Aspects of Family:作品設定

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Aspects of Familyシリーズについて

※別題:男やもめの騎士団長ヴォルマルフ・ティンジェルによる子育て奮闘記シリーズ

 

 
・ヴォルマルフ様が子煩悩を炸裂させているだけの親馬鹿SS連作集です(各話読み切り)。
・時代は五十年戦争の終わりかけ。ヴォルマルフ・バルバネス・シドの三人は顔見知り設定。
・神殿騎士団は原作通り聖天使への生き血を集めている暗黒騎士団設定ですが、シリアスな要素はほとんどありません。
・イズルード×アルマ、クレティアン×メリアドールを前提に書いてますが、カップリング要素は薄めです。
・メリアドールはヴォルマルフのことを「パパ」と呼んでいます。個人的な趣味です。
・ローファルはイズルード&メリアドールに対して敬語で話します(お嬢様=メリアドール)。個人的な趣味です。
・Aspects of Families–家族の諸相。家族愛がテーマの作品です。

 

 

輝く日を仰いで

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輝く日を仰いで

 

 

 

 
 メリアドールは私の娘だった。もちろん、私は彼女の父親ではない。
 父親は死んだのだ。
 娘と息子二人を残して。幼い子供らを庇護できるのは私しかいなかった。否、私にしかできないと思った。
「ウォドリングおじさん」
 彼女ははじめ、私のことをそう呼んだ。だが、いつしか時は流れ、私のことを名前で呼んでくれるようになった。屈託のない笑顔と一緒に。

 

 
 私は父親。彼女は誰より大切な私の娘。

 

 
 その日は突然にやってきた。
「こんど騎士団に来る人、アカデミーの首席だった人なんですって。ローファル知ってる?」
 メリアドールはルザリアから来る士官に興味津々な様子だった。私が何と答えたかは記憶にない。
 都会から来る士官学生がろくな奴であった試しはない、のだが――鳶色の髪のすらりとした背格好の青年が年頃の娘の気を引かない訳がない。
 私は心配だった。愛する娘が、野心あふれる若者にもてあそばれるのではないかと気に病んでいた。だが、彼女の口から「クレティアン、クレティアン」と若き士官の名前がこぼれるのを聞いて、私は諦めた。
 私は父親であり彼女は娘だった。そこに彼が加わっただけのこと。家族が二人から三人になっただけのことだ。

 

 
「私はメリアドールには手を出すなと何度も言った。なのにおまえは私の話を全く無視したな、クレティアン」
「手は出していない……ああ、信じてないって顔だな。だが誓ってもいい。私は誠実であり、彼女は気高く清純だ。騎士の誓いを破ったことは一度もない」
「そうか……おまえがそう言うのなら、そうなのだろうな」
「それにしてもひどいな。なぜ私がメリアドールに手を出すなどと思ったのだ」
「野心ある若者がよくやることだ」
「私をそのような下卑な連中と一緒にしないでくれ。私が彼女の手を借りなければ出世できないような俗人に見えるか」
「ああ、そうだったな」
 5年、10年と一緒に暮らして過ごせば相手の性格は分かるようになるものだ。今や私は副団長。彼は参謀。良きパートナーであった。
「しかしローファル。はっきり言うぞ。おまえのメリアドールへの執着は異常だ。なぜ父親でもないおまえが、彼女をそこまで庇うのだ」
「私が父親なんだ」
「ほう。私の頭がいかれてなければ、彼女の父である騎士団長殿は存命だ」
「死んだんだよ。おまえがミュロンドに来るよりずっと前にな。そう……あれは不幸な事故だった。ヴォルマルフ様は魂を悪魔に喰われて死んだ。だから私は誓った。幼い子供たちを死んだ父親に代わって守り抜くと」
「――そうだったのか」
「信じるのか? こんな荒唐無稽な話を。私が狂っているとは思わないのか」
「おまえがそう言うのなら、それが真実なのだろう。私はおまえを信じるよ、ローファル」

 

 
 普通ではない。これは普通の家族ではない。本当は家族でもない。分かっていたことだ。いつか彼女が真相を知った時、この家族ははかなく消え去ってしまうことを。
 輝かしい思い出だけを残して。

 

 
 団長が死都に向かうと言った。私は何も言わずについて行った。メリアドールはとうに私の手を離れていた。私の役目は終えたのだ。あとは見届けるだけだった。
 しかしこれだけは予想もしていなかった。まさかメリアドールが自らの手で終焉をもたらすとは。
 その剣を振り下ろすまでに、彼女はいったいどれほど涙を流したのだろうか。私には決して分からない。分かってあげられない。それがどれほど悔しいのかも、彼女に分かってもらえない。

 

 
「……クレティアン、待っていてくれたんだな……」
 身体中の力が抜けていくのが分かる。身も心もぼろぼろだった。修道院の深淵の、暗い、暗い、廃墟の街。こんなところで自分を待っていてくれる人がいるとは。
「ローファル、おまえが来るのを待っていたんだ。だって、もうおまえしかいないじゃないか……あの日々のことを覚えているのは」
 そうだった。あの懐かしい日々。彼女と過ごしたあの日々。もう決して戻ってこないあの輝かしい日々。
「……ローファル、一つ言っておくことがある。私は約束を果たしたぞ……彼女には指一本触れなかった。彼女は尊く清らかだ。実のところ、私は彼女に感謝しているのだ。こんな状況になっても、な……。彼女を思えばこそ、こんな汚れた地獄の世界のまっただ中でも正気を失わずに生きてこられた。この想いを、ローファル、おまえに、伝えておきたかった……」
 息も途切れ途切れに、それはほとんど愛の告白だった。
「なぜ私に?」
「いつか言っただろう、おまえが彼女の父親だったと」
「ああ……」
 そうだ。私が父親だったなら、愛する娘に向けられたこの上ない讃辞を涙なしには聞けなかっただろう。私が父親だったなら……
「その言葉、たしかに受け取ったぞ。だが、真にその言葉を受け取るべき人は私じゃない」
 私の返事を聞くことなく彼は力尽きたようだった。そっと彼の身体を抱き寄せた。
「よく頑張ったな……おまえに会わせたい人がいる。さあ、これから一緒に会いに行こう――」

 

 
 ――ヴォルマルフ様、あなたの誇り高い魂に誓って、彼女をこの命に代えても守り抜くと誓います。

 

 
 はるか彼方。遠い昔の誓いの言葉。
 この誓いは果たされた。私は為すべきことを為した。

 

 

 

 

 家族は遠く離れてしまった。子供たちはもう二度と私の元へ戻ってはこないだろう。私のこの血に汚れた手で抱きあげることもかなわないだろう。
 息子よ、娘よ。
 彼らは死んだ父親に何を言うのだろうか。せめて叱責してくれようものなら赦しを請うこともできるのだが。

 

 
「ヴォルマルフ様」
 聞き慣れた二人の男の声。振り返らずとも誰に呼ばれているのか分かる。私の忠実な部下たち。
「おまえたちか」
 やはり来てくれたのか、と安堵する。しかし、やはり来てしまったのか、とも思う。ここまで忠義を尽くす必要もなかっただろうに。<統制者>である私に。
「ヴォルマルフ様……やっと……お会いできました。私はあなたに、<統制者>に代わって死んだ<本当の>あなたに会える日を楽しみに、ここまで生きてきたのです」とローファル。
 後ろを振り返ると、そこにはクレティアンに寄り添ったローファルの姿があった。そうだ、この二人はいつも一緒だった。互いに支え合う二人の姿。そんな日常が毎日だった昔に戻ったようで微笑ましい。
 ここまで来て、やっとあなたに会えました、と震える声を絞り出すローファル。私はそんなにも慕われていたのか。
「ローファル。さぞ憎かったことだろう、私を殺した<統制者>のことが。剣を向けてもよかったのだぞ。私の娘がそうしたように」
「いいえ……それだけはできませんでした。たとえ魂は離れようと、その身体はあなたのもの。私が剣を向けることなどできませぬ」
「そうか、そうか。ならば私はその忠節に応えてやらねばならないな……だが、私はもはや何もかもを失った身。家族にすら見放された私に何ができようか」
 私は息子に手をかけた。その報いを娘の手により受けた。愛する家族にすら何もしてやれなかったのだ。
「ヴォルマルフ様、私たちは何も望みません。騎士団の仲間と過ごしたあの日々は、楽しく、輝かしいものでした。その思い出だけで私たちは十分なのです」
「ローファル、クレティアン。おまえたちは特に娘の面倒をよく見てくれていたな」
「ええ、それはとても」
 と、二人そろって笑い合った。その談笑の輪に私は入れない。私は娘に父と呼んでもらえない。私はあの子たちと家族になれなかった。だが、私の部下たちが――私の忠実な部下たちがあの子たちの家族となってくれた。
 それだけで十分ではないか。

