誇りを失った騎士:第ニ幕

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誇りを失った騎士

  

第二幕

  

 第一場 オーボンヌ修道院。僧房。
 修道院院長の生活する一室。机と書架があり、部屋の片隅には祭壇も設けられている。部屋に飾りはないが、本が散乱している。修道院は神殿騎士の襲撃を受けており、外は騒然としている。叫び声、剣戟の音など。扉の向こうから、院長を呼ぶ声が上がる。シモン、それには答えず、部屋に留まる。

シモン (独白)修道院で血を流すとはなんという狼藉! 神殿騎士団! とうとう飼い主への礼儀を忘れたか! わきまえ知らぬ犬どもめ! おまえたちが剣を持っているのは何のためだ! 誰のために剣を持っている! 教会の騎士が、修道院の信徒を襲うとは、なんという過ぎたことを! おまえたちを騎士に叙して、その贅沢な暮らしを支えているのはこの教会だというのに! この報いは心してうけるがよい、世を知らぬ若き騎士どもよ――

  (扉の外から、シモンを呼ぶ声)

シモン (答えて)ああ、分かっている。私は大丈夫だ。だから落ち着いて行動するよう皆に伝えなさいだ。何!? 地下書庫への扉が破られたと! ――ああ、なんということだ! あの書庫が――とうとう私の手を離れて、あの横柄を捌く犬どもに踏み荒らされるとは! (泣き崩れる)――あそこには私の全ての生涯が詰まっている。私はあらゆる手を使って――たとえ信仰を棄てようとも――あの書庫を守り抜いてきた。あの書庫はそれだけの、命を捧げる価値があったのだ。私は己の信仰と良心を犠牲にした。そうして私はあの幻の聖典を我が手にしたのだ! 若き騎士らよ、おまえたちにその価値が分かるか!? ――到底、分かるまいな! 何に価値があるかも分からず、知ろうともせず、ただ命令に従うことしか出来ない哀れな盲目の騎士たちよ! だからいつまで経っても教会の犬と揶揄され続け、信頼を回復出来ぬのだ。犬畜生め! とっとと書庫から出て行け! 誰がおまえ達にこのような野蛮な命令を下した? あの貪欲卑賤なあの王[教皇]か? いいや、それとも、こう卑劣な襲撃を考えるのはむしろあのミュロンドの騎士団長のやりかねんこと――たしか名前は――

  (扉の外から、再びシモンを呼ぶ声)

シモン (答えて)大丈夫。ここはまだ安全だから――何、彼らは聖石を欲していると? (胸をなで下ろして)そうか、聖典を狙っているのではないのか、それは安心した――(慌てて否定して)ならん! 処女宮のクリスタルは王家から信頼の証として預かり申しているもの。そう簡単に手放す訳にはいくまい。聖石は渡せぬと、彼らにたしかに伝えなさい! ――そうだ、思い出したぞ。あの騎士団長の名前はヴォルマルフ! なかなかのやり手と聞いたが、たしかにそうだ。あの腐りきった神殿騎士団を、新生ゾディアックブレイブと呼ばせるまでに、信頼を勝ち得たのだから、相当な手腕だ。まごう事なき獅子だ。私も異端審問官だった頃はなかなかに名を馳せていたが、あの熟練の老騎士にはかなわぬな――それにしても、聖典でなく、ゾディアックストーンを欲するとは――それもそうか、あのクリスタルは、神の奇跡を起こす神器、いや、悪魔の依り代――いやいや、私にはそんなことは、どちらでも良い。どちらにせよ、一個の聖石は一個の騎士団に相当する戦力。子飼いの騎士らに真っ先に聖石を盗ませるのは、手っ取り早い、堅実な戦略だな。だが聖石の真価は――(間)――

  (シモン、その場で腕を組んで考え込む)

シモン (続けて)――聖石の真価は、何もその秘められた力にだけあるのではない。誰も気付いていないだろうが――況んやあの若き騎士らは――クリスタルの価値はその知の集積にこそ宿るもの。あれが神器と呼ばれるのは、そこに死者の魂が宿るから。魂を宿した器なのだ。代々の魂が積み重ねられたものだ。すなわちそれは歴史そのもの! (吟じて)戦士は剣を取り胸に一つの石を抱く、消えゆく記憶をその剣に刻み、鍛えた技をその石に託す。物語は剣より語られ、石に継がれる――古えの言い伝えの通りだ。クリスタルは歴史を物語る。人の世は短く、人の言葉は少ない。歴史を記す書物はいつ燃やされ、葬られるか分からぬ。為政者に都合良く書き換えられ、真実は何も残らない。だが、クリスタルに宿る技は偽りを語らぬ。その魂は受け継がれるべきもの。石に刻まれた名前は永遠不滅。私は、歴史の真実を追究するために――この生涯を、この地下書庫に託してきた――書庫! ああ私の魂!

  (シモン、立ち上がり、扉を開けて部屋を出ようとする。数人の修道僧が留まるよう説得するが、振り切って出て行く。外では悲鳴と怒声が響く)

  

 第二場 オーボンヌ修道院。地下書庫入り口。
 夜。修道院附属の来歴ある書庫の入口。石造りの堅牢な建物。天井はなだらかなヴォールトで組まれている。部屋の内部は書架で複雑に仕切られている。奥に地下へ続く階段があるが、舞台からは見ることが出来ない。若い兄妹が暗闇の中を手探りで進む。 ラムザ、アルマ、シモン。

アルマ 兄さん。
ラムザ (返事をしない)
アルマ 兄さん、真っ暗で姿が見えないわ。どこにいるの。
ラムザ (返事をせずに、アルマの手を取る)
アルマ 兄さん――いいかげん返事をしてちょうだい! さては私に怒っているのね!(兄の手をふりほどく)
ラムザ 当然じゃないか! こんな危険な場所にわざわざ大事な妹を連れて来るのは馬鹿だけだ!
アルマ 兄さんは馬鹿じゃないわ。もっと馬鹿なだけね。まず、私がいなかったら異端者の兄さんは修道院に入れなかったわ。そんなことも忘れているのかしら。
ラムザ いいや、僕一人だって、どうにかして入れたはずだ。僕は今までもっとひどい戦地だって見てきたんだ。こんな場所に入るのはわけないさ。
アルマ つまり無理矢理侵入するつもりだったのね! それじゃあ、修道院の扉を壊して押し入った神殿騎士たちと大差ないわよ!
ラムザ アルマ! 僕は兄ろして心配しているんだ! 奴らは、修道院に何の躊躇もなく夜襲をかけるような卑怯者だ! もしも、アルマ、君が奴らに見つかったらと思うと――
アルマ 大丈夫よ。私だって、自分の身は自分で守れるわ。私は回復魔法だって使えるのよ。 
ラムザ 奴らは、替え玉を使って、王女誘拐にだって介入しているくらい、小賢しい連中だ。どんな手を使ってくるか想像も出来ない。気を付けた方が良い。――アルマ、ところで、ここは一体どこなんだ。どうしてこうも道が複雑になっているんだ! ちっとも前に進めないじゃないか!
アルマ 修道院の書庫よ。もうずっと、何世紀も前からある立派な書庫。イヴァリースの歴史と哲学がここに収められているの。いつもここで写字生の人たちが本を作っているのよ。それはそれはたくさんの本があるんだから! ――そうね、道がこんなに入り組んでいるのは、きっと私達みたいな乱入者から書物を守るためね。
ラムザ あの神殿騎士たちからもだ!
アルマ いつもシモン先生はこの書庫に籠もっていらっしゃるの。先生は神学者としても素晴らしいなのよ。あまり人前には出てこない方だから、知らない人も多いだろうけれど。もっと公の場に出てきても良いと思うんだけれど、先生は謙虚なお方だから、ご自分の研究を誇ったりなさらいのよ。先生は今日もきっとこの書庫にいらっしゃるはずだわ。(呼びかけて)先生! シモン先生!
シモン ――アルマ様!

  (シモン、書架にもたれて倒れている。兄妹、その声を聞きつけて駆け寄る)

ラムザ シモン殿!
アルマ 先生、しっかり! 今、人を呼んできますわ。
シモン いいや、結構。お嬢様のお手を煩わせる訳には――私は、書庫を守れなかった――彼らは階下へ行ってしまいました。アルマ様、彼らが戻ってくる前にお逃げ下さい。私は――守れなかった――だがしかし、この書庫で果てるのもまた本懐というもの。どうかこのまま逝かせてください――
ラムザ 奴らは既に地下へ行ったか! しかし、何故突然オーボンヌ修道院を――
シモン 彼らが欲しているのは、この修道院の宝である処女宮のクリスタルです。彼らは、何としてでもその聖石を奪っていくことでしょう。
ラムザ やはり! 神殿騎士団はあの悪魔の力を欲しているというのか! もし聖石が奴らの手に渡ってしまったら恐ろしいことになる! 何としてでも阻止しなければ――アルマ、シモン殿を頼んだ。僕は地下へ行く。
アルマ そんなことをしては駄目よ!
ラムザ (アルマに聖石を手渡す)もしもの時のために、この二つの聖石を預けておく。もし僕が戻ってこなければ必ずバグロスの海に捨てるんだ。いいな?
アルマ (聖石を受け取り、頷く)
シモン なんということを! ――聖石を――海に投げ捨てるとは――いけません!
アルマ 先生、もうしゃべらないで!
シモン それは数百年の叡智が詰まった宝玉。一度失われては、もう二度と――どうかそのようなことは――そして、あの、その偉大なる聖石を持ちながら、何も知らない哀れな若者たちに――どうか分からせてやってほしいのです――
ラムザ (アルマに)おまえはここに残れ。僕は奴らを追ってくる。(立ち去る)
アルマ 兄さん! こんな時に何もできないなんて――私も兄さんみたいに男に生まれたかった。そうしたら、私も兄さんと一緒に戦えるのに。兄さんを助けられるのに。
シモン どうか――
アルマ 先生! しっかり!

  

 第三場 前場に同じ
 シモン、その場に倒れている。瀕死。しばらくして修道服を纏ったローファルが現れる。

シモン (気配を感じて)誰だ、そこにいるのは――

  (ローファル、静かに歩み寄る)

シモン (見上げて)おお、その格好は――見慣れぬ顔だが、ここの僧か。
ローファル いいえ、私はミュロンドの神殿騎士。
シモン この狼藉者め――私にとどめを刺しに来たか。
ローファル いいえ。そうではありません。けれど、私の兄弟たちが多大な騒乱を起こした模様。その非礼は詫びましょう。
シモン おまえたちが引き起こした騒動ではないか――僧侶を殺める罪の重さを認めなさい――
ローファル 私は、貴殿がかつて異端審問官として名を馳せていた事を存じております。たとえ手は下さずとも、あなたの命令によって数多の罪なき者どもが――もちろん、真正の魔女もいたはずですが――露と消えていったことでしょう。その数は、決して私どもが手を掛けてきた数と大差はないはず。むしろ、罪なき無垢の者を死に至らせることの方が罪は重いのですよ?
シモン この修道院の僧侶は罪を背負った者どもだと申すか。まあ良い。私が審問官だったのは事実だ。私が罪なき者を殺めてきたのも事実だ。だが、私がその罪によって地獄で焼かれるのは事実ではない――
ローファル それは存分なことで。傲慢と不敬も神の御前で裁かれる罪となりましょう。
シモン 神の断罪も地獄の業火も何するものぞ。信じるに値せぬものをどうして怖れることができようか。
ローファル ほう、オーボンヌ修道院長として、神学者としても名高いシモン・ペン・ラキシュ殿が無神論者だったとは意外な事実。いやはや、これはまったく驚きました。
シモン 今更、詮無きこと。
ローファル 斯様な立場の貴方が神を棄てるにいたったとは、これは深遠なる事情があるのでしょう。私も、礼儀を重んじる騎士ですから、その道程はあえて尋ねませぬ。
シモン いや、何、この立場だからこそ、信仰を見失ったのだ。(咳き込む)――私はもう長くない。何をしに参ったか見当も付かぬが、そこのミュロンドの騎士よ、この老いぼれにいつまでも付き合うことはない――早く――
ローファル 私は貴方に会いに来たのです。シモン先生。
シモン これは奇妙なことを――残念だが私に神殿騎士の知り合いはいない。疾く帰りもうせ。
ローファル 勿論、貴方は私のことを知らないでしょうが、私は貴方のことをよく存じ上げています。もう二十年も前になりますが、ここの修道院で働いていたのです。――この書庫で。
シモン (その言葉に反応し、わずかに顔を上げる)ほう――?
ローファル (地下の階段を見つめながら)下に行った者たちはどうせしばらくは上がってこないでしょうから、せっかくなので私の身の上話でもしましょう。私は、今こそ神殿騎士としてミュロンドに生活を見いだしていますが、元々はここの修道院の荘園の生まれ。家は農家でしたよ。耕せども耕せども、とても裕福とはいえず、両親は修道院へ納める租税にも苦労する始末。そして、税を免除してもらう代わりに末の息子を――私を――修道院に置いていったのです。
シモン 親兄弟に見捨てられた恨みか? それとも重税をしぼっていた修道院への当てつけか? だがそれは先代の修道院長に陳状すべき事柄。私のあずかり知ることではない――
ローファル いいえ、そのようなことは申しておりません。私は修道院に恨みを抱くどころか、感謝すらしているのです。何故なら、ここには食べる物と、寝る場所と、そして仕事がありましたから。私は、ここで天職に恵まれました。ここで、この書庫で、私は書物の書き写しをしていました。私はオーボンヌ修道院の写字生として、長いこと働いていたのです。そこで先生――貴方が長いことこの書庫に籠もって研究に打ち込んでいる様子も見てきました。あれは、随分と骨の掛かる研究だったようですね? 一体何をそんなに熱心に調べていらっしゃったんです?
シモン その真価は誰にも分かるまい。(再び咳き込む)いや、分かってたまるか――若造に――
ローファル (無視して)私はここで仕事をしている頃、ある噂を聞きました。この書庫は地下三階まで広がる広大な書庫。十二世紀にも及ぶイヴァリースの歴史と学問の蓄積が保存されているのだと。しかし、それだけの長い年月を経た書庫には曰くはつきもの。年若き筆写職人たちはこぞって噂話に高じていました。中には何世紀にもわたって秘匿されてきた禁書がこの書庫には隠されているとか、地下の最下層にはには広大な虚無の空間が広がっているとか、まあ、様々でしたね。書物は歴史を語る代物ですから、その歴史を受け継いできたこの書庫は幾代もの王が欲し、その度にここは陰謀に巻き込まれてきたと聞きます。
シモン おぬし、なかなか物分かりが良いようだな――
ローファル ええ、権謀術数の渦中とも言うべき――その意味はご判断に任せますが――ミュロンドで騎士団を率いて生き残る為には、物分かりが良くないといけませんから。馬鹿と阿呆と正直者は真っ先に消されます。私は馬鹿でも阿呆の類でもありません。
シモン しかし、こうもしぶとく生きているとは、正直者でもあるまい。
ローファル けれど、私は誠実に生きてきました。嘘は述べません。単刀直入に言いましょう。私はゲルモニーク聖典を探しています。二十年前、ここでその聖典の在ること無いこと、様々な噂が飛び交うのを聞いて育ちました。噂が出るからには火元があるはずです。その幻の聖典はここにあるはずです。貴方は、今更それを知らないとは、言いませんね――?
シモン あの神殿騎士らは、聖石を探しに――奪いに来たと聞いたが――
ローファル 勿論、聖石も探しています。ですが、それはあの子たちがすぐに回収するでしょう。我々は――少なくとも私は――聖石の真価を知っております。あれがただの権力の器ではないことを。我々が欲しているのは、権力でなく、その古代の叡智――誰かが知識を受け継ぎ、継承していかなければ、歴史は途絶えてしまいます。ご安心ください。我々は、その叡智を受け継ぎ、新たに歴史を築いていこうとしているだけのこと。修道院を襲撃させ、少々手荒い業となりましたが、こうでもしないと、王家は聖石を手放してはくれないでしょうから。
シモン (苦しげに)そ――それを聞いて――安心――した。クリスタルは継承すべきもの、しかし聖典は――何人たりとも、世に――出しては――
ローファル その聖典はどこにあるのです? 我々がその聖典を貴方に代わって守り抜きます。さあ――どこにあるのです?
シモン 地下に、ある――はずだ。だが、約束してくだされ、聖典を見つけたら、決して世に出さないと――必ず――(息絶える)
ローファル 騎士の誇りに誓って、約束しましょう――ゲルモニーク聖典を見つけ出し、必ずやそれを葬り去ると。(シモンに)ファーラム。汝は汝の欲する眠りを得よ。(立ち去る)

  

