持つゾディアックブレイブという最上位の地位を持つ。私が……唯一頭が上がらない女性だった。それは彼女が地位を持っていたからという理由ではない、彼女はとんでもなく気が強く、私の話す言葉全てに反論してきた。むろん、私も反論した。だが、最終的には、決まって彼女はこう言うのだった。
「クレティアン? それが何?」
 そして涼しい顔で去っていく。
 彼女はいつだって私の前を歩いていた。その背中に追いつこうと必死で、気がつけば――

  

 

「とうとう、私の手の届かない場所に行ってしまったな」
 私は間違っていた。己が世界の中心にいたなど、なんと愚かなことを考えていたのだろうかと。
 彼女こそがこの世界のヒロインだったのだ。

  

 

 聖石を持っていたのは、親の七光でもない、彼女が真に道を切り拓くしなやかさと力強さを持っていたからだ。
 私のかつて抱いていた理想は彼女がやがて為すであろう。できることならば、共に、背中を追い続けていきたかったが、もはや我が身は死せる都のはるか奥に。
「物語のヒロインはなべて聖杯を手に凱旋し、世に平安をもたらすものだ。――マイ・レディ・メリアドール、汝の行く末にとこしえの光あらんことを」
 全てを捨てた私にできることは、ただ祈ることだけだ。
 でも、心の底から、そうであれと願っているよ――――

  

2021.06.20
iva*fesオンライン ワンドロ企画:テーマ「ヒロイン」

 

  

 

忘れじの

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忘れじの


     

  

 
 からん、と音がして小さなクリスタルが床に転がった。神殿騎士団団執務室の机に座っていたメリアドールは、あら、と転がる石を目で追った。「団長!」と若い神殿騎士が慌ててそのクリスタルを拾いあげた。
「メリアドール様! 聖石が!」
「あら、そんなに慌てなくても大丈夫よ。それは聖石ではありませんもの」
「そうですか……でしたら、これは……?」
 若い神殿騎士は、団長メリアドールに差し出したクリスタルをまじまじと眺めた。言われてみれば、聖石に特有の黄道十二宮の紋は刻まれていない。しかし、透き通る水晶はやはりクリスタルそのものだった。
「昔の知り合いのクリスタルよ」
「と、いうことは……」
 イヴァリースにはこんな伝承がある。記憶は石に継がれる――つまり、クリスタルには死者の魂が宿るという言い伝えられている。
「失礼いたしました」
 若い神殿騎士はそのクリスタルをメリアドールに丁重に差し出した。名も知らぬ故人への哀悼を示すかのように。
「いいのよ、そんなに丁寧に扱わなくても。なんなら、床にたたきつけて割ってもいいわよ……」
「ご冗談を、このクリスタルはたしかに傷だらけですが、割れることなく大切に扱われているのは一目瞭然。昔のご同胞とお伺いしましたが、その方にお悔やみ申しあげます。今も、こうしてメリアドール様に大切に想われていて、さぞ光栄なことでしょう」
「やめてちょうだい、そんなこと」
 メリアドールはクリスタルを受け取った。小さな石。小さな記憶の塊。死者の魂の、小さな思い出。

  

 
 ――そんな大切な人ではないのよ。だって、クレティアン、あなたは教皇を殺した大罪人なのだから……
 ――そんなクリスタルを今も忘れず持っている私も私だけれど。

  

 
 部下に言った通り、最初は床に投げつけて割るつもりだった。でも、どうしてもできなかった。それから、捨てる機会を待ちつつ、待ちつつ、月日が流れた。

  

 
 ――あなたは、私のことを、このミュロンドのことをどう思っていたのかしら。本当に、思い切って、いっそ割ってみようかしら。そうしたら、石に託したあなたの記憶が蘇るかもしれない。
 ――でも、きっとそんなことはできないわね……どうしてかしらね……

  

 
 メリアドールは机の上に静かに転がる物言わぬ石を眺めた。言葉にできないこと、言葉にできなかったこと。言葉にしたくなかったこと。数多の想いがこの石には宿っているのだろう。
 石があるかぎり、魂はそこにある。メリアドールはそんな気がしてならない。語らずとも、そこにあればいい。それだけで十分だ。それ以上のことはのぞまない。
 あなたの魂は暗い地下の底ではなく、今もここに、私と共に、教会と共にある。それだけで、満足なのだから。

  

  

2021.06.20
iva*fesオンライン ワンドロ企画:テーマ「クリスタル」

  

 
  

La Pourriture Noble

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La Pourriture Noble


     

  

 

 二人の男女がテーブルを囲んでディナーをとっている。時もたけなわ、食事が終わり、テーブルの上には最後のデザートワインが置かれた。これで終わりだ。これが最後なのだ。このワインを飲み、二人は別れる。

  

 

「メリアドール、私たちの関係はまさにこのワインのようだったと思わないか?」
 テーブルの上に置かれたのは、透き通る蜂蜜色の、特別に甘い、高価な貴腐ワインだ。
「あなたが、そう言うなら」
 二人の男女――クレティアンとメリアドールは静かにワインを飲み交わした。
 どちらが言うわけでもなく、二人は特別な関係になった。そして、二人は別れ、別々の場所に去っていく。
「なぜこのワインがこんなに甘美な香りを持っているか知っているか?」
「さあ。そういう知識に詳しいのはあなたの方でしょう、クレティアン?」
「このワインに使う葡萄は極限まで糖度を高めている――ある種の菌を使って疑似的に腐らせているんだ。そうすることで水分を蒸発させ、果汁を糖化させる。みためは醜い、腐敗した葡萄だ。だが、その成熟しきった甘さゆえに、その腐敗はPourriture Noble<貴腐>と呼ばれる」
「あなたの言うとおりね。腐敗しきって…………それでもそこには成熟した甘い愛があった、それは<貴腐>だったと言いたいのね」
 メリアドールは怒るでもなく呆れるでもなく笑うでもなく淡々と答えた。
「クレティアン、私はミュロンドを出る。いつかあなたに剣を向ける時がくると思う。でも、あなたが、私たちの関係をそう言うのならば、私もそう思うことにする。だって異論はないもの。過ぎた日々を憎しむのは好きじゃないわ。あの日々を貴い腐敗というなんて、あなたは最後まで粋な人ね。そういうところが、好きだったわ。でも愛は成熟しきった。文字通り腐り果ててしまったのよ。さあ、別れましょう、このワインと共に」

  

 

 そうして、二人は別々の道へと帰って行った。その後、二人は恋人として顔を合わせることは二度となかった。

  

 

  

2021.06.20
iva*fesオンライン ワンドロ企画:テーマ「ワイン」

  

 

Affinity

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Affinity

     

  

 

 ある日、父がひとりの少女を連れてきた。名前はバルマウフラ。無表情で、何も喋らず、年齢よりもずっと大人びていた。メリアドールは気になった。どうして彼女は笑わないのか、どうして彼女は誰とも喋らず、誰とも混じろうとせず、いつも一人でいるのか。
 だから、ある日、メリアドールは彼女に声を掛けた。
「お友達になりましょう?」
 彼女は笑ってくれると思った。友達はたくさんいれば嬉しいはず。だって、私もそうだから。
「どうして…? あなたは、あのヴォルマルフの子供で、聖石を持ったゾディアックブレイブで、私と関係を築く利益は何もないはず」
「えっ、友達になるのに理由がいるの……?」
「……そうね、あなたがそう望むのなら、『お友達』になりましょう」
 彼女はそっと微笑んだ。メリアドールが思っていたより、ずっとささやかな笑顔だったけれども。

  

 

 それから、時々、バルマウフラはメリアドールのところへやってくるようになった。一緒に本を読んだり。魔法のことを教えてもらったり。厨房で一緒に料理を手伝ったり。薬草畑の手入れをしたり。
 二人はたくさんのことを話した。そして笑った。でも、バルマウフラは決して自分のことを語ろうとしなかった。そして、バルマウフラは時々、ふらりと姿を消した。メリアドールが「どこに行っていたの?」と聞くと、彼女はただ「仕事」とだけ答えた。
 メリアドールはバルマウフラの『仕事』のことを詳しく知らなかったけれど、彼女が自分に話しかけてくれて、一緒に過ごせることが幸せだった。

  

 

「私と『友達』になってくれてありがとう、メリアドール。私はずっと忌み子だった。誰も私に近寄ろうとしなかった。皆、私に恐怖と侮蔑の目を向けた。親愛な目で見てくれたのはあなただけだった」
 私が笑えば、あなたも幸せそうに笑う。
 あなたが笑えば、私も幸せ。

  

 

「――父の非礼を詫びる。ラムザ、信頼の証としてこの聖石を貴公に託す。私も貴公に同行したい」
 幸せだった日々は長くは続かなかった。メリアドールは真実を知ってしまった。父・ヴォルマルフが多くの人を殺めていたことを――その中にバルマウフラの母親も含まれていたことを――知ってしまった。
 もう自分は教会の人間としては生きられない。そうして、メリアドールは教会の不正に対抗するために活動を続けるラムザ一行と行動を共にすると決意した。
「メリアドールさん、本当にいいのですか? 僕とともに行くということは、あなたのかつての仲間と戦うことになる。それは――」
「仲間ではない。私は裏切られた。剣を向ける覚悟はできている」
 その言葉に偽りはなかった。ただ一つ、心残りがあるとすれば――

  

 

 ――バルマウフラ、あなたはどうして私と『友達』になってくれたの?
 ――私の父があなたの母を殺したと知っていたのに、なのに、どうして私に笑いかけてくれたの?
 ――本当は、ヴォルマルフの娘である私のことなんか、憎くて、憎くて、殺したかったのではないの?
 ――あの笑顔は、一緒に過ごしたあの日々は、偽りのものだったの……?

  

 

「メリアドールさん、何か気がかりなことでも……?」
「いや、何でもない。ラムザよ、私は不正を働いた教会に正義の剣を振り下ろす。だが、一つ気がかりなことがあるとすれば……教会に『友』と呼び合う者がいた。だが、私が教会に裏切られたように、私もかの者に知らずのうちに裏切りをしていたことを知ったのだ。この動乱の中で消息は途絶えてしまったが……その者のために許しをこい願う時間をしばしもらいたい」

  

 

 ――親愛なる友よ、まだ友と呼んでくれるならば……汝の行く道に光あらんことを――

  

 

2021.06.09

  

 

Aspects of Family:あなたのお誕生日はいつ?

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あなたのお誕生日はいつ?

     

  

     

  

 ヴォルマルフ・ティンジェルはミュロンドの神殿騎士団の騎士団長である――そして二児の父親でもある。彼は妻の忘れ形見の二人の子どもたちの子育てに奮闘中であった。
「ヴォルマルフよ、実はこのあいだ息子たちに『お母さんが欲しい』と言われてしまってな……」
 ヴォルマルフと天騎士バルバネスは旧知の仲であった。二人とも同じ騎士団長であり、そして二人とも子育てに悩む父親であった。といっても、バルバネスの方が年齢も身分も父親歴も上であった。だから旧知の仲といっても、ヴォルマルフはバルバネスに礼儀を欠くことなく折り目正しく接していた。
「サー・バルバネス……それは災難でしたね」
 バルバネスはヴォルマルフに家庭の愚痴をこぼしていた。天騎士の家の家庭事情もなかなかに複雑なのだ。
「他人事ではないぞ、ヴォルマルフ。おまえも父一人で二人の子どもたちの面倒を見ているだろう。いつ『お母さんが欲しい』と言われてもおかしくはないぞ」
「ご心配は無用です。天騎士様。私の子どもたちは私にとても懐いております。それに、私は仕事にかまけて家庭を省みないような人間ではありません」
 ヴォルマルフはバルバネスに誇らしげに言った。たしかに、メリアドールとイズルードには母親がいなくて寂しい想いをさせていまっているかもしれない。だが、ヴォルマルフは再婚するつもりは全くなかった。母親の分まで自分が愛せば良いことだ。
「そうか……それは羨ましいかぎりだ。私は最近、騎士団の仕事が忙しくてな。なかなか家に帰れない。だから、たまに帰るとつい息子たちを甘やかしてしまう」
 バルバネスは、困ったものだ、とため息を漏らした。
「だが、ダイスダーグにはいずれ騎士団を継がせようと思っている。父親としての威厳も見せてやらないとな……ヴォルマルフ、貴殿のところも子ども達に騎士団を継がせるのか?」
「ああ……」
 ヴォルマルフは曖昧に答えた。
 自分の跡を誰が継ぐのか、そんなことは考えたこともなかった。

     

  

