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・バルクさんお誕生日お祝い小説
・妻子持ちバルクさんがどうしようもないヘタレ父親です
・オリキャラ出てくるのでご注意

         


         

         

         
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 彼はいつも首から銀のリングを下げている。漆黒の衣に鈍く輝く銀のきらめき。

「バルク隊長、アウトローだった時からそれ、大事にしてますよね」
 ふと気になって尋ねたのは、長いあいだバルクと一緒に戦場を駆けめぐってきた、アイテム士のジェレミー。
「ああ? お守りみたいなもんだよ。気休めさ。持ってると気が安らぐのさ」
「見てもいいですか?」
 ほらよ、とバルクは旧友にリングを放り投げた。ジェレミーは落とさないように大事に受けとると、その銀細工をしげしげと見つめた。
「中に文字が彫ってあるんですね」
「俺が彫金したんだ」
 そういえば、隊長は昔ゴーグで機工士をしていたらしい。ジェレミーが出会った時はすでに貴族から恐れられる荒くれ者だったから、ゴーグで暮らしていたという昔のことは知らない。バルクも語ろうとしなかった。
「隊長、誘拐犯みたいな見た目だけど、意外と手先が器用ですよね。銃とかも自分で手入れしてますよね。職人みたいだ」
「ああ、職人だったんだよ。昔はな」
「ところで、これ、何て書いてあるんですか? 畏国の言葉じゃないみたいだ」
「ロマンダにいた頃に作ったからな。ここの言葉じゃねえや」
「へえ! 隊長、ロマンダ語もしゃべれるんですか? すごいや、読んでみてくださいよ」
 バルクはかたく首を振った。「だめだ。それはかみさんへのプロポーズの言葉だ。アイツ以外に言うつもりはねぇ」
 あ、とジェレミーは声を漏らした。妻への愛の言葉を胸元で大事に守る男。その意味を察してしまったのだ。これは形見の品に違いない。興味本位で軽々しくたずねてしまったことをジェレミーは後悔した。
「すみません。私としたことが……奥様の思い出、どうが大事にお持ちください」
 ジェレミーは銀のリングを隊長にそっと返した。だが、当のバルクは怪訝そうな顔をしている。
「なんでえ、そんなしけた顔しやがって」
「だって、奥様がとの、悲しい別れを思い出して、さぞおつらいでしょう……」
「女房? ゴーグでピンピンしてるぜ。ガキもそろそろいい年になってるだろうよ」
「……え、えぇえ? なんですって?」
 ジェレミーは思わず、真顔で聞き返した。「奥様はまだ健在? しかも子供までいる?」
「ああ。娘だか息子だか分からんが。15年以上帰ってねえし」
「で、なんであなたはここにいるんですか? 奥さんほったらかして。子供の面倒もみずに! あなたは男として、人間として最低だ」
「それがアウトローとして生きるさだめだ。俺は修羅の道で生きてきた。女房もそれは分かってる。俺はアウトローとして生きると決めた時、女房に言った。俺は死んだものと思えってな」
「隊長、ではどうして、奥様へのプロポーズの言葉が刻まれたリングを隊長が持ってるのですか。あ、ペアリングですか?」
「い、いや一品物……タイミングを逃して渡しそびれた……」
「はぁ~~隊長、想像以上にどうしようもない人ですね。そんなんっだったら、もうフェニ尾あげませんから」
「待て! それは困る! 俺はお前がいないと生きていけない! 頼む!」
 バルクはあわててジェレミーにすがった。この有能なアイテム士は、どんな障害物をもかわしてバルクにフェニ尾を投げつけてくる凄腕の戦友なのだ。
「だったら、奥様にちゃんとプロポーズしてきてください。私は腑抜けと一緒に戦う気はありませんからね。私、団長に隊長の休暇願いを申し立ててきます」
 さっさと踵を返して立ち去るジェレミーをバルクは呼び止めた。だが、もう時すでに遅し。ジェレミーはすでにその場を去っていった。
「おいおい、今更求婚なんてこっぱずかしいことできるかよ。だいたい団長がそんなふざけた休暇願いを聞き入れるはずがねぇだろうよ……」

「団長OKです」
「話がはえーよ」
 ジェレミーが鉄砲玉のように飛び出していってから5分も経たず、風呂敷包みを持って現れた副団長。
「我が神殿騎士団は礼節を重んじる騎士団。団員のご家族に挨拶をさしあげるのも長の仕事……といいたいところですが団長はご多忙の身ゆえ、私がともに参ろう。あ、これは手土産のミュロンド饅頭と銘菓あじょら餅」
「いらん世話は焼かないでいいっての」
 バルクは風呂敷包みをひったくった。よりにもよってこいつと一緒に里帰りかよ。いつもフードを目深にかぶり、素性を隠し通す仏頂面の副団長。
「おい、もうちょっとマシな顔はできねぇのか。俺のかみさんはな、生まれたゴーグの町から一歩も外に出たことがない女なんだ。暗黒司祭みてえな奴が家に上がってきたら気絶するわ」
「大丈夫ですよ。ご婦人へのマナーはわきまえておりますから」
 そういってローファルは、さっとフードを下ろした。トンスラの金髪が風になびく。顔には穏やかな僧侶の微笑みをたたえている。営業用スマイルだ。こいつも黙ってこうして立ってれば可愛い奴なのにな。
「バルク、あの子は連れて行かないのですか? あなたのことを随分と慕っているようですが」
「ジェイミーか? あいつは留守番だ。アウトロー時代を知ってる奴に、家庭のことは見せたくねえんだ……気まずいだけだろ」
 バルクはため息をついた。ローファル、おまえもだ。できればこいつも置いていきたい。言外の意味をこめてローファルをじっとにらむ。だが帰ってきたのは副団長の圧だった。しかたねぇな。
「あ、おじちゃん、ゴーグに帰るってほんと?」
「嬢、どした」
 ゴーグ行きの船に乗るため、まとめた荷物を持ち上げようとしたら、荷物のすきまに嬢ちゃんがすかさず滑り込んできた。バルクはじゃれついてくるメリアドールを引き剥がし、ローファルに押し付けた。子供の扱い方はどうも難しい。
「待って、おじちゃん!」ローファルの背の影からメリアドールはバルクに呼びかけた。「お・み・や・げ」
「はいはい」
 しかたねぇな。何か買ってきてやるよ。

「あんたァ、この20年どこほっつき歩いてたんだね」
「ルツ……」
 覚悟はしていた。扉を開けたら、不審者が入ってきたと鍋で撃退されるかもしれない。20年も家に帰らなかった男はもう死んだも同然だ。新しい夫が、女房の隣に座っているかもしれない。俺の女に手をを出すなと狙撃されるかもしれない。そんな心配が家に帰る間中ずっと頭を離れなかった。
 杞憂だった。女房は健在だった。思ったよりずっと老けていたが。俺だって老けた。もうおじさんだ。
「覚えているかい、この俺のことを……」
「なんだい、その情けない顔は。あたしは、あんたの子を20年も育ててきたんだ。どうして忘れるんだい」
 よかった。扉を開けて鍋でぶっ叩かれたのでは隣にいる副団長に永久に失笑される。それだけは避けたかった。
「ご挨拶が遅れてすみません」ローファルが一歩前に進みでる。「わたくしは神殿騎士団副長のローファル・ウォドリングと申すもの。ご主人を長らくお借りしており申し訳ございません、マダム・フェンゾル」
「あたしはマダムなんてたいそうなものじゃ……」
 威勢のいいゴーグの職人街で育ったマダム・ルツ・フェンゾルは神殿騎士の挨拶にぎょっとした。ここでは彼女のことをマダムなんて呼ぶ者はいないのだから。ルツよ、こいつは俺以上に腹の黒い坊主だぜ。口に出しては言わなかったが。
 ルツはバルクに小声でささやいた。「この坊さんは誰だい。あんたがさらってきたのかい? あんたはまだ誘拐犯みたいなことをやってるのかい? うちには教会のお偉いさんに払う金なんてないよ」
「俺の仲間だよ。俺は教会の騎士になったんだ」
「冗談はおよし!」
 ルツはバルクの背中をバンバンと叩いた。「信じられない!」と豪快に笑っている。
 ああ、俺も信じられない。俺が騎士だって。死んだ親父も驚いて墓から出てくるだろうよ。だが、事実なんだ。
「彼の言っていることは本当ですよ。マダム。彼の身元は私が保証します。私たちは教皇の勅命を受けて、この国の未来を作るために戦っているのです。彼は私たちに随分と尽くしてくださいます。彼の働きには、とても感謝しているのです」
 では、私はこのあたりで。あとは夫婦水入らずでどうぞ、と気を使って退出する。ルツはまだ目を丸くしている。バルクはどうやって話をまとめればよいのか分からない。あ、そういや土産を持ってきてたな……「ほらよ、ミュロンド銘菓あじょら餅。食おうぜ」

