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*epilogue

     

  

     

  

 その記念すべき日をイゾルデはオーボンヌ修道院の礼拝堂で迎えた。小さな礼拝堂の前で、イゾルデは夫を待っていた。
「私たちの結婚式のためにこの礼拝堂をお貸しくださってありがとうございます、ファーザー・シモン」
「いえいえ、王家の頼みごととあらば、私たちは協力を惜しみません。この修道院は幾世紀にも渡ってイヴァリースの王家を支えてきたのですから」
 イゾルデと一緒に礼拝堂の外で花婿を待っていた初老のオーボンヌ修道院院長はイゾルデに向かってほほえんだ。「アンセルム殿下から伺ったお話では、なんでも、お忍びで結婚式を執り行いたいとのことでしたが……」
「はい、その通りです。私たちは静かに神の前で愛の誓いを立てたいのです」
 イゾルデは、きっぱりと言った。豪勢な結婚式にはもうこりごりだった。アンセルム王子は、できれば誰の目にも止まらずひっそりと挙式をしたいというイゾルデの願いを叶えてくれた。王都から遠く離れた辺境の修道院ならば人目を気にすることもないだろうと、オーボンヌ修道院院長に頼んでくれたのだ。イゾルデとヴォルマルフの結婚式が挙げられるようにと。
「私どもはただ神の前でなすべきことをするのみ。あなたがたの事情は聞きません。ですが、どうかご安心ください。こんな辺境の寂しい地ですが、この修道院は代々の王家のみなさまをお守りしてきた場所です。ここで挙式をするのは王家の品格を受け継ぐことと同じです」
「まあ……夫が喜びますわ。私の夫は王家に仕える騎士ですの。実は、この結婚の仲立ちをしてくださったのもアンセルム殿下なのです……このことは誰にも内緒ですけれど」
「では、あなたがたご夫妻のもとには、神のご加護とともに王子様の祝福があるのですね。それならば、あなたがたの仲は何人たりとも裂けないでしょう――とこしえの幸福を」
 修道院院長は目を細めた。笑うと目のそばに細い皺が集まる。幸福を祈る修道士の顔だ。
「しかし、あなたの夫はまだ来ないのですか。花嫁より支度に時間が掛かる花婿とは……いったい何をしているのですか」
「私の夫は恥ずかしがり屋なんです。ファーザー・シモン、少しの間だけ待っていただけないでしょうか。すぐに夫を探してきますから」
「どうぞごゆっくり。私は構いませんよ。とはいえ神に誓いを立てる前に二人で性急に世俗の契りを結ばないように――まあ、あなたの物静かな婿殿ならそんな心配はないと思いますが……」
 修道院院長は扉を開けて礼拝堂の中に入っていった。院長の姿を見届けるとイゾルデはくるりと後ろを向いた。
「ヴォルマルフ。近くにいるのでしょう? 隠れてないで早くこちらへいらして」腰に手を当てた。「ファーザー・シモンがお待ちよ」
「レディ・イゾルデ……私は本当に幻を見ているかのようです」
 ヴォルマルフは建物のかげからそっと姿を見せた。結婚式を前に怖じ気づいているのだろうか。不安そうな表情だった。
「幻じゃないわ! あなた、しっかりして!」
 イゾルデはヴォルマルフの手を取った。ヴォルマルフは気まずそうに顔を赤らめた。
 まずいわ、このままだと礼拝堂に私が花婿を引っ張っていくことになりそうだわ。なんとかしないと――
「ねえ、そういえば、下着姿の花嫁こそが最も価値があると、王宮にいた時に聞いたわ。下着しか持っていない貧しい花嫁でも愛せるということは、持参金目当ての結婚ではないから――つまり愛のための結婚だと誰の目にも分かるから、ということでしょう?」
「なんですか、出し抜けに……ええ、たしかに、そういう言い伝えは残っています。ですが、とうに廃れた風習です。それが何か?」
 怪訝そうな顔をするヴォルマルフの言葉を無視してイゾルデは続けた。
「それに、聞いたところによると、このオーボンヌ修道院は王家とも縁が深い、とても歴史ある場所だそうよ。だったら、私たちもその昔の風習にならって古式の婚礼を挙げるのもいいんじゃないかしら――私、ここで服を脱ぐわ」
 ドレスの裾をたくしあげ始めたイゾルデをヴォルマルフは慌てて止めた。
「お、お待ちください! そんなことをしてはファーザー・シモンが卒倒してしまうでしょう」
「そうかしら? さっき、ここの若い修練士からファーザー・シモン・ラキシュは修道院院長になる前は異端審問官としてたくさんの修羅場と死線をくぐってきたと聞いたわ。とても肝がすわっている方だそうよ。私が下着姿になったくらいでは驚かないと思うわ」
「いいえ、だめです! 私が卒倒しますから!」
「どうして? あなたは私の夫なのに、私の服を脱がせたいと思わないの?」
 ほんの少しの間、ヴォルマルフは口を開けたまま棒立ちになっていた。イゾルデはわくわくしながら、彼の返答を待っていた。やがて、ヴォルマルフの口から真っ当な答えが返ってきた。
「レディ・イゾルデ! 神の前で誓いを立てるのが先です! ファーザー・シモンが待ちくたびれてしまいます――早く行きましょう!」
 ヴォルマルフは早くこの話題を切り上げようと、急いでイゾルデの手を引いて礼拝堂の扉を開けた。イゾルデに背けた顔は赤かった。
 ヴォルマルフに手を取ってもらって、イゾルデは心躍った。ああ、やっと! イゾルデはこの時をずっと待っていた――愛する夫にエスコートしてもらう時を。その瞬間、彼女は幸福で満たされていた。そして、喜びをかみしめながらファーザー・シモンの言葉を繰り返した。「とこしえの幸福を」と。

  

 

連載期間:2017.05.25-2017.12.30