「パパ! おかえりなさい」
 ヴォルマルフが家に帰ってくるとすぐに娘が駆け寄ってきた。父親の帰りを待ちわびていたようだ。遅れてイズルードも走ってきた。「父さん、おかえりなさい」
 ヴォルマルフは二人を抱きよせてただいまのキスをした。
「パパ、もうすぐ私の誕生日なの。覚えてる?」
「もちろん」
 磨羯の月の二日。忘れるはずもない。
「私ね、誕生日に欲しいものがあるの……パパにお願いしてもいい?」
「可愛い我が子の頼みごとなら何でも聞こう。メリア、何が欲しいんだ?」
「新しいパパが欲しいの!」
 娘の言葉を聞いてヴォルマルフはその場で硬直した。
 新しいパパだと?
「そっそれは……もうこのパパはいらないと言うのか……?」
 ヴォルマルフは恐る恐る聞き返した。ここでメリアドールにうなずかれたらショックで死んでしまうだろう。
「ううん、そうじゃなくて……一緒に遊んでくれるパパが欲しいの」
「ああ、そういう意味か……イズルード、おまえも新しいパパが欲しいか」
「僕は今の父さんでいい。でも、もっと一緒にいたい」
 やはり子たちは寂しがっているのだ。仕事を放り出して一緒に遊んでやりたい気持ちは山々だが……そうは出来ないのが騎士団長のつらいところだ。
「パパはいつも何をしているの?」
 メリアドールが聞いた。
「教会のお仕事をしているんだ」
 子どもたちに神殿騎士団の仕事について、ちゃんと話してはいなかった。というより、言えなかった。
 神殿騎士団の仕事といえば、教会が表沙汰に処理できない裏の仕事を片づけることだ。娘に向かって、パパの仕事は民衆を殺して真なる神のために生き血を集めることだと言えるだろうか。無理だ。
「父さんは騎士団のとても偉い人だってこと、僕は知ってるよ。僕も父さんみたいな騎士になれる?」
 何と答えれば良いのか……ヴォルマルフは戸惑った。息子に父親と同じ騎士になりたいと言われるのは嬉しい。だが素直に喜べないのだ。
「私の方が先に騎士になるのよ! 私がお姉さんなんだから!」
 メリアドールが割り込んだ。
「ああ……そうだな。二人とも良い騎士になれるだろう」
 ヴォルマルフは交互に二人の頭を撫でた。

     

  

 ローファルはミュロンド寺院の地下墓所の中でじっと佇んでいた。この墓所が薄暗く不気味な雰囲気を醸し出しているのは、この場所が聖天使への生け贄を捧げる場所に選ばれているからだ。ここへ立ち入ることが出来るのは、神殿騎士と、彼らに屠られることになる、哀れな生け贄たちだけであった。
 ローファルは覚悟を決めて、自らの死を受け入れた――生け贄として血を捧げる決意をしたのである。
 彼はクリスタルに宿る太古の知識を得るために身体を犠牲にした。そして膨大な知識を得た。だが、その結果、グレバドス教会について知ってはいけない真実までを知ってしまったのである。信仰も肉体も失った。
 教会にとって、不死の肉体とは便利なものだった。殺しても肉体は蘇り続けるのだ。その肉体が滅しないかぎり生き血が永久に手に入る。教会がそのような不死の肉体を持つローファルに目を付けないはずがなかった。すぐに彼は捕らえられ、教会のために<奉仕>せよと命じられた。
 ローファルは抵抗しなかった。聖石から叡智を授けられた時点で、人としての真っ当な生き方は放棄していた――せざるを得なかった。彼の中にはどんな呪われた運命を超然として受け入れる、ある種の諦観が生まれていた。
 静かな地下墓所に足音が響いた。
「……あなたが来るのを、お待ちしておりました」
 ローファルは振り向かずに言った。相手は誰だか分かっている。神殿騎士団団長のヴォルマルフ・ティンジェルだ。誰からも恐れられ、彼自身が悪魔と契約していると噂されるほどであった。このままローファルのことを何の感情もなく斬り捨てることだろう――
 沈黙。
 長い沈黙。
 そして、長い沈黙の後、何も起こらなかった。
「ヴォルマルフ様?」
 ローファルが怪訝に思って後ろを振り返ると、そこには一人の男が立っていた。肩に小さい女の子を担ぎ、空いた手で彼女と同じくらいの背格好の男の子を連れている。剣は腰に差していたが、どうみても家族連れの父親だ。
「あの……私はここで神殿騎士団のヴォルマルフ・ティンジェルという人物を待っているのですが……」
「私がヴォルマルフだ」
「人違いではなくて……?」
 ローファルは聖石を手にしてからというもの、何に動揺することもなくなった。けれど、さすがのローファルも驚かざるを得なかった。娘(?)を肩に担いだまま人を殺しにきたのか? しかし、娘(?)にそんな殺戮の場を見せるとは、悪趣味な父親だ……
 けれど、ヴォルマルフは動かなかった。
 ローファルもどうして良いか分からず動けなかった。
「あの、あなたは何のご用でここにいらっしゃったのでしょうか……」
 ローファルは困惑して言った。
「そ、それは……私もどうしてよいか分からなくなった」
 ヴォルマルフも困惑している様子だった。ローファルはますます訳が分からなくなった。

     

  

「しっかりしてください、あなたが騎士団長でしょう」
 結局、ヴォルマルフはローファルを殺さなかった。そして、そのまま彼をミュロンドの自宅に案内した。
 このまま血を抜かれる覚悟をしていたローファルは拍子抜けした。
「何故、私を殺さなかったのです? 血を集めることがあなたの役目でしょう」
「いや……ずっと娘を担いできて手が疲れてしまって」
「……そんな理由がありますか」
 ローファルは呆れた。神殿騎士団に目を付けられたら最期、一滴残らず血を絞り取られる、とまで陰でささやかれているというのに……
「だいたい、地下墓所に娘さんと一緒に来るとはどういう事です?」
「娘だけじゃない、息子もいた。イズルードのことも忘れないでやってくれ」
「ヴォルマルフ様……私の言っている意味が理解できますか」
「ああ、分かっているとも。私だって好きで家族を連れ込んだわけじゃない。子どもたちに父親の仕事している姿が見たいと頼まれ断れなかったのだ。父親が働いてないと思われたら、父の尊厳が台無しだろう」
「はい……それは、そうですね」
「……それで断れなかった。そしてつい娘に言ってしまったのだ。『パパは教会の騎士で、悪い人をやっつけるのが仕事なんだ』と――どうしよう」
「そんな事実と全くかすりもしない職務内容を言っておいて……私はフォローしかねます」
「だが事実をいったら嫌われるだろう。父親が陰で人間の生き血を集めていると知ったら、どう思われるだろう」
「父親と見なしてもらえないでしょうね。人間と思ってもらえるかも……」
「駄目だ! 絶対に駄目だ! それだけは避けねばなるまい」
 ヴォルマルフは悲痛な叫び声をあげた。
「ヴォルマルフ様……つまり、総括すると『子ども達の前で良い父親の格好をつけたかった』と言うことですね」
「うむ。その通りだ。おまえは……たしかローファルとか名乗ったな。運が良かったな。私の子らのおかげで命が助かったのだ。感謝することだ」
「そう言われましても……」
 ローファルは自分のことをもてあましていた。
 生きていることを感謝しろと言われても、元々捨てたも同然の人生だ。
「なんだ、嬉しくないのか?」
「ええ……でも私を殺しても別に構わないのですよ? この肉体は教会に捧げるつもりだったのです。どうぞ好きに使ってください」
「そう言うのならば、好きに使わせてもらうぞ」
 その時、父親の様子をうかがうように、金髪の少女が入ってきた――飛び込んできたというのが正しいかもしれない。ローファルはこの子がヴォルマルフの箱入り娘なのだとすぐに分かった。
「パパ! この人は? この人は誰? パパのお友達?」
「私は――」
 ローファルは何と答えようか迷った。ヴォルマルフが娘を抱き寄せながらローファルに視線を送っている。絶対に真相をばらすなよ、という顔だ。
「……私はあなたのお父様に助けていただいたのです」
「本当?」
「はい。命を救ってくださいました」
「パパすごい! 騎士みたい」
「おまえが生まれる前からパパは騎士だったんだよ」
 はしゃぐ娘に自慢げに言うヴォルマルフだった。
 それは、紛れもなく、幸せな親子の姿だった。喜ぶ二人の姿を見てローファルは言葉を続けた。
「お嬢様、私がこうして生きていられるのは、あなたのおかげでもあるのです」

     

  

「仕事中に父さんの部屋に勝手に入ったら怒られるよ」
「イズ、黙ってて」
 メリアドールは父が連れてきた若い男の人のことが気になっていた。
 さっきから二人っきりで話している。
 何の話をしているのか父親に教えてもらおうとメリアドールは部屋に入っていった。尻込みしている弟はその場に置いてきた。
「――お嬢様、私がこうして生きていられるのは、あなたのおかげでもあるのです」
 父が命を救ったという、その謎めいた人物は、メリアドールの前で膝を折ってきちんと挨拶をした。
 え? 何? 
 メリアドールは突然のことに少し驚いた。自分が何をしたらこんなに丁寧に感謝されるのかも分からない。お嬢様、なんて呼ばれる経験もほとんどなかった。まるで騎士にかしずかれるお姫様みたい。ちょっと嬉しかった。
「あなたは誰?」
「私はローファル・ウォドリング。教会に仕える人間です」
「じゃあパパと同じね。私のパパも教会に仕える偉い人なの」
「私はあなたのお父様ほど偉い人間ではありませんよ。サー・ヴォルマルフ・ティンジェルは神殿騎士騎士団の団長ですが、私は何の肩書きも持たない存在――ただの人間です」
「……じゃあ、私のパパみたいにたくさん仕事をしなくてもいいの? 私とたくさん遊んでくれる?」
「お嬢様の好きなように」
「嬉しい! すごいわ! 私ね、お誕生日に新しいパパが欲しいと神様にお願いしたの。そうしたらパパがあなたを連れてきてくれた」
「あなたのお父様はヴォルマルフ様ただお一人ですよ。私では代わりになれませんが……」
「でも私とずっと一緒に居てくれるんでしょう?」
「はい」
「だったら、もう私の家族だわ!」
 きっと、誕生日の前に神様が贈り物をくださったんだわ。母はずっと前に死んでしまった。だからメリアドールの家族は父と弟だけだった。でもこれからはローファルが新しく家族になってくれる。素晴らしいことだ。
「ローファル、あなたのお誕生日はいつ? 私は明日なの! お誕生日は生きていることに感謝する日なの。それにたくさんの人が私に『おめでとう』と言ってくれる素敵な日なの」
「誕生日ですか……私の生まれた日は――今日です」
「そうなのね、なら今日はあなたにたくさん『おめでとう』と言わなくちゃ。待ってて、今イズルードを呼んでくるわ」
 メリアドールはローファルに抱き付いて「おめでとう」と言ってから、イズルードを探しに部屋を出た。

     

  

「生きているだけで感謝される日がくるとは……驚きです」ローファルは言った。
「今日が誕生日というのは本当か? うちの娘と一日違いとは偶然だな」
「本当の日は忘れました。でも生まれた日というなら、間違いなく今日です。今日から私は神殿騎士として生きていきます――あなた方と一緒に」
 そうか、とヴォルマルフは頷いた。「……まだ私はおまえを騎士団に迎え入れるとは一言も言っていないのだが」
「メリアドール様が私と一緒に居たいと言っているのに、あなたは反対なのですか?」
「……そうだな。反対するわけがない」
「でしたら――ヴォルマルフ様、私に騎士団をお任せください」
「ふむ、どういうことだ?」
「私があなたの代わりに騎士団の仕事をすれば、あなたはその分お嬢様方と一緒に過ごせる時間が増えます。それに、メリアドール様やイズルード様に騎士団の裏の仕事を任せるわけにはいかないでしょう。私が代わりに騎士団の後継者になります。どうです、名案ではありませんか?」
「なるほど、それは名案だ――とでも言うと思ったか! 私はまだまだ現役だ!」
 いくら可愛い娘のためとはいえ、昨日拾ってきた男に軽率にも騎士団を譲ってしまったと言えば、教皇から大目玉を食らうのは確実だ。それに、ヴォルマルフにも長いこと騎士団を率いてきた統率者としての誇りがある。これは軽々しく応じられる問題ではないのだ。
 ――そういう訳で、ローファル・ウォドリングが神殿騎士団の副団長に任命されるのは、もう少し先の出来事である。

     

  

     

  

初出:2017.09.23
イヴァフェス3発行「The Knight bended knee with a Vow」改題

     

  

Aspects of Family:僕にお嫁さんをください

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・イズメリ10歳前後
・イズルード×アルマ前提
・余談ですが、ヴォルマルフとアルマの誕生日は一日違いです。奇跡的ですね!

