凍れる心

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・サガフロ双子救済。
・とにかく二人に幸せになってもらいたかったのですが、原作設定(と他キャラ)がどこかへいきました……オリジナル展開満載です。


 
 
凍れる心
 
 
 
 
 ひとつの生命に息吹が吹き込まれた。
 だが、あまりにも過酷な運命を背負うことになっていた。
 女神は哀れんだ。このままでは、この子の心は壊れてしまう……ならば心を二つに分けるのだ。

-1-

 欠けることなき満月。荒野を照らす月は完全に満ちている。まったく、卒業試験にふさわしい日だった。

 二人の術士が向き合っている。彼らは互いに戦い――命の奪い合いをしている。試験は至極簡単だ。命を削り合い、殺し合う。生き残れば勝者。敗者に命はない。
 試験を見届けるのは、キングダムで最高の地位をもつ学院長だ。彼は試験に立会い、ただ、試験のゆくえを見守った。彼は今まで数多くの卒業試験を見届けてきた。「勝者」の判定を誤ってはいけない。それはキングダムの存亡にかかわる重大事項だからだ。

 戦う二人の青年は、同じ顔、同じ声、同じ身体を持っていた。双子だ。彼らの片方は陰の術を使い、片方は陽の術を使った、彼らは全く相反する術の資質を持っていた。

 術が激しくぶつかり合う。学院長は心配した。このままでは二人とも生命力を使い果たし、共に倒れるのではないかと――それだけは避けねば。せっかく集めた資質が失われてしまう。そろそろ「勝者」の判定を出さねばならない。学院長はころあいを見計らった。
 金の髪を持った青年が先に倒れ、膝をついた。今だ、この瞬間だ。
「ルージュ……奪いなさい。今すぐに彼の資質を奪いなさい。そうすればおまえの勝ちだ。おまえが完全な術士となる」
「奪う……ブルーから……」
「何を迷っているのだ」
 銀髪の青年は、おもむろに腰にさしていた短剣を取り出した。満月の光に短剣をかざす。
「僕には……で……きない」
 そうして自らの胸に剣を突き立てた。

 学院長は見守った。「命術を使ったか……すると、勝者はブルーか」

-2-

 あたたかい炎に包まれてブルーは目を覚ました。頭上には輝く満月。そうだ、試験の途中だ。自分が負けたのか? いや、私はまだ生きている。目の前で倒れているのは……自分と同じ格好をしたもう一人の術士――ルージュだ。
 だが、奇妙だった。先に倒れたのは確かに自分だった。けれど、今、目の前で事切れているのはルージュだ。しかも、胸から血を流している。
「おまえの勝ちだ、ブルー」
「学院長……確かに、私はルージュと殺しあった。けれど、私は短剣を使った記憶はない。なぜ、ルージュが血を流して死んでいる」
「彼は命術を使ったのだ。自らの生命を削り、お前を蘇生させた。そこで力尽きた」
「では、先に倒れた私が負けたのではありませんか?」
「いいや、卒業試験の判定は、『殺すこと』だ。生き残ったお前が勝者だ。さあ、お前が奪うのだ……彼の集めた資質を……」

 
 資質を持てるのは一人。より力のあるものがそれを行使する。
 ブルーはためらわなかった。今までもそうやって奪ってきた。キングダムはブルーに命じた。最強の術士になれ、と。だからブルーは言われるがまま、資質を集め――時には奪い取り、高みを目指してきた。
 キングダムの双子は心が分かれている。不完全なのだ。だが、今、こうしてルージュの心を取り戻せば……完全になれる。
 ブルーは事切れたルージュの身体を引き寄せた。胸に手をあてる。流れ出た彼の血はまだ固まっていなかった。それは、とてもあたたかかった……。

 ブルーの心に何かが流れ込んできた。緋色のあたたかい何か――ルージュの魂だ!
 緋色の魂が叫んでいる――僕にはできない……僕には殺せない……僕には奪えない……

 何故だ? 
 自分はためらいなく奪い取ったというのに……私は間違っていたのか? 資質を奪い取ることは正しいことだったのだろうか……?
 ブルーの心に迷いが生じた。いや、これは自分の心じゃない。ルージュの魂の叫びだ。自分の心であるはずがない。私は今まで、何も感じることなく、奪い、殺し、力を得てきたのだから――