 

 
「ヴォルマルフ様。だから私たちは戻ってきたのです」
「……どういう意味だ?」
「私たちは、お嬢様とこの上なく楽しい日々を過ごしました。この、お嬢様との思い出を、父であるあなたに知ってもらいたいのです。だから、こうしてお返しにきました――あの輝かしい日々を」
「語り合いましょう、三人で。尽きせぬ時間があるのですから」

 

 
 私、神殿騎士団団長のヴォルマルフ・ティンジェルは良き部下に恵まれた。心からそう思った。

 

 
輝ける日々
それは家族の記憶
私がいるはずだった家族の記憶
戻らぬ時を経て、懐かしき思い出は今や私の手の中に
いかなる喜びぞ

 

 

 

2017.05.13

 

 

痕跡

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 痕跡

 

 

 

 

「そうか、アドラメレクもやられたのか……あの小僧に」
 ローファルは呟いた。彼は元来、焦りや苛立ちを表情に出すことは殆ど無かったが、内心は激しい焦燥感に駆られていた。
「ベリアスも、ザルエラも駄目だった。何の役目を果たす間もなく逝ってしまった――いや、そうでもなかったな。奴らは存分に血を流してくれたではないか。それだけでも役目を果たしたと言えるか。だが、アドラメレクは……」
 彼は目の前に対峙する金髪の小僧を見た。名前はラムザ、ベオルブ家の出自を持つ貴族の青年だった。ローファルから見れば年齢も人生経験も足りない世間知らずの小僧だ。ローファルはベオルブの者に少なからず因縁を感じていた。密かにベオルブ家を崩壊させるように差し向け、アドラメレクを呼び出したのは他ではなく、ローファルであったからだ。
 ラムザは蔑むような、冷ややかな視線をローファルに投げかけた。ローファルは無視するように剣を握り直した。彼は何故この青年がこうも平静で居られるのか、不思議に思った。この金髪の青年はここオーボンヌ修道院に来るまでに、凄惨な道を辿ってきている。実兄の企てた陰謀、そして実家の崩壊――彼は兄たちを失っている。それも、ラムザ自身が、自ら兄たちに手を掛けたのである。勿論、そうさせるように仕向けたのはこの神殿騎士の仕業であったが。
 どうせこの小僧は、すぐに絶望にうちひしがれて逃げ出すだろうと、ローファルは考えていた。彼の知っているものは、皆そうであった。逃げ出すことなく、無謀にも眷属たちに立ち向かってきた者は、血の海に沈んでいった――あのイズルードのように。それなのに、この世間知らずの青年は逃げ出すことなく、それどころか、次々に眷属らを打ち倒してた。ベリアス、ザルエラ、アドラメレク……あとはハシュマリムただ一人になってしまった――ローファルはいらだった。とてもこの小僧にそんな恐るべき力があるとは思えなかったからだ。
「おまえは人間ではないな。この感じ……セリアやレディと同じだ」
「そうだ。私は人間ではない。私は人間を超越した力を得たのだ。ヴォルマルフ様のお力により、老いることや無知であり続けることをやめ、永遠の命を手にいれたのだ!」
 ――それなのに私は、何も知らないこんな若造に負けるのか。私は聖石の力を得たというのに、この若造を倒すことすら出来ないのか!
 ローファルがいきり立った時、彼の耳に見知った声が聞こえた。
「ローファル」
 そう呼んだのは、彼のかつての仲間、メリアドールだった。彼女は怒るでもなく、悲しむでもなく、ただ彼の名前を呼んだ。ラムザの隣にたち、彼と同じセイブザクィーンの剣を携えて。彼と彼女はその格好こそ、同じ神殿騎士の出で立ちであったが、彼らの間には決して交わることの出来ない深い溝があった。もう私は彼女の声に感情を探せない程、人ではない領域に足を踏み入れてしまったのか――彼はそう思った。その時、彼の中に抑えきれない激しい感情が沸き上がった。
 全てを投げ出せ。
 ローファルはそう思った。ベリアスがラムザに殺された時点で、もはや手遅れだったのだろう。もはやハシュマリムただ一人が、この小僧――世間知らずの若造――に太刀打ちできるはずがなかった。だから、全てを投げ出し、捨て去るのは自分の方である、と彼は悟ったのだった。彼が敗北を認めた瞬間であった。当然、ラムザはその隙を見逃さなかった。すかさず、剣を構え、斬りかかってきた。しかし、ローファルの方がさすがに熟練の騎士であった。その剣を自らの剣で受け流すと、懐に抱えていたゲルモニーク聖典をすかさず取り出した。
 その幻の聖典は彼が苦労して見つけたものであった。長い間秘匿され続けてきたこの書物には死都への道を開く呪文が書かれている。彼はその禁断の言葉を唱えた。もはやこの地上に彼の生きる道はなく、生命の絶えた死せる都へと自ら進み入ることを望んだのであった。
「我は時の神ゾマーラと契約せし者、悠久の時を経て――」
 長い詠唱の間、ローファルの脳裏にあったのはただ一人であった。人として生きる道を棄てて久しい彼にとって、この世への未練は微塵も残っていなかった。それよりも、彼と同じ道を選びとった青年のことが気がかりだった。「何度でも殺せ」とまるで生きることに執着しなかったあの青年は、ローファルより早く死都に足を踏み入れていた。ローファルは彼の許へ行くつもりだった。
「待て! させるか!」
 ラムザがローファルの詠唱を遮るように叫んだ。
「異端者ラムザよ、私の邪魔をするでない――だが、望むのならば、貴様も地獄へ招待してやろう――」
 ローファルは構わず詠唱を続け、渾身の力をもって異界へと続く魔方陣を捻出した。

 

 

 廃墟の陰からに閃光が見えた。クレティアンは訝しんで光の在り処を振り返った。そこは、つい先刻、彼が魔方陣を展開した死都の入り口だった。何か建物でも崩れたか、程度にしか思わずに振り返ったクレティアンは、己が目の当たりにした光景に背筋を凍らせた。そこに一人の騎士が力尽きて斃れていたからだった。
「ローファル!」
 クレティアンは悲鳴を漏らすと今にも息絶えそうなローファルの傍に駆け寄ろうとした。しかし、それを邪魔する者の姿があった。ラムザが剣を持ったまま彼を睨み付けていた。
「そうか、おまえがローファルを殺したのか……ならば、仇を討たねば、彼に合わす顔がないな。異端者ラムザよ!」
 クレティアンはラムザの姿を見て、ここに至るまでに何が起きたのか、見当を付けた。そして、ラムザに向き直った。彼もまたローファルと同様、ラムザの実力を嫌々ながら認めていた。否、認めざるを得なかった。彼は何度も何度もラムザに叩きのめされてきた。幾度も斬られ、聖剣技の的にされ続けてきた。その度に死の淵から呼び戻してくれたのは他ならぬローファルであった。クレティアンはアジョラを追う一心で大して気にも留めなかったが、戦場で倒れ伏す度に律儀に助け起こしてくれたローファルの姿を思った。
 まっすぐと先を見据える力強い眼差しをクレティアンは感じた。死都に足を踏み入れ、歴史から身を引いた者であるにもかかわらず、ラムザの顔に迷いは見えなかった。その凜々しい表情を見てクレティアンはわずかに顔を翳らせた。クレティアンは思った。この青年は果たすべき使命を持っているのだ。私も彼と同じように使命を持っているのだが――
「私には、ほど遠い」
 だがここで身を引く訳にはいかない。ローファルに報いねばならない。クレティアンはラムザに魔法を撃ち込もうと構えた。だか、その時、身体に鈍い痛みを感じた。死角から弓を射られたのだと気付いた時には、もう彼女が近くに立っていた。
「私も仇を討たなければならないの。一人で果敢に戦い、そして孤独に死んでいったイズルードに報いなければ。ごめんあそばせ」
 剛弓を持ったままメリアドールは颯爽と言い放った。反撃することも出来ず、痛みに耐えきれずに身体を折って膝を付いたクレティアンにメリアドールはたたみかけるように言った。
「ふ、馬鹿なことをしたわね、クレティアン。恨むなら自分の神を呪うといいわ」
 とどめの一撃をさそうともせず、メリアドールはラムザを促して去って行った。
 クレティアンは痛む身体を引きずりながらローファルの元へ近づいた。
「――ローファル、ローファル」
 かすれた声で彼を呼び求めた。ローファルは倒れたままぴくりとも動こうとしない。
「おまえの仇をとれなかった。申し訳ない――」
 詫びるクレティアンに、ローファルがふっと呟き、小さく答えた。
「クレティアン、お前は馬鹿な奴だな。私があの小僧に敗れたとでも思うか? 私はそこまで脆弱ではない。私は、聖典で門を開くために力を使い果たしてしまったのだ。お前ほど魔法には長けていないからな……」
「そうか、そうだったのか。だが、どうしてこんなところまで来てしまったのだ。お前まで死都まで来る必要はなかっただろうに」
 最期にお前に会うために、とローファルが答えた時、クレティアンはローファルの身体を抱いて彼の血に汚れた顔を撫でていた。二人は寄り添いながら、誰もいない廃墟の闇の中で息絶えようとしていた。