 第四場 場所指定なし。
 バルク、クレティアン。それぞれ技師、学者の格好に扮している。しばらくしてローファル登場。

バルク フォボハムくんだりまで行くのか。えらく遠いな。
クレティアン 何をしに行くのだろうか。
バルク そりゃあ決まってるだろ。城でお偉いさん方と話しをするためだ。
クレティアン お前はいつ諸侯と同席出来るほど偉い身分になったのだ? ヴォオルマルフ様が大公との歓談のため、リオファネス城へ行くのは自明の事。私がそんなことをわざわざ聞くと思うか。お前は少しは気を回し給え――お前がそんな気配りが出来ればの話だが。
バルク 悪いな。オレはおまえ如きに回すほど度量の広い気は持ち合わせていないんでね。だが、いくらミュロンドの神殿騎士団長とはいえ、わざわざ大公と話し込むことがあるのか。身分が違いすぎるだろう。
クレティアン その発言、とても団長直属の配下の忠臣の言葉とは思えないな。
バルク おっと、オレは騎士の忠誠を誓ったが、それは義務を忠実に果たすための言葉にすぎない。あの団長への忠義を果たす言葉ではないのさ。お前だって、あの男に忠誠を果たしている訳ではあるまい。
クレティアン 私は本当に信頼のおける者にしか頭を下げない主義なのさ。そうだな、たしかにヴォルマルフ様に心酔しきっているのはローファルくらいだろうな。彼のまめまめしさにはまったく頭が下がる。
バルク そのローファルはどこへ行った?
クレティアン オーボンヌへ寄ってから我々と合流すると言っていた。もうじき戻るのではないか。彼はどうやら新生ブレイブ達がきちんと仕事を遂行しているかが心配なようだ。大方、目付役だな。
バルク そうか、まだ戻らないか。ならここらで一杯酒でも浴びていくか――目付役が居ないうちに。

  (戻ったローファル、バルクの後ろに歩み寄る)

ローファル (眉間に皺を寄せて)――お前達、うるさいぞ。何を騒いでいる。
クレティアン バルクが、フォボハムまで行くのは遠くて面倒だから私に酒を買ってこいと。
バルク (クレティアンに)言ってないだろうが! 含みのある要約だな! (ローファルに)わざわざオーボンヌ修道院で何をしていたんだ。
ローファル (バルクに)いいか、嫌ならこのまま貴様をバグロスの海に捨て置いても良いのだぞ、いいな? 修道院に何をしに行ったかだと? ――いや、たいした事ではない。彼らが無事聖石を見つけ仰せたか心配でな。しかし杞憂だったようだ。だがもう一つの宝は見つからなかった。あのゲル――(慌てて)おっと、何でも無い。
クレティアン (独りうなずいて)そうか、ゲルカニラス・バリンテン! 我々が、こうやって、神殿騎士の身分を隠して、ヴォルマルフ様と別隊でリオファネス城まで行けというのも理由あってのことだろう。秘密裏に行動せよというからには、決して公に出来ない仕事だろう。大凡の見当は付いたぞ。ゲルカニラス――あの大公を始末しに行くのだろう。
ローファル 向こうでの仕事は、城でヴォルマルフ様から直々に話があるはずだ。だからフォボハムまでの道中は気に揉まずとも良い。ただ己が身上を隠すことだけを考えるのだ。
バルク 団長の話を待たずとも、オレたちの仕事といえば要人始末以外にないだろ。
クレティアン 教会が表沙汰に出来ない仕事を担うのが我々の役目だからな。まあ、想像には難くない。
バルク 今度は大公の始末か。これは大物だ。腕が鳴るぜ。オレはゴーグでも名の通った凄腕の始末屋だったからな、良い獲物に出会うと血が沸き立つ。たまらねえ。
ローファル (無言で歩く)
クレティアン 凄腕の始末屋か。お前、足と腕しか狙えないだろう。(笑う)
バルク (言い返して)ここで心臓を狙ってやろうか、兄さんよ? お前が魔法をちんたらと一発撃ってる間に、オレは弾を六発撃てるぜ。
クレティアン 凄腕の始末屋のくせに六発も撃たないと仕留められないのか、可哀想な腕だな――
ローファル やかましいぞ。
バルク おおっと、目付役を怒らせたら大変だ。――しかし、大公を殺そうってのはこれはまた随分と大仰な話じゃないか。次代の国王にもなり得る貴族を葬り去るんだからな。
クレティアン 戦局を攪拌させるのが猊下の狙いだろうか。大公は武器王の称号を持っている。今のところ大公は両獅子勢力、どちらにも与していないが、甚大な戦力を持っているだけあって、危険視もされているのだろう。リオファネス城が落ちれば、戦局も変わろう。いや、予防線か。
ローファル (無言で歩く)
バルク だけど他にも貴族はいるだろうよ。先に獅子どもを始末した方がいいんじゃねえの。たとえばゴルターナ――
クレティアン 黒獅子公は直に教会の者が始末することになっている。
バルク ラーグ――
クレティアン 白獅子公は、既に教会が片付ける手配を済ませている。
バルク それは大層なこった。今のイヴァリースで一番力を持っているのは、誰だと思う? それは教会だ。その教会に栄光に誰よりも貢献しているのがオレたちだ。つまり、オレたちが一番力を持っているということだ。素晴らしいことじゃないか。
クレティアン 残念ながら、民衆は、新しきゾディアックブレイブの連中こそが教会に威光をもたらすと考えている。私達が表舞台に立つことはないだろう。
バルク それが唯一癪に障るが仕方ねえな。あいつらが聖石を一個見つけてくる間にオレは毒を撒いて一旅団を殲滅出来る。考えてみろ、どっちが効率的な――
ローファル (低い声で)お前達、うるさいぞ! いい加減に黙らないか! 私の陰陽術をここで披露しても良いのだぞ。今の身分を忘れたか? 何のためにヴォルマルフ様と別行動をしていると思っている。我々の存在を誰にも悟らせないためだぞ? 分かっているだろうな?
クレティアン もちろんだとも。暗殺者が目立ってはいけない。「私は都市から都市を渡り歩く遍歴の学者。リオファネスの城下町にいる学僧を訪ねに旅をしている」
バルク 「オレはリオファネス城にに仕事を探しに行く建築家」だ。ちなみにロマンダの建築技術に詳しい――おっと、これは事実だぜ。
クレティアン 技師という話ではなかったのか。
バルク どっちでも変わらんよ。同じ職人だ。いっそ機工師を名乗るか。そうすれば素のままでいける。
ローファル 黙――
バルク (ローファルに)大丈夫、アンタも立派に修道僧に見える。どこからどう見ても戒律にうるさい、小言を並べ立てるやかましい僧だ。とても神殿騎士には見えない、大丈夫だ。その格好、随分板に付いているな。
ローファル (無視)
クレティアン (小声で)だがしかし、その僧服の下に鋭い剣を隠し持っているとは――
バルク (小声で)誰も気付くまい――

  

 第五幕 地下書庫。地下一階。
 オーボンヌ修道院の書庫。高低差のある舞台。背面に書架があり、手前に階段。書架に繋がっている。ラムザとウィーグラフが対峙している。お互い手に剣を携えている。

ウィーグラフ (独白)私には夢があった。とても大きな夢だった――。(振り返り、ラムザに)こんなところで会えるとはな! 久しぶりだな、ラムザ! 我々は既に処女宮のクリスタルを回収している。。もはやこの陰鬱な修道院に何らの用はないが、ここでおまえに会ったからには、ミルウーダの仇を取らねばなるまい。(階上に向かって)イズルード! 後は頼んだぞ!
ラムザ おまえはウィーグラフ! 生きていたのか! 何故そこまでして聖石を欲するんだ。あさましいぞ! 
ウィーグラフ ベオルブの御曹司が何をたわけたことを。私はおまえよりずっと物を知っている。世間を知っている。現実を知っている!
ラムザ 僕はもうベオルブの一員でもない――あなたも、世間を知っているというのなら、枢機卿の死も知っているはずだ。あれがただの不幸な死ではなかったことを。聖石は悪魔の石だ。それを知っていてなおも望むとは――あなたもイズルードと同じ様に、何も知らないだけだ――
ウィーグラフ 何だって? 枢機卿がどうしたと? 私が聖石を求めるのは、私がゾディアックブレイブの一員だからだ。おまえに想像出来るか? 私がいかほどの期待と重荷を背負っているか――私たちは何としてでも、聖石を持ち帰らねばならないのだ。ここまで来て聖石を持ち帰らないことは許されない。私は私の義務を果たすまでのこと。
ラムザ 義務! 義務だって! 本心では権力を欲しているくせに、それを体の良い言葉で取り繕っている。偽善だ! あなたは、権力を得るために教会に取り入ったのだ。
ウィーグラフ 私が欲しかったのは権力などではない。だが、権力がなければ理想は実現出来ないという事を知ったからこそ、力を欲したのだ。私は、権力の先にある理想を得ようとしただけのこと。おまえは辛い現実を知りもせず、家名を棄てて逃げ出し、掴めようもない夢を追い求めている。私は辛い現実を知ったからこそ、その悲惨な生活の上に理想の生活を築けるよう、最も堅実な道を選んだのだ。理想は実現しなければ、ただの夢で終わってしまう。だから――
ラムザ 偽善だ、偽善だ! さっきから理想理想と叫んではいるが、具体的に何をしようというんだ。今の支配体制を壊して、そこに新たな支配体制を作るだけのことだろう? その頂点にグレバドス教会があるならば、それは今の王権制度と何ら変わらない! ただ支配者が変わるだけであって、搾取され続ける民の苦しみは全く変わらない! 真の革命家は、旧体制を壊して、そこに新たな価値体系創造する人達だ。彼らはこの世の中に革新の息吹を吹き入れる。あなたの思想や行動は人々の価値観に影響を与え、それは我々貴族の古い慣習にも一石を投じた。だけど――あなたは、もはや革命家でも理想家でもない。ただの教会の犬に成り下がってしまったのだ――
ウィーグラフ 私は――
ラムザ もしあなたが本当に現実を知っているならば――知ろうとしているならば――神の奇跡で民を導こうとは思わないはずだ。本当にそれが出来ると?
ウィーグラフ 出来るさ――民の心は弱い。神の奇跡を願わねば生きていけない程、この世に悲惨で、暗黒に満ちている。私はその暗澹な日々をこの目で見てきた!
ラムザ いくら理想を語ろうとも、教会の犬になり果てたあなたにそれは為し得ない。夢や理想は、誰かの手を借りて実現しても価値が半減してしまう! そうじゃないのか、ウィーグラフ! あなたは、あなたの考えで行動するところに意義があったのだ。ミルウーダやあなたの仲間だった人はたとえその選択しかなかったとしても、今のあなたを残念に思うだろう。
ウィーグラフ 残念に思う? 何も知らないおまえには言われたくないな――ジークデン砦で何もかもを棄てて遁走したおまえには、私の事など分からないだろう――全く! 私の苦労など! 私の仲間が私を哀れむとでも? まさか! 見ろ、奴らは今の私を見て鼻で笑っていることだろう! ――(間)――そうだ、私は、権力を欲したのだ。もはや私はギュスタヴを斬り捨てた過去の私とは決別した。教会の犬と罵られようと、いっこうに構わない。何とでも言え! おまえたちに責められる覚えはない! だが――(呟く)――何故こんなにも惨めなのだ――
ラムザ ――それはあなたが夢を持っているからだ。あなたは誇りを棄てた。それでもあなたは、なおも夢を見続けようとしているからだ――僕はあなたの思想に共感していた。尊敬すら――
ウィーグラフ (剣を抜く)いいや、おまえはありもしない革命家の存在を信じ、その幻想を見ていただけだ! 望みもしない称賛を受け、望みもしない軽蔑を受ける覚えはない! 私は、おまえたちに責められる覚えはない!
ラムザ (剣を構える)
ウィーグラフ (独白)イズルードもいつか私に幻滅し、軽蔑するのだろうか――

  (両者、激しく打ち合う。剣戟の音)

  

 第六場 森。
 夜明け前。オーボンヌ修道院近郊。地面には枯れ木が散乱している。場面中央に廃墟。中でイズルードとアルマが身を潜めている。

イズルード ウィーグラフを置いてきてしまったのが気がかりだ。だが、今更修道院には引き返せない。
アルマ あの人――
イズルード ウィーグラフを知っているのか。
アルマ あの人たちがお金欲しさにティータを攫って、人質にして殺したのよ。
イズルード そんなはずはない! 彼は高潔な騎士だ! 身代金のために誘拐を犯すなんて、そんな卑劣な行動を許すわけがない! そもそも、彼の妹ミルウーダはラムザに殺されたというじゃないか!
アルマ そんなはずはないわ! ラムザ兄さんはベオルブ家の中で一番正しい人よ! 何も考えなしに誰かを殺すような人じゃないのよ!
イズルード 彼だって!

  (二人、沈黙)

アルマ あなた悪いひとね。
イズルード そんなことはないさ。オレたちが目指しているのは、アジョラの唱えた理想郷。誰しもが平等に暮らせる世界だ。家を飛び出したきみの兄貴も同じことを考えているのだろう。どうして教会に刃向かい、我々と対立しようとしているんだ。
アルマ それは兄さんが正義を重んじる人だから。残念でも何でもないけれど、あなたと兄さんは全く違うわ。どうか同じ志を持った人だなんて思わないで。兄さんは、夜中に修道院を襲ったりはしない。
イズルード きみはまだ子供だな。世の中、話せばわかり合える人ばかりじゃないんだ。
アルマ どうやらその通りみたいね。あなたも、私に話すより早く気絶させたしね。(顔を背ける)
イズルード (機嫌を取って)――すまなかった。次は、平穏に話し合える場所で出会いたいね。そうすれば、きみが望む言葉を、好きなだけあげるから――(アルマの手を取る)
アルマ (払いのけて)礼儀を知らない人は嫌いだわ。
イズルード どこにそんな不届き者がいるんだ。そんな男はオレがすぐに始末してくれよう。
アルマ なら私は、どうやって自分が自分を始末するのか楽しみに見ているわ。
イズルード 冗談だって――やれやれ、婦人相手のサーヴィスは気骨が折れるな!
アルマ 頼んでもないご奉仕をしてくださるなんて、世の中には随分とお節介な人がいるものね。それに、私聞いたわよ。あなた、貴族の腐った豚は嫌いだって。
イズルード それは言葉の綾というもの。きみは豚なんかじゃない!
アルマ (怒って)当然よ!
イズルード ただの比喩を――いいや、ややこしくなるからたとえを使って話すのはやめよう。きみは、もっと、ずっときれいなひとだ。
アルマ まあ! あなたは嘘をつく悪いひとね――
イズルード そんなことない――これは嘘ではない――(顔を伏せる)

  (二人、沈黙。互いに伏し目がちに視線を交わす)