「へぇ、神殿騎士団ね。国を壊してくるぜ、って息巻いて郷を出てったあんたが教会の騎士ねぇ……」
「国家に縛られたくないとアウトローになった俺が今や教会の犬だ。笑えるだろう。なあ」
「いや、あたしは難しいことはわかんないよ。あんたが生きててくれただけで嬉しいさあ。……だけど、ゴーグの隣で暮らしてんならもうちっと早めにけえってきて欲しかったさね。子育ても終わっちまった後に戻ってくるたあ、どんな父親だい」
「はい、ごもっともで……めんもくもない……」
 あじょら餅の包みを広げて満足そうにほうばる女房の前バルクは静かになっていた。何も言い返せない。使いこまれたぼろぼろの食卓に座る、少し気まずい雰囲気の夫婦。バルクの右手には銀細工が握られている。いまだ、渡そう、いやまだだ、渡せない。気持ちが逡巡する。
「ルツ……」
「なんだい」
「いや、なんでもない……」
「ちょっと! はっきりしなさいよ!」
 言えなかったプロポーズを。やっぱり郷を出る前に言っておけばよかった。畜生、失敗したな。
 ルツとはゴーグの幼馴染だった。いつも一緒にいるのが当然だったから、プロポーズなんてこともなく夫婦の契りを交わし、連れ添うように一緒に暮らしはじめた。バルクにとって、己の命より大事な妻だった。だから、ゴーグを出てアウトローとして生きる決意をしたときは妻を巻き込むまいと、心に決めていた。彼女はゴーグの職人街でそだった善良な街娘。法を飛び越えて夜を渡り歩くアウトローの生き方を押し付けるつもりはさらさらなかった。
 だからこう言ったのだ。
 ――俺は死んだものと思え。
 テロリストの妻なんて肩書きを与えたくなかった。俺のことなんか忘れて幸せになれよ。そう言ったつもりだった。だが、妻は帰らぬ夫のことを待っていた。子供まで育てて。
 俺、くそ野郎じゃねえか。新妻にプロポーズもせず、死亡宣告だけして家出同然に失踪して、20年も戻らなかった。夫のいない家で一人、子供を育てる妻がどんなに寂しかっただろうか……畜生、畜生。俺は父親になれなかった男だ。夫にすらなれなかった。
 ゴーグを出てロマンダに渡ってすぐにガキが生まれた、という手紙はもらった。その時は郷に帰ろうと思った。だが、その時は戦争中で、必死に密航したロマンダからゴーグに飛んで帰るのは至難の業だった。だから、旅先でかき集めた金で、記念にちょっと洒落た銀のリングを作って、戻ったらちゃんと渡そうと思っていた。だが、アウトローの人生は波乱に満ちていた。3年、5年、10年、と時間が過ぎ、郷に帰るタイミングをずるずると失った。
 怖くて帰れなかったのだ。妻に見捨てられていそうで。
「あんたは昔から怖いもの知らずの荒くれだったからね。ちゃんと、その、教会の騎士ってやつはうまくいくのかい。教皇さまと一緒に暮らしてるんだろ?」
 怖いもの知らず? いや、俺はただの臆病者だ。20年も郷に帰れなかった小心者。
「まあな。騎士団には俺よりやばい連中がうじゃうじゃいるさ」
 騎士団。嬢のことを思い出した。ゴーグ土産、何にすっかな。ああ、そうだ。嬢といえば、俺のガキはどこだ。
「ルツ、あの、その……おまえの子はどこだ?」
「腰が低いねぇ、あんたの子って言えばいいのに」

 マイスターのギルドで徒弟修業中だよ、会いに行くかい、とルツに言われた。バルクはうなづいた。ああ、もちろん。だが怖い。やっぱり怖い。女房はともかく、一度も会ったことのないちびに何面で会えばいいのか。父親ではないな。通りがかりのおじさん顔をしておこう。
 案内されたのはゴーグで一番広い工房。機工士として少年時代を過ごしたバルクはこの建物が誰のギルドなのかすぐにわかる。マイスター・ベスロディオ・ブナンザ。
「ほら」建物の窓越しにルツが指差す。
「おお、俺の子にしては随分イケメンじゃないか。人のよさそうな顔をしている」
「ちょっと! どこを見てるんだい。あれはマイスターの坊ちゃんだよ。いつフェンゾルの家に金髪がまじったんだい。うちの子はあっち」
 ルツの渾身の突っ込みで背中をバシバシと叩かれた。「わかってるって、冗談だよ」
 工房の隅で、粘土板に製図器を使って図面を書いている。小さな粘土板に描かれたのは一部分だが、バルクにはその機械がすぐに分かった。飛空艇だ。間違いない、あいつは機工士になる。間違ってもテロリストとして逃亡生活を送る人間にはならない。ほっとした。これは父親心だろうか。
「坊主」
 バルクは窓から身を乗り出して石壁をトントンと叩いた。黒髪の少年が振り向く。ルツにそっくりだ。人相の悪い俺に似なくてよかったな。
「おじさん、誰」
「おじさんは通りすがりの騎士だ」
 少年はあからさまに興味なさそうな顔をした。自分の図面に戻って没頭したいという雰囲気をかもし出している。
「坊主、機工士になるんだろ」
「うん。マイスターみたいになりたい」
「頑張れよ」
「うん」
 数秒で終わってしまった会話。少しものさびしいが、まあ、失踪してた父親がいきなり出てきたと説明するのも難儀だし。マイスターのギルドにいるのなら、まっとうな機工士になるだろう。それでいいさ。
「あんた……もうちっと顔をみてったら」
「いいよ。怖い顔のおじさんに見つめられても不気味なだけだろう――さ、ちびの顔も見たし、俺はミュロンドに帰るよ。副団長を待たせてるのも悪いし」
 今だ。去り際にかっこよく。「これ」銀の指輪を渡すのだ。「結婚の記念に渡そうと思ってた」待たせてごめんな。「ロマンダで作ったんだ」ちょっとかっこつけたかった。渡し忘れたせいで台無しになったが。
「あら、あんたにそんな気遣いができるとはね。愛の言葉でもくれるのかい」
 バルクは苦笑した。
「あいにく、俺はそういうの得意じゃないんだ。だからかわりに指輪に書いておいた」
「あたしは目も悪いし、字もよめねえんだ。かわりに言っておくれ」
 バルクは戸惑った。言うのか。愛の言葉を。俺に言う資格があるのか。言えるのか。
「……誰にも言うなよ、これは妻にしか言わないって決めてるからな」
 やっと言うのだ。妻に20年越しのプロポーズを。
 

「へたくそ」
 ミュロンドへ戻る船の上でローファルがぼそりとつぶやいた。
「あんだよ。夫婦水入らずで、とか言ってつけてんじゃねえよ」
「失礼な。私は護衛していただけです。あなたは自分の立場をわきまえた方がいい。どうして国家指名手配犯のあなたが、この数時間で誰にも狙撃されずに街中を歩けたと思います?」
 ローファルは黒の僧服の袖口からするりとこぶりの長剣を取り出した。
「今日だけで何人始末したとお思いですか」
「ふん……いらん世話は焼くなって言ったろ……」
 相変わらず物騒なやつだ。涼しい顔して、プロのアサシン顔負けの始末術を持っている。
「しかしあなたははどうしようもない父親ですね。息子の名前さえ聞かなかった。奥様はさぞがっかりしているでしょう」
「……聞いたら、情が移るだろうが。これでいいんだよ。騎士になったっていっても俺は影の住人だ。中途半端に父親面したくねぇんだよ」
「あなたは臆病者だ。ただ逃げているだけ。生きている家族が目の前にいるというのに、あなたは逃げ出した。あなたはいつか後悔する。生きているその手を自ら手放したことを」
「説教はよせよ。俺は自分で決めたことに後悔はしない」
「いいえ、あなたは後悔する。ヴォルマルフ様や私がそうであったように……」
 ああ、団長も細君と死別してたんだっけな。副団長もか。ん、副団長? こいつもか?
「ローファル、あんたもか? あんた修道士だろ。結婚してないよな……?」
 ローファルはふいと顔を背けた。そしてぼそりとつぶやいた。「私は孤児だった。父の名もしらず、誰に抱かれた記憶もない」
 めったに心を開かない副団長がはじめて自分の過去を語っている。「そうか、あんたは寂しかったんだな……そうだ、なら俺がパパになって抱いてやるよ。今からでも遅くない。ほら、膝の上、あいてるぜ――痛ぇ!」
 すばやい平手うち。さすが始末人。目にも留まらぬ右手の動き。しかも、おまえ、服の下に鎖帷子着てるだろう。痛ぇンだよ。
「わ、わたしのことではない。おまえの子の心配をしているのだ!」
「あーはいはい、どうせ俺は父親失格の人間だ。今更父親なんて無理だっての……まあ、練習したらいいパパになれるかもな。帰ったら嬢を借りるぜ。まずは抱っこの練習から――」

「隊長! 戻ってきたんですね。あれ、夫婦喧嘩でもしましたか?」
 港で出迎えてくれたのは相棒ジェレミー。こいつとは勝手知ったる仲なので、挨拶代わりにポーションを投げつけてくる。ありがてぇ。副団長にはたかれた痕に寸分の狂いもなく塗り薬が炸裂する。
「いや、これは同士討ちだ。副団長の機嫌が悪かった。乱闘になった」
「どうせ隊長が失礼なこと言ったからでしょう。バルク隊長、空気よめないから……」
「うるせぇな」
 アイテム袋をごそごそとあさりながらジェレミーが言った。
「奥様にちゃんとプロポーズしてきましたか?」
「ああ」指輪は渡したし。
「お子様にもちゃんと会ってきましたか?」
「ああ」窓越しに。通りすがりのおじさんとして。
「なら、今回の里帰りは大成功ですね! よかった。私、心配してたんですよ。20年も帰らなかった夫を見て妻が逆上して死闘になるんじゃないかって。ほら、フェニ尾、こんなに買って準備してたんですよ」
「ありがとよ。でも俺のかみさんは優しいから必要ねぇよ」
「そうですね、隊長よく死にかけてますよね。でも大丈夫ですよ、ストックが99本ありますから」
 バルクはジェレミーをこづいた。「バーロー、俺は不死身だ。フェニ尾なんて捨てちまえ。妻子を残してそう簡単に死ねないからな」

         

         

2018.12.7

Scotch of Mine

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Scotch of Mine

             