 

 

「――見ろ、この血が役に立った。ヴォルマルフ様の望むものが我らの仲間の血で充たされるとは思っていなかったがな」
「そんなこと思ってもないだろ」
「私は……虚しい人生だったと認めたくない。せいぜい夢を見させてくれ。我らの為したことに意義があったと。そこに我々の生きた痕跡があったと」

 

 

 

あなたのぬくもりを

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あなたのぬくもりを

 

 

 

 

「その傷、どうしたんだ」
 クレティアンは彼の自室を訪ねてきたローファルの手元を見て言った。黒いローブの袖から見えるローファルの手首に大きな傷跡が残されていた。
「ああ、これか。ルーンブレイドの破片が飛んできたのだろう……気にしてもいなかった」
 剣や鎧が砕けて飛び散ることは剛剣使いにとって、あまりにも日常茶飯事な出来事だった。ローファルはクレティアンに言われて初めて自分が負傷していることに気づいた。
「化膿しているじゃないか。そこに座れ」
 クレティアンはローファルをベッドのそばへと引っ張ってくると、そこに座らせた。
「腕を貸せ」慣れた手つきでローファルの手首に包帯を巻いていった。
 そうだ、こいつは魔道士だった。怪我の手当をしてくれているのだな。
 ローファルは自分の手を取るクレティアンの手を間近で見つめた。普段、こんなにまじまじと見ることはない。ローファルは騎士団長と一緒に外へ出て行くし、クレティアンは館に残って机に向かっている。一緒に戦場に立つことなどなかった。
 ローファルがぼんやりと考え事にふけっていると、クレティアンは包帯の上からローファルの手にキスをした。唇が触れたその瞬間――ローファルの全身に熱い感覚が駆けめぐった。
「ほら、包帯を外してみろよ」
 キスじゃない、ただ魔法を使っただけだ――気づいたのはクレティアンにそう言われてからだった。
「おお……すごいな、傷跡がきれいになっている」
「俺を褒めるなよ。こんなのは下級の魔道士の仕事だ。俺の力を使えば聖石がなくても、おまえが死んでたら生き返らせてやる」
 クレティアンはつんとすましていった。「だがローファル、あまり怪我はしてくるなよ」
「生傷が絶えないのは剣を使う者の宿命だ、あきらめてくれ」
「そうか……」
 クレティアンは呟いてベッドに座るローファルの隣にどすんと腰掛けた。そのまま身体を倒してローファルの後ろにうつ伏せに寝そべった。ローファルは治療への感謝の意味を込めてクレティアンの頭に手をおいた。
「……私のことより、自分を大事にしろよ、クレティアン」
 気がつけば自分の手が剣を振るうちに切り傷であふれていたのとは対照的に、クレティアンの手は灼熱の魔法を使う時の反動なのか火傷の痕がずいぶんと残っていた。白魔法より黒魔法を使ってきた経験の方が長いと分かる熟練の魔道士の手だ。
「私は魔法が使えないからな……おまえが怪我をしても癒してやれない」
「早死には魔道士の宿命さ。おまえだって戦場で先に殺るのは魔道士だろ」
「ああ、そうだ。だが――」
 ローファルはクレティアンの頭を撫でた。「部下より先に指揮官が死んでしまっては話にならないではないか。おまえは士官学校で一体何を学んできた?」
 もしも、そのような時が訪れるとしたら自分より彼の方が先に死ぬだろう。そんな時は想像したくもないが、ローファルはそう感じていた。それが戦場の定める宿命なのかもしれないが。
「生き急ぐなよ。おまえが瀕死の状態で戦地から帰ってくるのは私の心が痛む」
「俺は別に……血が流れれば、その分だけ主も喜んでくださる」
「だとしても、だ。私より先に逝くなよ」
 ローファルはクレティアンの背中に顔を埋めた。こうしているとぬくもりが伝わってくる。今はその温かさをしばらく感じていたかった。

 

 

 

2018.8.20

君にならびて、共に

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 君にならびて、共に

 

 

 

 
 その一閃は空気をも切り裂いた。メリアドールに対峙した相手の剣の一薙ぎは彼女の武器と鎧を壊すのに充分であった。彼は剛剣の使い手だった。相手の装備を破壊する剛剣、剣技の一種であるが、それはかなり特殊なものであった。表向きは相手の武装を解除することにより、相手に降伏を促すという手法を用いる。相手の懐に直接斬り込む野蛮な剣技ではないと、剛剣の使い手たちは云った。彼らの多くは信仰をもった騎士たち、神殿騎士団に属していた。そうはいえども、実際は聖剣技に代表される他の剣技と何ら変わりはない、戦場で命を奪い合う騎士どもの使う危険極まりないものであった。砕かれた武器は持ち主の手に突き刺さり、叩き壊された鎧は服を破き、皮膚を傷付ける。
「すまなかった、メリアドール。大丈夫か?」
 声の主はディバインナイトの一人、いわばメリアドールの同僚だった。
「いいえ、模擬戦だからといってメンテナンスを怠った私悪いのよ。あなたに非はないわ。これが戦場だったらとっくに私は斬られてるわ」
 そういいながらも、彼女の身体は傷だらけだった。血にまみれた両の手で、必死に鎧の破片で傷ついた脚をかばっている。着ていた深緑のサーコートは裾が破れていた。そこに点々と深紅の染みができていた。大丈夫、大丈夫、そうはいっても彼女一人では立つことも難しいようだった。
「誰か、人を呼んでくれ! 怪我人がいる! はやく施療院に――」
 騎士が叫ぶと同時に、偶然そこを通り掛かったと見える長身の魔道士がメリアドールの側に寄った。年若い青年ながらも、彼が着ている服からは相応の位を持った魔道士であることが伺える。それもそのはず、彼はイヴァリースでソーサラーの称号を持つ数少ない魔道士の中の一人であった。魔道士らしく白のローブを緩やかに羽織り、精緻な刺繍が施された帯を腰に締めている。訓練場の石畳の上にカツカツと靴音を響かせながら歩いてくると、ローブの裾が汚れるのも構わずに、崩れるように座り込むメリアドールの隣りにしゃがんだ。
「何事だ?」
「訓練中の模擬戦の事故でして……」
 答える例の騎士に、そんな事を聞いているのではないと魔道士の青年が目で制す。
「私が彼女を施療院まで運ぼう」
「クレティアン? 私、一人で大丈夫よ?」
 やんわりと拒否したメリアドールを無視するとクレティアンはそのまま彼女を軽々と抱き上げた。ここを片付けておくように、と言い残すと急ぎ足で施療院へと向かった。

 

 
 何故こんな事態になったのだろうと、メリアドールは訝しんだ。騎士に傷は付き物。生傷は耐えず彼女の肌につきまとった。だが、ここまでの深手を負ったのは初めてだった。大丈夫、そうはいったものの、彼女の身体の傷は疼いていた。全身の力が抜け、自力で歩けない程であった。もしここが、一寸の間断なく弓矢の降り注ぐ戦場であったなら、自分のような者は真っ先に切り捨てられるのだろうとメリアドールはぼんやりと思った。だがここは死に物狂いの激戦が繰り広げられる戦場ではなく、静かで平和な島ミュロンドであり、傷ついた騎士も見捨てられることはなく、むしろ優しく抱かれていた。
「ね、降ろして、ってさっきから言ってるんだけど?」
「何か不満でも? ふ、素直になればいいものを……」
 クレティアンの腕の中でぶつぶつとメリアドールは不平をこぼしていた。施療院まで運ぶと自ら買って出た彼は、急ぎ足ながらもメリアドールをしっかりと抱いていた。一方メリアドールは自分で歩けない自覚はあり、満更でもない様子で大人しく抱かれているのであった。
「恥ずかしいのよ。もしこんな姿を誰かに見られたらと思うといても立ってもいられなくの」
「なるほど、私に抱きかかえられるのが恥ずかしいとは、それは嬉しいことを言ってくれる」
「違うわ! 誤解しないで頂戴。私はもう一人前の騎士になったのよ。あのディバインナイトにね。剛剣を使う身なのよ、それが、あろうことかその剛剣によってこんな怪我をするなんて……みっともないじゃないの」
 口こそ達者にクレティアンと言い合っていたが、実際は身体中がもう疲労の限界近くまで達していた。ほぼ無意識的に彼女は身体をクレティアンに預けていた。
「そんなに人に見られるのを気にしてるなら、ほら……」
 クレティアンはメリアドールの頭をそっと胸に近づけた。他人に彼女の顔が見えないように腕の裾で彼女を覆い、人目に配慮してくれたのである。
 メリアドールは顔が火照るのを感じた。身体も熱い。ぼうっとするのは怪我のせいだろうか。いやそれだけではない。その感情には薄々気付いていたが、あえて無視していた。クレティアンの胸に顔を埋めると、古びた書物の香りがうっすらとした。魔道書やら研究書やらに埋もれてるせいね、そうメリアドールは思った。実に魔道士らしい。幾重にも折り重なった歴史の放つ、莫々たる香り。それに比べて自分の何と汗臭いことか。今なお止まらず流れ続けている血でどれほど彼の白いローブを汚していることか。そんなことをぼんやりと頭の片隅で気にしていた。
 だがしかしそんなことを考える余裕もだんだんとなくなりつつあった。クレティアンがメリアドールの耳に一言、二言ささやき優しく抱き締めた。それが何だったのかも分からず、ゆっくりと眠りに落ちるようにメリアドールは意識を失った。