イズルード ――(間)――どうやら、悪い魔法に掛けられたようだ。
アルマ 私は傷を癒やす魔法しか使えないの。だけど、(赤面しながら)この傷は私にも癒やせそうにないわ――
イズルード オレだって魔法は使えない。
アルマ じゃあこれは魔法じゃないのね――(二人、キスをする)――いけないことだわ! 魔法でもないのに! こんなこと、恥ずかしくてとても出来ないわ!
イズルード ならば、酒に酔えば良いだけのこと。飲み干そうではないか、恋の杯を――
アルマ 飲みたくないわ。
イズルード 飲ませてあげるよ――(二人、キスをする)――(独白)オレはさっきから何を言っているのだ! 何をしているのだ! 早く聖石を持っていかなければ! ウィーグラフから託されたこの聖石を!
アルマ 悪いひとね。こうやって適当に言いくるめて、私を攫ってあの人たちの元へ連れて行くのでしょう。
イズルード そんなことは――
アルマ そして私を殺すのでしょう。
イズルード そんなことはしない!
アルマ いいえ、きっとするわ。あなたが手を下さなくても、きっとあなたの仲間たちがそうするでしょう。ティータが――私の親友がどういう目に遭ったか、私はよく覚えているわ。利用され、利用する価値さえなくなったら家畜のように殺されるだけ! 兄たちは理想のための革命だ、国のための戦争だと言うけれど、いつだってその皺寄せにされるのは私達底辺の人間よ! 私は貴族で、恵まれた家に生まれ、多くのものを持って暮らしてきたけれど、私はちっとも幸せじゃなかった! 私はベオルブの家に生まれて、生まれたその時から修道院に預けられて、祈りと勉強の他に楽しみはなく、外の世界に出る時は、誰か兄たちが見つけてきた人と結婚する時なのよ。私は、私の生まれたこの時代が好きよ――だけど、この世に生まれた時から、その人生を呪わなければいけない人たちもいるのよ。あなたたちはそういう人を踏み台にして、新しい世界を築こうとしているのよ。あなた、地に這って暮らす人々の――修道院から出ることさえ出来ないような人々の――涙に気付いたことがある? (泣く)
イズルード アルマ――(抱きしめる)
アルマ (抱き付く)お願い、私をあの人たちの元へ連れて行かないで、せめて一人でこのまま行かせて。このまま誰かに人質にされ、利用され、何をすることもなくただ殺されるのはたまらなく嫌! 私は誰のものでも無い、私の人生を生きたいの。
イズルード (独白)どうすれば良いんだ。ベオルブの娘を連れてこいとの父の命令だ。オレ一人ではとても判断出来ない。父の命令ということは、即ち教皇猊下の命令でもある。このまま、彼女を行かせたら、命令に盛大に反することになる。宣誓不履行だ。騎士の名折れだ。民衆の期待を裏切る。オレはこのゾディアックブレイブの称号をたった数日で手放すのか? こんな形で――それに、瀕死のウィーグラフから聖石を託されたというのに、その信頼をも裏切るのか? 彼女のために? それとも、彼女をこのまま行かせるべきなのか?
アルマ (抱き付いたまま)お願い――
イズルード (続けて)だが今ここで、このひとを手放したらおそらく、二度と会えない――
アルマ (そのまま)よく考えてみて、あなはきっと真面目で誠実な騎士だわ、イズルード。あなたは今すぐ教会から手を引いて足を洗うべきよ。兄さんは、聖石を見てこういったの。悪魔の石と。兄さんは枢機卿が聖石に魂を吸われたと言っていたわ。だって、ライオネル城の惨状を聞いた? 死体はどれもひどい圧死だったそうよ。枢機卿は病死したんじゃないわ。聖石の呼び出した悪魔に殺されたのよ――恐ろしい力だわ。教会は神殿騎士団に聖石を集めさせているけれど、それは何のためだか考えたことがある? あなたは何も知らされていないだけよ。いずれ真実を知ったら、きっとあなたは兄さんと同じ決断をするわ。きっと! だから早く、手遅れになる前に、その剣を棄てて――!
イズルード (アルマを離して)オレが教会を棄てるだって! (独白)――どうして殉教でなく背教をしなければならないんだ! おぞましい! オレはずっと教会に忠誠を誓って、神殿騎士として誇りを持って生きてきた。その誓いの剣をどうして、いとも容易く棄てられようか。そんなことは絶対にありない!
アルマ どうして黙っているの。あなたはきっと、自分で考えて、自分で選択をしたことがないでしょうね――だからこうして修道院を襲撃して聖石を強奪――その聖石は王女様のものなのよ――したんだわ。兄さんだって、かつてはそうだったの。でも、兄さんは、自分で自分の道を選んだのよ。全てを棄てて逃げ出すという選択を。名前を棄て、騎士の剣も持たず、仲間と道を違い、異端者の烙印を押され、それでも兄さんは自分の正しいと思う道を歩んでいるわ! 教会がイヴァリースを戦乱に陥らせ、裏で手を引いていると知っているのよ。だから、全てを敵にまわしてでも、教皇の陰謀を阻止しようと――
イズルード それは事実ではない! グレバドス教会が、そんなことをするはずがない! するはずがない!
アルマ 兄さんはその目で真実を見てきたのよ! 私は、あなたにそんなことをして欲しくないのよ。あなたはきっと悪いひとじゃないもの――
イズルード (独白)この剣を決して手放すものか! この忠誠を決して破るものか――全てを棄てて敗走することなど出来るものか――
アルマ 夜が明けたら、誰かに見つかるわ。それまでに行かないと。あなたが本当に求めているのは平等の世を築くことでしょう? それとも神の国の名前が欲しいだけ? 
イズルード (沈黙)
アルマ あなたが名誉のためだけに生きるのではない、本当の騎士なら――
イズルード (無言で腰の剣に手を掛ける)
アルマ (黙って見詰める)

  (イズルード、震えながら剣を地面に置く)

イズルード (静かに)――一緒に行こうか。
アルマ やっぱり一人では行かせてくれないのね。
イズルード 父の元へは連れて行かない。
アルマ じゃあ兄さんの元へ連れて行ってくれるの。急がないと、もう日が昇ってる。もし誰かに見つかったら――
イズルード 兄貴の元へも返さない。(キスして)一緒に逃げようか。そして世界の涯を見にいこうか。そしてその先にある永遠の夜の国へ。まぶしい光でなく、穏やかな暗闇が住まう憩いの国へ――(再びキス)
アルマ 私を攫おうっていうのね。ああ、あなたはやっぱり悪いひとだったわ――とても――

  (アルマ、タウロスとスコーピオをイズルードに手渡す。イズルード、それを丁重に受けとる。突如、暗転。襲撃の物音)

  

 

  

>第三幕

  

ユールタイド・ミスルトゥ

.

 
・ハッピーバースディ・ディア・マイ・レディなメリアドールさんお誕生日SS(×クレティアン前提)

 

 

 

ユールタイド・ミスルトゥ

 

 

 
「メリアさん、お届け物です」
ラムザの手から渡された、小さな小包。
「誰から?」
「さあ、通りすがりの男の人から。名前も顔も知らない人だったけれど、ガリランドの士官学校の出身って言ってたから、僕の先輩だったのかも。覚えてないけど。メリアさんに直接渡して欲しいって頼まれたんだ。受け取りたくなかったら、受け取らなくていいって」
それはとても軽かく、手紙のようだった。けれど中には手紙は入っていない――緑色の、赤いリボンで根元を結わえた小ぶりな植物飾りをのぞけば。
所書きもなく、人づてに渡された小さな贈り物。
「何かしら、これ。よくわからないけれど、もらっておくわ。怪しいものではないと思うし」
おそらく、赤いリボンを見れば、きっと何か優しい気持ちがこめられていると思ったから。
なぜなら、今日は冬至祭の日だから。人々の間でささやかな贈り物が交わされる日だから。

「メリアドール、何をもらっただ?」
「草」
アグリアスが訊ねる。
「ふむ、見たことがあるな。白魔道士が杖にその植物を編み込んでいる姿を知っている」
「そう、戦闘用のアクサセリーかしら?」
「いや……冬至祭の飾りなのかもしれない。この季節になると実家にそれを飾りつけていた。あいにく、私はそういった趣向には詳しくなかったが」
「貴族の文化なのね。ラムザは何か知っている?」
「うーん、そういえば、冬至祭の日に同級生たちが配っていたかも。僕も何回かもらったことがあるけど、そういえば魔法の呪具だったのかな」
「じゃあ、ラムザ、あなたがもってたら? 隊で一番魔法を使うのはあなただと思うから」

「あら、それはミスルトゥね。だめよ、そんなに簡単に恋のおまじないを配ってしまっては駄目よ」
私たちの会話をそれとなく聞いていたらしいレーゼが笑いながら言った。
「ミスルトゥ?」
「恋?」
「まじない?」
私たちは、三人で同時に、顔を見合わせた。
この手の話題は、彼女が一番詳しい。
「このミスルトゥは、冬でも枯れない緑の植物ってことで生命力の象徴として扱われるの。だから白魔道士の人が愛用してるわね。でも、この植物にはもっと別の意味で使われることもあるわ――特に、冬至祭の日のミスルトゥはね。恋人のお守りなの。ミスルトゥの下では、女性は男性のキスを拒めないって伝説があるの。だから……ミスルトゥを贈られるってことは……その意味は、わかるわよね?」
「へぇ、素敵な伝説があるんですね……え、ってことはメリアさん、もしかして、プロポーズ?!!」
のんびりしていたラムザが急に慌て出す。
「そうか、恋人がいたのか、ならば私らに気兼ねすることなく二人で会ってくるといい」
「恋人なんていないから! 違うから! 返してくるわ、こんなもの……」
「あらあらメリアドール、ご機嫌ななめね。いいじゃない。だってこの日のために用意して、待っていてくれたのでしょう? その人は」

想いを伝えるために一年。
たった一日のために、一年をかけて準備をする。

そんな手間のかかったことをする人とは、性があわないに決まっている。
私はせっかちだから。

「――それで、たかだかミスルトゥを返すためにミュロンドにやてきたのか? しかし残念だな。君が風情のかけらもないあのような戦闘集団にいるとは。君らの若きリーダーが貴族の学校を出ていると知って、せめての望みをかけたが……世間知らずの坊やだな」
「ラムザはあなたほど、横柄でもなく、傲慢でもない。知ったような口をきかないで」
「その意思表示をするために、<これ>を返却するのか?」
「冬至祭のミスルトゥは受け取りません。そんな簡単に私に求婚できると思わないで」
「つまり?」

想いを伝えるために一年。
たった一日のために、一年をかけて準備をする。

私にはできない、その、深い気持ちにだけは答えてあげてもいい。
なぜなら、今日は冬至祭の日だから。人々の間でささやかな贈り物が交わされる日だから。

「今日は私の誕生日なので、誕生日の贈り物として受け取ります。ありがとう、クレティアン」

 

 

 

2019.12.24

 

 

聖夜の宴

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・「異端者に神はいるだろうか? 家畜に神はいるだろうか?」
・もしもイズルードがリオファネス城から生還していたら…ifストーリー
・時間軸はリオファネス戦後~ラムザがアルマ奪還のためミュロンドに乗り込む直前

 

 

 
聖夜の宴

 

 

 

 教会の鐘は沈黙していた。
 聖アジョラの降誕祭を迎えるにあたって、待降節に入ったのである。賑やかな祭の前の静かなひとときであった。
「もう降誕祭に入ったのか?」
 部屋の隅に置かれたベッドの上に腰掛けながらイズルードは尋ねた。
「まだだな。ちょど先週から待降に入った。聖夜まではまだ日がある」
 クレティアンは答えた。そして窓から外を覗いているイズルードにもう寝るようにうながした。
「もう少し寝てな。病み上がりなんだから」
「もう十分よくなったから。それに、こんな部屋で寝てばっかりじゃ気分が晴れないから……」
 あの『リアファネスの惨劇』から数ヶ月。気が付いたらミュロンドに連れ戻されていた。後であれは異端の者が聖石を使い異形の魔物を喚びだしたのだと人づてに聞いた。教会が言うのだからそうなのだろう。
「ちょっと外を見てくる」
「どこへ行く気だ? 無理するなよ。少し前まで床に就いてたのだからな」
 リオファネスで大怪我を負って運び込まれてきた時、クレティアンが随分と親身になって看てくれた。さすがは希代の大魔道士。もう怪我はほとんど良くなっていた。
「街を見てくるだけだって」
 心配そうにしているクレティアンをよそに、イズルードの心は浮かれていた。長いことベッドに寝かされていただけあって、早く外に出たい、と。しかも時期はもうすぐ降誕祭。はやる心を抑えられなかった。
「どうせ出掛けるなら、私のチョコボを使っていきな」
 ようやくクレティアンも諦めたようだった。

 *

 隊舎の外れにあるチョコボ小屋へ行くと、色とりどりのチョコボが並んでいた。一般騎乗用の黄チョコボの他に、白や茶、緑のチョコボも飼われている。イズルードは様々な色チョコボを見回した。たしか白チョコボは魔道士の騎乗に使われていたはず。イヴァリースのユトランド地方が産地で……と思い起こす。普段何気なく乗っているチョコボのことになど気を留めたこともなかった。こんなチョコボ小屋に入ろうとも思った事はなかった。いつもは馬飼いにまかせっぱなしだった。
「こうして見るとチョコボも案外かわいい奴だな」
 切れ長の大きな目、ふさふさした羽、長く立派な尾。そのどれもがなでさすりたいくらいに愛らしかった。イズルードは目の前にいた、輝く赤銅の羽を持ったチョコボに手を伸ばした。
「そいつは気性が荒いぜ。気を付けな」
「ディリータ? いたのか?」
「いたさ、ずっと前からな。おまえが俺に気付かなかっただけだ」
 無愛想に答えるディリータ。ここでチョコボの世話をしていたらしい。その手つきは愛情にあふれていた。
「わざわざチョコボの面倒を見に来たのか? 珍しいやつだな。そんなの人に任せておけばいいものを。チョコボが好きなのか?」
 その質問に答えはなかった。団中でも無愛想で人付き合いの悪いと評判のディリータであった。あいつは何を考えているのか分からない、と他の騎士らは噂した。
 仲間内の付き合いにもさして顔を出さないくらいだからよほど冷めたやつなんだろう、と見当をつけていたイズルードは、チョコボをかわいがるディリータの姿を見て驚いた。意外と愛嬌のあるやつじゃないか。
「赤チョコボは総じて気性が荒い。見知らぬ奴が手を出すと、隕石の一つや二つは平気で降らせるような暴れ馬だ。うっかり野生の赤チョコボに出会ったら、そいつは運がないとしか言えないな」
「ふーん……そうなのか。詳しいなディリータ」
「これくらいは常識だろ? ん、そうか。おまえはも一応ティンジェルの家の御曹子だもんな。こんなこと知らなくて当たり前か。チョコボの世話は下のやつらの仕事だしな」
 『ティンジェルの御曹子』という言い方が、少し引っかかった。周りからそんな目で見られたことは一度もない。父ですら、自分のことはただの一介の騎士としてしか見ていないだろう。もし『御曹子』として見られているのだったら、今頃はとっくにディバインナイトに叙されているはずである。
「オレは別にそんな、跡取りってわけじゃ……」
「団長の息子で、聖石持ち。それだけで十分に人から羨ましがられる要素は揃っている。ま、別に俺はそんなこと気にしてないがな……」
 うつむきがちにディリータは呟いた。彼の過去をイズルードは知らない。彼がここにくるまでに、どういう人生を歩んできたのかも。人には知られたくない過去があるのだろう。イズルードはそのことについて何も言及しなかった。他人の経歴を詮索することは御法度というのが、団内での不文律となっていた。
 イズルードは赤チョコボから離れ、小屋の奥の一画に大事に世話されている白チョコボに近づいた。この小ぎれいなチョコボはクレティアンに飼われているものだった。主人に似て、非常に礼儀正しく、イズルードが近づくと膝を折ってお辞儀をした。無論、クチバシでつつかれたりということはなかった。
「そのチョコボは、クレティアン様のじゃないのか? 勝手に乗っていいのか」
「許可はあるよ。外へ行くなら使っていいって言われた。オレのチョコボはリオファネスで戦死しちゃったからさ」
「そうか……そうだったのか。そういえば、傷はもういいのか? リオファネスでは随分と人が死んだな。おまえ、よく生きて還ってこれたな」
「うん、ドロワ様が看てくれて、おかげで、なんとか」
「クレティアン様とは親しいんだったな。羨ましいな、あのアカデミー随一の魔導士様と知り合いとは」
「オレがまだここで見習いだった頃からの付き合いで……って、ディリータ、なんでドロワ様がアカデミー卒だってこと知ってるんだ?」
 たしか、クレティアンは自分がアカデミー卒だとは、口外していない。それも首席だったなどとは。ソーサラーの称号を持っているにもかかわらず、普段は白魔道士を名乗っているくらいだった。イズルードは不思議に思って、ディリータを見たが、視線を合わそうとしない。答える代わりに、ディリータはそっと白チョコボをなでた。チョコボは綺麗な声でキュと鳴いた。この美声も主人譲りだろうか。クレティアンはまた歌も器用に上手かった。
「そうだ、ディリータ、暇なら一緒に街へ行かないか?」
「遠慮する。そんな気分じゃないな」
「何故だ? もうすぐ降誕祭が心待ちじゃないのか」
「……降誕祭――聖アジョラの、生まれましぬ日、か。そうだ、イズルード、おまえは神がいると思うか?」
「オレを誰だと思っている。オレを無神論者だと思ったのか?」
 イズルードは思わずむっとした。仮にもゾディアックブレイブの名をもらった自分に向けられる質問にしては無神経だと思った。
「悪い悪い、そんな意味じゃないよ。俺が思ったのはな、おまえのような信心深い人やつともかく、あの、『異端者』とかにも神はいるのか、って思っただけだよ」
 想定外の質問だった。イズルードはたじろいた。
「え、えっと――それは――」
「ならばこのチョコボや、家畜にも、神はいるか? あまりの貧窮に教会へだってこれない者が世の中にはたくさんいるんだぜ」
「ああ――」
 家畜に神はいるか、と問うたディリータの顔は真剣だった。どう答えるべきか、悩むイズルードを無視してディリータは小屋を去ろうとした。
「何故俺がクレティアン様のことを知っているかとおまえは聞いたな。俺はな、昔、アカデミーにいたんだ。それにベオルブにも仕えていた。そこでチョコボの世話を任されていた。……もう昔の話だよ」
 ディリータは遠い目をして言った。どことなく淋しそうな顔をしていた。そして立ち去っていった。見送るようにチョコボたちがクェェと鳴いた。
「ディリータ……」