     

  

僕にお嫁さんをください

     

  

「やあ、ヴォルマルフ、久しぶりだな。子どもたちは元気にしているか?」
 ヴォルマルフの暮らすミュロンドまでわざわざ足を運んできたこの気さくな騎士は天騎士バルバネス・ベオルブ。北天騎士団の団長である。今は自らの騎士団を率いて戦地へ赴いているはずであったが、どうしたことか急にヴォルマルフを訪ねにきたのであった。
「サー・バルバネス、北天騎士団の団長がお忍びで突然どうされました……?」
「いやあ、ふと、貴殿の子どもたちに会いたくなってな」
「そうでしたか! 戦争の合間に私の子どもらのことを思い出していただけるとは光栄です。娘は十二歳になりもう一人で剣を持つようになりました。星天爆撃打を使えるようになってもう一人前の剛剣使いです」
「ええと、イズルード君の話だったかな……?」バルバネスは首をかしげた。
「いいえ、娘です」
「そうか、そうか……貴殿の家の教育方針はずいぶんと厳しいのだな。娘御をディバインナイトに育てるつもりか?」
「いえ、そういう訳では……しかし私の背中を見て自然と剣技を身につけてしまったようです」ヴォルマルフはさりげなく娘自慢を付け足した。「私の娘はとても物覚えが良いようでして。遅かれ早かれ熟練の剛剣使いになるでしょう。父親としては、もう少しおしとやかな淑女になって欲しい気持ちもありますが……」
 だが、あまりおしとやかなレディになってしまうと、あっさりと嫁にいってしまうだろう。それは寂しい。であるから、ヴォルマルフは娘が剣の腕をせっせと磨いていることには口を挟まなかった。
 娘よ、どんどん剣の腕を上げるがよい。そうして軟弱な求婚者どもを撃退してくれ。
「実はな……私がこうして秘密裏にミュロンドへ来たのは娘のことで相談があったからなのだ」
「娘?」
 今度はヴォルマルフが首をかしげる番だった。確か、天騎士の子にベオルブの名前を次ぐレディはいなかったはずだが……。
「私には娘が一人いる。名前はアルマ・ルグリア。妻の子ではないが私の娘だ――まあ、事情は察してくれ。もうすぐ十歳になる。まだイグーロスには迎え入れていないが、いずれベオルブの名前を与えるつもりだ」
「そうでしたか……」
「貴殿の話を聞いていると、やはり娘と一緒に暮らすのはよいものだと思えてきてな。城に呼び寄せようと思ったのだが、私は騎士で、いつ戦場に呼び出されるか分からぬ身だ。主の不在がちな城で、身分の異なるわが娘が無事に暮らせるか分からない。かと言って男所帯の騎士団の中に放り込むわけにいかない。そこでだ、修道院に預けることにした」
「それが一番安全でしょう。しかし……離れて暮らすとなると寂しいでしょうね。お父様も、娘さんも」
「そうなのだ。娘に父親としての姿を見せることも、一緒に暮らすこともできない」
 バルバネスは寂しげに言った。ヴォルマルフは同情した。もしメリアドールが修道院に入ることになったら……ヴォルマルフは考えただけでぞっとした。娘と離れて暮らすなど想像もできない。
「だから、娘を修道院に預ける前に、今日だけは親子水入らずで一緒に食事でもしようと思って戦場をこっそり抜けてきたのだ――だが、戦況が急変した。私はこれから急いでオルダリーアへ向かわねばならん」
 バルバネスはヴォルマルフに向き合った。「だからヴォルマルフよ、父親である私のかわりに娘を預かってくれないか」
「私には無理です!」
 深く考えるより先に反射的にヴォルマルフは即答した。天騎士の娘を預かるなど……責任が重すぎる。
「何故だ? 貴殿は私と同じく騎士団を率いる身。しかも既にもう娘を立派に育て上げた父親ではないか」
「いえ、育てたといっても、メリアドールは――」
「そう謙遜するな。貴殿はよき父親だ。それは子どもたちの姿を見ればすぐに分かる」
「いえ、私には責任が重すぎます……そういうお話は伯爵様に頼んでください。南天騎士団のオルランドゥ様に」
「だめだ。もうアルマをミュロンドに呼んでしまった。これから一緒にミュロンド寺院へ行こうと思っていたのでな。預けようと思っている修道院はオーボンヌだ。ヴォルマルフよ、食事でもしたらそのままオーボンヌに連れて行ってくれないか。あちらの院長殿に話はしてある」
 バルバネスはそう言ってヴォルマルフの肩を叩いて出て行った。
 無茶ぶりにもほどがある。ヴォルマルフは頭を抱えた。一緒に食事といっても自分の家族と食卓を囲むのとは訳が違う。相手は天騎士のご令嬢なのだ。粗相があってはいけない。つまり――淑女を正式にディナーに招待するのだ。

「パパがすごい顔をして図書室を出て行ったわ。何かしら」
「修道院、とか、淑女、とかつぶやいてたよ。それに床に『貴族の礼儀作法』の本が落ちてる。姉さんを修道院に入れるつもりなんじゃない? 姉さんは剣の使い方を学ぶより、お祈りの仕方を学んだ方がいいと俺は思うんだけど」
「イズルード! 姉に向かってなんて口の聞き方をするのよ!」
「姉弟って言っても、たった一歳違いじゃないか! なんで姉さんばっかり剣の腕が上達するんだよ! ずるいや」
 イズルードはむくれた。やっと剣を持てるようになったと思ったら、姉はもう剛剣を使いこなしている。
「二人とも、どうしました? 図書室で大声をあげて」
 姉弟で言い合いをしていると、ローファルが姿を見せた。
「イズルードが私の剣の腕に嫉妬してやつあたりしてるの」
「姉さんッ」
 メリアドールは今にも突っかかってきそうな弟をさっと避けた。
「それよりも、ねえ、ローファル。大変なの。パパが私を修道院に入れるかもしれないって」
「ヴォルマルフ様が? まさか、そんなことはないでしょう」
 あのヴォルマルフ様に限って、とローファルは思った。メリアドールは知らないかもしれないが、あの騎士団長は子育てのために戦場に行くことを拒んだのだ。今更、娘を手放したりはしないだろう。
「本当?」メリアドールが念を押す。
「ええ。もしそんなことになったら私が修道院を爆破してでも呼び戻しますので安心してください」
「ローファル! あなたのこと大好きよ!」
 メリアドールがローファルにぎゅっと抱きついた。そして誇らしげにイズルードを振り返って言った。
「ほら、ローファルだってこう言ってるわ」
 イズルードは何か言いたげな顔をしている。けれど姉に気圧されて何も言えないようだ。
 姉弟喧嘩の雰囲気を察したローファルはイズルードに言った。「イズルード様は、またお姉さまにいじめられてたのですか?」
「うん――」
「違うの! イズルードが私をいじめたの。私に修道院に行けって言うのよ!」
「そうですか……」
 ローファルは姉弟の顔を順番に見比べた。喧嘩の発端は分からないが、どうやらこの勝負はメリアドールが勝ちそうだった。しかし姉弟喧嘩に介入する気はなかったので、ローファルは二人の言い争いをそっと見守っていた。そして今日に限らず、大抵はメリアドールがイズルードを言い負かしてしまうのだが……こればかりは傍で暖かく見守るしかなかった。

「あなたが私のお父様ですか?」
 ヴォルマルフはバルバネスに言われた通り、バルバネスの愛娘を迎えにいった。
 約束の場所には、栗毛色の巻き毛を赤いリボンで結わえた少女がちょこんと立っていた。
「私の父は騎士団長様だと聞きました。どうも、はじめまして」
 この愛らしい少女――アルマ嬢は深紅のドレスの裾を広げてヴォルマルフに挨拶をした。ヴォルマルフはあわてて名乗り出た。私は彼女の父親ではない。父親を詐称したくなるくらいの愛らしさではあるが、彼女に勘違いをさせてはいけない。
「い、いや……私は君の父親ではない。騎士団長ではあるが……」
 ヴォルマルフが挨拶をすると、アルマは微笑んだ。
「ティンジェルおじさま。今日はよろしくお願いいたします」
 バルバネスは惜しいことをしたものだ。こんなに可愛い子と離れて戦場に行ってしまうとは。
「私は君のお父さんから約束を預かっている。さあ、ディナーへ招待しよう」

「ヴォルマルフ様、ミュロンドの騎士団長が赤いドレスの少女を誘拐して連れ回していると噂が立っております」
「なんだと……」
 副団長の言葉にヴォルマルフは困惑した。バルバネスとの約束通り、ヴォルマルフはアルマ嬢をオーボンヌ修道院へ送り届けて自宅に戻っていた。
「あの子はサー・バルバネスの娘だ。決して私がさらってきたわけではない」
「天騎士様のところにご令嬢はいなかったはずですが」
「……いや、確かにいるのだ」
 ローファルは真顔でヴォルマルフを見返した。
「ローファル、私が適当なことを言っていると思ってるな」
 しかし、何故私がベオルブ家の家庭事情をここで自分の部下に説明しなければならないのだ。バルバネスめ、面倒事を押しつけやがって……
 けれど、ヴォルマルフはその面倒事を運良く免れることができた。二人が話しているところへイズルードがちょうど良く入ってきたのだ。
「父上……今日のディナーで一緒にいたあの愛らしいレディはどなたですか?」
「イズルード、気になるのか?」
 おずおずと話す息子の様子をヴォルマルフは見守った。息子も異性の目を気にするようになった。この間まで父親の背中にくっついていたというのに、成長は早いものだ。嬉しいかぎりだ。
「はい……とても。父上、お願いです、僕に彼女を紹介してください」
「そうか、そんなに気になるか……。だが彼女は由緒ある貴族の血筋を引いている。だが、事情があって、まだ名前は明かせない」
 少なくとも、バルバネスが彼女の存在を公表するまでは。
「つまり、僕の手の届かないとても高貴な存在だというのですね……」
 イズルードは気落ちした様子だった。
「……父上、お願いがあります。僕にお嫁さんをください。どうか彼女を僕に――」
「イズルード! おまえは男だろう! 頼むから、そこは『俺がさらってくる』という気概を父さんに見せてくれ!」
 同じように育てているのに、どうしてこうも姉弟で真逆の性格になってしまったのだろうか。メリアドールが剣をふりまわしてたくましくなっていく一方で、イズルードは輪をかけておとなしくなっていく。
「ち、父上までそんなことを言うのですね……」
 うなだれるイズルードの姿にヴォルマルフは慌てた。そんなに落ち込むほど叱ったつもりはないのだが……
「ヴォルマルフ様」ローファルがささやいた。「イズルード様は、姉君に姉弟喧嘩で勝てないことを気に病んでいるのです」
「そういうことか。我ながら困った娘だ……あのお転婆娘は」
「ですから、もう少し、優しくしてあげてください――イズルード様に」
「そうか……よし、イズルード。父さんがおまえの望みをかなえてやろう。あの子が好きなのだな?」
「はい!」
 しかし、バルバネスがそう簡単に愛娘を手放すとは思えない――ということは……
「よしよし、いつか父さんが連れてきてやるぞ」
「父上! ありがとうございます」
 このままでは騎士団長が誘拐犯であるという噂が実現してしまう――けれどヴォルマルフは素直に喜ぶイズルードの顔を見て、愛するわが子のためなら、まあ仕方ないか、と思ってしまうのであった。

     

  

2017.07.24

     

  

Aspects of Family:そんな日はこない

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・メリアドール(9)、クレティアン(15)くらい
・騎士団長さんは娘かわいい親馬鹿父さん全開です
・クレティアンがアカデミーを卒業して神殿騎士団に入る頃の出来事です
・クレメリ前提。ですがヴォルマルフ×メリアドールの方がいちゃいちゃしてます(父娘愛)

     

  

そんな日はこない

     

  

「クレティアン・ドロワと申します」
 これは貴重な逸材を手にいれたぞ、とヴォルマルフは思った。相手はまだ十六歳にもならない少年だ。だがその才能はアカデミーの教授陣のお墨付きだった。これで神殿騎士団も格も上がるとヴォルマルフは喜んだ。
「貴殿は吟遊詩人をマスターしていると聞いたが……」
「ええ。お望みなら貴方を讃える詩を書きましょう」
「それはちょうど良い! 是非とも教会の栄光を讃える詩を――」
 ヴォルマルフが言い終わらないうちに、勢いよく扉を開ける音がした。
「パパ! 遊んで!」
 娘のメリアドールだった。
「パパはお仕事中だ。真面目な話をしているから今はダメだ。後で遊んであげるから今は外へいっていなさい」
「やだ! 今がいいの!」
 パパは今取り込み中だから、とヴォルマルフが何度言ってもメリアドールは聞き入れなかった。この子は少々わがままなところがある。弟とは性格が正反対だ。
 メリアドールが父親の足もとにすがりついて離れないのでヴォルマルフは仕事を諦めて娘と遊んでやろうかと考えた。けれど、目の前で、ガリランドのアカデミーから来た少年が何事かと二人の様子を見つめている。まずい、とりあえず娘をここから連れ出さなくては。
「ローファル! 近くに居るなら娘を外で遊ばせてきてくれないか」
 ヴォルマルフは一縷の望みを託しながら扉の外に向かって頼れる部下の名前を叫んだ。