             
「なあ、そろそろ結婚しないか?」
 急に聞かれたからメリアドールは少し驚いてしまった。
 夜の自室。一日のおつとめを終えてメリアドールはくつろいでいる。鎖帷子を脱ぎ、夜着に着替え、髪をほどいて、ベッドの上に寝ころぶ。そうしているうちにクレティアンがメリアドールの部屋を訪ねてきた。まじめに仕事のことを話すのかと思って招き入れたら、想像していなかった言葉が出てきた。
 結婚なんて考えたこともなかった――そういう年頃なのかもしれないけれど、父さんはまだ何も言わないし。
 メリアドールは父から次期騎士団長の位をもらい、ヴォルマルフにそうしたように、クレティアンも変わらずメリアドールに尽くしてくれている。
「何よ、唐突に……結婚なんてしなくても、あなたはずっと隣にいるでしょう」
「それは騎士の誓いだ。私はもっと君に個人的な忠誠を誓いたいと思っている」
「ふぅん……それはどういう類の言葉かしら?」
 メリアドールはベッドから立ち上がった。彼が何を言おうとしているのか、ためしてみたくなった。
「もっと親密になれる言葉を」
 クレティアンは机に手をおいて、すました声で答えた。メリアドールはふんと鼻で笑った。
「もっとはっきりおっしゃいなさい。プロポーズしたいんでしょう? 私は次の長となる女。私に求婚してくる男はごまんといるのよ?」
 みんな私の地位に惹かれているだけだったけど。そういう輩は父に頼む間もなく自分で撃退してきた。でもたくさんのプロポーズを受ける中、時にはメリアドールの胸を多少ときめかせるような素敵な言葉を持ってくる紳士もいた。でも、まだまだ駄目ね。騎士団長の夫になるには物足りない男ばっかり。
「私を満足させてみなさいよ。私を気に入らせたら相応のお返しをしてあげてもいいわよ」
「ふん……いいだろう」
 クレティアンは、ぱっと机から手を離した。メリアドールが考えるより早く、彼は二言三言、詩のような言葉を唱えた。メリアドールの胸の前にさしのべられた手の平には、輝く氷の結晶が乗っていた。氷結のリング。彼は優秀な魔道士だった。
「氷の魔法?」
 メリアドールはきらめくリングを受け取る。
「あら。きれいだけど、でも安っぽいわ」
「即席の魔法だからな。朝になったら溶けてるだろう。だが、こういう物がないと格好がつかないだろう?」
 差し出された右手。彼は片膝をついてメリアドールにささやく。
「<Veux tu m’epouser,mon cheri?>」
 あ、とメリアドールは思った。ときめいたかもしれない。たいした言葉じゃないのに。彼、こんなに素敵な声だったかしら。メリアドールの胸にあたたかい感覚が広がった。ひとときの夢を見る。花嫁と花婿が愛の誓いを交わす。私の隣にはあなた。あなたの隣には私。その時、至福の瞬間が訪れる。
「……どうやら満足していただけたようだな?」
 その言葉でメリアドールの心は現実に戻った。私が花嫁? とんでもない!
「ま、待って、今、魔法を使ったでしょう! あなた吟遊詩人だから」
 言葉を操り、戦士を鼓舞する吟遊詩人。彼がその道の熟練者なのを忘れていた。
「自分の技能を生かして何が悪い? 私は優秀な魔道士なのだから」
 さらりと答えるクレティアン。その図々しい態度にメリアドールは腹が立ってくる。でも不覚にもときめいてしまった。
「で、報酬は? 十分満足しただろう」
「でも私は気に入らなかった! 反則じゃないの」
 メリアドールは氷のリングを投げ返した。
「……次は溶けない指輪を持ってくるよ。その時は私の気持ちにもっとまじめに向き合え」
「いいわよ、そうしたら、考えてあげる」
 その時がきたら、私も、あなたへのこの持て余した気持ちにもきっと向きあえる。その時がきたら、今度こそ素直に言おう。魔法なんか使わなくても貴方は十分素敵だと。

             

             

2018.11.22

飛ぶ鳥、はるか

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・レインとヘリアーク(ソルの中身)のヴィジョンの会話。色々妄想。


 

 

 

飛ぶ鳥、はるか

 

 

 
「ソル!」
 魔力を使い果たして、羽が地面に落ちるようにゆっくりと岩床に倒れ伏したソルのもとにレインは駆け寄った。彼の魔力は果てしないように見えたが、これが本当に最期なのだとレインは悟った。
 彼の身体から発していた白い光が少しずつ薄らいでゆく。ローブの下の身体がゆっくりと溶けるように色を失っていく。
 だが、胸元に光るものが残った。ソルの身体から光が消えたのちも、周囲に静かな光を放っている。透明で、さわると冷たい結晶のようなもの。「クリスタル?」レインはつぶやいた。

「それは魔導心臓よ。彼は特殊な心臓を持っていたの」
 レインの背後から艶っぽい声が響いた。黒の花嫁のフィーナだ。クリスタルと同化した彼女は変幻自在に、姿を表したり消したりしている。
「フィーナ……」
「彼の最期を見に来たの。同じヘスの賢者だもの。看取ってあげないと」
 黒のフィーナはソルの身体の上からクリスタルをひょいと取り上げた。
「ふぅん……これが魔導心臓っていうのね。現物は初めてみたわ」
「それは? クリスタルに見えるけど……」
「核はクリスタルよ。どういう原理で動いてるのかは私も知らないけど」
「どうしてソルの心臓はクリスタルなんだ?」
 クリスタルが心臓として動くものなのだろうか。レインは不思議に思った。そして、ソルがことある毎に、自分には感情がないと言っていたことを思い出した。心臓がないから、「心」がなかったのだろうか……。
「そんなに気になるなら本人に聞いてみたら? 魔導心臓の主成分はクリスタルだからヴィジョンを喚び出せるわよ」
 黒のフィーナはレインにソルの心臓をぽんと手渡した。レインは戸惑った。心臓を手にしたままその場に立ち尽くしている。
「どうしたの? ヴィジョンの喚び方、忘れちゃった?」
「いや、違うんだ。ちょっと怖くて……だって、これ、ソルのクリスタルだろ? また混沌の闇みたいな化け物のヴィジョンが出てきたらどうしようかと思って。皇帝に、ウェポンに、混沌の闇。いくら俺でもそんなにいっぺんに相手に出来ないしさ」
「大丈夫よ。そんなに恐ろしいものは出てこないわよ。ちゃんと呼んであげればね」
 黒のフィーナは笑った
「ヘリアーク」
「え?」レインの耳元で黒のフィーナがささやく。ふふ、と色っぽく微笑みながら。
「ヘリアーク。そう呼んであげれば大丈夫よ」
 レインは言われるままに名前を呼んだ。

 このうえなく美しいひとが現れた。クリスタルから白のフィーナが生まれた時のことをレインは思い出した。深い湖を凍らせたような青の長い髪。透き通った氷のような白い肌。どこから飛んできたのか、白い鳩を肩に止まらせて、自分は止まり木のようにじっと静かにたたずんでいる。
 女性かと思った。レインは最初にそう感じた。鳩の止まり木は静かに口を開いた。「君は誰だい?」女性がしゃべるよりずっと低いテノールの声。その話す声を聞いて、レインは気づいた。ソルと同じ声だ……「生命は全て醜い、私が滅する」そう言った声と全く同じだ。
 どういうことだ? ソルのクリスタルから、見たこともない穏やかそうな見た目の青年が現れた。
 レインはとっさに黒のフィーナに助け船を出そうとしたが、気まぐれな彼女の姿はもう見えなくなっていた。といっても、気配はレインの後ろに感じられた。レインと鳩の青年の対面を後ろで笑って楽しんでいるに違いない。まいったな……とレインはこぼした。
「ソル?」
 レインは尋ねた。どう見てもソルには見えないが、声はソルだった。だけど、あの骸骨の冠の下にこんな物腰穏やかな青年がいたとも思えない。
「ソル……? 僕はヘリアーク。クリスタルの研究者だ。研究所では主に魔導心臓の開発に携わっていた。君とは初めてだよね? よろしく」
 ヘリアークと名乗った青年は、レインに向かって気さくに右手を差し出してきた。鳩は彼の肩の上にきちんと収まったままだ。どうやらとてもなついているらしい。
 レインは差し出された右手を握った。とても暖かい。相手がヴィジョンだということを忘れてしまいそうだ。
「俺はレイン」
 ヒョウ、と名乗るつもりだった。だけど、ソルはレインと呼び続けていた。考えるより先に慣れ親しんだ名前が出てきてしまう。言い直そうか迷った。でも、この青年はレインと初対面なのだから、二つ名前をいっても混乱するだけだろうと思ってやめた。といっても、ソルとヘリアークのことで俺も混乱してるけど。

「ヘリアーク、どうして君は魔導心臓を持っていたんだ? クリスタルが心臓の代わりになるのか?」
「それは……」
 明るい青年の顔が、一瞬、困った顔になった。でもすぐに言葉を継いだ。「僕の心臓がバブイルに持って行かれてしまったから。僕の心臓はバブイルの決して開かない永久機関の中。だから代わりに魔導心臓を僕の身体に入れたのさ」
「バブイルの心臓! もしかして……!」
 レインはラピスで見たバブイルの心臓を思い出した。クリスタルに封印されてた影響で、溶けてしまった心臓。
 ヘリアークは驚いた。「まさか、君は僕の心臓のゆくえを知っている……?」
「ああ……だけど、もう手遅れだった。ごめん」
「君が謝らなくても。もともとは僕がなくしたのが悪いんだ」
 それに……とヘリアークは顔を伏せた。視線の先には、息絶えたソルの躯。「どうやら僕の身体は魔力を使い果たして死んだのだろう? 心臓があっても身体がないのでは、意味がないからね」
 ソルの胸の上にヘリアークは手をおいた。目を閉じて、静かにつぶやく。
「ほんとうは、返して欲しかったけど……仕方ないよね」
 ヘリアークはあはは、と笑った。
 レインは彼の気持ちが分からなかった。心臓をとられた、というのに、彼の口からは憎しみや、恨みや、怒りの言葉は一つも出てこない。ソルは人間のことをあんなに憎んでいたのに。
 君はどうして笑っていられるんだ? 君がさわっているその躯はもう二度と息を吹き返さない。つまり、君が還る身体はもう存在しないんだ。
「ヘリアーク、怖くないのか……? 今、ここで君の身体は力つきた。もし、このクリスタルが砕けてヴィジョンが消えたら、君はもうここに存在できない。永遠に消えてしまう……それってすごく怖いことじゃないか?」
 俺は怖かった。ゲートを閉じた時、これが終わったらもう死ぬのだと思った。めちゃくちゃ怖かった。クリスタルにヴィジョンを残したけど、自分が死んだ後のヴィジョンが、こんな風に穏やかに笑って自分の死を語るかどうかなんて考える余裕はなかった。
「僕は一度死んだことがあるから、慣れてるんだ。最初は怖かったけど、今はそんなに怖くないよ」