-3-

 生まれて初めて、ブルーは泣いた。あたたかい粒が頬を落ちてくる感覚に驚いた。これは何だ。この感情は何だ。ルージュの心だ。ルージュの心が泣いているんだ。
 目の前に横たわる、物言わぬ亡骸。彼が涙を流している。ブルーは言葉を失った。こんな感情は初めてだ――自分が奪ってしまった――

「おめでとう」学院長は言った。
「おめでとう、これでおまえは一人前の『完全』な術士だ。心を取り戻したのだから」
「完全……でもルージュがいなくなってしまった……私はルージュの心を奪ってしまった……」
「嘆くことはない。ルージュの魂はおまえとともにある。そこにいるのを感じるだろう? キングダムの双子は、生まれた時に魂が別れ、こうして再びめぐり合う。なにも苦しむことではない」
「はい……」

 緋色の魂はそこにいる。感じる。でも悲しんでる。私の身体を使って、彼は泣いている。
 私が殺したからだ。
 私たちは一緒にはなれない……混ざり合えない。私はためらいもなくルージュの魂を奪った。彼は私に魂を分け与えてくれたというのに! なのに私は容赦なく奪った! そのやさしい心に私は入っていけない……

「ブルーよ、おまえは晴れて完全な術士になった。術士には学園に奉仕する義務がある。キングダムに戻りなさい」

-4-

 そうだよ、だから一人で泣かないで。君が苦しむ必要はないんだ。

 君は迷うことなくキングダムへ向かうシップに乗り、そして、一人で膝を抱えてうずくまっている。君はいつだってキングダムの求める優秀な術士だった。キングダムへの忠誠こそが使命だと君は思っている……。
 王国が要求する尋常ではない忠誠心で君はがんじがらめになっている。それだけでも苦しいだろうに、僕の人生を背負わせてしまった。ごめんね、ブルー。僕は君を困らせるつもりはなかったんだけど……。
 僕だってキングダムの学院で育てられた術士だ。だから分かる。僕たちに自由なんてなかった。生まれた時から「不完全」だと言われ続け、人間とさえ扱われなかった。そして、やっと、「完全」になれたというのに、ブルー、なんだか君はとても悲しそうだ。

 おめでとう。君は「完全」な術士になれたんだ。おめでとう。これでやっと「人間」になれるんだ。

 キングダムの双子は生まれた時に心が二つに分かれるという。だとしたら、僕がブルーの分まで持っていってしまったのかもしれない。僕は君に返したい。僕が奪ってしまった君の心を。
 同じ魂、同じ身体――僕たちはひとつになるんだ。なのに、君の心は僕を頑なにに拒絶している。どうしたら、その凍てつく心を溶かせるのだろうか……。
 こんなに近くにいるのに、僕にはブルーの心が全く分からない。君の心は、冷たく、ふるえている。僕の身体があれば、そばに寄り添って、そっと抱きしめて、あたためてあげることができるのに。