 神殿騎士団長は恐ろしい人だとクレティアンは聞いていた。めったに世間に顔を出すことはないが、凄腕でやり手の騎士団長だと噂されていた。悪魔と契約している、とさえ言う者もいた。であるから、アカデミーを卒業して神殿騎士団に入ると決めた時は周りから大層心配された。
 ミュロンドに来てすぐにヴォルマルフに呼ばれ、クレティアンはこの上なく緊張した。噂の騎士団長とは一体どんな人なのか――その人は今、ブロンドの髪の少女にじゃれつかれて笑っている。二人のよく似た顔立ちからして親子なのだろう、ということはすぐに分かった。
「困ったな……娘が邪魔をしてしまって……」
 と言いながら、騎士団長はちっとも困っていないような顔をしている。我が子が可愛くてしょうがないという表情だ。
 これが噂の騎士団長の素顔なのか! ただのほほえましい父親の姿ではないか!
「別に構いませんよ。どうせなら私が相手をしましょうか」彼女に手を差し出しながらクレティアンは言った。「お嬢様――」
「私はパパがいいの!」
 少女はクレティアンの言葉を一蹴してヴォルマルフに抱き付いた。
「そうかそうか! やはりパパがいいのか。よしよし。おいで、メリア」
 ヴォルマルフはどことなく自慢げになってメリアドールを抱き上げた。
 父娘の仲睦まじい様子にクレティアンは口を挟む余地がなかった。

「ヴォルマルフ様……人前ではもっと威厳を保ってください。お嬢様に構ってばかりだと騎士団長としての貫禄が台無しです」
「べ、別によいではないか。父親が娘を愛して何が悪い」
 メリアドールを引き取りに遅れてやってきたローファルに苦言を呈されて、ヴォルマルフはあわてて反論した。相手は副団長である。
「それに、この少年は神殿騎士団に入ると言っている。だから他人ではない。家族のようなものだ」
「またそんないい訳ばかりして……メリアお嬢様ももうじき十歳になるんですから、そろそろ親離れしてくださいよ」
 小言を並べ立てるローファルをヴォルマルフは無視した。だがメリアドールはこの真面目な副団長にいたく懐いている。ローファルの姿が見えるとヴォルマルフからすぐに離れて彼にくっついた。こいつ、副団長のくせに父親より娘に愛されているのではないか……ヴォルマルフは複雑な気持ちになった。
 その光景を見たクレティアンが言った。「皆様、仲がよろしいのですね」
 ああ、そうだとも――ヴォルマルフが言うより早くローファルが口を開いた。
「ただの親馬鹿です」
「ローファル! 余計なことを言うなよ!」

 一週間もしないうちにクレティアンはヴォルマルフのもとに詩を書き綴った紙の束を持ってきた。ヴォルマルフとローファルはそれを受け取った。
「お約束のものです」
「おお、仕事が早いな。さっそく教皇猊下に献上しよう」
「いいえ、それは……おやめいただけると……」
「何故だ? 謙遜する必要はない。おまえの才能は誰もが認めている」
「そういう意味ではなく……お嬢様が……」 
「我が娘がどうかしたか? 詩作の邪魔でもしたか?」
「私が詩を作っているとお嬢様が『私のパパはもっと優しい』『格好良くて素敵なの』と隣でおっしゃるので……お嬢様の要望のままに書きました。ですので、身内で読むにとどめておいた方がよろしいかと」
 クレティアンは気まずそうに言い残すと、さっさと出ていった。
「あきれた奴だな! 騎士団長である私の命令より娘の命令を優先させたというのか!」
「メリアお嬢様らしいやり方です。気の強い方ですから」
 ヴォルマルフは受け取った詩にさっと目を通した。……うむ、教皇に献上するのはよそう。
「……しかし、この詩を見ると私は余程、娘を溺愛しているように描かれているのだが……父親が我が子を愛するのは普通のことではないのか?」
「いいえ、子煩悩で良いと思いますよ」
 ローファルは笑った。「けれどそんなにお嬢様を愛してしまうと、お嫁に出す日がつらいのでは」
「そんな日はこない!」
 ヴォルマルフは断言した。
「そんなに油断してるとあのアカデミーから来た青年にお嬢様をもっていかれますよ」
「まさか!」
 あの新入りの顔を思い浮かべた。アカデミーでは魔法を学んできました、と言って剣術はからきし駄目な若者だった。それでも我が子たちはよく懐いている。息子とも仲良く遊んでいる。三人で遊んでいる姿を見ると年の離れた兄弟がくっついているように見える。そのため、ヴォルマルフには年の大きい息子がもう一人できた、としか思えないのだが……いつかそんな日が来るのだろうか。彼から「お義父さん」と呼ばれる日が。
 しかしあと十年はその心配をしなくても良いだろう。私の命令を無視して十歳の娘の言うことを聞いているのだから先は安泰だ。それまでは家族としてせいぜい可愛がってやろうとヴォルマルフは思ったのだった。

     

  

2017.06.06

     

  

Aspects of Family:祝福していただいて

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・子育て真っ最中の若ヴォルマルフさん
・シド、バルバネス、ヴォルマルフの三人は昔からの顔なじみ(でもヴォルマルフが一番年下なので二人には敬語で話してる)
・メリアドールがやんちゃっ娘。イズルードは超人見知り

     

  
祝福していただいて

     

  

 後に五十年戦争と呼ばれるイヴァリースの戦乱の時代――イヴァリース王はオルダリーアにさらなる進軍を試み、畏国全土の騎士に戦争への協力を求めた。
 ここにイヴァリースの名高き北天騎士団・南天騎士団の両将軍が顔を合わせた。サー・バルバネス・ベオルブとゼルテニアの伯爵シドルファス・オルランドゥの二人である。二人は旧知の仲であった。

「しかし、おかしいぞ。わが友の姿が見えないではないか」
 バルバネスは言った。イヴァリースの名将たちが王のために剣をとる準備をしているというのに、ここにいるはずの、ある男の姿が見えない。その名はヴォルマルフ・ティンジェル――神殿騎士団の若き団長だった。
「シド。この有事に及んで神殿騎士団長が姿を現さないとは何ということだ。まさか教会が暗躍を企てている訳ではなかろうな」
「ふむ。確かにこれは奇妙なことだ」
 シドやバルバネスより一回り若い神殿騎士団長ヴォルマルフ・ティンジェルはやり手の切れ者であると評判だった。何故その若さで騎士団長の座につけたのか――その謎めいた素性ゆえに、彼のことをイヴァリース随一の実力者として恐れる者は多かった。また、グレバドス教会は密かに王家への反逆を試みている、という黒い噂も絶えない。
 その騎士団長の消息がぱたりと途絶えたのである。一体、教会の抱える騎士団で何が起きているのか。バルバネスはシドと顔を見合わせた。シドもバルバネスもヴォルマルフとは古い間柄である。その二人をしても、ヴォルマルフの消息は掴めなかったのである。
「よし、それならば様子を見にいってこようではないか。シド、ミュロンドまで行くぞ」

 二人はミュロンドにあるティンジェル家の邸宅を訪ねた。すると、明るいブロンドの髪の少女が飛び出してきた。少女はシドの顔をじっと見つめた。
「パパ! この人たち誰?」
 バルバネスとシドが何のことやら分かりかねて呆然と立ち尽くしていると、すぐにこの邸宅の主と思われる二十代の男が現れた。二人の姿を見て「ああ、久しぶりですね」と呟くと、少しばつの悪そうな顔をした。そしてすぐに娘を叱った。
「メリアドール! お客様の前では行儀良くするんだ! その方は伯爵様だ。ご挨拶しなさい」
 メリアドールと呼ばれた少女は二人の騎士に興味津々な様子だった。父親の言葉は気にも留めずにシドの服の裾を引っぱった。
「おじさん?」
「はは! どうやら私もおじさんと呼ばれるような年齢になったらしい。可愛い子ではないか」
 ヴォルマルフは慌ててメリアドールを連れ戻そうとしたが、好奇心旺盛な少女は父親の手をすばしっこくすり抜けた。そうして自分の家の中へと駆け戻る途中で、彼女の乳母と思わしき女性に抱き留められた。
「だから旦那様はお嬢ちゃまを甘やかしすぎるんですよ。殿方は戦場でしか役に立たないのですから、お嬢ちゃまにばかり構っていないではやく戦争に行ってきてくださいな」
 ヴォルマルフは乳母に叱られて小さくなっていたが、シドとバルバネスには「妻が亡くなりまして……」とそっと付け加えた。
「娘の子育てに手を焼いているようだな、ヴォルマルフ」
 バルバネスは苦笑した。男は戦場でしか役に立たないと言われてしまえば反論も出来ない。
「ええ、どうやら我が子はとんでもないお転婆娘のようでして……」
 そうは言っても実の娘が可愛くてしょうがないといった雰囲気である。
「それで、サー・バルバネス、伯爵様も、今日は私に何用で?」
「ヴォルマルフよ。王がオルダリーアに宣戦布告をしたのは知っているな。我が南天騎士団も、バルバネスも、王のためイヴァリースのために力を尽くして戦うつもりだ。そこで、貴殿の神殿騎士団もこの戦争に協力してはもらえぬかと相談に参ったのだ」
「さようでございますか。でしたら――」
 ヴォルマルフが言葉を続けようとした時、まだ幼い少年がヴォルマルフの背後から控えめにそっと抱き付いた。
「おとうさま、行ってしまうのですか?」
「こら、お前まで。イズルード、お客様の前だぞ、ひかえなさい」
「だって、おとうさまが――」
「ほら、挨拶をするんだ」
 いくら父親にうながされてもイズルードは父親の後ろから恥ずかしがって出てこなかった。
「ああ、ご覧のように愚息は人見知りでして……挨拶もまともに出来ないとは」
「いや構わないさ。ザルバッグの若い頃を見ているようだ。おいで、坊や」
 バルバネスはヴォルマルフの背中からイズルードを救い出すと優しく抱き上げた。その光景を見て、ヴォルマルフは幸せそうにほほえんだ。
「良かったな、イズルード。天騎士様に祝福していただいて」

「結局ヴォルマルフは戦いには参加できないと言ったが――王の要請を易々と蹴るとは、さすがは神殿騎士団長。あいつは胆が坐ってるぜ」
 ティンジェル家の邸宅を後にしたバルバネスはシドに言った。剛胆な男だ。祖国が戦争を始めたというのに、爽やかな笑顔で私は戦争には行けませんと言い放つ。『愛する家族がおりますので』と。
「バルバネス、それは当然だろう。私も最近養子を迎えたばかりだ。年頃の子の世話をするのは手が掛かる。どうやらあの若殿は自分の子らに随分と手を焼いているようだからな。しかし、あの凄腕の騎士団長が子育てで忙しいとは……」
 シドはしみじみとした感慨に耽った。ある日突然一線を退いた神殿騎士団長。教会の陰謀か、とまで噂されておいて、まさか人知れず子育てを始めていたとは誰も想像できないだろう。
「しかし私も娘に会いたくなった。私も戦争が終わったら娘を我が家に呼び寄せよう」
「娘だと? おまえに娘はいないはずだろう、バルバネス」
「いや、居るのだ。ちょうどあの子らと同じ年齢だ」
「隠し子か? まったく、あきれた奴だな――」
「実は息子もいる」
「バルバネス! お前には何人隠し子がいるんだ!?」
「二人だよ。いずれ大きくなったらベオルブの名を継がせるつもりだ。シド、いつか会いにこいよ。可愛い私の子どもたちだ」
「もちろんだとも」
 二人の騎士は笑った――愛する我が子たちの姿を思い浮かべながら。

     

  

2017.05.28

     

  

悪魔との契約 –side V–

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*「文章リメイク交換」の企画で書かせていただいた小説です。元の小説は澪鈴さんの作品になります⇒原作『悪魔との契約 -side V-』:pixiv

 

 

悪魔との契約 –side V–

 

 

 

 