「えっ?」
 一度死んだことがある? どういうことだ?
 不思議に思って聞き返したレインにヘリアークは語った。
「魔導心臓の核になっているのはクリスタルだ。君も知っていると思うけど、クリスタルは人の想いを吸収する性質がある。僕のクリスタルは僕の想いを吸収し、とうとう僕の存在全てを吸収し尽くした。そうして僕は死んだんだ。僕は自分の心がだんだんとクリスタルに奪われていくのを感じていた。最初はやっぱり怖かったよ……だって、自分の心がどんどんなくなっていって、自分という存在が失われていくのが分かってしまったから……」
 ヘリアークは静かに語り続けた。
「でも、ヘリアークが死ぬ時、最期まで見届けてくれた人がいたから。最期はそんなに怖くなかったかな……あ、その時はもう心がクリスタルにほとんど奪われてたから、だから何も感じなかったのかも、あはは」
 レインはテノールの声をずっと聞き続けていた。柔和なトーン。死への恐怖はどこにも感じられない。
「それで、僕の肉体もやっと死んだんだよね? 不老不死だったから長く生きてたと思うけど……僕が死んでから何年くらいこの肉体は生きていたんだろう」
「えーと、700年くらい?」
 レインの答えにヘリアークは驚いた様子だった。
「すごいなあ、僕。よく700年も魔力が尽きなかったよ。魔導心臓のクリスタルが僕以外の想いも吸収していたんだろう。ねえ、レイン、僕の肉体はどうやって死んだんだ? 君は僕の最期を看取ってくれたようだけど……僕は、700年もの間、どうやって生きていた?」
 レインは言葉に詰まった。ソルの生きてきた700年の人生をレインは知らない。知っているのは、ラピスでゲートを巡って死闘を繰り広げ、パラデイアで一緒に旅をしたほんの少しの時間のことだけ。それに、ラピスにいたソルは憎悪の固まりだった。憎しみ、怒り、悲しみ、絶望、苦しみ、復讐……人間の負の感情の塊を喚び出し、ラピスを破壊しようとしていた。そんなこと、この青年に伝えて良いのだろうか。自分が、死んだ後、自分の身体が世界に混沌をもたらそうとしていた、と。この優しそうな彼はきっとひどく心を痛めるはずだ。レインは首をふった。もう終わったことだ。彼に言うのはやめよう。
「君は……ずっと感情が分からないと言っていた。自分には心がないから、感情を知りたい、と言っていた。だから……ええと……人間の想いをたくさん吸収しようとしていた」
「ああ、きっと魔導心臓が暴走していたんだろう。このクリスタルで出来た魔導心臓は、人の想いを吸収してエネルギーに変換する仕組みだ。僕の身体に宿る膨大な魔力を支えるには、さぞかしたくさんの人の想いが必要だったんだろう。僕の心臓は周りに迷惑をかけていただろう。僕と一緒に居た人たちは皆、感情を奪われ、冷酷無比になって暴れていたことだろう……申し訳ないことをしてしまった……」
 ヘリアークは顔を沈ませた。
「いや、そうじゃなかった。ソル……いや、君のクリスタルが吸収していたのは人々の怒り、憎しみ、嫉妬……あらゆる負の感情だった。その想いは星を破壊しそうなほど膨れ上がっていた。君はあらゆる人間の汚れた感情を見て、人間は醜いと言った。だから滅ぼす、と……」
 あ、言ってしまった……レインは焦った。こんな事実を告げたら、彼はきっとひどく落ち込んでしまう。そう思ったが、ヘリアークは意外な一言をつぶやいた。
「ああ、僕でよかった……」
 レインは意味が分からず、ちょっと考え込んだ。何を言っているんだ?
「僕が……悲しみや憎しみを背負う人でよかった……それが僕の願いだったんだ。人々の苦しみを救いたい、ずっとそう思っていた。僕は白魔法も使えないし、僕の研究は戦争の道具にされてしまったけれど、それでも僕はずっと人々の苦しみを救うために生きたいと思っていた……僕の開発した魔導心臓が、そうやって人々の苦しい気持ちを吸収してくれていたなら、僕の研究は少しは役に立ったということだ……よかった」
 青年は続けた。「人間の命は短い。短い人生を悲しみや憎しみにとらわれたまま終えるのは可哀想だ。僕は不老不死だから……苦しみの感情はいくらでも吸収できる」
「ヘリアーク……だめだよ、君はあの感情の塊に潰されてしまう。ソルが喚び出した混沌の闇は、ラピスを破壊しようとしていた。君一人が背負いきれる量の感情ではなかった」
「そうだったのか……」
 しばしの沈黙。
「……やっぱり魔導心臓は欠陥品かぁ。君の話を聞いて苦痛を吸い上げるクリスタル機関に改良できないかなって思ったけど、やはり難しそうだ。クリスタルに蓄積された想いのエネルギーを循環させる構造にしないと、膨大な量のエネルギーが君の言うように破壊兵器に盗用される危険性がある」
 ヘリアークは研究者然としてぶつぶつと一人でつぶやいていた。彼はクリスタルの研究者だったというが、その手腕もきっと確かなものだったのだろう。
「レイン、僕の肉体の死を看取った君にお願いがある。この魔導心臓を一緒に破壊してくれないだろうか」

「どういうことだ?」
「簡単だよ。魔導心臓はクリスタルで出来ているから、叩き潰せば砕け散る。僕は魔道士だから、クリスタルをたたき壊すほどの腕力はないんだ。頼む」
「いや、だって……!」
 レインは慌てた。「そ、そんなことをしたら、君のヴィジョンも消えてしまう。依り代のクリスタルが砕けてしまったら、君は二度とヴィジョンとして蘇ることができなくなってしまう!」
「そんなことは構わない。僕の生きていた時代から700年も経っているらしいから、もう僕のことを思い出して懐かしむ人もいないだろう。それに、君の話だと、僕の心臓には膨大な量の負の感情が蓄積されているらしいじゃないか。もし、誰かがそれを喚びだして暴走させたらどうなる? そんな危険なものを残しておくことは出来ない。……君に出来ないというなら、僕がやる」
 ヘリアークは杖を取り出し、高らかに振り上げた。あたりに凍てつく冷気が渦巻く。レインはヘリアークの意図を察して、彼の振り上げた杖を奪おうと飛びかかった。だが、ヘリアークはするりと身をかわし、魔法を詠唱した。詠唱といっても、言葉がひとつふたつ、あったかないかのうちに天から鋭い氷塊が降り注いだ。冷たい塊はヘリアークの幻の身体を突き抜け、狙いを外すことなくソルの心臓を貫いた。心臓に一撃。かたいものが粉々に砕ける乾いた音。
「待ってくれ……ッ! 混沌の闇なんて怖くない! 俺が何度でも倒してやる! だから、まだ――」
「君は強いね、ありがとう……でも……」
 きらきらとした光の粒子が舞い上がった。それが氷の欠片なのか、クリスタルの欠片なのか、もう判別できないきらめく何か。

 何もなくなってしまった。
 ソルのこと、何も知らなかった。感情がない、と言っていた。だけど、自分の心臓の中にちゃんと持ってたじゃないか。なのに、自分で砕きやがって。滅したいって、言葉通りにしやがって。なんだよ、なんで何も話さずにいっちゃうんだよ。

「ね、彼、いい人でしょう。私が言った通り混沌の闇なんて出てこなかったでしょう?」
 今更になって黒のフィーナがレインの後ろでささやいた。
「フィーナ……どうして、止めてくれなかったんだ」
「だって、私も、魔導心臓は壊した方が良いって思ってたから。危険でしょ。あんなものが残ってたら」
「だけど……もうちょっと、彼の話を聞いていたかった。俺、今更だけど、ソルのことをもっと知りたいって思った。ソルも知らない昔のソルのことを聞きたかった。フィーナ、土のクリスタルの力を使って、ヘリアークのことをもう一度、喚び出せないか?」
「んー、難しいかも。私が知ってるのはヘリアークじゃなくてソルの方だし。私が喚んだらソルが出てきちゃうかも」
「やっぱり、難しいか……」
 レインは肩を落とした。黒のフィーナがレインの身体をふわりと包み込んだ。精神体の彼女の温かい感情がレインを励ました。
「そんなにがっかりしないで。私の知ってることを話してあげるから」
 そう言って黒のフィーナは語り出した。彼女の話によると、少しの間だけ軍の施設でヘリアークは兵士と働いていたらしい。
「彼、とても優しい人だったのよ。いつも朗らかで。にこにこと笑ってて。私が軍の施設に居た時に、ちょっとだけ一緒に戦ったことがあったわ。でも、彼、すごい魔力を持っているのにあの性格だから全然使いこなせなくて。軍人に向いてなかったわ。だからすぐに研究所に戻されて。その後は研究所でクリスタルの研究をしてたらしいけど、私は詳しくは知らない。ユライシャの下で再会した時はもうソルって名乗ってた」
 レインは黒のフィーナの話を静かに聞いていた。
「魔導心臓の件もね、ユライシャから聞いた噂によると、彼は同僚に裏切られてまだ未完成だった魔導心臓を埋め込まれたらしいわ。妬まれ、裏切られ、陥れられたっていうのに、ヘリアーク本人ったら全然怒らないのよ。あなたはもっと他人を疑って生きなさいってユライシャが叱ってたって」
「へえ……あのソルに、そんな過去があったとは……」
 レインは岩床に散らばるきらめく破片をいくつか拾った。粉々に砕けたクリスタル。ソルの心臓。ヘリアークの心。
「私はヘリアークのことは全然知らなかったけど、研究所にいた時の彼を知ってる人は、彼のことを太陽みたいな人だって言ってた」
「だからソルって名乗ってたのか……」
「自分でつけたんじゃなくて、誰かにもらった名前って言ってた」
 700年前にソルとなる前のヘリアークがどんな人生を送っていたのか、レインにはさっぱり分からない。
「きっと……その人はソルに、ヘリアークとして生きて欲しかったんだろうな。だからヘリアークの心が死んでも、太陽の輝きが失われないようにって……」
 クリスタルに感情を奪われたヘリアークが、ソルに託した唯一のもの。