 

 
 気がつくとベットの上だった。どうやら自分は無事に施療院まで運び込まれたらしい。四肢を動かすのもだるく、ベッドの上で寝転んだままあたりを見回した。
「おや、お気づきになりましたか」
 声を掛けてきたのは、施療院の院長であった。初老を過ぎた白魔道士であり、その腕は確かなものであった。ここに運ばれてきた自分を看てくれたのも彼なのだろう。クレティアンの姿は見えなかった。もうどこかへ行ってしまったらしい。他の仕事で忙しいのだろう、とメリアドールは見当を付けた。
「なかなかに、深い傷でしたよ。まったくこれだから騎士というものは野蛮でならない…こんな美しい婦人に怪我を負わせるとはね。さあ、もう少し看てさしあげましょう」
 そう言うや否、メリアドールの黒のロングスカートをおもむろにめくりあげ、彼女の白い足をあらわにした。腿の傷を見ると、巻いた包帯の上からなでさすった。その慣れた手つきにメリアドールは思わず嫌悪感を覚えた。
「こういう機会でもないと、なかなか貴女のような方には近づきになれませんからね」
 悪寒が走った。この男は私をいやらしい目つきで見ている。涼しい笑顔の裏に獣の本性が見えるようだった。
「去りなさい」
 メリアドールは一喝した。
「え、何か……」
「私の側から離れなさい、そういったのよ。早く出て行ってちょうだい。あなたに用はないわ」
「ですが、貴女はまだ治療が必要な身、私が側にいないと」
「去りなさいッ!」
 その迫力に気圧されて、思わず男が身を引いた。メリアドールはベッドの上から一歩も動かなかったが、男を睨め付けた。男はしぶしぶといった風情で部屋を後にした。その後も何人かの魔道士が彼女の部屋の扉を叩いたが、メリアドールは一切を無視して寝ていた。少々機嫌が悪かった。

 

 
 トントンと、扉を叩く音で目が覚めた。誰だろうかと思いつつも、無言で返した。しばしの静寂のあと、今度はドンドン、といらだたしげに叩く音。メリアドールが寝たまま返事をしようか逡巡している間に、音の主は扉を蹴破るように入ってきた。
「姉さん! なんでオレを無視するんだ」
「あら、イズだったの。ごめんなさいね、気付かなかったのよ。またどうでもいい輩が群がってきたんじゃないかと思って」
「院長を追い出したんだって? 一体何をやらかしたんだよ…」
 イズルードはベッドの側まで寄ると、横になっている姉の頬にキスをした。メリアド-ルも弟の挨拶にいつものように口づけで応えた。
「だってあの男は、私をまるで……」
 そこまで答えて言いよどんだ姉の姿をイズルードは見た。髪こそスカーフで覆っているものの、うっすらと汗の光る首筋、シーツの上に絡まるスカートの裾からのぞく、形の整った白い脚。それに年相応の色気が上乗せされて、何とも言えない趣を醸し出している。身内の贔屓目を除いても、姉は美しかった。
「ま、院長の気持ちも分からなくはないが……。姉さんは綺麗なんだから」
「あなたまでそんなことを言うのね。私は女でる前に騎士よ、騎士として見て欲しいの。なのに…」
「勿論、姉さんのことは騎士として尊敬してるよ。だってオレ、剣だったら姉さんには敵わないし。で、傷の方はどうなのさ。結構心配してるんだけど」
 オレと違って姉さんは女なんだからあんまり傷が残るかどうか心配で、そう言おうとしたがまた機嫌を損ねそうだったので言わないことにした。
「そうね、さっきまで寝ていたから痛みは大分引いたけど、そろそろ包帯を替えたいのよ。ちょっと替えの包帯を取ってきてくれないかしら。それにお湯とポーションと……あと何か役に立ちそうなものがあればそれも頼むわ。よろしくね、イズ」
「役に立つものね……」

 

 
 わずかな睡眠からメリアドールが目を覚ますと、身体の痛みにうずいた。だが半分夢うつつで、ベッドの上に身体をあずけてまどろんでいた。イズルードを使いに出してからどれくらいが経っただろうかと、彼女が訝しんだその時、扉を叩く音が聞こえた。誰かが来たのだった。「入ってもいいかな」と尋ねる声。イズルードではなかった。あの院長でもなかった。そのまま深く考えずに返事をした。
「メリー、具合は?」
 薄暗がりの部屋に透き通った声が低く響いた。クレティアンだった。予想外の人物にメリアド-ルは飛び上がらんばかりに驚いた。実際にベッドの上に跳ね起きた。
「あぁっ…」
 起きた衝撃の痛みに耐えかねて声を漏らすと、クレティアンが心配そうな顔をした。
 狭い石造りの部屋の中、クレティアンがさっと身を翻してメリアドールの側へ近寄った。丁寧に、ベッドに腰掛けてもいいかと聞いてきたので、もちろん、メリアドールは承知した。ミュロンドの騎士達の中で、彼は珍しくそういった細やかな騎士道精神を持ち合わせた人であった。大方は、彼が学生時代を送ったアカデミーで仕込まれたものだろうとメリアドールは見当を付けている。ガリランドのアカデミーは貴族御用達の場所だと聞いている。そういった身分の人々と接する機会も多かったのだろう。
「ところで、どうしてあなたが……? 私はイズルードに、包帯と、役に立つものと――」
「私なら随分と役に立つだろうな」
 嫌みをこめつつも涼やかな顔で笑うと、クレティアンはさっそくメリアドールを看た。失礼、そう言ってそっとメリアドールの掛け布団をどかすと、服の上から傷を触って確認していった。メリアドールもおとなしく、従順にされるがままになっていた。不思議と嫌な気持ちは起こらなかった。クレティアンが包帯を替え、メリアドールには聞こえない声で何か、おそらくは呪文の類、を呟くのを何とはなしに聞いていた。薄暗がりの部屋の中、その表情はよくわからなかった。ただ静かな、穏やかな時が流れていった。

 