  ひとつの身体に、まつわらぬ、ふたつの魂
  決して混ざり合うことはなく
  決して語り合うこともなく
  つかず、離れず、しずかに留まる

-5-

「何が起きたのだ?」
 帰郷したブルーを待ち受けていたのは焦土と化した王国の姿だった。見たこともない異形の魔物が市街を跋扈している。これはただ事ではない。
 人々は学院の中に逃げ込んでいた。キングダムを護り、支配するのはこの学院であると誰もが知っている。
「学院長、事情をお聞かせ願いたい」
 学院を統べる学院長はこの厄災の事情を知っている風情であった。学院の最上階の学院長室の窓から、崩壊していく街の様子をじっと見つめていた。
「ブルー、おまえなら、きっと帰ってきてくれると信じていた」
「当然だ。私は今まで一度もキングダムへの忠誠を忘れたことはない」
 ルージュが集めた資質を奪い取り、自分は最強の術士になった。では、何のために最強を目指したのか? それはキングダムが求めたからだ。集めた術はキングダムのために使う。
「いいだろう。そなたには話すべきことがある。地下の封印が破られ、そこから魔物があふれ出てきている」
「地下?」
 ブルーは二十年近くこの学院で暮らしてきたが、学院に地下があったことなど知らない。
「女神像の下だ……」学院長は呟いた。
「私は祈ったことなどない。女神像がそこにあったことも知らなかった」
 ブルーの言葉は真実だった。「私は祈りの効力など信じない。私は自分の道は自分で拓き、求めるものは自らの手で得てきた――今までも、これからも」
学院長は笑った。「重畳重畳。それでもお前は女神の力など借りずとも『最強』になった。地下へ行ったら女神に言ってやるといい。われら人間は神を超えた、と」
 ブルーは何も感じなかった。だが、女神像のもとに行きたいと身体が感じた――ルージュがそこに行きたがっている。

 おまえは祈りたいのか?
 この期に及んで?
 何を祈るというのだ?

 ブルーが学院長室を出ようとした時――
「学院長! 大変なことになりました! 地下の研究所の扉が破られ、中に魔物が入り込んでいます」

-6-

「ああ、ブルー! 帰ってきてくれたのですね……!」
 学院長室に飛び込んできた白衣を着た研究員は、ブルーの姿を見つけると助けを求めてすがりついた。ブルーは研究員を引き剥がした。人肌に触れるのは好きではない。
「ルージュは一緒ではないのね……ということは、よかった、無事に『融合』できたのね」
 融合。あまりにも無機質な言葉にブルーは苛立った。そうだ、私たちは「融合」した……はずだった。だが、もう一人の自分の魂は溶けてどこかへ消えてしまったかのようだ。あたたかく、やさしい緋色の魂は薄くひきのばされ、ルージュの形をとどめずに漂っている。

 女神像のもとへ行こう。彼の魂を女神のもとへ返すのだ。そして祈るのだ――そうしなければ、ルージュはこのままどこかへ溶けて消えてしまう。私ではだめだ。この心はあまりにも冷たく、緋色の魂を宿すことはできない。
 ブルーは頭を抱えた。自分は祈ったことはない。祈りの言葉も知らない。そもそも女神に会いたいとさえ思わない。だがルージュのために祈らなければ。ルージュのためなら……いや、ルージュがそう望んでいるから……緋色の魂が自分を祈らせようとしている。
 おまえは誰は? これは誰の意思だ?

「無理だ。私たちは『融合』などできない。私はあまりにもルージュの魂とかけ離れている」
「それでいいのよ。だって、双子は対極のエネルギーを持つように作られているから――多くの人はその反発し合うエネルギー反応に耐えられず『融合』に失敗する。学院の卒業試験に受かっても、そこで命を落とす人も多いのよ。だけど、あなたは命を失うことなく無事にキングダムに帰ってきた。それが何よりの成功のしるし。おめでとう。あなたは最高の術士だわ」
 おめでとう、おめでとう――白衣の研究員はぺらぺらとしゃべり続ける。これは誰に向けた祝福なのだ。
 ブルーの脳裏に研究員の言葉がリフレインした。
「……双子は対極のエネルギーを持つように作られている……?」
 自分も? 私たちの蒼緋の魂が混ざり合わない理由は?
「反発し合う極性は、互いにぶつかり合った時に熱量を生む――それが術の源よ。つまり、より高度な術を操るためには、術士は極性を併せ持つ必要があるの。だけど、まったく違う性質の極性では駄目。融合に失敗するから。だから私たちは気づいたの――一つの魂を、決して混ざり合わない極性を持つように二つに半裁するのが一番適切だと。そうすれば、もともと一つの魂なのだから、融合に失敗することもない」