「またどこかで会えないかな。ソルじゃなくて……ヘリアークのことを知ってる人がいれば、その人がヘリアークのクリスタルを持ってたりしないかな」
「無理じゃない? だって、ヘスの八賢者たち、もうほとんど死んじゃったし。ユライシャだってもういないし」
「700年か……だけど、この星から争いはまだ消えない。ソル……いや、ヘリアークは人の苦しみを救いたいと言っていた。彼の願いはまだ叶いそうにない」
「――だから、あなたが叶えるんでしょ?」
 レインは自分の使命を思い出した。何故、自分がオーダーズに入ったのか。情を捨て去り、ヒョウとなったのかを。アルドールとヘスの争いを終わらせるんだ。道は険しい。けれど、前に進まなければ。
 その時、白い鳩が宙でひとまわり円を描いてからレインの肩に止まった。
「ヘリアークのビジョンの鳩ね。彼、いつも鳥と一緒にいたから、一緒にクリスタルに宿ってたのね。よかったわね、あなたのクリスタルは砕けなかったのね。それだけ強い想いが残っていたのね」
「強い想い?」
「ヘリアークが言っていたでしょ。人々の苦しみを救いたいって。この世界の人は、戦争に疲弊しきってる。アルドールとヘスの対立は人々に苦しみをもたらす。だから……」
 黒のフィーナはレインの髪をつついている鳩をうながした。
「あなたの主人はもうここにはいないわ。飛んでいきなさい。彼の想いが尽きる日まで飛び続けるのよ――争いのない世界が実現するまで」

 

 

 

2018.11.18

侯爵様は吸血鬼になりたい

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侯爵様は吸血鬼になりたい

        

        
「メスドラーマ様、お召し替えのお時間ですよ。さあ、早くお起きになって」
  心地よい午睡のまどろみを遮る、叱責じみた女性の声。メスドラーマ・エルムドアはベッドの上で寝返りを打った。
「セリア、カーテンを閉めてくれ。日光は身体に悪い」
「それは昼過ぎまでうたたねなさってる主様がだらしないだけですから」
 エルムドアに長年仕えてきた侍女のレディは主の扱い方を心得ている。カーテンを引いて部屋に明かりを入れると、シーツにしがみつく二日酔いの主をたたき起こした。
「まあ、お髪もみっともないことになっているではありませんか」
「もう少し寝かせてくれ」
「だめです。セリアお姉さまが教皇様のお使いを連れてくる前に、早く支度をオワラセナイト」
 外の日光から隠れて夢の世界へ戻ろうとする主にレディは不満だった。ベッドの上で縦横無尽に乱れた主の髪の毛を綺麗に整えようと格闘している。
「教皇の使い? ああ、ヴォルマルフの娘のことか。教皇に気に入られて聖石をもらったとか。あの娘なら城の庭で遊んでいた頃から知っている。今更かしこまる必要も……」
「メスドラーマ様! あなたはもうこのお城の領主様なのですから、そんなふざけた態度ではいけません。それにメリアドール様は教皇猊下の代理でいらっしゃるのですよ。お嬢様扱いしてはいけません。そもそもメリアドール様は次代の神殿騎士の長となる方で……」
 またレディの長いお説教がはじまった。
 エルムドアはベッドの上に身体を起こし、上の空で窓の外の景色を見ていた。領主様、か。もう気ままに暮らしてはいられないのか。いい加減起きるか。そう意気込んだものの、
「あ……」ワインに手が当たってしまった。
「メ・ス・ド・ラ・ー・マ・様」
 レディが用意してくれた白シャツに赤ワインの染みが広がる。当のレディはポーカーフェイスでそつなくエルムドアの身支度を整えていたが、声のトーンがおそろしいことになっている。侍女の逆鱗に触れてしまったようだ。こういうときは笑ってごまかすのが一番だ。
「大丈夫だ、問題ない。そうだ、あの黒のビロードのマントを羽織ろう。あのマントは丈が長いから服の汚れも見えないだろう」
「主様? 正気ですか? あれは舞踏会用の衣装で……そんな吸血鬼みたいな恰好で外の人に会うのはおやめください」
「なに、ヴォルマルフの娘っ子だ。あれはなかなか豪胆な騎士だと聞く。マナーにうるさい貴族や役人の類ではない」
 エルムドアはひらりとベッドから飛び降り、小言を述べ立てるレディかわすと特注の黒のマントを身にまとった。
「うむ、これで良い。これは舞踏会で吸血鬼の仮装をしようと思って作らせた一品物だ。私によく似合っているだろう」
「ああ……ランベリーの領主様が吸血鬼の格好など……メリアドール様が誤解なさったらどうするんですか。領主様が吸血鬼に襲われたと思われたら、きっと撃ち殺されますよ。あの方はとてもお強い方ですら……」
 エルムドアは鏡の前でくるりと回った。漆黒のマントに輝く銀髪。我ながら良い見栄えだ。レディは気に入らないようだが。
「レディ、そんなにごちゃごちゃ言うな。私も武人だ。刀は肌身離さず持ち歩いている」
「先の戦争の時、お城を取られて北天騎士団の将軍様に泣いて助けを求めたのはどなただったかしら? ガリオンヌへ遊びに行くと言って誘拐されて身代金を払ったのは誰かしら?」
「……」
 エルムドアは言葉に詰まった。しまった、自分だ。
「メスドラーマ様、わたくしは心配しているのです。主様はとても目を惹く容貌で、戦場を歩けば流れ矢が飛んでくるような方なんですよ。だから、せめてもう少しお静かに……」
「私に一生、城に引き籠ってくらせというのか? それは無理な話だ」
「いえ、そこまでは……」
「だから君が私のことを守ってくれるのだろう? 私の最高のアサシンよ」
 エルムドアはレディを見つめた。まっすぐ、信頼のまなざしで。「私の命は君に託した。信頼しているよ」
「メスドラーマ様……はい、もちろん、私の命を掛けてお護りいたします」 
 レディはエルムドアの前で膝をついた。だれよりも尊い、護るべき主の命。何に代えても守り抜く覚悟だ。
「……とは言っても、教会の方を暗殺はできませんから。メリアドール様の前ではお行儀よくしていてくださいね」
 吸血鬼の格好をして、意気揚々と部屋を出て行った主をレディは心配そうに見送った。不安の種が尽きない主人だ。
「まあ、あとはセリア姉さまが何とかしてくれるわね」

        

        

2018.10.31

凍れる心

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・サガフロ双子救済。
・とにかく二人に幸せになってもらいたかったのですが、原作設定(と他キャラ)がどこかへいきました……オリジナル展開満載です。


 
 
凍れる心
 
 
 
 
 ひとつの生命に息吹が吹き込まれた。
 だが、あまりにも過酷な運命を背負うことになっていた。
 女神は哀れんだ。このままでは、この子の心は壊れてしまう……ならば心を二つに分けるのだ。

-1-

 欠けることなき満月。荒野を照らす月は完全に満ちている。まったく、卒業試験にふさわしい日だった。

 二人の術士が向き合っている。彼らは互いに戦い――命の奪い合いをしている。試験は至極簡単だ。命を削り合い、殺し合う。生き残れば勝者。敗者に命はない。
 試験を見届けるのは、キングダムで最高の地位をもつ学院長だ。彼は試験に立会い、ただ、試験のゆくえを見守った。彼は今まで数多くの卒業試験を見届けてきた。「勝者」の判定を誤ってはいけない。それはキングダムの存亡にかかわる重大事項だからだ。

 戦う二人の青年は、同じ顔、同じ声、同じ身体を持っていた。双子だ。彼らの片方は陰の術を使い、片方は陽の術を使った、彼らは全く相反する術の資質を持っていた。

 術が激しくぶつかり合う。学院長は心配した。このままでは二人とも生命力を使い果たし、共に倒れるのではないかと――それだけは避けねば。せっかく集めた資質が失われてしまう。そろそろ「勝者」の判定を出さねばならない。学院長はころあいを見計らった。
 金の髪を持った青年が先に倒れ、膝をついた。今だ、この瞬間だ。
「ルージュ……奪いなさい。今すぐに彼の資質を奪いなさい。そうすればおまえの勝ちだ。おまえが完全な術士となる」
「奪う……ブルーから……」
「何を迷っているのだ」
 銀髪の青年は、おもむろに腰にさしていた短剣を取り出した。満月の光に短剣をかざす。
「僕には……で……きない」
 そうして自らの胸に剣を突き立てた。