 
「あなたの魔法の腕はたいしたものね」
 彼女の傷口はすっかりふさがっていた。まだ完治には相当の時間を有するだろう、そうつぶやいたクレティアンにメリアドールはこう言い返したのであった。
「魔法ってすごいわね。あんなひどい怪我だったのに、もうどこが傷口なのか分からないわ」
「見た目はね。魔法だった万能じゃないんだよ。外見だけは元通りに治せるけど、実際は身体の回復は追いついていないんだから、安静にするように」
「だけど、手練れの魔道士は魂をも引き戻せるって……」
「それは魔法の賜物というよりは、神の奇跡と言うべきだな」
「そうね、信仰心のなせる業ね」
 イヴァリースにおいては、魔法の使い手たちの多くは聖職者であった。信仰が魔法を生み出すのだと、信じられていた。それがイヴァリースの掟であった。
 魔法、それは傷を癒し怪我を治すもの。だが、本質的に癒しを与えるのは魔法の力ではない、その魔法の使い手の信じる力、癒しを与えることが出来ると、目に見えぬその存在を信じること、その信仰だった。
 メリアドールが運び込まれたこの施療院はミュロンド寺院の敷地に建てられた施設であったが、多くの神殿騎士団員たち――その大半は魔道士であったが――がここで奉仕していた。もともとは貴族や高貴な身分の者のための私的な、小さな礼拝堂として建立されたのだが、過去の黒死病の大流行に加え、一向に収まる気配のない戦乱により傷ついた民のための、安息と治療の場として施療院として使われるようになった。ここで奉仕する者の多くは篤い信仰を持った者達、すなわち手練れの魔道士らであった。だが信仰に生きる者全てが高い徳を持っているという訳ではなかった。
「私をここへ運んできたのはあなたでしょう、クレティアン?」
 メリアドールはベッドの上、顔をうつむけながら小声でありがとう、と呟いた。クレティアンはそれには何も答えず微笑んだだけだった。
「でもどうして、わざわざここを選んだの? 下の階に放って置いてくれてもよかったのに」
 この施療院は二階建てであり、一階を民衆に解放し、上階は、本来の目的である礼拝堂として使われている。メリアドールの運ばれた部屋は、小さく、明かり採り用に上部に申し訳程度に窓があるだけの質素な部屋であった。ベッドに、書き物ようの小型の机。それに人が二人も入ればもう満室となるであろう狭い部屋であったが、壁に掛けられた宗教画、机の上のガラス製のインク壷に飾りペン、ベッドの上の清潔なシーツを見ればここが貴人のために用意された場所であるのが分かった。
「下の階に? あそこはうるさいだろう。ここの方が落ち着いて安静に寝ていられる。それにこの部屋の隣は礼拝堂になっている、祭壇に少しでも近い方が怪我にも効くだろうと思って……」
「ああ、そんなこと、そんなことにも気を配ってくれたなんて、あなたは気の付く人ね。本当に」
「この部屋は貴人らが宿泊した際に、個人的な祈りを捧げる場所か、告解に使うと聞いた。普段はここの院長が使用しているそうだが」
 メリアドールは先程の院長とのやりとりを思い出し、きまりが悪くなった。部屋の隅に置かれた跪拝台を見やった。ここにひざますくべき人物は、まずあの院長だろう。
「罪深き子よ――」

 

 
「――罪深き子よ」
 メリアドールの独り言に近いその言葉を聞いて、反射的にクレティアンは跪拝台の上に膝を落とした。腕を組み、膝を折りこうべを垂れた。礼拝の時に常にそうするように、従順の祈りの形を取った。それに慌てたのはメリアドールだった。
「あら、違うのよ、さっきの独り言はあなたに言ったわけじゃないの」
 取り繕うメリアドールの言葉を、クレティアンは跪拝台に身をもたせたまま聞いていた。両手を台の上で組んだまま頭をあげ、彼女の方へ視線を向けた。
「そう? てっきり、何か怒っているのかと……。ここへ運んでくる時も機嫌悪そうだったからね」
「そ、それは……」
「そんなことより、さっきは院長を追い払ったのは、男と二人きりになりたくなかったのだろう? いいいのか、妙齢のご婦人がこんな男と一緒にいて気に障らないのかい?」
 彼は、多少の嫌みを含んでメリアドールに質問を投げかけた。
「あら、だってあなたはそんなことに興味がないもの」
「それはどういう……?」
「女たちが身を飾り、服を彩り、男たちそんな彼女らの気をひこうと武勲をあげて、そうやって忙しくやりとりしている、そんな俗世のしきたりにはあなたは関心がないでしょう。あなたはもっと、清らかな、信仰の世界を生きる人だわ。だから……」
「ふ、失敬な。私だって人を愛することは出来る。お望みなら――」
 クレティアンは、膝を立て、メリアドールのベッドへ近づこうとした。それを彼女はほほえんで制した。
「あら、だめよ。その愛は私にはもったいないわ。神に捧げるべきものよ」
「ならば、望みのままに。君の回復を祈っておこう」
 クレティアンはそのまま壁へと顔をうつむけ、跪拝台の上、祈りの姿勢を取った。そのまま無言の時が流れた。静謐な時間だった。メリアドールはベッドの上、微動だにせずにそんな彼を見守っていた。床にこぼれるように広がった白いローブの裾、台の上に組まれた綺麗な両手、瞑想に入る穏やかな端正な、横顔。彼の周りの全てのものが美しく調和していた。
 彼は私のために祈ってくれているのだ。メリアドールは思った。それだけで幸せだった。
 自分に近づいてくる男はたくさんいる。団長の娘という立場上、他の騎士たちから注目されることも多い。目立つということは良いことばかりではない。虎視眈々と出世の道を探るものはたくさんいる。そういった人々の中で暮らすのはなかなかに気を遣うことである。他人のために無償で祈りを捧げてくれるような人は希有であった。たとえ信仰を合わせ持った神殿騎士団といえど、中で暮らすのは世俗の人間なのである。
 彼だけは周りの人たちとは一線を画していた。もともとアカデミー出身のエリート意識があるのか、プライドが高いだけなのか、人に媚びへつらうということを一切しない人だった。団長、すなわち彼女の父親に取り入り、高い役職を望む騎士たちを彼女は多く知っていた。いい年をした勇壮な騎士たちが愛想を振りまきながら彼女に近づいてくる。彼は、クレティアンは違った。
 黙々と祈りを捧げるクレティアンの側へ、メリアドールは近づこうと、ベッドから起き上がった。それを気配で察したクレティアンは、まだ安静に、と彼女に言った。
「もう平気よ。それに、あなたの祈りの邪魔をするつもりはないのよ。私も一緒に祈ろうと思って。あなたの隣に座ってもいいかしら」
 彼ほどの学位を持ち得るならば、高位の僧侶となり教会の指導者たることも出来得たはずである。その道を潔く棄てて騎士団へと入ってくるほどの男である。その姿は清々しかった。どういう志を抱いてこの道を選んだのだろう、とメリアドールは常々思っていた。彼の口からその理由が語られることはなかった。信仰に厚い分、世俗の関心事には興味がないのかもしれない……。
 だから、せめて、隣に立って時間を共有したかった。少しでも長く、たくさん、一緒にいたかった。

 

 
 お互いの祈りが済むと、クレティアンは、床に座り込んだままのメリアドールの手を取ると、甲にそっと口づけをした。
「おやすみ」
 それだけ言うと長い白のローブをはためかせながら彼は部屋を去った。
 手のひらにまだ残る彼のぬくもりを撫でながら、嬉しそうにメリアドールもつぶやいた。
「おやすみなさい」

 

 

 

白桃

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 白桃

 

 

 
 彼女の身体は鋼鉄の鎧に覆われている。深く被ったフードは彼女の髪を隠し、脚は長いローブの内に秘められている。彼女は誰にもその素顔を見せない。メリアドール――皆がその名前を呼ぶが、彼女の秘められた姿を知る者は少ない。彼女は剣を携えた戦乙女だった。磨き込まれた鎧は鈍い金色に輝き、彼女の勇ましさを際立たせる。彼女は信仰のためなら迷わず剣をふるう。その太刀さばきは見事なものだった。勇猛な歴戦の騎士と見まごう程であった。それでも彼女が美しい女性であると分かるのは、彼女が歩く度、緑で縁取られた黒のローブが翻り、その一瞬、婦人のスカートの形になるからだった。彼女は美しく、そして颯爽と歩く。
 だから彼女の女の素顔を知ることが出来る時間は、ほんの一瞬だけである。

 

 
 神殿騎士たちは、ベルベニアからミュロンドへの帰還の途中、森の中で天幕を張って仮の宿営を取っていた。クレティアンはメリアドールが一団の外れの天幕に入っていく様を見た。すかさず後をつけ、そして、メリアドール付の従者が中に入り、主人の世話をしようとしているのを手で制止した。若い彼女は二言三言、言い返してきたが、クレティアンは構わず、近くの果樹園から頂戴してきた桃を二つ彼女に放り投げ、彼女を容易く買収した。
 メリアドールは天幕の中にあつらえた簡易ベッドに腰を下ろし、進軍の疲れを癒やしていた。その時、誰かが入ってくる気配を感じた。それはメリアドールに付き従い、世話を焼くいつもの少女ではなかった。
 ――悪い虫が入ってきたわね。
 彼女は剣を引き寄せた。
 ――これは失敬。
 その声の主は対して悪びれる風もなく、形だけの詫びを述べた。
 ――あなただったのね、クレティアン。
 メリアドールは剣を手放した。――剣が落ちたぞ、とクレティアン。
 ――駄目よ、私が本気でこの剣を叩き付けたら、あなたの息の根を止めてしまうわ。あなたがそうして欲しいと望むのなら、話は別だけど。
 彼女は、後ろに居るであろう長身の青年を想って声を掛けた。振り向きさえもしなかったが、そこに居る青年の風貌を想像することは容易いことだった。ダークブラウンの髪を後ろに流し、彼女が纏っているのと同じくらい丈の長いローブを羽織り、腰の帯で締めている。多分、手と足の裾から黒の下着が少し見えているはずだ、とそこまでメリアドールは思い描くことが出来た。甲冑で身を固めた彼女とは対照的な姿である。メリアドールが本気を出せば、大した苦労もなくこの魔道士を仕留められるだろう。もしここにいる青年が獲物を狩にきた男であったなら、彼女はすぐさま駆逐していたはずである。しかし二人は親密な仲であった。
 ――挨拶もなしに、女性の天幕に入ってくるのはいかがなものかしらね。
 ――ご機嫌よう、メリア。
 続けて、
 ――これで私が追い出されることはなくなったな。
 ――さあ、どうかしらね。
 メリアドールはベッドの上に腰掛けたままである。背筋を伸ばし、毅然と座ったままである。
 ――ところで、私の可愛い付き人の姿が見えないのだけど、どこへ遊びに行ったのかしら。主人の着替えもまだだというのに、一体どこをほっつき歩いているのでしょう。
 ――ならば、手すきの私が然るべき仕事を果たすまで。
 メリアドールはやっと振り向いた。そして笑いながら言った。
 ――まあ、あなた女の服の扱い方を知っていて? それに、鎧を着たことがあって?