 I

 二人はもうすっかり死の準備をして了っているようだった。メリアドールは両親の姿を見てそう思った。ホールの一画に仕切られた、わずかばかりの狭い病室に伏す母と、その隣にうなだれるようにしてひざまずく父の姿があった。メリアドールの母親はもう長いこと病床についていた。そこに恢復の見込みはなく、しかしあまりに長いこと患っていたため、すでに彼女の顔に死への恐怖はなく、ただ穏やかに終末の日々を過ごしていた。そして母親にぴったりと寄り添うようにして看病をする父も、とても健康的とは言えない青ざめた顔つきをしていた。彼も同じ病気であった。両親が死の病にあると、幼いメリアドールは誰から知らされるでもなく、一人悟った。すっかり死を受け入れてしまった父母の姿は、まるで折れたまま咲く一対の花のようであった。寄り添うように、重なり合うように、静かに萎れていくようであった。
 メリアドールの父、ヴォルマルフ・ティンジェルは名高き騎士であり、ミュロンドの神殿騎士団を統べる長であった。そればかりか教皇猊下から聖石下賜の栄誉をいただいていた。彼は何もおそれなかった。勇士の名に相応しい気概をヴォルマルフは持っていた。しかし、彼の屋敷に勤める使用人たちはそうではなかった。畏国全土に恐ろしい死の病が吹き荒れていたことは誰の記憶に新しく、出火場所から飛び火をするより早く広がる黒い死を、誰もが恐れていた。ティンジェル夫人の場合はあの恐るべき黒死病ではなく(その忌まわしい脅威は既に畏国から去っていた)、原因も分からない不可解な病であったのだが、その得体の知れない不気味さに、かえって使用人たちは恐れおののいた。いつもは暖を求めてホールに集う彼ら使用人や、見習いたちも、夫人が床につくようになってからというもの、階下に籠もりがちになり、ついには夫人と、その家族だけが取り残されるように身を寄せて暮らしていた。そのため、広いホールの静謐な空間に、死の香りだけが漂っていた。
 夫人の具合が良い日などはヴォルマルフは、妻を伴って外出をした。階段を降りる時などは必ず、妻を、ほとんど抱きかかえるように自分の肩によせて「気を付けて」といたわるように声を掛けるのだった。メリアドールはそのような、礼儀正しい恋人同士のような振る舞いをする父母の姿をいつも見ていた。

「私はもうじき死ぬのかしら。肉体が朽ちて、骨だけが残る頃、私はどうなっているのかしら」
「おまえ、何てことを言い出すんだ。その時は私ももういないさ」
 ある時の夫妻の会話である。
「でも、あの子たちはきっとまだ生きているわ。私、あの子たちの成長を見られず死んでいくのが怖いのよ」
 この時、彼女はひどく苦しんでいた。長いこと病魔にむしばまれ、もう抵抗する力もなくなった彼女は、すっかり四肢を寝台の上に投げだし、まだ年端もいかない子供たちの成長を案じていた。ヴォルマルフはそばに付き添い、膝をついて彼女の汗を拭っていた。彼女がひどく苦しげにしていた一方、彼もひどく疲労していた。病身の妻を養うのは並大抵のことではなかった。何々の臓物が病に効くという噂を聞けば、彼自ら弓を引いて狩りに出かけ、捌いて料理もした。どんな病でも癒せると評判の僧侶が居れば(そういった輩は聖都にはうじゃうじゃいた)、呼びよせて祈祷をさせた。妻の看病のためなら何でもした。しかし彼女の病状は昂進していく一方で、それに比例するように、彼は体力的にも精神的にも憔悴していった。彼自身が妻と同じき病に冒されていると知ったのもこの頃である。そして彼はもはや信仰にすがる他ないと、熱心に聖石に祈るようになった。
 彼は考え得る限りの献身的な看病を続けていた。もうそれ以上与えられるものは何もなかった。彼女も何も求めようとしなかった。そうして、すっかり死の準備をして了ったのである。
 ただ、子供たちだけがそうした死の影から取り残されていた。メリアドールは父の苦労を知っていたが、しかし父が母に対して不満を片言隻語でも漏らしたことはなかったと記憶している。彼女は時々、弟をあやしながら病の母を訪ねた。そしてその度に、母に取り憑く死の空気を実感するのだった。夫が妻にそうしたように、母は子たちに無類の愛情を捧げていたため、メリアドールたち姉弟は母の愛に守られていた。ヴォルマルフが妻に疲労と不満とを述べることがなかったように、彼女の母も、娘らに対して苦痛と恐怖とを見せることはなかった。であるから、メリアドールは母がすっかり安心して寝ているのだと思い、彼女も安心して寄り添って眠るのであった。しかし、一方父親はというと、傍目に看ても疲労と困憊の極みにあり、先が長くないであろうと容易に想像がついた。メリアドールは、両親亡きあとの自らの生活をぼんやりと思っていた。それ――両親が自分たちを置いたまま死んでゆく――は全く想像できないものであったために、ただ漠然と思い描くことしか出来なかった。
 そういった漠然とした不安に機敏に気づくのは母親の愛のなせる業である。彼女はヴォルマルフに再び問うた。私たちが死んだらあの子たちはどうなるのか、と。
「私が責任を持って成長を見届けよう」
「必ず、約束してちょうだいね」夫人は念を押した。
「命懸けても、その約束を果たそう」
 それがヴォルマルフの返事だった。

 まもなくして夫人は亡くなった。葬儀に際して、故人の亡骸を棺に移すため、ヴォルマルフは愛妻を抱き上げた。二人で出歩く際にいつもそうしていたように、自分の肩に寄せるように抱きかかえ、そして小さく「気を付けて」と呟いたのだった。メリアドールは、両親の姿を見て、二人は今も、互いに手と手を携えてこの世ならざる楽園を逍遙しているのだと思った。
 それからしばらくの間、母を失った悲しみにメリアドールは泣いていた。父の具合も良くなかった。それでも彼は、妻の追悼の礼拝をを済ませると墓を作り、墓前に花を撒いていた。来る日も、来る日も忘れることなく散華していたため、そこは常に様々な生花で彩られていた。カスミソウ、ツタ、ツリガネソウ、バラ、等々、墓前にせっせと小さな花園をこしらえていた。その習慣は何年も続いていたが、ある日を境にぱったりとやめてしまった。
 メリアドールは、母亡きあと、自分が急に大人になったような気がした。姉として弟を守らなければと思い、そして父を看なければ、とも思った。それほど、その時の父親の姿は衰弱して見えた。いつものように、父が花を携えて母に逢いに出掛けた後、メリアドールもそっとその跡を付けた。母の墓の前にうなだれる父の姿を見、そしてこう言おうとした。父さんは私が守る――しかし、彼女が口を開く前に、彼女は、長らく母に向けられていたあの無償の愛をもって父に抱き上げられた。
「メリアドール、私の心配はいらない。私はおまえの母さんに約束した。おまえたちを育て、成長を見守ると。さあ、その約束を果たそう」
 その時、彼女の眼に映ったのは、紛れもない、孤高の騎士の姿だった。その後、姉弟は父に導かれるように育てられ、そして父と同じように騎士になった。

 後になってメリアドールは、父が長年の習慣をやめたその日が、自分たち姉弟が騎士に叙された日だったと思い出したのだった。父が母の墓前に花を撒いた最後の日には、赤い薔薇が一輪だけ供えられていたのを、メリアドールはあれから何年もたった今でも鮮明に覚えている。

 

 

 II

 ヴォルマルフ・ティンジェルは信心深い人間だった。神殿騎士になり、勇士に数えられ、聖石をいただいた時さえ、感謝を忘れることはなかく、常に謙虚の心を胸にいだいていた。しかし事はうまく運ばなかった。彼の妻、ティンジェル夫人の不治の病が発覚したのは、彼が聖石を拝領した直後だった。彼はますます信心深くなり、毎日聖石に向かって熱心な祈りを捧げるようになった。彼はその姿を誰にも見られないように、部屋にこもって祈っていた。そのような慎み深い神殿騎士団団長の噂は教会を統べる教皇のもとに届き、そうして彼はさらなる栄誉を授けられるのだった。
 ある日、いつものように、彼が一人静かに聖石に祈りを捧げている時、彼の耳にどこからか聞き慣れぬ声が届いた。
 ――お前は何者か。
 ――私は一塊の土くれです。
 姿もないその声は神々しい響きを持っていた。ヴォルマルフは謙虚に答えた。しかし、声の主はそれに満足せずに、彼の地位を聞き出した。彼が数多の神殿騎士を束ねる団長であることを知ると、声の主は満足げであった。
 ――人の子、お前は統制者に相応しい権力を持っている。これからも出世するであろうな? 我が思うに、お前はそれだけの気概を持っている。
 ――私はこれ以上の栄誉など望みませぬ。私が望むのは、ただ妻の病の平癒だけ。
 ヴォルマルフは信心深い人間だった。けれど、神を愛するのと同じように、彼の家族――妻とその子供たち――をこの上なく愛していた。彼の妻が病に罹り、死に瀕しているという現実は、彼を何よりも落胆させた。彼は必死で聖石の主に頼み込んだ。妻の病を癒して欲しいと。己の栄転はもはや望むものではないと。しかし、聖石の主はそれには答えなかった。
 ――それは叶わぬ相談だ。なぜなら、契約にはそれ相応の代価が必要だからだ。何の権力も持たないあの女に、それは払えない。
 ――ならば私が払う。私は何でも差し出せる。家族のため、何も惜しいものはない。私の命を捧げても良い。
 ――ならぬ。契約は契約者と取り交わすもの。誰かの介在をもって契約を交わすことは出来ない。我を喚び出したのは他ならぬお前自身。我はお前のためになら契約を結んでやろう。
 ヴォルマルフは絶望に打ちひしがれた。彼が家族のために出来ることはもはや何もないと知らされてしまったためである。
 ――人の子よ、何故それほどまでに落ち込むのだ。
 ――私は、己の無力さを知ったからです。私は死にゆく妻を、為すすべもなく、ただ見守る他はないと知ってしまったのです。
 ――全くその通りだ。人間は無知、そして非力な者どもだ。我らからすれば、所詮はただの塵芥だ。しかし、土からなる存在が何故、言葉を発し、生きていられるのかを考えたことがあるか?
 ――はあ……。
 ――それは我らが霊を吹き入れてやっているからだ。我らはお前たちに息吹を吹き入れ、そうして塵の子は初めて言葉を発せられるようになるのだ。
 ――私にはあなたの姿は見えません。しかし、私にはあなたの声が聞こえます。あなたは聖石に宿っている。石は肉体にはならない。言葉を発する口を持たずして、どうして言葉を発することが出来るのでしょうか。
 ――左様。我らは肉体を持たない。我らは決して、朽ちるべき肉体を持たないのだ。言うならば、我は肉体なき霊魂そのもの。霊、すなわち息吹そのものなのだ。永久に息吹を与え続ける存在だ。この意味が分かるか、人の子よ?
 ――つまり、永遠の命を有していると。
 ――お前はなかなか賢い。我は気に入ったぞ。
 ヴォルマルフは気に入らなかった。家族のためなら、己の命を差し出しても良いとさえ思っている彼にとって、永遠の命という響きは何の魅力も感じなかった。そればかりか、ひどく厭わしいものに感じられた。彼はこの声の主を、尊い存在として受け入れていた。しかし、彼の激しい落胆は、信仰に溢れたその心に一点の曇りをもたらした。すなわち、聖石に対する不信の念が生まれたのであった。