 *

「なんだ、街へ行くのではなかったのか?」
 飛び出すように出て行ったにもかかわらず、落ち込んだ様子でクレティアンの部屋を訪ねたイズルードであった。
「そんな気分じゃなくなってさ」
「気分が晴れないから外へ出たいといっていたのがどうしたことだ」
 机に向かい、ペンを走らせながらクレティアンは訊いた。
 紙の上をさらさらとペンが走る。心地よい静かな音だった。カリグラフィーと称される美しい飾り文字がするすると綴られていく。
「ディリータのこと何だけど……」
「ああ、あの聖剣技使いの騎士だろう。今は剛剣にも精を出しているそうだ。あの向学心は他の者らも見習うべきだろうな」
 クレティアンは思った。彼にはもともと剣の才はあったようだが、ミュロンドへに来てすぐに聖剣技を習得し、今は剛剣の習得に励んでいる。それは向学というより、何か強い執着――強迫観念のようなものを感じた。何かひどく切迫したものを感じる。彼はそんなことを口に出す人柄ではなかったが。
「ディリータか……彼もたしかアカデミー出だったか」
「あ、クレティアン、知ってるの? もしかして、むこうで一緒だったとか」
「いや、ちょうど私が卒業する頃にすれ違いで入学してきたはずだからな。本土では会っていない。でもベオルブ先輩――ザルバッグ将軍からよく話は聞いていたよ。なにせあの偉大なる天騎士の家に居たそうだから、大変だったのだろう……」
 まさかミュロンドに来て会うことになるとは思っていなかったことであった。
「なんかさーそのディリータがさ、『異端者に神はいるのか』とか言うから。やっぱりアイツのこと気にしてるのかなと思って。でもオレ、結局その質問に答えられなくて。よくわからないんだ」
 クレティアンはペンを止めた。紙の上に綴られたのは福音書の言葉だった。聖典の筆写など、修道院の仕事であったが、そもそも聖典原典の言葉である畏国古代文字を解する者が少ないこともあって、よく筆写を頼まれていた。決して嫌な仕事ではない。ただ無心に、筆写を続けることは一瞬の瞑想のメディテーションでもあった。
 たしかに、アジョラの述べ伝えた福音には「異端者を愛せ」などとは一言も書かれていない。書かれていない、が。
「ふん…『異端者に神は存在するか』ということか。実際に身の上に置き換えて考えれば簡単だな」
「えっと……どういうこと?」
 机の上に重ね上げられた聖典を取った。 先程まで自分まで筆写をしていた原本だった。
「今から私がこれをカテドラルに持っていってその場で焼き捨てれば、寸分構わず『異端者』になれる。そしたらイズルード、あの『異端者』に神はいたのかどうか考えてみればいい」
 袖をたくしあげ、クレティアンはさっと中に手を挙げるとささやかな火炎を散らした。あわててイズルードが止めに入る。
「えっ待って待って、そんなこと……本当にやらない、よね……?」
 怯えた目で袖をつかむイズルードの頭をそっとなでた。おまえは少し素直すぎるな、と。
「第一、書物を焼く人がいれば、それはいずれ人をも焼くようになる――とある詩人が言っていたのでな……まあ、聖典を焼き捨てるようなことは私はまっぴらだがな。たとえそんな『異端者』がいたとしても、私にはその人の信仰までは推し量れない。しかし、その者の上にも神の平安があるように願ってはいる――」
 書見台に広がられた聖典を見た。美しく装飾が施されたそれは、数多くの人々を信仰の道へ導き、魂を救ってきた。だがその数に劣らず勝らず、この本は、多くの人を死へ導いたのであろう。この本に書かれた、その言葉だけを頼りに、殉教した人のなんと多いことか。また、この「神の言葉」のために闇に葬られた人々と真実――その数については、想像もつかない。
「じゃあ、人でなくて、信仰心を持たない動物……家畜とかなら? 家畜にも神はいるんだろうか?」
「イズルード……? 先程から異端者だの家畜だの、本当にどうしたんだ」
「あ、オレのことじゃなくて、ディリータが随分気にしてたから……」
 ディリータ。あの少年か。可哀想に、どこぞの心ない輩に暴言を吐かれたのだろう。あの繊細な少年には耐えられないだろうな、とクレティアンは思った。
「ならイズルード、聖アジョラはどこで生まれた?」
「チョコボ小屋で……そのあと井戸の毒を予見したって」
「仮にも、『神の御子』がそんな井戸に毒がたまっているようなみすぼらしい家畜小屋もどきで生まれるなんて不思議じゃないか。『神の御子』なら生まれる場所くらい自由に選べたっていいはずだと思わないか?」
「そういえば、そうだけど」
「父親なら誰しも息子を可愛がるものだろう。天の御父は、大事な我が子を家畜小屋に遣わしたということは、そこに神の意志があるはずだ。これは神の至上の祝福以外の何ものでもないはずじゃないのか」
 そう、ちょうど、ヴァルマルフ様が、目の前のこの少年を、愛しているように。言葉に出さずともその愛は伝わってくる。
「ああ、ならば――」
「神の創りし万物に祝福あり、とここには書いてある」
 クレティアンは、聖典の文字をなぞった。たかが、紙の上に書かれた文字ではあるが、幾世代も前の人々が、この言葉を原典から写し取り、書き写し、書き写しして今に伝えた言葉である。この言葉には神の霊力というよりも、人々の、こうであれと願うその気持ちが宿っているようである。
 全ての人とものとが、平等に神の祝福を受ける世界。これこそアジョラが実現させたかった「神の国」のことであろう。だが、アジョラの昇天の後、一度として「神の国」は到来していない。

 *

 宵を告げるように、教会の鐘が鳴った。これからだんだんと日が暮れていく。普段なら、日没とともに静寂につつまれる教会も、今日は賑やかだった。今日は年に一度の大聖日。降誕祭が始まったのだと、アルマは察した。アルマは騎士団の隊舎はずれの部屋の窓から、外を眺めていた。この祭りの日を迎えるのは今年で何度目だろうか、窓の木枠に身体をもたれさせながらぼんやりと考えていた。去年はイグーロスのベオルブの邸で、その前はオーボンヌで。その時はまさか自分がはるばるミュロンドまで来るなんて事は考えなかった。いや、連れてこられた、と言った方が正しいかもしれない。
 外の賑わいがゆるやかに、大きくなっていく。これから盛大な宴が始まるのだ。普段の質素な暮らしぶりからうってかわって、聖夜の饗宴が開かれる。きっと華やかで、楽しいものなのだろう。家族そろって過ごした昔の日々を思い出して、懐かしんだ。そして、窓から見える人々の群れの中に、いつの間にか兄の姿を探していた。
「兄さん……いまどこにいるの?」
 その時、背後に冷たい空気の流れを感じた、扉を開けて誰かが入ってきたのだ。ちらりと後ろを見ると、緑の法衣が視界をかすめた。
「兄さん? ダイスダーグ卿なら……」
「ラムザ兄さんのことよ」
 念を押すように言った。目の前にいる騎士は、自分をミュロンドまで連れて来た本人であった。戦局悪化による治安の攪乱により、ダイスダーグ卿が妹アルマの身を案じてミュロンドのグレバドス教会に保護を命じた――という話があったのだと彼から聞かされた。
 今は、こうやって、明日の心配をすることなく日々を過ごすことが出来る。多くの騎士達が戦争に身を投じているというのに。兄さんだって、今頃どこで何をしているのか、手がかりさえ分からない。そう思うと、どうしようもない焦燥感に駆られ、居ても立ってもいられなくなる。
「安心しろ。ここがイヴァリースで一番安全なところだ。何てたって神の加護と聖アジョラの祝福があるんだからな」
「でも、兄さんが教会の祝福を受けられるとでも? 兄さんは『異端者』にされたのよ、あなたたちのせいで」
「その件については、異端審問官らの管轄であって、オレたちの――」
「あなたはきっと、目の前に『異端者』がいたら、殺すのでしょうね」
 この騎士が至極真面目な、そして敬虔なグレバドスの信者であることは知っている。自分の新年に真っ直ぐで、融通が利かない、そんなところが兄さんに少し似ている、とアルマは思った。「オレは、別に君の兄貴を憎んでるわけじゃない……」
「あら?」
 そんな事を聞けると思っていなかったので、そう言ってもらえると嬉しい。それも恐ろしく冷たい目をしたあの団長の、息子から。でも、気休めでしょうね。彼は、教会の命令ならば逆らわないはずがない。
 もう兄さんが教会に戻ってこれるはずがないのだ。この賑やかな宴を一緒に楽しむこともない。そんな日は、きっともう二度とやってこない……。
「ね、ところで、その手に持ってる瓶はなあに?」
「ああ、これか?」
 イズルードは緑の法衣の裾にくるむように、大事に抱えていた瓶を取り出した。
「宴席から一瓶頂戴してきた。お酒だよ、飲むか?」
「お酒は、飲めないの」
 アルマがそう呟くと、騎士は残念そうな顔をした。そして部屋を出ようとする。
「どこへ?」
「一緒に飲める友を捜しに」
「外は寒いわよ。これ持っていったら」
 防寒用にと、自分が羽織っていた白い薄布のマントを渡した。
 こんな寒い日、どうか兄さんが街の隅で一人で凍えていませんように。そう願った。

 *

 聖地ミュロンドに、夜が近づいていた。闇の帳をおろしたような、荘厳な、清澄な空気の中、静かに日は暮れる。
「――今更剣を措く気か? 何を血迷った、ラムザ?」
「いや、何もこんな日に、戦いを挑み行くのはどうかと思って――いや、ただの冗談だよ」
 詰問するアグリアスにラムザは答える。
「今日はどこも宴が繰り広げられていて、警備も手薄だからといったのは貴方じゃないか。それに早く妹君に会いたいのだろう? 彼女がここミュロンドにいるのは間違いない。人質を取るなど、汚いやり方だ」
「分かってる。早くアルマに会いたい」
 慎重にいかなければ。もうあのジーグデンの悲劇は見たくない。何としても無事にアルマを取り返さなければならない。だから、慎重に、そっと、敵に感づかれないように、教会に忍び込む。それも聖アジョラの降誕際のまっただ中に。それが作戦だった。そのため、島のはずれの砂糖畑のなかに、ひっそりと身を隠していたラムザ一行であった。まだ誰にも気付かれていない。すれ違った人々は、彼らのことを、巡礼に来た信徒の一団だと思っていることだろう。
 島はずれの、畑の中にまで、カテドラルで歌われる聖歌が流れてくる。毎年、この時期になると歌われるその古い歌は、どことなく旅愁を誘った。その調べにいざなわれるように、そろりそろりと、畑を出た。ラムザは古びたぼろぼろのマントを身に纏っていた。変装のためではなく、長い旅路の果てに、こうなった。
 ベオルブの邸にいた頃は家族揃って教会を訪ねて、歌を歌い、この日を祝っていた。あの時は隣に兄らがいた、アルマがいた、ディリータも一緒だった。それが今は『異端者』の烙印を押され、あまつさえこれから教会に剣を向ける。
「たしかに、僕は、たくさん人を殺してきたけど――」
 足は自然と街の大通りを避け、裏路地へと向かっていた。狭い石畳の両側に、あばら屋が所狭しと並んでいる。スラム街だろうか。ラムザはいつの間にか、こういった日陰の場所を好むようになっていた。ただでさえ温潤なミュロンドの気候に輪を掛けるように、このあたりは湿っぽい。足元を虫が這っていく。淀んだ空気が立ち籠めている。それでも、そんな場所にさえ、教会の音楽は流れてくる。
 石畳を抜け、聖歌を辿るように、歩いていたら、島の中心部のカテドラルまで来たようだった。目の前にそぼえる堅固な石壁に圧倒される。それでも、周りを見回し、どこか忍び込めそうな場所はないか、探る。今夜にでも、教会へ奇襲をかけるつもりだった。
「そこにいるのは誰だ?!」
 突然、頭上から声が降ってきた。まずい、とラムザは思った。見張りに見つかったか。瞬時に声の主を探す。塀の上だった。塀といっても、何ハイトあるか分からない高さである。この高さならあの見張りがここまで易々と来られるはずはない。よし、このままなら逃げ切れる。そうラムザは確信した。
「『異端者』が我がグレバドス教会何の用だ」
 声の主は、ひらりと身をかわした。騎士は塀を蹴って空へと軽やかに跳躍した。このような事は並大抵の騎士にはできない。おそらくは竜騎士の類だろう。
 逃げられると思ったのに。ラムザは嘆息した。出来るならば無駄な戦闘は避けたい。血は流さないにこしたことはない。そう思いながらも、一体何人の者をこの手に掛けてきたことだろう。赤煉瓦の城壁を背に、走りながらも、相手がだんだんと距離を詰めてくるのが感じ取れた。巡礼者らが歌う聖歌が背中に降ってくる。
「ラムザ・ベオルブよ! 『異端者』が教会に足を踏み入れ無事に帰れると思ったか? さあ剣を抜くがいい…!」
 ラムザは覚悟を決めた。腰に帯びた剣に手を掛け、件の教会の騎士と対峙した。ラムザは剣を取った、と同時に彼の騎士も剣を振りかざす。紫電一閃、打ち合いか、と思ったかが、相手の振り上げた剣の先にはためいていたのは、一枚の白布だった。夜空に光る白い布。それが何を意味するのかは容易に想像できる。白旗は降伏の際に掲げられるもの。ラムザは警戒しつつも、相手に近づいた。
「ああ、イズルードじゃないか! 生きていたのか…!」
 リオファネスで瀕死の彼を見た時、もう長くはないだろうと思った。その彼が今目の前にいる。
「何だ、オレが生きてたら不都合か?」
「いや、そうじゃなくてさ」
 お互いの顔に笑みがこぼれた。
「ところでこれは一体何なんだい? 君は僕に何を求めているんだ。それとも君が僕たちと一緒に来てくれる気になったのか? 白旗は降伏の――」
「白は平和の象徴だ。我々神殿騎士は教会と共にある。オレが教会から離れるとでも?」
「じゃあ異端者を殺しにきたのか?」
「じゃあこれは何のための白旗か? そんなことじゃない。いいからラムザ、剣をおろせよ」
 イズルードは手に持っていた剣を投げ出すと地面に座り、ラムザをうながす。教会の宴席から盗んできたのであろうか、酒瓶を取り出すとラムザに差し出した。
「飲まないか?」
「いや……」
「疑うのか? 罠なんかじゃないぜ、ほら」
「……お酒はちょっと…」
「飲めないのか! 女々しいやつだな!」
 盛大に吹き出すイズルードにつられてラムザもついに笑い出した。こんな風に笑ったのはいったいいつ以来だろうか。それからしばらくの間談笑に耽った。お互い敵対する者同士であることを忘れて。
「これを持っていけ」
 イズルードは剣の先に巻いていた白布を放り投げた。見るとそれは薄手のマントであった。こころなしかアルマの香りがするのは単なる夢だろうか。
「何故僕に?」
「そんなボロボロの服で歩くなよ……みっともない」
 確かに彼の身なりは貧しいものだった。ろくに装備を調えることも出来ない、そんな生活を続けていたラムザに思わぬ贈り物だった。そしてそのマントにそっと身を隠した。肉親に追われ、騎士団に追われ、ついには異端者として、教会からも追われている。誰もが自分を狙っている、一瞬たりとも休まることの出来ない生活だった。そんな彼のもとに、届けられた一枚の白いマント。――白は平和の象徴。
「教会の騎士が異端者と会っているのがばれたら危ないのじゃないのか? もし君の父にでも見つかったら――」
「オレとお前で何が違う? 同じ友じゃないか……父上には友と会っていたとでも言っておこう」
 ぼそりと呟くとイズルードは逃げるように去っていた。彼の持ってきた酒瓶はそのままになっていた。ラムザが拾い上げると綺麗に装飾されたラベルに文字が書かれていた。
 ――主の平和、全地にあれ
 ああそうだ、今日は降誕祭じゃないか。遠くに聞こえる祝いの歌を聞きながらラムザは昔の思い出に浸っていた。ディリータと過ごしたあの日々。骸旅団の若い女剣士と戦った時の事を思い出した。あの時ディリータ剣を向けた相手に「彼女は同じ人間」と言った。そして、今、神殿騎士のイズルードは「友」と言った。
「…ラムザ? 何をしている?」
「アグリアスさん?」
「あまりに帰りが遅いから心配した。こんな教会の近くまで来ていたのか、危ないぞ。ところでそれはどうしたんだ、そんな小ぎれいなマントなんてどこで手に入れたんだ」
「えっと……、親切な人が恵んでくれて……」
「何だ、罠じゃないのか、お前をおびき寄せるための――」
「多分、違うと思います、だって今日は降誕祭じゃないですか」
「『主の平和』ってやつか。まるでおとぎ話だな。……だが、悪い話でもないな」
 アグアリスに急かされ、教会の城壁から離れて仲間の元へと帰路に就いた。だんだんと聖歌が遠くなっていくにつれ、ラムザは自分の置かれている状況を把握した。そう、これから教会へ奇襲を掛けるのではないか。だというのに自分は教会の騎士と手を取り合って笑い合っていた。思わず苦笑した。あれは何だったのだろう。今となってはもう幻のように思えた。しかし、彼の背には白いマントがはためいていた。彼の背中に残っているそのマントこそが、あの平和の挨拶が幻などではないことを証明している。
「アグリアスさん、どうして神殿騎士団は聖石を欲しているのでしょうか……僕には彼らが聖石の真の意味を知っているようには思えないんです。あのルガヴィの謎を知る者は教会の中でもごく僅か、なら他の騎士らはどうして聖石を望むのでしょうか」
「『神の奇跡』のため、と奴らは言っていたな」
「そんなことのために……彼らは気付いていない……」
 聖石の裏に潜むルガヴィの影に彼らは気付いていない。そしてもう一つ。奇跡は聖石によって引き起こされるのではないということに彼らは気付いていない。互いに剣を向け合う存在の者同士が、たとえ一瞬であっても剣を棄てて手を取り合ったことは、奇跡以外の何ものでもない。それを引き越すのは聖石ではない、神の力でもない、ただ人間の力。背中の白マントをしっかりと握りながら、そう確信した。
 この血の戦乱を生きるイヴァリースの人々も、今日ばかりはこう思ったであろう。
 ――主の平和、全地にあれ

 

 

公開日:???