 

 
 ――意外と小さいんだな。
 クレティアンはメリアドールの上着を丁寧に脱がせると、目の前の神殿騎士をまじまじと眺めた感想を実直に述べた。彼女の体はまだ無骨な鎖帷子で覆われていたが、ふっくらと優しい曲線を描く女性の胸を隠すことは出来ていなかった。
 ――何をしているの。どうやら、あなたのお手は仕事を忘れているようね。やっぱりあなたは鎧を着たことがないんでしょう。この鎖帷子がどんなに重くって、汗にまみれているのか知らないんでしょう。早く、私はこれを脱いでさっぱりしたいの。
 お乳の感想は聞かなかったことにして、メリアドールはクレティアンを促した。つんとすまして侍女に着替えの手伝いを要求する姫さながらに、彼女は腕を伸ばし、さらなる奉仕を求めていた。ただし、彼女は絢爛豪華な衣装を纏って城の窓辺に立つ姫ではなく、れっきとした騎士である。瀟洒なドレスの代わりに鋼鉄の鎧を身にまとった戦乙女である。
 メリアドールが首を振ると輝く金髪が彼女の首筋にこぼれ落ちた。綺麗に手入れされた明るいブロンド。それは彼女の秘められた素顔であった。その隠された美しさに存分にあずかれるクレティアンは、彼女の髪をくしけずりながら、一つ二つ房にして肩に垂らした。鎖帷子を外すのに邪魔だったからである。そして、再び感想。
 ――意外と小さいだな。
 ――また。そればっかり。二回目よ。そんなに他の人のを見たことがあるの。
 メリアドールは機嫌が悪くなった。すねてベッドの上に寝転んだ。戦装束を解いた彼女は、扱いの難しい年頃の娘になっていた。仰向けに寝転ぶと、彼女の形の良い小さな愛らしい乳房は重力に押しつぶされて、ぺったりと平たくなった。ローブの上からでもその様子は分かった。クレティアンは紐解いた鎖帷子を床に投げ捨てると彼女の上に覆い被さった。柔らかい感触。メリアドールはまだ機嫌が悪かったが、首筋に顔を埋めてじゃれついてくる人をぞんざいにはしなかった。

 

 

 

 
 ――ちょっと、どこを触っているの。
 ふいにメリアドールが声をあげた。クレティアンの手が下に伸びてきたからだった。ささやかな抗議の声である。平素は厚い鎧に覆われている彼女の素肌は白磁の器のように透き通っている。声を上げる度、彼女の頬に赤が花開いていた。
 ――そんなに叫んだら他の人に聞こえてしまうだろう。
 と、口を塞ぐようにキスをしたのはクレティアンの方である。
 ――それ以上は駄目よ。おなかが大きくなったら困るもの。誰か人を呼ぶわ。
 ――お預けか?
 ――外にいる従者を呼ぶわ。私にこれ以上怒鳴られたくなかったら、早くそこをどくことね。
 クレティアンは名残惜しげに彼女の乳房を撫でていた。小さくとも愛らしいそれは、熟れた二つの果実のようで、クレティアンが口に含むと、えも言われる甘美の味が広がった。

 

 
 ――まあどうして服がこんなに散らかっているんですか。
 呼び戻した従者は床に投げ捨てたままの戦装束を一目見て、そして片付けながら呆れて言った。
 ――それは私がやったんじゃないのよ。
 ――どなたがいらっしゃったんです?
 メリアドールはその問いには答えなかった。返答の代わりに、お前は何処に行っていたの、と聞き返した。
 ――ドロワさまに桃をいただいたんです。剥いてきたので一緒に食べましょう。瑞々しくて、とても良い香りがします。

 

 
 熟れた果実を見て顔を赤らめた理由を、付き人の少女は知らなかった。

 

 

 

 

香る花、告げるもの

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 香る花、告げるもの

 

 

 

 