 夫人が歿した。彼のもとには、彼女と交わした約束と、彼女の忘れ形見である子供たちとが残された。彼はまだ幼い子供たちの成長を見届けるつもりであった。しかしそれは叶わぬ願いであった。彼もまた、夫人と同じき病に罹っていた。彼は憔悴していた。先の見えない暗路で、一人もがいていた。しかし、その絶望的な状態は彼に鋭い洞察をもたらした。元々、彼は騎士団を束ねる程の力量と洞察力と度量とがあったのだが、妻の喪失と自身の病とを経て、それは一層研ぎ澄まされていった。そして、鋭い感覚を培うに反比例して、信仰心が失われていった。もはや、聖石は拝み奉るべき聖遺物ではなくなっていた。にもかかわらず、聖石の主は、ヴォルマルフの許に、形なき姿を現し続けていた。
 ――どうだ、紫紺の衣を纏った騎士よ、我と契約を結ばぬか。
 声の主は再三、問いかけた。その度ごとにヴォルマルフはその問いを退けた。というのも、彼の深い洞察は、聖石の主が尊ぶべき存在ではないということを悟らせていたからである。幾たびも「契約を」と問うその声の主の善悪は、ヴォルマルフには判断しかねたが、むしろ一家に病魔を振り撒いた存在なのではないかとさえ思い始めた。
 ――我と契約せば千古不易の知識、永遠なる命が得られる。
 三度、聖石の主が問いかけを発した時、ヴォルマルフはとうとうその問いを退けなかった。彼には選択の余地がなかった。既に彼の魂の灯火は尽きかけており、ついに彼は自らその契約を取り交わす決心をしたのだった。
 ――私は永遠の命が欲しい。今すぐにでも欲しい。その命が手にはいるのなら、進んでその契約を結ぼう。
 ――ほう。今まで永遠の命など不要と散々我を退けてきたが、今になって死ぬのが怖くなったか?
 ――まさか。私は妻を失った。だが、子供たちがいる。彼らを失うわけにはいかない。そのためなら、私は悪魔にもこの命を差し出す。
 彼は、この声の主が悪魔じみた存在であり、ここで己が果ててしまったらその魔の手が己の子らに及ぶであろうと恐れていた。けれどその脅威を退けるだけの力を彼らはまだ持っていない。それは子供たちがまだ、幼い子であるが所以である。庇護の手を差し伸べ、守り、自ら脅威を退けられるよう導く必要があった。それはヴォルマルフが妻と交わした約束であり、彼自身が感じている使命でもあった。
 ――命で命を買うか、なんとも不可解なことだ。だがそれが契約というもの。よかろう。だが、人の子よ。誤解するな。我が求めているのはお前の命ではない。我はお前の権力者たる気概を理解した。高く評価しよう。だから我が欲するのは貴様の命ではない、肉体を所望する。我が欲するのはただそれだけだ。命はお前のため、残しておいてやろう。
 ――人間は、肉体がなければもはや人間ではない。
 ――全くその通りだ。それが土からなる人の子の定めだ。
 ――ならば、お前の欲する契約は私にここで死に果てよと言うことだな。それは契約ではない、脅迫だ。永遠の命をくれてやると言うが、その実、私を殺そうとしているだけではないか。
 ――我が言葉に偽りはない。お前は我と渾然一体となり共に生き続けるのだ。我らは塵の肉体を持たない。我らは霊の息吹そのもの。塵に霊を与えることが出来る存在。その働きこそが我らの実相なのだ。働きであるがゆえに、我らは形なき、見えざる存在だ。肉体を得て、初めて実在を得られる。
 ――良いだろう。私の肉体をくれてやる。好きにするがいい。ただし、命は私のもの、それが契約だな?
 ――我が言葉に偽りはなし。よかろう契約成立だ。ただし、聡明なお前のこと。己のものとして保有できない肉体を持った命の行く末が分からない訳ではないだろう。
 ――無論。だが誤解するなよ、私がこの契約を望んだのは、私のためではない。私の子たちのためだ。
 ――我が、彼らを殺そうと言ったらどうする。
 ――見くびるなよ。私はあの子らを育てるためにこの肉体を棄てるといった。私が育てる子らが悪魔に屈するはずがない。
 ――重畳重畳! だが、どうだろうか。我が英知を甘くみない方が身のためだと忠告しておこう。
 聖石の主の言葉には気迫があった。それこそ、彼が人を超越した存在であるが故に発せられる気迫なのである。一方で、ヴォルマルフの語る言葉にも真に迫るものがあった。彼は全幅の信頼を我が子らに寄せていた。――後に、両者の気迫に偽りがなかったことが分かるのだが、それはこの契約の儀から何年も経ってからのことである。
 こうして、騎士ヴォルマルフは契約を交わした。彼には、その脅迫的な契約に際して選択の余地がなかった。だが、彼は自らの意思でその契約を結んだのであり、彼にはまだ、行使できうる重大な権利が残っていた。しかし、その権利を行使するまでに五年の歳月を待たねばならなかった――

 五年の後、彼の子たちは騎士になった。その日、彼はいつも以上に子供たちに厳しく接した。騎士として一人前になった時、その身を守ることが出来るのは己自身だけであると繰り返した。そして、彼は護身のための剣を愛する娘に手渡した。それは守護の秘剣である。
「この剣は、お前の身を守る盾となる」
「ありがたく拝領いたします」
 ヴォルマルフは、その瞬間に、子供たちがもはや己の手を離れて巣立っていったのだと理解した。――とうとう、約束を果たしたのだった。
 果たすべき使命を全て終えたと彼が悟った時、いよいよ彼はその権利を実行に移した。それは塵の肉体を持った人間にだけ許された特権、つまり彼は剣を手に取り、自らの身体を刺し貫いたのであった。霊の存在、息吹そのものである神――悪魔ですらその権利を持ち得なかった。それがため、その権利は、「聖霊に逆らう罪」として人々に恐れられている。
 だが、聖石の主はむしろその恐るべき行為を高く評価した。ヴォルマルフのささやかな反抗は、聖石の主を弑するには至らなかったが、彼――統制者と呼ばれる――を満足させるには十分であった。聖石の主はますます、この勇士の肉体を得ることを望んだ。そしてその通りになった。しかし、その統制者が最後まで理解できなかった事は、ヴォルマルフが行為に至った理由、つまり、死を望まず契約の果てに永遠の命を得た男が不可解にも自ら死を選ぶに至った経緯である。それは、その場に残された、鮮血に染まった一輪の薔薇と大いに関係があったのだが、人間を超越した者、統制者と呼ばれる聖石の主は、そういった人間のささやかな機微には気付かなかったようである。

 

 

III

 メリアドールは確かにヴォルマルフの娘だった。彼女の父親は、畏国の内紛の調停に一役買ったとか、はたまた教皇を殺したとか、自ら腹を割いて死んだとか、この上なく高価な聖石を持ったまま消息を絶ったとか、伝説の悪魔を蘇らせたとか、とかく噂の絶えない人物であった。その途方もない数々の噂はイヴァリースを離れた近隣諸国にもやや伝説じみて届いていたため、故国を離れて暮らすメリアドールの生活の中から父親の影が消えることはなかった。しかし彼女は自身の経歴について、また、父の行いについて直接語ることは滅多になく、穏やかに、つつましやかに暮らしていた。実際、彼女の過去を知らない者は皆、彼女のことを異国からやって来た、物静かで、礼儀正しい婦人だと思っていた。彼女がかつて、畏国で一瞬のうちに栄光と凋落とを人々に知らしめたあの神殿騎士団の精鋭だったとは誰が想像できただろうか。それも、あのヴォルマルフ・ティンジェルの名前を父に持っているとは、今の彼女の振る舞いからは全く知り得ないことだった。
 それでも、メリアドールは時折、父について尋ねられることがあった。大抵の者は(彼らの多くは畏国人でないこともあってか)、ミュロンドの騎士団長はどのような人物であったのか、彼の業績は噂どおりなのか、聖石にまつわる真偽、といったことに興味を持っていた。そういった質問に対しても、彼女は不快な顔をすることなく、丁寧に答えていた。つまりこうである。ヴォルマルフは自分の父であり、その業績を知りたいのであれば最近上梓された『デュライ白書』を読んで欲しいと(ただし、この書物は時を待たずして禁書に処されたので入手は容易ではない)。聖石は自分も一時所持していたが、つまりそれはクリスタルで、クリスタルである以上、そこには死せる人の魂が宿るものである、といった返答である。
 それでも満足しない者、あるいはひどく攻撃的な性格で、あえて彼女を侮辱しようと考えている者はメリアドールに対して、彼女の父の悪口を述べたてた。まだメリアドールが故国に居た頃は、彼女に向かって石を投げる者や、あからさまに呪いの言葉を吐くもの、平然と唾を吐くような侮蔑的で不適切な行為をする者さえいた。流石にイヴァリースを離れるほど、そういった挑発行為は少なくなったが、皆無という訳ではなかった。けれど、彼女はそのような挑発に対しても平然としていた。それは、王や人々の上に立つ指導者らが、下々から投げつけられる無責任で身勝手な、それでいて的を得ているむき出しの批判に一人孤独に耐え、憎まれはしても誰からも感謝されない治世を行う心意気に近かった。彼女は孤高の獅子の心を持っていた。このような気概はまさしく父親譲りのものであったが、彼女がそのことに気づいていたのかは定かではない。

「婦人、畏国では戦乱によってただでさえ多くの血が流れたというのに、加えて、身勝手な思想を抱いた者らが無垢な人々を屠ったと聞く。政治の争いはまだ国を平定するという大義があっただろうが、高慢な思想を抱いた者らにその大義はあっただろうか? 然るべき裁きを受けるべきではないだろうか?」
 こういった問いを発する人々は、メリアドールのことを“婦人”とは見ていなかった。その大抵は彼女のことを、血に飢えた教会の子飼いの“犬”くらいに思っていたのである。勿論、その教会の名の下に虐殺事件を引き起こした(と噂される)神殿騎士団団長ヴォルマルフへの非難が言外に含まれていた。メリアドールもそれに気づかない訳はなかった。が、彼女の艱難に満ちた人生は、感情――特に怒りや憤怒――を露骨に噴出する危険性を彼女自身に悟らせていた。また、彼女も父の行為のの大半は肯ずることが出来ないものであったと十分に理解していた。だから淡々と答えるのだった。
「人は各々、その魂の働きに見合った報酬を受けると考えます。たとえこの地の上でその報いを受けずとも、然るべき場所で然るべき報いを受けるでしょう」
「それはいささか抽象論にすぎませんかね。あなたは血を流し、不本意なままに殺される無辜の人々を見てきたはずだ。そしてその流血の惨事の要因に無関係だったとはいえないでしょう。具体的にはどうお考えで?」
「時に善良な人が時に悪魔と取り交わし道を踏み外し、時に非道な情け知らずの者たちが人知れず憐憫の涙を流します。他人から善人だ、悪人だ、といくら称されようと、その人の価値は分からないものです。しかし、人の根元にある魂はもはや飾りたてることが出来ません。その人を裁量するなら、外の衣で判断すべきではなく、魂を見極める必要があります」
「それでは、あなたがたの行いについて、あれは善ではなく悪だったと言うことも、悪ではなく善だったと言うことも出来ますね。あなたは善人に対して罪状を渡し、悪人に対しては酌量を与えるつもりですか。あなた方は教会の人間だった。人を裁くことは誰よりも長けているようだ」
「それは分かりません。人の為すことは決して人の域を出ませんから。真の裁きは人ならざる者の手にゆだねるべきです。私は正義と復讐にかられ、自ら私的な裁きを下したこともありました。手を下すことはいとも容易いのです。しかし、その判断が正しいものであったかなど、いったい誰が分かるでしょう? 私の醜い復讐心が私自身の価値判断をゆがめたように、人の手による判断が全く公平である保証はどこにもないのです。人はとかく外の衣に目がいきがちです。ましてその奥底にある魂の真意など、どうして知ることができましょうか? どうして他人の心を他人が知ることが出来ましょうか? 私も幾たびと判断を誤り、後悔をしました。人の為すことはこんなにも間違うのです。ですから、人が人を裁くのは人の身にはかなわぬことです」

 たとえもう二度と剣を持つ機会がなくとも、メリアドールは全く、騎士の心意気を分かっていた。それがは間違いなく、父親の教育の賜物であった。正しい行いをせよ、というのが父の教えだった。まっすぐに剣を持つ父の姿を見て、その父の剣捌きを受け継ぐように騎士になったメリアドールは、正義を重んじる騎士道にかなった生き方を心がけてきた。しかし、それは完全なものではなかったと、彼女は悔恨の念に駆られることも少なくはなかった。だが父親の薫陶を受けていた彼女の気質はどこまでも実直で、誠実なものだった。であるから、信じていた教会の不正を感じ、己の身体をもってでその不実な行為を目の当たりにした時には(彼女は実際に自身の目で見るまでは物事を判断しないという信念があった)、迷わず、教会に反旗を翻した。因果なことであるが、不実を許さぬ父親の教育により、不実な行為を働く父親に手をかけることになったのである。
 弟はついに父親に手をかけることが出来なかった。獣じみた異形の怪物の中に、物言わぬ父親の無念を感じ取ってしまったのである。彼はどうしても剣をふるうことが出来ず、とうとう剣を手放し、リオファネス城に果てた。しかし、姉は――メリアドールは、そうではなかった。彼女の決意は鋼のように堅く、何者も彼女の意志を変えることは出来なかった。父の成敗に向かう彼女の足取りに迷いはなかった。わずか二十数歳にして不惑の境地に達していたのであった。母の死に泣き、弟の死に嘆いた彼女であったが、父の死は彼女に涙をもたらさなかった。父親を墓に弔うこともなかったので、そこに花を供えることもなかった。故国を離れる前も、離れた後も、「私はヴォルマルフの娘である」ということを表明し続けた。父のした行為をことさらに述べ立てることもなかったが、弁明することもなかった。
 一つだけ、彼女の鋼の意志に逆らったものがあった。それは紛れもなく、父の死であった。彼女は父を討ち取るのだと確信し、そうしなければならないのだと言い聞かせ、また、それが出来る自信と決意があった。しかし、父の意志はそれを上回っていたと言える。なぜなら、彼は娘に引導を渡されることを拒否し、自ら命を絶ったからである。メリアドールは、まさか獣――あるいは父――が目の前で自ら腹を割いて血を流し、生命を絶つとは想像だにしなかったため、その瞬間、何が起きたのか全く分からなかった。どういった手法をとるにせよ、命を棄てるという恐るべき権利を行使するのは少なくとも人間だけであるとメリアドールは思っていた。そして、目の前の存在が獣であるのか、父であるのか、もはや何者なのかさっぱり分からなくなった。――だが、それはおびただしい量の血をまき散らしながら終わった。
 リオファネスの惨劇にしろ、死都の死闘にしろ、あまりに多くの血が流れた。父と、彼と一緒に身体を共にしたであろう何者かとの間に交わされた会話を彼女は知らず、そして今となっては知りようもないことだが、真実その血の報酬を父は受けるであろう、とも彼女は思っていた。それでも時折、亡き母のために毎日、毎日、律儀に花を手向け続けた、こぼれ落ちそうな程色あせた記憶の中の父の姿を思い出し、父のためにも、しみじみと祈りたくなるのだった。しかし、今更神に慈悲を乞うことも出来ず(又、そうするつもりもなかった)、誰にとりなしを頼むのかというと決まって彼女の母親なのだった。彼女はまもなく、遠い記憶の中の母と同じ年齢に達する。もはや親の庇護を求める年齢でもなくなった彼女であるが、その時ばかりは父母の許にすがりつく幼い娘に戻り、記憶の中の淡い色をした母の姿に向けて頭を下げ、こう祈るのだった。母よ、父は約束を果たしました。どうか、それに答えてください――と。

 

 

・「奥さんと子供たちを想う家庭的なヴォルマルフ」「メリアドールとイズルードの成長を見守るヴォルマルフ」「ルカヴィと対等に渡り合うかっこいいヴォルマルフ」「奥さんにお花を捧げる愛妻家ヴォルマルフ」「ハシュマリムに一目置かれているヴォルマルフ」というテーマに触発されて書きました。
・作品を提供してくださった澪鈴さん、ありがとうございました!