 

 

To C. From M. with LOVE.

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・クレティアン誕生日記念SS
・メリアドール→クレティアンへ誕生日の贈り物。本人不在でメリアドールとラムザの会話文です。


 

 

To C. From M. with LOVE.

 

 
「よし、今日はこのあたりで野宿にしよう。日が落ちたら盗賊たちの動きが活発になる。夜に行軍するのは危険だ」
 森の中を行進中の一隊に向けてラムザは指示を出した。ちょうど日が暮れ始めた頃、彼らは運よく、森の中の開けた場所に到達できたのだ。隊の仲間たちはリーダーのラムザの指示に従って休息のためのテントを組み立て、火をおこしている。
「この進み具合だと、明日には近くの街に入れるはずだ。そうすれば、まともな食事にありつけると思うけど、今日は残念ながら……」
 ラムザは隊のチョコボに運ばせていた携帯用の食料を見た。しばらく森の中の行軍が続いたせいか、食料の備蓄が底をつきそうだった。今日は節約しないとまずいな、とラムザは呟いた。
「ラムザ、だったら、これを」
 どうしようかと思案していたラムザに声をかけたのはメリアドールだった。肩にクアールをかついでいる。
「ここに来る途中で仕留めたの。さばいて焼けば今日の食事の足しになると思う。他にも狩れそうなモンスターが近くにいないかちょっと見てくるわ」
「ありがとうございます」
 これ、借りていくわね、私の剣は大きすぎて狩りに使うのには向かないから、と言ってメリアドールは自分の剣をラムザに預けた。ラムザは彼女の剣の重さに少し驚いた。
 ――メリアドールさん、こんな重い剣を使ってたんだ。すごいな。
 最近、ラムザの隊に入ったメリアドールのことは、ラムザもまだよく知らなかった。信仰に篤い修道女のような外見で、重い大剣を軽々と振り回して相手の鎧を叩き壊す。見た目からは想像もできない膂力だ。どうも、つかみどころのない不思議な人だった。
「メリアドールさん、このお礼は――」
「別にいいわよ、これくらい――あ、そうね、だったら街に着いたら買い物につきあってくれる?」
 いいですよ、とラムザが答える前にメリアドールは槍を背負って狩場に向かってさっさと出かけていた。
「メリアドールさんの買い物か……なんだろう、僕は荷物持ちかな?」

 

 

 
「え、贈り物?」
「そう。もうすぐ昔の知り合いの誕生日なの。ミュロンドで一緒に暮らしていた頃はわざわざ誕生日の贈り物なんてあげなかったけど……黙って騎士団を出てきちゃったし、消息便り代わりに何か贈ってあげようかなと思って。それなりに親しくしてもらってたから」
 街に買い物に行きたいと言ったメリアドールの目的を聞いて、ラムザは意外な気持ちだった。メリアドールの昔の知り合い……神殿騎士団の仲間だろうか。
「でも、贈り物選びなら、ムスタディオの方が詳しいと思いますよ。この前もアグリアスさんにこっそりプレゼントを贈っていたみたいで」
「そう? でも、『彼』、あなたと同じ貴族の身分で、ガリランドの士官学校の出身なの。似たような経歴だと思うから、好みのセンスも似てるんじゃないかなって思ったの」
「アカデミーの? じゃあ、僕も知っている人?」
「多分知らないと思うわ。『彼』は私よりも年上だから」
 メリアドールが誕生日の贈り物をしたいという「彼」とは一体、誰のことだろう。名前を聞いても分からないだろうが、興味本位でメリアドールに聞いてみたいとラムザは思った。でも、出会って間もない彼女の交友関係を尋ねるのは、少し、気が引けた。だからラムザは黙って彼女の話を聞いていた。
「ラムザ、付き合ってくれてありがとう。私、ミュロンドから出たことがなくて外の風習のことはよく知らないの。買い物なんてしたこともないし、貴族の人が何をもらって嬉しいのかも全然分からないのよ」
「うーん、でも、僕は貴族といっても、家は騎士の男ばかりだったし、候補生だった頃もそういう華のある生活とは縁遠かったなぁ。アルマは兄さんたちから装飾品を色々ともらっていたけど、僕は戦場で役に立つ装飾品とか、そういう実用品しかもらわなかったよ」
「そういうのでいいわ。『彼』も騎士だし、あまり信仰に生きる人だから派手なのは好きじゃないと思うの」
「なら、街の武器屋を紹介するよ」

 

 

 
「坊ちゃん、今日は何をお探しで?」
 異端者。街では何かと目をつけられる存在だ。でも、この武器屋の主人はラムザが候補生だった頃から世話になっているためか、ラムザが教会に追われるようになった今でも、変わらず武器や道具を都合してくれる。
「マスター、今日は僕じゃなくて、彼女が買い物を……」
 武器屋の主人は、ラムザに続いて店に入ってきたメリアドールを見て、驚きの表情を見せた。
「ゾディアックブレイブ様! 坊ちゃんと教会の騎士様が一緒に来店するとは、珍しいことで」
 メリアドールは注目されることに慣れているのか、武器屋の主人に仰天されても、何一つ動じずに棚に無造作に置かれた商品を眺めている。その中から一つのものを手に取った――金細工の髪飾り。
「それにするんですか?」
「そうね……『彼』はアッシュブラウンの髪にお揃いのヘーゼルの瞳で、こういう金の飾りはきっと似合うわ。陽にあたるとね、明るい髪だったの。それに、これは魔道士にも役に立つ加護があるみたいね」
「へえ、メリアドールさんの『彼』さんは魔法を使う方だったんですか?」
「そう、魔法の才能だけは随一だったわ。ふふ、結構な努力家だったのよ、『彼』」
 メリアドールはそっと笑った。ラムザの知らない彼女と仲間たちの思い出。
「メリアドールさん、楽しそうですね。きっと、素敵な方だったんですね」
「そうでもないわよ。顔を合わせる度に喧嘩していたし、裏切られた今となっては本気で殺してやりたいと思ってる。そういう人だったのよ――あら、こっちのナイフもいいかも」
 メリアドールが髪飾りの次に手にしたのは、メイジマッシャーと銘がついたナイフだった。
「いいわね、これ。魔道士を殺せるんでしょう。プレゼントにぴったり。ラムザ、どうかしら?」
「えっと……」
 メリアドールがあまりにも笑顔でナイフを持っていたので、ラムザは返答に困った。

 

 

 
「ところで騎士様、お手持ちはありますか?」
 しばらくプレゼントの物色に夢中になっていたメリアドールに武器屋の主人が声をかけた。
「代金は神殿騎士団のミュロンド支部のヴォルマルフ・ティンジェル宛によろしく」
「騎士様、うちは現金のみです。あいにく、手形は受け付けていないので」
 ラムザはメリアドールに言った。
「僕が立て替えますよ」
「そんな気遣いは無用よ、ラムザ。昔の仲間にあげるものだから、隊の軍資金を使うわけにはいかないわ。それに、私も手持ちがないわけじゃないから」
 メリアドールはローブの下に吊るしていた麻袋から、小さな瓶を取り出した。いい香りがする。香水だ。
「店主、これは売ったらいくらになるかしら? もういらないから換金して」
「え、メリアドールさん、それは大事なものじゃないんですか?」
 イヴァリースで香水は貴重品だ。
「ミュロンドにいた頃に、ある人から貰ったんだけど、もういらないわ。私はミュロンドに戻るつもりはないから。どこかで捨てようかと思ってたけど、売った方がお金になるわね――店主、この香水と同じくらいの値段のアクセサリーを頂戴」
 私は贈り物のセンスはないわ。何を選んでいいか結局わからなかったもの。メリアドールはさらりと言った。
「騎士様、でしたら、こちらの指輪はいかかでしょう。その香水と似たような効果があって、死を防ぐ加護がついております」
 主人が持ってきたのは天使の装飾がついた指輪。メリアドールはうなずいた。
「それでいいわ」
「ではお包みいたしましょう。贈答用ですよね? 恋人さんですか?」
「……簡素なものでいいわ。相手は清貧の教会の騎士だから」
 メリアドールは武器屋の質問をさらりとかわした。答えるつもりはないらしい。
「香水代でおつりは出るかしら? もしあったら、届けてほしいのだけれど……私は事情があって、直接渡しにいけないので」
「いいですよ、教会の騎士様でしたらそれくらいサービスします。宛名はどちら様で?」
「神殿騎士団の団長か副団長宛に。横に『C』とだけ書いておいて。それで分かるから。二人のところまで届いたら『彼』も気づくはずだから」
「差出人の騎士様のお名前は添えますか?」
「それはまずいわ。名乗りたくないわね……私たち、ちょっと事情があって」
 メリアドールは武器屋の主人からペンを借りると、指輪の包み紙の裏に「From M」と走り書きをした――それから、少し悩んでから「with LOVE」と。

 

 

 
「ラムザ、つき合わせて悪かったわね」
「いいえ……でも、一つ聞いてもいいですか? 武器屋で聞かれてたこと――『彼』はメリアドールさんの恋人の方なんですか?」
 ふふ、とメリアドールは笑った。
「どちらでも。その答えは、お好きなようにどうぞ。でも安心して、もう私はあなたと一緒に戦うって決めたの。昔の仲間に会うつもりは、微塵もないから」

 

 

 

2019.06.06

僕の妹が神殿騎士にさらわれました

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僕の妹が神殿騎士にさらわれました

               

               

勝利条件:神殿騎士イズルードを倒せ!

               

▼ED後イズルード生存ルート
▼ラムザが重度のシスコンです
▼READY?

               

               

 僕の名前はラムザ・ベオルブ。僕には妹がいる。彼女の名前はアルマ。はちみつ色の濃いブロンドの巻き毛に赤いリボン。赤い靴に赤いバレッタ。僕の妹のコーディネートは素晴らしい。上から下まで完璧だ。彼女には鮮やかな色がよく似合う。でもどんなドレスを着ていたって彼女は愛らしい。僕の天使だ。『聖天使』の称号をアジョラにくれてやるつもりはない。僕の妹こそが聖天使なのだから。
「ラムザ兄さん」
 僕と妹は年が一つしか違わない。でもいつだって彼女は僕のことを兄と慕って僕のあとをついてくる。僕のうしろをくっついて歩いてくるんだ。彼女は赤い靴をはいているからね。Moveが+1もあるんだ。すごく可愛いんだよね。

               

               

 僕たちがこうして家族で一緒に暮らせるようになったのはつい最近のことだ。戦争の悲劇が僕たちを離ればなれに引き裂いた。実は、アルマがアジョラの魂を持っているというんだ。僕の妹の身体を無断で使ったアジョラが許せない(殺したけど)。けれど、僕はさらわれた妹を自分の手で連れ戻した。<僕が>助け出したんだ。妹に手を出した男は、皆死んでいった。妹をさらおうとした骸旅団の戦士はザルバッグ兄さんが殺したけれど、ウィーグラフは僕が殺した。ザルモゥも僕が殺した。イズルードは一人で死んでた。ヴォルマルフは僕が殺した。奴らは皆、僕の可愛い妹に手を出そうとしたろくでもない連中だ。当然の報いだ。
「兄さん、こうしてまた一緒に暮らせるなんて私は嬉しいわ」
「僕もだよ、アルマ。僕の家族はもう君しかいないんだ。これからは二人で、ずっと一緒に幸せに暮らそう――」
 僕は妹を抱きしめた。僕は今までずっと傭兵として生きてきた。あの砦の悲劇のあと、僕は全てを捨てて逃げ出してしまった――ベオルブ家の全てを――家族を――<アルマのことを>――僕は間違っていた。けれど英雄王は亡き妹の形見のペンダントを生涯手放すことはなかったという……そう、ディリータは正しかった。僕は間違っていた! アルマと離れて暮らすなんて!
 こうして家族と抱き合うあたたかさを味わえるのは何年ぶりだろう――

               

               

「アルマ様――」
 僕たちの二人だけの穏やかな生活に、ある日突然、静かな来訪者がやってきた。
 暗闇に溶け込むようなダークブラウンの髪の青年。物静かな紳士だ。
「イズルードさん! 会いにきてくれたのね」
 心から再開を喜ぶ妹の顔。幸せそうな笑顔が二人の間に交わされた。アルマが僕の知らない、やわらかな表情を彼に見せる。
 僕の知ってるイズルードは神殿騎士だった。修道院で血みどろの殺し合いをした記憶は未だ鮮明に残っている。
「あの時の神殿騎士か! また懲りずに妹をさらいに来たのか!」
「とんでもない! 騎士として、あのような非礼はもう二度と働きません」
 彼は深々と頭を下げた。
 この礼儀正しい青年は一体誰だ?
 修道院で殺し合いをしていたあの絶望の騎士はどこへいってしまったのだ?
「アルマ様。もっと早く会いにきたかったのですが……まさかゼラモニアにいらっしゃるとは思わなくて。ガリオンヌにあなたのお墓があります。私は、てっきり……あなたがもう二度と帰らぬ人になってしまったのかと……」
 イズルードが僕の妹に丁重に話しかける。まるで深窓の姫君に忠誠を誓う騎士のようだ。アルマも満足そうにしている。騎士……僕がどんなにイヴァリースを奔走しても、ついに手に入らなかった称号だ。見習い騎士のまま陰の英雄になった僕が、今、どんな表情で彼のことを見ているか分かるだろうか。……羨ましい。
「ああ、ラムザ、また会えて嬉しいよ。元気にしていたかい?」
 イズルードがくだけた口調で僕に言った。アルマには敬語で話してたのに。同じ兄妹なのに扱いがまるで違う。神殿騎士め。今ここでオーボンヌ修道院地下書庫三階の再戦をしても良いんだぞ?
「すまない、父さんが迷惑をかけたみたいだな」
「うん、すごい迷惑だった。妹をさらうとかやめて欲しい。父子で誘拐するなんて気が狂ってるとしか思えなかった」
「数百年ぶりに会えてテンション上がっちゃったて父さん言ってたし……姉さんから聞いたよ。父さんはアルマ様(の身体を借りた聖天使)のために命を捨てたと」
「ああ……確かに君の父上はすごい人だった。まさか自ら腹を裂くとは。これがガフガリオンの首をせせこましく700ギルで買い、僕の兄さんをゾンビにした暗黒神殿騎士の死に様かと思うと僕も驚いたよ。でも、できれば僕にとどめを刺させて欲しかったんだけど。ところで、僕はさっきからものすごい違和感を感じてるんだけど……君を殺した父親の話を君と語り合うのはおかしくないかい?」
「何を言っているの、兄さん! おかしくなんかないわ」
 ルカヴィの首魁たる統制者に命を捧げさせた僕の可愛い妹が言う。僕の妹がそう言うのなr……いや、おかしいだろ。
「イズルードさんは言ってたわ。『疲れたから少し眠る』と……それだけのことよ」
「……それはファーラムの婉曲表現だって知ってるかい?」
 しかも僕は君の姉さんに剣を壊されたんだけど。弟の魂の代償だと謂わんばかりに――返してくれッ僕のブラッドソード! ガフガリオンの忘れ形見だったんだ!
「兄さん……私はイズルードさんにさらわれてリオファネス城に行ったの」
「知ってるよ。僕はあそこで何十回もウィーグラフと戦ったから、よく知ってるよ」
「確かに、私とイズルードさんの出会いは最悪なファーストインプレッションだった……でも、私たちがリオファネス城に辿りつくまでに、【あんなこと】や【こんなこと】があってね――」
 くそッ神殿騎士め! 僕の妹に何をしたんだ!
「――それからね、リオファネス城には一体いくつの聖石があったと思う? (イズルードさんの)パイシーズ、(イズルードさんが盗んできた)ヴァルゴ、(ヴォルマルフさんの)レオ、(ウィーグラフさんの)アリエス、(エルムドア侯爵様の)ジェミニ、(兄さんから貰って海に捨ててこなかった)タウロスとスコーピオ。これだけの聖石があったら奇跡の一つや二つが起こってもおかしくないでしょう?」
「ああ……その通りだ……聖石が7/13個もあったなら人間が一人生き返ろうと、リオファネス城の兵士が全滅しようと全くおかしくない……だけど……」
 ……もっと大変な奇跡が起きてしまった!
 妹が……僕の可愛い妹が……僕だけを癒しの杖で殴っていたあの可愛い妹が……いつの間にか恋する一人の女性になってしまった! ファーラムッ!