 ああ、そうか、つまり――私たちは――

「ブルー! お願い、地下に来て! 魔物があふれてきて誰にも止められないの。このままだと研究所が破壊されてしまう。キングダムの技術が跡形もなく失われてしまうのよ!」
 ブルーが考える間もなく、研究員が叫ぶ。懇願というより悲鳴だった。
「ああ、行く。だが、少し時間をくれ。女神像のもとへ行きたい」
「ブルー? あなたが? 珍しいわね」
「いや、私ではなく……ルージュが、いや、私かもしれない……もうよく分からない……」
「そう、あなたたちは双子。永遠に理解し合えないわ。私たちがそういう風に遺伝子を組み立てたのだから……。ブルー、あなたは自分の使命を覚えている?」
「キングダムで最強の術士になること……」
「そう、あなたはキングダムで最強の術士になる――私たちはこの日のために備えて、あなたのような最強の術士を作り出したの。地獄を再び封印するために――」

 使命。それが揺らぐことはない。キングダムに忠誠を果たすのだ。

-7-

 どうやら、僕たちは永遠に理解し合えないないらしい。せっかく一緒になれたのに、寂しいね。
 君はひとり心を閉ざしたまま。
 そして、僕はこうして気持ちを持て余している。

 でも、どうやらこれは、女神が定める運命ではないようだ。キングダムが作り出した運命だ。
 僕の魂は、もう君に委ねてしまった。だから、この運命に立ち向かうのは君だ。でも、ひとりじゃない……僕も一緒にいる……わかり合えなくても、理解し合えなくても、僕はずっと君のそばにいる。

 ブルー、君はどこまでも真面目な人間だから、キングダムの運命を背負おうとする。君の心が震えているのは、キングダムの術士の使命を知っているからだ。「最強」の称号を得てしまった君は、逃げ出すこともできない。だけど、君が一人で抱え込むにはあまりにも重過ぎる。僕は支えてあげることはできない……だから、僕は女神に祈っておくと。
 人間は僕たちに過酷な運命を強いた。でも、女神様は……きっと……もっと慈愛に満ちた方だと……

-8-
 

 学院の地下に秘された研究施設。そこでは幾対もの胎児が育成されていた。羊水で満たされたカプセルの中に並べられた一対の胎児。
「双子か……」
 ブルーは呟いた。大方のことは理解した。ここで自分たちは作り上げられた双子だったと。
「この研究所では優秀な遺伝子のみを保管し、日々改良を重ねています。キングダムの科学力はリージョン随一です」
「だろうな。これだけ簡単に生命操作ができるのならばな……」

 ブルーは己の胸に手を当てた。自分は最強になるべくして生み出された術士だったのだ。
 だが、キングダムななぜ、ここまでして――生命操作という禁忌を犯してまで、最強を目指すのだ?
 地獄の封印が解かれた――何が封印されているのか?