 学院長は見守った。「命術を使ったか……すると、勝者はブルーか」

-2-

 あたたかい炎に包まれてブルーは目を覚ました。頭上には輝く満月。そうだ、試験の途中だ。自分が負けたのか? いや、私はまだ生きている。目の前で倒れているのは……自分と同じ格好をしたもう一人の術士――ルージュだ。
 だが、奇妙だった。先に倒れたのは確かに自分だった。けれど、今、目の前で事切れているのはルージュだ。しかも、胸から血を流している。
「おまえの勝ちだ、ブルー」
「学院長……確かに、私はルージュと殺しあった。けれど、私は短剣を使った記憶はない。なぜ、ルージュが血を流して死んでいる」
「彼は命術を使ったのだ。自らの生命を削り、お前を蘇生させた。そこで力尽きた」
「では、先に倒れた私が負けたのではありませんか?」
「いいや、卒業試験の判定は、『殺すこと』だ。生き残ったお前が勝者だ。さあ、お前が奪うのだ……彼の集めた資質を……」

 
 資質を持てるのは一人。より力のあるものがそれを行使する。
 ブルーはためらわなかった。今までもそうやって奪ってきた。キングダムはブルーに命じた。最強の術士になれ、と。だからブルーは言われるがまま、資質を集め――時には奪い取り、高みを目指してきた。
 キングダムの双子は心が分かれている。不完全なのだ。だが、今、こうしてルージュの心を取り戻せば……完全になれる。
 ブルーは事切れたルージュの身体を引き寄せた。胸に手をあてる。流れ出た彼の血はまだ固まっていなかった。それは、とてもあたたかかった……。

 ブルーの心に何かが流れ込んできた。緋色のあたたかい何か――ルージュの魂だ!
 緋色の魂が叫んでいる――僕にはできない……僕には殺せない……僕には奪えない……

 何故だ? 
 自分はためらいなく奪い取ったというのに……私は間違っていたのか? 資質を奪い取ることは正しいことだったのだろうか……?
 ブルーの心に迷いが生じた。いや、これは自分の心じゃない。ルージュの魂の叫びだ。自分の心であるはずがない。私は今まで、何も感じることなく、奪い、殺し、力を得てきたのだから――

-3-

 生まれて初めて、ブルーは泣いた。あたたかい粒が頬を落ちてくる感覚に驚いた。これは何だ。この感情は何だ。ルージュの心だ。ルージュの心が泣いているんだ。
 目の前に横たわる、物言わぬ亡骸。彼が涙を流している。ブルーは言葉を失った。こんな感情は初めてだ――自分が奪ってしまった――

「おめでとう」学院長は言った。
「おめでとう、これでおまえは一人前の『完全』な術士だ。心を取り戻したのだから」
「完全……でもルージュがいなくなってしまった……私はルージュの心を奪ってしまった……」
「嘆くことはない。ルージュの魂はおまえとともにある。そこにいるのを感じるだろう? キングダムの双子は、生まれた時に魂が別れ、こうして再びめぐり合う。なにも苦しむことではない」
「はい……」

 緋色の魂はそこにいる。感じる。でも悲しんでる。私の身体を使って、彼は泣いている。
 私が殺したからだ。
 私たちは一緒にはなれない……混ざり合えない。私はためらいもなくルージュの魂を奪った。彼は私に魂を分け与えてくれたというのに! なのに私は容赦なく奪った! そのやさしい心に私は入っていけない……

「ブルーよ、おまえは晴れて完全な術士になった。術士には学園に奉仕する義務がある。キングダムに戻りなさい」

-4-

 そうだよ、だから一人で泣かないで。君が苦しむ必要はないんだ。

 君は迷うことなくキングダムへ向かうシップに乗り、そして、一人で膝を抱えてうずくまっている。君はいつだってキングダムの求める優秀な術士だった。キングダムへの忠誠こそが使命だと君は思っている……。
 王国が要求する尋常ではない忠誠心で君はがんじがらめになっている。それだけでも苦しいだろうに、僕の人生を背負わせてしまった。ごめんね、ブルー。僕は君を困らせるつもりはなかったんだけど……。
 僕だってキングダムの学院で育てられた術士だ。だから分かる。僕たちに自由なんてなかった。生まれた時から「不完全」だと言われ続け、人間とさえ扱われなかった。そして、やっと、「完全」になれたというのに、ブルー、なんだか君はとても悲しそうだ。

 おめでとう。君は「完全」な術士になれたんだ。おめでとう。これでやっと「人間」になれるんだ。

 キングダムの双子は生まれた時に心が二つに分かれるという。だとしたら、僕がブルーの分まで持っていってしまったのかもしれない。僕は君に返したい。僕が奪ってしまった君の心を。
 同じ魂、同じ身体――僕たちはひとつになるんだ。なのに、君の心は僕を頑なにに拒絶している。どうしたら、その凍てつく心を溶かせるのだろうか……。
 こんなに近くにいるのに、僕にはブルーの心が全く分からない。君の心は、冷たく、ふるえている。僕の身体があれば、そばに寄り添って、そっと抱きしめて、あたためてあげることができるのに。

  ひとつの身体に、まつわらぬ、ふたつの魂
  決して混ざり合うことはなく
  決して語り合うこともなく
  つかず、離れず、しずかに留まる

-5-

「何が起きたのだ?」
 帰郷したブルーを待ち受けていたのは焦土と化した王国の姿だった。見たこともない異形の魔物が市街を跋扈している。これはただ事ではない。
 人々は学院の中に逃げ込んでいた。キングダムを護り、支配するのはこの学院であると誰もが知っている。
「学院長、事情をお聞かせ願いたい」
 学院を統べる学院長はこの厄災の事情を知っている風情であった。学院の最上階の学院長室の窓から、崩壊していく街の様子をじっと見つめていた。
「ブルー、おまえなら、きっと帰ってきてくれると信じていた」
「当然だ。私は今まで一度もキングダムへの忠誠を忘れたことはない」
 ルージュが集めた資質を奪い取り、自分は最強の術士になった。では、何のために最強を目指したのか? それはキングダムが求めたからだ。集めた術はキングダムのために使う。
「いいだろう。そなたには話すべきことがある。地下の封印が破られ、そこから魔物があふれ出てきている」
「地下?」
 ブルーは二十年近くこの学院で暮らしてきたが、学院に地下があったことなど知らない。
「女神像の下だ……」学院長は呟いた。
「私は祈ったことなどない。女神像がそこにあったことも知らなかった」
 ブルーの言葉は真実だった。「私は祈りの効力など信じない。私は自分の道は自分で拓き、求めるものは自らの手で得てきた――今までも、これからも」
学院長は笑った。「重畳重畳。それでもお前は女神の力など借りずとも『最強』になった。地下へ行ったら女神に言ってやるといい。われら人間は神を超えた、と」
 ブルーは何も感じなかった。だが、女神像のもとに行きたいと身体が感じた――ルージュがそこに行きたがっている。

 おまえは祈りたいのか?
 この期に及んで?
 何を祈るというのだ?

 ブルーが学院長室を出ようとした時――
「学院長! 大変なことになりました! 地下の研究所の扉が破られ、中に魔物が入り込んでいます」

-6-

「ああ、ブルー! 帰ってきてくれたのですね……!」
 学院長室に飛び込んできた白衣を着た研究員は、ブルーの姿を見つけると助けを求めてすがりついた。ブルーは研究員を引き剥がした。人肌に触れるのは好きではない。
「ルージュは一緒ではないのね……ということは、よかった、無事に『融合』できたのね」
 融合。あまりにも無機質な言葉にブルーは苛立った。そうだ、私たちは「融合」した……はずだった。だが、もう一人の自分の魂は溶けてどこかへ消えてしまったかのようだ。あたたかく、やさしい緋色の魂は薄くひきのばされ、ルージュの形をとどめずに漂っている。

 女神像のもとへ行こう。彼の魂を女神のもとへ返すのだ。そして祈るのだ――そうしなければ、ルージュはこのままどこかへ溶けて消えてしまう。私ではだめだ。この心はあまりにも冷たく、緋色の魂を宿すことはできない。
 ブルーは頭を抱えた。自分は祈ったことはない。祈りの言葉も知らない。そもそも女神に会いたいとさえ思わない。だがルージュのために祈らなければ。ルージュのためなら……いや、ルージュがそう望んでいるから……緋色の魂が自分を祈らせようとしている。
 おまえは誰は? これは誰の意思だ?

「無理だ。私たちは『融合』などできない。私はあまりにもルージュの魂とかけ離れている」
「それでいいのよ。だって、双子は対極のエネルギーを持つように作られているから――多くの人はその反発し合うエネルギー反応に耐えられず『融合』に失敗する。学院の卒業試験に受かっても、そこで命を落とす人も多いのよ。だけど、あなたは命を失うことなく無事にキングダムに帰ってきた。それが何よりの成功のしるし。おめでとう。あなたは最高の術士だわ」
 おめでとう、おめでとう――白衣の研究員はぺらぺらとしゃべり続ける。これは誰に向けた祝福なのだ。
 ブルーの脳裏に研究員の言葉がリフレインした。
「……双子は対極のエネルギーを持つように作られている……?」
 自分も? 私たちの蒼緋の魂が混ざり合わない理由は?
「反発し合う極性は、互いにぶつかり合った時に熱量を生む――それが術の源よ。つまり、より高度な術を操るためには、術士は極性を併せ持つ必要があるの。だけど、まったく違う性質の極性では駄目。融合に失敗するから。だから私たちは気づいたの――一つの魂を、決して混ざり合わない極性を持つように二つに半裁するのが一番適切だと。そうすれば、もともと一つの魂なのだから、融合に失敗することもない」