               

               

「ラムザ、彼女と二人で話がしたいんだけど、いいかな? 俺は彼女をさらいにきたのではなく……君の許可をもらいにきたんだ。妹さんを私にください、と……」
「断る――イズルード、君はまた僕と殺し合いをしたいのかい?」
 戦闘の準備はできている。僕はもう二度と妹を手放さないと誓ったのだから!
「兄さん、血迷っちゃだめ!」
 アルマ、君の方が間違っている! こいつは正真正銘、君をさらいにきたんだ!
 この神殿騎士は僕に勝てると思っているのか――ならば力ずくで阻止するまでだ!

               

 READY……

               

「ラ、ラムザ! よく聞いてくれ! 俺たちの目指す場所は同じはず――そう、『家族』だ。俺の義兄になってくれないか!」
 家族! その言葉に僕は手を止めた。
「僕のことを兄と呼べるのはアルマだけだ……家族と呼べるたった一人の肉親なんだ」
 アルマだけなんだ。父も兄も死んでしまった。僕に残された家族はもう彼女しかいない。
「分かるよ、その寂しさ。俺のところもそうだった。もう姉さんしかいないしさ……父さんはアレだったし、騎士団の仲間たちもアレだったし……」
「だったら君も分かってくれるだろう。たった一人の家族をとられてしまう寂しさを――君も想像してみてくれ。毎日一緒に過ごしてきた姉さんがある日知らない人の家に嫁いでいってしまったら……」
「姉さんが?」
「そう、メリアドールさんが結婚したら、やっぱり寂しいだろう?」
「恐喝の香水[シャンタージュ]をつけて大剣[セイブザクィーン]を振り回している姉さんが結婚したら寂しいかって?」
「あ、ごめん……家庭事情はだいぶ違ったみたい」
 僕が妹のことをどれほど愛しているのか、彼に伝わったのだろうか。僕の妹への愛はゲルミナス山脈より高くて、バグロス海より深いのだ。
「もう! 兄さんったら、大げさよ」
「アルマ……でも父上が生きていたら絶対こう言うはずだよ。『こんなに可愛い娘は誰にも渡さない』と。兄上たちが生きていてもこう言うはずだ。『こんなに可愛い妹は誰にも渡さない』と。シド伯爵も言っていた。『こんなに可愛い娘は誰にも渡さない』と。僕だってこう言う。『こんなに可愛い妹は誰にも渡さない』と」
「ラムザ、俺は――」
 イズルードが言いよどんだ。
「イズルード。僕はアルマが止めさえしなければ君とここで再び剣を交えてもいいんだ。オーボンヌ修道院地下書庫三階の再戦をするかい?」
「では、アルマ様……あなたはどうなのです?」
 イズルードは僕ではなく、僕の妹に話しかけた。
「私の愛を受けてくださるのですか? だとしたら、私はあなたのお兄様の許可をいただきたい――今ここで、あなたの手をとってもよいと」
 ずるい。そんな風に言われたら――
「兄さん――私の愛する兄さん。私はイズルードさんと一緒にいたいの。彼のことを、愛しているから……」
 そんな風に言われたら――僕はうなずくより他はないじゃないか。誰よりも愛する僕の妹の頼みなのだから、笑顔で送り出すのだ。
 愛してるよ、アルマ。どうか幸せになってくれ。心からの祝福を――

               

               

 俺の名前はイズルード・ティンジェル。教会の騎士だった。彼女――アルマ・ティンジェルと出会えたのも、俺が神殿騎士だったからだ。でも戦争の数奇な運命に巻き込まれ、俺たちは離ればなれになり――そして、どういう星の巡り合わせか、あの時オーボンヌ修道院で血を流しながら激闘をした異端者のことを「義兄さん」と呼んで、一緒に食卓を囲んでいる。
 俺が「義兄さん」と呼ぶとラムザは神妙な顔をする。
「まだ慣れなくて……だって僕のことを兄と呼んでくれるのは家族だけ――アルマだけだったから」
「すぐ慣れるさ。ラムザ、君が俺を家族に迎え入れてくれたんだ。さあ、一緒に食事をしようじゃないか」
 家族と一緒に食卓を囲めるもが、こんなに嬉しいことだったとは。少しばかりのパンとスープだけの慎ましい食事だ。でも幸せだ。だって、愛する家族と共に食卓を囲むのだから。
「イズルード、今だから聞くけど、どうして僕の妹を選んでくれたんだ?」
「理由が必要か?」
「僕は兄だ。もちろん、知りたいさ」
「そうだな……彼女は、明るくて朗らかで、そしてすごく可愛いんだ」
「うん、そんなことは言われるまでもなく知ってる」
「ラムザ、君は人生が嫌になったことはないか? こんな望まぬ戦乱の時代を生き抜くことに嫌気がさしたことはないか? ……俺はある。与えられた使命が嫌になった。何もかもに絶望して、闇に身を委ねようとさえ思った」
「僕だってあるよ。だから、僕は逃げ出したんだ。君と出会うずっと前のことだけど」
「俺は逃げたくても逃げられなかった……だけど、その時、彼女に出会ったんだ。こんな悲惨なイヴァリースを見ても希望を信じ続けられる明るさに俺は救われた。あの時、彼女はこう言った。『私は、私が生まれたこの時代が好き。そして、このイヴァリースが大好きよ!』と。そんなことを言うひとに初めて会った。彼女に出会えたから、俺は絶望することなく、信念を持ち続けることができた。だから……愛しているんだ」
「……ああ、その言葉を信じるよ。僕も君と出会えてよかった――さあ、スープが冷める前にみんなで一緒に食事をしよう。アルマを呼んでくる」
 家族そろってか、か……幸せな響きだ。ラムザがアルマを呼びにいった。一人になったその時に、俺はもう一つの『家族』のことを思った。そこには、何があろうと消えない絆がある。
 ――父さん、俺の妻を見てください。誰よりも可愛くて、純粋で、朗らかで、強い信念を持った妻なのです。俺だって父さんみたいに彼女のことを『聖天使』と呼びたい(本当に天使のような子なんです)。だけど、もう血を捧げる必要はない。じゃあ、何を捧げるのかって? それは……
「イズルードさん!」
 アルマがラムザと一緒に手をつないで戻ってきた。この兄妹は何があっても変わらないな。やはり『家族』の絆は不思議と消えないものだ。
「食事の前に乾杯しましょう――私たちの家族に」
 高く掲げた杯の中には並々と注がれた葡萄酒――もう戦争は終わったのだから、愛を語るにはこれで十分なのだ。

               

               

▼Congratulation!

               

               


・イヴァフェス3開催記念FFTアンソロジー「畏国回顧録」寄稿作品
・FFTの20周年のお祝い作品でした

              

2017.9.23

ボスは愛娘を手放さない

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ボスは愛娘を手放さない

            

            
◆1

 年頃の娘を持つ父親として、いつか言われるであろう台詞を覚悟してた。“娘さんを私にください”というあれだ。
 もちろん、絶対にくれてやる気はない。

「団長、参謀から申し上げたいことが……」
「クレティアンか。なんだ、言いたまえ」
「二十歳の娘の父親はそろそろ子離れする時期かと」
「貴様……次元の狭間に葬られたいのか?」
 だいたい、求婚するにしてももっと言い方があるだろう。私はそんな礼儀も知らない男に娘を渡すわけにはいかない。
「私の娘はそのことを知っているのか」
「いえ、でも承知の上かと。それに父親に先に話をしておくのがマナーかと思いまして」
 まるで娘と結婚できるのが当然だと思いこんでいるこの求婚者の態度が私は気に入らなかった。私の優秀な部下であるのに、私の許可なくいつの間にか“そういう仲”になっていたらしい。腹立たしい。
「ローファル、例の本を持ってくるのだ」
 私は騎士団長として様々な権限を持っている。気に入らない娘の求婚者を消し去るのはたやすいことなのだと、この恐れ知らずな参謀に思い知らせてやろうと思った……が、副団長は私の命令が聞こえなかったのか聞こえて無視しているのか、何食わぬ顔をしてそっぽを向いている。
 副団長はどうやら中立を決め込んだようだ。
 こいつはどっちの味方だ? 大事な娘の将来がかかっているというのに。
 そういう訳で、私は一人でこの問題に話をつける必要があった。
「おまえは私の娘を手に入れられると思っているようだが、それは間違いだ」
「何故です? 私はお嬢様の愛を得るにふさわしい人物だと思っていますが。恥じるべき行為は何一つしていません」
 悪びれる風もなく、涼しげな声で私に口答えをする。私に物怖じせず言ってくるのは後にも先にもこいつと副団長くらいだった。「団長が参謀の助言を無視するのはいかがなものですか」とまで言ってくる。これで無能な部下であればすぐにでも娘の手の届かない場所に左遷してやるのだが……。
「そんなに娘に惚れ込んでいるのなら教えてやろう……我が娘は家出中だ」
 さすがにこの言葉は居丈高な若き参謀にも多大なショックを与えたようだった。当たり前だ。私も娘の家出で言葉を失ったのだから。
「お、お嬢様は今どこに……?」
「分からない。私が知りたいくらいだ」
 さて、どうしてものかと私が考えあぐねていると、副団長がそっと私に助言をしてきた。彼の助言は参謀の戯れ言よりも結構役に立つのだ。
「良い青年ですよ」
「なんだね、ローファル。おまえまであいつの肩を持つのか」
「参謀が傍にいれば誰も手出しできません。最適な虫よけではありませんか」
「そ、そうか……そうなのか?」
「それに、彼は誰よりメリアドールさまに惚れ込んでいますよ。結婚許可を出せば、彼は確実にメリアドールさまをつれて帰ってくるでしょう」
 娘が帰ってくる。その言葉に私は心を動かされた。激しく癪に障るが、それならばこの参謀に頼んでもいいかもしれない。だが、娘の相手に選んでも良いかということとは全く別問題だ。
「さあ、クレティアンよ。娘をつれてこい。団長の命令だ。話はそれからだ」
「当然です。お嬢様の身に何かあってからでは遅いのですから。団長の命令があろうとなかろと私は迎えに行きます」
 そう言い残してさっさと部屋を出て行った。
「可愛げのない奴め……」
 ああ、娘よ、あんな男のどこが良いのだ……。
 私は頭を抱えた。これは深刻な問題だ。

◆2

「メリアドール……さっきから僕たち付けられてないか? 人の気配を感じるんだ」
「あら、だってここは貿易都市だもの。たくさん人がいるわ」
「いや、もっと執念深い気配を感じるんだけど……ストーカーみたいな」
「ああ、あの人なら大丈夫よ。無害な人だから放っておけばいいのよ。ただの父の部下だから」
「お嬢様! そこまで気づいているのなら私を無視しないでくださいますか?!」
 ああもう、うんざりだわ。せっかく家を出たっていうのに、父の部下が探しにきたなんて私の面目が立たないじゃないの。ああ、ほら、ラムザが怪訝そうな顔をして私を見ている。
「それで、一体何をしにきたの。ドロワさん?」
 はやく家に帰ってこいというお小言を父に代わって言われるのだと思った。
「あなたを愛しています。心から愛しています」
 私は全く予想していなかった言葉に度肝を抜かれた。
「私はあなたのお父上と話をしてきたのです。なのにお嬢様が家出中では話になりません。ですから、早くお父様と和解してください。そして家に帰ってきてください」
「そ、そういう話は……私が家を出る決断をする前にしてほしかったです……」
 タイミングが悪すぎるのよ。
「ええ。そのつもりでしたが、気づいたらお嬢様が相談もなしに家を飛び出してしまっていて……」
 当たり前じゃない。家出するのに相談するわけないじゃない。それに――
「――父に言う前に私に先にプロポーズをすべきではありませんこと?」
「では、ここでお嬢様に正式に求婚します。指輪の銘はお嬢様の好みを聞いてから作らせようと思ってましたが……では、『我が唯一の望み』と『我が心は永久に』のどちらが良いですか――」
「ちょ、ちょっと、お待ちなさい! こんな街中でのプロポーズなんて私認めませんからね!」
 あまりに恥ずかしさに顔が赤くなるのが分かった。このやりとりを隣で聞いているラムザは何を思っているやら……。
「僕は席をはずしますから、あとは二人でどうぞ」
 あ、よかった。紳士だわ。
 そうしてドーターの街角を二人で歩いていた。クレティアンは私をちゃんとエスコートしてくれたけれど、時々心配そうに後ろを振り返った
「お嬢様が迷子になっていないか不安で……」
 この人は私を何だと思っているんだろう。私はもう二十歳なのに、まるで手の掛かるお嬢様だとでも言わんばかりの態度だった。
「ラムザにどう思われているか心配だわ。私の実家がとんでもないところだって思われてないかしら。ああ、それにきっと、私は世間知らずのお嬢様だって思われてるに違いないわ……」
「お嬢様が世間知らずなのは事実でしょう」
 この失礼極まる発言は聞かなかったことにしてあげた。彼は方々を訪ねて周り私のことを探してやっと見つけてくれたのだから、多少はその苦労に報いてあげようと私は思った。それに、年上の騎士に愛を捧げてもらう喜びが分からないわけでもなかった。
「あの方はベオルブ家のご子息様でしょう? あとで挨拶に行かないと――お嬢様が失礼なことを言っていないと良いのですが。まさか出会い頭に喧嘩を売ったりしていないでしょうね」
「で、でも、ちゃんと、和解したわ」
 ああ、もう本当に、にくたらしい人ね。……悔しいけど、全くその通りなのよね。
「思いこみで行動してはだめだとあれほど言っているのに……あなたという人は……」
 余計なお小言よ。
「あなたは、私に求婚しにきたのではなくって? それとも御託を並べにいらしたわけ?」
「そんな……分かりきったことをわざわざ聞かないでください、お嬢様。それで、私ははるばる求婚しに来て、快い返事の一つももらえずに帰るのですか?」
「同じことばをそのままお返ししますわ。ドロワさん――私が快くない返事をするはずはありませんもの」

◆3

 お嬢様はどうやら父親と和解したらしい。そもそもの喧嘩の発端は定かでないが、あの気むずかしいお嬢様をなだめて連れ帰ってくるのは大騒動だった。
「……ヴォルマルフ団長。私の働きには報いてくださらないのですか」
 彼女は私がつれてきたのだ。私が迎えにいかなければ、今頃彼女はベオルブの御曹司と一緒に鴎国観光を満喫していたことだろう。それに団長とはまだ話の続きがある。お嬢様の家出騒動の前にしていた話が。
「何のことだね。言いたまえ」
 知っているくせに。しらを切るつもりだろうか。
 団長はご機嫌だ。なぜなら、大事な箱入り娘が帰ってきたのだから。繰り返すが私が迎えにいったのだ。お嬢様もご機嫌よろしく父親にくっついて「お父様、ごめんね」と言っている。団長も「よしよし、メリア。仕方ないなぁ」などと甘やかしすぎである。副団長もそんな様子をにこやかに見守っている。
 そんな穏やかな団らんの中で私にこんな台詞を言わせるのだから、我が団長はさすがとしか言いようがない。この娘にしてこの父親、というものだ。
「……娘さんを私にください。お嬢様の許可はいただいています」
 団長は驚いたようにお嬢様を見た。私の言葉はひとまず無視するようだった。
「そうなのか、メリア」
「うん」
「どうしてそういう大事なことを先に父さんに話さないんだ」
「だって、大好きなお父様ならゆるしてくれると思ったから」
「そうか……そんなにこの男のことが好きなのか? 嘘じゃないのか? 本当なのか? 本気なのか?」
「うん。ちゃんとプロポーズしてくれたのよ」
 団長は難しい表情をしている。何を考えているのかは想像に難くないが……
「クレティアン」
「はい」
「どうやら娘はおまえのことを認めているようだ――だが私は断る。私が娘を手放すつもりはない」
「まあ、そうですよね……」
「もう、お父様ったら。あ、でもそれって私はお父様とずっと一緒に暮らせるってこと?」
 お嬢様は嬉しそうだった。メリアドール、そこは喜ぶところじゃないぞ、私は言いたかった。これでは子離れができていないのか、親離れができていないのか、どっちだか分からなくなってくるじゃないか。
 私の内心を悟ってくれたらしく、お嬢様がそっと助け船を出してくれた。
「でも、ドロワさんはお父様のためなら命を捨ててくれるって。立派な騎士だと思わない?」
「うむ、それはそれで心配だな……父親としてはまずは娘に命を捧げてほしいものだが……いや、おまえの献身は分からなくもないが、それは団長として嬉しいのだが、それと娘のことは別なのだよ」
「まあ、もういいですよ……」
 ここは私が折れるところなのだろう。結局、私が騎士である限り、団長には頭があがらないのだから。そうしてその団長の娘を愛してしまったのだから。