「この子らの『親』はどこにいるのだ。優秀な遺伝子を選別するといったが、どうやって判断しているのだ?」 
 ブルーには親の記憶がなかった。だが、遺伝子上はどこかに存在しているはずだ。この研究所の様子を見る限り、自分は優秀な術士の遺伝子を組み込まれているらしい。
「それはこちらに……」
 研究員が別の部屋へと手招きする。
 そこは先ほどの部屋と大して変わらなかった。羊水の満たされたいくつものカプセル。だが、中に詰められている生体は、胎児よりはずっと年かさで、二十なかばの青年たちだった。それに、彼らは対にはなっていなかった。
「ここに保管されているのは卒業試験で敗れ、魂を吸収されて残った方の肉体よ。試験に負けた固体とはいえ、その片割れは融合を果たして完全な術士になったのだから、遺伝子としては改良の価値があるの」
 ブルーの目が部屋の隅のまだ真新しいカプセルに留まった。あ……自分がいる……いや、自分よりわずかに薄い銀に輝く髪の色。ルージュだ。ルージュが目の前にいる……!
「こ、ここから出してくれ……! ルージュ……ッ」
 ずっと合いたかった自分の片割れ。彼は今、胎内に戻らせるように膝をたたまれ、解析用のコードとチューブを身体に巻きつけて狭いカプセルの中に押し込まれている。
「ああ、彼ね……ここで一番新しい研究素体。なかなか面白い解析結果がでているわよ」
 研究員はカプセル横のモニターを見ながらいう。ブルーはガラス越しにルージュの身体に触れようともがいた。ここえはルージュは単なる研究材料としか見られていない。自分が「不完全」を脱して一人前の人間になった……その代償に、自分の片割れがモノに成り果ててしまった。
「ほら、この子、命術の資質を持っていたのよ。珍しい資質よ。自分の命を削って相手に生命力を与える術なんて、生存競争では不利でしかない。でも、それを相殺させる資質をぶつけ合えば……改良の価値はあるわ。あなたよりずっと優れた術の使い手が生まれるかも」
 研究員がルージュの入れられたカプセルに手を伸ばす。ブルーは割って入って阻止した。「ルージュに触るな! あいつが命術の資質を持っていたのは……キングダムが求める最強を目指すためじゃない。あいつは誰にも優しくて、奪うことができなかった――私が奪いつくしている一方で、あいつは人に自分の魂を削って分け与えていた。それは術の資質なんかじゃない、彼のほんとうの性質なんだ……」
「ブルー……あなたたちは本当に正反対ね。本物の双子だわ」

 ルージュは自分に魂を奪われ、残された身体も研究のために骨の髄まで切り刻まれる。
 あんまりではないか。これが双子に課された運命なのか。自分は人間になった。そうしたらルージュが人間ではなくなった。私たちは――一緒にはいられないのか。それが運命だというのか。

 破壊してやる。地獄を封印する前に、この学院ごと吹き飛ばしてやる。
 どこまでも生命を弄ぶ傲慢な人間どもめ。

 
「待ちなさい、ブルー。お前が破壊すべき場所はここではない」
「学院長……」

-9-

 怒りを爆発させようとしているブルーを止めたのは学院長だった。彼もブルーと研究員の後を追って地下へ来ていたのだった。
「学院長! これではあまりにもルージュの人生が報われません……あまりにも、かわいそうで……」
 ブルーの頬に涙が流れる。ほら、ルージュも泣いてるじゃないか……。
「我々はいかなる犠牲を払ってでも、最強の術士を生み出さねばならない」

 最強。最強。最強。
 キングダムは執念のようにその言葉を繰り返す。
 一体、何が彼らを果て無き高みへと突き動かしているのだろうか。
 最強を目指した果てに、何があるのだろうか。

「地獄の蓋の封印が破られたのだ。地獄の君主が地上に這い出てくるのも時間の問題だ。そうなる前に、奴を封印しなければならない」
 学院長は淡々と語った。
「それが最強の術士……つまり、私の使命なのですね」
「そうだ」
 ブルーに拒否権などなかった。私は、最強の術士となるべく生み出されたのだ。このために作られた生命なのだ。
「私は使命を全うする。逃げるつもりはない。だが、キングダムへの忠誠心は失せた。地獄を封印したら、私はもう二度とキングダムには戻らない。それはルージュも同じだ。ルージュを今すぐ解放してくれ――しないのなら、私がこのガラスを叩き割る」
 白衣の研究員があわてた。「そんなことをしても、彼の身体には生命力をつかさどる魂はもうないのですよ。その装置から無理に出しても、魂なき肉体はただ朽ちていくだけ……」
「魂ならここにある」
 緋色の魂。ブルーには分かる。ルージュはまだここにいる。見失う前に、彼の身体に戻すのだ――ブルーは己の短剣を掲げた。命術の使い方は、ほかでもないルージュから教わった――奪い取ったのだから、よく知っている。
「ブルー……自分の片割れを救いたいという気持ちは分かる。だが、無理な話だ。ルージュの身体はここで、未来の子たちの研究のために役立ってもらう必要があるのだ」
「学院長、私では地獄の君主を封印できないというのですか?」
「いいや、そういうことではない。地獄の力はあまりにも強い。幾たび封印しても、封印を破って蘇るのだ。地獄の力は蘇るたびに強くなる。だから、我々はより強くなる必要があるのだ。だけど、安心しなさい、ブルー。ルージュの身体はここで研究のために使う。けれど彼の魂は今もおまえとともにある。君たちは一緒だ。だから心配することなく――」
「そんなこと、させるものか――地獄へ行くのは私一人だ! ルージュを道連れにするつもりはない! 私は地獄を封印などしない。二度と蘇らぬよう破壊する――だから今すぐ、ルージュを解放しろ……!」