 ああ、そうか、つまり――私たちは――

「ブルー! お願い、地下に来て! 魔物があふれてきて誰にも止められないの。このままだと研究所が破壊されてしまう。キングダムの技術が跡形もなく失われてしまうのよ!」
 ブルーが考える間もなく、研究員が叫ぶ。懇願というより悲鳴だった。
「ああ、行く。だが、少し時間をくれ。女神像のもとへ行きたい」
「ブルー? あなたが? 珍しいわね」
「いや、私ではなく……ルージュが、いや、私かもしれない……もうよく分からない……」
「そう、あなたたちは双子。永遠に理解し合えないわ。私たちがそういう風に遺伝子を組み立てたのだから……。ブルー、あなたは自分の使命を覚えている?」
「キングダムで最強の術士になること……」
「そう、あなたはキングダムで最強の術士になる――私たちはこの日のために備えて、あなたのような最強の術士を作り出したの。地獄を再び封印するために――」

 使命。それが揺らぐことはない。キングダムに忠誠を果たすのだ。

-7-

 どうやら、僕たちは永遠に理解し合えないないらしい。せっかく一緒になれたのに、寂しいね。
 君はひとり心を閉ざしたまま。
 そして、僕はこうして気持ちを持て余している。

 でも、どうやらこれは、女神が定める運命ではないようだ。キングダムが作り出した運命だ。
 僕の魂は、もう君に委ねてしまった。だから、この運命に立ち向かうのは君だ。でも、ひとりじゃない……僕も一緒にいる……わかり合えなくても、理解し合えなくても、僕はずっと君のそばにいる。

 ブルー、君はどこまでも真面目な人間だから、キングダムの運命を背負おうとする。君の心が震えているのは、キングダムの術士の使命を知っているからだ。「最強」の称号を得てしまった君は、逃げ出すこともできない。だけど、君が一人で抱え込むにはあまりにも重過ぎる。僕は支えてあげることはできない……だから、僕は女神に祈っておくと。
 人間は僕たちに過酷な運命を強いた。でも、女神様は……きっと……もっと慈愛に満ちた方だと……

-8-
 

 学院の地下に秘された研究施設。そこでは幾対もの胎児が育成されていた。羊水で満たされたカプセルの中に並べられた一対の胎児。
「双子か……」
 ブルーは呟いた。大方のことは理解した。ここで自分たちは作り上げられた双子だったと。
「この研究所では優秀な遺伝子のみを保管し、日々改良を重ねています。キングダムの科学力はリージョン随一です」
「だろうな。これだけ簡単に生命操作ができるのならばな……」

 ブルーは己の胸に手を当てた。自分は最強になるべくして生み出された術士だったのだ。
 だが、キングダムななぜ、ここまでして――生命操作という禁忌を犯してまで、最強を目指すのだ?
 地獄の封印が解かれた――何が封印されているのか?

「この子らの『親』はどこにいるのだ。優秀な遺伝子を選別するといったが、どうやって判断しているのだ?」 
 ブルーには親の記憶がなかった。だが、遺伝子上はどこかに存在しているはずだ。この研究所の様子を見る限り、自分は優秀な術士の遺伝子を組み込まれているらしい。
「それはこちらに……」
 研究員が別の部屋へと手招きする。
 そこは先ほどの部屋と大して変わらなかった。羊水の満たされたいくつものカプセル。だが、中に詰められている生体は、胎児よりはずっと年かさで、二十なかばの青年たちだった。それに、彼らは対にはなっていなかった。
「ここに保管されているのは卒業試験で敗れ、魂を吸収されて残った方の肉体よ。試験に負けた固体とはいえ、その片割れは融合を果たして完全な術士になったのだから、遺伝子としては改良の価値があるの」
 ブルーの目が部屋の隅のまだ真新しいカプセルに留まった。あ……自分がいる……いや、自分よりわずかに薄い銀に輝く髪の色。ルージュだ。ルージュが目の前にいる……!
「こ、ここから出してくれ……! ルージュ……ッ」
 ずっと合いたかった自分の片割れ。彼は今、胎内に戻らせるように膝をたたまれ、解析用のコードとチューブを身体に巻きつけて狭いカプセルの中に押し込まれている。
「ああ、彼ね……ここで一番新しい研究素体。なかなか面白い解析結果がでているわよ」
 研究員はカプセル横のモニターを見ながらいう。ブルーはガラス越しにルージュの身体に触れようともがいた。ここえはルージュは単なる研究材料としか見られていない。自分が「不完全」を脱して一人前の人間になった……その代償に、自分の片割れがモノに成り果ててしまった。
「ほら、この子、命術の資質を持っていたのよ。珍しい資質よ。自分の命を削って相手に生命力を与える術なんて、生存競争では不利でしかない。でも、それを相殺させる資質をぶつけ合えば……改良の価値はあるわ。あなたよりずっと優れた術の使い手が生まれるかも」
 研究員がルージュの入れられたカプセルに手を伸ばす。ブルーは割って入って阻止した。「ルージュに触るな! あいつが命術の資質を持っていたのは……キングダムが求める最強を目指すためじゃない。あいつは誰にも優しくて、奪うことができなかった――私が奪いつくしている一方で、あいつは人に自分の魂を削って分け与えていた。それは術の資質なんかじゃない、彼のほんとうの性質なんだ……」
「ブルー……あなたたちは本当に正反対ね。本物の双子だわ」

 ルージュは自分に魂を奪われ、残された身体も研究のために骨の髄まで切り刻まれる。
 あんまりではないか。これが双子に課された運命なのか。自分は人間になった。そうしたらルージュが人間ではなくなった。私たちは――一緒にはいられないのか。それが運命だというのか。

 破壊してやる。地獄を封印する前に、この学院ごと吹き飛ばしてやる。
 どこまでも生命を弄ぶ傲慢な人間どもめ。

 
「待ちなさい、ブルー。お前が破壊すべき場所はここではない」
「学院長……」

-9-

 怒りを爆発させようとしているブルーを止めたのは学院長だった。彼もブルーと研究員の後を追って地下へ来ていたのだった。
「学院長! これではあまりにもルージュの人生が報われません……あまりにも、かわいそうで……」
 ブルーの頬に涙が流れる。ほら、ルージュも泣いてるじゃないか……。
「我々はいかなる犠牲を払ってでも、最強の術士を生み出さねばならない」

 最強。最強。最強。
 キングダムは執念のようにその言葉を繰り返す。
 一体、何が彼らを果て無き高みへと突き動かしているのだろうか。
 最強を目指した果てに、何があるのだろうか。

「地獄の蓋の封印が破られたのだ。地獄の君主が地上に這い出てくるのも時間の問題だ。そうなる前に、奴を封印しなければならない」
 学院長は淡々と語った。
「それが最強の術士……つまり、私の使命なのですね」
「そうだ」
 ブルーに拒否権などなかった。私は、最強の術士となるべく生み出されたのだ。このために作られた生命なのだ。
「私は使命を全うする。逃げるつもりはない。だが、キングダムへの忠誠心は失せた。地獄を封印したら、私はもう二度とキングダムには戻らない。それはルージュも同じだ。ルージュを今すぐ解放してくれ――しないのなら、私がこのガラスを叩き割る」
 白衣の研究員があわてた。「そんなことをしても、彼の身体には生命力をつかさどる魂はもうないのですよ。その装置から無理に出しても、魂なき肉体はただ朽ちていくだけ……」
「魂ならここにある」
 緋色の魂。ブルーには分かる。ルージュはまだここにいる。見失う前に、彼の身体に戻すのだ――ブルーは己の短剣を掲げた。命術の使い方は、ほかでもないルージュから教わった――奪い取ったのだから、よく知っている。
「ブルー……自分の片割れを救いたいという気持ちは分かる。だが、無理な話だ。ルージュの身体はここで、未来の子たちの研究のために役立ってもらう必要があるのだ」
「学院長、私では地獄の君主を封印できないというのですか?」
「いいや、そういうことではない。地獄の力はあまりにも強い。幾たび封印しても、封印を破って蘇るのだ。地獄の力は蘇るたびに強くなる。だから、我々はより強くなる必要があるのだ。だけど、安心しなさい、ブルー。ルージュの身体はここで研究のために使う。けれど彼の魂は今もおまえとともにある。君たちは一緒だ。だから心配することなく――」
「そんなこと、させるものか――地獄へ行くのは私一人だ! ルージュを道連れにするつもりはない! 私は地獄を封印などしない。二度と蘇らぬよう破壊する――だから今すぐ、ルージュを解放しろ……!」

 ブルーは短剣を自らの胸に突き立てた。血が流れる。息が苦しい。胸が締め付けられる。
 奪うことしか知らなかった。誰かに与えることが、こんなに苦しいとは知らなかった。
 誰かのために――ほかでもない、君のために――私はこの命を削ることを惜しまない。

 ブルーはエネルギーを両手に集積させ、鎖を生成した。慣れた手つきて、鎖を操り。ルージュの入れられたカプセルに巻きつける。そしてエネルギーを爆発させた。ガラスは粉々に砕け散った。ブルーは割れたガラスのそばに駆け寄り、瞬時にルージュを抱きとめた。魂なきそれは、冷たく、ずっしりと重い何かの塊――自分が奪ってしまったから。ルージュの濡れた銀髪を顔から払いのけ、肉体の腐食防止と遺伝子解析のために身体に挿入されていた管をいくつか引き抜いた。そして、代わりに、彼の口元に自分の血のついた短剣を押し当てる。
「ルージュ……すまない……すまない……今返す……」
 指先一つ動かぬルージュの身体を抱えたまま、ブルーはうわごとのように繰り返した。

-10-

 はじめは些細なことだったのだ。
 幸福を求め、豊かさを求める。それが人間の望みだったのだ。
 だが、どこかで歯車が狂ってしまった。人間は求めすぎた。飽くなき野心で技術を極め、ついには神の御園を模倣しはじめた――苦しみなき、幸福と豊穣の楽園が作りたかっただけだったのだ……だが、人間の野心が求めた楽園は、業の塊にしかならなかった。求めすぎたのだ。
 