◆4

「メリアドール、こっちへおいで」
「ローファル?」
 父とクレティアンに聞こえないように私を近くに呼び寄せた。
「あとでクレティアンの部屋へ行ってなぐさめておあげ」
「何を?」
「今日のことを。クレティアンはヴォルマルフ様にちゃんとプロポーズしたかったんだよ」
「だって私は彼の求婚にはちゃんと答えたわ」
「それとはまた別のことなんだ。男はプライドが高い生き物だから、好きな人の父親の前ではいい格好をしたいと思うんだよ」
 そういうものなのかしら。でも、ローファルはクレティアンとは長いつきあいがある友人だし……彼の言うことなら間違いないのだろう。
「でも、ドロワさんは私より父に忠義を尽くしてくれているんじゃないかと思うの……」
「多分彼も同じことを思っているよ」
「え?」
「お嬢様は一番愛しているのは父上ではないかと胃を痛めていた。有り体に言えばとても嫉妬している」
「だって……お父様のことは愛しているけど……それは家族だもの。当然でしょう? なんで父親に嫉妬するわけ?」
「男というものはそういう生き物なんだ。いつまでたっても娘を手放さない父親と殴り合いの一つや二つはするものだ――相手が騎士団長でなければね」
「ドロワさんがお父様に喧嘩売りにいく姿が見てみたいわ。お願いしたらやってくれるかしら」
「おそらくね。そうやって頼んで彼を困らせておいで」
 ローファルはどこか嬉しそうだ。私はどうしてそんな顔をするのかと尋ねた。
「何故かって? 大事なお嬢様をそう簡単には手放したくないんだ。お嬢様への求婚者はこうやって少し困らせてやるくらいがちょうど良いのさ」

            


            

ローファルがこの二人(クレメリ)の仲人をしてくれるのは、「大事なお嬢様であるメリアドールの思い人だから」であって、クレティアンには「お嬢様に求愛するなら少しくらい覚悟しとけよ」という気持ちです。ローファルはメリアドールの第二のお父さん(?)です。みんなメリアドールのことが大好きなんです。末永く仲良くしてね!

            

            

2016.12.6

            

反魂香

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・死者の魂を呼び戻すという秘薬。ゼラモニア独立運動(FFTのED後)に携わっているラムザとアルマ&イズルード(故)で思い出語り。
・カップリング要素…ラムザ→アルマ→イズルード→ウィーグラフ 片思いの連鎖… 

 

 
◆ゼラモニアについてmemo
0)鴎国と畏国の間の地域(ゼルテニアの隣)で鴎国に併合される(五十年戦争の1世紀前) 
1)オルダリーアの属州にして五十年戦争の発端の地 
2)ラムザ&アグリアスは獅子戦争終結の後(EDから約5年後?)、ゼラモニアの独立運動に関わっている
3)ディリータがそこに派兵 
*ディリータのゼラモニアへの派兵についての解釈は、「(鴎国の軍事力を削ぐため)独立運動の支援」(ラムザとディリータの協力)でも良いのですが、小説では「(畏国の治安を守るため)独立運動の鎮圧」(ラムザとディリータの敵対)だと思って書いてしまいました。でも前者の説明の方がすっきりしますね^ω^;

 

 

 

反魂香

 

 

 

「死者の魂を呼び戻す秘薬?」
「そう、この香木を焚くと、その香りがあるうちは亡き人の魂を再びこの世につれ戻すことができるらしい」
「でもそれって、危険なことじゃないの? だって私は知ってるもの、聖石が魂を呼び戻す時、誰かの身体が犠牲になっていたもの。私はもうそんな光景は二度と見たくないわ」
「アルマ、これはそういうものじゃないんだよ。魂を肉体に宿らせるんじゃなくて、去っていってしまった魂をほんの少しだけこっちの世界に呼び戻してくれるんだ」
 兄は市場で珍品を見つけてきたらしい。アルマは半信半疑だった。死者を蘇らせるとか、魂を呼び戻すとか、そんな胡散臭いものには何か裏があるだろうとアルマは思っていた。アルマは兄と共に、祖国イヴァリースを離れて鴎国のゼラモニア州で暮らしていた。ここゼラモニア州では、イヴァリースとオルダリーアとの大国に挟まれて陸路での貿易が盛んであった。そのため、得体の知れない珍品も時々市場に流れてくる。きっと、兄もそうしてこの香木を手に入れたに違いない。
「アルマは、誰か会いたい人はいないのかい?」
「そうね……私は兄さんが居てくれればそれで十分なんだけど」
 兄の顔がぱっと輝いた。兄妹は、異国の地で二人よりそって暮らしている。アルマは今の暮らしが十分幸せだった。故郷の戦乱で亡くなった人は大勢いた。アルマは彼らのことを一人一人思い出しながら、追憶に浸った。――もし、この香木が本物ならば――ここにその魂を呼び戻せるとしたら――

 * * * 

「また会えるなんて嬉しいわ、イズルード!」
 戸口に若い男が立っていた。短く刈り上げた茶髪に、僧服姿をした男は、どうしてここへ来たか分からない様子で所在なさげにしていた。そんな彼をアルマ喜んで迎え入れた。
「ここはゼラモニアの私たちの家よ。私があなたを呼んで招待したのよ、イズルード」
「私たち?」
「そう、私と兄さんとで一緒に暮らしているのよ」
「兄妹二人暮らしか……君たちはずいぶん仲がいいんだろ? 夫婦みたいに仲睦まじくやってるのが目に浮かぶよ」
「やだ、夫婦なんて言い過ぎよ」
 そう言いながらもアルマは嬉しそうに、兄さん、兄さんとラムザを呼びに家の中へ入っていった。その様子を見てイズルードは安堵した。
「よかった、兄と再会できたんだな」
 彼にはアルマに対する責任があった。彼はアルマを兄ラムザのもとから引きはがし、拉致しようとしたのだった。彼はその当時、崇高な理想に燃えており、理想の実現のためには多少の犠牲はやむなしと考えていたが、今となっては騎士道に反する行動だったと感じていた。彼女に対して紳士的な振る舞いを欠いたことに、彼はいくらかの罪悪感を抱いていた。計画が頓挫し、彼女を戦場であるリオファネス城に放置してきてしまったことも、彼の心を痛ませていた。けれど、どうやら彼女はそこから無事生還して兄と再会できたようであることをイズルードは知り、それは彼の心を落ち着かせた。
 しかし、一つだけ腑に落ちないことがあった。
「アルマはどうして今更、オレを呼び出したんだ――?」
 手荒な方法でさらったことを、非難するつもりだろうか、と彼は思った。

 * * * 

 妹から男を紹介された。
「この人はイズルード」
 知ってるよ、とラムザは心の中で思った。自分がかつて剣を交えた騎士だ。不幸な事件に巻き込まれてリオファネス城で果てた若い男だ。
「兄さんの言っていたことは本当ね。この香木は本物だったわ」
 妹がそんなにも会いたかったというのはイズルードだったのか。戦乱で死に別れた女友達と再会を喜ぶのだろうとばかり思っていたラムザは困惑した。一体、どうしてこの騎士なのか。彼とは、たった数日一緒に過ごしていただけだろう。それとも、たった数日だけしか共にしていないというのに、“そういう仲”なのだろうか。妹から今更若い男を紹介されるとは思っていなかったため、ラムザは戸惑っていた。
「アルマ、一体オレに何か用があったのか……?」
 ラムザが彼女に聞く前にイズルードが尋ねた。至極控えめな素振りだった。
「どうして? 理由がなかったらいけないの? 私はあなたにもう一度会いたいと思っただけよ」
 彼女は迷うことなくさっと答えた。しかし、顔をわずかに背け、誰とも目を会わせないよう視線をさまよわせた。答えるほんの少し前に、頬に赤く染めたのをラムザは見逃さなかった。ラムザは彼女と暮らしていた。兄妹の絆は消えることなく、彼女はいつもラムザの可愛い妹だった。けれど、その時、彼を前にしたその時、彼女は彼の妹ではなかった。一人の女だった。
 彼らをその場に残して、自分が退席するべきだろうとラムザは思った。けれど、同時に、彼らを二人きりにしておきたくない、とも思った。名付けられない、その感情に従って彼はイズルードを誘い出した。
「少しの間、外で話そうか」
 彼はその申し出に応じた。
 

 * * *

 外は彼の知らない国だった。イヴァリースで生まれ、故国から出ることのなかったイズルードにとって、ゼラモニアの光景は新鮮だった。家や町並みに大陸の文化がかいま見られた。
 イズルードが聞いたところによると、ラムザはゼラモニアの独立運動に関わっているらしかった。
「ゼラモニアの歴史は知っているだろう?」
 ラムザが尋ねた。イズルードはうなずいた。
「もちろん。ここは常に戦争の火種になっている」
「独立の夢叶わずに鴎国に併合されたのが一世紀前。それから畏鴎戦争が五十年。そして僕たちの国の戦争があって、イヴァリースはゼラモニアから撤退した。ゼラモニアは数百年の間もオルダリーアの圧政の下だ」
「それで、ラムザはゼラモニアの独立運動を支援していると?」
「これまでずっとイヴァリースは、ゼラモニア独立の支援を続けてきたけれど、独立支援なんていうのは建前だ。本当はオルダリーアへの侵略を考えていただけさ。この国はイヴァリースとオルダリーアという大国に挟まれて、戦場として蹂躙され続けてきた。僕はイヴァリースに生まれた。ゼラモニアの歴史には責任があるんだ」
 年はとっくに二十歳を超えて、彼はいくつになっているのだろうか。イズルードは、淡々と語るラムザの声を聞いていた。確か、自分と彼とは年はそう離れていなかったはずだ。修道院で初めて顔を会わせた時は、お互いにまだ若い少年だった。理想に燃え、それぞれが正しいと信じるもののために戦っていた。
「ラムザ、オレは君と剣を戦わせたことがある。だけど、君といがみ合っていたとは一度も思っていない。君はゼラモニアの虐げられた人々のために戦おうとしている。オレは君の精神に敬意を払っている。あの時から、今も変わらずそう思っているよ」
 理想を掲げて、虐げられた民のために剣を取る。それが騎士のあるべき姿であるとイズルードは思っていた。ラムザはその志を持った人間だ。たった数回剣を交えただけでも、それを知ることが出来た。けれどラムザと会う前から、理想を掲げて戦っていた騎士をイズルードは知っていた。彼はラムザと同じ金髪、ガリオンヌの出身、貴族をくじく精神を持っていた。そして内に激しい魂を秘めていた。イズルードが尊敬し続けたただ一人の男だった。
「ウィーグラフ……」

 * * * 

 イズルードが物思いに沈んでいる頃、ラムザもまた別のことを考えていた。
「イズルード、僕は崇高な精神のために戦っていたわけじゃないんだ」
 しかし、その言葉は彼の耳には届いていないようであった。
 ――僕は……大儀を掲げて戦ったわけじゃない。家族を、アルマを守りたかっただけなんだ……。もしあの時、修道院でディリータの姿を見なければ、僕はきっと戦争には関わらなかった。過去を捨て、家を捨て、名前を捨てて、そのまま逃げ続けていたかもしれない。
 ――ゼラモニアに居るのだって、本当はイヴァリースを追われてきたからだ。僕はもう二度とイヴァリースには帰らない、帰れないんだ。僕たちのことを誰も知らないこの土地で、僕はアルマと二人で平和に暮らそうと思っていた。独立運動のことを知らなかったわけじゃない……でも本当はただイヴァリースから逃げたかっただけなのかもしれない……。
 ラムザはこのことをイズルードに伝えられなかった。彼は自分のことを今でも理想を共にする同志だと思っているらしい。ゼラモニア独立のことも、彼はもしかしたら理想のための革命を起こせるのだと思っているのかもしれない。けれども、ラムザは過酷な現実を知っていた。かつてはオルダリーアの勢力を削ぐために独立を支援したイヴァリースが、今度は民衆の独立運動が自国に飛び火するのを恐れて派兵しようとしている。イヴァリースの英雄王自ら挙兵するとの話をラムザは聞いていた。ロマンダには英雄王に地位を奪われて亡命中の王子もいる。このままゼラモニアの独立運動が拡大すれば、周辺諸国を巻き込んでの争乱に発展するだろうことは容易に想像できた。けれどそうなった時、どう動くべきなのかをラムザはまだ想像できずにいた。もはやラムザ個人の力
ではどうにもできない問題になっていた。
 しかし、この夢見がちな青年にどうして本当の事が言えるだろうか?
 その時、イズルードがある名前をつぶやいた。
「ウィーグラフ……」
 ウィーグラフ・フォルズ。その名前を聞いてラムザは背筋が凍り付いた。その男はラムザを何度も殺しかけた、因縁浅からぬ者だった。
「もしウィーグラフが生きていたら、ゼラモニアの問題だって黙ってはいなかっただろうに。あいつは本当にすごい騎士だった。同じ神殿騎士として少しの間だけでも肩を並べられて光栄だった」
「うん、あの人はすごかった……僕はあの人の剣技にはとてもかなわなかった」
 ラムザがそう言うと、イズルードは同輩を賞賛されて嬉しかったのか、どこか誇らしげな顔をした。
「そう、ウィーグラフはすごい奴だった。オレは今でも心から尊敬しているよ。オレと同じゾディアックブレイブだったけれど、あいつはオレと違ってずっと苦労してきたんだ。イヴァリースのために戦ったのに、王家に裏切られてガリオンヌではかつての仲間と家族を失ったと聞いた」
 ――骸旅団を壊滅させ、彼の妹を殺したのは僕と、僕の兄たちだ。
「でも、ウィーグラフは剣を棄てず、ミュロンドに来て、信仰のために戦った。聖石が悪魔の力を宿していたとは誰も知らなかったが――ラムザ、君が正しかったよ――それでも、オレたちはあの時、貴族たちから平等を勝ち取ろうと戦っていたんだ。今もその気持ちは変わらない。ゼラモニアの困窮を前にして、オレもこのまま黙ってはいたくない。出来ることなら、君の力になりたかった。きっとウィーグラフもそう思っているだろう。民衆が立ち上がるための土台を築こうとしていたのだから」
 ――でも、あの時、確かにウィーグラフはこう言った。私を教会の犬と呼ぶが良い、と……。
「だけど、オレはウィーグラフを見捨ててきてしまったんだ。オーボンヌ修道院で、瀕死のウィーグラフを振り切ってその場を去った。それが心残りだった……。あの時は、あれが最善のことだったのかもしれない、だけど共に戦った戦友をあの場に残して一人立ち去った申し訳なさが残った。あの後、リオファネス城に行ったが――この経緯は君も知っているだろうが――そこで何度もウィーグラフの幻を見たよ。ここに居るはずもないのに、何度か彼の姿を見た気がする。幻覚を見るほどオレはウィーグラフのことを思っていたのかもしれない。――だから、ラムザ、どうか教えてくれないか。ウィーグラフの最期を知っているのは君だろう? 君があいつを討ち取ったんだろう、ウィーグラフはあの後、修道院でどうやって最期を迎えたんだ……?」
 ――そうだ、君の言うとおり僕がウィーグラフを討ち取った。だけど、そこはオーボンヌ修道院ではなく、リオファネス城だ。君が見たというのは幻じゃない、おそらくウィーグラフ本人だ。いや、彼はもうすでに聖石と契約を結んでいたから、ウィーグラフ本人ではないかもしれない……。
「ラムザ? どうしたんだ?」
「ああ、何でもないよ……」
 ラムザはイズルードに何も答えられなかった。イズルードを殺したのは、悪魔になり果てた彼の父親だった。ラムザは思った。もし、彼が、彼の敬愛するウィーグラフもが彼の父親と同じ道に墜ちてしまったと知ったらどう思うだろうか。父親に剣を向けたように、盟友にも同じように剣を向けただろうか。父親にそうしたように、変わり果てた友の身体に剣を突き立てたのだろうか。
 ――アルマ、今更どうして彼を呼んできたんだ。夢から覚めて、悲惨な現実を知って打ちひしがれるだけだというのに。僕は真実を知っている。だけどそれを彼には伝えられない。
「ラムザ? ウィーグラフは……」
「あの人は……最期まで僕の好敵手だった。僕の人生に影響を与えた人だったよ。あの人なしには僕の人生はなかったと思う。お互い、最後まで全力を尽くして死闘した。……最期は、妹さんのことが心残りだと言っていたかな……」
「そうだったのか。ラムザ、君がウィーグラフのことを認めてくれて、オレも嬉しいよ」
 ――知っているかい、イズルード? 君が敬愛するウィーグラフの、家族を殺して、彼を復讐に駆り立てさせた発端は僕にあるんだ。君はそんなことを露ほども知らないとは思うけれど……
 ラムザはイズルードに、ウィーグラフが聖石と契約を交わしていたことは言わなかった。彼の中で、ウィーグラフは永遠に高潔な騎士として生き続けることだろう。
 イズルードが理想高き誠実な騎士であることをラムザは十分理解していた。ゼラモニアの民衆運動にも、喜んで身を投じることだろう。妹を暴力にまかせて修道院から連れ去ったことは許し難い行為であったが、しかし、平素の彼はそれほど猛々しい性格ではなかった。むしろ、ラムザの知り合いの中では剣を持つ人間としては穏和な方であった。この期に及んで、凄惨な現実を突きつけて、この青年を絶望の淵に追いやるつもりはなかった。
 ――この男がアルマをさらっていった。そしてたった一瞬でアルマの心を奪ってしまったのだ。
 果たしてそのことにイズルードは気づいているのだろうか、とラムザは思った。
「アルマは君にずいぶん会いたがっていた」
 ラムザがそう言うと、イズルードは居心地が悪そうに言った。
「あの件は……本当に申し訳ないことをしたと思っている。アルマは、そのことをまだ怒っているだろうか……?」
 いや、それどころか君に好意を抱いている、とは言わなかった。代わりに「多分怒っていないと思う」と答えた。
「それは良かった。彼女には感謝している。そのことを伝えておいて欲しい」
 じゃあ、お互いよい旅路を、と言ってそこで彼とは別れた。何に対して「感謝している」のか、ラムザは分からなかった。けれど彼の言葉はそのまま妹のもとへ届けた。