 ブルーは短剣を自らの胸に突き立てた。血が流れる。息が苦しい。胸が締め付けられる。
 奪うことしか知らなかった。誰かに与えることが、こんなに苦しいとは知らなかった。
 誰かのために――ほかでもない、君のために――私はこの命を削ることを惜しまない。

 ブルーはエネルギーを両手に集積させ、鎖を生成した。慣れた手つきて、鎖を操り。ルージュの入れられたカプセルに巻きつける。そしてエネルギーを爆発させた。ガラスは粉々に砕け散った。ブルーは割れたガラスのそばに駆け寄り、瞬時にルージュを抱きとめた。魂なきそれは、冷たく、ずっしりと重い何かの塊――自分が奪ってしまったから。ルージュの濡れた銀髪を顔から払いのけ、肉体の腐食防止と遺伝子解析のために身体に挿入されていた管をいくつか引き抜いた。そして、代わりに、彼の口元に自分の血のついた短剣を押し当てる。
「ルージュ……すまない……すまない……今返す……」
 指先一つ動かぬルージュの身体を抱えたまま、ブルーはうわごとのように繰り返した。

-10-

 はじめは些細なことだったのだ。
 幸福を求め、豊かさを求める。それが人間の望みだったのだ。
 だが、どこかで歯車が狂ってしまった。人間は求めすぎた。飽くなき野心で技術を極め、ついには神の御園を模倣しはじめた――苦しみなき、幸福と豊穣の楽園が作りたかっただけだったのだ……だが、人間の野心が求めた楽園は、業の塊にしかならなかった。求めすぎたのだ。
 

「人間とは、これほどまでに業が深いのか……」
 ブルーが一歩踏みしめるごとに、模倣の楽園の魔法が剥がれていく。貪欲な人間が作り出した楽園――になるはずだった成れの果ての地。人々はそこを地獄と呼んだ。たしかにここは地獄に相違ない。むき出しの欲望、野心、傲慢さがいたるところに噴出している。
 すでにブルーは満身創痍だった。一方通行だと分かっていた。だからルージュにすべてを託してきたのだ。

「人間よ、たった一人で地獄の底までやってきたのか」
 地獄の底で一人でたたずむ「主」は言った。
「ああ、一人だ……」
 ここには負の感情があふれている。ここは封印の地。技術を求めるには犠牲が必要だ。「私は見捨てられた」「私はこんなことのために殺された」「もっと高みを目指せたのに」「あいつではなくて私が勝つべきだった」形なき人々の怨嗟が渦巻いている。キングダムは、切り捨ててきた。そうしなければ前に進めなかったからだ……すべてを切り捨て、地下に封印した。奥深くに、どんなに叫んでも声が届かぬように、地下深くに……かわりに、かりそめの「天国」を見せた。

 まやかしの幻想。私が全て破壊する。

「人の子よ……おまえ一人にこの地の業は背負えまい。その傷だらけの身体で私をどうやって封印するつもりだ?」
「私は人間ではない……不完全な存在だ。私の魂は生まれた時に半裁された。だから私は一個の完全な人間になることを望んだ。私の野心は底なしだった。私が欲するものは、力ずくで奪い、殺し、そうして我が物としてきた。私は完全になりたかった……他の何かを奪い尽くしてでも、己を取り戻したかった……だが、そうして取り戻した自分は……」
 あまりにも業を背負いすぎている。だからルージュの魂を切り離してきた。あれほど完全になることを渇望したというのに、私は自らすすんで心を二つに割ったのだ。不完全であることを自ら望んだ――緋色の心があったら、自分には奪えないと分かったから。 
 今、ここにあるのは凍てつく心。欲するものは力ずくで奪いとってきた。今も、これからも、そうすることにためらいはない。
「私は欲しいものは力ずくで奪う主義だ。おまえの存在を消し、私の祖国を解放する。私はおまえの存在の消滅を望む。消え去れ――」