 ディバインナイトたる者の何よりの使命は島の警備であった。巡礼者も多く、人が多いということは即ち治安も悪くなるということである。それにもかかわらず、このミュロンドが旅人の安心して歩けるというのは、ひとえに、神の加護とディバインナイトたちのたゆまぬ努力のおかげであった。
「メリアドール、いいかい、私は朝方には戻るからそれまでは誰もここには入れてはならんよ。こんな夜中に出歩く者は夜盗か不審者と決まっている。そんな奴らに関わる必要はないからな」
「はい、ヴォドリング隊長、承知しております」
 島にあるミュロンド寺院の警備として、不寝の番にあたる二人の騎士がいた。正確には、一人の壮齢のディバインナイトと、その見習い騎士の、年もまだ若い一人の娘だった。
「本来なら不寝番には別の者が当たるはずだったんだが…仕方ない。くれぐれもよろしく頼んだよ。私は外を見てくる」
 ローファルはよろしく、と言っていたが内心はメリアドールを一人残していくことがひどく不安であった。それもそのはず、多忙な団長ヴォルマルフに代わり、彼の子供たちをローファルが育て、可愛がってきたのだった。男所帯の中、特に慈しんできたメリアドールを仕事とはいえ深夜に一人残しておくことは不安だった。
「まあ、メリアドールも良い剛剣の使い手だ。夜盗くらい容易く追い払うだろう……だが、せめてもう少し女らしくてもいいものを……」
 長い髪はきれいにまとめ、その端正な容姿を飾り立てることもない。その剛剣の腕はまだ見習いといえど、並みの騎士に匹敵するものがあった。粗野な男騎士達の中で育ててしまったせいだろうか。メリアドールは女性として、あまりにおとなしすぎた。そして、あれこれ考えながら、一人ごちつつつ見張り用の小屋を離れたローファルであった。
 小屋に一人で残ったメリアドールは、師の言い付けを守って静かに小屋の中で待機していた。飾り気のない、質素な部屋であった。夜番の騎士たちが詰所として使っているためか、ものは乱雑に散らかっていた。ミュロンドの名高いディバインナイトも、殆どが男騎士で構成されており、メリアドールの様な女騎士は稀有な存在だった。彼女はそんな中で育ち、彼らの立ち振舞いを覚えてしまったのである。ローファルはそんなメリアドールの事を嘆いたが、母親をも早く亡くした彼女に女らしさを教える者は誰もいなかったのである。
 外は夜。いつの間にか降りだした雨は強さを増し、とうとう雷雨となった。こんな悪天候の日は、誰も出歩かないだろうとメリアドールは思っていたが、やがて扉を叩く音を聞いた。かなり激しく、ダンダンと叩いている。
「誰かいないのか!? 雨宿りをしたい!」
 雨音にかき消されつつも叫ぶ声があった。青年の声であった。メリアドールは言い付け通り、沈黙を守った。しかし外は雷が鳴り響いている。こんな天気の中に放り出しておくのも心が痛む。どうしたものかと逡順していた。
「誰もいないのか! 扉を蹴破るぞ!」
 このままだと扉を破られかねない、と慌ててメリアドールはほんの少しだけ扉を開けた。思わず、あっと呟いた。声の主をメリアドールは知っていた。
「おっと、お嬢さん一人かい?」
「ええ、夜明けまでは私一人です」
「これは失礼。少し避難させてくれないかな」
 青年は大事そうに上着にくるんで抱えていた包みを床の上に広げた。中からは四、五冊の書物が出てきた。なるほど書物に水塗れは厳禁である。少しでも塗れないよう、ここまで運ばれてきたのであろう。青年は本を置くと自分は踵を返してさっさと雷雨の中に戻っていった。
「待って! 待って…! こんな雷の中を歩いて帰るのは危険です、ドロワ様!」
 名前を呼ばれ、引き留められたクレティアンは不思議に思った。何故こんな夜中に年若い娘が一人で小屋番をしているのか。何故見習い騎士風情の彼女が自分の名前を知っているのか。等々。しかし、呼ばれたからにはありがたく雨宿りをさせてもらうことにした。何せ外は横殴りの暴風雨。
「中で濡れた着物を乾かしてくださいな。火種がなくて暖炉は使えませんが……あら、暖炉に火が…?」
「何、火くらい簡単におこせるさ。初級の黒魔法だからね」
 さっと手を伸ばすと暖炉に小さな炎が踊った。クレティアンは自分は濡れたまま、せっせと水浸しになった本を暖炉の回りに干していた。貴重な魔導書なのである。
「それにしても、こんな夜更けに女一人で詰めさせるとは、ディバインナイトらも相当に人員不足なのか? お嬢さんも災難だったな。あなたの上司にあったら文句の一つでも代わりに言っておこう」
「いえ、仕事ですから……」
 メリアドールは、自分に背を向けうずくまって熱心に本を乾かしている青年を見つめていた。クレティアン・ドロワ。名前は知っていた。最近ミュロンドにやって来た若き魔道士。イヴァリースの中でも類い希な秀才で切れ者と聞いていた。島育ちのメリアドールにとっては、本土から来たというだけでも物珍しく、一度話してみたいと思っていたのだった。同じ神殿騎士といえども、騎士と魔道士とでは会う機会がないのである。
 暖炉では静かに火がはぜていたが、外では雷がとどろいていた。かなりの轟音がした。近く落雷したのではないだろうか。にわかに、外回りのローファルの事が心配になった。
 小屋の中ではしばしの沈黙。そして扉を開ける音。ローファルが戻ってきたのだった。
「メリアドール、近くに雷が落ちたらしい。火事にはならなかったようだ。おや、どうやら鼠が入り込んだ模様。深夜に徘徊する不届き者め、何の用だ?」
 剣の鞘でかつかつと床を叩きながら言い放った。
「これはローファルじゃないか。そうか、あなたがこの子の上司か。ならば一言云いたい、いくら仕事とはいえ、こんな夜中に女性を一人にしておくとは無用心じゃないか。それに私は好きで深夜に歩き回っているのではないのだよ。魔道書をわざわざ聖堂図書室まで取りに行っていただけのこと」
「仕方あるまい。名誉あるディバインナイトの役目だ。それにそちらも人員不足か。本の四、五冊くらい部下に行かせればいいものを」
「何、こちらは夜中に女性を一人歩きさせるなんて不粋なことはやらないのでね」
 騎士団とは打って変わって、魔導士たちはほとんどが女性である。
「ふん、口の減らない男め……おっと、言い争いはここまでだ」
 見ると、暖炉の側に座ってメリアドールがうつらうつらと船を漕いでいる。炎の暖かさに安心しきって、すっかり夢の世界に入り込んでいるようだった。
「まったく、床で寝るなんてむさ苦しい真似をするなと何度も言っているのに、困った子だ」
 ローファルはメリアドールを抱き抱えると、近くの藁を詰めて作った布団へと運んだ。
「その子は…」
「知らないのか。メリアドール、メリアドール・ティンジェル」
「ああ、団長の……。これは悪い事をしたな。見たところ見習い騎士の様子、このまま女騎士になるおつもりか」
「父の跡を追ってディバインナイトになるのだと言い張ってな。たしかに剣の腕も良い。こう見えても剛剣の使い手だ。お前の首くらい簡単にへし折るぞ」
「おお怖い怖い。それは勘弁……」
「ならば手を出さない事だな。団長溺愛の箱入り娘だ」
「愛してるなら騎士になどしなくても良いではないのか。たしかもう一人子息がいたはずだろう」
「イズルードな。あれはあれでいまいち剣が立たないので困っているのだ…。落ちこぼれではないのだが、何せ周りが凄腕の騎士ばかりでな。おかげでメリアドールは弟に代わって自分がティンジェル家を引っ張っていくのだと気に負っている節がある。ティンジェル家も伝統ある旧家なのだが早くに母親が亡くなっていて、裏では大変なのだよ。そうでなければメリアドールだってもう少し楽な道を選べたはずだ」
「父親は……ヴォルマルフ様は愛娘を騎士にすることへの抵抗はなかったのか」
「彼女をディバインナイトに叙するのも、父親なりの愛情なんだ。騎士ともなれば、いざ戦争になると前線に飛ばされる。ヴォルマフル様はそんなことはさせたくなかったのであろう。ディバインナイトなら主な任務は聖堂の守護だから、そうそう戦地に赴任することもないはずだ」
 語る間も、ローファルはずっとメリアドールの寝顔を見守っていた。可愛くて可愛くて仕方がない、とでも言いたげに。
「クレティアンよ、この子をどう思うか」
「何です、出し抜けに」
「お前は王都で暮らしていたこともあっただろう。王都の娘たちはさぞ綺麗に着飾っていたのではないかな。うちの娘は剣の修行をするより他に趣味がないと言っても良いくらいでね。お洒落の一つでも早く覚えてほしいものだ……。そうだ、クレティアン、ベオルブのご令嬢とも顔見知りだったな? あの娘はどうであったかな」
「アルマ嬢か。貴族の娘らしく、おとなしい、静かな子だった気がするな。だが、何も着飾るだけが女の魅力ではないぞ。私なんかは、こう、根のしっかりとした、素朴な女性の方に心惹かれますがね……。それに時期がくれば、自ずと女になりますよ」
「時期か、メリアドールはもう20にもなるんだぞ。このまま修行を積めば立派な騎士になるだろうが、だが、このまま放っておくのも、気が進まない。騎士として女を捨てさせる訳にはいかない」
「求婚者の一人や二人はいるでしょう?」
「勿論。ごまんといるさ。だが、ヴォルマフル様の鉄壁の守りがな。父親は娘を手離したくないようで……」
 ローファルは身を屈めて、眠るメリアドールの頬におやすみ、とキスをした。
「どうだクレティアン、一つ頼まれてくれないか」
「何を」
「メリアドールにな、教えてやって欲しいのだ、年頃の女の立ち振舞いというものをな。私はこれから仕事に戻る」
「ふむ、考えておこう……」
 オレが手を出してもいいんだな、とクレティアンはつぶやいた。

 

 

「ん……」
 メリアドールは目を覚ました。夜は明けつつあり、朝方のすがすがしい空気が部屋に満ちていた。そしてはっと飛び起きた。
「あれ、私、昨日そのまま寝ちゃったの?」
「おはよう、メリア」
 ローファルが側で声を掛けた。
「ゆっくり眠れたかな」
「ああっ隊長、ごめんなさい…」
 慌てて頭を下げようとするメリアドールにローファルは優しく声を掛けた。
「そんなに気を使うな、メリア。今は誰もいないし、昔みたいに挨拶して欲しいよ」
 メリアドールはあたりを見回すと、ローファルに抱きついた。
「おはよう! ローファル小父さん、大好きよ!」
 頬にキスをすると、お互い幸せそうに見やった。メリアドールは父親代わりだったローファルにすっかりなついていた。この物静かな男性が大好きで、二人の時はいつだってこうしてキスをしていた。彼に就いて剣を習うことになってからは、いつまでも甘えてられないとけじめをつけたが、やはりこうして甘えてられるのは嬉しかった。ローファルもまた、我が娘のようにメリアドールを可愛がっていた。
「最近ね、イズが冷たいのよ。話しかけても素っ気ない返事ばかりで寂しいの」
「そろそろイズルードも姉離れの時期じゃないかな。どれ、寂しかったらいつでも私の胸に飛び込んでおいで!メリア!」
「ふふ、遠慮しておくわ、隊長さん」
 メリアドールが首を振ると、首もとにほつれた彼女の綺麗な髪の毛が軽やかに躍った。メリアドールは手早くフードを被ると身支度を整えた。そこには凛々しい騎士の顔があった。
 朝まだき。白々と明けゆく夜は、透明な空気を湛えていた。気の早い鳥たちがさえずり始め、それに唱和するかのように、どこからともなく歌声が聞こえてきた。
「朝の点呼までに戻らないと……ね、ローファル小父さん、外に誰かいるの? 昨日の人?」
 外に響く歌声が気になってしょうがないといった様子でメリアドールは尋ねた。
「そう、昨日来た人だよ。昨晩は騒々しくて悪かったね。気になるなら行って挨拶してくると良い」
「でも何て言えばいいのかしら……」
「行って、さっきの歌を褒めてやると良い。あれで素直な男だから喜んでくれるさ。薬草摘みの人手が足りないと嘆いていたな。ついでに手伝ってやるといいんじゃないかな、ほら、これは預かっておくから」
 ローファルはメリアドールの持っていた剣を取った。これは暗に、しばらく自由にして良いという事であった。隊長直々の暇をもらったおかげで、外が気になりそわそわとしていたメリアドールは喜んで小屋の扉をくぐっていった。あとにはローファルが一人残された。
「メリアももうすぐ20、もう20歳なのか……早かったな。あっという間だった」
 外の爽やかな空気に囲まれ、部屋には、物音一つしない静寂が漂っていた。かつかつと、ローファルは壁際まで歩くと、壁にもたれた。
「一人になるのは、意外と、寂しいものだな……」
 先程までメリアドールが握っていた剣を抱き締める。ずっと手元に置いておきたかった。このままずっと――。
 小屋の外には巣立ちの時を迎えたらしい若鳥が二羽、歌い交わしていた。
「潮時だな。巣立ちも自然の営み、神の摂理か――。せっかく外の世界に出たんだ、うんと可愛くなって帰ってくると良い――」