「人間とは、これほどまでに業が深いのか……」
 ブルーが一歩踏みしめるごとに、模倣の楽園の魔法が剥がれていく。貪欲な人間が作り出した楽園――になるはずだった成れの果ての地。人々はそこを地獄と呼んだ。たしかにここは地獄に相違ない。むき出しの欲望、野心、傲慢さがいたるところに噴出している。
 すでにブルーは満身創痍だった。一方通行だと分かっていた。だからルージュにすべてを託してきたのだ。

「人間よ、たった一人で地獄の底までやってきたのか」
 地獄の底で一人でたたずむ「主」は言った。
「ああ、一人だ……」
 ここには負の感情があふれている。ここは封印の地。技術を求めるには犠牲が必要だ。「私は見捨てられた」「私はこんなことのために殺された」「もっと高みを目指せたのに」「あいつではなくて私が勝つべきだった」形なき人々の怨嗟が渦巻いている。キングダムは、切り捨ててきた。そうしなければ前に進めなかったからだ……すべてを切り捨て、地下に封印した。奥深くに、どんなに叫んでも声が届かぬように、地下深くに……かわりに、かりそめの「天国」を見せた。

 まやかしの幻想。私が全て破壊する。

「人の子よ……おまえ一人にこの地の業は背負えまい。その傷だらけの身体で私をどうやって封印するつもりだ?」
「私は人間ではない……不完全な存在だ。私の魂は生まれた時に半裁された。だから私は一個の完全な人間になることを望んだ。私の野心は底なしだった。私が欲するものは、力ずくで奪い、殺し、そうして我が物としてきた。私は完全になりたかった……他の何かを奪い尽くしてでも、己を取り戻したかった……だが、そうして取り戻した自分は……」
 あまりにも業を背負いすぎている。だからルージュの魂を切り離してきた。あれほど完全になることを渇望したというのに、私は自らすすんで心を二つに割ったのだ。不完全であることを自ら望んだ――緋色の心があったら、自分には奪えないと分かったから。 
 今、ここにあるのは凍てつく心。欲するものは力ずくで奪いとってきた。今も、これからも、そうすることにためらいはない。
「私は欲しいものは力ずくで奪う主義だ。おまえの存在を消し、私の祖国を解放する。私はおまえの存在の消滅を望む。消え去れ――」

 この業を背負いすぎた存在を消し去るのだ――血にまみれた己を。
 手を下すのは簡単なこと。今まで幾度となく、そうしてきた。たやすいことだ。
 鎖で縛り、あとは爆発させるだけだ――跡形もなく燃え尽きるがいい――

-11-

 あ……ブルーの気配が消えた――

 ずっと一緒にいたから僕には分かる。どうして、僕はこうも無力なんだろう。ブルー一人で背負える運命ではないのに、なのに、君は一人で出て行ってしまった。最後まで僕に心を開かなかった。ブルーは血のついた短剣だけを残していった。「ブルーはあなたのために命術を使ったのよ」研究所のベッドの上で目覚めたルージュに研究員が言った。僕もそこまでは覚えている。ブルーと一緒にいたから。でも、そのあとのことは記憶にない。自分の身体に戻り、深い眠りの中で意識を失っていた。再び意識を取り戻した時には、ブルーはもう遠くへ行ってしまっていた。

 半壊した女神像の前でルージュは、ぼんやりとたたずんでいた。
 研究所の看護師は、まだ生命力が回復していないから外へは出るなと言った。けど、僕には分かった。ブルーがかなりの生命力を僕に分け与えてくれたのだと。だから僕は、こうして外をふらふらと歩いている。でも僕の集めた資質は返してくれなかった。せめて、術が使えれば、僕も一緒に戦えたのに――でももうきっと手遅れなんだろう。
 ルージュは後ろを振り向いた。そこが封印の地へ通じる入り口だったという。今は完膚なきまでに破壊され、どこが入り口だったのかさえ分からない。でも、もう魔物は這い出てこない。ブルー、君が止めてくれたんだね……君は戻ってこなかったけれど。
 ルージュはぽたぽたと血のついた瓦礫の山を見た。この血はブルーが僕のために流した。僕のために、短剣で魂をえぐり、血を流したまま君は地獄へと這っていった。僕には君の心が最後までわからなかった。でも、きっと、苦しかっただろうに……ああ、女神様。ルージュは崩れ落ちた女神像に寄り添った。

「これをあなたに……」
 白衣の研究員が、封筒に入った書類をルージュに手渡した。「え、僕に?」
「あなたの遺伝子の解析データよ」
 ルージュは神妙な顔で封筒を受け取った。研究施設で解析器の中に入っていた時の記憶はない。その時はまだブルーのそばにいた。ブルーがひどく心を痛めていたことだけ覚えている――僕の身体のことなんて、どうでもいいのに。
「あなたのデータを見ていて、奇妙なことに気づいたの。あなたの――あなたたちのデータは研究所のどこにも記録がなかった」
「どういうこと?」
「あなたたちは、この研究所で作られた子どもではなく、自然分娩で産み落とされた子だったのよ。私たちは作ったのではなく、ほんとうの双子だったのね……」
「じゃあ、僕たちは殺しあう必要はなかったということ?」
「ええ……私たちの研究と、学園が、あなたたちの運命をとんでもなく複雑にしてしまったけれど。」
 ルージュは安堵した。血を分けた兄弟を殺しあう必要はなかったんだ……よかった……でも、ブルーがいない。
「私たち人間は、あなた方に耐え難い試練を与えた。でも、女神は私たちほど過酷な方ではないわ……だって、愛し合う男女に祝福をくださる方ですもの……」
 私も祈ります。そういって研究員はルージュの隣にすとんと膝をついた。「私たちの傲慢さをブルーひとりに背負わせるわけにはいきませんから……」

-12-

 時の止まった静謐の空間。過去もなく、未来もなく。
 そこに一人の青年が横たわっている。鎖に身体を縛られ、檻の中に閉じ込められている――青年は自らに枷をかけたのだ。

 ――ブルー……目を覚ましなさい……
 翼をもった三つの光。これは夢だ。幻だ。自分は地獄の中に自らを封印したのだから……こんな……三柱の女神がここにいるはずがない………。
 ――そうやって、そなたはいつも心を閉ざす。我ら姉妹はそなたに氷の祝福を授けた。そなたが、この王国の螺旋を断ち切ると術士になると分かっていたからだ……だから、そなたが過酷な運命に心を壊してしまわぬように、氷の加護を与え、凍らせた。だが、いつまで、そうやって心を凍らせておくつもりだ。時は満ちた。
 氷? ブルーはぼんやりと思った。それは自分の名前……冷たく、凍てつくもの……
 ――そなたが、あまりにも心を閉ざしているから、地上の優しき子より炎を借りてきた。
 あたたかい……緋色の炎………そうだ、これはルージュの炎だ。
 鎖が砕かれた。檻が開け放たれた。身体の拘束が解かれていく。それは彼自身の作り出した魔力の枷だった――女神が取り払ってくれた。身体が自由になるごとに、自身の魔力が落ちていくのを感じる。女神が一つずつ、彼の集めた資質を取り上げていく。
 ――そなたはもう術士ではない。そなたの術は我らがもらいうけた。
 ブルーはやっとのことで身体を起こした。資質は一つもない……奇妙な感じがする。もう、私は術士ではなくなってしまったのか……私は何者だ……?
 キングダムが求めるまま資質を集めることが、彼の人生だった。最強の術士になることだけが彼の目的だった。
 ――そなたは人間になるのです。そなたは人の子より生まれし人の子。あるべき姿に戻りなさい。

 
 女神様?
 けれど私の手はとても汚れている……資質のために、数え切れないほどの命を奪ってきた……返したくても、もう返せない……

 ――償うのか? その意思があるのか? 
 ブルーはうなずく。これはキングダムの意思ではない。初めて、自分で決めたことだ。「私は償いたい」
 ――ならば、時の中に戻りなさい……ここにいても時間は動かない……さあ、そなたを待っている者たちのもとへ……

-13-

「ブルー!」
 女神像のふもとで身体を横たえて眠っているブルーを見つけて、ルージュは駆け寄った。
 ああ、女神様はほんとうに祈りに答えてくれた……
 眠るブルーの身体に、そっと手を伸ばした。やっぱり、君は冷たいんだね……でも、やっと僕があたためてあげられる。
「……ルージュ? ずっとそばにいてくれたのか?」
「うん」
「あたたかい炎が見えた。あれは……おまえだったのか……?」
「うん……よくわからないけど、たぶんね」
「おまえは炎の力を持っているのか?」
 ルージュはブルーを抱いたまま首をかしげた。「何の話?」
「夢の中で女神に会った。女神は私の心を凍らせたと言った――私がキングダムの運命に翻弄して心を壊さないように、と。そうして女神は、おまえの魂と同じ色の炎を持ってきた……おまえが溶かしてくれた」
 ブルーがルージュの胸の中に顔をうずめた。ルージュは彼を強く抱きしめた。

 兄さんの使命は、地獄の封印をすることだった。そのために心が犠牲になった。
 だとしたら、僕の使命は……凍れる心を溶かすこと。
 こうして抱き合える日を待ち望んでいた。兄さん、兄さん、ずっと一人で……僕たちはやっとめぐり合えた。

 
「兄さん、僕たち、やっと一緒になれたね……今度は一緒に旅に出たいな」
「私もだ……まずはルミナスへ行こう」
「え、ちょ、また資質集め……?」
「私には奪った資質に対する責任を果たさねばならない」
「兄さん……真面目なんだから」
「でも、おまえが一緒なら……きっと楽しい旅になるだろう」

  寄り添いあうふたつの魂
  憂い喜びともに語らい
  いかなる運命を彼らを引きはなたず  

  

  

2018.8.27