 この業を背負いすぎた存在を消し去るのだ――血にまみれた己を。
 手を下すのは簡単なこと。今まで幾度となく、そうしてきた。たやすいことだ。
 鎖で縛り、あとは爆発させるだけだ――跡形もなく燃え尽きるがいい――

-11-

 あ……ブルーの気配が消えた――

 ずっと一緒にいたから僕には分かる。どうして、僕はこうも無力なんだろう。ブルー一人で背負える運命ではないのに、なのに、君は一人で出て行ってしまった。最後まで僕に心を開かなかった。ブルーは血のついた短剣だけを残していった。「ブルーはあなたのために命術を使ったのよ」研究所のベッドの上で目覚めたルージュに研究員が言った。僕もそこまでは覚えている。ブルーと一緒にいたから。でも、そのあとのことは記憶にない。自分の身体に戻り、深い眠りの中で意識を失っていた。再び意識を取り戻した時には、ブルーはもう遠くへ行ってしまっていた。

 半壊した女神像の前でルージュは、ぼんやりとたたずんでいた。
 研究所の看護師は、まだ生命力が回復していないから外へは出るなと言った。けど、僕には分かった。ブルーがかなりの生命力を僕に分け与えてくれたのだと。だから僕は、こうして外をふらふらと歩いている。でも僕の集めた資質は返してくれなかった。せめて、術が使えれば、僕も一緒に戦えたのに――でももうきっと手遅れなんだろう。
 ルージュは後ろを振り向いた。そこが封印の地へ通じる入り口だったという。今は完膚なきまでに破壊され、どこが入り口だったのかさえ分からない。でも、もう魔物は這い出てこない。ブルー、君が止めてくれたんだね……君は戻ってこなかったけれど。
 ルージュはぽたぽたと血のついた瓦礫の山を見た。この血はブルーが僕のために流した。僕のために、短剣で魂をえぐり、血を流したまま君は地獄へと這っていった。僕には君の心が最後までわからなかった。でも、きっと、苦しかっただろうに……ああ、女神様。ルージュは崩れ落ちた女神像に寄り添った。

「これをあなたに……」
 白衣の研究員が、封筒に入った書類をルージュに手渡した。「え、僕に?」
「あなたの遺伝子の解析データよ」
 ルージュは神妙な顔で封筒を受け取った。研究施設で解析器の中に入っていた時の記憶はない。その時はまだブルーのそばにいた。ブルーがひどく心を痛めていたことだけ覚えている――僕の身体のことなんて、どうでもいいのに。
「あなたのデータを見ていて、奇妙なことに気づいたの。あなたの――あなたたちのデータは研究所のどこにも記録がなかった」
「どういうこと?」
「あなたたちは、この研究所で作られた子どもではなく、自然分娩で産み落とされた子だったのよ。私たちは作ったのではなく、ほんとうの双子だったのね……」
「じゃあ、僕たちは殺しあう必要はなかったということ?」
「ええ……私たちの研究と、学園が、あなたたちの運命をとんでもなく複雑にしてしまったけれど。」
 ルージュは安堵した。血を分けた兄弟を殺しあう必要はなかったんだ……よかった……でも、ブルーがいない。
「私たち人間は、あなた方に耐え難い試練を与えた。でも、女神は私たちほど過酷な方ではないわ……だって、愛し合う男女に祝福をくださる方ですもの……」
 私も祈ります。そういって研究員はルージュの隣にすとんと膝をついた。「私たちの傲慢さをブルーひとりに背負わせるわけにはいきませんから……」