 祈りの歌、それがこの世で一番美しい言葉だと教会は教える。だが、他にも美しい言葉は世界に数多くある。愛の歌であったり、グレバドスの伝承が伝え残さなかった伝説の類、勇ましい戦士たちの物語。
「たくさん、お歌を知っていらっしゃるのですね。あの、素敵な歌声ですね。私、つい聞き入ってしまいました。ね、ドロワ様」
 クレティアンは後ろからおずおずと歩いてくる女性の気配を感じていた。もちろん彼女が誰なのかも知っている。
「なぁに、昔、吟遊詩人として世界を遊歴していてね…」
「ご冗談を。アカデミーで勉強していた方が詩人なんて」
「ふふ、お早う、ティンジェル嬢。昨日は失礼しました。ヴォルマルフ様のお嬢様と知っていればあんな騒々しい真似をしなかったものを…」
 お嬢様、そう呼ばれてメリアドールははっとした。そんな丁寧に名前を呼ばれたことなどなかった。気持ちが落ち着かず、不思議な感覚になる。
「お、お嬢様ですって…や、やめてください…」
「世が世なら貴方も立派な貴婦人でしょう。それに、たとえいかなる時代であっても女性は尊く、気高いもの。どうぞ気丈になってください」
 クレティアンはメリアドールの手を取るとキスをした。そして道を示した。
 こんなことをしてもらうのは初めてでとまどうメリアドールにとっても、その行為が何であるのかくらいは分かっていた。この人は私をエスコートしてくれているのだ。雨上がりのぬかるみを避け、草の上へとさりげなく誘ってくれている。それは分かっていても、その後どうすべきかは分からなかった。素直に付いていけば良いのだろうか。お礼を言うべきか。都会の淑女はこの時、どうするのだろうか。断って一人で歩いていくのが礼儀かしら。考えは堂々巡って、結局その場に棒立ちになったままであった。剣の道はきっちり教え込まれても、男女の社交については、誰も、教えてくれる人がいなかった。
「あの、どうしてドロワ様は私に良くして下さるんですか。まだ見習い騎士の私に……やっぱり、わたしが、団長の娘だから……」
「おや、これはローファルは本当に何も教えなかったと見える。お嬢様、男が興味のない女性をわざわざエスコートするとお思いに? まさか。分からないのなら私が教えよう、おいで――足元には気を付けて」
 ふわ、と身体が浮かぶような心地がした。
 それは初めての気持ちであった。嫌なものではなかった。この人の手の引く方へ、と身体が自然に動いた。

 

 

 道を歩いていたイズルードははた、と立ち止まった。視線の先にはメリアドールがいた。訓練の後でお互い声をかけ合う、姉弟のいつもの日常とそう変わるものはない。ただ一つ、メリアドールが両手に花を抱えていることを除けば。
「姉さん、どうしたの。花なんか持って珍しい」
「ドロワ様と一緒に薬草摘みに行ってきたの。根の部分しか使わないんですって。お花は捨てちゃうのかと思って聞いたら私にくれたわ」
 メリアドールは楽しそうに話す。
「ふぅん…それで、どうするの、それ」
「花は大切な人に贈るのものだって教えてもらったわ」
 じゃあオレにちょうだいよ、とイズルードは姉にねだったが、優しく一蹴された。
「だめよ、隊長にあげるの。イズも欲しかったら自分で摘むといいんじゃない?」
「それじゃあ意味がないじゃん…いいな、ローファルばっかり」
 それからしばらくの間、ローファルの机を野の花が飾ることとなる。それを見るたびクレティアンは嬉しそうにしていた。
 あたりには、ほんのり暖かな花の香りがあふれていた。新しい季節がやってきたのだ。

 

 

ユールタイド・ミスルトゥ

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・ハッピーバースディ・ディア・マイ・レディなメリアドールさんお誕生日SS(×クレティアン前提)

 

 

 

ユールタイド・ミスルトゥ

 

 

 
「メリアさん、お届け物です」
ラムザの手から渡された、小さな小包。
「誰から?」
「さあ、通りすがりの男の人から。名前も顔も知らない人だったけれど、ガリランドの士官学校の出身って言ってたから、僕の先輩だったのかも。覚えてないけど。メリアさんに直接渡して欲しいって頼まれたんだ。受け取りたくなかったら、受け取らなくていいって」
それはとても軽かく、手紙のようだった。けれど中には手紙は入っていない――緑色の、赤いリボンで根元を結わえた小ぶりな植物飾りをのぞけば。
所書きもなく、人づてに渡された小さな贈り物。
「何かしら、これ。よくわからないけれど、もらっておくわ。怪しいものではないと思うし」
おそらく、赤いリボンを見れば、きっと何か優しい気持ちがこめられていると思ったから。
なぜなら、今日は冬至祭の日だから。人々の間でささやかな贈り物が交わされる日だから。

「メリアドール、何をもらっただ?」
「草」
アグリアスが訊ねる。
「ふむ、見たことがあるな。白魔道士が杖にその植物を編み込んでいる姿を知っている」
「そう、戦闘用のアクサセリーかしら?」
「いや……冬至祭の飾りなのかもしれない。この季節になると実家にそれを飾りつけていた。あいにく、私はそういった趣向には詳しくなかったが」
「貴族の文化なのね。ラムザは何か知っている?」
「うーん、そういえば、冬至祭の日に同級生たちが配っていたかも。僕も何回かもらったことがあるけど、そういえば魔法の呪具だったのかな」
「じゃあ、ラムザ、あなたがもってたら? 隊で一番魔法を使うのはあなただと思うから」

「あら、それはミスルトゥね。だめよ、そんなに簡単に恋のおまじないを配ってしまっては駄目よ」
私たちの会話をそれとなく聞いていたらしいレーゼが笑いながら言った。
「ミスルトゥ?」
「恋?」
「まじない?」
私たちは、三人で同時に、顔を見合わせた。
この手の話題は、彼女が一番詳しい。
「このミスルトゥは、冬でも枯れない緑の植物ってことで生命力の象徴として扱われるの。だから白魔道士の人が愛用してるわね。でも、この植物にはもっと別の意味で使われることもあるわ――特に、冬至祭の日のミスルトゥはね。恋人のお守りなの。ミスルトゥの下では、女性は男性のキスを拒めないって伝説があるの。だから……ミスルトゥを贈られるってことは……その意味は、わかるわよね?」
「へぇ、素敵な伝説があるんですね……え、ってことはメリアさん、もしかして、プロポーズ?!!」
のんびりしていたラムザが急に慌て出す。
「そうか、恋人がいたのか、ならば私らに気兼ねすることなく二人で会ってくるといい」
「恋人なんていないから! 違うから! 返してくるわ、こんなもの……」
「あらあらメリアドール、ご機嫌ななめね。いいじゃない。だってこの日のために用意して、待っていてくれたのでしょう? その人は」

想いを伝えるために一年。
たった一日のために、一年をかけて準備をする。

そんな手間のかかったことをする人とは、性があわないに決まっている。
私はせっかちだから。

「――それで、たかだかミスルトゥを返すためにミュロンドにやてきたのか? しかし残念だな。君が風情のかけらもないあのような戦闘集団にいるとは。君らの若きリーダーが貴族の学校を出ていると知って、せめての望みをかけたが……世間知らずの坊やだな」
「ラムザはあなたほど、横柄でもなく、傲慢でもない。知ったような口をきかないで」
「その意思表示をするために、<これ>を返却するのか?」
「冬至祭のミスルトゥは受け取りません。そんな簡単に私に求婚できると思わないで」
「つまり?」

想いを伝えるために一年。
たった一日のために、一年をかけて準備をする。

私にはできない、その、深い気持ちにだけは答えてあげてもいい。
なぜなら、今日は冬至祭の日だから。人々の間でささやかな贈り物が交わされる日だから。

「今日は私の誕生日なので、誕生日の贈り物として受け取ります。ありがとう、クレティアン」

 

 

 

2019.12.24