誇りを失った騎士:第三幕

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誇りを失った騎士

  

 

第三幕

  

 

 第一場 ミュロンドの城館。階下の一室。
 朝。場面両側に扉。片方は開け放たれている。中央にテーブルがあり、メリアドールが手紙を書いている。

メリアドール (読み上げて)聖なる父よ、おはようございます。今日もまたこうして新しい一日を始めることが出来ます。その名前を讃えて――要するに、ファーラム。――愛する弟へ、オーボンヌ修道院ではうまくいったでしょうか。おまえのことだから――ウィーグラフもついていることですし、全く心配はないと思いますが、何かひどい怪我でもしていないかと、ひどく不安になりました。聖石のため、教会のため、義務を果たすことは大事なことです。けれど、たとえおまえが何の功績を挙げられず、何も持たずに帰ってこようとも、私はおまえを責めたりはしないでしょう。父や騎士団の兄弟たちが声を荒げておまえの越度を叱責をしようとも、私はおまえを暖かく迎えます。これは姉としての愛の言葉だと思って受けて頂戴。きっと昔の事は覚えていないでしょうが、母が亡くなった時、おまえは随分泣いていました――その時、私はおまえの母になって、抱いて慰めてあげたいと心の底から思ったのです。男を知らない私が、このようなことを書くのは、妙なことだと感じるでしょうが、慈しむ心は女ならば誰しも内に秘めているものです。誰かを愛し、慈しみ、守りたいと感じる時、自ずと庇護の翼は広がるのです。愛とは、汲めども汲めども、底から湧き溢れる泉のようなもの。おまえが、もし、寂しいと、孤独に悩む時があるなら、いつでも私の傍に帰っていらっしゃい。何があろうと、おまえの帰ってくる場所はここにあるのですから、よもや絶望の果てに神を忘れることなど、どうかしないように。

  (しばし考える)

メリアドール (続けて)こうやって一人で静かにミュロンドで過ごしていると、様々な噂が耳に入ります。たいへん立派な称賛から、中には、ひどく根拠のない滅法なものまであって、私は大変驚きます。父が言うには、この私たちの騎士団にもかつては、権力と威光を貪欲に求める者がのさばり、ミュロンドの神殿騎士団は堕落の巣窟と悪名を馳せていたとか。けれど、幸い、父が総長になった時、そのような不届き者は全て追放されました。今も、ガリオンヌやゼルテニアの騎士団にはそういう輩がまだのさばっていると聞きますが、この祝福された聖地を守るこの神殿騎士団には、そのような礼儀知らずはいないのです。ですから、もし、おまえの周りに、私達をひどく冒涜的な、あの口汚い言葉で――悪魔だとか――罵る人がいれば、その人は、かつての堕落した神殿騎士しか知らないだけなのです、だから、その人を憎まず怒らず、寛容の心をもってその言葉を忘れなさい。そして、おまえの騎士としての雄志を見せて、その人に、正しき神殿騎士の姿を知らしめるのです。繰り返しますが、どうか、思慮のない人の流言に惑わされて、神を忘れることなどないように。

  (手紙を書く手を止め、しばらく考える。また筆をとる)

メリアドール (続けて)――本当は、私はおまえのことが羨ましかった――自由に外へ出ていけるおまえのことが。いつだったか、私はまるで籠の中の鳥であると、おまえに話しました。まったくその通りです。人々はミュロンドに居る私をとてもありがたい存在として、それは敬って接してくれます。けれど、それは大聖堂に置かれた聖石を崇めるのと同じことです。この世の中には、祈る人、治める人、働く人、各々が各々の仕事を為すことによって秩序と平安が保たれるのだと、多くの人は考えています。けれど、彼らはどこかで己の本性は自由であるとも考えていることでしょう。人々は皆、己の本性を隠して生きています。皆、心の裏側にその本性を隠し持ったまま、体裁を立てるためだけに望みもしないことを願い、見苦しくうわべを取り繕って生きています。畏国はこのような馬鹿げた人であふれかえっています。このままでは畏国は遅かれ早かれ腐りきってしまうでしょう。おまえの望む世界は、こうではないはず。皆、望むべき自由の本性を空に羽搏かせることが出来る世界――聖アジョラの理想郷をおまえは夢見ているのでしょう。私たち姉弟は共に同じ道を歩むと誓った仲。おまえが選んだ道は私の歩む道でもあるのです。正しき道を行くように。そうすれば、すぐに私も一緒に行きますから。――くれぐれも、神への感謝を忘れずに。もし進むべき道が分からなくなったのなら、神の坐す場所に行き、神の語る言葉を待ちなさい。それが最善の道です。(筆を擱く)

  

 

 第二場 場所指定なし。
 ローファル、クレティアン、バルク。格好はそれぞれ前幕の通り。従者がローファルに伝言を伝え、すぐにその場を離れる。

ローファル 修道院を出たイズルードと連絡が取れないようだ。
クレティアン 子羊は狼に食われたか。
ローファル 剣を棄てて姿をくらましたらしい。近くの廃墟で彼の剣を見つけた者がいる。
バルク あの若造だ、どうせ家出なんて長続きしねえよ。すぐ戻ってくるだろ。
ローファル そういう訳にもいかない。彼は聖石を持っているのだぞ。それに、ベオルブの娘と一緒だったと、オーボンヌの僧侶が目撃している。
クレティアン 逆か、狼が子羊を喰らったのか。だがしかし若者にはよくある話だ。
ローファル よくあっては困るのだ。それも神殿騎士にはな! 我々がリオファネス城に着くまでに何とかして連れ戻す。大事ある前に探し出さねば。この事態はいずれはヴォルマルフ様の耳にも入ろう。そうなったら大変だ。
クレティアン 気が重いな。
バルク 別に、オレたちが案ずることではあるまい。オーボンヌ修道院から逃げたのなら、まだこの近郊に居るだろう。王都へ行ったか――木の葉を隠すなら森の中、人目を避けるなら人混みに――リオファネスまでの長い道中、捜し物が一つ増えただけのこった。
クレティアン ただ失せ物を見つけてこいというなら話は簡単だ。だが、これはそう単純なことではないのだよ、バルク。ヴォルマルフ様が一連の出来事を聞いて良い顔をすると思うか?
バルク 勿論――しないだろうな。眉間に皺を寄せている様が目に浮かぶぜ。
クレティアン 大事なゾディアックブレイブが、結成された瞬間に逃げ出したのだ、しかも聖石を持って、わざわざ剣を棄てて雲隠れしたのだ。意図は明確だ。息子が女を連れていなくなったというだけでも体裁丸つぶれだというのに。怒るどころの話ではないぞ。
バルク きっとあの爺さん[教皇]もお怒りだ。
クレティアン ――猊下と呼びたまえ――連れ戻された脱走兵の末路は悲惨だ。ヴォルマルフ様は団長という立場の手前、息子を折檻せずにはおかないだろう。
バルク あの血も涙もない団長様のことだ、見せしめのため首の一つでも刎ねるかもな。おお、奴のために想像しないでおいてやろう。(身震いする)
クレティアン だが、手を下してきたのはいつだって我々ではないか。ヴォルマルフ様の名誉と猊下の手を守るため、我々が幾人始末してきたことか! 異教徒の首などいくら刎ねても構わないが、同じグレバドス教徒、同じき誓いを立てた仲間に――彼はまだたったの十六だ――手を掛けるのだけは頂けない。彼がこのまま二度と我々の元に戻ってこないことを祈ろう。その方がお互い身のためだ。(ローファルに)おい、ローファル! 私はこの一件からは身を引く。私はこの話については何も聞いていないからな!
バルク (曖昧に頷く)
ローファル おまえたちは、どうもヴォルマルフ様のことを誤解しているようだな。まるで彼が息子を血祭りに上げるかのような物言いは、控えてくれないか。親子の情を何だと思っている。
バルク オレは運命論者でもないが、この先の未来が見えるようだ。あの団長に人情というものが残っているとは驚きだな。まだ獣の方が我が子に愛情を示してると思うぜ。
クレティアン 私はそこまで言うつもりもないが――これといって否定するつもりも――
ローファル そうか――(独白)そうか、彼らの目には、ヴォルマルフ様は余程冷酷非道の人と映っているのだな。仕方あるまい――昔はそこまで厳しくはなかったのだが――あの男のせいでこんなにも――無念極まりない!
クレティアン (バルクに)知っているか。これから私たちが行くリオファネス城には凄腕の暗殺者集団が暮らしているらしい。ヴォルマルフ様はきっとお前を解雇して、良きアサシンをスカウトしてくるだろう。
バルク まさか! こんなに働いて尽くしてきたのに、そのまま使い捨てるとは、血も涙もない人だな! 武器王だか何だか知らんが、オレにまさる暗殺者はいるまい!
クレティアン その自信はどこからくるんだ、幸せな奴め。
ローファル (呟いて)井の中の蛙、大海を知らず。(二人に)静かに歩きたまえよ。
バルク 残念、ゴーグは港町だ。海は腐る程見て育ったンだよ。だけど、正直な話、その暗殺者集団ってのは何者なんだ?
クレティアン おまえ、何者かも知らずに話していたのか? 呆れた奴だな!
ローファル カミュジャ。武器王直々に育て上げた伝説のアサシンたち。
クレティアン つまり大公子飼いの暗殺者ってところだな。我々と似たような存在だ。バリンテン大公が憎き政敵を、自らの手を汚さずして秘密裏に葬り去れる便利な集団だ。
バルク オレたちと一緒だな。
クレティアン 違うのは、彼らが心からバリンテンを信頼し、情愛で結ばれた関係であるという点だ。私らのヴォルマルフ様への感情といえば――おっと、ローファルがいる手前、これ以上は言うまい。
ローファル そのまま言ったとしても私は気にしないぞ。おまえたちが大してヴォルマルフ様に敬意を抱いていないことは、当の昔に分かっている。
クレティアン ならば聞き流してくれ。だが、そうでなくてもカミュジャと我々神殿騎士団は違う。バリンテンはその暗殺術を得るためなら、何でもすると聞く。村を焼かせ、孤児となった子供らを手ずから自分好みに育て上げているそうだ。カミュジャも表向きは孤児救済集団なんだとか――誰もそんな説明を信じてはいないがな。おそらく信じているのは、当の孤児達だけだろう。大公こそ戦渦から自分を見いだし、保護してくれた唯一の父親と信じ切っているのだろう。彼らは、幻の現実を信じ込まされ、そして大公の言うがままの繰り人形だ。――我々とは全く違う。
バルク オレは嫌だね、そんな生活は。オレは神殿騎士で良かったよ。誇りが持てる。オレは自分の意志でこの銃を取っているのだからな。甘い現実など見てどうする。
クレティアン たとえ、目を背けたくなるような世界しかなくても、それでも現実に留まることを選ぶか?
バルク 第一オレの人生には選択なんて存在しなかった――全くな! そんな道があればテロリストなんてやってないぜ。現実に甘い幻想を抱けるほど、この世界は甘くはないんだよ。
クレティアン 哀れな人生だな。
バルク 同情や哀れみなど不要。
ローファル カミュジャと神殿騎士団の相違点、まだあるぞ。バリンテンは己が保守のため、その手を頑なに汚そすまいと努めているようだが、ヴォルマルフ様は違う。あの方が我々に仕事を放ってくるのは、団長という立場上、滅多に裏舞台に立てないからだ。別にその手を血で汚したくないと思っている訳ではない。あの方が本気を出せば辺りは一瞬で血の海になる。血を流すことなどあの方は厭わない。
クレティアン 聖地を血の海にされてはたまらないな。もう少し厭って欲しいものだ。
バルク 逆鱗に触れないのが一番だ。
ローファル ここだけの話、私はあの方に一度殺された事がある。ヴォルマルフ様はあの男にそそのかされ、悪魔に肉体を喰われてしまったのだ。あの男のせいで――
クレティアン どうしたローファル! 気でも狂ったか!
ローファル だが、幸運にも私は不老不死の身。たとえ何度剣で突き殺されようと、私は死なない。
バルク おい、気味の悪い冗談だな! (クレティアンに)突然、悪魔だの、不老不死だの、一体何のことだ。そもそもあいつは何者なんだ――
クレティアン (答えて)私にもさっぱり――(二人退場)
ローファル (独白)そうだ、この世界は狂気に満ちあふれている。確かなことは、あの方の機嫌を損ねてはいけないということだ! イズルードよ、おまえの選択は正しい。たとえ今は分からなくても、いつか分かる日が来る。おまえは全てを棄てて逃げ出したのではない。だから――その選択を、ゆめ惨めなものと思うなよ――(退場)