 * * * 

「そう、イズルードはそんなことを言っていたのね」
 アルマは呟いた。せっかく再会の機会があったというのに、ろくに言葉を交わす間もなく再び彼は去っていってしまった。兄たちは外でずいぶん長いこと話していた。何を話していたのだろう、とアルマは思った。私も一緒について行けばよかったかしら。
「イズルードはこう言っていた、感謝していると。アルマ、そろそろ教えてくれないか。彼とはどういう関係だったんだ?」
「あらやだ、兄さん、もしかして嫉妬しているの?」
 兄がイズルードに何かしらの感情をあおられていることは確かだった。
「アルマ、僕はそういうつもりで言ったわけでは……」
「兄妹なんだから、兄さんが何を思っているのかは言わなくても分かるわよ。でも兄さんは勘違いしている。私たちは、イズルードとの間には、何もなかったのよ――だってよく考えてみて。私たちが一緒に過ごしたのはたった数日だったのよ。それも、私は誘拐されたのよ。“何か”を育むような楽しい逃避行ではなかったわ」
「彼は“感謝している”と。何もなかったわけじゃないだろう?」
「感謝されるとしたら、それはきっと、私が彼の最期を看たからよ……あの人は、私をさらった誘拐犯だったけれど、一人孤独に絶望の中で死を迎えるのはあまりに可哀想だわ。だから私、彼の手をとって、ずっと傍に居たの。彼も私も言葉を交わせるような状況じゃなかったわ」
 アルマはその時の光景を思い出して恐怖を再び感じた。血も凍り付くような虐殺がリオファネス城では繰り広げられていた。その真っ只中にアルマとイズルードは取り残されていた。そのような惨劇の中、彼らは互いに何も言うことも出来ず、ただ孤独と恐怖とをふさぎあうように寄り添っていた。
 再びおそった恐怖に身をすくめ、アルマは兄に抱きついた。目を閉じていても、脳裏にあの光景が浮かんだ。
「そうよ、私たちの間には何もなかったわ! 何もなかったのよ! あの時の私は修道院を出たばかりの何も知らない少女で、彼も教会のために命を捧げてきた人だった。私は兄さんに会いたくてずっと泣いていたし、彼は残してきた仲間のことを気にしていた。それに、あんな惨劇に見舞われて、お互い何の言葉を交わすこともなく別れたわ。だけど、今になって思うの。もう二度と会えないと知って、あれが、私の、初めての恋だったと気が付いたの。愛していたと気づいた時には、あの人は二度と戻らぬ人だったのよ……!」
 アルマは兄の腕に抱かれて泣いた。ラムザはこう言った。「アルマ、泣かないで、僕がずっと傍にいるよ」
「あの人は――イズルードは、私が初めて恋をした人だったの。だから、兄さんがあの香木を持ってきた時に、ふと、また会いたいと思ったの」
「愛を伝えるために?」
「いいえ、リオファネス城で、私の初恋はもう終わったのよ。昔の恋を伝えたかったわけじゃないわ。ただ……大人になって、綺麗になった私を、一度でいいから彼に見てもらいたかったの。ね、兄さん、あれから私はずいぶ大人になったでしょう?」
「僕の可愛い妹! 君は最高に美しいひとだ! 僕はもう二度と家族を手放すまい――誰にも引き離されることなく、僕たちはこの国で一緒に暮らしていくんだ――」
 兄妹は再び抱き合った。

 

 

2015.12.14

 

遅咲きの薔薇

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 遅咲きの薔薇

            

            

 僕はアルマと一緒に、久々にゼラモニアから故郷のイヴァリースへと戻った。両親も兄弟もなく、家も土地も持たない僕は帰る場所がなかったため、学生時代、共にアカデミーで学んだ友人の邸宅に身を寄せていた。彼とは青春の一時期を共に分かち合った人で、首席で卒業をしていった碩学の大先輩でもあった。お互い、道を違ってからは消息も知らない。
 この邸宅の細君は僕と面識のある人物だった。……彼女はかつて共に旅をした仲間で、もう、あれから随分と時間が経ってしまったけれど、立ち振る舞い、その身のこなしにはかつての面影があった。彼女は今でも優雅で可憐な女騎士だった。いつまとまったのかは知らないけれども、この夫婦の間では、まだ恋人同士のような、新婚のような、甘酸っぱいやりとりが交わされていた。僕たちが広間に入ると、僕を迎えた彼女はさっぱりとした、薄衣の上着を纏っていた。「どうかしら?」一緒に出迎えた彼はアルマの手を取り案内しながらも、細君に視線を送っていた。「美しいよ」そこで二人まるで始めて出会った若い恋人のように連れ添って歩いて行くのだった。彼女は黙って彼の側に座っていたり、あるいはそっと椅子を引いたり、彼のために、誰にも気づかれないような細やかな愛情を示していた。
 僕と彼とで、昔語りに花を咲かせている間、彼女はアルマと一緒に外で過ごしていた。緑の草地の上に、二人の婦人のスカートが丸く円を描いて広がっていた。二人とも微笑みながら、僕たちには聞こえない会話を楽しんでいるようだった。全く影のない世界だった。僕たちが歩いてきた道に投げかけられた、暗い翳りは、二人のささやかな笑顔の中には入り込もうとしなかった。
「そういう運命だったのさ。ラムザ、私の話を聞き給え」
「聞いているさ。僕だって随分骨を折ったんだよ」
 僕が妹の姿を視線で追っている間、彼は細君の方に顔を向けていた。そのまなざしが、恋慕の情愛か、思慕の歓びなのかは、ついぞ伴侶を持たなかった僕には知り得ぬことだった。
 僕はふと、壁に掛けられた小さくも美しい、可憐な少女の肖像画に気づいた。澄んだ明るい油絵で、丈の長い薄緑の上着を羽織り、こざっぱりとまとめた金の髪の上に瀟洒なヴェールを載せている。紅に染まった頬に、少女らしい、かわいげのある愛嬌が乗っていた。その少女が誰なのかは想像に難くなかったが、彼に一応尋ねた。「この少女は?」
「私の妻のものだよ」つまり、と彼は付け加えた。
「私の総長の愛娘で、私に剣を向けた凜々しき騎士で、そのあとで私の妻になってくれた女(ひと)の肖像さ。元々は母親が娘の成長した祝いにと贈ったものだったらしい。母亡き後は両親の形見としてメリアドールが大事に持っていたのが、この家にやってきた」
 彼はその肖像をちらりと眺めた。
「どういういきさつで結婚を?」僕の問いに彼は答えず、ついと席を外してしまった。
 僕は肖像の前に歩み寄った。僕の前の肖像の少女は今、美しき夫人となり、庭でアルマと幸福なひとときを過ごしているようだった。「大きなイチジクが二つ熟れているわ! アルマ、それを一つ、もいできてちょうだい」
 彼女はそのイチジクをもって、広間へとやってきた。
「アルマがこのイチジクを取ってきたのよ。あとでタルトでも作ろうかしら。ラムザも一緒にどう?」
 甘酸っぱい芳香が広がった。
「メリアドール、驚いたよ。君が結婚してたなんて」僕は繰り返した。「どういういきさつで結婚を?」
 彼女はさっと顔を赤らめた。一瞬の沈黙の後、彼女は語り始めた。
「あの後、そう、ラムザとオーボンヌで別かれてからのこと。私にはもう家族もなく、誰も心を許せる人なんかいないって思ってた。ただ一人で静かに過ごしたくて、修道院を転々としながら日々を送っていたのね。部屋にただ一人で座って、考えて、この暗い壁の中の世界で、もう俗世に還ることなくひっそりと一生を終えようと心から思っていた。でも、ちょうどその時、偶然あの人と再会したのよ。お互い世捨て人みたいになってて、もう関係なんか持つ気はなかった。でも、図書室であの人が本を朗読するのが聞こえてきたの。古い文豪の詩だった。あたりには私たちの他には誰もいなかったわ。私たちが古の恋人と共に船出をするのを、誰も、何もさまたげなかった」
 船は軽やかにすべってゆく。寂しい真昼どき、姫は甲板の上に坐っている。夏の風が彼女の金髪にそよいでる。しかし、故国を恋う悲しみから、また、やがて老王の妃となるべき異境にたいする怖れから、彼女の眼からは涙があふれる。騎士は彼女を慰めようとするが、彼女は彼をしりぞける。彼女は彼を憎んでいる。彼が彼女の家族を殺したからだ。大気はむし暑い。そして彼女はのどがかわく。しまいかたの粗忽から、姫の胸を老王に対して燃えさすための恋の媚薬が、はからずも船房に出たままになっている。
『ご覧あそばせ、このようなところに、葡萄酒がございますのを!』
「こうしていにしえの詩人の魔術が始まるのよ。甘美な詩句は口からとどめなく流れだし、密やかな胸の上に情火を燃え上がらせる。私は、若々しい美しい二人が舷に一緒に身を寄せる様を思い描いたわ。彼ら恋人は、自分たち二人の手がひそかに握り合わされるのを見ないように、遙かな水を眺めている。彼ら、お互に酔いしれながら、海のこと、霧のこと、風のこと、波のこと、目に見えることをささやき合う……
「全くその時だったわ。いにしえの文豪の差し出す盃の香りが立ち上って私にもまた魔法をかけてしまったの。私はまだ喪が明けてさえいなかったというのに、私の中に眠っていた青春の炎が燃え上がったわ。全く恋の盃というのは恐ろしいものだわ。私たちは幾杯も飲み交わして。
「本当に、恋の盃というのは……本当に……そうして私はあの人と…」
 彼女はそれ以上話を続けることが出来なかった。青春の恥じらい故か、彼女はその場から立ち去った。僕の前にはよく熟れたイチジクが一つ、残った。
 細君の退出と入れ替わりに、主人が戻ってきた。「その続きは私が話そう」
「私の知っている限り、妻は、メリアドールは、いつも黒い喪服を纏っていた。彼女の喪が明けることは永久になかったのだ。家族を理不尽な理由で失いったことは彼女を十も老けさせていた。ある時、私は彼女からこの肖像画を見せてもらった。これが家族の唯一の形見だと。しかし、絵の中の可愛らしい面立ちを、喪服を纏った黒い婦人の輪郭に見いだすことは出来なかった。
「何が彼女を変えたのか? 誰が黒の喪服を脱がせたのか? それが恋の盃、不思議の飲み物、あの媚酒だったのか? 恋の盃とは、単なる象徴ではないのか?
「しかし私たちが小さな修道院の片隅で日がな恋の狂乱に耽っていたと考えるのは間違いだ。そう、あの頃の私たちは世捨て人も同然だった。いにしえの詩人の呼び起こしたひとときの魔法は、次第に色あせていった。一日、一日と、日々は静かに平穏に過ぎ去っていった。私も事を荒立てる気はさらさらなかった。ただ誰にも邪魔されず、心静かに過ごす事だけを望んでいた。
「静寂を求めた私のお気に入りの場所がその修道院にはあった。裏庭に小さな薔薇園があったのだ。そこには誰の邪魔も入らなかった。何の関わりにも乱されることなく、私は永遠の古歌に読みふけっていた。私は、彼女が、ときおりそばに坐って聞いているのを知っていたので、声をあげて読んだ。すると、熱心に動いていた彼女の手は覚えず仕事を忘れるのだった。私はあの戦乱の時代のせいで、ろくに一芸をきわめることが出来なかったが、多少は歌うことが出来た。彼女も、歌う心得はあった。
「ある時私は、あの肖像、君の前にあるその肖像を再び眺めた。美しい、若々しい顔にじっと見入っていた。この若い、笑っている眼が見入っている世界は暖かな、たしかに陽の光に満ちあふれている世界に違いないと気づいたのだ。私はたまらなかった、彼女の暮らすべき世界は光輝くものでなければならない! 私は両腕を肖像の方へのばした。彼女はもう一度この姿に戻らなければならない、悔恨と憧れとに引き裂かれながら、そう願った。
「過去を悔いることは山のようにあった。彼女に黒の服を纏わせているのは、私のせいでもあるのだから。しかし、ただ一つ分かっていることがあった。この肖像の愛らしい若々しい姿は、まだ永遠に過去のものとはなってはいないということだ。かつてはこうだった彼女――その彼女は今も生きている。そして自分のすぐ側に、この手の届くところにいる。自分は今の、この瞬間にも、彼女のそばにいられるのだ!
「私はすぐに彼女を探す必要があった。彼女は薔薇園の中にいた。彼女はほほ笑みながら私を見た。しかし、私は時を移さず黙って彼女の手を取り、彼女を連れて歩いた。私たちは並んで歩いた。白い朝の光の中、彼女のほっそりとした手が任せきったように私の手の中におかれた時、私はこらえきれなくなって彼女の前に跪いた。私がふたたび顔を上げたとき、彼女は、もう黒いヴェールを被いてはいなかった。彼女は、自分の手で、喪服を脱ぎ捨てた。……私は、彼女が闇の中に居るとは最初から思っていなかった。朝靄の中、私の側にたたずむ彼女は、あの肖像と何ら変わりはしなかった。光輝く、美しい姿だった。
「こうして私たちは、再び恋の盃から飲んだのだった。もう幾杯も飲み交わす必要はなかった。心からの、深い一滴で十分だった。いや、初めから恋の盃なんて必要なかったのかもしれない。そして、私たちは遅過ぎる青春を、二人で連れ添ってすごすことに決めたのだった」
 その晩、僕はアルマと夕飯をとった。テーブルには夫人の作ったイチジクのタルトも並んでいた。次第に夕闇がせまってきて、全てがひっそりとしていた。しかし、外の庭には灯りが点いておりわずかな輝きを見せていた。歴史から退いた僕たち兄妹がこうやって静かな、幸せな食事をしているとは誰が知っていようか。庭の茂みから、夜の中へ低いアルトが歌い出すと、それに寄り添うに可憐なソプラノが唱和した。『おお青春よ、うるわしの薔薇咲く頃よ!』僕たちはそれに耳を傾けながら、幸福なひとときを過ごしていた。

            

            

・パロディ元…シュトルム著『みずうみ』(関泰祐訳)、岩波文庫、1992年、117-136p

            

            

2015.7.10