-12-

 時の止まった静謐の空間。過去もなく、未来もなく。
 そこに一人の青年が横たわっている。鎖に身体を縛られ、檻の中に閉じ込められている――青年は自らに枷をかけたのだ。

 ――ブルー……目を覚ましなさい……
 翼をもった三つの光。これは夢だ。幻だ。自分は地獄の中に自らを封印したのだから……こんな……三柱の女神がここにいるはずがない………。
 ――そうやって、そなたはいつも心を閉ざす。我ら姉妹はそなたに氷の祝福を授けた。そなたが、この王国の螺旋を断ち切ると術士になると分かっていたからだ……だから、そなたが過酷な運命に心を壊してしまわぬように、氷の加護を与え、凍らせた。だが、いつまで、そうやって心を凍らせておくつもりだ。時は満ちた。
 氷? ブルーはぼんやりと思った。それは自分の名前……冷たく、凍てつくもの……
 ――そなたが、あまりにも心を閉ざしているから、地上の優しき子より炎を借りてきた。
 あたたかい……緋色の炎………そうだ、これはルージュの炎だ。
 鎖が砕かれた。檻が開け放たれた。身体の拘束が解かれていく。それは彼自身の作り出した魔力の枷だった――女神が取り払ってくれた。身体が自由になるごとに、自身の魔力が落ちていくのを感じる。女神が一つずつ、彼の集めた資質を取り上げていく。
 ――そなたはもう術士ではない。そなたの術は我らがもらいうけた。
 ブルーはやっとのことで身体を起こした。資質は一つもない……奇妙な感じがする。もう、私は術士ではなくなってしまったのか……私は何者だ……?
 キングダムが求めるまま資質を集めることが、彼の人生だった。最強の術士になることだけが彼の目的だった。
 ――そなたは人間になるのです。そなたは人の子より生まれし人の子。あるべき姿に戻りなさい。

 
 女神様?
 けれど私の手はとても汚れている……資質のために、数え切れないほどの命を奪ってきた……返したくても、もう返せない……

 ――償うのか? その意思があるのか? 
 ブルーはうなずく。これはキングダムの意思ではない。初めて、自分で決めたことだ。「私は償いたい」
 ――ならば、時の中に戻りなさい……ここにいても時間は動かない……さあ、そなたを待っている者たちのもとへ……

-13-

「ブルー!」
 女神像のふもとで身体を横たえて眠っているブルーを見つけて、ルージュは駆け寄った。
 ああ、女神様はほんとうに祈りに答えてくれた……
 眠るブルーの身体に、そっと手を伸ばした。やっぱり、君は冷たいんだね……でも、やっと僕があたためてあげられる。
「……ルージュ? ずっとそばにいてくれたのか?」
「うん」
「あたたかい炎が見えた。あれは……おまえだったのか……?」
「うん……よくわからないけど、たぶんね」
「おまえは炎の力を持っているのか?」
 ルージュはブルーを抱いたまま首をかしげた。「何の話?」
「夢の中で女神に会った。女神は私の心を凍らせたと言った――私がキングダムの運命に翻弄して心を壊さないように、と。そうして女神は、おまえの魂と同じ色の炎を持ってきた……おまえが溶かしてくれた」
 ブルーがルージュの胸の中に顔をうずめた。ルージュは彼を強く抱きしめた。

 兄さんの使命は、地獄の封印をすることだった。そのために心が犠牲になった。
 だとしたら、僕の使命は……凍れる心を溶かすこと。
 こうして抱き合える日を待ち望んでいた。兄さん、兄さん、ずっと一人で……僕たちはやっとめぐり合えた。

 
「兄さん、僕たち、やっと一緒になれたね……今度は一緒に旅に出たいな」
「私もだ……まずはルミナスへ行こう」
「え、ちょ、また資質集め……?」
「私には奪った資質に対する責任を果たさねばならない」
「兄さん……真面目なんだから」
「でも、おまえが一緒なら……きっと楽しい旅になるだろう」

  寄り添いあうふたつの魂
  憂い喜びともに語らい
  いかなる運命を彼らを引きはなたず  

  

  

2018.8.27