  

 

 第三場 リオファネス城。城下町。
 昼間。フォボハム領の都。人通りの多い大通り。両脇に露店が並ぶ。馬上のマラークがイズルードを引きずって連れ回している。イズルード、襤褸を纏わされ、縛された状態で抵抗する様子もなく始終うなだれている。マラーク、異国風の白い装束。

マラーク リオファネスに来るのは初めてか? ならばせっかくの機会だ。観光していくと良い。ここにはあんたのミュロンドにあるような立派な寺院はないが、大公自慢の素晴らしい城がある。――焦らなくても、城にはそのうち連れて行ってやるから、まずは市街を見ていったらどうだ。何か食うか? (露天に並べられた食べ物を指さす)
イズルード (沈黙)
マラーク 腹は減っていないのか。それとも食う気力もないか。さっきからずっと黙りっぱなしではないか。まるで鎖に繋がれた犬だな。どうした、何も主張することはないのか?
イズルード (沈黙)
マラーク こうやって人目に晒されるのは嫌か? 俺はゾディアックブレイブというのは、もっと華やいだ奴らだと思っていたよ。民衆からちやほやされるのには慣れているんじゃないのか。今更何が恥ずかしいというんだ。もはや抵抗する気もないようだな――俺は教会の精鋭と一幕やり合えると期待していたんだが、おまえは剣すら持っていないじゃないか! これでは、まるで俺が一方的に丸腰のお前を虐げているのと何ら変わらない。刃向かう気はないのか? 教会の騎士は捕虜にはならないと聞いたが、このままで良いのか――民衆は、こうやって引きずられて歩くおまえの事を罪人か何かだと思っている。噂好きの奴らはおまえを好奇の目で見ている――誤解されたくないのなら、自分の言葉で話すことだな。

  (イズルード、うつむいたまま何も言わず、縛られた両手を見詰めながらマラークの後ろを歩いている。民衆がその様を見ている。)

マラーク おい、何か言えよ。これじゃあ俺がただの悪人面をしておまえを歩かせているだけじゃないか。(民衆に向かって)彼は盗人や罪人なんかじゃない、ミュロンドから来た誇り高き清貧の騎士だ! 自ら甘んじて清貧に甘んじているのだ。こうして馬にも乗らず、剣すら持たず、この世で最も貧しき者に身をやつし、受難の道を自ら求めているのだ――! (イズルードに)どうだ、これで良いか? 満足だろう――?
イズルード (沈黙。マラークを無視)
マラーク ――さては、おまえ、わざと無抵抗の姿を見せ、俺を安心させておいて逃げようと考えているのだな? 違うか? まさかそんな無駄な事は考えるなよ。俺はおまえの聖石を預かっている。これから城へ行って大公に渡すんだ。無事に、このゾディアックストーンを返して欲しければ、大公の前で申し開きをするんだな! 安心しろ、俺たちはおまえの首や身代金が欲しい訳でもない。おまえが心配することは何もない! それに、城には運良くおまえの父も来ているぞ。きっと明日には親子で手を取って帰れることだ――大公様の条件を飲むのならばな!
イズルード (独白)聖石だと! さっきから聞いていればこの異国の男はふざけちらした事ばかり! 聞いていて呆れるわ! オレが聖石をそう容易く素性怪しき者に渡すものか――おまえが持っている聖石はオレの所有物ではない。あれはあの異端者が持っていたものだ。オレが持っている――教会の正統なゾディアックストーン――ヴァルゴとパイシーズは今もこの懐の中に隠してある! それすら気付かないとはとんだ間抜けな暗殺者だな――
マラーク 見ろ、向こうに城の正門が見えて来た。せっかくミュロンドからはるばる来ていただいた騎士殿には、丁重にもてなして差し上げたいところだが、あいにく来賓用の部屋は満室でね。地下牢しか空いていないんだが、せいぜい一晩の滞在だ。我慢してくれよ――(イズルードの縄を引く)
イズルード (独白)聖石――聖石――オレはこの二つの聖石を死守した。しかし何のためにこのクリスタルを守ったのだ――ゾディアックブイレブの名誉のためか? ラムザに共感し、聖石を無理矢理に強奪させた父の考えに疑問を感じ、剣を棄てて離反を決めたというのに――こうして聖石を離せず、必死に守っている――どうしてだ――望まれるままゾディアックブレイブの称号を戴き、父の言うとおり修道院を襲撃し、アルマに促されまま剣を棄ててしまった。なのにこうして聖石すら手放せない。見ろ、民衆がオレを嘲笑している。惨めだ。だがオレは何一つ自分で決断をしてこなかった。こうして阿呆の暗殺者に引かれ、どこへ行くのかも分からずにただ従って歩くのも、むべなるかな――民衆が笑っている。畜生め! きっとウィーグラフもこんな惨めな姿のオレを見たら笑うことだろう――惨めだ――惨めだ――絶望的だ――(マラークに連れられて退場)

  

 

 第四場 リオファネス城。控えの間。
 バリンテン領主の居城。堅牢な平城。部屋の両端には扉がついており、片方は廊下に、片方は客間に繋がる。床には敷物が敷かれている。壁にはバリンテン家の紋章。その他装飾品が少々。舞台中央でヴォルマルフが従者に小言を述べている。ローファル、クレティアン。

従者 ですから、せめて剣の一つでもお持ち下さい――

  (従者、短剣をヴォルマルフに手渡そうとするも、ヴォルマルフはそれを受けとらない)

ヴォルマルフ だから、要らぬといっているのだ。来賓の席に帯剣していくなど、主人への無礼も甚だしい。大公を貶めることはつまり、私の品格を下げること。貴様は私に礼儀を棄てろというのか。その態度こそが無礼そのものであるぞ。
従者 これは大変失礼しました。しかし私は団長の安全を願ってのことを申したまでで――
ヴォルマルフ 私に剣など不要。そんな鉄の棒がなくとも私はこの身を守れる。 
従者 そうでございますか。けれど、大公は手練れの暗殺者どもを城に配置していると伺います。やはりここはヴォルマルフ様も護衛を増やすなり、有事に備えて鎧と剣は揃えておくのがよろしいかと。
ヴォルマルフ 大公の暗殺術に私がそう易々と掛かると思っているのか。
従者 (慌てて)決してそのような意味では!
ヴォルマルフ いいか、我が神殿騎士団が、このイヴァリースで最も剛たる騎士団だ。貴様もこのまま私に仕える気があるなら、一句違わず覚えておけ! 我々には聖石がある。何も怖れることはない。
従者 (怪訝そうな顔つきで)――つまり、神のご加護があるということでしょうか――?
ヴォルマルフ それは貴様の知るところではない。下がれ!
従者 は、はい――(慌てて退出)

  (従者と入れ替わりにローファルが部屋へやってくる)

ローファル 聖石を神のご加護とは、何も知らぬ幸せな若者ですね。
ヴォルマルフ 知らぬ方が幸せなこともある。
ローファル 知った方が幸せなこともあります。朗報がありますよ。あのせっかちな従者が伝え忘れたようですから、私が代わってお伝えしましょう。
ヴォルマルフ 早く申せ。(うながす)
ローファル この城にイズルードが居るのはご存じですね?
ヴォルマルフ 知っているとも! 愚鈍極まりない奴だ。敵に投降するくらいなら身を斬れと私は何度も言った。大公手下の、あの怪しげな魔道士の手に掛かるとは! むざむざと捕虜になり私に恥をかかせた! あれ[イズルード]に誇りはないのか? 従者から事情は聞いたぞ。既に聖石が大公の手に渡ったそうだな。何という愚行をしでかしてくれたのだ! あの武器王がこれからどんな横暴を働くのか目に見えるようだ。おそらく――いや疑うことなく、私にその聖石の取り引きを持ち出すのだ。まったく面倒なことになったぞ!
ローファル ――まずは落ち着き下さい、ヴォルマルフ様。ですからそのことについての朗報です。大公が握っているのはタウロスとスコーピオだけです。ヴァルゴと――勿論――パイシーズは彼が持ったままです。敵の手に渡すことなく、彼が死守しました。ですから――どうか、彼にあまりひどい仕打ちをなさらいように――
ヴォルマルフ 何故私が怒りを抑える必要がある? 確かに私は聖石を持ってこいと命令したが、敵の人質になれとは命じてない。断固として!
ローファル 彼は、お父上にオーボンヌ修道院の宝、処女宮の聖石を手渡したい一心で、生き恥をさらしてでもここまで来たのでしょう。是非その心とそのクリスタルを受け取ってやってください。
ヴォルマルフ 此の期に及んであれがそう弁明したか。
ローファル いえ、これはあくまで私の憶測ですが――どうか斟酌を――
ヴォルマルフ (床を蹴って)ああしかし癇に障るな! 面倒だ! 大公相手に一暴れしてくるか。どうせ、奴は喰い千切る算段で来たのだ。何構うものか。(呼んで)ローファル!

  (ヴォルマルフ、ローファルを呼びつけて小声で話し、ローファル、それに頷く。その後、ヴォルマルフ、客間に向かって退場)

ローファル (独白)おいたわしや、我が君! あんな奴に身体を取られ、魂を取られ、さぞや無念だったでしょう――事の起こりは全てあの男に――聖石を渡し、悪魔を誘ったあの強欲な男! いずれ私がこの手で無念を晴らしましょうぞ――この剣で――

  (様子を窺いながらクレティアン登場)

クレティアン ヴォルマルフ様はひどく具合が悪そうだ。どうも血の気が多すぎていけない。私にはとても恐ろしくて相手を出来ない。ローファル、おまえはよくあんな短気を相手に出来るな。
ローファル 慣れているから問題ない。(独白)しかし昔はあのような粗野な振る舞いなど想像も出来ない程、篤実な、誇り高き騎士だったのだ! それが今やあの男の使い魔に! おいたわしや、我が君!
クレティアン あのままでは大公の喉笛に噛みつく勢いだ。武器王も災難だな。
ローファル そのまま食い千切るつもりだそうだ。
クレティアン とすると、団長自ら大公の首を刎ね飛ばすのか。だが、諸侯が大勢見ている手前、それはいささか都合が悪いのではないだろうか。ミュロンドの騎士も大勢来ているというのに。ミュロンドの神殿騎士を統べる団長が、手ずから大公を殺したとなると、衆人環視の的になる。
ローファル だから我々の出番だ。ヴォルマルフ様曰く、誰もこのリオファネス城から生きて返すなと。さすれば誰も目撃者はいまい。
クレティアン そんなことをすれば城は血の海だ。ここにはミュロンドの騎士も大勢来ているというのに! 同じグレバドスの兄弟たちだぞ!
ローファル 誰も目撃者がいなければ、後は何とでもなる。枢機卿の一件も病死で片が付いたではないか。嫌ならリオファネスから――ミュロンドから去りたまえ。
クレティアン 今更逃げる気などないが――ローファル、お前こそ、ここを去る気はないのか。
ローファル 私はヴォルマルフ様に付いていく――たとえその先が地獄であろうともな。ミュロンドに留まるのは、そこに教皇がいるからだ。ただそれだけの理由だ。(独白)おいたわしや、我が君! いずれ私がこの剣で――

  

 

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